[138]第16話 『正座と日本人』 ―果たしてそれは、疑問の余地の無い常識なのか―


発行日:2010/01/31
タイトル:第16話 『正座と日本人』 ―果たしてそれは、疑問の余地の無い常識なのか―
シリーズ名:やさしい正座入門学
シリーズ番号:16

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
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販売価格:100円

著者:そうな
イラスト:あんやす

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本文

――正座をすると、緊張感や集中力が得られる一方、心からリラックスすることはできませんでした――

 メリットを書く人はいるが、デメリットを堂々と冒頭に書く人を私は初めて見た。それも、「正座を支持する人」が、だ。冒頭の文章以降も、「正座は本当に葬式や武道に必要なのか?」、「当たり前なのか?」という疑問に繋がってゆく。冒頭からここまでの疑問を羅列するような正座の本は、なかなか無かったのではないか。私自身、正座の記事を書く身ではあるが、「実は私もそう思っていた。本当に必要なのかをぜひ知りたい」と、既に前のめり状態である。

 以前、町の小さな図書館へ正座に関する本を探しに行ったことがあった。当然、図書館は本の宝物庫なので、抱えきれないほどの本と知識が手に入ると思っていた。……が、備え付けのパソコンで検索をかけてみるも、ないのだ。検索にかからないのだ。膨大な本の中から、何十冊の本が検索にかかるのか……と期待していたのだが、検索にひっかかったのは、たったの数冊。しかも、調べものに使えそうな本は1冊しかなく、他は全て「正座」という単語が含まれているだけという始末であった。日本に住みながらして、実に正座の本が少ないと感じた瞬間であった。

 本の有無は、地元の図書館の規模にもよるだろうが、それにしても明らかに「正座に関する書物」が少ないと感じた。しかし、それは考えようによっては、日本人にとってあまりに身近なこととして定着しているからではないか、とも思える。日本人なら、「誰もが知っているべき常識」。そう日常に組み込まれているからこそ、改めて本を書く人や、取り上げる人がいないのではないか、そうとも考えられた。
 そんな中で、私は1冊の本に出逢えた。「正座」についてのみを純粋に語り、説明してくれるという、このご時世では稀な本である。そう、それが今回の記事に使わせて頂く本、『丁 宗鐵(テイ・ムネテツ)先生』の著書、『正座と日本人』である。ちなみに、文頭の引用は、本書の「はじめに」から抜粋したものである。第10章まである長編で、これから1話ずつ見ていくわけなので早く章に入るべきなのだが、この序章、大変に興味が湧くのだ。著者の日常を交えて話しが進む序章だが、その会話文などが面白い。
 この本の著者、丁宗鐵先生は、医者である。大学教授や理事長など、沢山の素晴らしい肩書きを持っているが、ここは敢えて、医者という肩書きで進めることにする(大の歴史好きということも外せないポイントである)。
 例えばこうだ。ある日、膝を悪くした患者さんが、自分のクリニックを訪れてきたという。
 その人は、茶道など、正座をする機会の多い人なのだそうだ。彼は、そういった患者さんたちに、こう聞くという。「膝がよくなったら、どうしたいですか」、と。すると、患者さんたちは決まって、「また正座をしてお茶を楽しみたい」、と、いうのだそうだ。そして、その質問の後、先生はいう。「正座をしなくても、お茶は楽しめますよ」と。しかし、患者さんは、なかなか聞く耳をもってくれない。理由は、伝統文化であり、礼儀だからだそうだ。
 確かに、そう言われてみると、茶道であぐらをかいている人を、私は知らない。先生にしてみれば、「また膝を痛めてしまう……」そういう心境からのアドバイスであることは、よく分かる。しかし、患者さんの気持ちも分からなくもない。自分の大好きな、あるいは誇りをもっている茶道に対して、半端な態度で行いたくはないのだろう。それが、自分の膝を痛めると知っていても、だ。この患者さんは特に、正装して正座をして作法に則ってこそ、お茶を美味しく戴ける人なのだろう。
 だが、本書の著者は、敢えてそこにメスを入れる。断っておくが、これは、この患者の考え方や正座を否定しているわけではない。誰もが「常識」と考えてきた定型の姿勢である正座が、果たして本当に「欠くことのできないものなのか」、「常識なのか」、はたまた、それは「いつから行われ」、「本来の人間にはどのような座り方が一番良い」のか……そういったものを、医学的、歴史的、文化的に考察し、提案しようというものだ。また、「健康上にもプラスになればいい」という気持ちも表れているところが、流石お医者さんである。

 さて、あまり序章ばかりでは、なんの記事なのか分からなくなるので、ここからは本編に触れていこう。この本を読んでいくと、始めに「正座」について説明してくれる内容が数ページ続いていく。内容は、正座は本来「かしこまる」とか「つくばう」「跪坐」「端坐」と呼ばれ、神仏の前での儀礼的な場面や主君に対して家臣がかしこまる姿であったということ、「正座」の元になっているのは、「長跪合掌(ちょうきがっしょう)」という姿勢で、仏事でひざまずいて合掌するときに行われるものということ等だった。
 前項は、なんとなくどこかで耳にした覚えがある。礼法の本を開けば、その大概が記載されているだろう。しかし、後項については初耳だった。はて、「長跪合掌」とは、なんだろうか? そこで、辞書(デジタル大辞泉より)を引いてみた。調べてみると……なんとまぁ、「長跪合掌」は出なかった。そこで、2つの意味に分けて調べることにした。「長跪」で引くと、検索にかかった。そこには、こう書いてあった。【――両膝を並べて地につけ、上半身を直立させる礼法――】。なるほど。段々意味が見えてきた。次に、念のために「合掌」を引いてみた。【――仏教徒が、顔や胸の前で両の手のひらと指を合わせて、仏・菩薩(ぼさつ)などを拝むこと――】。なんと、仏教のものだった。合掌といえば、合掌造りという建築様式のように、ただ手を60度くらいの角度に合わせ祈ることだと思っていた。1つの言葉も、掘り下げていけば、まだまだ知らないことばかり。辞書を引くのは大切なことだと再認識させられる。
 2つを調べたところで、意味を繋げて考えてみる。つまり、「長跪」は意味の通り、正座に近い座り方。かかとにお尻を乗せる、などとは書いていないので、今日の「正座」とも、また違うのかもしれない。そして、「合掌」の意味に「仏教徒が……」と書いてあったことから、仏教に関係する座り方であったことが理解できた。調べてみたら、「なんだ、最初に説明された通りの言葉か」と思ってしまうが、ふと、修行僧の姿が思い起こされた。そういえば、よくテレビで、道祖神などに祈りを捧げている修行僧が、膝をついている場面を放送してはいなかったか。書物などでも、そのような挿絵があった気がする。
 今までは、「あ、祈っている……」としか思っておらず、祈りに名前がついているなどとは考えたこともなかった。そして、ましてやそれが、正座のルーツだったなどとは驚きだ。改めて調べて掘り起こした「歴史」は、いわゆる永久保存版としてガラスの箱に飾ってあるようなもののように感じていたが、なんてことはない、今に確実に繋がっていると思える瞬間である。「歴史は生もの」である……なんとなく、そう思った。賞味期限はなさそうだが。

 正座のルーツは大体把握した。次を読み進めていくと、「正座」以外の座り方の色々を教えてくれている項目があった。座り方は6つあり、内容は以下のものだった。「安座」→体の前で足の先を組む座り方。「楽座」→両足の裏をピタリと合わせる座り方。「割座(わりざ・かつざ)」→正座の状態から足を左右にはずして、お尻を床につける。「蹲踞(そんきょ)」→和式トイレのように足を自然に開いたまま、腰を下ろしてうずくまる。「跪踞(ききょ)」→正座のつま先を立て、かかとにお尻をのせる。「立膝・立て膝」→右足は正座などの状態で、もう一方の片足を立て膝する。
 注意する点は、書物によって若干だが違う書き方をしているところもある、ということだそうだ。こんなに沢山の座り方の名称があったとは……。見る人によっては、「大差ないじゃないか」ということになりそうだが、微妙に(知識のある人間にとっては、全く)違う。そして、これは実際に自分で再現してみれば、違いは如実に分かるだろう。実際にしてみると、使う筋肉も違えば、楽さも違ってくる。
 これを踏まえた上で話は進む。著者はこう記している。
「――かつて日本人は、時代や身分、着ているもの、座る床によって、アグラ、立て膝、横座りなど、さまざまな座り方をしてきました――」
 つまりは、先ほど上記にあげた、6つの座り方などが、これに当たるだろう。そして、著者は続ける。
「――アグラも、かつては正座だった――」
 要約すると、こういうことらしい。「現在の正座と呼ばれる座り方と、昔は違う」、「昔は、アグラや立て膝が、今のアグラだった」
 なるほど、正座という言葉が、その時代ごとの正式な座り方に当てはめられるというのなら、これはあまり疑問もなく納得できる気がする。
「じゃあ、アグラはなんでアグラなんだろう?」
 そんなこと思ったことはないが、よくよく考えてみれば面白い響きだ。それに対して著者はこう記している。
――アグラの「ア」は、「あ(足)」。グラは、「くら(座)」。これは、「高く設けられた座る場所」の意味で、貴族が座る高い座席や腰かけなどの道具を「アグラ」と呼ぶ。「アグラ」が座る道具から座り方の意味に転じたのは、江戸時代以降です。
 なるほど。どうやら、あんこの小倉や倉庫の倉(くら)とは関係ないようだ。頭の中でなんとなくそんな漢字を当てはめていたので、「座」という漢字で成り立っているのは意外だった。まさか、「座」を「くら」と読むとは……ここでも、昔の言葉がそのまま今も使われているのか。しかし、江戸時代以降ということは、昔といっても何百年も前ということではない。大体みんなこういった昔のことを、さも遠い遠い昔のようにいうが、たった100年あまりのできごとだ。たったの何世代か、前の出来事だ。……そう思うと、感慨深いものがある。江戸時代の私のご先祖様も、物書きだったらいいな……なんて、夢を見始めてしまうから、こういう話はロマンチストには要注意だ。

 そして著者は、その事実を踏まえ、次のように記していた。「古い書物に『正座』と記されていても、挿絵がなければ、今日の「正座」とは異なるものかもしれない。それこそ、アグラや立て膝だったのかもしれない」、と。つまり、今日の「正座」を、江戸時代当初は「正座」としてみていない可能性があるということだ。それというのも、当初、儒学者で医師であった貝原益軒の著書『養生訓』に、こう書いてあるからだそうだ。
【――坐するに正坐すべし、膝をかがむべからず】(座るときは正座をしなさい。膝を曲げてはいけません)
 「いけません」ったって……、現代に生きる私は、こう感じてしまう。
 つまり著者は、当初は膝を曲げない正座であったことから、これはアグラのことであるに違いない、といっているのだ。しかし、全てがアグラのワケでもなく、益軒の肖像画を見ると、今日のような正座をしているものもあるという。ちなみに、「正坐」と「正座」があるが、「坐」は「すわる」、「座」は「席」を意味する言葉なのだとか。それならば「坐」と書くべきではあるのだが、常用漢字などの一般的に使用できる漢字の制限により、今日の表記「正座」に落ち着いたという。この2つの漢字にそんな意味があったとは驚きだ。日本語って、本当に細かく繊細にできているなぁ。

 次に、日本人改造計画についてだ。いきなり、何を言い出すのだ、という心情だろう。そうです、狙ってみました。とはいえ、このことは本書にバッチリ書いてあるので、別段私が変になったのではない。
 明治の茶人に高橋義雄(箒庵=そうあん)という人がいた。その人は、欧米人との結婚や肉食、牛乳の飲用などを勧めていたという。そして、24歳の時に本を出版した。それが、『日本人種改良論』だったという。著者が記すには、高橋は日本人を改良したがっていた、とか。これだけ聞くと、とても大それた論であり、ものすごい響きである。私も過去歴史の授業等で触れた覚えがある。確か、「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」という文句が流行った時代だったと記憶している。音が良く、口ずさんでしまうフレーズである。文明開化、新しい時代。それくらい、当時の人は、新しき文化に希望を描いていたのだろうか。
 それはさておき、その『日本人種改良論』の内容を、著者はこう記している。
「――私がとりわけ注目するのは、姿勢について言及している箇所」「――正座はまともな座り方ではない。正座をやめて、住宅を洋式にせよ」
 なんと、根こそぎ正座を否定しているではないか。楽な姿勢だけが正しいワケではないし、何をもって「まともか」を語るかは人それぞれではあるが、少なくとも高橋さんは困り果てるほどの正座の痺れを体験し、正座そのものに物申したいほど腹が立っていたに違いない。
 そんな高橋さんに対し、著者は、
「――当時の彼は、よほどの西洋かぶれだったようです」と、バッサリコメントしている。
 だいぶ話しを省略して載せているが、確かにここだけを見ても、高橋さんは、大分西洋に肩入れしていることが分かる。正座の痺れに相当困っていたのだとしたら、生暖かい目で見守ってあげることもできるが、そこら辺は記述がないので、やはり西洋かぶれということにしておこう。(笑)

 ちなみに、『日本人種改良論』が発刊されたのは1884年で、この時点で高橋は「日本人は正座を当たり前にし」といったことを記していたようだ。だが本書には、それを鵜呑みにするな、と書かれている。どうも、この高橋さんは、士族であったようなのだ。著者いわく「士族は『特殊な人たち』だから、一般の庶民も含め、みんなが正座をしていたとは考えられない」、ということらしい。確かに、田畑を耕している人と徳川家康が同じ姿勢をしていた等とは考えにくいものだ。そう思うと、合点がいく。

 そしてもう1つ、著者はこの高橋さんの本で興味深い点があるという。それは「正座」という言葉が出てこない、ということなのだとか。でも、【正座を当たり前にし】って書いてあったのでは……?と思ってしまうが、それもページをめくってみると解決である。著者によると、正しくは次のような文章だったという。
【洋服ノ儘ニテ危坐セザル可カラズ、其不便、窮屈、殆ンド堪ヘ難キ程ナラン、】
 著者は記す。
「――ここでいう「危坐」とは「跪坐」のことで、すなわち正座のことです」
「――上の文章は、【洋服にする以上、正座はやめた方がよいだろう。正座の不便さ、窮屈さは、ほとんどたえがたいほどである】といった意味になります」
 ただし、現在の辞書によっては、「危坐・跪坐」をひくと、やはり多少は意味の違う説明もあるのだとか。
 これを読む限り、確かに「正座」という言葉は出てこなかった。だが意味合いとしては、ここでの「危坐・跪坐」は、確かに「正座」であった。じゃあ、なぜか。著者はこう記している。
「――それは、明治時代まで「正座・正坐」という言葉は、ほとんど使われていなかったからです」
「――私たちが「正座」と呼ぶ座り方は、かつては「かしこまる」などと呼ばれていました」
 明治時代までは、ほとんど使われていなかったと。ということは、それ以前に正座という言葉ができ、それから明治時代に士族辺りの人間に浸透し始めたのだろうか……? それでは、いつ、「正座」という言葉が出来たのか? その問題も、著者がきちんと解決してくれている。
「――日本文化史が専門の熊倉功夫(くまくらいさお)という人は、1882年に朝日新聞で出版された『小学女子容儀詳説』が最も古いのではないか、と述べています」
「――その内容に、【正座は、家居の時より習い置くべし】とあるようです」
「――ただし、この本に書かれている「正座」が、今日の「正座」に相当するかについては意見が分かれるところです」
 余談だが、私がこの文章を読んで、一番気になったのが、朝日新聞だった。新聞の歴史も古いのだな……そう思った。「そこじゃない……」とも思うが、だって事実なんですもんっ。
「――時代がもう少し下がるとどうでしょうか。アララギ派で活躍した歌人・島木赤彦の『異体抄』には、【アグラをかきながら正座(すわ)る】という使用例が出ています」
「――大正時代までは、アグラや単に座ることを「正座」と言っていたのではないでしょうか」
「――これらのことから考えるに、今日の「正座」を「正座」という言葉が表すようになったのは、それよりずっと後と推論できます」
 明治時代には、「正座」という言葉はあったけれど、それが今日の「正座」とは違うと。
「――1941年、当時の文部省は、国民が心得るべき作法として、『国民礼法要項』を発表しました。修身の中で教えられていた作法を、日本国民が行うべき礼法としたのです」
 国が、「正座」の普及を図った。その基本的な考え方は、【身体動作には精神が表れ、従って身体動作を正すことが、精神を正すことである】だそうだ。これは、今日の「正座」に言われている、精神性、そのものではないだろうか。そして、その「正座」の説明が、次の文章だ。
「――『国民礼法要項』は、あるべき座り方を、【両足の親指を重ね、両膝の間は男子は10~15cmとし、女子はなるべくつけ、上体をまっすぐにし、両手は股の上に置き、頭をまっすぐにし、口を閉じ、前方を正視する】と記しています」
 ここで初めて、言葉としての正座が確立したと、本書には記されている。著者は、最後をこうしめている。
「――言葉としての正座は、定義が確立してから古希(70歳)すら迎えていないことになります」
 正座というと、とても昔のもののように感じられた。確かに、昔からその姿勢をする人はいただろうし、違う姿勢が正座として使われていたかもしれない。しかし、今日のように、誰もが「正座」と認識できるようになったのは、国が礼法に指定してからだった。礼法というと、なんだか堅苦しくて自発的に広まっていったのではなかったのか……とも思ってしまうが、国が指定してこそ、あいまいでなく共有できるものが生まれるのだと思った。この場合は、正座というジャンル(?)を確立してくれた国に、感謝である。

 時代は進み、世代も交代し、40代の常識は20代には新しいものに、70代の常識は10代には未知の世界へと変わっていったように思える。そしてそれは、お互いの年代に壁や偏見を作る。それは互いに「無知」でも「愚かなこと」でもない。世代ごとに状況が変わるのは、当たり前であるからだ。しかし、そもそもそれを教えてくれる人や伝えてくれる人がいないことが多い世の中である。私たちはどうやって古い知識を知っていけばいいのだろうか。私は、その役割こそが、「本」であると思う。
 今回は、この正座に精通する方の著書によって、歴史や文献等の違う角度から正座を見ることができたと思う。昔、学校の授業で習ったきりであったような文献に書いてあることを教えてくれたり、歴史から裏付けてくれたりしてくれるこの本に、私は大変興味を持った。これから数話、この本を通して色々な知識や違った視点を鍛えていきたいものだ。読者の皆様にも、是非お付き合いいただければ幸いだ。共に古くて新しい知識を学習していこうではないか!
 さて、次回もこの本をベースに茶道や病気(脚気)の話しを紹介させて頂きたい。それでは、また。

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