[15]あこがれの洋室


タイトル:あこがれの洋室
分類:電子書籍
発売日:2016/11/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:48
定価:300円+税

著者:斎藤 このは
イラスト:時雨エイプリル

内容
 楠木すみれは正座が特技の平凡な十六歳。
 家が築八十年のボロ屋で恥ずかしくて友達が呼べないことが不満だったけれど、すみれの高校入学と同時期に新しい家に建て替えられた。洋室ばかりのぴかぴかの家に大満足のすみれだが、洋室の部屋でもついつい正座をする癖がぬけない。すみれだけではなく家族みんなそうだ。これをなんとかしようと楠木家が決めた新ルールは「正座禁止」だった。
 このルールが楠木家に波紋を巻き起こす!

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本文

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 私はきちんと正座をしたまま母を見つめていた。
 隣で同じく正座をしている兄も、黙って母を見つめている。
 いつもはテレビの音と家族の笑い声で満たされているはずの茶の間は、今日は静寂に支配されている。
 何やら神妙な面持ちで貫録をたっぷりと醸し出している母は、まるでこの家の大黒柱のよう。
 そして突然、口を開く。
「ちょっとお父さんテレビつけないで!」
 私も兄も、そしてリモコンを掴もうとしていた父も、その大声に小さく飛び上がる。
 母はこほんと、わざとらしく咳払いをするとあらためて私と兄を見てこう言い放った。
「この家を壊します」
「はあ?!」
 私と兄が同時にそう言ったので、どうやら既に知っていたらしい父が一本煙草をくわえてから付け加える。
「この家を壊して新築の家を建てる、だろう」
「そうそう。この築八十年の家もあちこちガタがきてるでしょう? それにおじいちゃんとおばあちゃんが亡くなって二年。そろそろ新しい家を建てようかってお父さんと相談してたのよ」
 母の言葉に父はくわえた煙草に火をつけながら小声で言う。
「相談なんて一切なかったくせに」
「子供たちの手前、そう言っておいたほうがいいでしょ? ここは私の両親の建てた家なんだから決めるのはお母さん」
 母はそう言うと父を睨み付け「煙草を吸うなら外か換気扇の近く!」と家の外を指さす。
 まだ火がついたばかりの煙草を灰皿でもみ消す父の哀愁を帯びた姿を見つめつつ、私は口を開く。
「もしかして……。それが晩ご飯の時に言ってた『大事な報告』ってやつ?」
「そうよ。びっくりしたでしょ?」
 母はうれしそうな笑みを見せる。
「なーんだ。妹か弟ができたのかと思ったー」
 私はそう言ってその場に倒れこんだ。
「俺はてっきり今年の家族旅行は海外にします、とかそういうことかと思ったよ」
「お兄ちゃん二十五歳にもなってまだ家族旅行についてくる気?!」
 私が兄に呆れたような視線を向けると「それも親孝行のうちだろ」と笑う。タダで旅行に行けるからって前に言ってたくせに。
「そうそう。柊は本格的に婚活をするって言ってなかった?」
 母の言葉に兄は記憶を手繰り寄せるかのように宙に視線を向ける。
「ああ。うん。言った気はする」
「だからね。思い切って新築は二世帯よー! さ、お茶淹れてこよ」
 母はそう言い終えるが早いか立ち上がり、鼻歌混じりに茶の間を後にする。どうやら報告は終わったようだ。
「二世帯……。マジかよ。婚活するとは言ったけどまだ本格的に動いてないぞ。始める前からものすごいプレッシャー」
 兄はぶつぶつ言いながら頭を抱える。
「新築ってことは洋室があるんだよねー。楽しみだなー。早く建たないかなあ」
 プレッシャーに押しつぶされそうな兄とは正反対に、私はうきうきしながら新築の家を想像する。
  
 築八十年の家。
 人によっては『古い家っていいよね。温かみがあってさ』と言うだろう。
 だけど大違いだ! 温かみ?! そんなものないよ! 冬は隙間風が入って寒いのなんの。夏は夏で柱の関係でクーラーがつかないから扇風機オンリー。
 古民家ブームとか言われているけれど、じゃあ住んでみなよ。絶対に不便だから! お風呂とトイレが家の外にあるからわざわざ靴を履いていかなきゃいけないし、あちこち抜けそうな床やら階段があるし、台所はびっくりするくらい使いにくいけどいいの?
 幼い頃からこの古い家に住んできた私からしてみれば、古民家に住みたいなんて便利できれいな家に慣れきった人たちの幻想としか思えない。
 まあ、八十年なんて『古民家』の類には入らないのかもしれないけれど。
 とにかく、家が古いってことは私にとってはマイナスにしかならない。
 家に友だちが呼べないからさ……。お泊り会とかしたいけれど、この家じゃあねえ。
 すべて和室で、家の中で椅子を使う機会なんてない。家で椅子といえばお客さん用の座椅子のことだ。
 そんな生活をしている人は、私の友だちにはいない。
 だけど、これでようやく楠木家に文明開化がやってきた! 家に友だちが呼べる!

 母の重大報告から四カ月。
 真夏のうだるような暑さの中、セミの大合唱をBGMにしながら家に帰って来た。
「あら。すみれ。図書館で勉強してこなかったの?」
 畑から戻って来た母が私にそう尋ねる。
 私は額の汗をぬぐってから口を開く。
「うん。図書館の椅子って落ち着かなくて」
「すみれはおばあちゃんが『座る時はちゃんと正座をしなさい』って口を酸っぱくして言った甲斐があって、正座じゃないと落ち着かないのよね」
 母がそう言って懐かしそうに目を細める。
「うん。むしろ特技が長時間の正座だからね」
 私は自嘲するように言うと、納屋の脇に自転車を停めた。
 家を建て替えるのがちょうど私の高校受験の年ってのがタイミングが悪いなあとは思ったけれど、見方を変えればぴっかぴかの新築に高校の友だちを呼べるってことだよね。
 私はまだ見ぬ高校生活と未来の友を想像しつつ、古い家を眺める。
 ここが新しくなって、洋室ばかりになったら私の部屋も和室じゃなくて洋室になるんだよね。
 ベッドで寝るのが夢だったけれど、こんなに早く夢が叶うとは思わなかったなあ。
「よーし! いろいろな意味で新しい生活になるんだから受験勉強、頑張ろう!」
 私は拳を握って頭上高くつき上げた。
 空にはソフトクリームみたいな入道雲が浮かんでいた。


「いってきまーす!」
 真新しい制服に身を包んだ私は、玄関でローファーを履きながら大声で言う。
「いってらっしゃい」
 母が洗濯カゴを抱えながら立ち止まる。
 フローリングの廊下、ぴかぴかの玄関、玄関のドアは引き戸じゃなくて開き戸!
 まだ所々に新しい匂いがする我が家は先日完成したばかりだ。そして私も無事に第一志望の高校に合格した。
 外に出ると、春の風が頬に当たる。まだ空気が少し冷たい。
 私は振り返り、家を見る。
 こじゃれたデザインの二世帯住宅は眺めるだけでうきうきするけれど、何だか私の家じゃないみたい。
 古い古いと文句をつけてきたボロ家(築八十年)だけど、壊される時は胸が痛かった。なんだかんだ言いつつも私はあの古い家が好きだったんだ。
「おおっ! 感傷に浸ってる場合じゃない! 電車に乗り遅れちゃう」
 私はそう言うと慌てて走り出した。
 
「すみれ。おはよ」
 私が教室に入ると、百合子が挨拶をしてくる。
「おはよう」
 机にカバンを置き、私は百合子に挨拶を返す。 
「おはよー。すみれ」
 菜摘がこちらにやって来てにっこり微笑む。
 高校に入学して二週間。百合子と菜摘という新しい友人ができた。滑り出しは好調だ。しかも今の私はいつでも家に友だちが呼べるもんね!
「ねーねー。すみれってお兄さんいるんだよね」
 菜摘の問いに私は「うん」と答えてカバンの中の教科書やノートを机にしまう。
「何歳だっけ? 彼女いないなら紹介してよー」
 菜摘の言葉に私は思わず動きを止める。
「今年二十六歳で、婚活に本気出してて、おまけに家は二世帯住宅。結婚前提、両親と同居、おまけに私という小姑付きでいいの?」
「すみれはともかく、結婚前提はちょっと重いわー」
 菜摘はそう言って引きつった笑みを浮かべた。
「でも、菜摘って料理得意なんでしょ? 家庭的でいいじゃん。うちのお母さん喜ぶよー」
 私が冗談交じりに言うと、百合子と菜摘が笑う。
 調子に乗った私は身振り手振りを大きくして兄の恥ずかしい話を披露する。
 すると肘でうっかり机の上のペンケースを床に落としてしまった。
「あー。お兄ちゃんの呪いが」
 そう言いつつ、ペンケースを拾おうとしたら先にそれをひょいと奪われる。
「どうぞ」
 笑顔でペンケースを渡してくれたのは隣の席の男子、栗山君だ。
「ありがとう」
 私がペンケースを受け取ると、百合子が思い出したように尋ねてくる。
「そういえば、すみれの家ってまだ建ったばかりなんでしょ? 新築二世帯ってすごいよねー」
「そんなことないない。だって前の家って築八十年のボロ屋だったんだよ。お風呂もトイレも外だし隙間風は吹くし床は抜けそうだしすごかったんだから」
「うーわ。よくそんな家、住んでたね」
 菜摘が驚いたように言う。悪気はないのだろうけれど思わずカチンときてしまった。ボロ屋と言い出したのは私だけどさ。
 ちょうどその時、タイミング良くチャイムが鳴ったので百合子も菜摘も自分の席に戻って行った。
「ごめん。さっきの話、聞いちゃってたんだけどさ」
 遠慮がちに口を開いたのは栗山君だ。 
「え?」
 私がそちらを見ると、彼は笑顔でこう続ける。
「築八十年の家って確かに住みにくいのかもしれないけれど、そこで生活したっていうのは良い経験だと僕は思うよ」
 今まで家のことを笑ったり同情してくれた同級生はいるけれど、『良い経験』なんて言ってくれた人は初めて。
「ありがとう」
 私が栗山君にそう言うと、彼は優しく微笑んだ。

 家に帰ると、私は自室で素早く着替え、部屋の中央に置かれたテーブルの上にファッション雑誌を広げる。
 せっかくのフローリングの床に傷をつけたくないから、絨毯を敷いて正座。それが私のくつろぎスタイル。
 洋室なのに正座ってのは変なのかもしれないけれど、これは私だけじゃない。
 仏間と両親の寝室以外はすべて洋室なのだけれど、両親も兄も正座でないと落ち着かないのだ。もはやリビングのソファーなんて飾り。
 家が建った直後はソファーや椅子に座ってくつろごうと家族みんなで努力したけれど、ダメだった。
 畳が恋しい。正座じゃないと落ち着かない。もはやリビングは和室にした方が良かったんじゃ? とは思うけれど、それを誰も言わないのは暗黙の了解。
 そんなわけで私はいつものように正座でくつろぎつつ、雑誌をパラパラとめくる。
 でも、雑誌の内容が頭に入ってこない。
 何度も何度も耳の奥で再生される声が邪魔をする。

『私、栗山君狙っちゃおうっかな』
    
 今日のお昼休みに菜摘が獲物を見つけた猫のような瞳でそう宣言したのだ。
 私もいいなあと思っていたけれど、まさか菜摘まで同じことを考えているとは……。
 確かに栗山君は爽やかな笑顔で物腰も柔らかいし、おまけに優しい。
 だから菜摘だけではなく、栗山君を意識している女子は他にもいるのかもしれない。
 そう考えたら何だか突然、彼が気になってきた。
 でも、菜摘は美人だしクラスにもかわいい子はいるし私なんて見てくれないだろうなあ。正座が特技の平凡な女子だもん。
 ふと、祖母の言葉を思い出す。
『すみれ、正座ができるとね、良いことがあるんだよ』
 礼儀作法に厳しかった祖母は、私に正座をさせる時に必ずそう言っていたっけ。
「良いことって、なんだろう。棚からぼたもちならぬ十万円が落ちてくるとか? そんなことあるのかなあ」
 私はそう呟いて大きな大きなため息をついた。
 そして雑誌に視線を落としたと同時に階下から響く声。
「すみれー! ご飯できたわよー!」
 私はぴょんと跳ねるように立ち上がって部屋を出た。

 晩ご飯は私の大好物のカレーライス。スパイスの香りが鼻と胃袋を刺激する。
「柊は婚活はどう?」
 まるで『学校はどうなの?』くらいの気軽さで母は兄にそう尋ねた。
 私はカレーライスを口に運びつつ、その会話を聞くともなしに聞く。
「まだ婚活パーティーすら行ってないって。ちなみに婚活パーティーは来週末。ま、期待はしないでよ」
 兄がそう答えたところで、父が口を挟んだ。
「だめだ」
 その声は小さく、母の「ガツガツいきなさいよ! この世は肉食系が勝つの!」という言葉にかき消される。
 だから、父の異変に気付いたのはその婚活の会話に参加していない私だけだった。
「母さんの言う通りだ柊!」
 今度は大きな声で父が言う。母も兄も何事かと父に視線を向ける。
「父さんも肉食が勝つと思う! その証拠に今日、部下が上司になったんだ! その部下……いや上司は結婚も早くてマイホームを持つのも早く、老若男女に好かれる奴だ」
 こんな時にものすごい告白をしてきたなあと思いながら、私はスプーンの上でミニカレーをつくる。うん、よくできた。
「しかもだ! その上司ってのは若い頃に十年もアメリカで生活していたそうだ。そりゃあコミュニケーション能力が高いわけだよ」
 父はそこまで言いきると、ふうと細く短いため息をついた。
「実体験は説得力が違うわねえ」
 母は驚いたような顔で言うと父は照れくさくなかったのか、わざとらしく咳払いをしてから続ける。
「つ、つまりだな。お父さんも柊ももっと肉食系になるべきなんだ。見習うべきは、アメリカ!」
 父の言葉に私と兄の頭の上にクエスチョンマークが浮かんだ。
「アメリカ、行きたいわねえ。国外じゃなくても国内旅行でもいいわ」
 母だけが脳内旅行をしている。お気楽な人だ。
「アメリカを真似るってこと? でも、どうやって?」
 兄の言葉に、父は『よくぞ聞いてくれました』と言わんばかりの表情で口を開く。
「そうだな。家の中を靴のまま歩き回ることはできないから……」
 父は何かを考える素振りをしてから、続ける。
「手始めに正座を禁止にしてみよう! みんな椅子に座るんだ!」
 
 父の『正座禁止』に母は結構ノリ気だった。なんだかんだ言いつつも洋風の暮らしに憧れていたのだろう。
 兄は『確かに洋室ばかりなのに正座はおかしいよな』と妙に納得し、正座反対運動に乗った。
 私はまあ、どっちでもいいけれど、友人を家に招いたらみんな正座してたなんてことになったら恥をかきそうなので運動に参加表明。
 そんなわけで、楠木家は満場一致で『正座禁止』という新ルールが可決した。

 楠木家アメリカ化計画は思ったよりも徹底していた。
 座布団が押入れの奥にしまわれ、リビングのちゃぶ台は物置きで埃をかぶっていた足の長いテーブルに変わる。
 それでもうっかり正座をしてしまう私たちに業を煮やした母が『正座一回につき罰金百円』という重い罪を科した。
 もちろん監視役は母である。リビングはもちろん、各部屋に何分か起きに見回りにきて正座をしていないかチェックされるのだ。
 完全に楽しんでいる。当初の目的である『肉食系になる』という目標はすっかり忘れているのだろう。
 私はついつい正座をしそうになりつつも、頑張って勉強机の椅子に腰かけたり、ベッドに座ったり、リビングではソファーに座ってみたり。
 とにかく畳からは距離を置くことにした。
「あっ! 正座みーっけ!」
 お風呂で無意識のうちに正座していた私を、いきなり入ってきた母に発見される。満面の笑みだよこの人。
 罰金箱がどんどん百円で満たされていく。
 長年の癖ってのは恐ろしいなと思う十六歳の春。

「うーん。椅子って辛い……」
 私は教室に入るなり、自分の席にカバンを置いてため息を一つ。
 正座禁止から一週間が経った。
 最初のうちは、『そのうち慣れるでしょ』と高を括っていたけれど、いざ正座を禁止されるといかに自分が常に正座をしていたかが分かる。
 百円の罰金は学生の私には痛いし、椅子に座るとゆっくりくつろげない。
 最近は学校の椅子に座っていると、ついつい正座をしたくなる。ここなら家族は見てないし。
 私は辺りをキョロキョロと見回してから、ごくりと唾を飲み込む。
 ここなら正座ができる……。ここなら家族は見ていない。視力二・七の母もいない。
 私が震える手で椅子を引き、さり気なく椅子の上で正座をしようとしたその瞬間。
「楠木さん、大丈夫?!」
 突然、呼ばれてはっと我に返る。
「ふえっ?! な、なにが?!」
 あまりの驚きに変な声が出てしまった。
 私に声をかけてきたのは隣の席の栗山君。心配そうな表情でこちらを見ている。
「なんだか顔色が悪いから。具合でも悪いの?」
 その言葉に、じーんと胸が熱くなる。本気で心配してくれてる。優しいなあ。ん? 顔色が悪い?
「大丈夫。ありがとう」
 笑顔で答えてから、手鏡に顔を映してみる。確かに顔が青ざめていた。
 具合が悪いわけじゃない。むしろ体はとても元気だ。今朝もご飯おかわりしてきたし。
 ということは、正座禁止で精神がやられてる?!
 どれだけ正座に飢えてるのよ!

 自分に呆れていたら朝のホームルームが始まった。
 椅子の上に正座をしようと思ったけれど、やっぱりクラスメイトの目が気になる。
 でも、椅子に普通に座ると落ち着かず、そわそわしてしまう。気持ちは不安定。
 先生が何かを言っているけれど、聞こえてこない。
 ああ、こんなんで大丈夫かなあ、私。
 正座ができないだけで禁断症状みたいなものがでるなんて、そうとう変だろうなあ。
 そんなことを考えていたら、何だか教室が騒がしくなった気がする。
 すると、あちこちから「正座かあ」とか「正座って」という言葉が飛び交っているのが耳に入ってきた。
 なにがどうなったら高校一年生の話題に正座が上がるの?!
 やっぱり私がおかしくなったんだ。

 正座禁止のリーダーである父(というか今ノリノリなのは母だけど)に『ごめんもう無理』と涙ながらに訴えても良かった。
 娘の涙を前にして、両親はそれ以上、強要はできないだろう。
 だけど、よくよく考えてみればこれは自分を変える良い機会でもある。
 今の時代、どこの家も洋室がメイン。就職して事務仕事なんかをするとなったらもちろん椅子だ。いずれ結婚を考えるようになった時、もしも、もしもだよ? 海外の人と結婚ってことになったらどうするの?!
 普通の女の子になるべく、私はまずはこの特技(正座)から脱するべきなんだ!
 正座禁止で挫折したら、私は一生、椅子でくつろげない人生を歩むことになる。そんなの嫌!
 だから私はこれを機に脱正座をすることを本気で決意したのだった。


「なんだか最近、募金が減ったわねえ」
 母が『正座罰金箱』の中身を確かめながら言った。今この人『募金箱』って自分で言っちゃったよ。
 それもそのはず。父も兄もそして私も椅子に座ることに慣れてきたので、罰金が減ってきたのだ。
 リビングでくつろぐ時は無意識のうちにソファーに直行する自分に感動さえする。
「まあ、これが本来の洋室での姿だ」
 お気に入りの籐の椅子に腰かけた父が満足そうな笑みを浮かべた。
「だよね。座布団は使っていくうちにぺたんこになるからフローリングには不向きなんだよ」
 兄はソファーに体を預けながら頷く。
「じゃあ、今度の婚活パーティーは肉食男子になれそう?」
 母の言葉に兄は「それはないな」ときっぱりと否定した。
「正座禁止の効果ないじゃん。ってゆーかアメリカっぽい生活ってこれだけ?」
 私の問いに、両親は考え込んだ。
 すると兄が両手をポンと叩いてこう言う。
「アメリカと言えば肉! ステーキ食べたい!」
「賛成!」
 私がそう言うと、兄が「にーくにーく!」と肉コールを始めた。私もそれに便乗。
 父も握った拳を肉コールに合わせて遠慮がちに揺らしている。
 母は鼻歌混じりに新聞のテレビ欄を眺め始めた。完全に無視だ。
 家族でソファーで語らい、談笑する(肉コールしてるだけだけれど)。ついでに足も組んじゃったりなんかして。
 きっとこれが洋室での正しい家族団らんなんだ。
 私は兄と共に必死に無視しようとする母の前で肉コールを叫びながらそう確信した。

 次の日の朝。
 教室に入るとなんだかいつもと違っていた。
 そわそわしたような雰囲気がクラス全体に広がっているのだ。
「おはよー。なんかあったの?」
 私の問いに百合子が答える。
「ほら、今日は午前中はお茶会でしょ? それでどうやら田中君と木下君が『お茶会こそが女子力が試される場だ』って言ったもんだから、女子が張り切っちゃってるんだよ」
 お茶会? 私は首を傾げてからハッとする。
 そうだ! そういえば以前、ホームルームでこの学校の敷地内にある竹林でお茶会が開かれるとかなんとか先生が言ってたっけ。正座の禁断症状で聞いていなかったけどプリントはもらった覚えがあるな。
「田中君と木下君と言えば学年でも指折りのイケメンコンビだからさー。その二人の意見は影響力あるみたいなんだよねー」
 いつの間にか菜摘が話に入ってきた。そしてちらと栗山君に視線を向けて続ける。
「ま、私は興味ないけど」
 栗山君は他の男子達と話しているのでこちらには気付いていない。
「お茶会、かあ」
 私がぽつりと呟いて窓の外に視線を向ける。
 突き抜けるような青い空が広がっていた。
 まさか学校行事で正座をすることになるとは思っていなかったなあ。

 うちの高校のお茶会は年に一度しかないけれど、古くからこの時期に開催される伝統行事だそうだ。
 全校生徒も教師も強制参加だけれど、午前中の行事が潰れるということでみんな心なしかうきうきしているように見える。
 先生に先導されて学校の敷地内にある竹藪に向かうと周囲がざわつく。私も自分の目を疑った。
 普通の高校の敷地内にこんな笑っちゃうくらいに広い竹藪があったなんて。方向オンチの私はここに置き去りにされたら生きて帰ってこられない自信さえある。
 そんな嘘みたいな広さの所に赤い敷物が敷いてあり、全校生徒が次々と座っていく。 
 クラスで順番に正座をしていくと、女子のひそひそ声が聞こえてくる。
「今日のために家でも正座の練習してきたんだー」「私なんかお寺に泊まりこみしたんだから」
 イケメンの発言力は本当にすごいなあ……。
 いつもは校則違反の塊のような子達ですら、きちんと正座をしている。
 男子はそんな女子を驚いた様子で眺めていた。なんだろうこの異空間。
 私はそんなことを考えながらも、なんだか微笑ましい気持ちになった。これも青春に違いない。
 そうこうしているうちにお茶会が始まる。

 そして、お茶会は予想以上に長かった。とても。考えてみれば午前中の授業を全部潰すっていうところからおかしいよね。今、気付いた。
 抹茶を飲んでお茶菓子を食べてはい終わり、ではなかったのだ。
 それに至る茶道の先生の『茶道の歴史』の話がとにかく長い。どこまで遡るの? その話は詳しくしなくても良いんじゃない? といちいちツッコミを入れたくなるような長さ。
 でも、先生としてはまさに一年に一度の晴れ舞台。今日はばっちり着物姿で気合いを入れているのがよく分かる。だからこそ、お喋り――いや、ためになる話しは尽きない。
 私はぼんやりと話を聞いていたが、周囲の生徒達も先生もなんだか様子が変だった。睡魔とでも戦っているのだろうか。
 それにしても、竹藪ってなんだかいいなあ。普段、こんなところで座る機会ないし。
 それになによりも、正座って心が落ち着く。
 この際認めてしまおう。正座が好きだと。私が心からくつろげる唯一の座り方だと。
 ばあちゃんが言った『良いこと』ってのはなんだかよく分からない。
 だけど、私の心が落ち着いてこんなにも穏やかな気持ちになれるならそんなに素敵なことはないよ。
 今まで椅子に無理やり慣れようと頑張っていたけれど、違和感があったのはそのせいだ。
 私の遺伝子は正座をするようにできているんだ、きっと。
 そう考えたら、気持ちがすっと楽になった。
 
「あら、ごめんなさいね。先生、ついつい話が長くなってしまって。みなさん足を楽にして」
 茶道の先生の言葉に、みんな一斉に足を伸ばし始めた。
 そして、「しびれたああ」とか「なんか痛い」とかあちこちから悲鳴が聞こえてくる。
 うちのクラスの張り切っていた女子たちも今は見事に足を伸ばして、「しびれるー」と苦痛に表情をゆがめていた。正座、練習してきたんじゃないのか。
 私は正座が楽なのでこの体勢のままでいたいけれど、クラスのみんなに変なふうに思われるかな。崩した方がいいかなあ。
 そんなことを考えていたら、茶道の先生がこちらを見て驚いたような顔をした。
「まあ! なんて完璧な正座なの!」
 どうやら私のことらしい。
 先生はぱあっと顔を輝かせ、興奮した様子で続ける。
「とにかく姿勢が素晴らしいわ。それに手といい、脚といい、正座に慣れた人というのがよく分かるわねえ」
 ええっ?! 正座で褒められたのなんて初めてだよ!
 何だか照れくさくなって心がくすぐったいような気分。でも嫌じゃない。
「やるじゃん」
 菜摘がそう言って足をさすりながら笑った。百合子もにっこり微笑む。
 ふと栗山君と目が合う。
 すると彼は優しい笑みを浮かべてきた。
 ああ、正座が特技で良かったなあ。

 その日、急いで家に帰るとただいまも言わず、リビングに直行。
「お母さん。話があるんだけど」
 そう言ってドアを開けると、母は座布団に正座をしていた。私を見ると慌てて足を投げ出す姿勢に変える。
「いや、いいよ。罰金とかやめようよ」
 私はそう言うと、母の向かいにきっちりと正座をし、こう続ける。
「あのさ、無理して椅子に座ることないと思う」
 母は苦笑いをしながら正座に戻ると、大きく頷く。
「正直ね、お母さんも椅子やソファーには慣れなくて。お父さんも無理してるし、柊なんか昨日、部屋で正座したまま寝てたのよ」
「なーんだ。みんな限界だったんだね」
「楠木家は楠木家らしく。アメリカ方式なんてやめやめ。ここは日本よ」
 母の言葉に、私は「そうだね」と笑う。
 
 こうして楠木家の『正座禁止』は幕を閉じた。
 募金箱ならぬ罰金箱のお金の使い道は、新しい座布団を買うという案で家族みんなの意見が一致。私の将来の旦那様は日本人一択で決定したのだった。 
 あこがれの洋室で、みんなで正座で家族団らんも悪くないかな。


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