[18]正座先生と合宿しよう


タイトル:正座先生と合宿しよう
分類:電子書籍
発売日:2017/03/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:64
定価:200円+税

著者:眞宮 悠里
イラスト:鬼倉 みの

内容
茶道部部員のリコは、『正座先生』ナナミの教えにより正座をマスターした高校2年生。
3年生たちが引退し、部長となったリコは、今度は『秋の部活動週間』で、茶道部の楽しさをアピールすることになる。
当日は、1年生のフランス人留学生ジゼルと、特別に手伝ってくれる元副部長のアヤカの3人で頑張ろう。
そう思っていたリコだったが、突然ナナミが『臨時部員』として手伝ってくれることに!
しかしナナミの様子はいつもと違い、なんだか浮かない雰囲気で……?
少しの不安を残したまま、1泊2日の『茶道部合宿』が始まった!

販売サイト
販売は終了しました。



本文

当作品を発行所から承諾を得ずに、無断で複写、複製することは禁止しています。


「全員揃ったな。じゃあ、ミーティングを始めようか」

 十月半ばのある放課後。
 高校二年生のわたし・リコは、友達のナナミと並んで座り、今日も仲良く一緒に過ごしている。
 だけど、ここは毎週ナナミを招いているわたしの部屋ではない。
 さらに言うと、部屋にいるのはわたしとナナミの二人だけでもない。
 そもそも本来、今日わたしたちは一緒に過ごす予定ではなかったのだ。

「ハーイ! よろしくお願いしマース。
 茶道部のミーティング、参加できるの初めてデス。
 なにとぞ、よろしくお願いしマース」

 今、手を上げて元気に発言したのは、わたしの所属する茶道部に体験入部中の高校一年生、ジゼルちゃん。

「こちらこそよろしく頼む。
 とは言っても、今日はミーティングと言うよりは顔合わせに近いものだし。
 足も楽にして、自由に過ごしてくれてかまわんよ」

 目を細めてほほえみながら、座卓の上にお茶を置いてくれるのが、茶道部の元副部長・アヤカ先輩。
 二人の言う通り、今日は茶道部の特別ミーティングの日。
 にもかかわらず。
 なぜ、ここに剣道部所属のはずのナナミがいるのかというと……。
 実を言うと、わたしもまったくよくわかっていなかったりする。

「あの。アヤカ先輩。
 今日って、茶道部のミーティングですよね。
 二週間後に控えた『秋の部活動週間』について、当日、具体的にどんなことをするか決めよう……。
 ってことで、今日はアヤカ先輩のお家に集まってるんですよね?」

 なのに、なぜナナミも同席しているのでしょう……。
 一番聞きたいことを聞けず、わたしがおそるおそる質問すると。
 アヤカ先輩は、質問の意図は完全に察している様子で、ゆっくりと頷き。
 でも『まだ、あえて答えない』という感じで、わたしにそっとお茶を差し出す。
 いつも単刀直入。
 どんなことも、結論から話す。
 そんなアヤカ先輩が、こんな対応をするのはとても珍しい。
 一体、どういうことなんだろう……?
 ミーティングの内容よりも、隣に座ったまま、いまだ一言も発さないナナミのことばかりが気になってきてしまう。

「ああ、リコ君の言う通りだ。
 今日は『秋の部活動週間』の話をしたいと思っている。
 先日まで帰宅部だったジゼル君は知らないだろうから、確認のために説明するとだな。
 『秋の部活動週間』とは、十一月の上旬、現在まだ部活動に無所属の生徒を対象に。
 『部活に入ってみませんか』と、改めて勧誘や部活体験会を行う校内イベントのことだ。
 九月末に、中学三年生が対象の『学校説明会』があっただろう?
 その際に行った発表や、作った掲示物をベースに、今度は在校生向けのPRをするというわけだ」

 そう。
 二週間前、茶道部員であるわたしとアヤカ先輩は、現在廃部の危機にある茶道部を救うため。
 来年受験を考えている中学三年生に向けて。
 同時に、できれば在校生の目にも止まるように。
 部の存続をかけた、熱心なPR活動を行った。
 その時に作ったポスターがきっかけで茶道部に関心を持ってくれたのが、今日来てくれている一年生のジゼルちゃん。
 ひとまず体験入部という形で部にやってきた彼女は、その名の通り、フランスからやってきた留学生で。
 学年は一つ違うけれど、明るく日本語も堪能なジゼルちゃんとわたしはすぐに馴染み。
 とりあえず一人部員を確保できそうなことに安心したけど、まだまだ彼女について知らないことは多い。
 だから今日はミーティングを兼ねて、わたしとアヤカ先輩とジゼルちゃんの『三人』で交流会をする予定だったのだけど……。

「『秋の部活動週間』におけるPR活動は、原則二年生以下の部員を中心に行うことになっている。三年生は部活を引退しているところがほとんどだからな。
 しかし、現在茶道部において二年生以下の部員は二名。
 しかも、三か月前に入部したばかりの部長のリコ君と、先週やって来たばかりのジゼル君という、新人の部員しかいない。
 そこで当初は、すでに進学先が決まっている私が補佐に当たり。
 三人で作業をしようと考えていた。
 だが、しかし……。
 まあ、ここからはナナミ君自身から話した方がいいだろう」
「はい」

 アヤカ先輩がナナミへ説明を促し、ジゼルちゃんがニッコリと笑う。
 対するナナミは、緊張した面持ちで、主にわたしの方を見ている。
 どうやらアヤカ先輩とジゼルちゃんは、すでに事情を聞いているらしい。
 つまりわたしだけが、今日ここにナナミがいる理由を知らずにいるようだ。

「ということで。すみませんリコ先輩。
 今日は突然部外者の私が来ていて、驚かれたと思うのですが……」

 口を開いたナナミは、とても申し訳なさそうな雰囲気。
 確かに昨日会ったときも、今日アヤカ先輩の家に来るという話はしていなかった。

「……うん。実を言うと、びっくりしてる。
 ナナミ。今日はどうしてここにいるの?
 今日は水曜日だよ。剣道部の活動があるんじゃないの?」

 学年は違うし、いつもべったりというわけでもないけれど。
 わたしとナナミは長い時間を一緒に過ごしてきた、仲のいい友達のはずだ。
 なのに、どうして教えてくれなかったの?
 それが不思議で、わたしは気になっていたことを一気に質問してみる。

「今日の部活は……。あるんですけど……ないんです」
「ええっ?」

 しかし、いつも堂々としていて、落ち着いた雰囲気のナナミは、今日はなんだかばつが悪そうで。
 同様に言葉の歯切れも、ちょっと悪い。

「本日、私が同席させていただいている理由は。
 ただいま話題になりました『秋の部活動週間』になります。
 リコ先輩のおっしゃる通り、私は剣道部員。
 なので本来は今頃、剣道部で『秋の部活動週間』について相談しているはずなのですが……。
 剣道部の先輩たちに聞いたところ、一年生に仕事はない。
 いえ、一年生は仕事をしてはいけないようなのです」
「えっ? どういうこと?」

 今日のナナミは、続きを促すのも申し訳ないほどしょげていて淋しそうだ。
 いつもぴんと伸びた背筋も、心なしか今はしゅんと曲がってしまっており。
 にもかかわらずきちんと正座はしているから、とても不自然な姿勢になってしまっている。

「剣道部において『秋の部活動週間』は、二年生のみで作業するもの。
 なので、一年生がサポートすることは禁じられているようです。
 現二年生は来年三年生になるため、『部の中心的存在として、少しでも早くイベントを取り仕切れるようになってほしい』という昔からの方針だそうで……。
 当日も一年生はお手伝い禁止だそうです。
 さらに、準備のため、普段の部活動も若干減ることになっています。
 なので今週、来週はお休みが増えまして……。
 つまり、これから当日まで二週間ほど、時間に余裕ができてしまったんです」

 そう言ってナナミは、しゅんとうなだれてしまった。
 お家が剣道の道場で、小さい頃から剣道ひとすじ。
 中学・高校でも部活はもちろん剣道部に所属し、毎日絶対に手を抜かず。
 いつも熱心に活動してきたナナミにとって、今回のことはショックだったんだろう。
 たとえそれが部の昔からの方針とはいえ。ナナミにとって『秋の部活動週間』はもともと協力するつもりでスケジュールを立てていたイベントだ。
 それが急になくなってしまって。
 予定が消えてしまい、どうしたらいいかわからなくなっているという気持ちは、とてもよく理解できた。

「ということで。これから二週間ほど『秋の部活動期間』の準備期間中だけでも。
 私は臨時部員としてナナミ君に茶道部を手伝ってもらおうと思っている。
 ナナミ君とリコ君は昔から友人ということで親しいし。
 ナナミ君とジゼル君もまた、同じクラスで仲が良いと聞いているしな。
 二人にとっても、ナナミ君が加わるというのは良いことだと思う。
 ナナミ君はずっと剣道を続けられているということで、正座慣れもしているようだし」

 一度黙り込んでしまったナナミの代わりに、アヤカ先輩が続きを切り出す。

「さらに、茶道の作法にも少し覚えがあるというじゃないか。
 それに……。ナナミ君自身も。時々こっそりうちの部を覗きに来ていたりしているし。
 茶道部に強い関心があるようだしな?」
「アヤカ先輩。それは……!」

 しかしそこで、またもわたしの知らない新事実が発覚。
 ナナミが時々茶道部を覗いていたなんて、わたしはまったく知らなかった。
 でも、もちろんアヤカ先輩とジゼルちゃんは知っていたようで。
 ナナミが恥ずかしそうにアヤカ先輩を止めても、アヤカ先輩はにやにや顔で。
 わたしの向かいに座るジゼルちゃんも、とても嬉しそうにしている。

「ナナミサンが茶道に関心があることは、ワタシも知っていたデース!
 ワタシは部に来て間もナク。
 申し訳ないことに、まだ頼りない存在デス。
 でも、ナナミサンがいれば、きっと『秋の部活動週間』もうまくいく。
 そう思っていマス。
 なので、ぜひともナナミサンに臨時部員になってホシイ。
 アヤカセンパイとワタシは、そのように考え。今日リコ先輩にご相談するべく、お呼びしたのデース」
「そういうことだ。
 すまんなリコ君。急に知らない話が続いて驚いただろう」
「いいえ。私からも謝らせてください、リコ先輩。
 本来であれば、まずリコ先輩にお話すべきだったのですが……。
 順序がおかしくなってしまいました。
 今日、急に私がいて驚かれたと思います。お伝えできずにいて申し訳ありません」

 しかし、事態が飲み込めず目をぱちぱちさせているわたしを見て、次第に三人の顔が曇ってくる。
 しまった。
 もしかすると、三人はわたしが怒っている。
 あるいは仲間外れにされた気分でいる。と思っているのかもしれない。

「リコセンパイ!
 ナナミサンは本来、すぐにリコセンパイにお話するつもりだったのデスヨ
 それにワタシもお二人に、前もって教えてもらっていたのではナク。
 ナナミサンとアヤカセンパイが相談されているのを、たまたま見てしまったので。
 その流れで教えてもらっただけなのデス」
「でも……結果的には最後になってしまいました。
 わざとではないとはいえ、リコ先輩にだけお伝えするのが遅くなってしまい、大変申し訳ありませんでした。
 ……でも。リコ先輩さえよろしければ、短い期間ではありますが、私は茶道部のお手伝いさせていただきたいと思っています。
 いかが……でしょうか?」

 確かに、ナナミが実は茶道部に関心があって。
 アヤカ先輩とも、すでに知り合いだった。
 そんな初耳のことが続くと、一人だけちょっと蚊帳の外だったみたいで、まったくショックじゃないというのは嘘になるけれど。
 それでも伝えたいことは一つだ。
 わたしはとりあえず、ナナミにナナミらしくない、『へにゃっ』って曲がった姿勢でいてほしくない。

「ナナミ。謝らないで。わたしこそ、ぜひお手伝いをお願いしたいと思っているよ」
「リコ先輩……」

 頭を下げるナナミの手にそっと自分の手を重ねて、わたしはその目を見てゆっくりと伝える。

「ナナミさ。前に、茶道部に入ったばかりでまだ初心者だった私に『初心者だからこそわかることがある。初心者の視点で部に貢献したらいい』って言ってくれたじゃない。
 だから、今回はナナミが初心者担当になって。
 茶道をまだよく知らない人の目線で『秋の部活動週間』を手伝ってくれたらとても心強いと思う。
 だから、一緒に活動しようよ。
 アヤカ先輩の言う通り、わたしとジゼルちゃんの、両方と仲のいいナナミが来てくれたら、すごく活動しやすくなるもん」
「リコ先輩……ありがとうございます!」

 本当は最初に相談してほしかったけど、意図せず話す順が変わっちゃったなら、しょうがないよね。
 もうナナミに申し訳なさそうな顔してほしくないし、ここは『全然気にしてないよ!』って感じに振る舞わないと。
 そう思い、ナナミとしっかり握手した瞬間、アヤカ先輩が口を開く。
 いつも自信にあふれたアヤカ先輩だけど、この件に関しては不安だったみたいで。なんだかホッとしたような顔をしている。
 だけどそんなアヤカ先輩がこぼした言葉が、わたしにまた新たな疑問を抱かせてしまうのだった。

「では、決まりだな。
 四人で活動できることになり、私も嬉しいよ。
 それに、ナナミ君はな……。
 ……おっと、それもナナミ君自身から説明した方がいいな」
「はい。それも、いずれ……いえ、部活動週間が終わるころには、必ず」

 うん? ナナミ、もしかしてまだ他にも、臨時部員になろうとした理由があるの?
 今度のわたしは、そう即座に質問してみようとした。
 だけどその瞬間、ナナミはなぜかぱっと手を離して目をそらし。
 わたしが言いかけた言葉は、アヤカ先輩の次の声にかき消されてしまった。

「ということで、決まりだな。週末の合宿は、ナナミ君を含めた四人でやろう!
 よろしくな、三人とも」
「イエース! 合宿、楽しみデスー」

 ああ、またわからないことができてしまった。
 かくして、少しの疑問を残したまま、わたしたちの『秋の部活動週間』への準備が始まったのだった。


 ナナミが今、茶道部を体験しなきゃいけない理由。
 それはたとえば。転校。近いうちに、この学校を離れるのが決まってる、とか……?
 いやいやそれなら、留学の可能性もあるかも。
 でも、転校にしろ留学にしろ。そんな話一度も聞いたことがないし。
 それならもっと……わたしには、言えないようなこと?
 土曜日。
 ナナミが臨時部員になった理由には、他のことも絡んでいるとわかったのに。
 その理由がどうしてもわからないまま、とうとう『秋の部活動週間』に向けた合宿の日がやってきてしまった。

「では、開始時刻だ。リコ君、ナナミ君。よろしく頼む。
 まずはリコ君の説明からかな?」
「はい! それでは、和室における、客さんとしての過ごし方の練習を始めます」

 茶道部の合宿は、毎年部員揃って一泊二日で行う。
 場所は公共の茶室や研修場を借りることもあるけれど、今回の合宿先は、先日ミーティングでも訪れたアヤカ先輩のお宅。
 アヤカ先輩の家族は大変な和風一家で、お母さんが華道の先生で、お父さんが書道の先生。
 お姉さんは茶道が好きで、アヤカ先輩同様、大学で茶道サークルに入っているという。
 そんなアヤカ先輩のおうちは、やはり大きな日本家屋。茶道の練習をするには、もってこいということで。
 アヤカ先輩もアヤカ先輩のお姉さんも、よく仲間を連れてきて合宿しているらしい。

「まず、和室の入り方から始めます。襖を開きましょう。
 普段、入り口というと、立って開くものという印象がありますが……。
 和室は、座ることを前提とした空間です。
 なので、襖を開くときの『引き手』も。
 座って手を伸ばした時にちょうどいい高さにあるものなんです。
 では、アヤカ先輩、わたし、ナナミ、ジゼルちゃんの順で、開けたり、閉めたりしながら。
 それを実際に確かめてみましょう」

 うちの部においては、作法の練習はジャージで行うことが多い。
 ジャージなら、伸縮する素材でできているから正座しやすいし。
 足が痺れてしまっても足を崩しやすいから、正座に慣れない外国人のジゼルちゃんにも向いているかなと思って、アヤカ先輩と相談し。合宿中は、すべてジャージで過ごすことになった。
 なので今日は、色の違うジャージを着た膝が、四人分並んでいる。
 三年生のアヤカ先輩は緑、二年生のわたしは赤。一年生のナナミとジゼルちゃんは青。
 そう言うと、ちょっと運動部っぽくなってくるけど。
 最初は動き方にこだわって、運動部みたいに反復練習するのもいいとわたしは思っている。
 部屋に入る時の襖、障子の開け方。和室の中での歩き方、座り方。それらを一からきちんと知っていると『粗相をするんじゃないか』って不安が減るし。
 何よりも、何も知らない状態の、ちょっと残念な感じの自分の動き方が。
 先輩に正しく教わり、一つ一つ正すうちに、どんどん良くなっていくというのは、思った以上に達成感があるものなのだ。

「入りましたデース。では……」
「おっと。ジゼルちゃん、そこで一度ストップして、足元を見てくれるかな?
 敷居があるよね。敷居は踏まずに、跨いで入ろうね」
「危なかった! 踏むところデシター」
「そこから先の畳も、緣と畳の敷き合わせは、踏まずに歩いていこうね。
 ちょっとゲームみたいだと思うと、楽しいかもね」
「ハイ! 楽しいデース!」

 今日は、まずわたしが、主にジゼルちゃんに動き方を伝える『教える役』として解説を行い。
 次にアヤカ先輩が、全員に手本を見せる形で最初に動く。
 それから四人行動し終わると、またわたしが説明をし。
 二か所分説明し終えたところ。つまり、ここでナナミと『教える役』をバトンタッチする。

「ではジゼルさん、次は飾りを拝見してみましょうか。
 和室にある床の間……あの、床が一段高くなっているところですね。
 床の間や棚には、お客様のために掛物、花、香炉などが飾られています。
 和室に入りましたら、ぜひ拝見しましょうね。
 飾りも引き手と同じように、座っている人の目線に合わせて置かれています。なので、座ったまま鑑賞しましょう。
 また、断りなく手を触れることは、しないようにしましょうね」
「わかりマシター! とても綺麗ですから、つい触ってしまうところデシター」

 こんな感じで、今回の合宿において、ジゼルちゃんは『知識』を。
 わたしとナナミは『教え方』を学ぶことになった。
 アヤカ先輩は基本的に手本を見せるのと、もし教え誤りや教えそびれがあったときに訂正や補足をする役目のみで、原則わたしたちが二人で練習を進行することになる。
 人数が少ないからこそできる、ひとつひとつ、しっかり覚えることを目標にしたプログラムだ。

「では、今度は座るときの並びを確認しましょうか。
 和室の中で、入り口に近い方を下座。床の間に近い方を上座といいます。
 目上の方から上座へ座る習慣があるので、今日はこのまま学年順に座りましょう。
 座る場所は、畳の半畳に一人ずつ。
 体格によって少し差は出ますが……。畳の半畳の中央を意識して座ってくれればまず問題ありません。
 細かく言うと、半畳の中央に、緣から二十四センチほど開けた位置が良いです」

 ナナミが目くばせをして、また『教える役』はわたしに交代。
 次は正座の仕方だから、かつてナナミに正座を教わったわたしが、そのナナミの前でジゼルちゃんに教えるというのはなんだかとても緊張する。

「では、ここからはまたわたしが。正座の仕方をおさらいするよ。
 一度、立とっか。
 それから、両膝をきちんと折って、かかとと、かかとの上に、軽く腰を乗せる感じで座ってみよう。
 肩の力はゆるーく、抜いて。背筋は伸ばす形になるよ」
「こうデスカー? うまく続ける……コツなどはありマスカー?」
「そうそう。コツとしてはね……。
 わたしが特に『こうすると正座を続けやすい』って思ってるのは。両手の置き方に気を付けることかな。
 両手をそれぞれの太ももの付け根と、膝の真ん中くらいに、『ハ』の字になるように斜めに置くと。
 腕が自然と引いて胸を張る形になって、背筋もまっすぐになるよ。
 視線はね、少し遠くを見るくらいがいいよ。
 遠くを見ようとすると、顔が自然に上がるから……。姿勢が良くなるの」
「オー! デキマシター!
 なんだかとても良くできてる気がしマース!」
「うん。身体の重心は少し前にかけておくといいよ。
 姿勢を正座のまま固定しないで、いつでも動けるようにしよう。って思っておく感じ」

 こんな感じで、ひとつひとつの動きに気を付けながら、練習が進んでいく。
 ジゼルちゃんは意欲満々で、わからないことはすぐに質問してくれてやりがいがあるし。
 みんなやる気のある、いい雰囲気に包まれて。アヤカ先輩も笑顔だ。
 でも、ふとナナミの顔を見ると、わたしの気持ちは少し沈んでしまう。
 ナナミとわたしはずっと仲のいい友達で、ナナミはわたしのことを何でも知っていてくれているし、理解してくれているけど。
 対するわたしの方は、ナナミについて知らないことが多すぎるんだ。と、この前のミーティングの件で気づいてしまったからだ。
 ナナミにとってのわたしは、もしかすると。
 困ったとき一番先に相談する人としては、ちょっと頼りない存在だったのかもしれない。
 それなら頼れる存在になるように頑張るしかないってわかってるし、それなら努力あるのみなんだけど。
 休憩時間になっても、ナナミにはなんとなく声をかけられず。
 わたしは客間に荷物を取りに行くと言って和室を出ると、アヤカ先輩のお家の中をふらふら歩き回っていた。
 すると。

「リコセンパーイ」
「ふぎゃっ!」

 突如背後から現れたジゼルちゃんが、両手でわたしのほっぺたをぐいっと押してきた。

「今日、リコセンパイ、なんだかおかしいデース。一体何がありマシター?」
「そ。そんなことないよ?」

 なんとジゼルちゃん、鋭い。
 ジゼルちゃんは

「本当デスカー?」

 と首をかしげながら腕を組み、明らかにあやしいわたしを見上げてくる。
 でもここは、なんとかごまかさないと。
 未だに水曜日のミーティングのことを引きずってるなんて、先輩として格好悪いし。

「ごめんね。さっきうまく説明できなかったから、ちょっと自信なくしちゃってるのかも……。
 臨時部員のナナミの方がよっぽどうまく話せてるし。
 わたし、一応ジゼルちゃんの先輩なのに、これで大丈夫かなって思っちゃったんだ」

 思いついたことを話しただけだったけど、だんだん本当にそんな気がしてきて落ち込んでくる。
 こんなすぐに気持ちが上下するわたしが、これから部長として、ジゼルちゃんと二人で茶道部を運営していくのかと思うと。どんどんジゼルちゃんに申し訳なくなってきてしまう。
 しかし、そんなわたしにジゼルちゃんは数秒黙り込むと。

「実はですね。リコセンパイ……。
 ワタシが茶道部に入ろうと思ったのは、ナナミサンの勧めがあったからなんデース」

 と、また予想もしないことを話してくれた。
 
「ナナミが?」

 驚いて聞き返すと、ジゼルちゃんは『ハイ!』と笑顔になり、両手を高く上げてくるんと一回転。
 まるで、その日のことを思い出すだけで幸せになれるみたいに続きを語り出す。

「入部を悩んでいたワタシに、ナナミサンが教えてくれたんデス。
 『リコ先輩と一緒なら大丈夫ですよ』って……。
 『リコ先輩はまだ初心者だけど、真面目で、一生懸命に教わることができる人です。
 そういう方は、教える側に立っても絶対にいい先生になります。
 だから、ジゼルさんにはぜひリコ先輩に教わってほしい』って!」
「そうだったん、だ……?」

 まさか、ナナミがそんな風にわたしのことを褒めていてくれたなんて知らなかった。
 ジゼルちゃんの言葉にびっくりしながら、ふとわたしは気づく。
 そうか。わたしがナナミに対して知らないことは、何も淋しくなることだけじゃなかったんだ。って。
 こんな風に、わたしの知らないところで、ナナミがわたしを支えてくれていた。
 そんな『知らないこと』もあったんだって。

「そうだぞ? ナナミ君は、リコ君を非常に高く評価している。
 『リコ先輩の部での取り組みを見て、自分も茶道に興味を持ちました』って言っていたくらいなんだからな」
「アヤカ先輩!」

 さらにそこで、アヤカ先輩までもが現れる。
 もしかしなくてもわたし、二人に心配をかけていたのかもしれない。
 だからこんなちょっと遠いところまで探しに来て、声をかけてくれているのだ。
 アヤカ先輩は優しくわたしの肩を撫でると、つり目を優しく細めてこう言う。
 それは、わたしのことを心から大切にしてくれているんだと思える表情だった。

「それに、ナナミ君が『秋の部活動週間が終わるころには伝えたい』と考えていることは……。
 おそらくだが、リコ君が想像しているようなことじゃあ、ない。
 だから、リコ君が不安に思うのであれば。
 今私から代わりに伝えてもいいが……」
「あの!」

 だから、もうこれ以上アヤカ先輩とジゼルちゃんに心配をかけてはだめだ。
 こんなにわたしを気にかけてくれる二人に、わたしはこれ以上『ナナミの秘密が気になって落ち込んでいます』なんて顔は見せられない。
 わたしの考えていることは、おそらく二人にはもうお見通しだと思う。
 それでも今は気を張って、格好を付けなくっちゃ。
 わたしは『秋の部活動週間』から部長なんだし。これからは、わたしが茶道部を支えていく、精神的にも落ち着いた立派な人にならないと!

「アヤカ先輩、ジゼルちゃん。わたし頑張ります。
 お二人が気付いてる通り……今、とても気になってることはあります。
 でも……。まずは、『秋の部活動週間』をちゃんと終えて。
 気になってることは……それから、ちゃんと自分で聞こうと思います!」

 大きな強がりとか見栄も。たまには張ってみると、ちょっと成長できるかもしれない。
 本当は不安でいっぱいなのに、わたしはぐっと親指を立て。
 二人に『大丈夫!』と、ちょっと引きつった笑顔を見せる。
 それでも何も言わず

「わかった」
「承知したデース!」

 と言ってくれる二人のためにも、『秋の部活動週間』は絶対成功させなくっちゃ。
 そうわたしは、改めて思ったのだった。


 そうしていよいよ、『秋の部活動週間』がスタートした。
 『秋の部活動週間』は、今日は運動部の日、明日は文化部の日。といった感じで。
 おおまかな発表スケジュールがありつつ、一週間を通じて様々な部が放課後にアピールを行うことになっている。
 そんな中でわたしたち茶道部がやるのは、合宿で練習をした『和室での過ごし方体験ツアー』。
 同時に廊下では掲示として『茶道部の一年』を書いたポスターを貼って見てもらい。
 ポスターの脇には『学校説明会』でも利用した冊子『長時間正座をするための練習方法』を設置して配布する。
 こうすることで、茶道部は決して敷居の高いものではないし。
 和室での作法は、こんな風に丁寧に教えるよ! っていうのを『和室での過ごし方体験ツアー』でアピールしながら。
 具体的な一年の流れはこうだから、兼部も可能だし。と『茶道部の一年』で伝え。
 今すぐにはできるようになれないかもしれない、最初は苦手に感じるかもしれない正座も。
 やり方を書いた『長時間正座をするための練習方法』を見てもらうことで、家でも練習できるし。
 部活でも、上手に長時間続けられるコツを教えるよ。ということを話し続けた。
 基本的な作業は『学校説明会』のときと、さほど変わらないかもしれない。
 だけど今回は、先輩たちが引っ張って行ってくれるわけじゃなく、わたしが部の中心だ。
 三か月前、ナナミに正座の方法を教わったときは、まさかのちに自分が『部長』として、茶道部に関わるなんて想像もしていなかった。
 帰宅部のわたしは、いつも部活に所属しているみんなの活動を眺める側。
 人をまとめるどころか、一つの団体に参加することさえなく。輪の中心に立つ責任感とか、使命感とか。そういったものは、あまり感じられる機会のないまま高校生活は終わる。
 そう信じていた。
 だけどそれは、三か月前、ナナミに『正座が苦手』という悩みを話して。『それでも茶道部のお茶会に参加してみたい』と決心したことで大きく変わった。
 傍から見れば、ひとりの女子高生の学校生活が、ちょっと変わった。それだけのことなんだと思う。
 だけどわたしにとっては、大きな進歩だ。
 そして一歩踏み出すきっかけは、ナナミがくれたものなのだ。

「質問です! リコ部長。
 茶道部に入部すると、どんな力が身につきますか?
 たとえば、茶道の先生みたいになることはできますか?」

 『秋の部活動週間』最後の日。
 『和室での過ごし方体験ツアー』の質疑応答でこの質問が出たとき。
 わたしはなぜか『茶道部をこれからどんな部にしていきたいんですか?』と聞かれている気持ちになった。

「わたしは、茶道部に入部することで。
 茶道部の活動を、普段の生活に生かせる力をつけてほしい。と思っています」

 だから、答えるときは、質問をしてくれた子や、見学に来てくれている人だけじゃなくて。
 後ろで見ててくれるアヤカ先輩たち、見学側のサポートをしてくれるジゼルちゃん。
 そして、隣に座っているナナミにも伝える気持ちで話した。

「わたしは茶道部に入部するまでは、正座がとても苦手でした。
 茶道に関心があったのに、どうしても一歩踏み出すことができませんでした。
 でも、正座が得意な友達に『一緒に練習してみよう』と言ってもらって……。
 正しい姿勢や、長く正座を続けるコツを教えてもらったことで、今はこうして問題なく茶道部で活動できるようになりました。
 そうして入部したら。
 これまで知らなかった作法を身に着けることで、姿勢が綺麗になったり。
 お茶のたて方や着物の着方を覚えることで、『ああ、日本の文化っていいな』って改めて感じるきっかけになったり。
 茶道の歴史を知ることで、日本史にも興味を持ったり。
 普段の生活に、さらに広がりができました。
 今日来てくださってる皆さんの中には。かつてのわたしと同じように、正座に苦手意識のある方もいると思います。
 でも、茶道に関心があったから、見学しに来てくれた……。
 わたしはそんな方に、わたしの友達のように、ひとつずつ丁寧に教えることで、茶道を、正座を、好きになってもらいたいと思っています。
 苦手なものを克服して、むしろ好きになる。
 その自信をもとに、新しい可能性を、次々に広げていける。
 そんな力を身につけてほしい……。
 そう思ってます!」

 ねえ、ナナミ。
 これが、今のわたしの気持ちだよ。
 もしこれからナナミが話そうと思っていることが、わたしにとっては悲しかったり、残念なことだったとしても。
 この気持ちは変わらないし、わたしたちは友達だよ。
 少なくとも、わたしはそう思っているからね。
 そんなことを思いながら話し終え、わたしは大きく、深くお辞儀をする。
 その途端、思った以上の大きな拍手に包まれて。
 中でも隣から聞こえる拍手が一番大きい気がして、ちょっとだけ泣きそうになった。


「ここにいたんですね。リコ先輩、今日は一日お疲れ様でした」

 そしてすべての発表が終わり、後は後片付けを残すのみ。
 ちょっと休憩しようかなってわたしが自販機を見ていると、ついにナナミに声をかけられた。

「ナナミこそお疲れ様! 今日は完璧なサポートをありがとう。
 合宿に参加しただけなのに、もう全然初心者なんかじゃない。プロだね」

 もしかするといよいよ、例の『秋の部活動週間が終わるころには伝えたい』と思っている話をするつもりなんだろうか。
 ドキドキしつつ、わたしはナナミが一番好きなオレンジジュースのボタンを押し、ナナミに差し出す。
 ナナミは一体、今何を話そうとしているんだろうか。

「いいえ。私は初心者でしたよ。
 リコ先輩、アヤカ先輩、ジゼルさんに教わることばかりでした」
「またまたあ。アヤカ先輩もすごく褒めてたよ。
 『とても二週間しか活動してないようには見えない』って」
「いいえ。私は初心者です。
 今回は初心者の目線を持って、見つめなくてはならないことがありましたから」

 たくさん協力してくれたナナミを心から褒めたいのに、なぜかナナミは、さっきから『初心者』という言葉にこだわる。
 どうしてだろう? きょとんとしていると、ナナミは

「リコ先輩がおっしゃったんじゃないですか。
 今回は私に『初心者の視点で部に貢献してほしい』って」

 と、唇をとがらせ。
 それから受け取ったジュースの缶を大切そうに握りしめ、わたしに一歩近づいた。

「なので、初心者としてご報告します。
 今日の発表は本当に素晴らしかったです。
 『苦手なものを克服して、むしろ好きになるお手伝いがしたい』。
 そうおっしゃった先輩は、本当に素敵でした。
 私、リコ先輩の『正座先生』になれて、本当に良かったと思いましたよ。
 だから、その……。今更、こんなことを言うのは大変気が引けるのですが」
「う、うん!」

 きた。
 大丈夫、何が来ても泣かない。泣いたりしないぞ。
 そこまで話したところでナナミは一度言葉を切り、わたしも自然と無言になる。
 転校か、留学か。それとも全然思いつかないようなことか。
 単にわたしの発表の、ここが良くなかったですってご指摘かもしれないな……。
 次の言葉が出る一瞬の間に色々なことを予想しつつ、わたしはビクビクとナナミに向き直る。
 しかし、ナナミの口から飛び出したのは、意外も意外。
 わたしが全く考えもしなかったことだった。

「リコ先輩。私を! 茶道部の正式な部員にしてください!」
「えーっ!?」

 なので思わず、こんな大きな声が出てしまう。
 だって、てっきりこれからは一緒に過ごせなくなるから、思い出作りとして臨時部員になろうと思ったのかな、なんて思ったのに。
 実際はその逆だったなんて、思いもしないよね?
 驚いて開いた口のふさがらないわたしに対し、ナナミはまた、ミーティングの日みたいにもごもごと申し訳なさそうにし始めて。
 ナナミらしくない、曲がった背筋で続ける。

「すみません……。先輩が驚くのも、無理ないですよね。
 私は、ご存知の通り既に剣道部に入部していますし。
 茶道部も始めたいという自分の希望を通すことで、結果、どちらの活動も中途半端なことになるのでは……。と思い、悩んでいました。
 なので、急きょ臨時部員になりたいと言ったのは、剣道部の活動が一時的に減ったのだけが原因ではなく。
 二週間の間活動が減るという話を聞いて、剣道部の部長とも相談して。
 茶道部の臨時部員となり、活動を体験することで。
 茶道部にも入部し、二つの部を兼部するか。
 兼部はやめて、やはり剣道部一本で行くか。
 『秋の部活動週間』が終わるまでに決める。ということになったんです。
 以前から茶道部を覗いていたのも、兼部をするかどうか悩んでいたからです。
 でも、先ほどの先輩のお話を聞いて決意しました。
 私も、先輩と活動したいです。
 先輩のお力になりたいんです。
 兼部という形にはなってしまいますが、私も茶道部員として、リコ先輩と一緒に活動させてください!」

 こんなすてきな展開が、本当にあるなんて知らなかった。
 というかわたし、今回『知らないこと』ばっかりだ!
 でも最終的には知れたから、いいのかな?
 不安そうに頭を下げるナナミは、ミーティングの時と同じ、ちょっと曲がった背筋。
 ナナミが自分の気持ちを話してくれなくて、決心がつくまで待つ間は。
 いろいろ淋しくなることもあったし、悲しくなることもあった。
 だけど今のナナミを見てわたしが思うことは、もちろんひとつだ。
 ナナミに似合うのは、ピンとまっすぐ伸びた背筋。
 それから、堂々と落ち着いた態度。
 いつもそんなすてきなナナミでいてほしい。だからそのために、友達のわたしがすることは……。

「喜んで! わたしと一緒に、みんなに正座を教えよう!」

 こうやって、笑顔で歓迎すること!
 泣きそうな表情で顔を上げたナナミに右手を差し出し、わたしはしっかりと握手をする。
 たまには、格好つけてみて良かった。今回、やっとナナミの先輩らしい存在になれた気がする。
 そう思いながらナナミと微笑み合い、ふと視線を感じると。
 背後には、やはりアヤカ先輩とジゼルちゃんがいた。
 わたしたちを見てうんうんと頷き、『うまくいって良かった』と言わんばかりに親指を立てているアヤカ先輩とジゼルちゃんに向かって。
 わたしたちも、

「二人とも、今回はありがとうございました!」

 と、ぐっと親指を立て返す。
 こうして部員の増えた茶道部は新たなスタートを切り。茶道と正座の楽しさを、もっともっと伝えていくことになったのだ。


あわせて読みたい