[20]ワンダーランドで正座指導〜獣人王様と日本文化〜


タイトル:ワンダーランドで正座指導〜獣人王様と日本文化〜
分類:電子書籍
発売日:2017/05/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:60
定価:200円+税

著者:吉原光紗
イラスト:時雨エイプリル

内容
望美は木から落ちそうになっている黒猫を助けようとして、ともに落下してしまう。
目が覚めたら、そこは、動物だらけの不思議の国だった。アシタリア王国というその国は、王族のみが人型をしていた。
望美はアシタリア王国の国王、ウィルと面会をする。その際に、クセで正座をしてしまった望美は、ウィルに不思議な座り方と指摘されてしまうのだった。

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本文

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 いつもの部活の帰り道。暗くなり始めた道を、少し早歩きで進んでいく。
 この辺りはあまり人通りがなく、薄暗いこともあって不気味な雰囲気がする。
 私は左右に視線をはわせ、竹刀袋を持つ力を強めた。
「んみゃ〜ん」
 暗い静寂の中に突然響いた声に、驚いて心臓が跳ね上がる。
 い、今の声、猫?
 ドキドキしながら辺りを見回してみるけれど、何も見えない。たまたま猫が通りかかっただけだと、自分を納得させる。
 再び歩き出そうとした所で、また聞こえた猫の鳴き声。
 なぜか、助けを求めているように聞こえた。
 私はポケットに入っている携帯に手を伸ばした。携帯のライトを点け、薄暗い道を照らす。
「ね、猫ちゃん? いるの?」
 問いかけると、再び鳴き声が聞こえる。
「みゃ〜」
 なんだろう。返事してるみたい。
 まさかそんな……。うーん、でも動物は人の言葉が分かるという噂を聞いたことがあるし、本当に分かっているのかもしれない。
「どこにいるの?」
「んみゃーん」
 また声が返ってくる。それが上から聞こえたことに気づいて、私は携帯のライトで頭上を照らした。
「あっ! いた!」
 どうやら猫は、高い木に登りすぎて、降りられなくなってしまったみたい。枝のところに丸まって、助けを乞うように鳴いていた。
 木登り、あまりしたことないけど、大丈夫かな。
 木に近づいて、軽く手を触れてみる。ゴツゴツしてて引っかかり多いし、登れそう。
「今、助けてあげるからね」
 そう声をかけると、猫は再び鳴いた。
 携帯をポケットに入れ、荷物を置いて木に手をかける。意外にも登りやすく、猫のいるところまで簡単に来れた。
「おいで」
 少し頼りない枝に掴まりながら、手を伸ばす。だけど動けないみたいで、猫は小さく泣くだけだった。
 どうしよう。もう少し進めば届くと思うんだけど、暗くて枝がよく見えない。
 身を乗り出して手を伸ばすと、猫が少しだけ動いた。近づいて来ようとしているのが分かって、ハラハラする思いで見守る。
 ようやく私の手が届くところで、猫が足を滑らせた。思わず手を伸ばして、私もバランスを崩す。
「きゃっ!」
 短い自分の声が聞こえたと思ったら、浮遊感に襲われ、目の前が真っ暗になっていった。

「……い、起きて、起きてください」
 遠くから声が聞こえて、意識が浮上していく。
 うっすらと目を開けると、目の前にたくさんの猫がいた。
「えっ!?」
 驚いて飛び起きて、そして目を丸くする。
「えっ……なに。ここ、どこ?」
 そこには、私が今まで見たことのない、不思議な景色が広がっていた。


「目が覚めたようですねぇ」
「え?」
 目を瞬いて、辺りを見回す。
 今、声が聞こえたけど、誰もいない。
「私ですよ、私。あなたの目の前にいましょう」
 私の、目の前……私の目の前にいるのは、白い猫だった。
「え、と?」
「あなたはいったい、何者です?」
「何者? あ、私は、望美。橘望美です」
「タチバナ、ノゾミ……不思議なお名前ですねぇ。私はロンドールでございます」
「ろ、ろんどーる、さん?」
 ロンドールって、外人さん?
 それに、さっきから声は聞こえるのに姿がないけど、どういうことだろう。
「ええと、ろ、ロンドールさん、どこにいますか?」
「はい? 目の前にいますよ。私です、私。私がロンドールです」
 目の前の白猫が、前足で自分を指差した。
「へ?」
「不思議な物が現れたと報告を受けましてねぇ。お城からはるばる参ったのでございます」
「お、お城?」
 な、なんか色々分からなくなって来た。
 改めて状況を確認しようと、辺りを見渡してみる。
 私の周りには、猫や犬、うさぎや猿に、虎やライオンまで。おそらく動物園にいるだろう、ありとあらゆる生き物がそこにいた。
 それだけでも不思議な光景だというのに、なにもよりも私の目を引いたのは、目の前の街並み。
 外国に迷い込んでしまったのかと思ってしまうほど、日本離れをしていた。
 石畳で整備された地面に、煉瓦造りの建物。屋根には煙突がついていて、煙が上がっている家もある。
 まるで不思議の国。
 本とかに出てくるワンダーランドみたい。
 私はいつもの学校の制服、セーラー服を着ていた。だけど、荷物はなにも持っていなかった。
 突然知らないところに放り出されてしまった心細さが、私の心の中を暴れ回る。
 誰かに連絡しないと。
 そう思って、ポケットに携帯をしまったことを思い出す。早速取り出して開いてみて、目を見開く。
「えっ、圏外?」
 携帯は圏外を示していて、ココには電波が届かないことを教えてくれていた。
「望美様、それはなんでございましょう?」
「え、何って、携帯だよ。知らない? 電話とかかけるの」
「デンワ、とは何でございましょう」
「えっ……」
 電話がわからない? そんなことってあるの?
 それよりも、やっぱり話してるの目の前の白い猫ちゃん?
 身振り手振りが声と一致していた。
 ……そんな、そんなまさか。
 胸の奥に闇が広がっていくような、嫌な感覚がする。
「あ、あの、ココは、どこですか?」
「ここ? この国の名前でしょうか?」
「う、うん。この国の名前」
「ここは、我らウィル国王が治める、アシタリア王国でございます」
「え……」
 ウィル国王?
 アシタリア王国?
 ……どこ、それ。
 心臓に氷でも当てられたみたいに、全身が冷えていく感じがした。
「おや、どうされました? 顔色が悪いようですが……」
 真白の猫が、私の顔を覗き込んでくる。
 やっぱり、私が会話していたのはこの白猫なんだ。
 動物が、話せる? アシタリア王国って、地球にあるの?
 ……私、お家に帰れるの?
 寂しさや心細さで胸がいっぱいになる。だんだん悲しくなってきて、鼻の奥がツーンとした。目の前がぼやけ、目から涙が溢れてくる。
「ど、どうされました!?」
「う……ひっく、おうち、帰りたいっ」
 泣きながらそう言うと、私の頬にぷにぷにとした肉球が触れた。白い毛に私の涙が吸い込まれていく。
「迷子、でございましょうか? ひとまず、あなたは我らの王と似ておりますので、お城へとお連れしたいと思うのです」
「お、お城?」
「あなた様は目立ちますゆえ、一度涙は控えていただき、落ち着いて話し合いましょう」
 ふにふにとした肉球が押しつけられて、その柔らかさに思わず笑う。
 猫に慰められるなんて、不思議。
 でも、心がホッとするような、不思議な感覚がする。動物って、人の心を癒すってよく言うし、そういう感覚かも。
「あの、泣いちゃってごめんなさい」
 小さくそう口にすると、目の前の白い猫は目を細めた。おそらく、笑っているのだと思う。
「少し、気が動転しちゃって。優しくしてくれて、ありがとうございます」
 涙を拭ってくれた肉球の感触が蘇る。ふにふにとして暖かく、優しさを感じる手。動物って、飼ったことなかったけれど、ペットというより、パートナーみたいな感じなのかな。
「あなた様はとても素直でございますねぇ。我らの王も歓迎するでしょう。こちらでございます」
 猫は後ろ足で立ち上がると、私向かってお辞儀をして、四つ足で歩きだす。私も慌てて立ち上がって、白い猫の後を追った。

 立ち上がって町を歩くと、ここにいる動物たちが、私の知っている動物よりもずっと大きいことに気づいた。
 今私を案内してくれているこの白猫も、よく見かける猫の倍くらい大きい。他の動物も大きいし、町に建てられている一軒家は、人が住めそうな外観をしている。
 だけど、どれだけ歩いても人間が見当たらない。さっき聞いた国の名前、地球にあるのだろうか。
 主要国の名前なら分かるけれど、小さな国だったりしたら知らない可能性もある。
 動物だらけの国。
 動物が話す国。
 そんな国があったならニュースになってると思う。ということは、やっぱりここは――
「望美様、到着いたしました」
 声をかけられて、ハッと顔を上げる。
「えっ、す、すごい!」
 目の前のお城は、それこそ外国にある古いお城のような外観をしていた。
 日本にこんな建物はない。テーマパークとかに行けばあるけれど、それ以外では知らない。
「まずは王様に面会してください」
 そう言って、白猫、ロンドールさんは頭を下げる。
「王様って、確か……うぃ、えっと……」
「ウィル様でございます」
「す、すみません」
 さっきは気が動転していてあまり覚えていない、って言うのは言い訳だよね。
 このことを知られたら、人の話は聞きなさいと、剣道の先生に怒られてしまう。
 私の失態を白猫ロンドールさんはあまり気にしていないようで、ゆるく首を振って前足でお城を示した。
「いえ、ひとまずウィル様のもとにご案内します。お会いするのが一番早い」
 なんのことだろうと思いながら、私はロンドールさんに続いて、立派なお城の門をくぐった。
 お城の中は、小さな頃に読んだ童話のような世界が広がっていて、こんな場所だというのに少しだけワクワクしてしまった。
 床は大理石のように白く輝いていて、至る所に高そうな銅像や、宝石が埋め込まれた動物の置物が飾られている。動物画や風景画が飾られていて、全体に上品な雰囲気だった。
 天井にはシャンデリアがあって、室内を美しく照らしている。
 ロンドールさんは慣れた足取りでお城の中を進んで行く。私もはぐれたりしないよう、お城の中は軽く眺めるだけにとどめた。
 やがて、ロンドールさんは茶色の扉の前で立ち止まった。その扉は、ぐるぐるとした不思議な模様が彫られていて、ニスが塗られているみたいにツヤツヤと光を反射していた。
「こちらに国王様がおられます。私の後に続いてください」
「は、はい」
 どうしよう。すごく緊張してきた。
 国王っていうことは、国で一番偉い人な訳で、その人に嫌われたら、私はここを追い出されてしまう。ココがどこかのかとか、日本はどこなのかとか、何も聞けないかもしれない。
 額に汗が滲んだ気がして、手で拭う。
 ゆっくりと開かれていく扉を前に、緊張で胸が張り裂けそうな思いだった。
 扉の先は、真っ赤な絨毯が敷かれていて、それが真っ直ぐ一本に伸びている。その先には、玉座があり、一人の人が腰掛けていた。
 あ、れ? 人?
 足がその場に縫い付けられたみたいに動かなくなる。
「望美様、お入りください」
「あ、は、はいっ!」
 促されて慌てて歩いたから、足がもつれて派手に転んでしまった。
「い、いたい……」
 打ち付けた膝をさすっていると、影が出来る。
「大丈夫か?」
 顔を上げると、真っ黒のガラス玉のような瞳と視線が絡んだ。サラリとしたクセのない黒髪が揺れる。
「え、と」
「ああ。挨拶がまだだったな。俺はウィル。一応この国の王だ」
「お、王様! あ、えっと、だ、大丈夫です! あの、ありがとうございます!」
 まさか王様だったと思わなくて、慌てて正座をして、床に手を添えて頭を下げた。
「ほぉ、不思議な座り方をするな」
「え?」
 不思議な座り方?
 顔を上げ、自分の足を見つめる。特になんの変哲もない正座だった。
「今のは礼か?」
「え? え、と、ど、土下座でしょうか」
「ドゲザ……聞いたことないな」
 顎に指を添えて、王様は切れ長の目で私を見つめてくる。
 失礼かもと思いながら、私も王様を見つめ返した。
 真っ黒の髪。黒い瞳。長い手足があって、どう見ても人間なのに。頭の上にある黒い耳、それだけがとても違和感を放っていた。
「おまえの名前は?」
 尋ねられて、まだ名乗ってもいなかったことに気づいた。
「すみません。私は望美です。橘望美と申します」
「そうか。望美。立って一周しろ」
「え? は、はい」
 言われるままに立ち上がって、その場でくるりと回った。王様はそれを見て目を細める。
「本当に耳も尻尾もないな」
 驚いたような声に、口を閉ざす。何を言ったらいいのか、わからなかった。
「この国で、俺のように毛がない者は、王族だけだ」
「え?」
「この国の王族は、耳と尻尾を残して毛がない。だが、望美、おまえは何もない。おまえは、どこから来た?」
 鋭い視線が向けられて、怪しまれているのかもしれないと、足がかすかに震える。
「あの、私……」
 何を言おうか迷って、今一番聞きたいことを口にする。
「日本、という場所をご存知ですか?」
 震える唇でそう尋ねると、王様は少し眉を上げ、ゆるく首を振った。
「ニホン、知らないな」
 胸の奥に刃が刺さったような気がした。
「そ、そうですか……」
 泣いてしまいそうで、うつむいて髪で顔を隠す。
「そこから来たのか?」
 小さく頷いた。声が出せなかった。声を出したら、きっと、泣いてしまうから。
「そうか」
 その言葉を最後に、重たい沈黙が流れた。
 震える手を握りしめて、私は自分の気持ちを吐露する。
「わ、私、きっと、帰れません」
 思いたくなかった。
 だけどココは、きっと、私のいた地球ではない。
 動物が話して、猫耳生えてる人が王様で。そんな場所、見たことも聞いたこともなかった。
 胸の中にぽっかりと穴が空いてしまったみたいに、冷たい風が吹き抜けていく。
「ふむ、そうか。なら、望美。さっきした不思議な座り方、あれを教えてくれ」
「……え?」
「ちょうど退屈していた。俺を楽しませる代わりに、おまえに衣食住を与えよう」
 何度も目を瞬いた。
 私は、明らかに異質だと思うのに、この王様はいとも容易く私を受け入れようとしてくれている。
 そんなこと、簡単にできるものなのだろうか。
 王様を見上げると、鋭い目を細めて私を見ていた。どこか優しさを感じる瞳。私の涙を拭ってくれた時のロンドールさんの目に、少し似ていた。
 ココは、確かに変な場所だけど、来たなら帰ることもできるかもしれない。
 今はとにかく、生き延びないと。
「どうだ? 悪くない条件だと思うが」
「わ、分かりました! 私、やります!」
「そうか。なら、早速おまえの部屋を用意させよう。ロンドール」
「御意」
 王様の後ろに控えていたロンドールさんが、私の元に歩いてきた。そして、丸い目を少し細める。
「こちらです、望美様」
 ロンドールさんが歩き出したので、私は王様に頭を下げてからそのあとを追った。

「ウィル様はお優しい方でしたでしょう」
「は、はい。こんなにあっさり……私、怪しくないですか?」
 ロンドールさんの隣を歩きながら問いかける。
「この国では、毛のない者は王、つまりは位の高い者です。あなた様に酷い仕打ちをする者は、どこにもいないでしょう」
「そ、そうなんですか」
 どこからどう見ても、ただの女子高生なのに。
 大げさな気がするけれど、毛がないって、そんなにすごい事なのだろうか。
「それに、望美様は不思議な事を知っておられる。ニホン、デンワ、ドゲザ、馴染みのない言葉です」
「そうですか……」
 なんて返したらいいのか分からなくて、曖昧に頷いた。
 私にとっては、どれも身近で、当たり前だと思っていた言葉。まさか馴染みがないと言われる日が来るなんて、思ってもみなかった。
 私、帰れるのかな。

「望美様、こちらがあなた様のお部屋でございます」
 ロンドールさんは、とても立派な茶色の扉の前で足を止めた。今まで私の部屋だった扉と、あまりにもかけ離れていて、ドアを開けるのも息を止めてしまうくらい緊張した。
 部屋の中は、これまた上品な家具が揃えられていた。テーブルや棚は全て猫脚で統一されていて、とても高そう。
 また呼びに来ると言って頭を下げたロンドールさんに、私も頭を下げ、ゆっくりと扉を閉めた。
 一度ぐるりと部屋の中を見回して、真っ直ぐにベッドに向かう。天蓋付きの、キングサイズはありそうなベッドだった。
 ローファーを脱ぎ捨て、ごろりとベッドに横になる。
 なんだか、疲れてしまった。
 よく分からないことばかりで、まだ自分の中で消化できていない。
「なにが……どうしてこんな事になっちゃったんだろう」
 目を両腕で覆って、視界を閉ざす。
 真っ暗な中で、私は思い出した。
「猫ちゃん!」
 ガバリと起き上がる。
 そうだ、私は猫を助けようとして、それで一緒に落ちてしまって……目が覚めたらココだった。
 もしかしたら、これは走馬灯みたいなもので、私は瀕死の状態なのかも。
 そんな恐ろしいことを考えた。
 一度身震いをして、自分を抱きしめる。
 とりあえず、何があったのかは思い出せた。あの猫がもしもココにいたら、私は帰れるかもしれない。
 例え走馬灯だったとしても、私をここに置いてくれると言った王様に誠意をみせないと。
 ことの次第を思い出したら少し肩の力が抜けて、眠くなってきた。ふかふかの布団に包まれ、私はあっさりと眠りに落ちた。


 次の日から、私は王様に、不思議な座り方だと言っていた正座を教え始めた。
「うーん、正座と言うのはですね、まず、こうやって、膝から足の甲まで床につけて、膝立ちのような姿勢をしてですね」
 私は実際に王様の前で膝立ちをしてみせる。
「それから膝を曲げて、かかとの上にお尻を乗せるんです」
 いつも通り、背筋を伸ばして座る。
 正座を教えるなんてした事がないから、これでいいのかどうかもよく分からない。
「それから、肘はこう、垂直におろして、手は太ももの付け根と膝の間に、ハの字になるように置きます。脇は閉じるか、軽く開くくらいです」
 王様は見よう見まねで私と同じようにし、膝を曲げて座った。伸びた背筋が凛としている。
「後は、足の親指は、離さないで下さいね。軽く重ねるくらいがいいかと思います」
「ああ、分かった」
 頷いた王様は、王族の風格というか、威圧感がすごい。
 正座って、やっぱりカッコいい。
 特にウィル様の雰囲気が、正座の魅力をさらに引き出している気がする。
 ウィル様は正座をしたまま指先で顎に触れ、何度か軽く頷いた。
「これはいいな。正式に、王族特有の座り方にしよう」
「ええ!?」
 耳を疑うような発言に、仰け反りそうになる。
「何か問題か?」
 王族は不思議そうに首を横に倒した。サラリとした黒髪と、ピクピクと動いている頭の上に生えた黒耳に意識が向く。
「えーとですね。確かに正座は日本の伝統文化と言ってもいいと思いますが、突然王族特有の座り方というのは……」
 やんわりと否定をする。いきなり異文化を王族特有の物にするなんて、あまり良くないと思う。
 だけどウィル様は、あまりそういうことは気にしないようで、目を瞬いて不思議そうな顔をした。
「そうか? この座り方がなぜこの国になかったのか、俺は理解した」
「え? そうなんですか?」
「ああ」
 頷いたウィル様は、正座をしたまま首だけで後ろを振り返った。
「ロンドール。おまえ、このセイザをしてみろ」
 王様の後ろに控えていた白猫のロンドールさんは、私と王様を見つめ、ゆるく首を振った。
「ウィル様。申し訳ありませんが、私にはできません」
 ロンドールさんの言葉に、ウィル様の口角が楽しそうに持ち上がる。
「そうだろう、そうだろう」
「できないって、どうしてですか?」
 口を挟んでいいのか迷ったけれど、純粋に疑問だったから尋ねてみた。
 ロンドールさんは、四つ足で私の横に来て、後ろ足で立ち上がる。
「私の足では、その姿勢は少々辛いのですよ」
「あっ!」
 ロンドールさんは、どう見ても猫だった。真っ白の、ふわふわとした猫。後ろ足で立ったり出来るみたいだけれど、正座は確かに難しいのかもしれない。
「このセイザは、俺たち毛なしにしか出来ないだろう? 王族にしか出来ない証明のようなものだ。なかなか悪くない」
 ウィル様は嬉しそうに何度か軽く頷く。確かにそういう意味では、特別な座り方かもしれない。
 だけど、正座には難点もある。
「うーん、正座はいきなりすると足が痺れちゃったりするので、難しいかもしれないですよ」
「痺れる?」
 ウィル様は、鋭い瞳を大きくして、自分の足を見つめた。
「血管や神経が圧迫されて、ビリビリとした痺れが起きてしまうんですよ」
 ウィル様は驚いたように目を大きくし、自分の足をさすった。そして、再び私を見つめ、視線を私の足元へと下げる。
「おまえは痺れないのか?」
「私は一応剣道をやっているので、正座には少し慣れていますから」
「ケンドウ?」
 ウィル様はおうむ返しでそう尋ねた。
「えーと、剣道というのは、スポーツで、竹刀を持って戦うという感じです」
 ざっくりすぎるけど、間違ってはいないよね?
 ここには剣道もないのかな。
「ほぉ、望美は様々な知識があるようだな。他に珍しいものはないか?」
「……珍しい」
 ウィル様の言う珍しいっていうのは、おそらく日本文化のことだと思う。日本独特のものはココにはないのかも。
 そうなると、他にウィル様の目を引きそうなものは――
「でしたら、やっぱり着物でしょうか」
「キモノ?」
「正座をする時に一番合う服装、と言えばいいでしょうか? 昔の日本は、正座と着物が当たり前だったんです」
「セイザとキモノか。なかなか面白い」
 ウィル様は満足そうにそう言って、優雅に笑みを浮かべた。
 どうやら興味を引くことが出来たようだ。
「それで、キモノというのはどのような物だ? 今望美が着ている物のことか?」
「いえ、これはセーラー服と言いまして、学校の制服です。いつもはこれ着て学校に……」
 だんだんと語尾がしぼんでいった。
 学校、もう行けないのかな。
 うつむいて、正座の上で拳を握る。
「望美」
 声をかけられて顔を上げると、ウィル様は立ち上がろうとした格好でピシリと固まっていた。
「ぐっ、あ、足がっ」
 そして、足を押さえてうずくまる。
 どうやら痺れてしまったらしい。
 ウィル様の黒耳も尻尾も、力なく沈んでいる。
「大丈夫ですか?」
「ウィル様!」
 私とロンドールさんが駆け寄ると、ウィル様は顔の前でひらひらと手を振って問題ないと示した。
「望美の言った通りのようだ。これは、なかなかに不快だ」
「あはは……一応、痺れにくくするコツとかもあるんですよ」
「ほぉ、そうなのか」
 ウィル様の瞳がキラリと輝いた。
 好奇心旺盛だなあ。王様って、そんなに退屈なのかな。
「はい。例えば、座る時に少し重心を前にするとか、かかとを開くとか」
 私は言いながらウィル様の前に座って、お手本を見せる。
「こうやって、足の甲に体重をかけないようにするんです。手は前の方に置くといいって、私は教わりました」
 顎を引いて、背筋を伸ばす。手を太ももの少し前に置いて、足をさすっているウィル様を見つめる。
「やはり、その座り方は美しいな」
「えっ、そうですか?」
「背筋が伸びているからか、優雅さすら感じる」
 上から下までなぞるように見つめられ、少しだけ恥ずかしくなった。
 それでも、褒められると嬉しくて、私はウィル様に笑顔を返す。
「俺ももう少し練習しよう」
 言いながら立ち上がったウィル様は、もう足の痺れは治ったようだ。何度か靴を床に打ち付け、異常がないことを確かめていた。
「他にも色々とコツはあるので、それはまた今度教えますね」
「ああ。後は自由にするがいい。ロンドールを供につけよう」
「えっ、でも」
 嬉しい申し出だが、甘えてしまって良いのだろうか。
 しばらく視線を巡らせていると、私の前にロンドールさんが来る。
「望美様、町やお城の中を案内しましょう」
「えっと、じゃあ、お願いします」
 お城も町も、分からないことばかりだから、案内してくれるのはやっぱり嬉しかった。
「望美、明日も楽しみにしている」
「は、はいっ!」
 ウィル様に頭を下げて、私はロンドールさんと部屋を出た。

 四つん這いになって歩くロンドールさんは、やっぱり少し大きくて、私の太ももくらいまであった。後ろ足で立った時は、私の胸元くらいまであるし、猫というよりも、虎とかに近い気がする。
 ウィル様も黒い耳生えていたけれど、あれは黒猫だろうか。それとも黒豹だろうか。

 ロンドールさんについて行って、私は昨日目が覚めた町にやって来た。
 いるのは動物ばかりだけれど、言葉を話すし、売買しているし、姿が違うだけであまり人との違いはないように思える。
 今日簡単に見てまわって、日本との違いを見つけよう。それで明日は、正座や着物、他のことも話せたらいいな。
「望美様、どちらに行かれますか?」
「うーん、名物とかってありますか?」
「名物ですか。この町で有名なのはパンですね」
 ロンドールさんの案内で、いい匂いのするパン屋さんにやって来た。
 私が知るパンと何も変わらない。パンを売っているのは、大きな犬だった。黄金の毛をしているし、ゴールデンレトリバーだろうか。
 お店の中はおなかの虫をくすぐる匂いが充満していて、口の中に唾液が広がる。
「美味しそうですね」
「食べてみますか?」
「えっ、あ、大丈夫です」
 本当は少し食べてみたかったけれど、遠慮した。
 だって、お金、持ってないから。
 正座を教えるだけで衣食住を保証してもらって、それだけでとても贅沢していると思う。
 ロンドールさんはしばらく私の顔を見つめ、やがて無言でゴールデンレトリバーの方へ歩いて行った。その背中を見送って、私は店内を眺める。
 このパンは小麦で作られているのだろうか。
 動物がパンを作るなんて、不思議。
 ココは西洋風な町並みなだけあって、売っている物も洋風のものが多いのかな。
 この国にないとハッキリしているのは、正座と、着物。他に日本特有の物となると、お茶とかだろうか。
 正座と着物というと、落語とかになるけど、残念ながら落語はあまり詳しくない。寿限無を少し知っているくらいだ。
「望美様。そろそろ参りましょうか」
 後ろから声をかけられて振り返る。
 振り返った先にいたロンドールさんの手には、来た時にはなかった袋があった。
 驚いて声が出ずにいると、ロンドールさんは目を細めて先に歩いていく。私は慌ててそのあとを追った。
 ロンドールさんの案内でいくつかお店を回り、最後に私が目が覚めた場所にやって来る。
 町の広場のような、開けた場所。真ん中に大きな木が一本立っていた。
 私はこの木のそばに倒れていたらしい。
 何か手がかりはないかと木のそばを見て回ったけれど、けっきょく何もなかった。
 日も暮れてきてしまい、私とロンドールさんはお城へと戻った。
 部屋に帰る前に、ロンドールさんから袋を渡された。中に入っていたのは、やっぱりあのお店のパンだった。
 ロンドールさんも、ウィル様も、よそ者の私にとても優しい。
 思いやりの気持ちが胸の中に吹き込んできて、心の奥をそっと撫でていく。
 私は、この優しさに応えたい。
 私にできるのは、日本の文化を、ウィル様の興味を引くことを教えることだけ。それが、ここで出来る最大限の恩返し。
 お夕食の前だったけれど、ロンドールさんからもらったパンを、私は一口だけかじった。


 次の日も、私はウィル様と正座をしていた。
 ウィル様は本格的に、正座を王族の座り方として取り入れたいらしい。
 凛とした様が、ウィル様はとても気に入ったようだ。
「足を痺れにくくするには、かかとを開くのがいいですよ」
「こうか?」
「はい。後は前後左右に、少しずつ重心を移動させると、一点に体重がかからないので痺れにくいです」
 ウィル様は私の言った通り、少しずつ重心を移動させているようだった。
 正座して向き合ったまま、私はそのほかの日本の文化について教えていく。着物の形や、緑茶の味、和菓子など。後はここにはない電話とかテレビとか、家電用品。
 楽しそうに笑みを携えながら聞いていたウィル様は、相槌を止めてふと私を見つめた。
「それは、望美が言っていたニホンとやらの文化か?」
「はい」
「そうか。望美の言うニホンは、良いところなのだな」
 ウィル様は鋭い瞳を優しく細めてそう言った。
「そう思いますか?」
「ああ。面白い文化だ。正座も着物も、俺は気に入った」
 誰かにそう言ってもらえると、とても誇らしい気持ちになる。
 今はあまり正座をする人はいないけれど、大切にしたい文化だ。
「私も、日本の文化は好きです」
 和の心って、とても癒されるというか、落ち着く。穏やかな時が流れているかのような優雅さと、凛とした強さを併せ持つ姿は、とても美しい。
 もっと多くの人がそれに気づけばいいのにと、そう思うことも少なくない。
「ニホンは、どこにある?」
 ウィル様の言葉に、何も言えなくなって、私は曖昧に微笑んで誤魔化した。
 どこに……どこにあるんだろう。
 私はいつか、帰れるのだろうか。
 ウィル様は私を見つめた後、ゆっくりと腰を浮かせて美しい動作で立ち上がった。
 一連の動きから目をそらせないほど、綺麗だった。
「今日はあまり痺れなかったな」
 ウィル様は軽く足を動かし、満足気にそう言った。
 そしてまだ正座をしたままの私の頭に、優しく手を置く。
「また気晴らしに町にでも行くといい」
「え……」
「この国も、なかなか良いものだ」
 ウィル様はそれだけ言って、部屋を出て行ってしまった。
 残された私は、しばらくどうするか考えた。
 だけど、結局やることもないので、ウィル様の言う通り町に行くことにした。

 昨日ロンドールさんと一緒に見て回った町を、今日は一人で見ていく。町は笑い声で溢れていて、ただ眺めているだけで心が躍るようだ。
 この国も、とても良い所だ。
 それ分かっているけれど、どうしても、日本が恋しくなってしまう。
 日本の文化の話をしているからだろうか。
 しばらく町を見て回り、私はまた、私が倒れていたという広場にやって来た。
 大きな木の根元の側まで歩き、そのまま首をそらして木のてっぺんを見つめる。
 とても大きな立派な木だった。
 日本の御神木とかに似ている。
 緑の葉の隙間から、キラキラとした光が降り注いで私の体を照らす。
 ゆっくりと目を閉じ、大きく深呼吸をしたその時――
「んみゃ〜ん」
 耳に、小さな声が届いた。
 驚いて目を開けると、そこには、ロンドールさん達、この国の動物たちよりもひと回り小さい黒猫がいた。
「あ、れ。もしかして、この間の?」
 そんなはずないと思いつつ声をかけると、黒猫はまた鳴いて、そのまま木に飛びついて登り始めた。
「えっ! だ、ダメだよ、危ないよ!」
 捕まえようと手を伸ばしたけれど、それはスルリと避けられてしまう。
 猫は持ち前の身軽さで、いともたやすく木を登り、高い場所にある枝の上を危なっかしくも歩いていく。
 ハラハラしながら見守っていれば、黒猫は枝の先で止まり、そのままうずくまるように歩みを止めた。
「どうしたの?」
「んみゃーん」
 助けを求めるような声だった。耳も尻尾も力なく垂れていて、怯えているようだった。
「降りられなくなっちゃったの?」
「んみゃ〜ん」
 少しだけ迷って、私は木に手を伸ばした。
 あの日と、同じだった。
 もしかしたらっていう希望があった。
 木はゴツゴツしていて足がかりがある。それに手と足を引っ掛けて、慎重に登っていく。
「すぐ助けてあげるからね」
「んみゃーん」
 この猫、やっぱり話せないみたい。さっきから返ってくるのは猫の鳴き声。ウィル様の国の動物とは違う。
 無事に木を登りきり、黒猫のいる枝に手を伸ばす。
「おいで。こっちだよ」
 声をかけ、太い枝だから大丈夫だろうと、少しずつ体を移動させて前に進んでいく。そして手が黒猫の体に触れた。
 動かずに私を見つめている黒猫をひょいと抱き上げ、腕の中に収めた。
「良かった。今度は助けられた。今戻るから、動かないでね」
 再び動き出そうとした瞬間、足が滑った。体の重心が傾き、そのまま浮遊感に襲われる。硬い地面を思い出して身がすくみあがる。
 せめて黒猫は助けようと、強く抱きしめ、固く目を閉じた。
 叩きつけるような衝撃は、襲って来なかった。
 ただ、視界が徐々に真っ暗に染まっていった。


 顔をザラザラとした物が這っていってる気がして、意識が浮上していく。
 目を開けたら、辺りは真っ暗だった。
「あれ、私……」
 スッキリしない頭のまま、体を起こす。
 暗くてよく見えないけれど、手を伸ばすと硬い木に触れた。
 私は木の根元に倒れていたらしい。
「みゃ〜ん」
 すぐ側から声が聞こえた。そしてふわふわとした体が、私の手に押し付けられる。
 そこにいたのは、あの黒猫だった。
「良かった。無事だったんだね」
「んみゃーん」
「ココは、どこだろう」
 軽く辺りを見回して、人気が全くないことに体が少し震えた。
 ポケットに手を伸ばして、携帯を手にする。画面を見つめ、表示されていたのが、あの日……私が黒猫を助けた日と全く同じことに驚いた。
 携帯は圏外ではなく、電波が三本立っている。
「ここ、日本?」
 思わず隣にいた黒猫に問いかけた。猫は不思議そうに丸い目で見つめてきて、再び可愛い声で鳴く。
「黒い猫……耳がウィル様に似てる」
 全身よどみのない黒。耳に手を伸ばすと、黒猫は嫌がりもせずにおとなしく撫でられていた。
 しばらく艶やかな毛並みを堪能して、立ち上がる。私が寝ていた側に、竹刀や鞄が置いてあった。
 どうやら私は、本当に戻ってきたようだった。
 お別れ、言えなかった。
 あれだけお世話になったのに。
 ウィル様やロンドールさん、探してないといいな。
 荷物を手に持ち、私のそばでジッとしていた黒猫に手を伸ばす。
「おいで。お母さんとお父さんにお願いしてみる。うちの子になろう?」
「んみゃ〜ん」
 体を擦り付けてきて黒猫を抱き上げ、私は家までの道をのんびりと歩いた。
 もしかしたら、ウィル様たちとの事は、夢だったのかもしれない。
 でも私が覚えている限り、それは現実と一緒だ。
 ウィル様たちと過ごした時間はとても短いものだったけれど、あの日々を私は忘れない。
 与えられた優しさ。誰かを思う気持ち。
 そして、凛とした立ち振る舞い。
 ウィル様が素敵だと言った正座や、着物、日本の文化を、私はこれからも大切にしていく。
「お家帰ったら、ごはんあげるね」
「んみゃ〜ん」


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