[26]ニッポンジンと正座


タイトル:ニッポンジンと正座
分類:電子書籍
発売日:2017/10/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:44
定価:200円+税

著者:久木わこ
イラスト:時雨エイプリル

内容
空き部屋だった彩斗の隣室には外国人が引っ越してきた。どうやら日本通のその人。大袈裟なまでに正座を褒められ、彩斗は困惑させられていた。ところがお隣さんの正座に対するあまりの熱意に、彩斗の中にも少しずつ変化が生じはじめ……。
外国人から見た正座の良さとはなんなのか。正座文化の精神を、外国人が語り出す。

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本文

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 安い家賃の割には条件が良い。駅からは少し離れているが、大学との行き来をするためには便利な場所にあった。
 俺がこのアパートに住み始めたのは今から一年前のことだ。大学に進学するのと同時に実家を離れ、知り合いのいない土地へと一人でやって来た。生活はある程度順調にいっている。大学の講義にもすっかり慣れた。朝に出ていき夜になると帰ってくるこの部屋が、今では俺の寛げる住処となっている。
 二階の真ん中にある部屋。そこが俺の住んでいる場所だ。この三階建てアパートは、一つの階に三つの部屋が入っている。最大でも九つの世帯のみの入居者数だから、他の住人の顔はある程度なら把握できていた。
 右隣の部屋の住人は若い男だ。朝出かける時にしばしば擦れ違うが、いつもスーツを着ているから会社員なのだろう。左隣は空き部屋で、半年ほど前から現在に渡って誰も住んでいない。
 今日の朝までうちの隣室に変化はなかった。けれど午後の七時ごろになって家に戻ってみると、一番左の部屋の前に見たことのない男がいる事に気が付いた。
 階段を上りきり、二階の廊下に出たところだった。いつもなら誰も出入りをしない部屋の前にその男は立ち、扉の鍵を開けようとしている。俺も自分の部屋を目指して歩きながら、その人の後ろ姿をちらりと見やった。少しクセのある、こげ茶色の髪が目についた。
 自分の部屋のもう一歩手前の所に俺が行きついたのと、鍵を開けた男がこちらに顔を向けてきたのはほぼ同時くらいだった。その瞬間、バチリと目が合う。男の手はドアノブから離れた。俺がいる位置からその男が立つ場所までの距離は、おおよそで一メートル程度だ。

「コンバンハ」

 先に声をかけてきたのはその男。ほんの少し、言葉の調子に少しだけ、ぎこちない拙さのようなものを感じ取った。生まれた時から日本にいる人の話し方ではないだろう。その人の顔は日本人よりも彫りが深く、健康的な褐色の肌をしている。
 やや片言の挨拶を聞き、俺も反射的に口を開いていた。目線は男に向けたまま、俺もぺこりと頭を下げた。

「どうも」

 挨拶ともいえない簡易的な言葉だ。しかし男は人好きされそうな顔でにこっと笑みを浮かべ、なぜか体ごとこちらに向き直ってきた。折角鍵を開けた自分の部屋に入る様子はない。にこにことフレンドリーに話しかけてくる。

「ヒッコシ、してきました」
「はい?」
「ンンー。引っ越し、です」
「ああ……。どうも」
「ドウモ!」

 元気の良い男はそう言うと、一歩こちらに足を進めてスッと右手を差し出してきた。近い距離で求められた握手に少しだけ動揺する。右手に持っていた荷物を左手に持ち替え、おずおずとしつつも俺も同様に手を差し出した。
 その直後、躊躇うことなくガシッと握られたこの手。力強く握手をされた。にこやかな男に圧倒されながら、見上げる顔は俺よりも頭一つ分ほど高い位置にある。少しして離された俺の手は、握手の形を取ったまま固まっていた。

「ワタシはリエトといいます。お隣のヨシミですねえ。よろしくドウゾ」
「あ……はい。よろしくお願いします」
「ふふっ。スバラシイ!」

 何が素晴らしかったのだろうか。微笑まれた理由が分からず唖然となるも、おそらく外国の方であろうリエトさんは再び俺の手を取った。
 今度は両手だ。両手で俺の右手をガッチリと握り締めてくる。そのままぶんぶんと上下に振られ、目をぱちくりしながらリエトさんを見上げた。

「お隣サン、おなまえは何サン?」
「え、あ……藤波です」
「フジナミサン?」

 首を傾げて俺を見てくる。それで察した。この人がさっき名乗ってくれたリエトと言うのは、たぶん苗字ではないのだろうと。その視線に耐えきれず、俺はもう一度口を開いた。

「……彩斗です」
「おお、アヤトサンッ。ワタシとおなまえ似てますねえ」

 最後だけだ。トしか似ていない。あとは三文字なところ。
 ははっとぎこちなく笑って返すと、しっかり握りしめられていた右手がようやく解かれた。解放された腕を引っ込め、切り上げようと軽く会釈する。「では」とか「じゃあまた」とか、そういった適当な短い挨拶をして俺は自分の部屋に入るはずだった。
 しかしそれよりも先に動いたのはまたもやこの人。今度は俺の肩にがしっと右手を置いてきた。力強い。少し驚いてリエトさんの顔を見上げる。

「これから晩ゴハンです。ご一緒にイカガ?」
「えっ?」

 それは予想外の問いかけだった。出会って数分の人からはあまり言われた事がない。
 しかしリエトさんは明るく俺を夕食に誘うと、その次には自分の部屋のドアを開いていた。そのまま開くところまでドアを開け放ち、ちょいちょいとこちらに向けて手招きしてくる。

「ドウゾドウゾ。いらっしゃいませー」
「いや、あの……」
「イヤ?」
「あっ、いえいえ。そうではなく……」

 どう対応すればいいのかがさっぱり分からない。あちこちに視線をさまよわせて困り果てていれば、リエトさんは手招きしながらにっこりと笑った。

「オイデヤス」
「……えっと、それは……京都ですね」
「キョート。なるほど」

 何を納得したのか俺には分からないが、リエトさんはうんうんと深く頷いた。


 そして結局は初対面の外国人の家にお邪魔することになった。いつの間にか腕を取られ、半ば強引に引き込まれた部屋の中は当然うちと同じ間取りだ。
 さすがに引っ越してきたばかりとあって、室内を占めている割合は段ボールが多い。まだ未開封と思われるいくつかの段ボールが壁際に寄せられていた。部屋の中央にはラグが敷いてあり、その上には背の低い丸テーブルが置かれている。
 あり得ない急展開に頭はほとんど付いていけていない。しかしドウゾドウゾとテーブルの前を勧められてしまえば突っ立っている訳にもいかないだろう。ぎこちない会釈と共に足を進め、ラグの上で腰を下ろした。
 俺はなぜ見知らぬ外人さんの部屋にいるのか。なぜ初対面の人が作る夕食にあやかろうとしているのか。滅多に遭遇することのない状況に緊張感は隠せず、正した姿勢もガチガチに固まる寸前だった。ところが畏まって座る俺を見下ろしながら、リエトさんの顔つきは徐々に真面目なものになっていく。困惑する俺をじっと見つめ、一切目を離すこともないままに声をかけてきた。

「アヤトサン」
「え、あ、は、はい……?」
「アナタはスバラシイ」
「はい?」

 何事かを突然褒められ、リエトさんは俺の前で床に両膝をついた。状況が掴めずにいる中でこの手がスッと持ち上げられ、先ほどの握手のようにギュッと握り込まれることになった。
 一体何が起こっているのかが本当に分からない。突然の行動にぎょっとしつつも、真剣な眼差しから逃れることはできなかった。せめて力強く握りしめられる手をそっと引こうとしたが、リエトさんが離してくれる様子はない。俺の口からはハハッと、どうとも言えない乾いた笑い声が漏れていった。

「あの……」
「正座、おスキですか?」
「は?」
「正座です。アヤトサン、アナタいま正座してますよ」
「あ……はあ……。そうですね」

 自分の足元にちらっと目をやり、膝から下を折り曲げて座るこの格好を眺め落とした。何も変わった事などない。日本で生まれて日本で育った俺にとってはいつもと変わりのない姿勢だ。周りに椅子がなければ大抵はこうやって座っている。
 けれどリエトさんは何が面白いのか、俺の正座姿を間近からじっくりと観察していた。手は未だに握り締められたままだ。俺の座り方を観察するその目は心なしかキラキラしている。

「あー……正座、珍しいですか?」

 正座が好きかと聞いてくるくらいだから、よっぽどこの座り方に興味があるのだろう。そう思って問いかけると、リエトさんは深々と頷いた。

「とてもメズラシイ。あと、スバラシイです。日本のキチョウな文化です。ワタシのオバアサンがよくやっていました」
「おばあさん?」
「ワタシのオカアサンのオカアサンですねえ。日本で生まれました。ニッポンジンですよ」

 おばあさんが日本人であると聞き、正座に対する眼差しに情熱を込めるのもほんの少し納得ができた。リエトさんはおばあさんの正座姿を見て育ってきたのだろう。

「ニッポンジンでも、正座をする人あまりいません。オシリを床につけて座りますねえ」
「ああ、まあ……確かに」

 目の前に椅子があるなら誰でも椅子に座るだろう。椅子がない所で座る場合に、正座をしようと自発的に思える人は確かに少ない。
 おばあさんが日本人で、なおかつ正座に興味のある外国の人なら、いざ日本に来てみたところで正座をしている人間がいなかった事にショックを受けたのかもしれない。ここまで極端に正座に関心を持つ人も珍しいが、リエトさんにとってはとても重要なことのようだった。

「アヤトサン。日本のこと、オハナシしましょう。オソバ食べながら」
「お、おそば?」
「オソバです。ニハチ、ですよ。今日の夕方にカッテきました」

 にっこりと笑顔で言われた。買ってきた二八蕎麦をご馳走してくれるらしい。蕎麦粉八割、小麦粉二割の一般的な蕎麦だ。
 リエトさんはそこでようやく俺の手を離し、立ち上がるとすぐキッチンに向かって歩いて行った。調理台の上に置いてあったビニール袋の中身をガサゴソと探り、取り出した物を掲げて俺に見せてくる。

「オソバ、です。コレ。作るからマッテテ」

 大抵はどこのスーパーでも売られているような乾麺だ。袋の中からは次々と麺つゆやら何やらが出てくる。そうして最後に取りだされたのは、薄緑色の箱に入った小さな何か。

「ワサビ、ですよ。ゴリヨウですか?」
「あ……ハイ」
「ワタシもゴリヨウします。日本のワサビ、すてきです。ダイスキ」

 隣に越してきた外国人は日本通のようだった。


 ほとんど不可抗力であったとは言え、人の家の夕食にお邪魔しておきながらただ寛いでいる訳にもいかない。最初は正座のままそわそわしていたが、キッチンから外国語の陽気な歌が聞こえてきた辺りで腰を上げた。
 リエトさんが蕎麦を茹でている間、俺はその隣でネギを切っていた。リエトさんが茹で上がった蕎麦を水に晒している間、俺は麺つゆを用意していた。二人で調理をしている間、リエトさんはずっとオペラ調の歌を歌っていた。
 出来上がったザル蕎麦を丸テーブルの上へと持っていき、俺が腰を下ろそうとすればリエトさんの視線が刺さってくる。向けられるのは非常にわくわくとした期待の眼差しだ。ドウゾドウゾと楽しそうに言いながら、早く座るようにと勧められた。
 ここで敢えて期待を裏切るような真似をするのもどうかと思う。そのためやむを得ず、リエトさんが待ち望んでいる正座を目の前でやって見せた。

「スバラシイ……!」

 そして感激された。パチパチと拍手までされては居たたまれない。
 引きつった笑顔を浮かべ、ぎこちない会釈をして返した。たかが正座をしただけで、ここまで褒められたのは生まれて初めてだ。

 二人で用意した蕎麦は、市販とは言えなかなか美味かった。にこやかな笑顔を絶やさないリエトさんは、正しい持ち方で箸を使いながら満足そうに蕎麦を食べ進めている。その時の座り方はもちろん正座だ。外国人だと正座ができない人もいると聞いた事があるが、リエトさんの場合は火の打ち所のない完璧な正座だった。
 詳しく聞いてみるとリエトさんの母方のおばあさんは日本生まれの日本人だそうで、イタリア人のご主人と出会ったことにより母国を離れて生活することを決意したらしい。そのためリエトさんのお母さんはイタリア人と日本人のハーフだ。ハーフである母とイタリア人の父との間に生まれたリエトさんは、四分の一だけ日本人の血が混じっているクォーターということになる。
 リエトさんが日本に来たのは一年前の事らしい。憧れだけでこの国を訪れ、最初はいくつかアルバイトをして生活していたそうだ。しかしこの人懐っこい明るさがあれば、仲良くなれる日本人も少なくはなかったのだろう。日本で友達になった人の伝手によって新しい働き先を紹介してもらい、職場の方面が変わるのを機にこのアパートへと引っ越してきたらしい。現在は駅前の外国語スクールでイタリア語の講師をしているそうだ。
 一年前に日本に来るまでは、ずっと生まれた地であるイタリアで過ごしてきた。リエトさんはそう言ったが、イタリア人が必ずしも陽気であるとは限らない。ムスッとしている人もいるだろう。内向的な人もいるだろう。人付き合いが嫌いな人だってもしかするといるかもしれない。明るくて開放的で警戒心のないリエトさんの性格は、紛れもなく本人の気質によるところだった。
 初対面の俺を夕食に誘ったリエトさんは、自分の事をなんでもかんでも隠すことなく話してくれた。家族の話もそのうちの一つだ。家族の話をするリエトさんは楽しそうで、その表情からはおばあさんのことが大好きなのだろうと察する事ができた。

「ワタシのオバアサン、正座のスバラシサを教えてくれました。ニッポンジンの心ですねえ。とてもウツクシイ」
「美しい……ですか?」
「ハイ。ウツクシイです。あと、ツツマシイ?」
「慎ましい……」
「合ってる?」
「ああ、はい。慎ましいの使い方は」

 日本語の使い方に誤りが無い事を伝えると嬉しそうに微笑まれた。いくらか片言ではあるが、日本語の基礎はとてもしっかりしている。日本語をリエトさんに教えてくれたのもまたおばあさんだったそうだ。
 イタリアで生活していた時、正座をする機会などほとんどなかったとリエトさんは言った。そのリエトさんの目から見た日本の正座は美しく、そして慎ましいものであるらしい。慎ましいとは控えめな動作や、あるいは謙虚な姿勢などを指して使う言葉だろう。国が違うと価値観が異なるのか、それともリエトさんの正座に対する評価が極めて高いだけなのか。正座を素晴らしいなどと言う人とは初めて出会ったから、どちらかと言うと困惑気味な感情の方が先に立つ。
 リエトさんの正座姿は、日本人のおばあさんに教えてもらっただけあってきちんとしていた。リエトさんの言う通り、最近では日本人でも正座をする人が少なくなっている。イタリアで生まれ育ったリエトさんの方がよっぽど様になっているだろう。ピンと背筋を伸ばして行儀よく正座をする姿は、正座を褒め称えるだけあって非常に模範的だった。

「セスジを伸ばして、マエを見てますねえ。いつオキャクサン来ても、すぐにオムカエできますよ」

 そう言ってリエトさんは両手を前につき、頭を下げる様子を俺の前で披露した。握手ほどのフレンドリーな行為ではなく、立ってするお辞儀よりも更に腰が低い。
 正座をして相手を出迎える姿は、目の前にいる客人を丁重にもてなすための心構えだ。迎える側と訪れた側との間にある、決して交わる事のない一線は規律を表すものだろう。堅苦しくも丁寧な様子は損なわれず、頭を下げるというたった一つの動作によって相手に対する敬意が示される。
 数秒ほどそうした後に、リエトさんはゆっくりと頭を上げた。姿勢をまっすぐに伸ばしながら、俺に向けてくる表情は晴れ晴れとして穏やかだ。

「とてもウツクシイです。オキャクサン、イヤな気持ちしませんねえ。カンゲイされていること、みんな分かります」

 それは日本人による礼儀の示し方なのだろう。畏まって客人を出迎えるための座り方。相手を見下すことなく、自らの頭を床の近くまで下げる慎ましい動作だ。
 おばあさんの教えは、リエトさんにとっての大切なものなのだと分かった。正座というものそれ自体に愛着を持っているのが伝わってくる。日本人でありながら、俺は正座の良さなど理解しようともしていなかった。純粋な笑顔を目の前にしては何も言えなくなり、俺が黙っているとリエトさんが再び口を開いた。

「アヤトサンは、なぜ正座をしていますか?」
「え……?」
「アヤトサンは、ツツマシイ人ですか?」
「えっ、いえそんな……滅相もない」
「メッソウモナイ?」
「あー……。俺は別に、慎ましい人じゃないです」
「そう?」

 俺に正座の極意など分からない。慎ましさも持ち合わせていない。けれどこうも熱心に見つめられては、自分が正座をする理由を考えなくてはならなくなってくる。
 俺が正座をする理由とは何か。それはおそらく、母親を見て育ったからだ。うちの母さんは基本的に、座るときには正座の姿勢を取る。だからと言って息子に正座を強制してくることはなかったが、俺はいつしか勝手に母さんの真似をするようになっていた。実家のリビングには背の高いテーブルがなく、正座をしやすい環境だったことも理由の一つなのだろう。
 それともう一つ、いつも正座をしていたうちの母さんは書道の先生でもあった。週に一回、自宅の和室を使って子供達に書道を教えていた。俺も小学生の時には他の生徒に交ざって教わったものだ。用意された長テーブルの前で子供達は筆を持ち、みんな一様に正座をしながら、真剣な顔で字を書いていた。決められた一時間のうちで、真っ白な半紙の上に綺麗な文字を書かなければならない。正座が辛いなどと思う余裕もなかっただろう。
 なぜ正座をするのかなんて、このまま生きていれば絶対に考えもしなかった。正座を習慣とする母親が側にいた。その母親が書道の先生をしていた。ただそれだけの理由だ。しかしリエトさんは興味深そうに俺を見ているから、どう説明しようかと頭の中で言葉を探った。

「その……俺の母親が書道の先生をしていまして……」
「ショドウッ。ステキです!」

 俺が書道と言っただけで日本通のリエトさんには即座に伝わったようだった。俺の正座を褒めた時と同じくらい、目をキラキラさせている。

「ニッポンジンは、本当にウツクシイ。他の国にナイモノたくさん持っています。ショドウは、正座でやりますか?」
「あ、はい。うちの教室では正座ですね」
「アヤトサンのオカアサンも、スバラシイですねえ」

 親子ともども正座をしていたおかげで褒められた。にこにこと楽しそうな笑顔でここまで言われると、本当に正座が素晴らしいもののように思えてくる。
 考え方によっては、正座は礼の道に通ずるためのものなのだろう。発祥も、その意味も、正座に関してはいくつかの見解に分かれる場合がある。しかしその中でも共通するのは、正座とは日本人が積み上げてきた大切な文化の一つであり、礼儀の心を重んじる気持ちの表れであるという事だ。
 書道のように、道と名のつくものには必ずと言っていいほど正座がついてくる。正座をしてその道を見据えるための、背筋が伸びるような心構えだ。客人などの敬いたい相手がいるときにも、深く頭を下げるためには正座が最も適している。リエトさんが言うように、そこには日本人の美しい精神と、慎ましく謙虚な気持ちが込められているのだろう。
 日本人として生まれ、日本に身を置いているからこそ気付けない。リエトさんの言葉によって、ようやく少しだけ理解できた気がした。どうして正しく座るという字をあてたのか。正座という字に正しいという文字が使われている事に見向きもしなかった。何に対しても正しく真っ直ぐに、慎ましやかに向き合うためだ。
 俺は慎ましい訳でもなく、謙虚で丁寧な訳でもない。正座の良さに関しては、リエトさんの方がきっと理解できている。正座姿が美しいだなんて、言われてみるまで思いもしなかった。しかし少なくとも今は、日本人として生まれたことを誇らしく思えている。


 そうして話を交えながら蕎麦を食べ終え、後片付けを手伝ってから俺も自分の部屋に戻る事にした。リエトさんも立ち上がり、玄関先まで見送ってくれる。壁一枚を隔てたお隣なのだから何もそこまでしてくれる必要はないが、リエトさんは日本人よりも礼儀正しく、日本人よりも日本人を好いていた。

「それじゃあ、どうも。ごちそうさまでした」
「ドウモッ。タノシカッタです。また、オハナシしましょう。引っ越しソバ、一緒に食べたナカです」

 なるほど。だから蕎麦だったのか。
 今さらになって納得しながら、日本文化に詳しいお隣さんに頷いて返した。そのうち夕食のお礼として、書道セットでも買って持ってこよう。リエトさんならきっと喜ぶ。そんな事を秘かに思った。


「アヤトサン、オハヨウございます」
「あ、どうも。おはようございます」
「ふふっ。ドウモ!」

 翌朝、玄関の前でリエトさんと顔を合わせた。夕べと変わらず陽気な笑顔で、朝だと言うのにとても元気だ。お互い部屋のドアを施錠してから、外に向かって一緒に歩いた。
 昨日はラフな格好をしていたリエトさんだが、今日はビシッとスーツを着ている。背が高く肩幅もあるから、スーツを着て立っているとどこかの雑誌のモデルみたいだ。日本人の多くはリエトさんのような外国人に憧れるのだろう。そんなリエトさんが実は日本に興味津々で、正座に愛着を持っているのだと思うとなぜか俺の鼻が高い。

 日本で生まれ、日本で育った。日本で生まれ育ったから、ずっとこの国で過ごしてきた。ただそれだけの理由で身を置いてきたのであっても、日本のことを褒められれば日本人として誇らしくなる。正座好きのリエトさんに出会ってそのことに気付いた。リエトさんの中にもあるように、俺の中にも立派なニッポンジンの血が流れている。
 厳かに規律ある文化の中で、正座は慎ましく成り立ってきた。誰を見下すこともしない、他者に対する謙虚な姿勢は和の心を表すだろう。その心を褒めてくれる人がいるならば、俺も正座という文化を残していける一人になりたい。美しく慎ましい正座を残していくために、日本人であることを誇りに思って生きていきたい。

「そうだ、リエトさん。書道にも興味あったりしますか?」
「ショドウ、とてもスキです。だけど、やったことないですねえ。キョウミシンシン、ですよ」
「正座できますもんね」
「そう、スバラシイッ。正座しますねえ。昔から日本にあるもの、みんな正座がオニアイ、です」

 美しく慎ましい正座は、美しく慎ましい日本の文化に常に寄り添う。リエトさんと歩きながら、昨日までとは少し異なる自分の気持ちを晴れやかに受け止めた。
 書道セットを買って帰ろう。家に帰ったら、隣のリエトさんを訪ねよう。正座で触れる日本の文化は、とても美しいはずだ。


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