第1回 そもそもどうして日本に正座が広まったのか?

掲載日2014/09/26
著者橋詰 康子
イラスト中理 柴
 突然ですが、あなたは正座にどんな印象を持っていますか?「礼儀正しい」、「気分が引き締まる」というプラスな意見から、「固くるしい」、「足がしびれて嫌だ」というマイナスな意見を持っている人も多々いるでしょう。
 ではそもそもどうして日本人は正座を習慣として身に着けるようになったのか?ご存知の人はあまり多くないのではないのでしょうか。今回は正座と日本人の出会いから定着するまでを、かいつまんでお話ししましょう。
 正座と聞くと、お茶の席を思い浮かべる人が多いですよね。今回はお茶の世界から正座にアプローチしてみましょう。
 正座は、文化史の専門書の中では、「人との対話を大事にする茶人の座法に由来する」という説が見られます。しかし、茶の湯を日本に定着させた千利休(1522-1591)はみなさんご存知だと思いますが、彼の肖像画を見ると、とても現代の我々がいつもしている正座の格好で座ってはいません。脚を広げた正座をしているのか、それとも胡坐をかいているのか、詳しくは見て取れませんが、とてもつつましく正座しているようには見えません。
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 茶の湯の作法が成立したのは16世紀初めごろから江戸時代(1603-1867)の初めごろといわれますが、実際そのころの茶道の正式な座り方は立膝だったようです。
 では、茶道からではないとしたらどこから正座が普及したのでしょうか?
 江戸時代の中頃になってようやく、正座をしている人々を描いたものが出てきます。それ以前では、どんな人も胡坐、立膝などで座っている人が多いようです。しかし、そのころまで全く正座がなかった、というわけではないようですが、実はこのころは今我われが想像する着物とは違って、身幅が広がった着物だったので、座っている絵を見ても、着物の中でどんな形で座っているかいまいちわかりません。
 しかしその後、大きく飛んで幕末になると、女性が正座している絵が多くみられるようになります。男性は様々な座り方をしているようですが、女性は家の中では正座を一般的にしていたようです。しかも、苦痛の色を見せずに、本当に日常の中で自然に正座をしていたようです。その姿はむしろ寛いでいるようにも見えます。
whatisseiza_1_s2 whatisseiza_1_s3 whatisseiza_1_s4  そうしてみると、江戸時代の終わりには、女性の中では正座が生活の中に溶け込んでいたと考えられます。しかしどの程度普及していたのかはわかってなく、「そういう人もいたし、そうでない人もいた」と考えるほうがいいかもしれません。
 ここで、江戸時代に決定的に正座の普及を促したものがあったようです。そもそも平安時代(794-1185)からきわめて珍しいとされていた正座が、江戸時代初めを過ぎると、どうして普及していったのか。答えは徳川幕府にありました。
 戦乱がおさまり諸大名を厳密に統括するに至って、徳川幕府は座り方や立ち振る舞いまで作法を厳しくしました。特に正月のときの、将軍のお目にかかるときの座り方が、二代将軍秀忠(1579-1632)の時には正座とされているなど、座り方に変化が起きているのです。
 さらにこの時代に、「正座」を徳川幕府から庶民にも普及していったことは間違いないでしょう。しかしこの頃はまだやはり武士たちのかしこまった座り方としてしかされてなかったようです。
 ではもう少し江戸時代の先を見てみましょう。江戸時代の寛永年間(1624-1644)に、幕府は反物の寸法を改定する禁令を出しています。これが、実は当時の女性たちに正座が普及していった元となったのです。
 この禁令によって、着物の身幅は急に狭くなっていきました。これにより、女性の着物の着こなしや立ち振る舞いも変わっていきました。身幅が狭くなることで、あぐらもかけない、大股でも歩けないとなった女性たちの中で、美意識が変化していったようです。そうして女性たちが足をちゃんと閉じて座ることになったのですが、これも、もしかしたら徳川幕府がそれを見込んで禁令を出したのではないかとされています。
whatisseiza_1_s5 whatisseiza_1_s6  そうして正座は普及していったようですが、今のように、「正座は伝統的作法だから、ちゃんとした場では、足を崩さず正座をしなさい」という風習はまだなかったようです。これは、明治時代(1868-1912)の話になってきます。
 明治時代になると、学制が発布され、教育制度が改められました。その中に、「礼法」があります。当時小笠原弓馬術礼法の当主が、教育の必要性を東京府に申し立てたことで、府内の小学校で小笠原流の礼法教育が行われるようになりました。今とは違って当時の子供たちにとって、教育とは日常生活の基礎を学ぶことだったのです。そこで立ち方、座り方などの動作の所作を教わることになりました。ここで、子供たちに立ち姿勢から正座までの所作が浸透していくことになったのです。
 その後小笠原流は厳しく批判され、新しい教育方針が生まれ、明治時代に浸透していくのですが、その中でも正座がただ一つの礼法で教わる座り方だったようです。そうして、礼を尽くすときには正座をするという今の風習につながっていくのですが、当時はまだ「正座」という言葉自体は普及していなかったようで、それが定着するのは、大正時代(1912-1926)になってからでした。大正時代に入ると、正座以外の座り方も書いた教科書が普及したことから、「正座」という言葉が確立したそうです。
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 いかがでしたか?「意外と正座って歴史が深くないんだ。」と思った方が多いかもしれません。こうしてみると、確かにそうかもしれませんが、少しづつ段取りを踏んで今の正座が生まれたことを見ると、堅苦しい正座というものは、最初からあったわけではないことがわかります。そう考えると、「正座も成長しているんだ」、と、少し親近感がわきませんか?私は少しわきました(笑)もしかしたら、これからも正座は進化していくかもしれませんね。


参考文献
矢田部英正(2011)『日本人の坐り方』集英社.

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