掲載日:2014/01/20

正座ができる人

第3回 足の長い我が子を望む

著者あすら

私の生まれ育った家は、和室ばかりの家で基本的に椅子に座る習慣はほとんどなかった。床に座るときの姿勢は当然「正座」で、父から「背筋を伸ばして座れ」とよく注意されたものだ。

そんな「正座」が当然だと思っていた幼少期にショックな出来事があった。ある日、母が姉の友達の母親に挨拶に家に行くと聞き、私が母についていったときのことである。私の家から歩いて5分くらいのところにあるその家は、庭にブランコがついていて、白い無機質な家だった。当時としては最先端のモダンな家だったと思う。幼い私は、「こんな家があるものか」と夢の中にいるような心地でお邪魔したものだった。ふかふかのじゅうたん。2階まで吹き抜けてある広い天井のリビング。まさに美術館のような空間だった。リビングに椅子はない。ただ、リビングの床が階段状に掘り下げてあるので、階段が椅子替わりになるという洒落た仕組みだ。 canseiza_3_s1

「どうぞ座って」姉の友達の母親に言われて、椅子なのか階段なのかよく分からない場所に座った感触や光景を今でも鮮明に思い出せる。母が相手の母親としゃべっている間、私はきょろきょろと周りを見渡していた。「うちの子には正座はさせないのよ」たわいない会話の合間に、相手の母親がそう言っているのが聞こえた。「だって正座って足が短くなるって聞くわよ。うちの子には少しでも足が長くなってほしいから」“よそ様のおうちにいったら正座しなさい”と教わっている私にとって、それは目が点の発言だった。思わず自分の母親の顔を見上げた記憶がある。聞くと、姉の友達は“新体操”をするお嬢様。華麗にボールやフープを操り、長い手足が美しいスポーツだ。おまけに姉の友達は、顔もいい。大きな目、すらっと伸びた鼻、細い顎。幼い私でも、この世には“美しいもの”と“そうでないもの”があるのは理解していた。 canseiza_3_s2

姉のお友達の家をあとにした帰り道、母がつぶやいた。「うちも正座やめようか」「えっ?!」

思えば、あの日以来、和室ばかりだった我が家には椅子が増えて、母に正座を強要させられる機会が減ったように思う。姿勢についてうるさいのは“父”という印象があるのはそのせいだろうか。当時は「正座=足が短くなる」が信じられていて、「子供に正座をさせる=足が長くならない=子供の将来のコンプレックスになる=かわいそうな育て方」という認識が少なからず母たち、ママ世代の価値観には植えつけられていたと思う。正座が悪とみなされて、生活スタイルも欧米スタイルが求められてきた。

でも、現代になって、がむしゃらに欧米化を目指していた我々日本人の生活を振り返ってみると、そこには「日本ならではの美しい文化」はすでに見えない。井草の香る青い畳の間。着物を着て、美しい姿勢をたもち続ける正座。これからは、もう少し「正座」を日常に呼び戻す世の中であってほしいと密かに思う。