日本正座協会


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第13話 健全な姿勢は、健全な肉体に宿る!?


執筆者:そうな


 ―正座はしたいが、痛いのは嫌だー
そんな事を考えながら、私は風呂に浸かっていた。
長時間していられる人と、すぐに痺れてしまう人に、痺れの差がある事を考えてみる。
血液の循環や、神経の圧迫などで痺れるのだろうが、それはみんな大差無いだろう。

もっと根本的に考えてみる。
同じ人間であれば、身体のつくりは大体一緒のはず。
だとすれば、脳の認識の仕方が違うのか!?
いや、痺れも本来身体が教えてくれるサインであるはずだから、それは命の危険に関わってしまう。
そう考えると、脳の認識も、一般の人だったら大体一緒だという事になる。
でも、ある修行僧なんかは……超越できちゃったりしていたりして。
なんて、それを言い出したらキリがないので、とにかく、普通の人は時間が経てば痺れ、そして足を解くだろう。
しかし、長時間していられる人がいるのも事実だ。

 私は、もどかしさでジタバタした後、「精神統一」とか言いながら、湯船で正座をしてみた。
一人で何をやっているのだろう、楽しそうで何よりです、私。
それというのも、私は幼い頃から湯船で正座をしたり、桶を沈めて椅子代わりにしてみたりとよく遊んでいた。その延長で、今回もただ正座をしていたのだが……。
改めて正座の事を考えながらすると、なんとも不思議だった。
浴槽内では痺れない。
それもそのはず……水中では、水に浸かった分、体重が大幅カットではないか。
その時、全てがなんとな〜く繋がった。
私は、正座の痺れは、脳の認識や血液の流れの悪さ、神経の圧迫だと思っていた。それも原因ではあるだろうが、その前に、一人一人違うものがあった。
そう、体重だ。


 正座をするにあたって、体重は重要だ。
なぜなら、正座においての体重とは、足を圧迫する重さだと思うからだ。
考えてみて欲しい。
座ってしまえば、上半身の重みが一気に足にかかるだろう。
しかも、その膝は折りたたまれているのだ。
ここに力がかかる……血液や神経や骨の事に思いを馳せてみると……なんとも痛々しい事になっているじゃないか。
そうだ、それを長時間おこなっていて痺れないはずがないのだ!
だとすれば、人には言えない数値だろうがなんだろうが、体重が関係していることは明白だ。
うむ。


 さて、私の友人に、ロサンゼルス在住の台湾人男性がいる。
A君と名づけよう。
私は、以前、正座についてA君にこう聞いたことがあった。

私:「外国の人って、正座するのかなぁ。ロスでは、まず正座ってあるの?・・・・・・「seiza」で通じる?」

すると、

A君:「あ、「seiza」は全然通じないんです(笑)普通の外人に聞いたらサッバリわからんはず。でも、俺さ、家でテレビゲームしてる時、なんか自然と正座しちゃうんだよね」

私:「へぇ〜!正座を!誰かに教わったのかな?痺れないの?」

A君:「うん。痺れないね。まぁ、特に誰に教わったってわけでもなく、座りやすい座り方をしたら、これになった」

私:「そうなんだ・・・・・・凄いな・・・・・・むしろ日本人が、テレビゲーム中に正座するって、あんまり聞いたことないかも。いると思うけどさ」

A君:「あ、そうなの?俺もさ、親に「こんな座り方して足痺れない?」って言われて、初めて自分が正座してる事に気づいたんだ。それからテレビゲームする時は、毎回するもんだから「日本人みたい」って言われた。それ聞いて、なるほどって思ったよ。俺、前世は日本人だったかも」


本当、A君はユーモアがあってよろしい人である。


私:「そうそう、「seiza」じゃ通じないって事だったんだけれど、もし、日本の正座を伝えるならなんて言うのかな?」

A君:「日本の伝統的な座り方って言うよ。それから実際見せたり説明したりするとか、そうじゃないと伝わらないんだよね(笑)」

私:「へぇ。そっちでは、正座に代わるようなものはあるの??」

A君:「うむ、ないな・・・・・・。ってか、アメリカン基本座り方拘らないからな」

なるほど、幼い頃からロスに住んでいる彼が言うのだから、そうなのだろう。

私:「なるほどね〜。移民が多いから、日本⇒正座、韓国⇒立て膝、みたいな、国ごとの決まりが無いのかなーって思ったり」

A君:「国ごとの決まり無いかも。ってか、立て膝初耳(笑)」


初耳なのか・・・・・・。
立て膝については、9回目と11回目に記したので、参考までに。


A君:「でも、移民があるからこそ、一部の人間が正座わかるようになってきたと思うよ。 それでも全然浸透してないけど(笑)」

私:「確かに。これからもどんどん移民がきて、色んな文化が混ざり合っていくのかね・・・・・・。アメリカは独特な国だなぁ。いい意味で!
あ、話しが戻るんだけど、日本みたいに《正座というものを教えられ》たり、《正座に対して色んな先入観が無か》ったりしても、正座をしたりするのかな?」

A君:「教えたらやると思うよ、でも続くがどうかはわからないけど、人による、だな」

私:「教えられないで、やってみよう!とか、普段していた姿勢が正座っていうんだ〜、っていうのは、あんまり無いのかな?(笑)あ、それがA君なのか」

A君:「うん、多分、俺以外そんなの居ないんじゃないかな(笑)ってか、外人の友達は俺の座り方見て変だと思ってたぞ」


それは、以下のようだと言う。
場面は、友達とゲームで対戦をしていた時の話しらしい。


友達:「なんでそんな座り方してんの?」

A君:「わからん、習慣だな」

友達:「へぇ、なるほど、それが格闘ゲーム上手くなれるコツだな。俺もこれからやってみよう」

A君:「ちょ、違っ!(笑)」


それでできるなら、正座は大変便利なものである。
まぁ、それくらい向こうでは珍しい座り方なのだろうな。
膝を折る・・・・・・確かに、珍しいやも知れない・・・・・・。


私:「正座便利・・・・・・」

A君:「そういや結跏趺坐っていう、もうちょい普通っぽい座り方あるよね?」

私:「《けっかふざ》!?何それ!?」


調べてみると・・・・・・。
あぁ〜・・・座禅のか!!!
なるほど・・・しかし・・・・・・。

A君:「まー足を組む座り方でね、仏教では足を両腿の上に乗せるみたい」

私:「っていうか、結跏趺坐は仏像がよくやってる!(笑)」

A君:「うむうむ」

私:「全然普通じゃないから(笑)むしろ、ヨガの境地だから(笑)」


しかし、A君は、よく知っているなぁ。それもきっと、分からないことがあると、ネットでもなんでも使って、努力して調べるからであろう。いやはや、努力家だな。


A君:「まーそういうのじゃなくて、普通に足を組む座り方だけどね。そういうのなんていうんだろう?」

私:「それは胡坐っぽくない?」

A君:「あぁ、胡坐っていうのか、なるほど。あれがね、外人の友達はあれでも足痺れるんだ。外人だらしねぇっす(笑)」


それは初耳だー。
やっぱり、足の長さとか、関係あるのだろうか。
これは、後々調べてみる価値がありそうだ。

さて、痺れないという彼について、恐れ多くも体重の話しを切り出してみた。


A君:「あぁ、それはあるかも。俺は痩せてる方だから、正座をしていてもそんなに抵抗は無いよ。膝に体重がかかってるとは、そんなに思わないからね。床がカーペットな事もあるかもしれないけど」


なるほど。太りすぎている人は、まず正座ができないという。
その意味も何となく分かるし、そんな人が無理に正座をしたら、血管が切れてしまうのではないか・・・・・・そんな気もする。
逆に、痩せすぎている人は、骨が出てしまうので痛いのではないか・・・・・・これはこれで逆に座れない気がする。
どちらも、過度がいけないのだろう。
そう考えると、普通の体型でも、より体重の軽い人の方が痺れにくい・疲れにくいのではないだろうか。
余談だが、極端な話し、正座をしてみて太っているのか痩せているのかが測れるような気がしてきた。いや、本当に極端だが。


話しは、雑談に戻る。


私:「それにしても、床に座ってやってるんだね」

A君:「うん、ソファに座ってても、集中すると床に正座するクセがついた」


そう言って、A君は笑う。
へぇ。やっぱり正座効果は、世界共通なのか???
と、これだけじゃ測れないな。
そんな仮定は、今はしまっておこう。
これはまた別の話しだ・・・・・・。


 こんなユーモアたっぷりのA君は、ジャパニメーションからイラストレーターを志し始めた、夢をしっかりと持って日々鍛錬している努力家である。
今では、日本語も殆どマスターし、日本文化にまで興味を持ってくれている。
ちなみに、そんな彼は今、ロスで外食をする時は、日本食レストランで「味噌汁」や「寿司」を食べたりするらしい。
たまーに、私が出前の高級感溢れる寿司の写真を送ったりするから、向こうで食べたくなるのだろうか。
なんにせよ、彼は日本食という日本文化を食べて、今日もキラキラしているそうだ。

ちなみに、A君は、中国語・英語・日本語の三つを話せる、《トライリンガル》である。
そんなA君は言う。


A君:「俺の日本語は変かもしれないし、間違っているかもしれないけれど、通じるかどうか話してみたいんだ」


この心意気に脱帽である。

つまり、こうして会話が出来ているのも、彼の素晴らしい語学力のお陰であって、私の語学力では、ギチギチした英会話になっていただろう・・・・・・。
いや、何事も《興味を持ったら飛び込んで学ぶ》という、彼の姿勢を学ぶべきか。
思っていても行動に移せない事が多い世の中、前に進もうとする力をみると励まされる。
つまり、よく教育番組で耳にした「やってみよう!なんでも実験!!」ということか!


 最後に、身の回りの友人、何人かに聞いてみた。
特に、幼い頃と比べて、正座の痺れはどうなったのかを聞いてみたところ、大体の人が大人になってからの正座の方が辛い、と答えた。
やはり、体重との関係もあるように思える。
中でも、三十代の人によると、「昔と比べると、体が固くなったからかな」との事だった。
また、幼い頃からずっと辛いし、胡坐の方がいい、という人もいたが、残念ながら、彼は幼少の頃から今まで、ずっとふくよかなため、難しいのではないか、と推測させてもらった。

更にビックリなのが、書道や茶道を幼稚園で行っていたという友人だ。
勿論、《道》というくらいだから、幼稚園生でも正座をしていたそうだ。
そのお陰か、あまり正座に抵抗が無いらしい。
そればかりか、普段行動している動作が綺麗だな、という印象さえ受けた。

なんだか、幼い頃からの正座道で、品格や動作の基礎が備わってくるような気がする。これは、事実だと思う。


 色々と考えてみたが、結局正座を長時間する時に一番効率がいいのは、やはり《正座椅子》を使うことだと思った。


なぜなら、それがあるだけで、本来足にのしかかる上半身の重みを、全て防いでくれるのだ。何も、苦手なのに神経を痛めたり、挙句切れてしまったりと、苦痛を伴うようなリスクを負う必要は無いと思う。それが、法事など大事な場であったら、なお更だ。
前回の法事の時もそう思ったが、やはり時代と共に変わっている生活には、このようなものがあった方がいいと思う。
慣れたらはずせばいいし、正座の痺れが嫌だけれどやってみたい人には、入門になる。
あぁ、考えれば考えるほど、お寺の法事なんかではあった方がいいよ、正座椅子。
だって、立つ人立つ人、グニャリグニャリ崩れていくもん。
大丈夫、補助を使っても、形式は崩れないから。