掲載日:2009/08/30

やさしい正座入門学

第13話 正座と体重

著者そうな
イラストあんやす
――正座はしたいが、シビれたり痛くなったりするのは、イヤだ。
 この日、私は正座に思いをはせながら、ゆっくりと風呂に浸かっていた。世の中には長時間正座をしていられる人がいる一方、すぐにシビれてしまう人がいる。そこで、《どうしてシビれの差があるのか》を考えてみた。
 膝や脚を折り曲げて座る姿勢だから、どうしても血液の循環や神経の圧迫などは多少なりとも影響しあい、結果シビれが発生するということも少なからず考えられるだろう(それによって何かシビれの物質が発生したりという話も耳にしたことがあるが、これはまた別の章で)。その考えだと、シビれるシビれないの差に足の長い短いは、まず関係なさそうだ。ホッ。
 もっと別の角度から考えてみる。足は同じような作りでも、シビれの感じ方は人それぞれだ。だとすれば、脳だろうか? 脳のシビれの認識の仕方が、個々によって違うのだろうか? いや、シビれも本来身体が「血の巡りが悪いよ!」と教えてくれるサインであるはずだから、あまりにシビれを感じないとしたら、それはそれで命の危険に関わってしまう。そう考えると、シビれの認識も大体みんな一緒だと仮定できる。もっとも、高名な修行僧なんかは、それすらも超越できていたりしていそうだが、そんなことを言い出したらキリがないのでその類は例外としよう。とにかく、普通の人は時間が経てばシビれ、そして足を解くのだ。

 しかし、そうはいっても、実際に長時間正座をしていられる人がいるのも事実だ。私は、解けない問題へのもどかしさを噛みしめながら、「精神統一!」と、湯船で正座をしてみた。一人で何をやっているのだろうとは思うが、人生は少しでも楽しい方がいい、何でもやってみるものだ。すると、どうだろう……浴槽内ではシビれないではないか。浴槽の底につけている膝もそこまで痛くない。それもそのはず、水中では水に浸かった分、体重が大幅にカットされるではないか。
 その時、ピンときた。正座のシビれは、脳の認識や脚を折り曲げたことによる血液の流れの悪さと神経の圧迫であり、個人差があるのは感じ方の違いだけだと思っていた。それもあるにはあるだろうが、その前にもっと一人一人違うものがあった。《体重》だ。

 正座をするにあたって、体重は重要だ。なぜなら、正座においての体重とは、足にかかる重さだと思うからだ。考えてみて欲しい。イスに座っただけでも、上半身の重みが一気にイスにかかるだろう。しかもこの場合は正座だから、その膝は折りたたまれているのだ。ここに上半身の力がかかる……血液や神経や骨の事に思いを馳せてみると……なんとも痛々しい事になっているではないか。図にすると、ちょうどこんな感じだろうか。この図でお腹辺りに肉がドッサリついていたら、さらに足への負担は強そうである。
 この図を見ている限り、これはシビれて当然かもしれない! だとすれば、これはもう少なからず体重が関係していることは明白だ。うむ!

 さて、ここで少し話の場面を変えようと思う。私の友人にロサンゼルス在住歴の長い台湾人男性がいる。E君と名づけよう。私は以前、正座についてE君にこんな質問をしたことがあった。
私「日本では正座は身近なものなのだけれど、外国の人は正座するのかな? そもそもロスには、正座はあるの? 日本のイメージが強いから《seiza》で通じる?」

すると、
E君「《seiza》じゃ通じないよ(笑)! こっちの人に聞いたら、サッパリ分からないはず」
 そうなのだろうなとは思いつつ、取材失敗かと少しガッカリしていると、
E君「でも俺さ、家でテレビゲームしている時、なんか自然と正座しちゃうんだよね」
私「正座を? 誰かに教わったのかな? それとも自然に? 痺れないの?」
実に質問攻めである。
E君「うん、全然痺れないね。まぁ、特に誰に教わったってわけでもなくて、自分の座りやすい座り方を模索していたらこうなったんだ」
私「そうなんだ、座りやすい座り方で正座か、それは凄いなぁ。むしろ日本人が、テレビゲーム中に正座するって、あんまり聞いたことがないかも。探せばいると思うけれど……したとしても、集中するぞっていう場面で短時間だけだと思うの」
E君「あ、そうなの? 俺もさ、親に「そんな座り方して足シビれない?」って言われて、初めて自分が正座してる事に気づいたんだ。それからテレビゲームをする時は、毎回正座するもんだから、親には「日本人みたい」って言われるんだ。それを聞いて、なるほどって思ったよ。俺、前世は日本人だったかも(笑)」
 親にもそう言われるくらいだから、E君の正座は台湾でもロスでも珍しいのだろう。やはりこの形の正座は日本独特の座り方なのかもしれない。質問を変えよう。
私「そうそう、《seiza》では通じないといっていたけれど、もし日本の正座という座り方を海外の人に伝えるなら、なんと言えば通じるのかな?」
E君「うーん、脚を折り曲げてって言ってもなかなか分かりづらいからね、《日本の伝統的な座り方》って言うよ。それから実際見せたり説明したりするとかじゃないと伝わらないんだよね(笑)」
 確かに言われてみればそうである。逆に海外の人に「膝を折り曲げまして床に……」と言われたとしても、そもそも椅子か床に座るかの文化の違いもあるので理解は難しい。
私「それじゃ、ロスにはいわゆる《正座》に代わるようなものはあるの??」
E君「(少し考えて……)ないな。アメリカンは基本的に座り方にこだわらないからな」
 なるほど、幼い頃からロスに住んでいるという彼が言うのだから、そうなのだろう。それに、アメリカの歴史はまだそこまで長くはない。移民のことも考えれば、《正座》のような礼法的な座り方がないのも納得がいく。もしかしたら、この国にはこれからできていくのかもしれない。
私「日本=正座、韓国=立て膝のような、国ごとの座り方の文化があるのかと思ったんだ」
E君「国ごとの決まりか。ここには無いかもな。というか、立て膝って初耳だよ(笑)」
 初耳なのか! 日本と台湾、そして韓国は同じアジア圏だけれど、だからといって文化や情報がよく耳に入ってくるものでもない。私は《謎の同じアジア意識》を持っていたが、やはり意識して学ばなければ知ることもないのだな、と思った。※立て膝については、9話目と11話目にありますので、ご参考までに!
E君「でも、色んな国からの移民があるからこそ、一部の人間にだけれど《正座》というものが分かってもらえるようになってきたと思うよ。それでも全然浸透していないけれど(笑)」
私「そういうことなんだね。アメリカは、これからもどんどん移民がきて、色んな文化が混ざり合っていくのね……。アメリカは、そういう意味でも珍しくて独特な国なのだなぁ。もちろん、いい意味だよ!」
 アメリカの独特なスタイル(移民、まだ歴史が浅いというところ)で、その国自体の座り方の文化がそこまでないのだろうという気がした。今後、もう少し違う国の文化に触れる機会があれば聞いてみたいところだ。
 続いて、他にも質問してみた。
私「話しは戻るのだけれど、日本みたいに正座というものを教えられたり、正座に対して色んな先入観がなかったりしても、日常的にE君みたいに正座(という姿勢)はされたりしているのかな?」
E君「うーん、そこまで見たことがないからなぁ。なんというか、教えたらやると思うよ。でも続くがどうかはわからないけれどね。そればっかりは人によるね」
私「特に教えられたことがないけれど、普段していた姿勢が正座だった……っていうことは、あんまりなさそうだね。あ、それがE君なのか!」
E君「うん。多分、俺以外でそんな人は、なかなかいないんじゃないかな(笑)ロスの友達(アジア圏も含む色んな人種の友達)は、俺の座り方を見て変だと言っていたくらいだよ(笑)」
 E君は、そのシチュエーションを細かく教えてくれた。それは自宅で友達とゲームで遊んでいた時の話しらしい。
友達「君は、なんでそんな変な座り方してるんだ?」
E君「え? 変かな? ……習慣だから、そういわれても分からないなぁ」
友達「へぇ! なるほど! つまり、それが格闘ゲームが上手くなれるコツなんだな!? 俺もこれからその姿勢でやってみよう!」
E君「いや、多分関係ないと思うぞ!(笑)」
 それでゲームが上手くなるなら、正座は大変便利なものである……とまぁ、それくらい向こうでは浸透していない、珍しい座り方なのだろうと思われる。つまり、私たちには当たり前のように認識できる正座だが、一度海外に行けば、日本の正座というものを見たことも知ったこともない人が多いということだ。当たり前のことと言われればそうなのだが、私個人的には、写真やメディアなどで知名度くらいはあると思っていたからビックリであった。
私「ありがとう。そこまで日本の正座って知られていなかったんだね」
E君「そうなんだよ。……それはそうと、《結跏趺坐》っていう、正座よりもう少し普通っぽい座り方あるよね?」
私「《けっかふざ》!? それはなんだろう?」
 私は、外国人の彼から難しい日本語が出てきたことに驚いた。調べてみると、それは座禅のものだった。
E君「まー、結跏趺坐っていうのは足を組む座り方でね、仏教では足を両腿の上に乗せるみたいだよ」
私「えーっと、結跏趺坐は、仏像がよくしている座り方だね!」
E君「そうかも!」
私「普通ってE君、それは正座より難しいよ(笑)むしろそれは、ヨガの姿勢くらい難しいから(笑)」
E君「まー、ニュアンスね! 実際には《結跏趺坐》そのものじゃなくて、単に足を組む座り方なんだけどさ。そういうのなんていうんだろう?」
私「それは胡坐(あぐら)っぽいねぇ? 胡坐でいいと思うよ」
E君「胡坐っていうのか! ありがとう。実はさ、俺の友達はあれでも脚がシビれるんだよ。外国人だらしねぇっす(笑)! これ、日本人からしたらビックリなんじゃないかな?」
 それは初耳だった。胡坐で脚がシビれるなんて、あまり聞いたことがないぞ。やはり、足の長さや何かが関係あるのだろうか。これは、また別の機会に調べてみる価値はありそうだ。(単に、床にお尻をつけて座ることが少なく、慣れていないだけなのかもしれないが)

 さて、ここで正座をしても全くシビれないという彼に、いよいよ今回の本題である正座と体重の因果関係の話しを切り出してみた。
E君「体重? それはあるかもしれないね。俺は痩せている方だから、正座をしていてもそんなに抵抗は感じないよ。膝に体重がかかっているとは、そんなに感じないからね。床がフワフワのカーペットということもあるかもしれないけれど。あと、俺の友達でも太りすぎている人は、まず正座の座り方ができないね」
 最後の言葉、これはなるほどである。太りすぎていると、脚を曲げること自体がツラそうだ。無理に正座をしたら、血管が切れてしまうのではないかとか、膝にかかる負担がひどいのではないかなどと考えてしまう。逆に、痩せすぎていても骨が出て当たってしまうので、床に座るときに痛いのではないか……と考えてしまう。怒らないで聞いてほしいのだが、もしかしたら正座は、標準体重前後でしないと厳しい座り方なのかもしれない……と思ったが、力士はどう考えるべきだろうか。彼らは正座(割座)をしていたように見えていたが。しかし、彼らはただ太っているだけではなく筋肉も沢山あるので、また別の問題かもしれない。着ているものが和服なので、正座か割座かもよく見えないことだし、またの機会に調べてみる価値はありそうだ。

 話を戻そう。今回のように考えてみると、《より体重の軽い人の方が痺れにくい・疲れにくい》という仮説ができるのではないだろうか。こんな仮説を立ててしまうと、極端な話し、正座をしてみて太っているのか痩せているのかが測れるような気がしてきた。いや、本当に極端だが。しかしそうなると、細身の日本人でも正座ができない人が存在するのも確かで……それがレアケースなのかもしれないが、これはもう少し突き詰めていきたいところではある。
 今回正座の取材に協力してくれたユーモアたっぷりの爽やかE君は、ジャパニメーションから日本に興味をもった、中国語・英語・日本語の三つを話せる、《トライリンガル》青年である。つまり、今回私が外国人の彼に取材をできたのは、私の語学が堪能だから……ではなく、彼が趣味で勉強したという日本語が素晴らしい完成度だったからである。(趣味でそこまでできるとは!)日本への入り口はアニメだが、今では日本文化自体にも興味を持ち、ロスで外食をする時は、日本食レストランで「味噌汁」や「寿司」、「丼物」を食べたりするほどだそうだ。彼を見ていると、国や人種の壁がとても低く見えてくるから不思議だ。もし国境がなくなったら(移民受け入れというような意味でも)、正座はそのときどういう形になっていくのだろうか……気にはなるところではあるが、外国人の彼を見ていたら、伝統として伝える気持ちがあれば、意外となんとかなるのかもしれない。
E君「俺の日本語は変かもしれないし、間違っているかもしれないけれど、通じるかどうか、とにかくその国の言葉で話してみたいんだ」
 私がしたのは、まぎれもなく正座の取材だったのだが、この取材で何かとても尊い精神を手に入れた気がするのだった。

 最後に、私の身の回りの友人・知人にも《正座と体重の因果関係》を聞いてみたが、正座をあまりしない環境、もしくはそれ自体に意識を向けたことがない人ばかりだったため、取材は困難だった。
 切り口を変え、《幼い頃と比べて、正座のシビれはどう変わったか》を聞いてみたところ、大体の人が大人になってからの正座のほうがツラい、と答えた。幼いころの体重(体積)と大人になってからの体重(体積)と比較してみたのだが、大人のほうがツラいと感じた人のほうが多いということは、少しは体重との関係もあるように思える。他にも、三十代の人によると、「昔と比べると、体が固くなったからかな」というコメントももらえた。体の硬さは盲点だった。それも一理あるのかもしれない。
 最後に、書道や茶道を幼稚園で行っていたという女性に話しを聞いたところ、彼女もあまり正座に抵抗がないらしい。E君と少し似ている気がする。もしかすると、習慣というのは大きいのかもしれない。

 色々と考えみると、やはり正座のシビれと体重には少なからず関係はあるようだ。つまり、正座を長時間する時に一番効率がいいのは、脚にそのまま体重の負担がかからない《正座椅子》を使うことなのかもしれない。
 苦手でも、シビれても、日本で生きていたら正座をする場面はちょこちょこ出てくるもの。他にも集中するときにも気を正してくれる姿勢なので、何かとポピュラーではあるのだが、無理して神経を痛めたり、苦痛を伴うようなリスクを負うのは大変だ。やはり時代と共に変わっている生活には、便利な道具(補助)があってもいいと思う。現に、最後の知人への取材では、正座をほとんどしたことがない人ばかりだった。「日本人なのに、正座に補助なんてねぇ」という声も聞こえてきそうだが、そこは大丈夫! 補助を使っても、形式は崩れないから、さ。