第18話 正座に見る美的センス

掲載日2010/7/17
著者そうな
イラスト金澤暁夫
――《鎌倉時代や戦国時代の人たちが正座をしている映像》を目の当たりにすると、それと同じような不自然さを感じてしまうのです――
 これは、本文中の著者の言葉である。だが、《それ》とは何か。何と同じような不自然さを感じるのか。それは次のようなことだった。
 例えば、ハリウッド映画などで登場する日本人(日本の小道具や衣装、雰囲気)だ。これには、誰もが一度は不自然さを感じたことがあるだろう。私にもある。特に、出てくる日本の服装などについては、ほぼ毎回小首を傾げてしまうほどだ。なぜなら、その海外映画の中の日本人は、中国の伝統衣装を身にまとい、日本特有の髪型をし、その髪型にはどこのパリコレかと思うほどの奇妙な頭飾りがついているのだった。更に追い討ちをかけるように、中国雑技団のような曲がかかることも多い。
 またどういうワケか、僧侶が僧衣を着たままで海外の街を練り歩き、挙句の果てボウリングをする映画まである。ボウリングはまだいい、坊さんだけにボウリング……きっと、そういう話を書きたかったのだろう。
 だが、僧侶はそれだけでは終わらない。来客が昼頃に彼らのお寺に来て、チャイムに代わる大きな鐘(半鐘か梵鐘)を突いて訪問を知らせるのだが、聞こえているのかいないのか、いつまで経っても僧侶は出てこない(そもそも鐘の音で呼ぶというのも斬新だ。海外から見れば、大きなベル扱いなのだろう)。主人公は、それをひたすらに待つ。まるで、これが日常ですからとでもいうように、自信満々にただひたすらに待つ。そして、空も茜色に染まってきた夕刻時、主人公たちが退屈で座り込んだり立ち歩いたりしていると、おもむろにお寺のトビラは開かれた。そして、出てきた僧侶数人がノソノソと彼らを招くのであった。
 ……なんだこれは。一体どこのしきたりだ。これは間違いなく日本ではあり得ない上に、訪問してきた客に相当な仕打ちをしているではないか。映画では僧侶たちの禅の精神などの素晴らしさを表現しようとしているようだが、こう表現されると、時間の観念や他人への扱いについて(主に他人の時間の扱いについて)「うぅむ」と首を傾げざるをえない。
 とまぁ、ここまでに挙げた映画の例は、よくあるパターンの一部だが、こういう作品を見続けていると違和感に辟易し、「日本はそんな国じゃないよ!」と叫びながら食べているセンベイを放り投げたくもなる。(ちなみに、上記で例に挙げた日本人描写に違和感のある映画だが、私自身そこも含めてとても気に入って何回も観ている映画である)

 しかし、著者は、これと同じくらいの違和感が日本で製作されているテレビなどの映像にあるというのだ。それが如実に表れているのが時代劇なのだが、見ても違和感に気がつく人は少ないと思う。つまり、私たちが時代劇等のメディアを真実と思って疑っていないということだろう。では、一体、その違和感とは何なのか……。まずは、著者がそれを導き出す過程の話から始めよう。

 著者は、「織田信長と豊臣秀吉が天下に君臨した織豊時代が終わりを告げ、時代は徳川の安定政権時代へと移行します」と始め、「ここで一つの結論をいえば、正座が生活の中に取り入れられ始めたのはこの江戸時代であると私は考えています」と記している。
ここで、「なるほど。ここでやっと、庶民にも正座が浸透したんだね!」と合点したいところだが、そう考えるのは早計であった。なぜなら、まずこの礼法を叩き込まれたのが、庶民ではなく武士からだというのだから。
 それについて、著者はこう記している。
「武士の礼法を積極的に確立しようとしたのは、江戸初期から中期にかけての儒学者です。
一向宗やキリシタンを弾圧した幕府は、これらの宗教に代わる道徳、社会倫理、規範を求めました。その中でできるだけ宗教色の少ないものが望ましいと考え、儒学に注目したのです」と。幕府があえて儒学を選んだことについては置いておいて……。

 更に著者はこう記している。「正座は小笠原流によって江戸時代に始められたという説があります。しかし私は、儒学者が礼節の作法として、勝手に小笠原流を参考にしたのだと考えます。小笠原流礼法の現在の宗家である小笠原敬承斎氏も『小笠原流礼法入門 図解 美しいふるまい(淡交社)』の中で小笠原流が正座を始めたわけではないと言っています。そもそも、小笠原流礼法とは、源頼朝に仕えたといわれる小笠原長清に始まります。長清は弓馬に優れ、弓馬術を司っていたようです」

 なるほど! 儒学者は、勝手に小笠原流を参考にしたのか……と、納得したいところだが、何度も「小笠原流」という言葉が出てきたのが気になる。小笠原流といえば、小笠原流礼法。その小笠原流礼法は、今や正座を語る上でとても重要なものとなっている。
 では、《小笠原流》とは何か? 何かと言われて即答できる人は、結構に礼法等に精通している人であるといえよう。正座や正座に関するものには、必ずといっていいほどこの名前が出てくるのだが、かくいう私自身、ここまで小笠原流を連呼しておきながら、漠然としか把握できていないことに気がついた。あぁ、なんたること。
 そこで、興味本位で《小笠原流・小笠原流礼法》という言葉を、一体どれほどの人が知っているのだろうかと思い尋ねてみることにした。以下は、知人に聞いてみた回答である。(年代を問わない)
「小笠原流って、正座の流派だよね」、「剣道か茶道の流派?」、「○○流って聞くと、武術の流派みたいだよね」、「踊りかな?お華かな?」、「礼法の何かということは分かるよ」、「そんな苗字の知り合いを思い出した」
 なんだか曖昧な回答もあるが、これらは総じて正解である。正解ではあるのだが、これだけでは足りない。《百科事典マイペディア電子辞書版》を引いてみると、こう書いてある。【小笠原流】「武家故実(有職故実)の一流。源頼朝の臣小笠原長清(1162-1242)を祖とし、小笠原家7代真宗が武家礼節の書《三儀一統》を著して完成。小笠原家は、代々鎌倉・室町・江戸幕府に仕えて弓馬の故実を伝え、礼法をつかさどった。明治時代には、学校教育にも採用された」。以上が小笠原流の説明だが、他に【作法】で調べてみたところ、確かに「江戸時代には儒教と結びついて発展」とも書かれていた。
 では、【弓道】ではどうか。「武士の表芸として古い伝統をもち、明治以降は剣道・柔道とともに、一般に普及した。修練による人間形成を基本理念とする。流派としては、諸儀式・儀礼・騎射を主とする小笠原流と射術を主とする日置(へき)流が中心」。
 【日置流】という言葉が出てきたので、これもまた調べてみる。「弓術(弓道)の一派。室町中期、日本弓術中興の祖と称される日置弾正正次(へきだんじょうまさつぐ)の創始と伝える……その後、分派しながら小笠原とともに今日に伝あり。日本弓道界を二分する」
 何だか、至るところに小笠原流の文字があるではないか。ここまで調べてみると、小笠原流とはどのようなものかが大体見えてくる。弓馬だけでなく礼法も同時に伝えてきた小笠原流礼法は、日本の礼法を担う重鎮といえよう。
 ちなみに、私自身の小笠原流についてのイメージの回答は「日本の正座を支えている組織」であった。上記のことを調べてから再確認すると、「なぜこう考えた」と頭を抱えざるを得ない。人は、対象の団体について知らないと、何かしらの「複雑な組織」にしがちである。
 もし、興味が湧いてもっと小笠原流について詳しく知りたい方は、小笠原流礼法HPがあるので、そちらを検索してみてください。ページを開けた途端、達筆な書が優雅にお出迎えしてくれること請け合いです。

 さて、小笠原流の理解を少々深めてみたところで、話を本へと戻したい。どんなに良い礼法システムであっても、時代の変化や馬が合わないということで、その場だけの教育システムで終わることもあるだろう。もしや、こうも長々と続いていっているのは、儒学者と何か関係があったからか……? なんて考えてみる。が、著者は、このことについてこう語っている。「小笠原は儒学とはまったく関係ありませんでした。しかしもともと、弓道と馬術の修養に結びついた作法であったため、小笠原流をベースにした作法は武士には受け入れやすかったと考えられます」。武士と弓道・馬術。それなら納得できる。

 さて、その正座が武家を中心に広まっていったのは、江戸時代の中頃から後半であると、著者は語っている。その理由は、次のようだった。「江戸時代に各大名が拝謁する際、正座をすることが取り入れられたからです。『忠臣蔵』に見られるように、江戸場内では刃傷沙汰がときどき起きていました。そのため、刃傷沙汰を防止する意味も含めて、足がしびれ、刀が抜きづらく、機敏な動作に支障をきたす作法が注目されるようになりました。やがて、将軍に拝謁するときには、動きづらい長袴を礼装にして、正座をとらせるようになったといわれています」
 確かに、思い起こせば時代劇なんかでも、「とのー!」などと叫びながら両手で、まるでスカートの裾を持ち上げるように袴の裾を持ち、シャカシャカと歩き回る姿がある。殿様の前に家臣が直接顔を出すことからにして、幕府側のそういう対策あったということにはとても頷ける。
 更に、著者はこうも記している。「服装も振舞いも言葉遣いも、社会的地位が高いと〝それ相応のもの〟が求められるようになるのは、ある種、自然な成り行きともいえます。また、上に行けば自らを律する必要も出てくるでしょう。正座は武士階級にまさにぴったりの座り方でした」
 つまり、謀反を防ぐ要素だけでなく、痺れなどに対する忍耐も必要な正座は、武士自身をも育てる役割を担っていたということか。こういう正座を使った教育方法もあるのだな……と、しみじみ思わせられる。

 また、江戸時代の後期には正座で茶の湯をしている絵も存在することから、著者は、「茶道は正座をして行う人も確実に存在していたと見てよいでしょう」と記している。一つ前の時代、安土・桃山時代には、まだ茶の湯はアグラであったのに対し、随分の進化である。段々と私たちの知っている茶道の姿になっていったのではないだろうか。まぁ、一つ前の時代といえども、250年ほど経っているのだが。
 だが、茶道を正座をして行う人はいたが、それもまだ一部だという。著者は、こう記している。「一部というのは武士や富裕な商人、芸者、医者などです。身分の高い人と低い人、双方に正座が見られたのは興味深いことです」。つまり、まだ庶民には正座が普及していないということだった。
 しかし、身分の高い人・低い人がしていたということは、日常的にも庶民の目に触れる機会が増えるというものだ。それにしても、庶民が正座を始めたのは、一体いつからなのだろう……。著者は、これについてもこう記している。「農民などの庶民が正座をするようになるのは、もっとずっと後の明治の代であったと私は考えています」なんと、もっとずっと後のことだったようだ。最初は貴族から→そして、富裕な商人・芸者・医者まで……。正座というのは、どうやら高貴なもの扱いをされていたということが分かる。
 そんなこんなで、国民の大多数を占めていた農民は、しばらくは正座とは無縁だったと著者は書いているが、江戸で生活している商人などは武士の近くに居たので、支配階級である武士の生活習慣に憧れて、その正座を受け入れる気運は熟していたとも言っている。
 また、嫁入り前の娘を武家の家に作法見習いとして奉公に出したり、歌舞伎や芝居小屋、寺院では狭いので、場所をとらない正座をしたりすることが増えていったらしい。そして、慣れてくると苦でなくなり、江戸の後期には正座で観劇する場面も多く見られたそうだ。

 一方、正座は上流階級のたしなみであり、武士の礼法の一つであったはずだ。それについて、著者は次のように記している。「清貧に甘んじなければならない武士たちにとって、作法は精神的拠り所の一つだったと考えられます。とりわけ江戸時代も後期になって、武士と町人の経済力が逆転すると、武士は作法を重視するようになります。庶民がまねることのできないような洗練された振る舞いや教養、作法を武士は身につけていったのです」。なんだか、半分意地になっているように聞こえるのは私だけだろうか。
 だが、意地にもなるだろう。上流階級の姿勢が庶民の日常の姿勢に取り入れられてしまったのだから。確かにそうなると、「もっとカッコよく正座してやるんだから!」となってくるのだろう。だとすれば、なんとも分かりやすい流れである。

 また、著者はこのことで興味深いことも記している。「武士は、板の間で正座をし続けても足がすぐにしびれずに立ち上がれるテクニックを開発し、居合い抜きなどの武道にも積極的に取り入れていきます」。居合い抜きなどの武道にも興味があるが、正座を調べている者としては、勿論、この痺れずに立ち上がれるテクニックが気になるところだ。だが、ここにはそのテクニックは書かれていなかった。残念! しかし、諦めない。何となくであるが、お寺のお坊さん辺りに似たようなテクニックを感じる。いつか取材してみたいところだ。
 それから、庶民が正座を受け入れた決定的な理由について、著者はこう記している。「明治になって、身分制度が廃止されたことが大きいと思います。農民や商人、職人でも上の身分に上がれる可能性が出てくれば、上を目指そうとするのが人情です」。カースト制度ののようなものが無くなったとなれば、民としては願ったり叶ったりである。そんな人間の発揮する力には、努力や労力を惜しまない、凄まじいものがあるのだろう。

 さて、鋭い方はもう感づかれたことだろう。忘れちゃいけない、冒頭の著者の言葉の意味に。それについて、著者はこのように記していた。「テレビや映画の時代劇では、武士も町人も農民も当然のように畳に正座をしています。最近は武将たちこそアグラをかくようになってきてはいますが、特に問題なのは女性たちの座りかたです。今でも女性たちは、ほぼ例外なく正座をしています――」。「今、50歳以上の人が昭和35年ころを描いたドラマの中に洋式の洗浄便座が出てきたら、『こんなものはなかったよ』と誰でも思うはずです。でも、あと数十年して、そのときの若い人たちが昭和30年代を描いたドラマを作ると、ひょっとしたらそうしたことも当然のように起こるかもしれません――」。「日本人のイメージで役作りをしているためでしょうか、外国の映画に登場してくる日本人がとても異様な服装や行動をしていることがあります。しかし、時代劇の中で正座を見ていると、外国の映画を笑っていられなくなります」。
 確かに、この歴史を見てみると、日本の時代劇は明らかにおかしいことになる。いや、おかしいのだ。なんだか、武士も庶民も正座をしてかしこまって、いやに綺麗な世界なのだ。現代の女性独特のイメージからだろうか、女性だけがほぼ全員正座をしているのも、確かである。えぇい、なんなのだ、この世界観は! ……。
 でも私は、時代劇で正座をさせる気持ちも分かる気がするのだ。特に、それは女性に表れている気がする。女性全員が正座……これを、女性は服従するものという表れだと言う人もいるだろう。それもある意味正解かもしれない。けれど私には、どんな時代であっても、女性には綺麗な仕草をして欲しい……というようにも見える。女性に品性を求められているとかではなく、もっと何か、期待のような……。なんて言いつつも、見方を変えれば、ほぼほぼ男性の願望ともいえると思うので、制作人に男性が多いとも推測できるが。それに、もし、忠実に時代を再現しなければならないというのなら、お歯黒は必須だろう。既婚の女性は歯を真っ黒に塗りたくる、あのお歯黒だ。いくら時代劇とはいえ、そこまで再現されると、なんだか色々ゲンナリしてしまうことになる。(これも男性制作者陣の願望かもしれないが!)

 映画とは、いくらその時代を忠実に再現したとしても、その時代そのものとは似て非なるものだと私は思っている。その裏には制作者達がいて、きっとそのシナリオや設定資料集には、願望が入る。美的センスも時代と共に変わってくる。
 もし、自分が制作者で、その時代に正座をしていたかアグラをしていたか、確固たる証拠がなければ、私も正座を選ぶと思う。ほぼ確定しているアグラの事実があったとしても、正座を選んでしまうかもしれない。なぜなら、映画だからだ。番組だからだ。つまるところ、フィクションだからだ!
 つまり、制作者にとっても正座とは、《品性》や《美意識》、《凛》、《日本の文化》などという感覚があったのではないか、ということだ。最も、そういった制作者になったことがないので、もっと他に理由はあるかもしれないが。
 そう考えながら改めて時代劇を見てみると、そこには日本の文化を良い形にまとめた《作品》があるように思えた。今まで全く気にしていなかったちょっとした日常に気づくと、人は清々しい気持ちでそれを見られる気がする。なんだか、得した気分だ。
 そして後日、友人から「小田原流礼法の話、どうなった?」と聞かれた私は、ここで語った全ての話を小一時間聞かせるのであった。

 次回は、正座と畳などについてお話しします。

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