[129]第7話 にほんの箸からこんにちは


発行日:2008/10/05
タイトル:第7話 にほんの箸からこんにちは
シリーズ名:やさしい正座入門学
シリーズ番号:7

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
販売価格:100円

著者:そうな
イラスト:あんやす

販売サイト
https://seiza.booth.pm/items/3177707

本文

 《流行》という言葉があるように、時代は常に流れゆく。時代と同じように、私たちの生活もまた、たえず流れ変化し続けているのだろう。
 私自身が日本人だからだろうか、日本人の生活や考え方は、日々グローバル化してきていると感じる。そんな中で、最近気になるものがある。「洋食レストラン」だ。私が幼い頃は、洋食レストランといえば、使うものはもっぱらカトラリー(ナイフとフォーク、スプーンなどの食卓上で使う金物類)であったし、それ以外のモノは見たことがなかった。しかし最近になって、(私の外食率が増えたからだろうか)ある事に気がついた。例えば、次のようなことだ。
 先日、友人とハンバーグ店に行った時のことだ。ハンバーグの注文を済ませて、しばらく友人とのお喋りに夢中になっていた。暇人は何かをいじる。喋りながらも立てかけてあるメニューをわざわざ揃えたり、コップからしたたった水を紙ナプキンで拭いたりと、せわしない。そう、《限られた暇な時間》は、何かと忙しいのである。物をいじっている手が、メニュー横の細長い小箱に伸びた。箱を開け、何が入っているのかをただ見る。なぜ見たのか?いわずもがな暇人だったからである。そこには箸が入っていた。「何だ箸か」と、格別驚くでも気に留めるでもなく、その箱を閉めた。ハンバーグが運ばれてきた。良い匂いがしている。これは是非、熱い内に食べなければ、と友人といそいそと支度を始める。食べる道具を探し、再び箱を開ける。さっきも見たが、当たり前のように箸が入っていた。そして、私はここで初めて気づく。
「なぜ、ここに箸があるのだ」
 しかも、割り箸などではなく、普段家庭で使っているような、洗えば何度でも使える《環境にやさしい箸》である。その箸の入った箱をしげしげと眺めていると、友人は言った。
「なんかここ、箸なんだよね」
 そうか……これがここの《普通》なのか。その一言で謎は吹き飛び、私たちは食事を始めた。
 箸でハンバーグを食べる時代がきたのか。いや、その食べ方は嫌いではない。むしろ、それもいいじゃないかとも思っている。ハンバーグにも、青じそや大根おろしを乗せたおろしバーグというものもあり、和食のカテゴリーに含まれるようなメニューがあることも事実だ。それに、お年寄りや子供、ナイフやフォークを扱うのが苦手な人は、箸のおかげで気軽に食べられて良いだろう。箸好きの人にも良いかもしれない。カトラリーの類と違いあまり目立ちこそしないが、箸は結構万能である。

 とまぁ、洋食に箸を備えて《日本スタイル》を取り入れているだけでなく、食べ物自体も日本風にアレンジされているものも多い。「日本人の味覚は《うま味》などに敏感だから」という論もあるし、「こんな味があったらな」や「このほうが食べやすいと思う」などのニーズもあって、今の日本の味があるのだ。現に、フランスの会社が発行しているヨーロッパの旅行案内書、ミシュランの日本の店には、☆マークが沢山ついている。洋食や和食などの創作料理に、日本の繊細な技や応対、雰囲気などの感覚が素晴らしいと、世界に《認められた証》なのだ。

 《日本スタイル》は、食べ物以外にも沢山ある。例えば、中国のレンゲ説についても、「実は中国人はレンゲを使わない」、「実は、赤ん坊が使うものだ」などと言われているが、現在の日本では、レンゲ以外にも箸やスプーン、フォークなど、好きなもので食べることができている。何もその国の食べ物だから、絶対にそれを使わなきゃいけない……という事はないだろう。しかし、ラーメンのスープだけは、レンゲが合っていると思うし、レンゲ以外のものは今のところ見たことはない。ラーメンも本場中国の物と比べると、日本のラーメンは別物になっている……と、多々耳にする。芸術だとも。そう考えると、レンゲは中華という雰囲気を醸し出すための道具なのだろうか。ギリギリ和食ではなく中華だと思えるポイントは、そこなのではないかと思うのだ。まぁ、スプーンよりもレンゲが断然口当たりも良く、沢山スープをすくいやすいという利点もモチロンあるだろう。
 そこで思う。たまに《日本スタイル》でも「その国の食べ方をしてこその料理だ!」、「本場のパスタはスプーンを添えないから、スプーンは間違っている!」という声を聞いたり、論議されたりしていることをしばしば目にする。
 では、もし仮に、本当にキッチリとそういう食べ方をする人がいたらどうなるだろう……?例えばこうだ。
「私は、《日本スタイル》であれ、洋食レストランであれば、箸があったとしてもカトラリーのみをきっちり使い分けます!」
 やる気は評価できるが、そこまで堅物になってしまっては、ファミリーレストランなど、気軽に多国籍料理を楽しめる場では、堅苦しくなってしまうかもしれない。ファミリーレストランではなくても、もしかしたら、洋食レストランなのにチャーハンが出てくるかもしれない。ありえなくはないのだ。なぜなら以前、少し良い店に地中海料理を食べに行ったのだが、メニューにタンドリーチキンがあったからだ。どう解釈しても、タンドリーチキンはインド料理なのだが……。
 では、そう教育されているお子様ではどうだろう。お子様ランチなどは、色んな種類がワンプレートで乗っていて、混沌としているものである。しかも、チャーハンの上にはハタが立っている。洋食のマナーは、基本的に皿の上の食べ物を手でつかまない。そうすると、次のようなことになる。
 ハタを見て、手を使えなくて困った子供は、助けを求めて父親を見た。父親は黙って、フォークを使うように、目で合図した。子供はフォークを掴み、慣れない手つきでハタを取ろうとする。そんな時のハタに限って、いやにクルクルヒラヒラして「私を捕まえてごらん」とばかりにフォークの間をすり抜ける。なんてもどかしいんだ。……そうこうしているうちに、料理の温度も下がってくる。父親も、お前はフォークも上手く使えないのか、とイライラしてくるかもしれない。そんな時、隣のテーブルに一部始終を見ていたおせっかいな人が居たら、言うだろう。
「あーあー、そんなの、もう手で取っちゃいなさい」
 料理の冷め具合やストレスを考えたら、それはそれで正論である。パフェやケーキの上のミントも若干似ていると思ったが、取りにくさではハタの方が大変そうだ。

 それでは、次の場合はどうだろうか。
「インド料理であれば、なにがなんでも手で食べる」
 特にカレーだ。ナンがあれば、それをカレーにつけて食べられる。そこまではいい。普段から、パンは手でちぎって食べるから、ナンでも大丈夫だろう。しかし、パンではなくライスだったらどうだろう。しかも日本米。なぜなら、《日本スタイル》だからだ。
 寿司も手づかみだったりするじゃないか、と言われればそれはそうなのだが、寿司飯も外国米も、炊いただけの日本米とは粘度が違う。(※ちなみに、寿司の手づかみは江戸時代の屋台の名残で、本当は箸を使うのがテーブルマナーだとも聞いたことがある。そこは、しっかりした文献が残っていないようで、どっちが史実かは分からないのだとか)とりあえず、寿司は固まりだからまだ持ちやすい。だが、カレーをつけた日本米は、いわゆるおじや状態である。しかも、大体本場のカレーはサラサラであるから、なお更粘度のある日本米が拡散して持ちにくい。そうとう手にくっついてベタベタになることだろう。いや、口に持っていくのも大変かもしれない。普段の食べ方ではないから、何か爪の間に入るかもしれない。得意げに頬張ったはいいが、慣れない手つきでべちゃべちゃこぼし、悲惨なことになるかもしれない。だが、全部分かっていてなお、あえてその食べ方を選んだのなら否定はしない。否定はしないが、面白いなぁと思って見学してしまいそうだ。

 国によってその国特有の食べ方がある事は、周知の事実だろう。しかし、だからといって私の知る限りの日本人は、その国の食べ物に対して、同じ食べ方をしてはいない。つまり、それが、日本流……《日本スタイル》なのだろう。
 ポテトチップスが、本場の塩味ではなく、ワサビ味やしょうゆ味であろうが良いのだ。中華料理では食べにくいというレンゲを使って食べようが、それでいいのだ。それがおかしいといわれれば、日本料理は食べたことがあるのに、箸は持てない、使わないという外国人と同じだろう。だが、そう言っていては、他国の料理を口にすることが難しく思えてしまうかもしれない。結局は、国境を越えて入ってきた多国籍料理の素晴らしさのほうに焦点を当てるべきだ。そして、格式のある場所等の食事マナーを求められる場所以外は、基本的には好きな食べ方をすればいいのだと思う。限度を超えない範囲で。
 世界中の国には、やはり独自のカラーがある。自分が日本という国に生まれ育っているからか、普段は自身の国についてはあまり気がつかないが。しかし、よくよく見てみると、日本にも他国と同じように、いや、それ以上かもしれない日本特有のカラーがあるのだ。そして、そのカラーは自分たち一人一人が彩っているのだ。決して、「国のエライ誰か」だけが彩っているという話ではないのだ。《国=私たちの彩》の結果なのである。
 考えてみて、しみじみと思った。当たり前だが、他の国があるからこそ、自国が見えてくるのだ。ということは、自国を知るには、まず自分で海外を調べることが必要なのだろうか。外から見て、改めて日本の良さが分かったりするのも、海外を知る人だと思うからである。しかも、脚色されたり、一部だけを抜粋したりして作られたテレビ番組の海外紹介よりも、本や直に触れ合うことが大切そうだ。文通でも、海外旅行でも。もし、その日本の良さに気づいたら、是非とも積極的に指摘し、広めていって欲しいものだ。海外からの旅行者は、日本の秋葉原を目指してくる人も多いと聞く。秋葉原がもう少し観光をしやすいように整備され、日本の代表する観光地になるのも素敵な事だと思う。(駅で地図はもらえるのだが)

 これからは、日本のレストラン始め日本人の意識も、もっともっと個性的に変わっていくのだろう。最近では、コーヒー専門店があるように「日本茶専門」の喫茶店もある。それなら、いっそ日本回帰の方向は、どうだろう。時代劇に出てくるような茶屋で、お茶を頼み・・・・・・お団子が出てきて・・・・・・顔を上げると桜がハラハラ・・・・・・。嗚呼、なんて優美なのだろう。これはこれで、季節も楽しめそうである。
 現在、普通の喫茶店の殆どが、テーブルに椅子である。たまに外で足を伸ばしたり正座をしたくなったりした時は、お座敷のある食事処等探さなくてはならない。だから、私は思っているのだ。そう遠くない未来、洋食レストランやちょっとした喫茶店にも、正座専用ができるだろうな、という事を。
 つまり、気軽に正座ができる《和室喫茶》である。
 いいじゃないか、《和室喫茶》。正座好きにとっては、これは《正座喫茶》でもあると言えよう。特に、時代は高齢化社会。需要は大いにあると思うのだ。とはいえ、正座に世代の限定なんか無い。老若男女、寄って来い、だ。仕事帰りのお疲れ時も、足を伸ばしてのびのびとリラックスできるのだ。なんだか、ほんわか和んでいいなぁ。実は、中高年だけじゃなく、今の若者もこういうものも求めているのだろうな。今は日常から殆ど消えてしまった、日本の優しい雰囲気の茶の間をさ。

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