[115]正座の分岐


タイトル:正座の分岐
発売日:2021/04/01
シリーズ名:某学校シリーズ
シリーズ番号:16

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:44
定価:200円+税

著者:虹海 美野
イラスト:時雨エイプリル

内容
 某出井高校に入学したナミは裁縫が得意で家庭科部に入った。
 しかし、家庭科部では料理がメインの活動で、ナミは活躍できないどころか失敗続きだ。
 そんな時、偶然ナミのつくった浴衣のストラップが部内で大好評になり、その流れで家庭科部は今年部員全員で浴衣づくりに挑戦することになる。
 指導役になったナミはお世話になっている美容師さんの元を訪れ、そこで浴衣づくりを一緒にするとともに、正座の指導も受けることになり……。

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本文

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 これは、遡ること三年前某出井高校に入学した塗居沢ナミの部活と正座にまつわる物語である。
 某出井高校は黒を基調にしたオーソドックスなデザインの制服を個人の好みに応じて私服と合わせて着用することと、部活が盛んなことで知られる学校だ。部活加入率は極めて高く、それぞれが自由に、のびのびと放課後の部活動を楽しんでいる。そして、某出井高校の場合、大会などで好成績を修めている部でも、初心者を歓迎しており、優勝経験者、受賞者などとの大きな差がある中で部活に参加しても、部内では同じ扱いで、最初から経験者と同じとはいかないが、部に所属している二年半の間に何かしらの結果を出せたり、かなり技術が向上したりしている。
 ナミは先の例に自分が含まれているとは露ほども思わずに、家庭科部に入部した。
 ナミは幼稚園に入る前から編み物ができたし、他の裁縫も得意だった。
 中学生の頃にナミが作ったビーズアクセサリーは友達の間で好評で、英語を受け持つ外国人の先生はビーズアクセサリーのみならず、ナミの手づくりのお弁当の手提げなどを「アメイジング!」と連呼し、家にあった布で同じものをプレゼントした時には大層喜んでくれた。それ以来、このお弁当の手提げの通称は『アメイジング』になった。皆が、ナミは今からプロとして仕事ができると絶賛してくれた。それを鵜呑みにはしないが、自分はこの年齢にしては家庭科の分野においては、かなり先をいっている、と思ってはいた。
 こうして意気揚々とナミは、家庭科部に入部したのだった。
 しかし、である、入部してみると思わぬ落とし穴があった。
 家庭科部は、裁縫だけではなく、料理やお菓子づくりも行っていた。
 否、正確には、料理やお菓子づくりがメインで、裁縫の出番は文化祭で希望者のみが制作する服や小物、そして文化祭で大層好評なお菓子の袋につけるおまけ的な存在のストラップづくりくらいだった。
 なんとなく、まずい、という思いがナミの中を過った。
 ナミのほかにも新入部員はいて、中には友達に誘われての初心者もいる。
 しかし、まずい、というナミの予感は的中した。
 ナミ以外の部員は、するすると包丁で凹凸のある野菜の皮をむき、楽しそうに話しながら、どんどんと料理を進めていく。
 一方のナミは比較的簡単にむけるニンジン一本の皮むきもひどい状態で、途中で先輩が代わってくれた。多分、「うわっ」とか、「あっ」とか、「ひえ」とか、ほかの部員が楽しく下ごしらえを進める中で上がるナミの声は、皆をハラハラさせていたのだろう。代わってもらった時にはほっとしたというのと、これはとんでもない使えない部員が入ってしまったと部全体に知らしめることになるという暗澹とした思いの両方が心を占めた。それは、ナミが生まれて初めて知る挫折と屈辱だった。
 ナミの思いとは裏腹に、家庭科部の活動は順調に進んだ。
 文化祭で出す、毎回好評なお弁当のおかずを活動日につくり、試食をし、職員室なども回って味を見てもらい、最終的に二種類のお弁当に詰めるおかずを決定する。文化祭当日はお弁当づくりに充てるため、その前日までに作るのがクッキーなどのお菓子で、これも毎年どういったものにするか、そしてパッケージデザインも決める。そうして、余力とやる気のある部員は展示用の自分の作品を制作する、という優先順位があり、ナミの最も得意とする裁縫の出番は、いってみれば、やってもやらなくてもいいような最終の順位だった。
 部員は楽しそうに次は中華をやってみましょうとか、洋食系は何をメインにしますかとか、和食のおかずはおせちに入れるものにしませんかとか、話し合っていて、そのたびに、私はどれとどれをつくったことがあって、今度こういう料理に挑戦しようと思っているのとか、私もそれつくりました、意外と簡単ですよ、とか、そういったことが話の軸になり、料理経験の豊富な人は尊敬の眼差しを向けられ、自然とリーダー的な存在になるし、一年生でもおせちを一通りつくれるという子は、先輩からも質問を受けている。
 完全に居場所を失くしたナミは、いつも端の方で頷いたり、尊敬の目を誰かに向けたりして部活での時間を過ごし、それにも疲れてきていた。
 部員はそんなナミに気づいているのかどうかわからないが、特に話題を向けられない、ということもなく、穏やかな輪の中に誰かしらがそっと呼び入れてくれ、ナミは申し訳ない思いを抱きつつ、その厚意に甘え、部活に通い続けた。


 相変わらず野菜の皮むきも上達しないナミは、文化祭に向けてのおかずの決定などが進むにつれ、調理器具の片付けや、弁当の容器やクッキーを入れる袋の買い出し係りに積極的に立候補し、どうにか部内での活動に貢献するようになっていた。職員室やほかの校内にいる生徒への試食を頼む係りもナミが請け負った。この試食の際には、先生も生徒も「すごいね、こんなにおいしいのをつくれるなんて!」と驚き、褒めてくれ、そのたびに「まあ、つくったのは私ではないですけど」とナミは自嘲気味に小さく笑ってやり過ごした。ただここで、どの料理にどんな反応があったかを、ナミは事細かに記録した。例えば校長先生は鶏のから揚げが好きだったとか、ダンス部の子はカロリーの少ない献立を重視しており煮物や春雨サラダが好評だったとか、野球部ではハンバーグのソースだけでご飯六杯はいけると言われたとか、そんなことを記し、伝えた。こうしたナミの実地調査をもとに、去年は洋食弁当と和食弁当の二種類だったが、今年は美味少食弁当と美味大食い弁当にしてみようか、といった意見も出て、そこそこに役に立てているとナミはほっとした。
 相変わらず部室では、さまざまなメニューがつくられており、そこへ戻って来たナミを気遣ってくれた先輩が、「ちょっとこっちのフライパン、頼んでいい?」と、炒めるだけになったフライパンを頼んでくれたことがあった。ナミは少しでも料理に参加できると嬉しく、大きく頷き、心の中で『この炒め物、必ずや立派に仕上げてみせます!』と意気込んだ。しかし、ほんの僅かではあったが、フライパンが炎上し、ナミは悲鳴を上げてしまった。ほかの部員は火の扱いにも慣れているし、少々の火で動じることもない。しかし、この悲鳴を上げた後も恐怖で呆然とするナミと、軽く炒める予定だった野菜の焦げ具合を見た部員は、それからナミに炒め物も勧めなくなった。
 そうしてある時、先輩が「クッキーの袋にストラップをつけているんだけど、何か考えてもらってもいい?」とナミに声をかけてくれた。
 先輩にとっては何も頼みようのないナミの扱いにおいての苦肉の策だったと思うが、これがナミにとっては好転機だった。
 ナミはビーズのストラップをつくり、それが大変高評価で、ついでに残りの布で小さな浴衣のストラップなどをつくってみると、これが更に高評価だった。
 ちょうど文化祭に出す弁当の献立も決まり、料理は一段落、といった時期だったこともあり、家庭科部は興味津々で小さな浴衣のストラップを見て、「本物の浴衣みたい」とか、「浴衣、つくったことある?」とナミを囲んだ。
 ナミは「浴衣は家で毎年、家族に手伝ってもらうところもありますけど……」と、答えた。
 するとここで先輩が、「ねえ! 今年は塗居沢さんに教えてもらって皆で浴衣をつくらない? それで、浴衣でお弁当を売るの。お菓子のストラップは今塗居沢さんがつくってくれているビーズのと、浴衣のと二種類にして、好きな方を選んで買ってもらうってどう?」と提案した。
「いいですね!」と部員が頷く。
「うちの部、被服の方はあんまり力入れてなかったし、今回浴衣に挑戦て、いいと思います」
 嬉しそうに頷く部員に囲まれ、ナミはちょっと困ったことになった、と思った。
 以前なら、堂々と『教えられますから任せてください!』と言えたが、家庭科部に入部して以来、全く活躍できていなかった分、自信を喪失していた。
 そして浴衣は自宅でつくってはいるものの、家族以外の前でつくったことはないし、結構手順などは適当だし、とても教えられる水準にはないと感じた。
「塗居沢さん、どうかな?」
 信頼と期待の込められた部長の視線に、ナミは「ちょっと、型紙とか、そういう準備ができたらお知らせします」と答えた。
 部員は「よろしくね」と言い、すでに反物を買いに行く日を話し始めていた。


 どうしたものかな、と思いながら、ナミは美容室に行った。
 子どもの頃から通っている近所の美容室で、七五三の着付けもここでやってもらった。
 ここでは美容師さんが二、三人いるが、店長さんである美容師さんにナミはいつもカットしてもらっている。美容師さんは、その職業柄か、性格からか、いつも溌剌としていて、きれいな女性だ。
 美容師さんにカットしてもらいながら、新しい高校生活について話すうち、ナミは今回の浴衣の件を話した。
「でも、ナミちゃん、二年前だっけ? 夏のお祭りで会った時、自分でつくった浴衣を着ていたよね?」
 さすが付き合いの長い美容師さんとあって、そういったことは覚えていてくれている。
「はい、まあ、だいたいつくれるんですけど、人に教えるとなると、その手順とか自信がなくて」
「私、これから浴衣つくるけど、少し一緒にやる?」
 思いもかけない提案だった。
「いいんですか?」
「うん。お店が一時間早く終わる水曜日の夕方にやるけど。最初から教えるとかはさすがに時間的にも厳しいけど、もう作ったことのあるナミちゃんなら、どこまで作ったか持って来てくれれば、見てあげられるし、こっちも一人でやるより楽しいから」
 そう言いながら、美容師さんは手際よくナミの髪を梳いていく。
「前髪はこのくらいの長さでいい?」
「はい、ありがとうございます」
「じゃあ、乾かしていきますね」
 美容師さんはブローしながら、浴衣づくりの話を進め、バックからの髪型を確認して席を立つ時には、具体的な浴衣づくりの日程までを調整してくれていた。
 翌日にナミは反物を買いに行き、水曜日に美容室を訪れた。
 美容室は閉店後でガラス戸にはカーテンがかかっていたが、言われた通りノックすると、暫くして美容師さんが出てくれた。
 お店の奥の、昔着付けをしてもらった和室に通され、ローテーブルに美容師さんが「紅茶でいい?」とお茶を用意してくれた。
「すみません、ありがとうございます」
「ううん、じゃあ、早速始めようか」
 そんな会話の後、二人は反物を広げる板を出し、そこに反物を出す。
 美容師さんはさすがに手際がよく、さっさっと反物に線を引いていく。
 ナミも長い竹の定規を使い、間違いないよう寸法を確認し、印をつけていく。
 その時、いつものパンツスタイルの美容師さんがとてもきれいに座っており、その姿が美しいことに気づいた。
「和に精通しているっていう感じがしますね」とナミが言うと、美容師さんは首を傾げ、「座り方じゃない?」と言った。
「正座をする時に、少し気を付けるだけでだいぶ違うよ」と続け、「正座をする時には膝はつけるか、握りこぶしひとつくらいの開きで、足の親指同士は触れるか、重ねて。肘は垂直にして、脇は締めるか軽く開く程度」と教えてくれる。
 言われた通りにしていくと、「あと、スカートの時は広げずにお尻の下に敷いて。それと、背筋を伸ばす。これは普段から特に気をつけるといいよ」と付け足された。
 確かに、自宅では片膝を立てたりしながらやっていたこともあったが、あれはとても部の人には見せられないし、教えられる状態でもないと思う。
「ありがとうございます」とナミはお礼を言い、そこから裁縫に集中した。


 美容師さんは本棚にあった浴衣づくりの入門書を二冊貸してくれた。
「もうナミちゃんには必要ないと思うけど、初めてつくる部員さんが見ると参考になると思うよ」と言ってくれたけれど、ナミは借りた本を部活の前によく読み、どのような手順で説明したらいいかを確認した。美容師さんのところで一緒に浴衣をつくり始め、美容師さんの動きを見ていると、客観的にどのように説明したらいいかはだいぶわかってきたが、この本はかなり心強い味方になりそうだ。
 ただ、浴衣をつくるのにあたり、基本的には通常の裁縫道具で事足りるが、あった方がよい、和裁専用の道具もあり、それに関してナミはどうしたものかと少し迷った。部活で浴衣をつくる際には、自身の和裁道具は持参するつもりだが、そうすると、それを持っていない部活の人にどう対応したらいいのか……。どの部活動でもある程度個別の費用はかかるが、家庭科部に関しては、ほぼ全員が反物を買ったばかりである。その上、和裁の、しかも一度きりになるかもしれない浴衣づくりのために新たな道具を揃えるとなると、高校生の財布事情としては厳しい。
 そう悩んでいると、まるでそれを察知したかのように、浴衣をつくる際の道具は、反物、糸、その他のはさみなどを除き、家庭科室のキャビネットにあります、という連絡が部長からきた。その上で何か必要なものはあるか、という内容で、次の部活の時間は家庭科室ではなく、和室の方を借りました、という気の回しようで、こうしたことは本来頼まれたナミがすべきことだったのでは、と反省しつつ、丁寧なお礼とともに、ほかに必要なものは、本番に使用する帯と下駄くらいですと返信した。
 そして美容師さんに借りた本から、型紙の縮図を一度ノートに写す。自ら書き写すことで、説明の手順も自然と見えてくる。それを職員室に行き、顧問の家庭科の先生の許可を取ってコピーし、部活に備えた。
 部活開始前に、必要な備品を家庭科室に取りに行くと、すでに部員が何人か集まり、備品を出してくれていた。
「結構かさばるから、みんなで持って行った方が早いよね」と言ってくれ、これまで家庭科部での活動で、ナミは買い物係りなどは買って出たが、活動前のキッチンの準備などに一切参加していなかったことに今更ながらに気づき、「あの、これまで部活の準備、何もしてなくてすみません」と小さく謝った。けれど、先輩たちは「いいんだよ。一年生は二年生、三年生の活動を見て、だんだんできるようになれば。私たちもそうやってきたから」と言ってくれた。
 部員の協力のもと、反物を広げる薄く大きい台から、竹の長い定規までを一度で和室まで運び込めた。
 そこでそれぞれの位置に座ったところで、ナミは「あの、始める前にいいですか」と前置きした。
 先輩たちも「はーい」と返事をしてくれ、その先を待っている。
「この前、浴衣づくりのベテランさんのところへ行った時に、正座をするといいと言われまして、決して強制ではないんですが、せっかく和に触れる機会ですので、一応、きれいな正座の仕方を説明したいと思います」
「お願いします」と、先輩を含めた部員は、かつてナミの野菜炒め失敗事件を忘れたわけでもないのに、丁寧に応じてくれる。
「まず、正座をする時に、スカートはお尻の下にしいてください。それと、背筋を伸ばす。足の親指同士は離さない。膝はつけるか、握りこぶしひとつ分くらい開ける。脇は締めるか、軽く開く程度ですが、これは作業以外の時にもし思い出してもらえたらと思います」と、簡潔に説明し、部員はその通りに正座をする。十分に広い和室だったが、さっきよりも室内が広く、そして空気が締まった感じがした。
 ナミはここで「型紙を配りますね。見づらかったら、こっちの本もどうぞ。回します」と言って、コピーした型紙を縮小したものと、美容師さんに借りた二冊の本を回してもらった。
 その上で、ナミは美容師さんのところで裁断した反物を広げ、「この前、ここまでやったのですが、裁断するとこんな感じになります」と、それを見やすく示した。
 部員は型紙を確認し、何人かがナミの裁断した反物を見た後、裁断に取りかかった。


 翌週、美容師さんの元を訪れた際には、だいぶ浴衣も仕上がりつつあり、それは美容師さんも同じだった。
「さすが、縫い目もきれいだね」と美容師さんは言い、途中で手づくりの簪も見せてくれた。
「これもつくれるんですか?」
「うん、もちろん買ってもいいけど、大きさとか雰囲気とかに合わせてつくれるし、既製品と合わせて使っても結構いいよ」と言う。
 次の週に美容師さんの元へ行った時には、浴衣は完成していた。
「学校の方はどう?」と訊かれ、「最初はみんなの質問を聞いたり、お手伝いしたりしていたんですけど、もともと器用な人たちの集まりなんで、三回目くらいからは、どんどん自分の浴衣の方も進められました」と答えた。
「よかったね」と美容師さんは微笑み、「ところで、浴衣、みんな自分で着られる?」と訊かれ、ナミは着付けのことをすっかり忘れていたことに気づいた。
「……わかりません」
「ナミちゃんは自分で着られるんだよね?」
「まあ、難しくない帯の結び方とかだったら、なんとか……」
「文化祭でみんなで着るって、結構大変じゃない?」
「そう、ですよね」とナミは小さく答える。
「私がお手伝いに行ければいいけど、もう文化祭のある九月ころから、結構七五三の着付けの予約が入ってて、忙しいんだよね」
「いえいえ、そんな。こんなふうに面倒見てもらってるだけでありがたいのに……」
「ううん。ナミちゃんは昔から知っているし、こんなふうに一緒に浴衣も縫えて楽しかったから、気にしないで。それより、少し、着付けの練習をしておく?」
「いいんですか?」
「うん」と美容師さんは頷き、自宅の帯を持って来て、早速着付けの練習を始めてくれた。ナミが着付けを自らしている動画と、美容師さんに着付けをしてもらっている動画を撮り、それを家庭科部で共有している携帯のウェブサイトに載せた。美容師さんに着付けてもらっている動画は棚に固定して置いて撮影したものだったが、帯の結び方などは十分に参考になるはずだ。


 家庭科部員の浴衣づくりは順調に進み、文化祭準備で忙しくなる前に全員の浴衣が仕上がった。
 同じ一年生部員の中に、黒地に赤や青の線のところどころに入っている、かなり個性的な浴衣をつくった子がいた。髪飾りも浴衣の後につくったらしく、黒地の硬めの布で作ったリボンの裏側にピンを通し、顎の位置で切りそろえられた髪の右側に挿すのだと言う。
「普段から、洋服なんかもつくるの?」と、ナミは勇気を出して訊いてみた。
 家庭科部ではそうした話題はずいぶん以前から同学年はもちろん、他の学年との間でも交わされていたが、いかんせん、料理の基礎も全くのナミは、とてもそんな会話をする余裕がなかった。その子は「うん」と頷いて、「結構昔からワンピースとか、ヘッドドレスとか、自分でつくるよ。欲しいのが買えればいいけど、中学生ではバイトできないし、なかなか全部は揃えられないから、ネットや古着屋で探したり、それでもないのは何とか自分でつくるようにしているうちに、楽しくなって」と教えてくれた。
「今度、つくったものとか、見せてもらえる?」と訊くと、「うん」と頷き、お互いにつくったものを写真で送り合う約束をした。
 友達ができたことで部活内でのナミの心はだいぶ軽くなった。
 そして、今回の浴衣づくりについて、ずっと気になっていたことを訊いてみることにした。
「あの、浴衣をつくる時、私が教えるってことになったじゃない?」
「うん」と、すぐに頷くので、思い切って続ける。
「人にそういうの教えるのって初めてで、部活の人、どう思ったのか、少し気になって。正座の仕方とかまで指導したこと、迷惑じゃなかった?」
 ナミとしては、美容師さんに教えられたことをそのまま部活で再現したつもりだったが、部活の人はそれを知らない。故に、なぜ正座まで? と思われたかもしれないと、ナミは今になって不安だった。
「そんなことないよ」
 あっさりとしたその返事に、ナミは「本当?」と再度尋ねる。
「うん。だって和裁への視野も広がったし、和裁でつくるものを使う人、つまり将来そういうものをつくる仕事に就けば、そのお客さんとなる人は当然和の作法に詳しいでしょう? だから、正座だけでも学んでおけるって、貴重な機会だと思ったし、先輩たちだって、納得したから指導を受けたんだと思うよ」
「……そうか。ありがとう」
「ううん。お礼を言うのはこっちだから」
 さりげない会話だったが、ナミは今回の浴衣づくりに関し、これでよかったのだと自信が持てた。
 そして、みんなに浴衣のつくり方を教えたことで、教わる姿勢というのも身についた。
 料理は相変わらず苦手だが、それでもどうしたらいいか訊けば、みんな親切に教えてくれる。
 教わったことを忘れず、そして家でも少しずつ練習するようになり、みんなのようにはいかなくとも、簡単な野菜の下ごしらえくらいは任せてもらえるようになった。
 そうして文化祭で出すお弁当の最終確認、お菓子の準備を忙しく進めている中、部長が「みなさん、今年も作品展示はありますので、強制ではないですが、出したい人は一応言ってください」と伝え、それぞれに手を動かしている部員は「はい」と返事をした。
 そうして迎えた文化祭で、ナミは何度も驚くことになる。
 まず、とりあえず初めてつくった浴衣での弁当とお菓子の販売、と思っていた家庭科部の部員は、実に自分に合った、そして個性的な、工夫を凝らした髪飾りを用意していた。張り合って目立とうとしているわけではないが、個人をきちんと主張する様が伝わってくる。普段制服にエプロンでひたすら手を動かす活動をしている家庭科部の部員が、こんなにも変身するとは思わなかった。
 そして、小柄な部員が余った布でつくったお菓子につける小さな浴衣のストラップがとんでもない人気となった。
 販売している部員の浴衣を見て、「これ、どちらも手づくりなんですか」という質問が頻繁になされ、そのたびに部員は「うちの期待の新入部員の指導で、今年は全員浴衣を手づくりしました」と答えた。部員とお客さんから尊敬の眼差しを向けられ、ナミはこそばゆい気持ちになった。
 中には和装で訪れる年配の女性もいて、「本当によくできているわね」と、ストラップを手に取り、じっくりと細部まで見ていくお客さんもいた。売り場の奥にはカーペットを敷いたスペースがあり、一応部員の休憩場所として、テーブルの代わりの椅子に各自の飲み物を置いたりしていたが、その年配の女性はそこに正座し、買った浴衣のストラップを和柄の手提げにつけた。先輩がそのお客さんの正面に座り、「こちら処分しますね」と、袋にストラップを結んでいた紐を受け取った。年配の女性は「あら、ご丁寧に」と言った後、「お若いのにきれいに正座もされて」と感心した様子で、お礼を何度も言い、お孫さんの発表を見て来ると言って去って行った。
 そして何よりも驚いたのは、展示用作品で、あの黒い浴衣をつくった子の作品がダントツにクオリティの高く、個性的で美しいドレスだったことだった。
 やはり黒を基調にしていたが、花のように幾重にもなったスカート部分は黒一色であるにもかかわらず華やかで、首に巻かれたリボンは大きく、その端は足首まで届いた。一方のナミは、トートバッグとお揃いのお弁当袋、ベージュの膝丈ジャンパースカートを出展した。内心、あまり上手なものを出展して目立っても……、などという考えは、本当に思い上がりだった。ほかに出展した部員の作品も、黒のドレスには及ばないまでも、細かなパッチワークや刺繍、ニットのジャケットと秀作揃いだった。
 更にナミが驚いたのは、かなりの忙しさになることが予想された文化祭当日、部長の指示で円陣を組むと、「某出井高校家庭科部―!」と、部長が大声を張り上げ、それにほかの部員全員が「行くぞー!」と応えたことだった。おしとやかで、地味だと思っていた家庭科部の思わぬ一面を知り、ナミは完全に『行くぞー!』の呼応に乗り遅れた。これを後で黒い浴衣の子に言うと、「前に部長さんが、『文化祭当日の円陣組むから、「行くぞー」って言ってね』って言ってたよ」と、何でもなく答えた。え、そうだっけ? と思いながら、ああ、そういえばそんなことを言っていた気もするけど、私は野菜を切るのに精いっぱいだった、と思い返した。
 家庭科部で販売したお弁当、お菓子は午後一時には完売した。
 浴衣で歩いていると、「一緒に写真いいですか」とか、「広報に載せていいですか」と、頻繁に声をかけられた。
 写真はナミの携帯でも一緒に撮ってもらい、それを今度美容師さんに見せることにした。


 こうしてナミが家庭科部でもようやく馴染み、文化祭も大成功をおさめ、一息ついた頃、部長さんからみんなに話がある、と切り出された。
「みなさん、文化祭、本当にお疲れ様でした。ナミちゃんの美容師さんにもお世話になりました。よろしくお伝えください」
「お礼のお菓子、すごく喜んでいました」とナミは答えた。
 何かお礼をしようとナミは考えていたが、部長さんが「ささやかだけど、家庭科部からお世話になったお礼に」と言って、クッキーとマフィンとパウンドケーキを紙袋に入れ、ナミに渡してくれたのだった。文化祭で撮った写真を見せ、お礼を渡すと美容師さんは大層喜んでくれた。
 部長は話を進める。
「今回は、そうしたご協力もあり、また新たな部員の力により、お弁当販売、お菓子販売に加え、作品展示も大変高評価をいただきました」
 部長のその言葉に、部内から拍手が起こる。
「その後、何人かの在校生から、兼部で入部したいという相談もありました。もともと家庭科部のお弁当やお菓子販売は知っていたけれど、浴衣や小物、洋服に興味がある、という声が大半でした。そこで、被服の制作にも今後比重を置いて活動し、その様子次第ではありますが、来年、家庭科部とは別に被服部を発足したいと思っています。家庭科部の部員が兼部できるように、活動日は別の日に設定したいと思います。もちろん全員が家庭科部と被服部を兼部する必要はありません。予備校に通っていたり、すでに兼部している部員も多いですし、今の家庭科部のスタンスが気に入って入部してくれた人もたくさんいるので。ただ、今回のように被服の方にも重点を置きたいと考えた場合、活動費を家庭科部とは別にした方がいいという面もあるし、今後の入部希望者のニーズを考えても、いいのではないかと思いますが、みなさん、少し考えてもらえますか」
 部長の話が済むと、部内はざわめいた。
 私はお料理とお菓子づくりで十分かな、という声や、試しに兼部してみる、という声があちこちから聞こえた。
 そうした中、「楽しくなってきたね」と、ナミに寄って来たのはあのドレスをつくった子だった。
「まだ具体的な志望校は決めていないけど、デザイン系に進むつもりなんだ。それまでは自宅で一人でつくるつもりだったけど、こんなに色々できる子がこの学校にいるなんて思わなかった。一緒に頑張ろう」
 とても追いつかない、と思ったドレスをつくった同学年の子にそう言われ、ナミは嬉しさと、興奮で心が高鳴った。
 その後、家庭科部の先輩の強力なバックアップのもと、家庭科部の被服部門は順調に活動を開始し、無事部として独立を果たした。やがて某出井高校でも多くの人に知られ、ほかの部の衣装も手がける部へと発展していくことになる。


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