[95]正座先生と大学受験


タイトル:正座先生と大学受験
分類:電子書籍
発売日:2020/07/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:60
定価:200円+税

著者:眞宮 悠里
イラスト:鬼倉 みのり

内容
 高校3年生のサカイ リコは、正座と茶道をこよなく愛する受験生。
 大好きな茶道部を引退してからは、茶道サークルのある星が丘大学へ進学するため、日夜勉強に励んでいた。

 そんなリコの受験勉強も、新しい年を迎え、いよいよ大詰め。
 仲間たちとともに、入試前の追い込みに入っていた。

 余裕で合格圏の友達も、ボーダーラインの友達も、ちょっと合格が危ういリコも、不安なのはみんな一緒。
 だけどリコたちは、以前リコが提唱した『正座勉強法』で頑張ってきた自分たちを信じて、ついに試験会場へ!

 元祖・正座先生のリコの勉強の日々も、いよいよラストスパート!
 春からも茶道を続けるため、リコは無事に星が丘大学に合格できるのか!?
 『正座先生』シリーズ第27弾も、どうぞお楽しみください!

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本文

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 来年のお正月は、ぜひともゆっくり、特に何も考えない日々を送りたい。
 わたし『サカイ リコ』は、そう強く願ったことで、今年のお正月はとにかく頑張るしかなかった。
 たとえば大みそかは『今日? 平日ですよね?』というスタンスで、まったくいつも通りの生活をする。
 具体的には、学校は冬休みだけれど、いつも通り七時に起きる。
 それから、一日中みっちり勉強をして、日付が変わる頃には眠る。
 ……と、いった、ものすごく真面目な一日を送ったのである。
 そんなわたしを気遣ってか、居間から今年のヒット曲……つまり、テレビの歌番組のようすが聞こえてくることもなかった。
 受験生がいる家庭は、試験が終わるまで、家族は受験生――この場合はわたしである――中心の暮らしをすることが多い。
 なのでお父さんとお母さんは大みそかの日、わたし同様、まるで平日かのように過ごしてくれた。
 具体的には、わたしが歌番組を見たくて、歯がみして、我慢できなくなって……とうとう居間に現れる……! なんてことがないように、二十二時すぎには寝る準備に入って、さっさとテレビを消してしまっていたようだ。
 一晩すぎて新しい年を迎えても、サカイ家の空気は変わらない。
 昨年の秋は、親戚が一人亡くなってしまった。
 だから、今年のサカイ家は喪中だ。
 なのでまず、新年のご挨拶において『おめでとう』という言葉を使うのはいけない。
 次に、家にはお餅や、しめ縄といった『お正月飾り』が飾られることもない。
 それから、年賀状は受け取ってもいいけど、お返事をするときは寒中見舞いとなる。
 そして、初詣にも行っていいけど、三が日はNGなのである。
 喪中の場合は、たいていの人々のお参りが終わって、静かになってきた頃に、ようやく神社へ行ってもいいらしい。
 だから、今年はお参りをお休みさせていただいた。
 と、これだけ『お正月らしいこと』を自粛していたにもかかわらず、わたしは、ちゃっかりお年玉だけはもらってしまった。
 これは、なんだか申し訳なくもあるけれど……頑張ってるんだし、ちょっとくらいならいいよね!
 とにかくこうしてサカイ家は、今年、わたしが生まれてから一番と言っていいほどの静かなお正月を送った。
 これにはもちろん、わたしが受験生であることも関係している。
 けれど、それ以上に亡くなった親戚をしのびたいという気持ちがあった。
 なので最終的に、完璧ではなかったかもしれないけれど……わたしはわたしなりに、喪に服すことができたのではないか? と思っているのだった。
 ということで、友達にも会わず、ひたすら黙々と勉強するのみの冬休みが終わる頃、わたしは思った。
 今年一年、大切な人たちみんなが平和に過ごし、全員で次の年を迎えることができたなら……。
 そのときは、めちゃくちゃに、はしゃいでしまおう! と。
 具体的には、思いつく限りの楽しいことをして、毎日誰かと会って、お出かけして、お金も使ってしまって、それから、それから……。
 とにかく! 欲望の赴くまま、好きなように行動してやるのである。
 ……むむむ。これはちっとも具体的じゃないな。とっても漠然としている。
 何せ、先のこと過ぎて、正直ビジョンが浮かんでこない。
 今のわたしは、ほとんど毎日自分の机に向かって過ごすばかりだ。
 目に入るものと言えば、参考書と筆記用具が主。
 イマジネーションが枯渇するのも当然、枯渇し切っている生活環境だからね。 
 仕方ないので、具体的にどうするかは来年そのときになってから決めるとして……。
 とにかく、とにかく、そのためには、そう!
 現在高校三年生のわたしは、なんとしてでも、今年、志望大学に合格しなくてはならないのである。
 こんなことは『仮に』でも言いたくないけれど……。
 もし仮に、わたしが今年志望校の星が丘大学文学部を不合格になろうものなら、次のようなことが予想される。
 それは、浪人生となったわたしは……来年のお正月、たとえ大切な人たちみんなが平和に過ごし、全員で次の年を迎えていたとしても……一人だけ、自分だけは、年末年始を満喫することなどできない。
 それどころか、今年よりもさらに追い詰められた日々を過ごすことになるに違いないからだ!
 ということで、高校生活最後の三学期を始めちゃいます。
 バラ色の、明るい未来のために!
 だけど、そこにまず待ち受けているのは……もちろん、あの試験です。


「それでは、今年もよろしくお願いいたします!」

 高校三年生の冬、三学期の始業式の朝。
 星が丘高校三年二組の教室で始めたわたしの挨拶は、やはり『おめでとう』を避ける形で始まった。
 久しぶりに訪れた自分の教室は、なんだか空気が澄んでいる気がする。
 冬は、寒くて起きるのがつらい。
 けれど、どこへ行っても、なんとなく全体的に清潔な雰囲気があるのは、すごくいい。
 この冬、教室から遠ざかっていたのはたった十日ほどだ。
 にもかかわらず、わたしは一瞬、自分の席がどこだったか忘れてしまっていた。
 そんな、低下しまくっている自分の記憶力は心配になるけど……。
 とにかく、このきれいな空気のおかげで、わたしは新しいスタートを切れる気がするのだった。
 星が丘市は、日本の中でも比較的暖かい地域だ。
 だから、たとえば寒い地方のように、一月下旬まで冬休みが続くといったことはない。お正月を終えて数日したら、すぐに三学期が始まる。
 そして、わたしのような星が丘市の高校三年生……かつ、国公立大学進学希望の生徒たちは、ここから二週間ほどを経て、センター試験に挑むのである!

「あたしの方こそ、今年もよろしく!
 もうみんなの試験まで、あたしにできるようなことはあんまりないかもしれないけど……。
 精一杯支えさせてくれよな」

 わたしの挨拶を受けて発言したのは、わたしのクラスメートで大親友の『モリサキ ユリナ』だ。
 ユリナはこの通りちょっと中性的な話し方で、髪の毛も短く、おまけに夏は日焼けで真っ黒の女の子だ。
 だから、周囲からは『男の子っぽい』『ちょっと怖くて近寄りがたい』と思われがちである。
 でも、実際はこの通り優しくて、とても繊細で、いつも周囲の人を気遣ってくれる子なのだ。
 そんなユリナは成績が安定しており、さらに女子サッカー部の元部長ということで、内申点も申し分ない。
 そのためこれを活かして、昨年、星が丘体育大学の推薦試験を受験した。
 そして見事合格し、もう星が丘体育大学入学は決定しているのである。
 だから今も『これからセンター試験が待っているわたしたちを、支えたい』という旨のことを言ってくれたのだった。
 ところでユリナは、周囲から『ユリナが推薦試験に合格できて本当によかった』と、ものすごくたくさん囁かれている。
 繊細すぎるユリナは、悩みごとがあると、すぐに体調を崩しがちだ。
 また、ちょっとしたことでも、長期間気にしていることがある。
 つまり、受験勉強という長期にわたる、かつストレスフルな戦いは……ユリナには、ものすごく不向きなのである。
 ユリナのようなタイプは、大学受験においても、本番まで他の子よりも大きなプレッシャーを抱えて過ごしてしまう。
 その結果、本番でも思うように力を発揮できない可能性が大いにあるのだ。
 なので、ユリナを知る人はみんな『ユリナが面接と小論文だけで終わるタイプの推薦試験に合格できて、本当によかった!』と思っているのであった。
 ちなみにサッカーにおいても、ユリナのこの『緊張しがち』な一面は常に不安視されており、厚い対策がとられている。
 まずユリナは、試合前は信じられない量の反復練習をする。
 ユリナの性格をわかっているチームメイトも、当然これに付き合う。
 さらに、チーム全体で事前に作戦をプランDあたりまで構築し、共有しておく。
 こうすることで、星が丘高校女子サッカー部は、確実に『事前準備は完璧だから、きっと大丈夫』という状態までもっていく。
 これによって『試合中、ユリナは緊張のあまり、思うような動きができなかった』『試合後、これに責任を感じたユリナが、ものすごく落ち込んでしまった』という事態を避けていたのだった。
 これも、ユリナの人柄が部員みんなに好かれており、選手としてもチームの要だったことが大きいだろう。
 おそらくユリナが大学生になり、星が丘体育大学女子サッカーサークルに入った後も、同じ対策がとられていくに違いない。

「私も、今年も何卒よろしくお願いいたします。
 私はユリナに支えてもらう側ですが……。
 せめて、できるだけ心配をかけないように務めようと思っています。
 ひとまず、後残り二週間ほど、全力で頑張りましょうね」

 ユリナに続いて発言したのは、同じくわたしのクラスメートで大親友の『キリタニ アンズ』だ。
 アンズは、高校三年生とは思えないほど堂々としていて、落ち着いた性格だ。
 なので、去年の夏まで所属していたアーチェリー部では『裏部長』と呼ばれていた。部長ではないけれど、部員たちの精神的支柱として、とても信頼される存在だったのだ。
 そんなアンズは、学校の成績も、ものすごく優秀だ。
 アンズは、この地域では最も偏差値の高い国公立大学『月の谷大学』を受験する。
 だけど、誰もその合格を疑わず『アンズなら心配ないよね』と楽観視しているくらいなのである。
 そんなにすごいアンズだけど、それでも一時期調子を崩したことがあった。
 去年の秋ごろ、模試の成績が振るわず、不安のあまり別人のようになってしまったのである。
 あのときのアンズは、目も当てられなかった。
 目は、混乱のあまり『アンズが漫画のキャラクターなら、目の中にグルグルと渦巻きが描かれている状態』だったし、普段なら絶対にしない、他力本願な言動までしていた。
 結局、そのときは『正座』と『座禅』の力を借りて、少しだけ勉強から離れてもらった。そうすることで気持ちを落ち着けてもらい、解決したのである。
 けれど、もしこれがうまく行っていなかったら、アンズの『不調モード』はもっと長期化していたかもしれない。
 そう思うと、とても怖い。
 要するに……それくらい、受験勉強とはつらく苦しく、メンタルの調子を崩しやすい、大変なものなのである。

「おはよう。さすがみんな、今日も早いね」
「ナツカワ君!」

 そして今教室の扉を開けて入ってきたのは『ナツカワ シュウ』君だ。
 ナツカワ君とは、去年とても親しくなった。
 そろそろ、親友といってもよいほどの存在になりつつある。
 そんなナツカワ君は同じく星が丘高校の三年生で、クラスは五組だ。
 つまり、わたしたち三人とは別のクラス。おそらく、先に五組へ行って荷物を置いてから、二組まで来てくれたのだろう。その両手には、単語帳やいつも使っているノートなど、朝勉強に必要なものしかない。
 ところで……そう。『みんな、今日も早い』のだ。
 現在この三年二組には、わたし、ユリナ、アンズの三人しかいない。
 だけどこれは、決してナツカワ君や、クラスメートのみんなの登校が遅いということではない。
 三人とも、開始時間が早すぎるほどの『朝活』に慣れてしまっているのである。

「もしかして、もう朝勉強を始めていたのかい?」
「ううん! 今、三人ほとんど同時に来たところ。
 だから、とりあえず新年のご挨拶をしてたって感じ」
「なるほど。では、僕も挨拶させてくれ。
 みなさん、昨年は本当にお世話になりました。
 昨年は『正座勉強法』の存在を知ったことがきっかけで、君たち三人をはじめとする、たくさんの方と仲良くなることができた。
 受験生として成績を伸ばせただけでなく、一人の人間として、充実した時間を過ごせたように思う。
 だから、今年はこの『正座勉強法』がとても良いものであることを証明するためにも、確実に受験を成功させていきたいと思っている。
 どうか、今年も引き続きよろしくお願いします」
「よろしくお願いしまーす!」

 ナツカワ君と仲良くなったきっかけは、今お話ししてくれた通り『正座勉強法』というものがあったからだ。
 これは、わたしが以前所属していた茶道部で提唱したものだ。
 ナツカワ君は去年の夏に行われた行事がきっかけで『正座勉強法』とはどんなものなのだろうか? 知りたい! と思ってくれた。そこで、わたしたちに話しかけてくれたのである。
 以来、わたしたちはすっかり仲良しになった。『正座勉強法』の伝授が終わってからも、一緒に楽しく過ごしたり、勉強したりする関係になったのだ。
 ……ところでみんな、わたしが喪中であることを知っている。なので全員それとなく『おめでとう』という言葉を避けてくれているようだ。
 みんな、つくづく、とても優しいなぁ……。

「ところで『正座勉強法』ってどんなものだっけ?
 ラストスパートに向けて、私にもご教示願えませんか?」
「わぁっ!? ナカノさん!?」

 そこでヒョコっと現れたのは、クラスメートでお友達の『ナカノ アキホ』さんだ。
 ナカノさんは、普段あまり登校時間が早い方ではない。
 なのに、今日はこんなに早く来ているなんて、何かあったんだろうか。

「あっ。ごめんね、ビックリさせちゃって。
 ほら、いよいよ受験が近くなってきたでしょう? 最近あんまり眠れなくって……。
 だから、今日は早めに学校に行こうかなって思って。
 それで教室についたら、ちょうどリコちゃんたち四人がいたから」
「なるほどな! 急に現れたから驚いたぜ」
「フフフ。四人とも、すごくお話が盛り上がっていたもんね」

 ナカノさんの急な登場に驚きつつ、わたしは、急遽ナカノさんの進路を思い出す。
 ナカノさんが『正座勉強法』に興味を持ってくれたのは、とても嬉しい。
 でも『正座勉強法』とは、急に始めて、すぐに成果が出るものではない。
 だから、もしナカノさんが、わたしと同じ国公立大学志望だった場合……。
 今から『正座勉強法』を習得しても、間に合わない可能性があるのだ。
 だけどナカノさんは、確か私立大学を受験予定で、センター試験は受けない。
 本命の大学の試験は二月下旬なので、つまり、まだ比較的余裕がある。
 それならば!

「『正座勉強法』に関心を持ってくれるなんて嬉しいよ。
 ぜひ一緒に『正座勉強法』をおさらいしようではないか」

 わたしが今まさに言おうとしたセリフは、ナツカワ君にとられてしまった。
 なのでわたしは、内心ガクッとなりつつ……ここにいる全員に、こう伝えるのだった。

「よし! それなら、今からみんなで多目的室に行こうよ。
 あそこなら床がカーペットになっているから正座できるし、最近自習室としても使えるようになってるから。
 早速、ユモト先生に鍵をお借りしてくるね!」


「まず、わたしリコからご説明を始めさせていただきます。
 『正座勉強法』とは、勉強するタイミングに関係なく、安定した成果を出すためのものです!
 たとえば、ご飯を食べた後、すぐに勉強をし始めようとすると……。
 どうなっちゃうことが多いかな? ユリナ」
「眠くなっちまって勉強に集中できなかったり、睡魔に負けて勉強を中断しちまったりするよなぁ。……それはなんでだっけ? ナツカワ」
「それは、胃に食料が入ってきたことで、身体の血液が胃に集中するからだ。
 つまり、本来脳内にあるべき血液が胃へ行ってしまうから、思考力が落ちる。
 その結果、眠くなってしまうというわけだな。
 しかし、それがなぜ正座と関係があるのか?
 キリタニ君。説明してくれるかい」
「正座をすることによって、身体の血液が胃に集中している状態を変えられるからです。
 正座をすると、血液は上半身にだけ巡るようになります。
 これは、下半身が圧迫されるからですね。
 結果、脳内の血液は元の場所へ戻り、再び胃に集まることもなくなります。
 これによって思考力は戻り、眠気も退治されるというわけです」
「そうなんだー てっきり、足が締め付けられて苦しくなるから、目が覚めるのかな? って推理しちゃってた」

 四人で『正座勉強法』についての解説を始めると、ナカノさんは目をキラキラさせながら聞いてくれた。
 そのくらい、食後の勉強はつらく、眠いという、大変な問題を抱えている。
 もしこれを確実に解決できる必殺技が正座に隠されている! と知ったら、それだけで飛びつく受験生はいっぱいいると、わたしは思っている。

「足が締め付けられて苦しくなるから……。か。
 ま、それもあながち間違いでもないよな。
 正座することで、故意に足の血流をイマイチにする状態を作ってるんだから」
「そうですね。ですが、これは単なる眠気対策にとどまりません。
 正座の姿勢を維持することで、脳に送られる血液は安定します。
 つまり、思考力を落とさずに勉強が続けられるのです。
 思考力が安定している状態と不安定な状態……。
 どちらが勉強に適しているか、ナカノさんならもうおわかりですわね」
「うん、安定している状態だよね!
 そっか! だから、正座を長く続ける技術を持つこと自体が、効率のいい勉強につながるんだ!」
「まさにその通りだ。……だが、最初から正座が得意な人はなかなかいない。
 だから、始めてしばらくは『眠気対策』として短時間正座を行う。
 そして、もし『自分に適しているようだ!』と思えたら、毎日少しずつ正座をする時間を伸ばしていくのがいい。
 ナカノ君はこれから正座を始めるのだから、まだ自分が正座向きか、それとも不向きかわからないだろう?
 まずはそこから確かめてみる方がリスクが少ない。
 仮に正座が不向きである、どうしても好きになれないということがあったら、無理に正座をすることはないんだ。自分に合った座り方と、勉強法をすることが大切だからね」
「あ、ナツカワ君! それについては大丈夫だよ」
「えっ?」

 正座について教えつつ、ナツカワ君は同時に『正座を強要してはならない』というわたしたち茶道部のルールを守ってくれる。
 正座は身体に良いものだ。このように、効率のいい勉強にだってつながる、素晴らしいものだ。それは証明されている。
 でも、だからと言って『絶対に正座をしなくてはダメ』ということはないのだ。
 人には向き不向きもあるし、好き嫌いもある。
 確かに、最初は不向きと感じても、続けるうちに考えが変わることもある。
 それを待つのも、一つの方法だ。
 でもわたしは、それ以上に『正座は苦痛だ』とはあまり感じてほしくない。
 チャレンジしてみてもなかなかうまく行かないのなら、そのときはしばらく正座をお休みしてもいいと思うし、最終的に『他の座り方の方が、自分には合っている』という結論を下してもいいと思う。
 その選択権は絶対にあるということを、正座をする上で、わたしは絶対に忘れてほしくないと思っている。
 ……だけど、ナカノさんに関しては『正座は不向きかもしれない』といった心配をする必要はない。
 なぜならナカノさんは……。

「そうだ。ナツカワ君はわたしのこと、あんまり知らなかったもんね。
 実はわたし、茶道の先生の娘なの!
 だから本当は正座できるの。以前、リコちゃんたちと一緒に『市民茶会』に参加したこともあるんだよ」
「なんだってー!?」

 ナカノさんは正座ができる理由をあっさり語り、ナツカワ君は、それを、理想的ともいえる大きなリアクションで応える。
 そう。ナカノさんとは一度、茶道の先生であるお母さんのご縁で、一緒に『市民茶会』というイベントを開いたことがあった。
 だけどあの頃のわたしは、まだナツカワ君と出会っておらず、その存在すら知らなかった。
 それが一年もしないうちに、こんな楽しく話せる関係になるのだから、つくづく正座とは偉大である。……ううん? さすがにちょっと正座に結び付けすぎで、無理があったかな?

「驚かせてごめんね。逆に言うと、わたしは正座が問題なくできるからこそ、正座から遠ざかっちゃってたんだよね。
 お母さんが和風なものが好きだから、わたしは洋風なものの方が好き。
 居間では床に座ることが多いから、勉強するときは椅子に座りたい……。
 つまり、正座以外の座り方をしたい。って風に、なんとなく避けちゃっていたの。
 だけど、決して正座を嫌いってわけじゃなかったんだ。
 だから、今回を機にまた正座してみたいなって。
 和風であっても洋風であっても、それ以外のテイストであっても。
 その時一番素敵だなって思うものを取り入れるのがいいかなって!」
「そうだね! 確かに、わたしもそれがいいと思うな!」
「ということは、ナカノ君は正座の基本的なことは知っているのかな?
 特にそちらについては復習しなくても問題ないということでいいかな」
「もちろんだよ!」

 ナカノさんはそこでシュタッと右手を上げると、座って話すのをやめ、立ち上がった。

「正座を始める時は、まず、まっすぐ立った状態から、片足を後ろに下げます。
 次に、下げた側のつま先を立てるようにして、そのまま膝を床につけます。
 この時は、上半身をまっすぐに保つことを意識しましょう。
 両手は太ももの上に、簡単に乗せて置きます。
 それから、もう片方の足も同じように、つま先を立てるようにして反対側の足の横へ持っていきます。
 こうして、つま先を立てたまま腰を下ろします。
 具体的には、かかとの上に座るイメージです。
 そしてここで、つま先を崩します。
 ここで両膝のあいだは、拳一つ分ほどのスペースをあけます。
 両手は膝の上に、カタカナの『ハ』の字をイメージするように置きます。
 これが、正座の基本的な座り方になります。
 なお、スカートをはいているときは、必ずスカートをお尻の下に引くようにしましょう。
 ……こんな感じだよね!」
「さすが。完ぺきではないか!」
「えっ? こんなの『正座先生』って呼んでもいいくらいの説明じゃねぇか!」

 ナカノさんの手慣れた説明に、思わず四人で拍手してしまう。
 特にナツカワ君とユリナは驚いたようで、その拍手のスピードもパチパチパチパチ! と早い。

「ナカノさんが茶道部ではないのが惜しいくらいの、丁寧なご説明ですね。
 これも、ナカノさんのお母さまから学ばれたのでしょうか」
「アンズちゃんの言う通り!
 お母さんが茶道を教える時に伝えているやり方をそのままコピーしたの!
 あとそうだ……。正座と言えば、わたし、こういうのも知ってるの」
「えっ?」

 そう言うと、ナカノさんは一度正座を崩し、体育すわりになる。
 それから、左足のふくらはぎの裏側を押して、こう言った。

「ふくらはぎの裏側の真ん中にある『承山』ってツボ。
 このツボが、足のしびれに効くんだよ。
 正座と言えば、足のしびれが付きものじゃない。
 あらかじめこの『承山』を知っておくと、突然しびれても怖くないよね。
 だから、セットで覚えておけってお母さんが言ってた」
「確かにそれは名案だ。ふくらはぎの裏側……。あれ、どこかな」
「あれれ。わたしも見つけられないや。ナカノさん、探し方のコツってある?」

 五人そろって体育すわりになりつつ、ナカノさん以外の四人は、なかなか『承山』を探り当てられない。
 そこで質問をすると、ここでもナカノさんは明確な答えを示してくれた。

「探し方のコツはね、まずは足の力を抜くこと。
 この状態で、アキレス腱からゆっくり、上に向かっていくように探してみよう。
 すると、なんだか感触が変わるところがあると思うんだけど、ここが『承山』だよ」
「おっ……これか? 見つけた気がするぜ!」
「そう。ユリナちゃん、そこで合っているよ。
 ここを垂直にグッと、強めに押すと効くんだって。
 足がしびれてしまったら、正座が終わった後、たとえば椅子とかに座って、こっそり押すとよさそうだよね」
「すごいね! ナカノさん。わたし茶道部では『正座先生』を名乗っていたけれど『承山』のことは知らなかったよ。今後ぜひ活用させていただくね!」
「ウフフ。役に立てたならうれしいな」
「それでは、早速正座をしながら勉強を続けて、しびれてきたら『承山』の力に頼る方式で行きましょうか」
「いいね!」

 時計を見ると、こんなに話し込んでいたのに、まだ八時にもなっていなかった。
 冬休みの間、しばらく使われていなかったらしい多目的室は、正直寒い。
 でもわたしたちの心はとてもホットで、これから八時半のチャイムが鳴るまで、しっかり勉強できそうな気がしてくるのだった。

「わたし、実は志望校わりと余裕で合格圏で、冬休みもあんまり勉強に身が入らなくて、ダラけていたんだ。
 でも、今朝もこんなに早くから集まってる四人を見て、考えが変わったよ。
 たとえ問題なく合格できる位置にいても、当日までベストを尽くしたいなって思った。
 たとえば、首席合格を狙っちゃうとかね!」
「ナカノさん、自信家だなぁ ちょっと羨ましくなってきたよ!」

 そんな風に笑いつつ、朝勉強の時間は過ぎて行くのだった。


「はぁ。今日も遅くなっちゃったねぇ」
「本当だ。もう二十時近いじゃないか」

 その日、わたしたちは放課後もしっかり残って勉強を続けた。
 だから多目的室を出るころにはこんなに遅い時間になっていて、しかも二人揃ってそれに気づかなかったものだから、驚く。
 やはり、正座して勉強ができる多目的室を開放してもらえるようになったのは大きい。
 わたしたちは朝話した通りの『正座勉強法』を用いて、こんなに夜遅くなっていたことにも気づかないくらい、集中して勉強を続けられたというわけだ。
 そしてこの通り、普段は塾に行っているナツカワ君も、今日は付き合ってくれた。
 自分の勉強もあるだろうに、相変わらず合格が怪しいわたしを気遣って、数学を教えてくれていたのだ。

「それにしても、なんだか不思議な感じだなぁ。
 『東大に合格したいと思って、必死によい勉強法を探していたら、気が付くと正座していた』僕の高校三年生の夏から先を集約すると、このようになる。
 しかも、気づけば『正座先生』を目指せる立場になるほど、正座に詳しくなってしまった」
「アハハ。それはわたしも似たようなものだよ。
 『高校卒業後も茶道を続けたくて、正座の良さを広める活動と勉強を頑張っていたら、気が付けばナツカワ君に正座を教えるようになり、逆にナツカワ君からは勉強を教わるようになっていた』だもん」
「まったくその通りだな」

 そう。朝はご説明しそびれてしまったけれど、ナツカワ君の第一志望大学は、あの東京大学なのだ。
 ナツカワ君のおうちはあまり裕福ではなく、ナツカワ君は最初から国公立大学に受験先を絞って勉強していた。
 だから、本当は、ありえないくらい忙しく、友達の面倒を見ている場合ではない。
 なので、ナツカワ君がもし正座に興味を持ってくれていなかったら、わたしたちは高校生活三年間、完全にすれ違ったまま卒業していたことだろう。
 でも、こうして出会えたことで、お互い楽しい時間を過ごせているし、成績も伸びた。ここに『さらに、二人揃って志望校に現役合格をした』という未来を描いて行きたいと、わたしは強く思うのだった。

「これも正座のおかげなのかな。
 僕も、実は本来モリサキ君と同じで緊張しやすいタイプで、昔は結構ピリピリしがちだった。
 なのに今はすっかりリラックスできていて、思った以上に安定した気持ちで毎日を過ごせている。
 いざとなれば、自分は正座をして心を落ち着けられる、集中して勉強ができると思えるのは、本当にありがたい」
「それはわたしも似たような気持ちだよ。
 わたしは星が丘大学のギリギリ合格圏だから、去年は、今年の今時期、自分はもっと不安で余裕のない生活をするんだと思ってた。
 だけど正座を続けていたおかげでナツカワ君に勉強を教えてもらえるようになって、正座での集中に加えて『自分にはとてもいい先生がいる。だから大丈夫』って思えるようになったの」
「それは大変光栄だ。あとひとまず約二週間ほど、先生として務めさせてくれ。
 あとそれから、センター試験は、地元で受けられるのがありがたいよな。
 それも、比較的落ち着いた精神状態でいられることにつながっている気がする」
「そうだね。受験予定の学校に合わせたら、ナツカワ君は東京に行かなくちゃならないもん。
 一緒にセンター試験を受けられなくなっちゃうよね。
 その点でもわたし、安心してる。
 ごめんね、頼ってばっかりだけど……。わたし、きっといい結果を残すからね」
「とんでもない。友達の力になろうとするのは当然のことさ」
「フフフ。いつもありがとう!」

 こうして、二人でおしゃべりしながら玄関まで歩いて行くと……。
 そこに、わたしのとっても大切な後輩が立っていた。

「リコ様、ナツカワ様。お待ちしておりましたわ」
「コゼットちゃん!」

 その大切な後輩とは茶道部の後輩で、現在の部長でもある『コゼット・ベルナール』ちゃんだ。
 だけど茶道部は週に三回程度の活動で、今日はお休みだったはずだ。
 なのにこんな時間まで残っているなんて、一体どうしたんだろう?

「オーット、リコセンパイ。コゼットだけじゃありまセンヨー?」
「そうでーっす! いつもの五人組、全員集合しちゃってまーっすっ」
「『いつもの五人組』……私たちもそう呼ばれるようになったのね。
 こんばんは、リコ元部長。お待ちしておりました。
 私たち、今日中にどうしてもお渡ししたいものがございまして」
「なので、待っていました。受け取ってくれますよね?」
「みんなも」

 さらに、よく知った顔が四人分、次々に登場する。
 二番目に現れたのは、コゼットちゃんの双子のお姉さんで、茶道部の副部長であり……コゼットちゃんと同様、フランス人とは思えないほど流暢な日本語を操ることで知られている『ジゼル・ベルナール』ちゃん。
 三番目に声をかけてくれたのは、一年生部員で、入学前から茶道部の活動に強い関心を持ってくれていたやる気ばつぐんガール『ムカイ オトハ』ちゃん。
 四番目に来たのは、一年生部員で、オトハちゃんのお友達で、入部までにはいろいろあったけど……今ではみんなを支えるとても頼もしい存在の『カツラギ シノ』ちゃん。
 そして最後に顔を見せてくれたのは……わたしの幼なじみで、茶道部と剣道部を掛け持ちするというものすごく忙しい生活の中……いつもわたしを気にかけてくれる『タカナシ ナナミ』だ。

「アッハッハ。これはこれは。みんなこんばんは。
 これで茶道部の中心メンバー、ほぼ勢ぞろいというわけだね。
 となると、僕はお邪魔だな。それでは僕はここで」
「あら、何をおっしゃいますの? わたくしたち、リコ様だけではなく、ナツカワ様にも、お渡ししたいものがあってお待ちしておりましたのよ?」
「えっ?」

 気を遣って先に帰ろうとしたナツカワ君を、コゼットちゃんが引き止める。
 そうだ。ナツカワ君をはじめとする数学部のみなさんは、昨年夏のコラボレーション以降、わたしたち茶道部と、本当に仲良くなった。
 この場にいる茶道部部員全員が、ナツカワ君にお世話になった記憶がたくさんある。
 特にコゼットちゃんに関しては、今朝は来られなかったけれど……最近はずっと毎朝一緒に勉強するほどの関係にもなっていたのである。

「はい。二週間後のセンター試験に向けた、お守りですわ。
 アンズ様とは先ほどお会い出来ましたので、すでにお渡しました。
 で! せっかくならお二人にも今日中にお渡したいと思い、待っていた次第ですの」
「お守り!? すごい! ありがとう!」
「僕もいただいていいのかい? なんだか恐縮だよ」
「当たり前デース! 茶道部には、ナツカワセンパイの合格を強く祈願する部員しかおりまセーン!」
「ちなみに、ご本人には口止めされておりますが……。
 モリサキ先輩は、今回制作側としてかかわっておられます。
 私と一緒に生地を選びに行ったんですよ」
「そうそうっ! ユリナ先輩『絶対このお守りで三人を合格させてやるんだー!』って、お守りに念を込めまくっていたもんねーっ。
 最近、毎日星が丘神社にお参りに行っているみたいなんですよーっ」
「というか、今も行っているようですね。
 最近、星が丘神社で短期アルバイトをされているようです。
 マフユさんはそちらへ付き添われたので、今日ここにはいらっしゃいませんが、ユリナ先輩同様、とても強いパワーをこのお守りに込めておられました」

「そうだったんだ……。本当にありがとう! みんな。
 ぜひ受け取らせていただくね」
「僕も頂戴しよう。そして、当日はこれを持って、必ず高得点を叩き出して見せるさ」
「それは頼もしいですわ!」

 マフユさんとは、やはり茶道部の一年生部員の『ヤスミネ マフユ』さんのことで、ご実家が『星が丘神社』という神社の子だ。
 そんなマフユさんとユリナをはじめとするみんなが、力いっぱい気持ちを込めてくれたお守り。そんなの、持っていたら絶対合格できちゃう気がする。

「ちなみに、中は正座の基本的な座り方を記したメモが入ってマース。
 センター試験中に、正座はできまセーンよね?
 デモ! これを用いて『正座パワー』を得るという寸法ナノデース」
「すごーい! まさにわたしたち向き!」
「ですよねーっ」

 こんな風に笑いながら、わたしとナツカワ君は、みんなの想いを大切に受け止め、当日の思いを新たにする。
 すると、警備員さんから

「そろそろ帰りなさーい!」

 とお叱りの言葉を受けてしまったけど……。
 今はそれすら、とてもいい思い出になる気がするのだった。


「……よし。みんな、行くぞ!」

 そして、センター試験当日はやってきた。

「お互いに最高の結果を出しましょうね」

 わたしは今、アンズとナツカワ君というすばらしい仲間と共に、受験会場である星が丘大学へ入ろうとしているところだ。
 一年前、わたしはこの大学を受験しようという発想さえなかった。
 特に目標もなく、ただ、自分の成績に合った大学に入学できればいい。
 その程度の考えしかなかった。

「うん! これまでの成果、全部出し切るよ!」

 でも、今は違う。
 今のわたしは、春からも茶道と正座を続けていきたいという明確な目標があって、そのためにこの星が丘大学を受験する。
 さらに、自分の未来のためだけじゃなく、今日を迎えるまでに支えてくれたみんなのためにも、合格したいと願うようになっている。
 わたしは、スウ、ハァ……と深呼吸して、春からの、新しくて、素晴らしい生活を想像する。
 それから、コゼットちゃんたちから受け取ったお守りを左手で握りしめ、右手はこぶしを握って大きく突き上げて……こう言うのだった。

「春には三人そろって、絶対第一志望に合格しようね。
 そのためにも今日は……正座パワーで、頑張ろう!」

 と!


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