[375]ここなつ遊児の願いとマグシ姫の懺悔(ざんげ)


タイトル:ここなつ遊児の願いとマグシ姫の懺悔(ざんげ)
掲載日:2025/08/22

シリーズ名:緑林シリーズ
シリーズ番号:5

著者:海道 遠

あらすじ:
 薫丸(くゆりまる)が、南の「緑林」の住処がある小島に住み始めて半年。船の操舵法を教えてもらい、船乗りの男たちの食事や洗濯、そして正座の作法を教えたりして、忙しく暮らしていた。椰子から落ちてきた、ここなつ遊児が懐いてまといついている。
 ある日、大きな船から小舟で、うりずんと美甘ちゃんがやってきた。アマドコロ爺やや、ミドリにされていた赤ん坊と過ごしていると知らせが来た。八坂神社のご祭神、マグシ姫が高熱で倒れたと。さて――?



本文

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第一章 うりずんと美甘ちゃん

 平安時代――。南の名もない小島。
 この小島の洞窟に「緑林(りょくりん)」と呼ばれる盗賊団の住処がある。「緑林」とは中国の故事から盗賊団を意味するが、今の「緑林」は義賊である。
 公家の御曹司だった薫丸(くゆりまる)が、「緑林」の島で暮らしはじめて半年―――。
 ひたすら緑林仲間の生活を世話したり、船の操舵術を教えてもらったりしている。
 義賊とはいえ、まだ盗みの旅には参加したことがない。
 仲間の食事を作ったり洗濯したりしているうちに、毎日があっという間に過ぎていく。
 都の公家の屋敷でヒマを持て余したり、日がな一日、傀儡子(くぐつし)の芸を見物したり、仲間と遊んでいた頃に比べると、我ながらよく働いてるな〜~と思う。

 海の力自慢の男たちに混じって働いていると、ついつい遅れてしまうというのに、やたら、ここなつ遊児がじゃれついて離れない。
 ここなつ遊児は、ある日、椰子の木から転がり落ちてきた8歳くらいの男の子で、椰子の妖精だと名乗っている。
 船着き場でも、小舟と岸の間をぴょんぴょん飛びながら薫丸の仕事のじゃまをしている。
「危ないぞ、遊児、そんなに跳ねていると海に落ちるってば!」
「落ちても平気だい、おいら、水に浮くから!」
「あ、お前、椰子の実だったな」
 懲りずに小舟と小舟の間や海岸を飛び回っている。
「おや?」
 薫丸が気づくと、大型の船からやってきた小舟に、うりずんと美甘(みかん)ちゃんが乗って近づいてくるではないか。
 美甘ちゃんは公家幼稚園舎からの幼なじみで、うりずんは琉球の季節神で夫。まだ新婚だ。
「薫丸く〜〜ん!」
 大声で叫んで、たすき掛けの袖から両手を出してぶんぶん振っている。
(あ〜あ、白い腕が丸見えじゃないか、みっともないな……)
 ふたりは、船着き場に到着した。
「な、何しに来たんだ」
 薫丸が言うと、
「何しにとは何よ。船乗りの人たちの正座のお稽古を手伝いに来たに決まってるでしょう」
「そうだよ、薫丸くん。元気そうだね」
 うりずんも輝く笑顔で言う。
「まだ半年しか経ってないじゃないか。あんたたち、少しもじっとしてられないんだな」
 薫丸はふたりの荷物を背負って、お付きの男たちと歩きはじめる。
「半年か……。半年でも、ザンギリ頭が少し伸びたわね」
「そうかあ?」
 頭に手をやった。思い切って、子どもの頃からのみずらの黒髪をぷっつり切って半年が経つ。艷やかな黒髪が首すじを覆うくらいに伸びている。
「いいなあ、おいらももっと伸びないかなぁ」
 ここなつ遊児が、羨ましそうに薫丸の髪を見つめている。
「お、君は髪を伸ばしたいのか?」
 うりずんが愉快そうに尋ねた。
「うん! くゆりみたいにサラサラの黒髪になりたいんだ! このまま、バリバリ赤毛のまんまだったら、あんたみたいな紅だか砂色だか分かんない変な色の髪になりそうだからな」
「変な色の髪で悪かったな、椰子の実(やしのみ)坊主! 悔しかったら黒髪になってみろ」
 うりずんが言い返す。
「へん、自分だって説明つかない色の髪のクセして」
 しかし残念ながら、椰子の実の妖精は成長しないことに決まっていた。ここなつ遊児も、それは分かっている。

第二章 保育所の正座

「ここの座敷で正座の稽古をしてもらっているんだよ」
 薫丸は洞窟の奥にある屋敷へ案内した。
「全部で仲間は50人。それと、海松(みる)坊が時々来るのと、アマドコロ爺やさん。海松坊の親は漁り夫(いさりお)だから、漁に出ている間は預かっている。まあ、船乗りたちも毎日、帰ってくるわけじゃないから、この座敷の広さで間に合っているよ。頭領の朱華さんは遠出が多くてあまり帰ってこないから――」
「アマドコロ爺やさんもお稽古なさるの? 足腰はご丈夫なの?」
「海松坊がだんだん重くなってくるから、腰が痛むとか言ってたかな?」
「それなら、ちょうどいいわ。私、腰痛のためにいろんなこと勉強してきたから!」
「でも、正座の所作に一番苦労しているのは、頭領の朱華(はねず)さんかもな。何せ、男勝りの『益荒乙女(ますらおとめ)』だろう?」
「無理もないわ。海賊の女頭領だもんね」
 アマドコロ爺やが、さっそく座敷を覗きに来た。抱っこしてきた海松坊は、さっそく広い座敷の中を駆け回る。ここなつ遊児も、面白がって後を追いかける。
 キャッキャ、どたばたしているのを、アマドコロ爺やさんが目を細めて見ている。
「『緑林』の一室が保育所みたいになってますな」
「本当だ! さあ、爺やさんが美甘ちゃんに腰を揉んでもらっているうちに、正座のお稽古しよう、ボクたち!」
 薫丸がふたりの子どもを呼んだ。
「ええ? また、キュウクツな座り方のお稽古かい?」
「イヤならいいんだぜ。遊児。お前が黒髪になるように、毎朝、神棚にお祈りしているの、もう一緒にやってやんない!」
「あっ、あっ、やるよ。お稽古すりゃいいんだろ、くゆりめ~~」
 遊児は、ふくれっ面になりながらも、ちゃんと所作を守って正座した。
「遊児、上手くなってきたじゃないか」
 薫丸が褒めると、
「そりゃ毎日やってりゃ、上手くもなるさ! 黒髪になった時に正座できた方がサマになるだろ?」
「お前を見習って、海松坊まで正座のお稽古してるぜ」
 海松坊はまだ頭が大きいので、すぐに後ろにスッテンと転んでしまう。今日も転んで泣き出してしまった。
「あらあら、思いきり頭を打ってしまったものねえ」
 美甘ちゃんが駆け寄って抱っこする。
「いいなあ、美甘奥ちゃんが赤ちゃんをヨシヨシしているところ」
 うりずんが、にこにこして眺めていると、
「あら? そろそろ、私を母親にしてくださるの?」
「さあ、それは、神さまにしか分からない」
「だから、うりずん神さまに聞いているんじゃないの」
「私は子授けの神さまじゃないからね」
「えっ? てっきり子授けの神さまだと思っていたわ。海松坊がミドリ色に塗られていた時みたいに、どこから赤ちゃんが湧き出してくるか分からないじゃないの」
 美甘ちゃんはツンとした。
「あれは、スサノオの尊さまの隠し子かと手紙を読んでマグシ姫さまが誤解したのだろう? どうして私に風当たりが強いのかな」
「あなたの隠し子だって、ひょっこり見つかりそうだからよ。いえ、スサノオの尊さまはとってもご誠実でしょうけど、あなたの方が危ないわ」
「そんなにギンギン声で言わなくたって……。ふふふ、『子授けの神さま』って便利な言葉だな」
 薫丸とここなつ遊児が、部屋の中を走りまわった。
「うりずんさん、そろそろ船乗りさんたちの食事を作りに行くから、手伝ってよ!」
 薫丸が声をかけて、ふたりは“保育室”を出て厨房へ歩き出した。
「やれやれ、助かったよ。奥ちゃんはしつこくてね」
「うりずんさんが、美甘ちゃんを大切にしてることはよく分かっているよ」
 薫丸は畑に行き、フキとネギを収穫して、うりずんが背負っている籠にドサッと入れた。
「今日の和え物はこれで我慢してもらおう。後、魚は干し物か、海から獲ってくるから」
「ふうん、薫丸、京にいた頃の貴族ごはんと全然ちがう質素な食事だねえ」
「うりずんさんは、雑穀を洗って蒸して!」
「はいはい」
 そこへ、ここなつ遊児が血相変えて走ってきた。
「くゆり! さっき港に着いた船から、急な知らせだって!」
 握り締めた文を差し出した。
「何だろう?」

 まだぐずっている海松坊を抱っこしていた美甘ちゃんは、急いで戻ってきた薫丸とうりずんに、目を向けた。
「美甘ちゃん、大変だ!」
「ど、どうしたの」
「マグシ姫さまが、高熱と腹痛だって!」
「何ですって、では、私たちが旅立ってから、すぐに?」
 うりずんが文を読む。
「スサノオの尊さまからの文だ。全身と顔までミドリ色の発疹(ほっしん)が出てブツブツだらけだって。高熱が下がらないらしい」
「ま、また、ミドリかよ~~。俺たち、ミドリに呪われてる?」
「戯言(ざれごと)言ってる場合じゃないわ、すぐに都に帰らなきゃ!」
 美甘ちゃんは、海松坊をアマドコロ爺やさんに渡した。

 その日のうちに、うりずんたちは京の都へ取って返した。
 薫丸も大急ぎで旅支度をして、同じ船で琉球まで行くことになった。
「やれやれ、騒々しい人たちだな。ミドリのブツブツだって?」
 遊児は神棚へ駆けていき、
「どうか、ミドリに呪われている病の人を助けてください。ついでに、おいらの赤毛もミドリの黒髪にしてください」
 正座して祈った。

第三章 朱い月の光

 ―――祈っていると――、
(あれ? 何故、見えるのかな? 赤い顔にブツブツができた姫君の苦しんでいる姿が見える)
 遊児はいつの間にか、椰子の幹の上にまたがっていた。すると次の瞬間、幹が弓のようにしなって、ものすごい勢いで弾かれて、でんぐり返って正座していた。
「いてて、頭打った……。あれ? ここは?」
 見たことのない静かな広い部屋の中にいた。真夜中だ。
 部屋の真ん中に豪華な布団が敷かれていて、姫君が寝ている。
 赤い顔をしてブツブツができている。さっき頭の中で見たのと同じだ。ブツブツはミドリじゃなく赤い。息が苦しそうだ。
(この人が、くゆりたちが言ってたマグシ姫かな? じゃあ、ここは京の都? 都にまで椰子の木に飛ばされてきちまったのか?)
 襖が開いてがっしりした男の人が入ってきた。
 立派な着物を着ている。
「マグシ! しっかりいたせ! 薬師はきっと治ると申しているぞ」
「き……み……さま……。君さま……、わらわは、とんでも……ない、こと……を……」
 姫が小刻みに真っ白になっている唇を動かした。
「マグシ、何と申した? 何が言いたい?」
 スサノオの尊が姫の口元に耳を寄せる。
「君……さま……わらわは……取返しのつかない……罪深いことを……してしまいました……」
「どういう意味だ? マグシ」
 マグシ姫は、それきり黙ってしまった。

 遊児はふと目が覚めた。うっかり寝ていたのだ。
 部屋の中を見回すと姫が寝ていた布団の傍らに、スサノオの尊さまがうとうとしている。
 その背中に、登りつつある赤い月の光が差し込んできて、赤く染めている。遊児はその色になんともいえない禍々しい空気を感じて、ゾゾッとした。
(姫は――?)
 見ると、床の間の前に座っているではないか。床の間にはご祭神が祀ってある棚がある。
 姫は正座して一心に何か祈っていた。
「キミ……、赤い髪の毛のキミ……、愚かで阿呆(あほう)のわらわの話……、聞いてくれる……?」
 背後にいる遊児に向けて、合掌したまま姫が言った。
「な、なに? おいらに?」
「ええ……。お願い……。聞いてほしいの。とてもスサノオの尊様には……話せないことを――」
「何だろ? 寝ていなくていいのか?」
 マグシ姫は、それには答えず話しはじめた。
「一昨年の夏―――、ものすごい猛暑が続いてね……、ご参拝のお客様も……通行人の方々も道行きで倒れてしまって……、あまりにも暑そうだったので、以前……、ここのご祭神だった牛頭(ごず)天王さまにお願いして……、山の氷室からキュウリを運んでもらって……、井戸で冷やしたキュウリを……、売りはじめたの」
「ふ~~ん、良かったじゃないか?」
「ほんの数日前まで……、私もそう思っていたんだけど……、とんでもない……罰当たりなことだったの!」
「はあ? どうして?」
「この神社のご神紋は……、キュウリを表しているから、ご神事の時など……、氏子さんは……、キュウリを食べないようにしているのですって……! なのに……、私は通行人に売って歩いて……しまったのよ」
「ええっ? そ……それはかなり、ヤバいかもな」
 遊児も、ちょっと慌てた顔になった。
「その証に……、氏子さんたちの恨みを買って……、わらわはこんな病に……なってしまったわ」

第四章 スサノオの激怒

「マグシ、今、なんと申した?」
 ふと気配に振り向くと、スサノオの尊が仁王立ちになって、マグシ姫とここなつ遊児の背後に立っていた。
 見たことのない恐ろしい形相だ。
「き……君さま……!」
 スサノオの手が、邪険に姫の襟元をつかむや、顔面まで引き寄せた。
「キュウリを通行人に売って歩いただと? ――なんという愚か極まりないことをしてくれたのだ! ご神紋への冒涜(ぼうとく)行為だ!」
「も、申し訳ございません……。わらわなど……、君さまの妻でいる資格なぞ……」
「資格なんぞ、あると思うな。この八坂神社に祭られているのは、我らふたりだけではない! 子孫の神々や疫病払いの神々あまたおられる。そなたはその神々たちの怒りを一点に集めてしまったと思い知るがよい!」
 いつものスサノオの瞳ではない。轟々と燃え上がる地獄の焔(ほのお)そのものだ。
「く……苦しい、君さま……」
 そのまま、肩に担ぎ上げて地下への入り口へ運んでゆく。
「待って、待って! 許してあげて!」
 遊児がまとわりつくのをはらいのけ、地下への階段を下り、姫を堅固な地下牢の中へ放り込んだ。姫は湿った床の上に崩れ落ちた。
(本気で怒らせてしまった……)
(今度こそ、離縁かもしれない……)
 湿った冷たい床の上で、マグシ姫は罰の熱で倒れたまま、指一本動かせなかった……。
「誰だ?」
 ここなつ遊児が肩をトントンとされ、ふと振り向くと、同じ赤い髪をした友だちのシュロ丸が来ていた。
「シュロ丸、どうしたんだ?」
「その姫さま、熱と腹イタで困ってるんだろう。ソテツの実を食べさせられたのかもしれないと思って、これ」
 シュロ丸は遊児の手に薬の包みを渡すや、暗闇に消えた。

 八坂神社の奥殿の裏口が、どんどん叩かれた。
 美甘ちゃんとうりずん、そして、薫丸がマグシ姫の急病を聞き、急いで南の島から駆けつけたのだ。
「もし! お開けください! うりずんの妻、美甘でございます! マグシ姫さまがご急病と聞き、急ぎ、旅先から戻りました!」
 次は、うりずんが代わって扉をたたき、
「季節神のうりずんです! マグシ姫さまのお具合は、いかがなのでしょう?」
 ふたりでずいぶん叩いてから、他の建物に行こうとした矢先、背後で扉が空いた。
 肩幅の広い見覚えのある人影が浮かび上がった。
「―――スサノオの尊さま!」
 美甘ちゃんが取りすがった。
「あの、あのう、マグシ姫さまのお加減は……」
「……マグシ? ここにはおらぬ」
「……え? あの、スサノオの尊さま!」
「マグシ姫は、重大な罪を犯したゆえ、八坂神社から追い出した!」
「な、何と?」
 美甘ちゃんの胸が衝撃に震える。
「聖女のようなマグシ姫さまが、どんな罪を犯したとおっしゃいます?」
「この神社そのものを冒涜したのだ! 赦されぬ大罪だ!」
「信じられませぬ! い、いったい何をされたと?」
「神社のご神紋そっくりと言われているカタチの、キュウリを庶民に売り歩いたのだ。それも、2年ほど前の夏に仕出かしてから、ずっと我に黙っていた。不届き千万だ!」
「……!」
「ゆえに追い出した! 行方は知らん!」
 3人の目の前で、扉は激しい勢いで閉められた。

第五章 キュウリの輪切り

 美甘ちゃん、うりずん、薫丸の3人は真夜中の神社の境内に呆然と立ち尽くした。
「スサノオの尊さまが、あんなにお怒りになるなんて……」
 美甘ちゃんは肩を震わせている。
「いったい、何があったんだろう……」
 そこへ、小さな人影が真っ暗な中を走ってきて、バタッと倒れた。
「あっ! お前、遊児? ここなつ遊児じゃないか!」
 薫丸がしゃがんで、小さな人影を助け起こした。
「あっ、くゆり!」
「やっぱり遊児! お前、いつの間に?」
「おいらの方が何故か、椰子の木にはじかれて先に着いてしまったらしい。病気の姫のところへ行くつもりで椰子の木に乗っていたら跳ね飛ばされてきて……姫さまが苦しそうに……」
「遊児! お前、マグシ姫に会ったのか?」
「ああ、姫さまが男の神さまに地下牢に入れられたんだ!」
「なに! お身体の具合はどうなんだ?」
「まだ熱がある。治っていないのに、男の神さまが無理やり地下牢へ担いでいったんだ」
 美甘ちゃんが恐れおののき、
「信じられないわ、スサノオさまがそんな乱暴を」
「いや、さっきの剣幕だったら、本当かもしれないぞ」
 うりずんが言った。
「さっき、キュウリを売り歩いたのがなんとか言っておられたな、坊主。私がマグシ姫とスサノオの尊さまに初めてお会いした時のことだ!」
「そうそう、そのせいで、姫さまはこっぴどく怒られたんだ。ご神紋がなんとか……」
「ご神紋?」
 うりずんは少し考えこみ、薫丸が、ハッと顔を上げた。
「神社のご神紋は、キュウリの輪切りにしたカタチと似ているんだ! だから、ご神事の間、氏子さんたちはキュウリを食べないとか聞いたぞ」
 うりずんも目を見張った。
「なに~~? それはマズいんじゃないか? 神をかじるのと同じで実にマズイぞ! 確かに……、私が初めて会った猛暑の夏には、井戸水で冷やしたキュウリを大量に売っていた!」
 薫丸が、
「きっとマグシ姫さまは、キュウリのことをご存知なかったんだ!」
「薫丸、八坂神社のスサノオの奥方さまが、そんな重大なことを『知らなかった』じゃ済まされないぞ」
 うりずんは唇を噛み締めた。
 ここなつ遊児が、
「それより、あの姫さまの熱をどうにかしないと」
「そうだわ。そっちの方が先よ。遊児、何か治す手立てはあるの?」
「これ……さっき、椰子の木の妖精仲間が届けてくれたんだ。どうやらご病人の熱と腹痛は、ソテツの実をナマで食べたことによるものじゃないかって」
 小さな紙に包んだ粉薬を、ここなつ遊児が差し出した。
「ソテツの実をナマで? 誰がそんなものをマグシ姫さまにお供えしたのだ?」
 うりずんが叫ぶように言った。
「だから、この神社にお祀りしてある神々の怒りだとか、氏子さんの呪いだとか言ってたよ」
「なんだか胡散(うさん)臭い話だな。よし、とりあえず、その薬をマグシ姫に飲ませなければ。遊児、案内してくれ」
「うん!」

第六章 スサノオ爆笑

「何? マグシがキュウリに似ている神紋のことに気づかず夏にキュウリを売っていたことに、私が腹を立てたと思っただと?」
 スサノオの尊は、うりずんたちの顔を見回してから、大声で笑った。
「わ~~はっはっは! これは愉快! 笑止千万!」
「スサノオさま……?」
 スサノオの尊は、しばらく笑いが止まらず、柱にもたれかかり涙を流して笑い続けていた。
「そのくらいのことで私は動じん。また、氏子の方々も気分を損ねて、マグシに不満を持ったりするほど度量は狭くない。ましてや呪うとか、丑三つ刻参りでもあるまいに!」
「では、なぜマグシ姫さまを地下牢に?」
「マグシを安全なところに匿った(かくまった)のだ。またもや、執拗にも、あの月神のがちじんの奴めが悪さをする気配を感じたのでな。マグシが熱を出したのが証拠じゃ」
「また、月神がちじんが! 滅びていなかったのか……」
 美甘ちゃんが思わず青ざめて、うりずんに身を寄せた。
「今度はマグシに悪さを仕掛けてきたので、騙されたふりをして叱ってから、月光の届かない地下牢に匿ったのだよ」
「なんだ、姫を守るためだったんですね~。でも、高熱と腹痛はどうなったのかしら? さっき、お渡ししたお薬は? ソテツの実の毒ではないかと言って、赤毛の子の友が持ってきてくれたという」
 美甘ちゃんは両手を揉んで答えを待った。
「あの解熱剤はすぐにマグシに服用させた。しばらくすると熱は下がり、顔のブツブツも治り、腹痛も治ったようだ。ソテツの実はナマで食べると命に関わるそうだ。あの赤毛の坊主に深く礼を言わねばならん」
 スサノオはやや、遠い目をして、
「あの小僧は黒髪になりたいと言って、祭壇の前で正座して合掌していた……。どれ、黒髪にしてもらうよう、神社の祭壇に私からもお願いしてみよう」
「それは、あの子も喜びますわ!」
 美甘ちゃんが喜んだが、祭壇からは「難しい」という託宣が下った。
 そこで、美甘ちゃんは実家にいる侍女の美容の局(つぼね)に話を聞きに帰ったが、しょんぼりして帰ってきた。
「人間の髪でも赤毛を黒く染めるのは難しいんですって。ましてや、遊児はここなつ椰子の子ですもの。植物の毛髪なので、黒くは染まらないそうなの」
「そうなんだ……」
 遊児は下を向いた。
「そんなにがっかりしないで。あなたはそのままで可愛いわよ。黒髪になりたい時だけ、かもじを着けるとか、かつらをかぶるとか。どう?」
「そんなの、やだ」
 薫丸が、
「そうだ、昆布とか海藻を食べると髪に良いとか聞いたことあるから、これからは髪に栄養たっぷりの食事を作ってやるから、それで頑張ってみちゃどうだ?」
「それしか方法がないんなら頑張ってみる。美味いもん、作れよ、くゆり!」
「お前も手伝うんだよ!」
 ふたりは固く指切りげんまんした。

第七章 遣唐使船の僧

 薫丸たちが、マグシ姫の回復を見届けて、南の島に戻ってひと月が経つ。
 薫丸とうりずんは毎日、船乗りたちと遊児のためにできるだけ栄養たっぷりの海藻類を入れた食事を作り続けていた。が、ここなつ遊児の髪は赤いバリバリのままだった。

 ある日、遣唐使船が島に寄り、若い修行僧が下りてきた。お師匠さまの僧が大陸へ渡られるのについてきたという。
「なに? 椰子の実小僧が黒髪になりたい?」
 あっと言う間に、カミソリを出して丸坊主にしてしまった。
「わわわ、わ~~~っ! おいらの赤毛が!」
「赤毛に未練などないのだろうが」
「そうはいってもいきなり、こんな……。頭が寒いじゃないか」
「ここは亜熱帯だ。風邪をひく心配はないぞ。願い事が叶う正座の所作を教えてやろう」
「えっ」
「背筋を伸ばして立つ。両膝を着く。かかとの上に座る。座る時にお尻の下に衣を敷く。ほうら、きれいに正座ができた! 願い事が叶うとよいな、小僧」
 修行僧は師匠と船に乗って行ってしまった。
「見事な丸坊主だな」
「くゆりめ。うるさいやい」
「今度、生えてくるのは黒い髪かもしれんぞ、楽しみに待つんだな」
「うるさい! そんなはずないだろっ」
 砂浜でふたりの追っかけっこが続いた。

 八坂神社の静かな奥殿では――。
「君さま……」
 マグシ姫が寝床から手を伸ばしてスサノオの大きな手を握った。
「こんな、妻である資格もないわらわを魔物から守ってくださったとか……。なんとお礼を申し上げればよいか……。マグシは消えたいくらいお恥ずかしいです……」
「マグシ……厳しい言葉を浴びせてしまい、悪かったな。お前がご祭神や民から憎まれるはずがないではないか。以前、魔物に憑りつかれてしまった私を救ってくれたのはお前だ。恩を返したまでのことだ」
「君さま……どう申し上げればよいか」
 濃いまつ毛から、真珠がひとつ、ふたつ、ハラハラと落ちる。
「何も言わずともよい。愛おしいマグシよ」
 スサノオの尊が穏やかな笑みを浮かべて、妻を見守り続けた。


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