[100]マツムシ草と肝だめしの正座


タイトル:マツムシ草と肝だめしの正座
分類:電子書籍
発売日:2020/09/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:48
定価:200円+税

著者:海道 遠
イラスト:よろ

内容
 山奥の小・中学校に若い西洋人のリディア先生が赴任してきた。
 中学三年生のガキ大将、鋼太や男子生徒は一目ぼれ。鋼太は、肝だめしをやり、勝った者だけがリディア先生と仲良くしていいことにする、と言い出した。
 皆は不平を言うが、鋼太には逆らえない。肝だめしとは、夜中にいわくつきの地蔵堂へ行き、五分間正座してくるというものだった。地蔵堂にまつわるいわくとは―――。

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本文

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第 一 章 リディア先生

「皆さん、こんにちは」
 ある秋の日、山の中の小・中ひとつになった学校に彗星のごとくやってきた西洋人の女の先生。
 その名はリディア先生。イギリスから来たんだとか。初老の女校長先生が、抜けるような青空の下、朝礼で全校生徒に紹介した。全校生徒は三十二人だけだが。そのうち中学生は二十一人。
「リディア先生は日本のこともいろいろと勉強したくていらっしゃいました。仲良くね」
 金髪に青い眼の、ロング巻き毛の先生だ。
 全校生徒は、ぶったまげた。
 なにせ、西洋人を側で見たことがない。そんな人が教師としてこの学校へ?
 英語の先生である。今まで英語の授業なんてハナから分からないと決めて、授業はさぼりまくりの生徒たちだったが……。俄然、やる気を出し始めた。男子は少しでもリディア先生の気を引きたいばかりに。女子は彼女の美しさにあこがれて。
 中三でこの学校のガキ大将、鋼太もリディア先生にイチコロになってしまった。仲間が騒いで先生を取り巻いていることに我慢ならない。
「お前ら、俺の許可なくリディア先生に近づくんじゃねえ」
 睨みをきかせるが仲間たちも黙ってはいない。
「鋼太にそんなこと言われる覚えはないぞ」
「そうだ、そうだ。リディア先生は生徒みんなの先生だ!」
「そうよ、私たち女子だって先生にいろいろ教えてもらいたいわ!」
 女生徒の中で一番、積極的な瑠衣が、鋼太に反発した。
「とってもいい匂いがするのよねえ。日本語も上手だし優しいし」
「黙れ、お前ら! 俺が言ってるんだから、それが決まりだっ」
 鋼太の独裁に火がついた。
「こうなったらリディア先生に近づいてもいいヤツを肝だめしで決める!」
「き、肝だめし?」
 みんなは仰天した。
「肝だめしって、夏にやる、あの怖いヤツか?」
「そうだよ。肝だめしに成功したヤツだけがリディア先生とおしゃべりしてもいいことにする」
「ずるいぞっ、鋼太! なんでそんなこと、お前が決めるんだっ」
 みんな口々に不満を言ったが、鋼太の決めたことに逆らえる者は誰もいなかった。それだけ鋼太は小学生の時から体格や体力も勝り、皆を牛耳れる力を持っていたのだ。
「鋼太、何をそんなにプンプンしてるんだね」
 家に帰ると、お祖母ちゃんがキノコご飯を作る手をとめて孫を迎えた。カバンを居間に投げ出し、鋼太は天井を向いて大の字に寝転がる。
「牛乳のむか」
「いらん……それより、今日、いい匂いのする先生が学校にやってきた」
「女の先生か」
「うん。西洋人だ。金髪で青い眼の」
 それを聞いてお祖母ちゃんのキノコのいしづきを取る手が止まった。そして鋼太の栗色の髪の毛の頭を眺めた。
「また、どうしてこんな山奥の学校にねえ」

第 二 章 番狂わせ

 鋼太の決めた肝だめしの内容はこうだ。
 村の墓地の向こうに鬱蒼と茂る暗い森があり、いわくつきの地蔵堂がある。いわくというのは、昔、貧しい母親と赤ん坊が旅していたが、地蔵堂で力尽き、母親が死んでしまったというのだ。お腹の空いた赤ん坊は、母親が亡くなったことも知らず、しばらくお乳を吸い続けたが、やがて、赤ん坊の泣き声も途絶えたとか。
 それを聞いた生徒たちは、ぞっとして青ざめた。
 とりあえず、その地蔵堂にストップウォッチを持った仲間が、ふたり待っている。真夜中に地蔵堂の前で正座を五分間して、合掌して証明のスタンプもらってこれたら合格。
「あんなおどろおどろしいところで正座を五分間も……」
「でも、変だな。腕っぷしは強いけど、一番の怖がりは鋼太じゃないか」
「うるさい、俺だって勇気出せるってとこ、リディア先生に見せるんだ!」
 破れかぶれの鋼太だ。
 女の子たちはとてもできないと、瑠衣以外の子が全員泣き出してしまった。
「どうしたの!」
 教室の戸をガラッと開けて入ってきたのは、当のリディア先生だ。
「どうしたの、女の子たち。こんなに泣いて」
 女の子たちは、一斉にリディア先生の側へ駆け寄り、泣き続けた。しかし、鋼太が怖くて誰ひとり肝だめしの事は言わない。
「本当にどうしたの、ケンカしたの。さ、先生が女の子全員、送っていってあげるから、泣くのはもうおよしなさい」
(送っていく?)
 鋼太はうらやましくて身をよじった。
(俺も女の子に生まれてくりゃ良かった!)
 女の子たちは、さっさと身支度をして、リディア先生と一緒に教室を出ていく。
(あっかんべえ、だ! 鋼太のこと、みんな言いつけてやる!)
 気の強い瑠衣が、目でそんなことを言った気がしたので、鋼太は気が気でなかった。

 結局、誰も鋼太の謀略ともいえる「肝だめし」のことは言わないでいたらしく、翌日は平穏に過ぎた。
 しかし、数日後、リディア先生が、女の子たちがボール投げして遊んでいるところへやってきて、
「ねえ、『肝だめし』ってなあに?」
 と尋ねた。女の子たちは、びっくりして顔を見合わせ、おどおどする。
「どうしたの? 今度、それ、するんじゃないの? 下宿先のおばさんに聞いたら、面白そうじゃないの」
 女の子たちの隣でドッジボールしていた鋼太たち男の子が遊びを中断してやってきた。
「先生、それ、誰に聞いたんだ?」
「下宿先のおばさんよ。村で一年間、何をするか教えていただいたの。そしたら、夏祭りの時にやるっていう『肝だめし』に興味持っちゃって。それを、夏じゃなくて今やるらしいって聞いたのよ」
 きっちり情報が洩れている。鋼太は周りの仲間をぐるりと見まわした。
(誰だあ、肝だめしするってことを誰かにしゃべったヤツは~~?)
 仲間たちは視線を避けている。
(さては……)
 鋼太の鋭い目は、女の子の中でも利口な瑠衣を捉えた。
「そうよ。私よ。だってリディア先生と下宿先のおばさんが楽しそうに夏祭りの肝だめしのことをおしゃべりしていたんですもの。で、ついでに今やることを教えてあげたの」
「お前、リディア先生のおしゃべり仲間に入ったのか! あれほど言っておいたのに」
「鋼太くんって逞しい男の子ねえって、先生言ってたから、『はい! とっても頼りがいのある男子です』って答えといたわ」
「え、そ、そんなことを? そしたら先生、なんて?」
「『ああ、あの子なら顔は覚えてるわ。中学三年生にしちゃ、先生と同じくらい背が高いし日本男児って感じよね』って言ってた」
「ほ、ほ、ほんとかあ……」
 鋼太は真っ赤になっている。それから口ごもり、
「日本男児? 俺の赤茶色の髪の毛のことは?」
「そんなこと、何も」
 そこへ、ふたりの背後から透き通った声が飛んできた。
「瑠衣さん、鋼太くん、何を話してるの? 肝だめしするらしいじゃないの、鋼太くん」
「え、あ、まあ……」
「季節はずれだけど、ラッキーだわ。私、そういうの大好き!」
 リディア先生の表情はいきいきとしている。
「ホラー大好きなの! もちろん、私も参加させてくれるわよね?」
「えええっ!」

第 三 章 リディア先生の苦手

(先生が肝だめしに参加! ってことは、もし先生が地蔵堂の五分正座に合格してしまっても、意味不明になっちまうぞ! 先生と仲良くしてもいい人を決めるためにやるんだから)
 鋼太は慌てた。そこへ、これでもかという具合にリディア先生は、
「私、大学時代、日本の大学に留学してたんだけど、お化け屋敷の怪物に扮装してお客さんを驚かせるバイトしていたことがあるの! 肝だめしでも、当然そういう仕掛けを作るのでしょう?」
「えっ」
「だって、目的地に着いて五分間座ってくるだけなんてつまらないじゃないの」
「先生、怖くないの、余裕ねえ」
 おさげ髪をポンと肩の後ろへ投げて、瑠衣が尊敬のため息をついた。
「その目的地へ行くのも、地蔵堂の前に座るのも、とっても怖いわ。真夜中なのよ」
「ダイジョーブ! 私、ホラー好きだと言ったでしょう! 暗闇も、お墓も平気。お墓は私たちのご先祖が眠っている神聖な場所でしょ。何も怖がることなんかないわ。お地蔵さまだって日本情緒たっぷりだし。むしろ、私が難関なのは……正座かな?」
「はあ……」
「行き着いても、正座が五分できるかどうか、ちょっと自信がないな」
 リディア先生はお茶目に舌をペロッと出して、おでこを叩いた。
 鋼太の胸がよけいキュンとなった。
「どうして、正座じゃなくちゃだめなの?」
 リディア先生が首をかしげ、鋼太が答えた。
「祖母ちゃんが言ってた。肝だめしの時に地蔵堂の前で行儀よく正座するのは、亡くなった行き倒れの可哀そうな母親を安らかに眠れるように、背筋と心をまっすぐにしてお祈りするためにだって」
「そうなのね……」
 リディア先生は神妙な顔つきになり、鋼太も切なげな表情になった。
 瑠衣が、
「先生、正座なら、私の入ってる華道部で練習すれば? 華道の練習もできて一石二鳥よ」
 鋼太がぎろりと睨んだが、瑠衣の横にいた佐保里も、
「それがいいわ、先生! 日本のお花の名前も覚えられるわよ」
「華道部って、お花を生けるパフォーマンスのことね! 瑠衣さん、佐保里さん、嬉しい! 喜んでやらせてもらうわ」
 リディア先生は大乗り気の上、すでに女生徒たちとも親しくおしゃべりしている。鋼太が画策した『肝だめし』が意味不明になってしまっている。
 おまけに、だ。その後、起こったこと! 華道部に男子生徒が入部希望、続出したことだ。

第 四 章 華道部の後で

 急遽、華道部にリディア先生を迎えることになり、肝だめしは一時保留になった。
「これがキキョウ、ススキ、菊、リンドウ、コスモス。秋の七草というのもあるのよ。この薄紫のきれいな花はマツムシ草というの」
「マツムシソウ?」
 華道部、部長の瑠衣がリディア先生を迎えて、鼻高々に説明している。他の女生徒も「この花は英語でなんて言うの?」と先生を取り巻いてはしゃいでいる。
 その外回りを男子生徒が正座して聞いている。
 男子たちの後ろで、もう一回り小さくなって皆の様子を見ているのが鋼太だ。
(くそ~~っ! 俺の計画した肝だめしを皆して無視しやがって)
 結局、誰かれなしにリディア先生と親しくなっている。独り占めしようとした鋼太の惨敗だ。
 瑠衣が正式な正座の仕方を説明する。
「背筋を真っ直ぐしてすねを畳の上に着いて。かかとの上に静かに座る。女子はスカートの裾を膝の内側に折りこむことを忘れないで。そして両手は膝の上に置くの。リディア先生もわかりましたか?」
 リディア先生はなんとか正座の仕方を覚えたようだ。

 ひとしきり華道の練習が終わり、皆で散らばった花の葉や枝を集めたり、ほうきで掃除を始めた。
「ひとつひとつの茎や葉にも命が通っているのね」
 リディア先生は生けた花の残りを集めながら愛おしそうに見つめた。
 女生徒たちは、
「ありがとうございました―――!」
「リディア先生、また来週の火曜日ね!」
 元気よく山の坂道へ散っていった。が、足がへろへろになって立ち上がれないのは男子生徒だ。
「ひえぇ~~~、足が、足があああ」
「動かねええぇ~~~」
「お前、俺の足に触るなっ」
 中でも、ぴくりとも動けないのは鋼太である。
「鋼太さん……?」
 ひとり取り残された鋼太に、リディア先生が近づいた。
「どうしたの? もうみんな帰ったわよ」
「く、く、く……」
 顔を真っ赤にして膝小僧を握りしめている。
「先…生は、大丈夫なのか、足……」
「足? ああ、痺れちゃったのね。私は皆のお花を見て回ってウロウロしていたから大丈夫よ」
 あっけらかんと答えるリディア先生に、鋼太はよけい恥ずかしくなる。
「立てないほど辛いのね」
 彼女は鋼太に向かってクルリと後ろを向いた。
「そら、先生がおんぶしてあげる」
「お、おんぶ~~~?」
(それだけは無理だ、ご勘弁!)
 と思う間もなく、鋼太の身体は、ひょいと先生の背中に負ぶわれていた。
「ぎゃああ、足が~~~!」
「もうすぐ元に戻るから、静かにしてなさい」
「先生、重くないのかよ」
「こう見えても鍛えてるから大丈夫。さ、おうちはどっち?」
(そう言われてもカッコ悪いよ~~)
 校門の前で辛抱しきれなくなった鋼太は先生の背中から飛び降り、転びながら一本道を下っていった。
「大丈夫~~~?」
 先生の声が背中から追いかけてきたが、鋼太は止まることなく走っていった。

 秋の夕暮れは早い。
 鋼太の祖母が、孫の帰りがいつもより遅いので、学校への道へ様子を見に出てきた。とたんに、ぶつかってきた者がいる。
「痛いっ!」
「あ、お祖母ちゃん、ごめんなさい」
「瑠衣ちゃんじゃないか。どうしたんだい、そんなに慌てて」
「い、いえ、べつに……」
 瑠衣は息せききっている。
「ちょうどよかった、瑠衣ちゃん、あんた、うちの鋼太を見なかったかい? もう陽も暮れるというのに、帰ってこんのだがねえ」
「鋼太くんなら……。知らないっ!」
 瑠衣はあっと言う間に駆けていってしまった。
「あれ、どうしたのかねえ」
 祖母が、うろたえているうちに当の鋼太が坂道を、はあはあ言いながら転びながらも走ってきた。びっこをひいている。
「鋼太!」
「なんでもない! 腹減った、祖母ちゃん、メシにしてくれ!」
 祖母を抜かして一目散に家目指して駆けていくものだから、ついていくのに必死なお祖母ちゃんだった。

第 五 章 捻挫

 急いで帰ってきた鋼太だったが、足首がびっくりするほど腫れてきた。帰り道で何度も転んだから、捻挫したらしい。仕方なく次の日はお医者へいってから休むことにした。
 祖母が鋼太の足を冷やす湿布薬を用意していると、玄関で声がした。
「ごめんください。松村鋼太さんのお宅はこちらでしょうか」
「はいはい」
 出迎えた祖母は金髪の女性にびっくりして声が出せなかった。
「村の小・中学校に赴任してきた、リディア・ロイドと申します。鋼太さんがお怪我されたと校医さんからご連絡をいただきまして」
「は、はあ、わんぱくなんで怪我なんぞ、しょっちゅうですから」
 祖母は、慌てて客間へ通そうとしたが、リディア先生は土間からの上がり框に腰かけた。それから、もう一度立ち上がり祖母に頭を下げた。
「申し訳ございません。昨日、私が無理やりに鋼太くんを負ぶったから、こんなことに」
「負ぶって下さったんですか! あの子を?」
 祖母はリディア先生の頭のてっぺんからつま先まで眺めた。確かに西洋人の女性らしく体格はよいが、決して小柄でない鋼太を負ぶうとは、大したものだ。
「そりゃ、ヘタすりゃ先生の方が足をくじいてしまいますわい」
「私なら大丈夫です。それより、足の痺れに慣れるくらい、鋼太くんには華道部に来ていただきたいと思いまして」
「か、華道部?」
「なんだか、そんなことになりましたの。昨日は鋼太くん、皆がお稽古してるのを見ているだけでしたが、花―――植物を見る眼がいきいきとしていましたわ。きっと好きなんですね」
「は、まあ。木登りしたり、そういえば、樹や木の実の種類にも詳しいようですが」
「そうですか!」
「そんな冷えるところに座ってなさらんで、お上がりくださいませ。あばら家ですが」
 祖母が背を丸くして座敷に案内した。仏壇があり、ひとりの西洋人の女性の写真があった。前には薄紫の花がたくさんお供えされている。
「この方は?」
「鋼太の母親です。隣は父親。私の息子ですが、ふたりとも親不孝もん、親より早く逝っちまいおってのう」
 鋼太の母親という西洋人の女性の写真を、リディア先生は呆然と眺めた。
「鋼太の母親は、どこから来たのか、山奥の地蔵堂のところで倒れていたところを、息子が助けてめとったんですよ。そして生まれたのが鋼太。髪が茶色いでしょう?」
「ええ、少し」
「でも、鋼太が三歳の時に亡くなってしまい、お国とも連絡が取れずじまいです。父親は橋大工をしていましたが、吊り橋を渡している時に事故で呆気なく」
「おお……」
「それで、この祖母が代わりに育てているのです」
 リディア先生は、鋼太が画策していた、肝だめしのことを瑠衣たちから聞いていた。なんとも不思議なような切ない気持ちになった。
 鋼太は母を恋慕って、肝だめしを計画したんだろうか。村に伝わる伝説そっくりの行き倒れの母親のような、実の母親の境遇を思い―――。
「鋼太がみなに威張った態度をとっているのも知っています。だが、あれは、茶色い髪の毛をいじめられんための強がりなんです。どうか、大目に見てやってくだされや。この写真立ての前のマツムシ草も、鋼太が毎朝、摘みに山へ行ってくるんです」
 祖母の涙ながらの言葉に、リディア先生は母親の写真に向かって祈るだけだった。祖母が胸を押さえて顔色が良くないことに、リディア先生は気づいた。
「つい長居をしてしまいました。今日はこれで失礼します。おふたりともごゆっくりなさって下さい」

 鋼太はふたりの会話を、松葉づえを脇に置いたまま裏の縁側で聞いていた。

第 六 章 山の植物で

 リディア先生の提案で、華道部全員で地元の山を散策しながら植物採集に行くことになった。山で採集した材料だけで生け花を生けてみようというのである。
 男子も女子も、すっかり打ち解けて、和気あいあいとした華道部である。
 紅葉の始まった葉と野菊だけでも、立派な作品になりそうだ。
「鋼太くん、良かったわね、捻挫が早くよくなって」
 瑠衣の言葉にも素直にうなずく鋼太だ。それほどこの山行きが嬉しいのだろう。赤や黄色、中には紫に紅葉した枝が何本も採れ、山菊や赤い実、ススキ、女郎花など。どんぐりやしいの実、くぬぎも枝ごと採れた。途中で鋼太は、見慣れている花だが、マツムシ草の群生地を見つけ、たくさん摘んできた。薄紫の美しい花だ。
 学校へ持って帰るのもかなりな量である。
「さ、この中から自由に材料を選んで生けるのよ」
 瑠衣が言った。
「男子は足が痺れないようにね」
 華道部に割り当てられている小さな和室は生徒と材料で満杯になった。
 あるだけの花器をひっぱり出してきて、皆で生けた。女校長先生も応援にやってきた。
 慣れた女子部員や、飛び入り同然の男子生徒たちも、それなりに秋の枝や葉、木の実など交えてきれいな秋の花が生けられた。
 合わせて二十一作品が出来上がった。男子の足の痺れも材料をとっかえひっかえしてるうちに感じなくなったようだ。
「鋼太くん、この薄紫色の花、きれいねえ。なんていう名前かしら」
 リディア先生が尋ねると、鋼太は頭をかきかき、
「『マツムシ草』さ。きれいだろ。俺、この花見ると、小さい頃に天国行ったっていう母ちゃんを思うんだ」
「そう……」
 そこへ女校長先生が、張り切って言い出した。
「皆さん、十月の半ばに文化祭があります。その時にもこのお花を出品して村の方々に見てもらうのはいかが?」
「すごいわ、校長先生!」
 生徒たちは、文句なく満場一致だった。

第 七 章 祖母ちゃん、倒れる

 そんな時、鋼太の祖母が倒れてしまった。
 以前から心臓が弱ってきていると言われていた。
 往診してきた医者は、「今夜が峠ですな」と言う。村長、校長、そしてリディア先生も心配してやってきた。鋼太は祖母の寝顔を見つめて、下唇をかみしめるばかりだ。
 折しも、台風が近づいてきていた。だんだん、風がひどくなり、村長は消防団への指示があるからと言って帰り、校長先生も自宅へ戻った。
 びょうびょうとした風の渦の底に置き去りにされたように、祖母の床の側に鋼太とリディア先生だけが膝をそろえて座っていた。
「祖母ちゃん、俺の世話のために無理してたもんな……。人の畑手伝ったり、請負の裁縫仕事を頑張ったり。あまり寝てないんじゃないかな」
 鋼太の膝の上の手の甲に涙がポタリと落ちた。と、思うと急に立ち上がった。
 そして、急いで雨合羽を着ると長靴を取り出して履いた。
「鋼太くん、どこへ行こうっていうの。外は台風よ」
 言い終えないうちに、鋼太は風の渦巻く真っ暗闇に飛び出て走りだして行ってしまった。
 ゴウッ!
 リディア先生は強風に思わずひるんだ。
「鋼太く~~~ん」
 つけっぱなしのラジオが、この地方に台風の中心が近づいていることを告げている。リディア先生は焦った。鋼太を捜しにいきたいのは山々だが、危篤状態の鋼太の祖母をひとりで寝かせておくわけにもいかない。
 風はますますひどく吹き荒れてくる。
「先……生……」
 祖母の意識が戻ったらしい。リディア先生はガバっと祖母の傍らに寄り、手を握った。
「お祖母さん、気分はどう? どこか苦しい? お水飲みますか」
 祖母は首を振った。
「鋼太のヤツがおらんようですな」
「え、ええ。大丈夫、すぐに帰ってきますよ」
「あいつなら……きっと地蔵堂におりますよ」
「え?」
「あそこはあの子の心の拠りどころでしてなあ。母と子の倒れていた伝説が、自分のことと重なるのでしょうな。泣きたいことがあったら、地蔵堂を母親の墓と思い、しばらく気持ちを鎮めに行ってるのを、わしは知っておりますじゃ」
「それで、なんとなく肝だめしの場所もあそこに決めたのかしら」
「そうかもしれませんで。この度、先生のような紫水晶の眼のおなごを見て、自分の母親のように思うたことでしょうよ」
 祖母は、目の中に入れても鋼太を可愛いらしく、苦しい息の下から微笑んだ。
 リディア先生が立ち上がった。そして、ケータイでお医者様へ電話して、
「看護師さんにきていただいて下さい、私はどうしてもしばらく、お祖母さんの側を離れなきゃいけなくなりました」
 言うが早いか、祖母の雨合羽を借り、手早く着こんだ。
「お祖母ちゃん、待っていてね。鋼太さんを連れて帰ってきますから」
 土砂降りの暗闇へ走り出した。

第 八 章 マツムシ草と共に

 風が唸る。地の底からの唸り声のようだ。途中で通りかかった道からは、遥か下に濁流となった谷川が水嵩を増し、暗闇の中でも銀色に輝いている。
 村の墓場も台風に直撃されていたが、その横を走りすぎる。地蔵堂まで後少しだ。リディア先生は履きなれない長靴で、何度も土砂に滑りながら、ようやく地蔵堂にたどり着いた。
 雨風に煙った地蔵堂が見える。その前に人影が見える。鋼太だ。地蔵堂の前に座りこんでいる。正座しているようだ。
「鋼太くん!」
「先生!」
「お祖母さんが心配しているわ。早く家へ戻りましょう」
「その祖母ちゃんのためにお祈りに来てるんだよ」
 地蔵堂の観音開きの格子戸は閉まっているが、格子には、あのマツムシ草がたくさんくくりつけられている。
「どうか、どうか、お地蔵さま。祖母ちゃんの命を助けて下さい。俺、なんでもしますから。今まで祖母ちゃんにわがまま言ってばかりで悪かったと思ってる、だから、祖母ちゃんのことだけは助けて下さい、お地蔵さま」
 顔面も身体もびしょ濡れになりながら、鋼太は一心に祈っている。
「鋼太さ……」
 その姿に、リディア先生は無理やり連れ帰ることは出来なかった。隣に正座し、手を合わせた。
 ふと見ると、格子戸のカギが風で壊れて開いていることに気づいたリディア先生は、格子戸を全開にするや、力づくで鋼太を引きずり、地蔵堂の中へ転げこんだ。マツムシ草の花びらが飛び散る。
 雨漏りはするが、堂内は少しは外よりましな状態だ。鋼太は正座を座りなおし、一生懸命、優しいお顔のお地蔵様にお祈りを続けた。
「祖母ちゃんのためなら、五分がなんだ、五時間でも正座してお祈りするぞ!」

 やがて、山の端が薄紫色に明るくなってきた。台風も去ろうとする頃、村の消防団のおじさんたちが、ふたりを迎えに来た。
「鋼太、お祖母ちゃん、峠は越えたぞ! もう心配ない!」
「本当か、ばんざ~~い!」
「良かった……」
 リディア先生も立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。
「あれ? ほっとしたからかな?」
「仕方ないな、俺が負ぶって帰ってやるよ、この前のお返しに……」と、言って背中に先生を乗せようとしたとたん、リディア先生の身体はそこになかった。
 そこには、体格の素晴らしい西洋人男性が、リディア先生を抱き上げて立っていた。
「あ、お姫様だっこだ!」
 消防団にくっついてきた瑠衣が顔を両手で押さえて叫んだ。
「エディ! どうしたの!」
 リディア先生は男性の腕の中でもがいた。
「どうもこうも、君に会いに来たら、台風だし、君は行方不明だし……で、迎えに来たのさ」
 西洋男性は真っ白な歯を見せてにっこり笑った。
「エディ! 夕べの風の音、怖かったわ! よく来てくれたわね!」
 ふたりは傍目もはばからず、再会のキスの嵐だ。
 鋼太は呆気にとられていた。

 何日かして、秋晴れのある日。小・中学校では文化祭が行われた。
 お祭りと並んで村人の楽しみのひとつである。小さな校舎や体育館ではあるが、華道部の作品展示やお習字、美術の作品展示、ママさんコーラスや、この地方の踊りなどが披露された。
「鋼太、何をぶすっとしているの」
 瑠衣がお汁粉を飲みながら、運動場の隅っこにいる鋼太に話しかけにきた。
 視線の先には、この地方の踊りを踊る着物姿のリディア先生と、その恋人だ。
「う~~む」
 しばらく唸っていたが、いきなり立ちあがった。
「よぉ~~し、みんな! 肝だめし、ようやく始動だ!」
 その声に、仲間が集まってきた。
「どうしたんだ、肝だめし、やるのかよ。意味ないことになったんじゃないのか」
「いや、やる!」
 鋼太の声は決意している。
「このまま、あのガイジンにリディア先生を取られてたまるか、あのガイジンなら正座なんかできないはずだ、肝だめしで、一時間正座してもらおう」
 雄たけびをあげたとたんに、リディア先生が睨みながら近づいてきた。
「鋼太くん、聞こえてるわ。日本の大切な文化で、いじめなんかしようとしちゃダメよ! 私が母国に帰っちゃってもいいのね」
「そ、そりゃダメだよお」
 またしても、肝だめし計画はならず……。
「アハハ、あなたの正座姿、背筋がまっすぐで男らしかったわよ!」
「ええ?」
「そうだ! 思いついたんだけど、この文化祭のコーナーで『正しい正座の仕方』を村の皆さんにお教えするっていうの、どうかしら」
「賛成!」
 瑠衣が一番に手を上げ、他の子も次々に手を挙げた。
「いい? すねを床に着けて、背筋は真っ直ぐ。そのままかかとの上に座り、女の子は膝の内側にスカートの裾を折り入れるのよ。そして、両手は膝の上に置く。そうよ」
 生徒や村人は、ゆっくりやってみた。
「ほほう、これが正式な正座のやり方か」
「簡単なようで難しいわね」
「何回もやっているうちに基礎が身につくわよ」
 リディア先生と生徒たちの笑いが弾け、青い空へ吸いこまれていった。



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