[392]のうぜんかずら城の空師(そらし)


タイトル:のうぜんかずら城の空師(そらし)
掲載日:2025/12/10

シリーズ名:スガルシリーズ
シリーズ番号:7

著者:海道 遠

あらすじ:
 先日、丹後地方の地下牢に監禁されたスサノオの尊さまからの声を翡翠の指環で聞くことができ、救うことができたスガル。
 指環は翡翠一族の輝公子のもので、借りていた出雲のタタラ御前の命令で返さなければならない。その役目を美甘姫がやることに。
 スガルが同行し、翡翠一族の城で美甘ちゃんは「空師」と呼ばれる青年の、奇抜な一回転する正座のやり方を見て驚く。しかし、指環を返す相手の輝公子は行方不明だという。さて、指環を返せるのか。



本文

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序章

 ※空師=高いところの枝や蔓を伐採する専門師。

「……というわけで、翡翠の輝公子(きこうし)さまに、指環をお返しするために翡翠の産地、越(こし)の地方に行ってまいります」
 美甘ちゃんは八坂神社のマグシ姫に報告に行った。巾着から出した品は、濃い緑色の透き通った石のついた指環である。
 マグシ姫は忙しい育児の真っ最中だ。
「タタラ御前さまが、お返しするようにと仰ったのね?」
「いつまでもお借りしているわけにはいかないと」
「いくら仲がよろしくても、ケジメはしっかりしておられるのね」
「お互いにそれぞれ、黒鉄(くろがね)の一族の長と翡翠の一族の長ですものね」
 マグシ姫がにやりと笑った。
「翡翠輝公子って、希少度(きしょうど)の高いイケメンだそうじゃないの。美甘ちゃん、大丈夫? 心奪われたらどうするの?」
「大丈夫よ! 私には、そよぎと食べちゃいたいくらい可愛い、ゆいまるがいるもの」
「冗談よ。自分の子って本当に可愛いわね」
 マグシ姫の手には、碧天丸(へきてんまる)皇子が抱っこされてすやすや眠っている。
「この頃は夜も通して眠ってくれるようになったの」
「凛々しいお顔立ちねえ。スサノオの尊さまにそっくりでいらっしゃるわ」
 美甘ちゃんは、寝顔の皇子さまに、
「では、行ってきます」
 と、ささやいた。
 鹿の樹(かのじゅ)将軍の弟、スガルがお供をする。
「アラッ、スガルくんも一緒なのね?」
「警護を買って出てくれたの」
「いいわね〜え、翡翠の輝公子と両手に花で」
 マグシ姫は溜め息をついた。
「妬かない、妬かない!」
 美甘ちゃんは、元気よく手を振って馬車に乗り込んだ。

第一章 翡翠一族の国へ

 翡翠一族の越(こし)地方に到着した、美甘ちゃんとスガル。
(こ、これが翡翠一族の城……)
 本拠地の山城――六層になった岩城を見上げて唖然とする。古い石積みの城だが、のうぜんかずらにびっしりと巻き付かれて朱い花だけはたくさん咲いている。
(この城ののうぜんかずらには濃い穢れを感じるわ……。我が家の庭の花と全然ちがう)
 美甘ちゃんは背筋を震わせた。
 どこからか地響きでもない轟きが聞こえる。恐ろしさではなく勇ましく護ってくれるような響きだ。
 城の背後には高い崖があり、そこから落ちる大きな瀑布(ばくふ)があった。滝の音だったのだ。崖の上までたっぷり水を湛えてゆっくり流れてきた水が急激に落下する音――、それがこんなに勇気を駆り立て、護ってくれる音だったとは。
 今まで住んでいた都には大きな滝がないので、美甘ちゃんは圧倒されて爆音を聞いていた。
 隣で滝に見入っていたスガルが我に返り、声をかけた。
「タタラさまからお預かりになった翡翠はお持ちですよね」 
 美甘ちゃんはふところの巾着を確かめた。中には濃い緑で透き通った、翡翠の中でも最高級と言われる琅玕(ろうかん)翡翠の指環が入っている。
 この品を元々の持ち主、翡翠一族の輝公子にお返しするのが美甘ちゃんの役目だ。
 越の国へ向かう数日前から、雨がまったく降っていない。カンカン照りが続き越の国一帯はあの大きな滝以外は干上がっている。翡翠は乾燥に弱い。人が身につけていて油分や水分などを吸っている方が翡翠には良い環境なのだ。
 城の表面にはツルがみどりの葉を繁らせて、ところどころに黄橙色の花がぶら下がっている。遠くから見ると、城はただの岩城だと思われたが、近づいてツルの隙間を見てみると薄い緑色だと気がついた。
「これは……翡翠?」
 先に城の石段を登っていたスガルが振り返った。
「そうですね。翡翠造りの城ですね」
「すごいわ! さすがは翡翠一族の長の居城ね」
 城の壁にはツルがひとつひとつの石に巻き付き、隙間から奥の方へ伸びている。
「強固な巻き付き方……絶対に離さないって感じだわ」
「たぶん、ツルのせいで石垣が頑丈に保たれているんですよ」
 スガルと話していると岩城の翡翠石の玄関の戸が小さく開いた。覆われているツルのカタマリが、メリッと剥がされるようにして戸が開いた。
 あかつき色の着物を着た、美甘姫より少し年上かと思われる娘が、同じ色の勾玉の首飾りを着けて立っていた。
「もしや、美甘姫さまでしょうか?」
「おお、ビワネ姫!」
 スガルが先に反応した。
「スガルさま! その節はどうも。前触れをいただいたのでお待ちいたしておりました」
 ビワネ姫と呼ばれた娘は、外を用心深く見回してからふたりを招き入れた。
 城の中の壁も、外と同じくツルが覆い尽くしている。翡翠の壁が『呼吸するのが苦しい』と、訴えているのが美甘姫には感じられた。

第二章 輝公子の行方

「スガルさま。その節は丹後の洞窟に閉じこめられていたところをお救いいただき、本当にありがとうございました」
 ビワネ姫は岩城の中の畳のある座敷で、正しい所作通り正座して――背筋を正して立ち膝をその場に着いて、衣に手を添えてお尻の下に敷き、かかとの上に座って心より頭を下げた。
 スガルは応じた。
「いや、偶然、姫さまをお救いできて良かったです」
 あかつき色の着物がよく似合う快活そうな姫だ。
「ところで翡翠の輝公子さまはおいででしょうか? お返しせねばならないお品があります」
「それが……輝公子さまは、ただいま行方がしれないのです」
 ビワネ姫は申し訳なさそうに言った。
「行方がしれない?」
「はい。数日前からお姿が見えなくて、近侍の者のみにて秘密裡に捜索しております」
「それは一大事ではないですか」
 美甘ちゃんもスガルも膝を乗り出した。
「しかし、以前のようにヤマタノオロチの一味、『兇つ奴(まがつど)党』に嗅ぎつけられてはいけませんから、捜索は遅々として進まず……」
 ビワネ姫は心配そうにしている。
「だいたいこの城が、のうぜんかずらの古木に巻き付かれてご覧の通りがんじがらめです。すでに『兇つ奴党』の腕の中にいるようなものなのですが」
 美甘ちゃんは木戸の窓を開けようとして立ち上がった。窓にもおびただしいツルが巻きついて、部屋の中は薄暗い。
「困りましたわねえ、のうぜんかずらは成長が早くて」
 その時、美甘ちゃんの目の前のこんぐらがったツルのカタマリがズバッと切り裂かれ、黄橙色の花が散り陽の光が入ってきた。
 間髪を入れず何か大きなものが横切っていった。

第三章 空師(そらし)

「キャッ!」
 眩しいのと驚いたのとで美甘ちゃんが思わず叫んだ。
 窓の外から、手足を動きやすい手甲脚絆(てっこうきゃはん)で巻いた青年が顔を覗かせた。
「悪い悪い、びっくりさせたか」
「これ、ミツアミ、ご来客の姫が驚かれたではないか」
 ビワネが叱ると、青年は身軽に頭から飛び込んできて、一回転して着地するなり正座した。
「空師を務めるミツアミにございます。ご無礼つかまつりました」
「空師?」
「平たく申しますと庭師にございます。高い枝の伐採をいたします。こちらでは城の高層部分に蔓延る(はびこる)のうぜんかずらの伐採を――」
「あんなに高いところの、のうぜんかずらを?」
「刈っても刈っても伸びてまいりますのでね。では失礼いたします」
 青年は窓から飛び出し、ツルにつかまってどこかへ去った。
「あの方、面白い正座の仕方をしたわ!」
 美甘ちゃんが背後のスガルに興奮してささやいた。
「所作は早くて分からなかったけど、着地と同時に座った方を初めて拝見したわ!」
「そうですね。まるで軽業師のようでした」
「万古老師匠がご覧になったら、なんと言われるでしょう? 見せて差し上げたいわ! また、どこかへ滑空していかれたわね! まるでムササビみたいに」
 スガルが慌てて唇の前に人差し指を立てて「し~!」と言った。脳裏に、出発前のうりずんの言葉がよみがえった。
(うちの奥ちゃんは人妻であるという自覚がまったくない。お転婆なまんまだ。おしとやかにしているよう見張っておいてくれ、スガル)
 うりずんの厳しい視線を思い出した。

第四章 捜索の計画

 その夜、あかつきの翡翠一族の古参の者たちと、翡翠輝公子の捜索について話し合いがあった。
 岩城の最も高い場所は6階である。そこには特別、何も置かれていないが、輝公子が行方不明になってから捜索の手は入っていないということだった。

 美甘ちゃんとビワネ姫とスガルの3人で、次の日、昼間に岩城の最上階を調べに行くことになった。
 やがて湿った風が吹いてきた。雨が近いようだ。ビワネ姫は外からの風を入れて、勾玉の首飾りにも話しかけた。
「これで翡翠たちもやっと元気になるわ!」
「のうぜんかずらも雨の恵みで元気になってしまいますね」
「仕方ないわね、また成長しても。ミツアミに頑張って伐採してもらうわ」

 最上階に通ずる螺旋(らせん)階段を昇り始める。
 階段の途中に小窓は無く、スガルが松明(たいまつ)を持って薄暗い螺旋状の階段を登った。翡翠でできた分厚い扉を開けると、この階の部屋の壁にものうぜんかずらのツルが一面に蔓延っている。
 松明を掲げてみると、ようやく床に四角い穴が掘られていることが判る。冷気が登ってきた。
 松明を近づける。スガルが一歩前に進み、
「うわっ!」と叫んで止まった。
「どうしたの?」
 ビワネ姫が穴を覗くと、
「四角い穴の中に、よ、横に倒されている氷の柱がある! のうぜんかずらに覆われて中に人間がいる!」 
 ビワネ姫が松明を預かった。

「輝公子さま! 翡翠の輝公子さまじゃありませんか! どうして、こんな中に?」
「輝公子さまが?」
 ビワネ姫の横から美甘ちゃんも覗きこんだ。氷柱の中に青年が眼を閉じたまま閉じ込められている。
「この方が、翡翠の輝公子さま――? どうして氷の中に? い……生きておられるわよね?」
 背後の扉がいきなり開いた。小柄な腰の曲がった老女の影が壁に映る。
「輝公子さまがお眠りじゃ。静かにおし」
 しわがれた声が言った。
「お前は――最上階の管理をしている婆ソブね」
 ビワネ姫が鋭く問うた。
「輝公子さまがいらっしゃることを知っていたの?」
「静かにお過ごしになれるように、ワテがのうぜんかずらの力を集めて眠らせて差し上げたのじゃ」
 薄ら笑いを浮かべた老女の顔はそばかすだらけで、長く伸びた白髪がボウボウに乱れている。
 美甘ちゃんとビワネ姫は、今にも悲鳴を上げそうになるのを我慢していた。
「婆ソブ。なんだってあんたがこんなことを!」
 一同の背後から声をかけたのは、空師のミツアミという青年だ。
「うるさいねえ、ぶんぶん飛ぶ青二才。皆も出ておいき!」
 一同は老婆に追い出されてしまった。

第五章 空師をやりたい

 最上階から下りて来ると、すぐに土砂降りになった。何日分かの雨が降るらしい。
 ビワネ姫が細い身体を震わせていた。先ほど発見した翡翠の輝く公子のことが衝撃だったのだろう。
「ビワネ姫さん、安心して。翡翠の輝公子さんは生きておられるよ」
 空師の青年、ミツアミが慰めた。
「でも、氷の中に閉じ込められていたのよ」
「大丈夫。婆ソブはひどいことはしない。『兇つ奴党』とやらの仲間でもない。輝公子さんが静かに眠れるように世間から守っているつもりだ……。かなりな誤解を受けそうな守り方だが」
「あのお婆さんは?」
「蔓ニンジンの仲間の妖精だ。敵にさらわれたんじゃなくて良かったと思わねば」
「そうね。『兇つ奴党』よりはいいわね」

 美甘ちゃんは、空師の仕事をやってみたくて仕方ない。
 最近は世間から隔離されたような御簾の中の人妻生活で、ほぼ屋根の下から出たことがなかったが、紀伊の祖父上のところにいる時には馬を駆って、野盗どもから荘園を護っていたのだ。
 やってみたくてウズウズしてきた。

 ミツアミが地上に下りてきた時に、直接頼んでみた。
「私にもツルを持って飛ぶやり方、教えてくれない?」
「なんですって? 姫さまには無理ですよ!」
「できるかできないか、やってみなくちゃ分からないでしょう」
「ダメですっ! 1日やそこらでできるワザではありませんっ。姫さま方は伸びてくるツルをどんどん三つ編みにしてくださるだけで助かりますっ」
 美甘ちゃんは、しばらく黙ってミツアミを睨みつけた。
「じゃ……じゃあ、今月はお給金をベースアップしても?」
「俺はカネで動いたりしません! お怪我でもされたら、どうなさるおつもりです?」
 そこへスガルが通りがかった。
「美甘姫さま、聞こえましたよ。空師のマネなんて絶対に許しませんからね!」
「ところで、スガルくんの正座は上達した?」
「えっ?」
 急に話を変えられて、スガルは口ごもった。
「許してくれたら、正座のシビレない方法を教えてあげようと思ってたんだけどなぁ~~」
「うっ」
 スガルは言い返す言葉に詰まった。
「正座ができるようになっていないあなたには、まだ早かったわね」
「姫さま、脅すつもりですか!」
「正座を早くマスターするように、あかり菩薩さまはどんなに祈っておられるか……。こんな不真面目で向上心のない許婚者で、お気の毒……」
 少し涙ぐんでみせた。
「わ……わかりました、わかりましたよ! ただし、1回だけですよ!」
(やった!)
 美甘ちゃんは心の中でVサインをした。
 雨が上がるなり、美甘ちゃんはルビネ姫の侍女を呼んで、短い着物とくくり袴を用意してもらった。
「ルビネ姫さまにはナイショよ。お願いね!」
 いろいろ試着してみて、やっと身体にぴったりなのが見つかった。美甘姫はいそいそと自分にあてがわれた別棟の部屋に向かった。
 試着する時に、ふところに大切に入れておいた翡翠の指環の入った巾着を落としたことに気づかなかった。

第六章 婆ソブと爺ソブ

「おや、こんなところに姫さまの巾着が! 落とされたんだな! あれほど言っておいたのに」
 巾着に気づいたスガルが拾っておいた。
「美甘姫さまは空師をやりたい一心で使命を忘れておられるし、困ったなぁ。助手を呼ぶか」
 翠鬼を呼び寄せた。
 彼に、翡翠一族の輝公子が氷の中に閉じ込められていることを伝える。
「貴公子さまがお城の高いところで氷の中に?」 
 翠鬼は一計を案じる。
 神通力で氷を溶かし、その隙に輝公子にタタラ御前から預かった、翡翠の最高級品の指環をお返しするのだ。
(どうやって氷を溶かすか――だな?)
「氷を溶かせて、輝く公子さまに目覚めていただく時が来たんだ」
 翠鬼とスガルが相談していると、婆ソブが現れた。
「お目ざめいただく時が来たじゃと? ワテは許した覚えはないぞ!」
 白髪の蓬髪の老人も現れた。
 怒りで髪が逆立ち、眼が血走り、顔といわず腕といわず、そばかすだらけになっている。
「婆ソブ、お前、何をもたもたしておるのじゃ! 輝公子さまを魔物の好きにしてはならぬ」
「魔物とは、のうぜんかずらのことかえ? それは違うぞ、爺ソブ。魔物は翡翠のことじゃ」
「む?」
「輝公子はお気の毒にも翡翠一族にお生まれになられた。翡翠は呪術に使われる石だ。一部の者から不吉な存在と思われて苦しい思いをしてこられたのじゃ。ワシが氷の四角柱の中で眠りにつかせて差し上げて、ようやく安らぎを得られたのが分からぬか」
「わからん。輝公子はお苦しそうじゃ。早う、氷から出してさしあげねば……」
 老人ふたりの言い争いは果てしなく続きそうだ。
 空師の青年が割って入った。
「婆ソブも爺ソブも落ち着いて! 輝公子さまがどなたを愛されて、共に一族を継いでいこうとなされているか、よくご存知だろうが」
 老人ふたりは言葉を詰まらせた。
 と同時に、階段を降りてきたビワネ姫と視線を合わせた。
 姫は気まずそうに視線を外し、両手に持っていた着物を持って足早に部屋に入っていった。
 そろそろ薄日が射しはじめた。

第七章 空師のしたく

 部屋では美甘ちゃんの着物と袴の試着が終わり、部屋一面に着物が散らばっている。
「失礼いたします」
 空師のミツアミが声をかけてから入ってきた。
「明日は晴れるわね。晴れたら、空の飛び方教えていただけるんでしょう?」
「はい、よろしいですが、本気ですか」
「正座の正しい所作を教えてって言ったの、あなたよ」
「それはそうですが……、空師の体験をやってみるのは、別の話では?」
「あなたが窓から飛び込んできて『でんでんでんぐり返ってほい、正座!』しちゃったのは、私には新しい発見だったんですもの。お互い教え合いしましょうってことになったでしょう」
「本気なんですね」
 ミツアミは、あきらめ顔でもらした。もうひとり駆けこんできたのはスガルだ。
「姫さま、俺が許しません。あんな危ないことを許せるわけがありませんよ!」
「大丈夫だって! 子どもの頃、祖父上さまの山で……」
「姫さまはもう子どもではないのです。季節神のうりずんさまの奥方です。お立場を考えてください!」
「スガル。あなたも頑固ねえ。私はやるわよ。こんなに胸躍ることは久しぶりなのよ」
 鏡の前で手甲と足には脚絆を巻いてみた。
「ほら、これで手足の備えもばっちしよ! 髪はまとめておきますから」
 スガルが、息を切らして着物の山の中から毛皮のものを探し出した。
「高いところから落ちた時のために、修行僧の使う敷座布団というのを借りてきましたから、これも装備してください!」
 それは正方形の獣の毛皮を縫い合わせた物だった。
「これはいいわ! もし尻もちついてもふわふわだわ。スガル、あなたに今、正座のお稽古してもらいます。敷座布団というのを使って。さ、腰の後ろに着けてちょうだい」
「え、今ですか?」
「背筋を真っ直ぐに伸ばして立ってちょうだい。そして膝を前について。かかとは『V』の字に開いて、衣に手を添えてお尻の下に敷いてかかとの上に座ってもらいます。ほら、できたでしょ」
「本当だ……。いつもみたいに後ろにひっくり返らなくてすんだ。正座ができた!」
 思わず飛び上がるほど喜んだスガルだ。
「これであかりちゃんも喜んでくれる! ありがとう、美甘姫さま!」
「空師体験、決まりね!」
「では、私も何かの時にすぐにお助けできるように、一緒に体験します! いいよね? ミツアミくん」
 ミツアミはスガルの顔をまじまじと見てから肩をすくめた。

第八章 ツルを刈る

 案の定、短時間に集中して降った雨は、屋敷の背後にある滝の水を膨大に増やした。
 空師のミツアミが大きくうなずいた。それから翠鬼の方を向き、
「黄緑色の鬼さんよォ、重い水の柱を滝壺まで運ぶことはできるか?」
「滝壺まで? 出来なくはないですが」
 婆ソブがいつの間にか来ていた。
「何を企んでおる?」
「輝公子さまとビワネ姫さまを重い桎梏(しっこく=手と足につけられた枷(かせ))を取り除いて差し上げたいと思っているのだ」
 凛として言ったミツアミの言葉に、婆ソブはおつむから湯気を立てた。
「ゆ、許さんぞ、ぶんぶん青二才! 輝公子さまは我々の心の糧(かて)じゃ!」
「だから、運命からも闇ののうぜんかずらからも自由にして差し上げたい」
「させてたまるか~~!」
 婆ソブがつかみかかろうとした時、爺ソブが現れて前に立ちはだかった。
「いい加減に目を覚ませ、婆ソブ! 輝公子さまの真のお幸せを祈ろうではないか」
「真のお幸せ……う、ううっ」
「よう考えい。閉じ込めておくことが輝公子さまをお幸せにすることなのかどうか。今のままでは一族のために指一本動かすこともできんのじゃぞ!」
「……」

 ビワネ姫は家臣に命令して、最上階から輝公子の閉じ込められている氷の四角柱を運び出させた。螺旋階段を階下まで運ぶのは大変な作業で、姫も家臣も緊張して進めた。
 それでも、翠鬼が通力で氷を軽くしたので、滝壺まで力を合わせて運ぶことができた。

 その頃、美甘姫は最上階の城壁からツルを持って飛び降りる面白さに夢中になっていた。
「楽し~~い!」
 お付きのスガルの姿が見えないものだからミツアミが付き添って飛び、姫の見張りをしていた。一本のツルを持って飛ぶだけが精いっぱいで、持ち替えることは無理だと思われた。しかし、姫は「これからよ!」の勢いだ。
「飛び回る練習はずいぶんやったから、ツルを刈るお手伝いするわ、ミツアミ。その鉈(ナタ)を貸してちょうだい」
「これはヨキと言いますが、だめだめ。こんな刃物をお貸しすることだけはお断りします」
「また、だめ? ミツアミってケチね!」
「そういう問題ではなく、ですね……」
 ミツアミは途中で話すのをやめて、自分の作業に移った。
 それで諦める美甘ちゃんではない。ミツアミの道具置きに行って一本のヨキを持ち、帯の背後に挟んだ。

「姫さま、これから輝公子さまの氷を滝壺に沈めますから、お勤めとしてご覧になってください」
 スガルが呼びに来た。
「こっこっこれは! 何をなさっていたんですか!」
「見れば分かるでしょ。城壁にびっしり生えていた、のうぜんかずらのツルを刈り落としたのよ」
 刈られた葉と花は、こんもり小山を作っている。
「まだ少しだけよ。明日になったら元通り生えていると分かっても刈らずにいられないんだもん」
 スガルがヨキを取り上げ、
「もうここまででよろしい。とにかく滝壺へ来てください! それとこれ」
 差し出された巾着袋を見て、美甘ちゃんは、
「あ、これは……」
「この前、落とされたでしょう、肝心の指環を……」
「ありがとう、スガル。助かったわ! うりずんから雷を落とされなくてすむわ!」

 またもや黒々とした雲が集まってきた。しかし、ただの夕立とかの雲ではなさそうだ。
 婆ソブが空を仰ぎ、
「さんざん、ツルを切った罰に闇ののうぜんかずらがお腹立ちじゃ。そうれ、たちまち反撃を始めたぞ!」
 繁茂の力を取り戻したのうぜんかずらは恐ろしい『龍の姿』となって城を取り巻いていく。
 城に残っていた家臣たちは大騒ぎで逃げ出した。

第九章 滝壺での再会

 家臣たちが、荷車で氷の四角柱を滝壺近くまで運んできた。岸辺から滑り落として、氷を溶かすことができそうだ。
 岸辺の草地で、ビワネ姫が侍女に囲まれて上衣を脱いだ。
「姫さま、危のうございます。くれぐれもご用心なさってくださいまし」
 侍女から口々に言われたが、ビワネ姫は毅然として氷の四角柱が滝壺に沈められたと同時に水へ飛び込もうとした。
 その時――、
「ビワネ姫さま!」
 美甘ちゃんが叫びながら駆けてきた。手に渡したのは、濃い緑の翡翠の指環だ。
「ありがとう。これをはめれば輝公子さまもきっと目が覚められると思うわ」
 ビワネ姫は岸辺の土を蹴って滝壺へ飛びこんだ。
(輝公子さま、今、参ります!)
 滝壺の水は大雨の後だというのに澄んで見通しがよい。荷車から落とされた氷の四角柱をすぐに見つけることができた。側に寄ると氷は溶けはじめ、のうぜんかずらのツルも半分ほどはがれ落ちていた。
(輝公子さま! 輝公子さま! お目をお覚ましください! ビワネです!)
 声が届かないのがもどかしい。姫は何度も心の中で声をかけ続ける。
 息つぎに一度、水面に上がり再び潜った時には、四角柱は完全に溶けていた。底に落ちていこうとする輝公子の身体を追いかけて潜り姫は懸命に受け止めた。底の水平な地面に正座させ、自分も正座した。
(輝公子さま――!)
 目の前の愛する人を思い切り抱きしめる。
 輝公子の瞼が薄く開いた。
(どうぞ、これを――)
 翡翠の指環を彼の指にしっかり戻した。指環とビワネ姫を見た輝公子の口元に微笑みが浮かんだ。
(良かった……目覚めてくださった……)

第十章 夕暮れの中

 城をぐるぐる巻きにした龍は、大きな口を開けてひと吠えした。それから、獲物を絞めつけるようにして高い城に巻きつき木っ端みじんにしてしまった。夥しい岩と、のうぜんかずらの黄橙色の花が大音響と共に飛び散った。
「わああ~~~!」
「城が破壊されたぞ~~!」
 家臣たちや村人たちは逃げ惑った。
 爺ソブが婆ソブの手首を捕らえ、
「お前のせいで、城がこんなことになってしもうたぞ」
「輝公子さまの城が~~~!」
 婆ソブはその場に伏せて号泣した。

 城が吹き飛んだ衝撃で倒れた美甘姫をかばって、スガルが上からかぶさった。
「な、何が起こったの、苦しいわ!」
「姫さま、じっとなさっていてください! 岩の欠片が当たります!」

 龍は枯れたツルを引きずって、のそのそと四肢を動かし、城の外壁に移動しようとしていた。
 その時――、滝壺の辺りから龍の頭に濃い緑の光が照射された。逃げる人々があまりの眩しさに立ち止まり、伏せたほどの光だった。

 どれほどの時が経ったのか――、
 避難に騒いでいた人々が我に返った時には、辺りは夕焼けに染まっていた。
「姫さま、スガルさま!」
 翠鬼が美甘ちゃんを迎えに来た。
 滝壺から岸辺に上がったビワネ姫と輝公子は、しっかり抱きあったまま、壊れた城を見て言葉なく立ち尽くしていた。
 草がなぎ倒されて、龍が這っていった痕と思われた。
 婆ソブは爺ソブに叱られてよろけながら歩いていく。
「それ見てみい、闇ののうぜんかずらなんぞ信じて、輝公子さまを氷の中に閉じ込めたりするから天罰が下ったのじゃ」
 ふたりを見送って、ミツアミが佇んでいた。
「城が再建されるまで時間がかかりそうだが、明日、早朝からツルが成長しそうだな。俺は食いっぱぐれがなくていいようなものの……。そうそう、お転婆な姫さまはどうしたかな」
 美甘ちゃんがスガルと共に、村へ歩いていくところだった。短めの着物や袴が泥だらけだ。
「ミツアミ、ありがとう、楽しかったわ、空師の見習い!」
「姫さま、今回だけですよ!」
「何より輝公子さまがご無事で良かった!」
「姫さまがご無事で何よりだったんですよ!」
 スガルがヤケ気味に叫んで「とほほ」の顔をしていた。


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