[371]真珠のいのち


タイトル:真珠のいのち
掲載日:2025/08/02

シリーズ名:緑林シリーズ
シリーズ番号:3

著者:海道 遠

あらすじ:
 古代日本。阿波の国では時折、真珠が採れたとか。
 海の洞窟に住む盗賊「緑林」のひとりの少女、尽奈は海で溺れかけていた真珠採りの命を助ける。
 最近、深海へ潜る海士の姿が多い。都のみかどからの仰せで、
「神に大きな真珠を捧げると、海から採れる食べ物がもっと増える」と。阿波の国守はやっきになり、大きな真珠を探そうとしている。尽奈は思いがけず、命を救った真珠採りの青年の祖母から「真珠の命」について知る。



本文

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序章

※緑林とは中国の故事から盗賊のことをいう。
 目の前で、潜っていた若い海士(あま)が、力尽きようとしていた。
(しっかりしろ!)
 17歳の女の子で盗賊のひとり、尽奈(じんな)は、海面に浮かぶ小舟の位置を確認しながら、漂う海士を抱きかかえて長い手足を伸ばして海面へと泳いだ。
 必死で海水を蹴り、小舟の近くの海上に顔を出した。
「お〜い、舟に上げてやってくれ! 溺れかけたんだ!」
 男衆が、寄ってたかって若い海士の身体を舟に乗せた。
 仲間が溺れていた海士の胸を何度も押して、押して、息を吹き返させた。ホッとした声が上がる。
「あれ? こいつを助けた娘ッコは?」
 海士たちが海面を見渡したが、娘の姿は消えていた。

第一章 弟のあも丸

 尽奈が助けた海士は、まだ二十歳前の若者だった。
(助かって良かった……)
 離れ島にある盗賊の隠れ処に急いで泳いだ。

(昔からこの辺りの海では、真珠という美しい白い宝を抱く貝が採れる。それを探して無理したんだな)
 最近、深海へ潜る海士の姿が多い。
 仲間から聞いた話によると、都のみかどが、
「神に大きな真珠を捧げると、海から採れる食べ物がもっと増える」
 との仰せらしい。阿波の国守はやっきになり、人々も大きな真珠を探そうとしている。かく言う自分も、弟と共に盗賊の世界から抜け出したくて、真珠を探しに潜ってみたのだが。
(大きな真珠って……どのくらいの大きさなのかな?)

 海士や、海女といって縄を腰に縛り、素潜りで何十尋も潜って真珠貝を探す者たちが働いていた。
 ゆらゆらする緑の水面天井を見ながら、尽奈は思った。
(真珠とはどんな物だろう)
(できれば奪って我が物にしたい。そして、それを高値で売って、ひ弱な弟、あも丸の薬代にしたい)
 尽奈は女ながら、緑林の中でも一目(いちもく)置かれるほどの盗みの腕を持っていた。
 しかし緑林には、獲物(盗品)を我が物にすることはならぬという厳しい掟があった。
 獲物は皆で公平に分ける。それが緑林仲間の鉄則だった。
 しかし、その掟の中にいると、弟のあも丸に良い薬をたっぷりの量を与えてやることができない。
 あも丸は15歳。立派にひとり立ちしてよい年頃ではあるのだが、幼い頃からよく熱を出す。緑林たちに混じって盗みを働くどころか、何にも手伝えずに皆の足でまといにしかならない。
 仲間たちは、食事をワザと配らなかったり……、
「1日も早く追い出せ」
 と言わんばかりの態度だ。
 つい、尽奈もいら立って、あも丸が横になっている布団に何度も八つ当たりした。
(あも丸に丈夫になってほしい)
 それと同時に、人様の物を盗んで金に換え、生活していることに嫌気がさしていた。しかし、小さい頃から盗賊の親方に育ててもらった以上、簡単には捨てられない生活だ。

第二章 季節神そよぎ

 海岸で海を見つめながら、尽奈は唇を噛んだ。
 今日は波が激しい。波の音に紛れて、近づいてくる足音に気づかなかった。
 背後に、紅鬱金(べにうこん)色の長い髪の青年が立っていた。見たことがない人種だ。長身で手足も長く、蝶のようにふわふわとして頼りなげだ。眼光だけが鋭い。
「弟の薬代がほしいとか?」
 尽奈は驚いて立ち上がった。
「あんたは誰っ?」
「……俺なら少しは、医術の心得がある」
「誰だって、聞いてるんだよ!」
「さすがに気が強いな、緑林の娘」
「あたいのことを何故わかる? お前は……」
「ただの季節神だ。だからお前の心の中が見えるだけさ」
「季節神? ……神様? ふん、神様なんて信じたことがないさ」
「お前の名前は尽奈。盗賊の頭領から頼りにされている女盗賊だ。弟の名は、あも丸。――これでもか?」
「ふん、誰かから聞いたんだろう。放っておいてくれ」
 尽奈は立ち去りかけたが、季節神が、
「ちょっと待った。10日ほど、この丸薬を弟に飲ませてみてくれ」
 丸薬の入った巾着を尽奈の手につかませた。自分も取り出したひと粒を口に放り込んだ。
「滋養強壮の丸薬だ。試してやってくれ」
 季節神は岩の上に跳び上がり、ふと気配を消した。

 離れ島の洞窟が盗賊の陸での隠れ処だ。尽奈は弟に、季節神からもらった丸薬を見せた。
「騙されたと思って飲んでみな」
「こんな得体の知れない丸薬をか?」
「神様も飲んでいたから、毒ではなさそうだぞ」
 紅鬱金色の髪の、季節神とか名乗った青年を思い出した。
 あも丸は、夜まで迷っていたが、思いきって丸薬を飲んでみた。
「……どうだ?」
「苦え〜〜!」
「噛むからさ。どんな丸薬も噛んでは苦い」
「水! み、水!」
 あも丸は、瓢箪(ふくべ=ひょうたん)に満タン入った水を貪るように飲み干した。
「かなり強烈な苦さだったようだね。きっと効くよ。良薬は口に苦しってね」
「そんないい加減な。死んじゃったらどうする?」
「あも丸。人間は皆、限られた命だ。だから、大切に毎日を生きねばな。姉さんの勘では、あの季節神はインチキ者ではなさそうだ」
「何の証もないくせに……」
 文句をもらしながらも、あも丸は毎日、丸薬を飲み続けた。
 後、ひと粒になってしまった。
 昼間、あも丸が洞窟でひとり留守番をしていると、訪ねてきた青年があった。紅鬱金(べにうこん)色の髪の毛をしている。

「誰? ここには何もないよ」
「坊主、身体の具合はどうかな?」
「あんた、もしかして姉さんに丸薬を渡した人?」
 青年は穏やかな緑色の瞳をしてうなずいた。
「顔色は良さそうだな。食欲はあるか?」
「あるけど、最近、魚の群れが減ったから食べ物が足りない」
「ははあ、大きな真珠を捧げないと食物が足りんという話だな。阿波の神様も、都のみかども、よくご存知だな」
 青年はひとりでうなずき、あも丸に薄汚い袋をくれた。
「もうしばらく丸薬を飲み続けなさい」
「うん。……おにいさんは誰?」
「季節神のそよぎだ」
 あも丸は眠くなり、季節神の背中を見送ったのは覚えているが、次に目を覚ました時は、すでに夜になっていた。
 枕元に置かれた巾着には、丸薬が詰まっていた。

第四章 姉弟とキザシ

 海士の青年、キザシが、もう一度、深海へ真珠を採りにいきたいと元締めに頼み込んだ。
 元締めは厳しい表情で首を縦に振らない。
「この前、冥土に行く手前だったろうが」
「でも、俺は見たんだ。深い場所にデカいあこや貝があるのを。あの中にはきっと、見たこともない真珠が育ってるに違いない」
 元締めに土下座して頼みこんだが、キザシより経験の長い海士にも許されなかった。
「あの場所は深いだけでなく、恐ろしい海流が渦巻いているんだ。命を粗末にすることは許さねぇ」

 キザシは、沖にぽつんと突き出た岩礁まで泳いでゆき、膝を抱えて考えていた。
 岩礁の裏側から、声をかけた者がいた。
「あんたは……」
 岩礁の裏側にいたのは、尽奈と弟のふたり連れだった。
「あんたは、この前、溺れた俺を助けてくれた……」
「あの時の……。気を失っちまったと思っていたが」
「地上に上げられてから、気がついていたんだ。あんたたちは海士なのか?」
「いや、海の底に棲む『緑林』なのさ」
「『緑林』! って、確か伝説の……海底に棲む盗賊がいるんだろう? ――本当にいたんだ」
 キザシは腹立ちも忘れて、尽奈と弟のあも丸から目が話せない。
「元気になってよかったな。真珠採り」
「あの時は助けてくれて、どうも」
 キザシは照れ臭そうに礼を言ってから、素早く尽奈の前にひざまずき、正座した。
 素早く美しい所作で。
 背筋を伸ばして真っ直ぐ立ち、その場に膝を着く。そして、衣に手を添えてお尻の下に敷く。かかとの上に座る。そして静かに座礼した。

 その様子を、真珠採りの頭領夫妻と村長が、離れたところから眺めていた。
「あんな品のある所作をキザシができるなんて」
「キザシは祖母さんから教わったとか言っていたぞ。器量よしの祖母さんだから、若い頃は宮仕えでもしていたのかもしれねえな」
「キザシを見直したぜ」
 村長は感心していた。

 尽奈はキザシに少々恐縮しながら、
「いやいや、間に合ってよかった。あんた、まだ二十歳くらいだろ。助かってよかった」
「海底の洞窟に住む『緑林』って本当にいるんだな」
 キザシは珍し気に姉弟を見た。
「洞窟ではちゃんと息ができる。あたいは尽奈。こっちは弟のあも丸」
「おいらはキザシ。海底に住んでいるんなら、相当、泳げるんだろう?」
「まあ、赤ん坊の頃から周りが海だったからね。弟のあも丸は、生まれつき身体が弱かったが、ある方からもらった丸薬のおかげで丈夫になり、長く潜れるようになったんだ」
「へぇ~」
 キザシはあも丸を誘って遠泳に出かけた。ふたりは気が合ったようで、すぐに仲良くなった。

第五章 再度

 ある日、キザシが離れ島の洞窟にやってきた。
「あも丸、俺と一緒にふたり組になって、もう一度、大きな真珠採りに挑戦しないか?」
 やる気いっぱいの目だ。
 尽奈とあも丸は、たまげた。
「でも、キザシさん、前に溺れたことのある危険な場所なんだろ」
 尽奈も料理の手を止めた。
「あんな目にあって、もう一度、挑戦するって? どうしちまったのさ!」
「食料が無くなってきた! 村の皆は都のみかどさまに真珠を捧げないからだと騒いでる。米も作物も不作だし、魚は獲れねえ……。このままじゃ、狩りをするか木の実を食うしかなくなるぞ」
 キザシの言うことを、尽奈も感じていた。食料不足で村人たちは気が立っている。
「かといって、真珠を土地神様に供えれば、豊作になるって証は無いしな……」
「何もせずに手をこまねいているよりはいいんじゃないか。俺、考えたんだ。あのあこや貝は深いところにある。だから、ふたり組になって、浮上する時に相棒に渡して海上へ持ち帰ってもらうのさ。真珠を探していた者は、発見したらすぐに小舟へ帰ればいい」
「なるほど、そうすれば潜る時間が少なくて済む。キザシさん、考えたな!」
 あも丸もやる気になった。しかし尽奈は、
「あんたは、人並みに丈夫になってから日が浅い。溺れちまったら……」
「姉ちゃん、このままお腹空かせて待っていても、国守さまは待ってくださらないよ!」
「でもねえ。真珠を捧げたからって……」
「姉ちゃん! あの季節神がくれた丸薬のおかげで、おいらは命長らえた。神様を信じていいんだよ。姉ちゃんが一番よく知ってるじゃないか」
 あも丸の顔つきが生き生きとして、今までと違う。青白い顔で横になっていた少年とは別人のようだ。
「おいらは、姉ちゃんや、キザシさんの祖母ちゃんに元気でいてほしい」
「あも丸……」
 キザシとあも丸はそろって、尽奈を見てうなずいた。

第六章 伝説の真珠を

 キザシとあも丸、そして尽奈は、真珠採りの頭領と村長に正座して頭を下げた。
「もう一度、大きなあこや貝を採りに行かせてください」
 三人の決意を瞳の奥に見てとった頭領は、ついに再度の挑戦を許した。
 計画は、まず、キザシがいつも通りにあこや貝を求めて海底へ潜る。あこや貝の場所は判っているから、早く発見できると胸を張るキザシ。貝を手にしたら、後を追って潜ってきたあも丸に渡して、海面へ浮上する。あも丸には、ずっと尽奈が付いている。
 そうしないとどうしても、あも丸のことが心配だというので、頭領はしぶしぶ許した。

 小舟からキザシが、腰に長い縄を巻きつけて海へ飛びこんだ。
(あのあこや貝だ! しかも、ふたつあるぞ!)
 キザシはすぐに見つけて、ひとつだけ収穫を持ち、浮上しはじめた。潜ってきたあも丸に、あこや貝を渡す。
 あも丸が泳ぎはじめた時――、眼下でとどまっている尽奈に気がついた。
(どうした、姉ちゃん!)
 尽奈はあも丸に付き添っていて、険しい岩場に足を突っこんでしまったらしい。抜けない足を引っぱってもがいている。
(泳ぎの達者な姉ちゃんが!)
 あも丸は急いで姉の元へ潜り、岩をどける。しばらく格闘して、ようやく尽奈の足は自由になった。ふたりは急いで浮上し舟で待っていた頭領に、あこや貝を渡すことができた。
「よくやった、三人とも!」
 頭領は小刀であこや貝をこじ開け、身を裂いた。中からは、あんずの実ほどもある薄桃色の真珠が出てきた。
 頭領は手のひらに乗せてみてから、舟の神棚に乗せた。
「おお!」
「なんて大きい!」
「薄桃色の暁(あかつき)のような輝きだ!」
 舟の上にいた真珠採りの仲間も、目を見張って感嘆した。
 一同、思わず神棚の真珠に向かって正座をし、頭を下げる。そうせざるを得ない「威厳のようなもの」が、真珠から発せられていた。

第七章 真珠のおかげ

 頭領はすぐさま村長に報告してから、国守さまに引き渡し、都のみかどに献上した。
 朝廷からは、金子(きんす)や、備蓄されていた食料がどっさり届いた。
 時を同じくして、不思議なことに真珠の採れた海域地方から、海産物がどんどん獲れるようになった。
 村人たちは潤い、真珠を見つけて持ち帰った若者三人を救世主扱いする始末だ。
 キザシと尽奈たちは、すっかり恐縮してしまった。

 頭領は欲が出て、キザシにもう一度、あこや貝を採りに行くよう命令する。
 が、キザシは、
「二度と真珠を採りには行かない」
 頑として命令を聞かない。
「どうした、キザシ。お前の祖母さんも村人も、食料の恩恵がいただけるんだぜ」
「とにかく俺は行かない」
「この頑固もん!」
 頭に来た頭領は、真珠採り仲間の小屋に閉じ込めてしまった。

 尽奈が噂を聞きつけ、夜の闇に紛れてキザシの様子を見に来た。
 真珠採りたちは奥で酒盛りでもしているらしい。風に紛れて笑い声が聞こえる。
 小屋の奥の小部屋に、キザシはいた。
「キザシ。……キザシ。あたいだよ。尽奈」
 キザシは気配に振り向いた。
「尽奈……」
「頭領に逆らったそうじゃないか。何を意地張ってるのさ」
「海底に残っている、もうひとつのあこや貝を採ってこいと言われたからさ」
 キザシは苦しそうな顔をしている。
「何をそんなに悩んでるのさ、採って来ればいいじゃないか。あも丸の手が必要なら貸させるから」
「俺は、二度と真珠採りの稼業はしない!」
 怒鳴り声に、尽奈は気圧された。
 先だって、大きなあこや貝を採りに潜った時のやる気は、どこへ行ってしまったんだろう?
「キザシ、お祖母さんだって心配して……」
「―――帰ってくれ! ひとりにしてくれ!」
 仕方なく、尽奈は小屋を後にして、行くアテもなく浜辺へ来た。

第八章 真珠の死

 渚に人影があった。
 以前、あも丸に丸薬をくれた季節神だった。
「あっ、え〜と、そよぎさん。……この前はありがとう。弟はすっかり元気になりました」
 尽奈は砂の上に正座してお礼を言った。
「それにしては、嬉しくなさそうだな。――あの真珠採りの若者のことか?」
「なぜ、それを……」
「心配ない。純真だから、少々キズついてるだけさ」
「キズついてる?」
「娘よ。教えてやろう。真珠貝は真珠を取り出した瞬間に死んでしまうんだ」
「えっ………! し、知らなかった……」
「あの若者もそれを知って、真珠採りの仕事で潜る気を失くしたのだ」
 なんとも切ない夜風が吹き抜けた。
「そんな時にはこれが効く」
 季節神は、尽奈の手に小さな巾着を置いた。辺りは暗闇だが、小部屋から漏れてくる明かりで、黄金の真珠だと分かった。
「これは……黄金色……なんて珍しい真珠だろう。生まれて初めて見るわ」
「やる気を失くしている時に、ひと粒飲めば心に効くはずさ。これは真珠を煎じて作った丸薬なのだ。真珠の成分が人に効くとは、私も驚いている」
「まあ、弱った心に効くなんて。黄金色を見ているだけで、まばゆい色が心に沁みるわ」
「煎じれば薬にもなり、繋ぎ合わせれば首飾りや冠など装飾にも使える。女性や高貴な方の憧れの的だが、弱った心に元気を与えてくれるのが、何より有り難い効能だな。―――海はあらゆる生き物の母と言われる。陸の人間も恩恵を受けるのは、母なる海のおかげかもしれないな」
「あなたは本当に季節の神様? 困った時に私たちを助けてくれて……」
 そよぎは、それには答えず、
「『緑林』の娘。『緑林』は人の屋敷に押し入って、金銀財宝を盗んでくるだろう」
 尋ねにくいことを尋ねる神様だ。盗みが真っ当な生業(なりわい)だなんて、なかなか言えない。

第九章 限りある命

「金銀財宝の中にあって、真珠だけは生き物だ。いつかは死ぬって知ってるか?」
 尽奈は考えたことがなかった。
「貝殻の中で生まれた生き物だから、寿命がある。貴人たちを飾りたてていても、いつか朽ちてしまう」
「……そこまで考えてみたことなかったよ」
「だからこそ、飾りとしても大切に扱ってやらなきゃと私は思う。薬にした真珠も必要としている病人の身体に処方して、最後まで飲んで飲みきってもらって人の役に立つ。きっちり真珠の寿命を使い切る人の元へ届けることが、真珠採りの義務ではないのかな」
「そ……その通りだと思うよ」
「義務を全うした時の中で命の終わりを迎えるなら、本望じゃないかな。そこで、あのやる気を失くしている海士に黄金の真珠を飲ませてやってくれんか?」
「黄金の真珠を!」
「効き目があると告げずに売っても、それはお前の自由だ。あれほどの純金の玉、相当の値段で売れるだろう」

 季節神は、ふっと気配を消す。
 キザシは、絶対に海へ潜らないと言い張り、尽奈が勧める真珠を飲まないばかりか、食べ物を受け付けなくなる。
「キザシ、お願い。食べ物を食べて。黄金の真珠も飲んで!」
 尽奈は、正座してお願いする。
「真珠の務めを全うさせてやってほしい。このままキザシが食べるのをやめて命が尽きたら、大きな真珠だって悲しむに違いないよ」
「……」
「あんたのお祖母さんが、どんなに悲しむか……」

 真珠採りの仲間が、浜で仕事の支度をしていると、ひとりが指を指して叫んだ。
「あれは、キザシの祖母ちゃんじゃないか?」
 浜の向こうには竜の首岬(りゅうのくびみさき)という高台になっている崖がある。てっぺんに人影が見える。
「本当じゃ、キザシの祖母ちゃんの渦女(うずめ)さんじゃ」
 キザシも、来合わせていた尽奈とあも丸も、猪首岬へ視線を走らせた。確かに老婆が岬の突端にいる。
 岬のすぐ下の海は深くなっており、大きな真珠を見つけた場所である。
「ば、祖母ちゃん、何をする気だ!」
 キザシが走りだした時、人影は空中へ身を躍らせた。真珠採りの仲間から、どよめきがもれる。
「さすが長い間、海女をしていた祖母ちゃんだ。あの大胆な飛び込み方を見ろ!」

 一同が竜の首岬の付け根へ駆け寄った時には、お祖母ちゃんは、手にはしっかり大きなあこや貝を持って浜辺に上がってきていた。
 小刀で貝を開いて中から大きな真珠を取り出した。
 なんと黄金色の大きな真珠を――。
 一同は、またもや驚いた。
 大きさだけでなく、この世のものとも思えない真珠だからだ。
 キザシのお祖母ちゃん――渦女さんは、ごく冷静に黄金の真珠をつかんだ。
「キザシ、よく見ていろ」
 大きな口を開けて真珠にかじりつく。
 渦女さんは、ちゃんと残っている自分の歯で真珠をバリバリ噛み砕いた。
 中身は空っぽで外殻だけだ。
 真珠は長生きしすぎて外側だけになってしまっていたらしい。
 欠片(かけら)が砂の上に飛び散った。
「これを見よ、ご一同!」
 渦女さんは、声を張り上げて言う。
「もう、この真珠には力が無い。こんな朽ちている真珠をみかどさまに献上したとて喜ばれるわけがない。これを手に入れるために若者の命を危険に晒すなど、ばかばかしいもよいところじゃ」
「ば、祖母ちゃん!」
 渦女さんは、すべてお見通しだったようだ。

第十章 新しい生き方

 頭領はがっくりしていた。
「しかし! こっちの丸薬の黄金真珠は、タンパク質っちゅう栄養がぎっしり詰まって、やる気の無くなったもんに効き目がありそうじゃ」
 渦女さんの手には、尽奈がそよぎからもらった巾着入りの黄金真珠があった。
「お祖母ちゃん、それは?」
「季節神と名乗る神さまからいただいたのさ」
「そよぎさん?」
「そうそう、ふわふわ薄い茶色の髪のいいオトコさ」
 キザシが、前へ出てきて、
「祖母ちゃんてば、未だにメンクイなんだから!」
「でも、渦女お祖母さんのおっしゃることは、ごもっともよ、キザシくん」
「キザシ、お前より先に真珠の丸薬はワテがいただくぞ!」
 渦女祖母さんは、いくつかゴックンと飲みこんだ。

 そして、翌朝――。
 フンドシ1枚で寝ていたキザシは、隣で寝ているはずの祖母ちゃんの姿が見えないことに気づいた。
「あれ? 祖母ちゃん、どこ行った〜?」
 狭い炊事場に目をやり、呆然とした。
 渦女祖母さんの地味な着物を着た女性が振り向いた。
 綺羅びやかで豪華な真珠の首飾りを着け、頭にも真珠を飾っている。目玉が飛び出るほどの美しさだ!
「おや、目が覚めたかい、キザシ」
 声も若々しい。
「祖母ちゃん……?」
 キザシは、1枚だけの鏡を磨きまくって祖母に見せた。
「おやっ? これが、ワテかいな?」
 渦女さんは満面の笑みを浮かべた。
「あの季節神、粋な贈り物をこんな婆にしておくれだね! 今からどこかの皇帝か王に見初められたりしてさ!」
「じょーだんは止してくれっ!」
「もちろん冗談だよ。妃になるとか後宮に入るとか、命と引き換えにしても、ワテはやだねぇ」
「え?」
「ワテは、家族や村人が元気で平穏に暮らせれば、それ以上の幸せはないと思うておる」
 お祖母さんの瞳の奥に、真珠より強力な輝きが見えた。
「そのためなら、心底から思いを込めた正座をして喜んで頭を下げる! 宝が何じゃ、美貌がなんぼのもんじゃ。皆、トシとればしわくちゃの婆になるし、身体は痛んでくるし、身分ある王さまは本気で『不老不死』なんか探しておるのかのう?」
「とにかく心臓に悪いぞ、その若返りようは」
「昨日、飲んだ真珠のせいさな。文句なら真珠に言っとくれ」
 渦女祖母さんは、目を白黒させるマゴを尻目に、ガハハハと笑った。

第十一章 心のこもった座礼

 尽奈は、あも丸を連れてキザシに会いに行った。
 食べ物を拒否するのもやめて、素直になったらしい。
 それより、素晴らしく若返っている渦女祖母さんを見て、ふたりはひっくり返るほど驚いた。
「今まで、数しれぬ盗みを働いて生きてきた。もし、キザシが承知してくれるなら、黄金の真珠を、盗みをやっちまった家に配って詫びたいんだが……。たとえ一時(いっとき)でも、喜んでもらえると思うんだ」
「そりゃ、いい考えだ。お前、盗賊の仲間でいることに悩んでいたものなあ」
 キザシは賛成してくれた。
「でも、黄金の真珠はもう数少ないぜ」
 あも丸と三人、がっかりした時、背後から声がした。
「そういう役立つことに使うのなら、いくらでも届けて進ぜよう」
 季節神のそよぎが、海風に吹かれながら笑みを浮かべていた。
「そよぎ! なんとお礼を言っていいか……」
 尽奈とあも丸と、キザシは三人そろってそよぎの前に正座して、丁寧に頭を下げた。心からのお礼だった。


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