[52]正座の努力
タイトル:正座の努力
発売日:2019/05/01
シリーズ名:須和理田家シリーズ
シリーズ番号:9
分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:48
定価:200円+税
著者:虹海 美野
イラスト:時雨エイプリル
内容
高校一年のモナは、校内でも真面目なことで有名な生徒。生徒会役員としても日々奮闘している。
中学生を対象にした学校説明会を前に、執行部の生徒への礼や正座の指導を生徒会で行うことになり、モナが密かに憧れている副会長の賢に、その時のリーダーを任命される。
大きな不安を抱いたまま迎えた執行部指導の日、モナがふと口にした言葉から、執行部のブーイングが起こる。
その時、友達のサクラが思わぬ援護射撃をしてくれて……。
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本文
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1
秋の深まりを感じる季節だ。生徒は衣替えが済み、入学して初めての秋を迎える一年生もニットのベストやカーディガンを天候に応じて着ることに慣れ始めている。中には、学校にも制服にも慣れた延長で校則からはみ出る着こなしをする生徒も見受けられるようになり、抜き打ちで行われる校門前での検査では、足止めを余儀なくされる光景も見られる。しかし、常に真面目に生きてきた生地目モナには、そんな光景は他人事であり、無縁であり、先生がいつ校門の前に立っていても、挨拶をして通り過ぎるだけだ。
高校に入学してからも、春休み、夏休みは一学期、二学期分の予習を済ませる徹底ぶりで、努力を怠らないモナの校内の立ち位置はもう確立されていて、小テスト、定期テストでもあの人は苦労と無縁、と囁かれていることもモナは知っていた。
今、図書室では定期テストを前に多くの生徒がノートをコピーし合ったり、数学の応用問題の解き方を教え合ったりしている。
そんな中、かなり静かな雰囲気で勉強を進めているのがモナとその友達二人の三人グループだ。もう三人はテストの仕上げ段階に入っていて、数学、英語の問題集は三周、四周している。通常一周するだけでもツワモノと賞賛されるほど、内容、量ともに充実しきっている問題集を三周する時点で、『あの三人は一般と違う』と言うほかの生徒の噂話も、三人にとっては無関心な話題だ。
かなり集中していたモナだが、斜め前方にある机から勉強の合間におしゃべりというか、おしゃべりの合間に勉強というか、全く勉強がはかどっていなさそうな気配が伝わってくる集団がやや気にかかっていた。それはその四人組女子の中に、少し前に親しくなった須和理田サクラが含まれているからだ。
「あはは」とか「やだ」とかいう忍び笑いに、何人かの女子は眉をひそめるが、男子はその声に気を取られた振りをして、彼女たちを見る口実を探しているのがわかる。須和理田サクラのグループの女子は全員ダンス部で、ビジュアルの申し分ない、明るく派手なメンバーだ。そのメンバーのサクラが、さっきから時折モナの方を見ているのに気付いていた。周囲が注目していない時であれば、「どうしたの?」と声をかけられる間柄だが、こちらはこちらで校内では成績と真面目さでは随一のメンバーとして認識されているので、モナから迂闊に声をかけると、サクラのメンバーが一気に静かになるのが予想できる。暫く知らん顔していると、意を決したように、サクラがモナの方へ来た。
「あの、さ」
モナは手を止めて顔を上げる。
図書室がしん、と静まり返った。
「何?」
友達ではあるが、周囲の空気に気後れし、モナは短い返しに留める。
「ここ、どうしてもわからない」
モナは数学の応用問題に目を通す。
「今、ここで説明する?」
「いいの?」
モナは隣の席に置いてあった鞄をどかし、そこへ座るようサクラを促した。数式を解き、グラフに放物線を引き、その経緯を説明する。サクラは「うん、うん」と頷きながらも、まだ次の問題を一人でやるのは難しそうだ。サクラ自身よりもサクラの学力をモナが把握できるのは、その道をモナが歩んできたからだった。
「まず、前の方に戻って、これとこれを解いてから、もう一度やった方がいいと思うよ」とサクラのプライドを傷つけないように教える。
サクラはノートの前のページに戻り、間違った答えの隣に赤で正解を書き写した状態を見て、「そうだね」と頷いて、「ありがとう」と自分のいた場所へ戻った。それを合図のように、ボリュームを落とした雑談があちこちで開始された。
2
テストが終了した日に生徒会は活動を開始する。モナもお昼を教室で友達二人と済ませた後、生徒会室に向かった。
生徒会ではテストの前に行われた中学生向けの学校説明会の二回目、三回目への課題が話し合われる。その中で、執行部の生徒を集めての礼に関する指導を行おうという案が出た。生徒会役員、及び各部の次期部長は二日間にわたり、礼やリーダーとしての在り方のレクチャーを専門家から受けている。それを基に、生徒会役員は毎年執行部の生徒に自分たちが受けた指導を簡素化した内容を伝授するのが恒例になっていた。初回の執行部の集まりでは、簡単に礼や正座についての講習を行ったが、実際に学校説明会が開始されれば、礼の角度まで気の回る状態でないのは仕方のないことだった。
前回の学校説明会ではどの執行部の委員さんも初めてながらよくやってくれた、という結論の上で、中学生が学校内に入って来た時の礼の角度を一度揃えた方が更にいいので、そのあたりを重点的に行おうということで話はまとまった。
生徒会は三年生が引退し、現在二年生の会長多田師浩介、副会長の藁里賢をリーダーに新体制として動き出している。一年生のモナも生徒会に入った当時の先輩たちの仕事ぶりを見ている立ち位置から、ずいぶんと仕事を任されるようにはなっていた。
今回の話し合いで特に異議もなく頷いていたモナに賢は視線を向け、「じゃあ、この指導のリーダーは生地目さんにお願いしようかな」と言った。
「え」とモナは絶句する。
一回目の説明会より、落語が好きな賢が先頭に立ち、生徒会役員は学校説明会の舞台で和装し、大喜利形式の学校紹介を行った。この生徒会役員による試みは大盛況で、教師からの評判もすこぶる良かった。しかし、この大喜利でモナは正座が苦手という自身の弱点を知ることになった。
派手なグループに属するサクラと親しくなったのは、この正座が関係している。派手なわりに正座や立ち振る舞いがきれいで、執行部の採用も確か、適当に座っているよう言われた際にただ一人最初から最後まできれいな正座をしていたことと、言葉遣いが丁寧だったことからだった。そのサクラが説明会前に会長の浩介に頼まれ、生徒会役員の正座指導にやって来たのだった。姿勢の悪さが正座をうまくできない原因だとサクラに指摘され、更にダンス部であるサクラに簡単な柔軟体操も教えてもらったおかげで、モナは第一回の学校説明会の大喜利を切りぬけられた。
しかし、そんな状態のモナが執行部の人の指導などできるのだろうか……。
もちろん賢はモナ一人に任せるのではなく、モナを責任者とし、生徒会全体で当たることを言うのも忘れなかった。
賢は副会長なので、全校生徒の前での挨拶などはしないし、そういった役割は会長の浩介の方が適役だとも思うけれど、賢はとても頭がよくて、話も面白く、気配りも忘れない人格者だ。初めて生徒会室に立候補をしたいとモナが訪ねた時、一年生のモナにも丁寧な言葉で対応してくれたことや、球技大会や生徒総会で大忙しの時に、いつも遅くまで生徒会の仕事をしていたにも関わらず、学年上位の成績だったことから、賢はモナの中では絶対的に尊敬でき、尚且つ憧れの存在だ。賢に追いつくという目標は恐れ多いけれど、近づけるようにという思いのもと、モナはもともとの勤勉さに加え、更に努力を積み、心密かに高校卒業後、賢と同じ大学へ進みたいとも考えていた。
そんな賢の発案に生徒会役員は皆賛成の意向であり、モナは密かに尊敬する賢を前に「できません」とも言えず、そのままモナが責任者に決定してしまったのだった。
3
どうしよう、どうしよう、とモナは悩んでいた。執行部の指導日は確実に近付いてきている。もちろんその間に初回の執行部の集まりより細かく、丁寧な説明を加えた礼や敬語、正座などに関するプリントを作成したり、指導日時を伝えたりと必要なことは進めている。
同じグループの二人に相談するのが適切だが、そうすると、賢を尊敬している、ということまで言わなくてはならなくなりそうだった。恋はゲームとアニメの世界限定で、普段はひたすら勉強という二人には、なんとなく話しづらい。
悶々とした気分で下を向いて歩いていると、「生地目、どうしたの?」と明るく声をかけられた。
相変わらず、すらりとして小顔で、髪も肌もつやつやのサクラが笑顔で手を振っている。このサクラがなぜ、会長の多田師浩介が好きなのか、モナにはいまいち理解できない。しかもサクラは浩介への告白は、まだ無理だと言う。今すぐでも平気だと思うけど、と言う意見はサクラの気持ちを尊重して言っていない。
モナのどんよりとした表情に気付いたサクラは、「ちょっと話す?」とモナを生徒ホールの椅子に連れて行った。そこでサクラは温かい緑茶のペットボトルを二本買って戻って来た。
「はい」と渡され、「お金」と今財布を持っていないことに気付いて言いかけると、「別にいいよ、なんか落ち込んでいるみたいだし」と優しく遮った。
「少し、聞いてほしいんだけど」
「うん」とサクラが頷く。
「今度、執行部の集まりがあるのは知ってるよね?」
「明日でしょ?」
「そうなんだよ」とモナは頭を抱え、「その責任者、私になっちゃった。絶対無理だと思う」と続けた。
「ああ、ちょっと厳しいかもね」とサクラはあっさりとモナの悩みを肯定する。
『そんなことないよ、大丈夫だって』という答えを予想していたモナはサクラを見た。
「だって、二年生も来るんでしょ? 一年生には荷が重いよね」
「……そうなんだよ。わかってくれる?」
「わかるよ。だって前の正座指導、いきなり会長に頼まれた時、私も困ったから」
「そうだよね」とモナは、生徒会室にサクラが来たことを思い出した。
「それに生地目に私、なんか嫌われてたし」
「あ、ごめん」とモナは謝る。
サクラとの出会いは、学校説明会を行う際に生徒会役員だけでは人手が足りないことから募集した執行部の希望者に向けた集まりだった。あの時、これまで学級委員などの学校活動をやってきたと思しき、どちらかといえば真面目な生徒の中、全く委員会などに無縁といった感じの派手でチャラチャラした印象の浮いたグループがひとつあり、その中にいたのがサクラだった。執行部に入った後、サクラは会長の浩介にも気に入られている様子で、それがモナには気に入らなかった。真面目にやってきた自分の積み重ねてきたものが全て否定されてしまった気がした。けれど、その後打ち解けてみると、サクラはサクラでいろいろなことを考えているのがわかったし、付き合う女の子のグループは違うけれど、今は学校内でかなり心を許せる存在だ。
「まあ、もう決まっちゃったものは仕方ないし、もし無理なら次回は別の人にやってもらえばいいんじゃない?」
……そんな賢の信頼を損なうことをしたくない、という思いをサクラは見抜いているのか、そうでもないのかわからない、微妙な面持ちで、締めくくった。
「もし、うまくいかなかったら、どうしよう……。司会どころか生徒会も無理だなんて認識されたら……」
まだ気分の晴れないモナが弱音を吐くと、サクラは「生地目には、失敗するってことを学ぶにはいい機会だと思うよ」と言い切った。
「どういうこと?」
「悪い意味ではなくてね、生地目って、何事も完璧にして生きてきたでしょ? テストの勉強が終わらないまま当日になったとか、みんなの前の発表で準備してなくて失敗したとか、そういう経験ないでしょ?」
あるわけない、と思う。
そして、目の前のサクラを見る。
テスト前でも、あの確実にテストに出る数学の問題ができていなかった。
二クラス合同の授業での発表の時、サクラのグループはサクラ以外の三人が資料を揃えていなくて、その分を当日口頭で説明して無理矢理済ませていた。
ああいう時、多分、サクラは本人なりに困ったり、冷や汗をかいていたのだろう。
あれは明らかに当人たちの責任だとモナは思う。
数学の問題は前の問題を解けばできるし、その前の類似問題については授業でやっていた。
発表も一ヶ月前に発表日が決められていたはずだ。
けれど、今回の執行部への説明は、事前に準備しても、執行部の人が生地目の指導を受け入れてくれるか、というところがカギだ。努力で補えるものではない。
それを言いたかったが、サクラが言いたいのはそういうことでないのもモナはわかっていた。
失敗して、そこからどうするかを学ぶのも人生経験だということだ。
けれど、モナの本音としては、そんな人生経験は積みたくない。
まして、尊敬する賢の前では尚更完璧な指導をして、それをなんでもないことのように振る舞いたい。
「まあ、生地目の場合は助けてもらうことを学ぶ機会も必要なんじゃない?」
サクラはそう言うと、「部活あるから行くね。メールしてくれていいから」と立ち去った。
4
翌日、生徒会役員たちがテーブルや椅子を教室の隅へ移動させ、執行部の人間全員が座れるスペースを作っている間、モナは予定をホワイトボードに書き、プリントを揃え、緊張の面持ちで会場となる視聴覚室にいた。
時間になり、ぞろぞろと執行部の人間が入ってくる。
多くが一年生だが、一年生から引き続き二年生になっても執行部に属している、モナからすると先輩もいる。
モナは大きく息を吸い込み「それでは、執行部の講習会を始めます」と声を張った。生徒会役員が作成した資料のプリントを配布する。
視聴覚室内のざわめきが止む。
モナは室内前方のホワイトボードの横に立ち、今日の集まりの目的と内容を説明する。
内容に関しては事前に生徒会で打ち合わせ済みで、先生からの了解も得ている。しかし、ざわめきの後に訪れた沈黙は、本日の司会進行役を知ったことにより、どこか刺々しいものになっているようにモナには感じ取られた。
執行部の面々を見渡す勇気が持てず、自然と俯きがちでプリントから目を上げられなくなる。
モナは打ち合わせ通り、「前回の説明会はお疲れ様でした」と言ったけれど、なんとなく、それが「一年のお前に言われたくない」というような空気を作りだすキッカケになった気がした。
「第一回説明会を無事に終えられたと生徒会一同思っていますが、執行部の礼の角度が揃っていなかったので、そこを直すための指導をします」
ここでどこからともなく「上から目線」という呟きが聞こえ、「礼の角度とか、そこまで必要?」とか、「前にもやったのに、また?」という非難めいた疑問の声が上がり始めた。
これと同じ内容を会長の浩介や副会長の賢、そのほかの二年生なんかが言えば、ごくごく普通に受け止められたとモナは思うし、仮に今のような声が上がっても、「まあ、もうちょっと聞いてください」とか、そんな感じで笑いながら言えば「いいよ~」とか、「了解」とかの返事が来て、穏便に話が続けられたのは予想できた。
もともとフレンドリーな対人関係を築きにくいモナには、そんなやり取りはできるはずもなく、この場を取り繕う精一杯の気持ちで「お忙しいところ、すみません」と発した言葉に、どこまで効果があったのか、はたまた逆効果になったのかはわからなかった。
まずは挨拶の仕方、礼の角度、正座の仕方やお茶の出し方についての動画を見る。
モナの後ろに控えている生徒会役員が室内の電気を消し、動画をつけてくれる。
「これ、前にも見た」という不満を表情や言葉に出しながらも、執行部に入った人たちだけあって、動画はきちんと見たようだった。
以前にも一度見た動画ではあったが、まずは礼や正座、戸の開け閉め、お茶の出し方などについての知識の再確認はできて、第一関門はクリア、というところだ。
ここから、実践に入る。
その前にモナは明るくなった室内で、弛緩した状態の執行部の人を見渡して、ふと気付いたことを口にしていた。
「今、動画を見ている最中に正座をしていた人は、実は一名しかいなかったんです」
生徒会役員は動画の映し出されるスクリーン横のホワイトボード付近に立ったまま、動画を見ていた。それゆえ、動画を見ている執行部の人たちの様子に自然と目が行く。ただ一人正座をしていたのは、生徒会役員の正座指導にも当たった須和理田サクラだということは生徒会役員は全員気付いていたし、見ていなかったとしても、おおよその予想はできる。
室内にざわめきが起こる。
「聞いていない」という声があちこちから起こり、二年生が挙手して、「私たちは今日部活や用事より、この集まりを優先させて来ました。そこで次の説明会のための参考に必要だから、前にも見た動画をまた黙って見ていたんです。その時間を正座していたかどうかの試されることに使われていたのでは、こっちも生徒会に協力したいと思えないし、信頼するのも厳しいです」と意見した。
あちこちから拍手が起こる。
マズイ展開になってしまった、とモナは思った。
「試すために動画を見てもらったわけではないです」と小さく言ったが、誰の心にも届いていないのがわかる。
モナの友達も執行部にいるにはいるが、正座をしていなかったうちの一人として、モナへの援護は難しいらしく、困った顔をしてモナを見ている。
「そもそもこの集まりも本当に必要なんですか」と別の意見が出る。
この日のために配布資料を作り、話し合ってきたことのひとつひとつを、モナは真面目にやってきた。生徒会のメンバーもそれは同じだ。
「必要だから、集まってもらいました」
モナは必至に声を張り上げる。
「土曜日に時間を割いて学校説明会に来てくださる中学生の皆さんに、この学校のいいところを短い時間でも知ってもらいたいと生徒会では考えていますし、執行部にもそういう考えの人に集まってもらっています」
視聴覚室はモナの説明でしばし静かになったが、別の誰かが「それと正座とどう関係あるんですか」と言えば、またざわめきだす。
モナは早く何か言わなくてはと思ったが、涙が浮かんできて、言葉が出ない。
どうしよう、もう駄目だ、と思った時だった。
「指示がなければ正座ひとつしない集団が、放課後学校のために頑張る生徒会役員にそんな偉そうなこと言えるんですか?」
しん、と静まり返った室内で、視線を一身に浴びている声の主をモナは見た。
サクラが平然とした顔で、一年、二年の執行部員を見渡している。
「何、あの子」という囁きに、「二年の須和理田の妹」と誰かが答え、「あの大人しい?」と別の誰かが言う。「須和理田ってチアの紀羅美と付き合ってるよ。あとあの子、ダンス部で二年に知り合い多い」という囁きが聞こえ、そこでサクラに関する情報交換は途切れた。サクラに兄がいるのは知っていたし、その彼女が結構怖い感じのチア部の二年生の紀羅美という先輩だということも、時々二年生のダンス部の先輩とサクラやその友達が楽しそうに話していることもモナは知っていたが、それがこの場で、恐らく『生意気』だと認定されたサクラを攻撃するか否かの大きな判断材料になることまでは考えが及ばなかった。平和で先輩後輩の関係もそれほど厳しくはない昨今の高校でも、サクラの兄の彼女やダンス部の派手な女子は、執行部の真面目な生徒にとっては距離を置きたい存在だったらしく、また、この場にいる大多数の生徒は、一年生であろうと、どこかサクラに及び腰になっているようだった。
そんな情報が囁かれることに無関係という様子でサクラは続ける。
「今だいたいの高校は学力と面接の試験で入学できるけど、この高校に入った人はただ学力に合った高校だから選んだだけじゃない。文化祭や説明会での在校生の丁寧な接し方も大きな選択基準になっていることは、この地域では有名ですよね。それを体現して進学先を検討している中学生に伝えようっていうのも執行部の目的ですよね? 礼の角度も、それこそ挨拶も強制じゃないし、正座ができなければ執行部の資格がないわけでもないと思います。だけど、敢えてそういうこともできる執行部、もとい人間でありたいという誇りをもってほしい、けれど言葉だけで指示されても理想論だから、テスト直後から話し合いをして資料を作って、前回説明したことを思い出した上でできるように生徒会の方が準備してくださったわけですよね。もっと良心的な受け取り方はできませんか」
「ありがとう」という声で、再び視線は室内前方に向けられた。
会長の浩介が続ける。
「今説明してもらった通り、自分たちがこの学校を選んだ理由や、実際に入学してみてよかったと思うことを、中学生にも理解してほしいと僕個人は思っています。中学生にとって土曜日の半日を学校説明会で潰すことや、交通費をかけることって、結構大変ですよね。でも、だからこそ、行って良かった、あの学校に入りたいと思ってもらえるような迎え方を僕はしたいと思っていますし、僕自身もそういった迎え方を先輩方にしていただきました。皆さんは、どうですか」
室内の空気がピリついた時から、終始穏やかな表情のままの浩介は、そう締めくくった。
「今回、進行役に一年生の生地目さんを推薦したのは僕です」
副会長の賢の言葉にモナは顔を上げる。
「生地目さんはとても真面目に生徒会活動に取り組んでくれている役員の一人ですし、あと、前回の学校説明会の大喜利では正座が苦手でも一度も弱音を吐かず、努力して、本番を成功させてくれました。そういう努力を知る人から、執行部の皆さんに、礼とか、正座とか、そういうことの大切さを伝えてほしいと思いました」
……先輩は、全て見ていてくれたんだ。
今日までの憂鬱が、ゆっくりとモナの心から消えた。
「生地目さん、テスト直後からよく頑張ってくれていましたね」と賢はモナに視線を合わせ、優しく笑った。
「生地目さんは、今日も本当に緊張しながら、一所懸命やってくれています。どうでしょうか。執行部の皆さん、次回の説明会のために、一緒に頑張ってもらえませんか。生地目の話をもう少し聞いてもらえませんか」
優しく畳みかける賢の声に、モナは我慢していた涙を落として、洟を啜った。
司会を務めるモナの後ろでハラハラしていた一年生の生徒会役員の女子の一人が、ハンカチを貸してくれた。
モナが目元を拭いている間に、浩介が「先ほど発言してくれた須和理田さんは、実は前回の大喜利で正座指導を担当してくれた僕らの先生です。生地目とも親しくなったので、その友情からの発言ですので、二年生のみなさんもそこのところ、お察しください」と、今後のサクラの学校内での立ち位置を慮った発言をさり気なく割り込ませた。
「生地目さん、お願いできますか」と賢が訊く。
モナは大きく息をつき、顔を上げた。「はい、できます」と賢に向かって頷いた後、改めてホワイトボードの横から執行部の人たちの目を見た。
「至らぬところがあり、すみません。一所懸命に説明していきますので、聞いてください」
頭を下げる。
「頑張れ」という声がする。
頭を下げたまま、モナは目を見開く。
もともとの元凶が彼らであったことは忘れていないし、さっき文句を言った人が、「頑張れ」と言ったのかも知れない。そうした感情を差し引いても、モナは心が明るくなるのを自覚していた。こうした場で、誰かから「頑張れ」と励まされたのは、初めてだった。
「ありがとうございます」と応えた後、モナは正座の説明に入る。
説明に入る前、「私も正座は苦手で苦労しましたが、きちんとレクチャーしてくださった先生のおかげで、今は足も痺れないし、正座をすると心が落ち着くこともわかりました」と自身についてもふれた。
さっきより、執行部の人が話に集中しているのがわかる。
「私が正座でよくなかったのは、姿勢が悪いという点だったのですが、正座では姿勢に気をつけることから意識すると、だいぶ改善されました。実際に正座では、姿勢を正しくすることも重要ですので、そこも気をつけてみてください」
そう言うと、モナはホワイトボードの横に正座をする。
「まず背筋を伸ばしてください。スカートは広げずにお尻の下に敷くように。足の指は親指同士が離れないように気をつけてください。親指同士が重なるか、触れるように。膝はつけるか、握りこぶし一つ分開くくらいがいいです」
そこでモナは立ち上がり、執行部の様子を見る。
「肘は垂直におろすようにして、手は太ももの付け根と膝の間にハの字で置いてください。脇は閉じるか、軽く開く程度で」
モナの言葉に沿って、執行部の面々が正座を直していく。
「あ、すごいですね」
ホワイトボードの前にいる生徒会役員が顔を輝かせる。
「茶道教室のように、すごく雰囲気も引き締まって、品があります」
執行部の圧巻の正座に生徒会一同も大きく頷く。
モナは生徒会長の浩介や副生徒会長の賢が頷くのを認めた後、「ありがとうございました。楽にしてください」と言った。
「説明会では今のところ正座をする機会はないと思いますが、この短い時間でも、正座をすることで気持ちが鎮まったり、礼節についても心が改まると思います。説明会の時には新入生がたくさん来て、対応に追われて大変だと思いますが、どうか今のような気持ちでお願いします」
モナはそうまとめ、礼の角度の指導に入った。
5
集まりの後、視聴覚室を出る執行部の人は、「お疲れ」とか「頑張って」とモナにねぎらいの言葉をかけながら、退室して行った。
何度も頭を下げて、モナはそれを受けて、失敗だったのか成功だったのかよくわからない今回の集まりが終わったことに脱力した。
生徒会役員だけになった視聴覚室で、ほかの役員がモナに「よく頑張ったね」と口々に言い、もう完全に失敗だと思った場面すら、モナが踏ん張りを見せたと受け止めてくれていた。
「ありがとうございました」と頭を下げるモナに、副会長の賢は「お礼を言うのは、僕らでしょ。大役ご苦労さま」と言った後、「さあ、次回の集まりの司会は誰に頼もうかな」と呟き、生徒会役員の一年生は「せっかくですから、副会長にお譲りします」と笑って交わした。賢はそこで「じゃあ、今回頑張った生地目さん、次回もどうですか?」と話を振り、司会の合格点を伝えてくれたのだった。モナは「いえ、もう司会は一人一回までで」と返し、生徒会役員は大笑いした。
この後次回の学校説明会でも行う生徒会大喜利の練習のため、生徒会役員はそれぞれの片付けを終え、生徒会室に集合する。
視聴覚室を簡単に掃除し、端に移動しておいたテーブルとパイプ椅子を元の位置に戻す。
浩介と賢は動画を見るのに使用したパソコンを職員室に返すために、先に視聴覚室を出た。
今回の司会者だったモナは視聴覚室の片付けが済むと、鍵を職員室に戻しに行く。
廊下を歩いていると、雑談しながら職員室へ向かう浩介と賢が見えた。すぐに駆け寄ろうと思ったけれど、二人の話している内容に、足を止める。
「まさか須和理田さんがフォローするとは思わなかった」と賢が言い、「乱闘にならなくてよかったよ」と浩介が溜息をつく。
「結構内心ハラハラしてた?」
「するよ。かなり焦った」
あの時、終始穏やかだった浩介がそんな心境だったとは……。
「あのフォローで大丈夫だったかな」と、サクラのことを心配する浩介に「そもそもあのフォローも須和理田さんは必要ないでしょ」と賢が冷静に返す。
「まあ、でも須和理田さんが言ったことは、生徒会役員が思ったとしても、言えない立場だから」と言う浩介に「言えたとしても、あの度胸、ないよね」と賢が言い添えて、苦笑している。
「ああいう人材、生徒会にほしいんだけどね。入ってくれないかな」
浩介の言葉に、会長も相当サクラのこと気に入ってるんだ、とモナは思う。今日のお礼にこのことを教えてあげようか……。
「いや、潜在的ではあるけど、生地目さんも結構本当は言える人だと思うよ。かなりの努力家だし、基本的には自分でなんとかできる人だから」
「なんでも自分だけでやろうとするのが心配だから、今回生徒会役員に助けられることも学んでほしい、頼ってほしいって言ってたのに矛盾してない?」
「頼ることを知った上で、もっと自分の力を発揮してほしいよね」
「ずいぶん期待してるんだ」
「うん」
え、え、え……。
モナの思考は停止する。
賢がそんなに自分のことを買ってくれていたこと、評価してくれていたこと、期待してくれていたこと……。
なんだかわからないけれど、嬉しい。
この話は誰にもしたくないけれど、誰かに話したい。
わかってくれる人がいい。
そう思った時、浮かんだのがサクラだった。
6
「ふうん」
というのが、サクラに話した後の一声だった。
もじもじとしているモナをサクラが見る。
「だから、会長は、須和理田さんに生徒会にも入ってほしいって思っているくらいだって話で……」
「その前の、副会長の話。ずいぶん嬉しそうだね」
「それは話の流れだから、一緒に話しただけで」
やっぱり言うんじゃなかったなあ、とモナが思っていると「よかったね」とサクラが言った。
「あ、うん」
「ねえ、制服さ」
「え?」
「いつも、正装だけど、たまにはオプションのリボンとか、つけてみたら? オプションは校則違反じゃないよ? スカート短くしたりすると、生地目のよさが逆になくなるのかどうかはわかんないけど、生地目、それだけ頭いいし、勉強以外のことに興味持ってもいいと思う」
「あ、うん……。でも、私がそういうことすると、『勘違いしてる』とか言われる、かも、知れない……」
モナは俯いて小さく言った。
何度か、正装よりも明るい色のリボンやスカートで登校してみようと思ったけれど、そのたびに思いとどまっていた。
「そんなこと、誰も言わないよ。言われたら言われたで、気にしないとか、言い返すとか、何かしら手段はあると思うよ」
「だから、それはさ、もともとの見かけがいい人が言えることっていうかさ」
「生地目、もっとしっかりしなよ。それと自信持った方がいいよ」
モナは顔を上げる。
「じゃあさ、生徒会の定例会がある日に、オプションのリボンとスカートで来ることから始めてみたら?」
それは、賢に会う日という意味だ。
モナが「無理無理」と言うけれど、サクラは「決まりね」と笑った。
7
この日の定例会は、次回の学校説明会で行う生徒会大喜利の練習に充てられた。
颯爽と生徒会室に入って来た賢は、「今度の大喜利に、高校生らしく一年生の定期テストの話を入れたいんだけど、生地目さん、よさそうな問題あるかな。誰にでもわかりやすい内容にするか、それとも全然わかんない難しい感じのにするか、どっちでも面白いと思うけど……」と一気にしゃべり、顔を上げた。
「あ、教科はどうします? 英語の例文のわかりやすいのか、数学の長い式にするか」
すでに生徒会役員室の端にセットされた高座に正座して待機していたモナが答えると、賢がちょっと黙り、「女の子の制服、そっちもいいですね。こういうのも大喜利に入れてみますか」と続けた。
「あ、はい。そうですね。制服って結構重要ですから」
そう頷きながら、モナは賢がオプションの制服に気付いてくれたことにかなり驚いていた。勉強、落語、そして生徒会以外は興味の眼中にないと思っていた賢が、女子の制服に気付くとは……。いやいや、そういう細部まで気付く人柄なのは知っていたけれど、私が秋のこの時期にようやく試した制服に気付いてくれた……。そのことが嬉しくて、落ち着かず、すぐにでもサクラに言いたくなる。
けれど、これをこのまま言ったら、またサクラは少し呆れて、それから「よかったね」と言うのだろう。
ふとモナは考え込み、サクラがモナに制服のオプションを着るミッションを課したのだから、サクラにも何かミッションを与えようと思い至った。
そうだ。週単位で問題集を必ずやっていくというミッションはどうだろう。私なら当たり前というか、毎日やっていることだけど、サクラはそのくらいのハードルからがいいと思う。そしてそれがクリアできれば、テスト前にはだいぶ勉強も仕上がっているはずだ。
この前助けてくれたことや、こうやって一歩前進できるように背中を押してくれる、これまでの友達と少しは違うサクラに、自分のできるやり方で恩返しがしたい。ミッションと一緒に、サクラの勉強に付き合える昼休みの曜日を伝えよう。たまにはサクラと図書室で待ち合わせも悪くない、とモナは思った。
「じゃあ、勉強の方の内容は生地目さんに任せてもいいですか?」
賢の声に我に返り、モナは「はい」と頷き、正座している背筋を伸ばそうとし、無意識に背筋が伸びているのに気付いた。