タイトル:どきどき育児&初恋
掲載日:2026/09/18
シリーズ名:渾天儀シリーズ
シリーズ番号:3
著者:海道 遠
あらすじ:
同級生のすずみちゃんが言う。
「宇宙に浮かぶ巨大な渾天儀の中には、美しい女神さまがいて護衛の黒髪の青年がつき従っているのですって」
あたい(思結 しゆい)はすぐに信じる。
「女神さまは長い銀色の髪を垂らし、紫の衣を身につけているのよ。護衛の青年は端正な顔立ちで、敵に稲妻の渾天儀を投げる時だけは鬼神のような顔になるんですって」
「やだな。あたいは誰にでも優しいウメ吉先生みたいな人が好き」
ウメ吉先生は、あたいと弟ふたりを取り上げた男産婆の先生だ。その日から、あたいがウメ吉先生を好きだってことが、女学校や村中に知れ渡ってしまった。

本文
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第一章 二番目の弟
同級生のすずみちゃんが言った。
「宇宙空間の巨大な渾天儀の中には、それは美しい女神さまと護衛の黒髪のツヤツヤした青年がつき従っているのですって」
すずみちゃんは民話とか伝説とかよく知っているから、すぐにあたいは信じた。
「女神さまは長い銀色の髪を垂らし、黄金の繊細な金細工の髪飾りをつけていて、いつも紫の衣を身につけているのよ。護衛の青年は深紅の衣裳をまとっているの」
想像してみたら、なんて素敵なふたりだろう。
「護衛の青年の本当の姿は渾天儀の守護神で、あ、番犬ならぬ『番龍』にはいつも番をさせているのだけど、少しでも女神に危険が迫ると、渾天儀の宝珠を力いっぱい投げて敵を追いはらうのですって。逞しい腕で渾天儀を投げると、その光跡が稲妻となって空を裂き、地上にすごい勢いで激突して岩を砕くのですって」
すずみちゃんの話はまるで見てきたみたいだ。
いかにも本当のように言うから、すぐ信じてしまう。
「護衛の青年は、それはそれは端正な顔立ちなんですって。でも稲妻の渾天儀を投げる時だけは、鬼神のように恐ろしい顔になるんですってよ」
「あたい、やだわ。恐ろしい顔をする人なんて。皆に優しい人が好き」
「思結ちゃん、怖い顔になるのは、最愛の女神を守るためじゃないの」
「それでも、やだな。あたいは誰にでも優しいウメ吉先生みたいな人が好き」
「まあ、思結ちゃん!」
その日から、あたいがウメ吉先生を好きだってことが、女学校や村中に知れ渡ってしまった。
第二章 ウメ吉先生の助け
生後四か月になり、ぷくぷく太った二番目の弟、早春(はやはる)が退院してきた。
「ほうら、ここがハヤ坊のおうちだぞ」
父ちゃんは目尻が下がりっぱなしで、早春を抱っこして離さない。
「あんた、抱き癖がつくから、いいかげんにひとりで寝かせておいてくださいな。今はまだ、トヨ坊の方にも手がかかるんですから」
トヨ坊と年子でハヤ坊を産んだ母ちゃんは大変だ。
あたいも大変だ。産院まで母ちゃんが絞った母乳を一日4回届けにいかなくてすむけれど――。
でも、これからの方が大変だ。小さい弟ふたり分の洗濯に、毎日の沐浴。家事と農作業。田植えはどうにか終わったけど、いろいろと忙しい。
あたいは当分、小学校には行けないな。
「どうしてる?」
昼から、産院のウメ吉先生が様子を見に来てくれた。
あたいは、すずみちゃんとのおしゃべりを思い出して、顔が熱くなるのが分かった。
ウメ吉先生は、あたいたち兄弟3人を取り上げてくれた男産婆さんだ。
とってもオトコマエで、渾天儀の女神さまの護衛の青年より、きっとイイ男だろう。
お母さんがお産婆さんだから跡を継いだのだけど、あたいを取り上げてくれた時は、まだ中学生だったらしい。
青い屋根の教授のお宅の書生のオモダカくんと、そう変わらないトシで赤ちゃんを取り上げたのだ。すごい!
「どう? 思結ちゃん、やっていけそうかな?」
「は、はい、なんとか」
「沐浴が心配だなあ。お湯をかまどで沸かして、上り口の盥(たらい)まで運ばなきゃならないだろう? 一回だけじゃなくて、上がり湯の時に温かい湯を足さなきゃ、ハヤ坊が風邪ひかないか心配だしな。トヨ坊がいたずらして、湯をこぼしたりしないか心配だ」
ウメ吉先生は顎に手をやり真剣な顔をしている。
「母ちゃんも手伝えるようになったから、ふたりでやりますよ」
「しばらくの間、沐浴の時だけ、様子を見にくるよ」
「先生、そんな!」
「ま、その時に他の方のお産が入ったら来れなくなるけどな」
(なんて優しいんだろう。産後すぐでも、母ちゃんをこき使っているうちの父ちゃんとえらい違いだ。……だから、こんなにドキドキするんだ)
本当は永遠にハヤ坊の沐浴が続けばいいと思っている。
「今日は沐浴はこれからかい? 来たついでに手伝っていくよ」
「まあ、先生。す、すぐにかまどに火をつけますから待っていてくださいね!」
「そのくらいまかせろ。薪(まき)は裏庭にあったな」
さっそく先生は、あたいが井戸から水を汲んでくる間に薪を運んできた。
母ちゃんは、盥と赤ん坊ふたりの着替えを用意した。
急いでかまどに火を点け、湯を沸かした。しばらく待って、
「湯加減はこのくらいでいいと思います」
第三章 沐浴
先生はかまどから盥まで、ナベで湯を運んで来て、
「うん。ちょうどいいだろう。まずハヤ坊からだな」
母ちゃんがハヤ坊を真っ裸にして待っている。先生が片手の手のひらにハヤ坊を乗せて、そっと盥まで運んだ。
「先生、あたいが洗います。一年経って、トヨ坊の時の感覚を忘れてますから思い出したいんです」
「そんなに無理しなくていいだろう、小さいお母さん」
「小さいお母さん」なんて呼ばれて、よけい顔がカアッと熱くなった。
「練習のためにも、あたいが慣れないとっ」
「相変わらず頑張り屋さんだなあ」
先生はホイッと、ハヤ坊をあたいの手に渡してくれた。
緊張しながら、ぬか袋でハヤ坊をくりくり洗った。頭を洗う時に耳に湯を入れてしまわないか、一番心配だけど、昨年のトヨ坊の時の感覚を案外、覚えていたのでうまく洗えた。
温かい湯を先生に足してもらって、ハヤ坊はホカホカになって沐浴を終わった。早くもトヨ坊が自分で盥に入っておもちゃで遊んでいる。
母ちゃんが慌ててトヨ坊を洗っている間に、あたいはハヤ坊を拭いて天花粉(てんかふん=ベビーパウダー)を塗ってやり。重湯(おもゆ)を飲ませてやる。
目の回るような忙しさだけど、二人目の弟も可愛い。トヨ坊とはまた違う顔立ちだ。
「100点満点だよ、小さいお母さん! さすが思結ちゃん」
ウメ吉先生の声に、ハッとした。
「この調子で自分の産後も大丈夫だな」
「あ、あたいの産後……」
「ああ、嫁にいったらすぐだぞ」
(あたいが嫁に行く……。家事はどうにかなるだろうけど、お見合いの話も来るだろうけど……、その前に何かやりたいことがある……)
とっさに渾天儀のことを思い出した。
(渾天儀の女神と護衛の君は、きっと好き同士なんだろうな。あたいが山の谷川で見つけた輪っかの珠みたいな赤さんが生まれるのかな?)
ウメ吉先生は沐浴の後片付けまで手伝って帰っていった。なんて優しいんだろう。
畑仕事から帰ってきた父ちゃんは、自転車に乗って帰る先生を見かけて、へこへこしていた。
第四章 オモダカくんそわそわ
「あれ?」
ウメ吉先生が帰ってから、気がついた。
先生はあたいのことが、何歳に見えてたんだろう?
今まで家や畑にいる時は、本当の6歳に見えていて、星合女学校に行った時だけ、女生徒くらいに見えるらしいけど……。
(さっき、数年もすりゃ嫁に行って……って言ってたから女学校の生徒に見えたのかな?)
女学校出たら、すぐに嫁に行く?
あたいは……あたいは……?
しばらくして、オモダカくんがやってきた。
「教授の奥さまから、ご次男さま、ご誕生おめでとうございますって」
おずおずとお祝いの品を持ってきてくれた。
母ちゃんはハヤ坊におっぱいを飲ませながら、
「まあまあ、それはそれは。よろしくおっしゃってくださいね」
恐縮して頭を下げた。
「母ちゃん、渾天儀にお礼参りしなくちゃね。あの渾天儀、ハヤ坊もトヨ坊も、ずっと見守ってくれそうに思うわ」
「思結、あんたのこともきっと見守ってくれてるよ。谷川で、ちっこい渾天儀の赤ん坊を見つけたんだもの。あれ、持ってる?」
「うん!」
思結は、ちっこい渾天儀に紐をつけて首からぶら下げているのを見せた。
オモダカくんを見送りに大通りに出ると、なんだかウジウジしている。
「どうしたの、オモダカくん。背中でも痒いの?」
「バ、バカ言え。……そうじゃないよ。お前……ウメ吉先生のことが好きなんだって?」
「あ〜〜っ! すずみちゃんから聞いたんでしょ」
「本当なのか?」
「そりゃあ、ウメ吉先生のことは尊敬してるし、母ちゃんたちや赤ん坊にも優しいから大好きだよ!」
「そ、そんなんじゃなくて……嫁さんになりたいくらい?」
「そんな先のこと、分かんないわよ! 先生といくつ離れてると思ってんの?」
オモダカくんは少し元気を失くして、
「そうかなあ。いくつ離れてたって気持ちの問題だと思うけどなぁ」
ウメ吉先生と会う時、ついつい嬉しそうな顔になることに、オモダカくんは気がついていたらしい。
「オモダカくん、どうかしたの?」
「べっ、別にどうもしないよ。じゃあな!」
自転車に飛び乗り、教授のお宅に帰っていった。
「思結ちゃんたら、ニブいわね。オモダカくんはあんたのことが好きなのよ。だからウメ吉先生のことを聞いて、面白くないのよ」
反対側にすずみちゃんが来ていて驚いた。
「思結ちゃんがモテるのは、渾天儀の女神のご加護かもね。大昔、女神の奪い合いで渾天儀の持ち主に誰がなるか、戦があったそうよ」
「すずみちゃん。あたいみたいなみそっかす、女神さまとは月とスッポンよ。いくらなんでも怒るわよ」
第五章 夜泣きの夜
退院した夜、ハヤ坊はなかなか寝つかなかった。
泣いて泣いて、おっぱいも飲まない。母ちゃんがいくら、あやしてもだめだ。
「ハヤ坊や、ハヤ坊。どうしたの? せっかくおうちに帰ってきたのに。ねんねしないの?」
ハヤ坊の泣き声でトヨ坊もグズりだし、あたいが母ちゃんと代わりばんこで抱っこした。
母ちゃんとあたいが眠れない。
すると珍しく、父ちゃんがトヨ坊のオデコをくっつけて、一生懸命寝かしつけようとする。
あたいの胸に下げているちっこい渾天儀が、チリンチリンと鳴った。
どこか遠くから似たような深い音が聞こえた。
(あの音は……)
(教授のお宅で初めて、渾天儀を見た時に聞いた音?)
もしかして、このちっこい渾天儀のチリンチリンて、どこか遠くの女神と黒髪の青年にも聞こえているのではないだろうか。
ハヤ坊はまだ泣きやまない。
「どこか痛いのかな? 熱は無いようだけど」
母ちゃんが子守歌を歌って、一生懸命寝かしつけようとする。
時々、昼間でも渾天儀のまぼろしのような場面が頭に浮かぶ。
男性の低いズシンと胸に響く美しい声が女神の耳に届いた。ウメ吉先生の声に似ている。
『なんてしなやかな肌だ……。吸い付くようにキメが細かくて蘭の花びらの表面の艷やかさだ……それでいて触れると蕩けて消えてしまいそうだ。貴女の肌は大昔から変わらない。肌だけじゃなく銀色に輝く髪も紫色の瞳も、永い間、渾天儀を通して惑星を見つめている……』
『わらわがずっと見つめているのは、お前の漆黒の瞳と漆黒の髪よ』
『今夜は月が黄金に輝いているから、貴女の頬も蜂蜜が塗られたように黄金色だ。口づけるとさぞ甘いのだろうな……』
渾天儀の女神と護衛の青年が寄り添っている姿が脳裏に浮かんで、あたいの胸は熱い炎を抱いたようになる。
時により、ふたりは向かい合って正座して真っ直ぐ見つめ合っていることもある。信頼し切った視線だ。
なんて穏やかなふたりだろう。
あたいの胸に下げているちっこい渾天儀が、チリンチリンと鳴った。
ハヤ坊の泣き声も、あちらの渾天儀に聞こえているんじゃないだろうか?
渾天儀の女神と護衛の漆黒の青年も、ハヤ坊の泣き声を聞いているのかもしれない。
「思結、分かったぞ」
父ちゃんがトヨ坊の背中をとんとんしながら、ナイショ声で言った。
「宇宙に磁気嵐が吹いているんだ。それで不快なのを察してハヤ坊はご機嫌が悪いんだ」
「磁気嵐? 何? それは」
「そのうち説明してやる。俺もそんなに詳しくはないが」
ハヤ坊はだんだん寝息をたて、おとなしく眠りに入っていた。
第六章 教授宅にて
母ちゃんが、青い屋根の教授のお宅に呼ばれた。何のお話だか分からないけど。
今日は畑で作業するのは父ちゃんひとりだ。
あたいはトヨ坊の手を引き、ハヤ坊をおぶって、父ちゃんに弁当を届けた。
行く道には春の野花が咲き乱れて、ぽかぽか陽気だし、気持ちいい。
「ほら、トヨ坊、これ、てんとう虫っていうんだよ」
「て……て?」
「あっ 食べちゃだめ! 食べ物じゃないの」
弟たちも、いつもこんなにご機嫌良いならいいんだけどな。
一方、母ちゃんはよそ行きのたまご色の着物を着て教授のお宅を訪ね、渾天儀の前で緊張しながら正座して待っていた。
隣に正座していたあたいの足のシビレが限界に来そうだ。
「あ~~~っ、いたたた」
足を少し動かしただけでビリビリして、バタンと倒れたと同時に教授が入ってきた。
「ようこそ、いらっしゃい。奥さん」
「お招きいただきまして」
ビリビリを我慢して、母ちゃんは正座して教授に向きなおった。奥さんが朗らかにお茶を持ってきた。
「お忙しい中をお呼びたてしました」
「は、いえ」
「思結ちゃんのお母さま、ソファにおかけになります?」
「は、私はどちらでも」
「渾天儀のお側の方がよろしそうですね。では、正座いたしましょう」
教授も床に正座した。
カーテン越しに初夏の風が入ってきて、母ちゃんの遅れ毛を揺らした。
「実は、他でもないのですが、ご存知のように私どもには子どもがおりません。……そこで、お宅の思結さんを養女にお願いできないことかと思いまして……」
「はあ? この子を養女にですか?」
「思結さんは、とてもお優しくて気の聞くお嬢さんです。主人も私もとても気に入ってしまいまして」
「はあ?」
思いがけない申し出に母ちゃんは、教授ご夫妻の顔を代わる代わる見るばかりだ。
「唐突にこんなことをお願いして恐縮です。まずはお父様にお願いすべきことを……」
教授は申し訳なさそうに言った。
「あのう、思結は女の子ですけれど、それでもよろしいのでしょうか」
「もちろんです。男の子だから女の子だからという考えは、私どもには一切ございません。心優しく利発な思結さんだからお迎えしたいのです。そして小学校や女学校にも通わせてさしあげたい」
母ちゃんはショックで涙が出そうになるのを必死で我慢したそうだ。
第七章 養女なんて…
「思結を養女にだと? そんなこと承諾するはずがない!」
「あんた、私だって断りたいのを我慢してたんですよ」
母ちゃんは泣き崩れた。
「それも女学校の学費を出してやるからだと? 金持ちだと思って、人をバカにするのもいい加減にしろ!」
「そうですとも。大事な思結をよそに養女に出すなんて……」
井戸から水を汲んでお勝手に帰ってきたとたん、母ちゃんの泣き声が聞こえたんで、立ったまま固まってしまった。足が震える。母ちゃんたち喧嘩したの?
いきなり母ちゃんが、あたいの肩を抱いてきた。
「思結! どこにもやらないからね、可愛い私の娘……」
「な、何のこと?」
父ちゃんが眉毛を寄せて吐き捨てるように、
「教授夫妻が、学費を出すからお前を養女にしたいとさ。まったく人の子を何だと思ってるんだ!」
「養女?」
ハヤ坊がグズりだし、釣られてトヨ坊も泣きだす。
「坊たち! 姉ちゃん、どこへも行かないわよ」
あたいはふたりの弟を抱きしめて泣いた。
「嫌だ! 父ちゃん、あたい、もっとお手伝いするから教授にお断りして! 絶対に嫌よ!」
「当然だ!」
しばらくして、ガミガミ先生がお産を迎えた。
すでに産院に入院しておられたけど、うちにハヤ坊の沐浴の手伝いに来てくださっていたウメ吉先生の、看護婦さんが呼びに来た時の真剣な顔は忘れない。出産時に何が起こるか分からないからだ。
風のようにすっ飛んで帰られた。
あの真剣なお顔を見たとたん、胸の奥がじぃんとなって、
「ウメ吉先生のお手伝いができる看護婦さんになりたい!」
と思い、ウメ吉先生、好き―――! と気づいてしまった。
その晩遅く――、ガミガミ先生は、臨月を満たしてのお産で元気な女の子が産まれた。
旦那さんより大声でウメ吉先生は万歳三唱したそうだ。よけい好きになるじゃないか――!
第八章 オモダカくんの勧め
すずみちゃんとあたいは、ウメ吉先生の産院にお見舞いにうかがった。ハヤ坊の3倍くらいありそうな丸々太った赤さんで、ガミガミ先生は、それは嬉しそうにしていたけど、お乳が張って痛いので泣き笑いしていた。
「自分の子って可愛いものね。この子には日本舞踊を習わせるわ。夢だったの」
「そうだったんですか」
あんなに厳しかった、ガミガミ先生の言葉とも思えない。
(お母さんて娘に夢を託すのね。母ちゃんはどうかな?)
さっそく家に帰って聞いてみた。
「母ちゃんは、あたいにどんな子に育ってほしかった?」
「元気で育ってくれれば、それだけで。父ちゃんみたいな優しい人のお嫁さんになってくれれば満足だよ」
(ありがたいんだけど……)
「絶対に養女なんか嫌!」
だったのに、看護婦学校に行くために気持ちが揺らいできた。
うちの畑仕事や弟たちの世話はどうしたらいい?
どうしていいか分からない。
朝から洗濯して井戸端にいると、オモダカくんがやってきた。
久しぶりだ。
「お前さぁ、どうしていいか分からないんなら、いっそウメ吉先生に聞いてみたら?」
「え?」
「先生のお手伝いをしたくて看護婦学校と助産婦学校に行きたいと思っているんですが、養女になるのなら学費を出してあげるという方がおられて……どうすればいいでしょうか? って」
「オモダカくん!」
「ごめん。お前の母ちゃんと教授と奥さまの話を立ち聞きしちまったんだ。強く勧めるつもりはないけど、奥さまたちのような奇特な人は滅多におられないぞ」
オモダカくんは目を合わせる勇気もないらしく、行こうとしたが、もう一度振り返って、
「もし、俺がウメ吉先生だったら正直に聞いてほしいな」
「あ、ありがとう、オモダカくん……」
「お前だったら、きっと勉強頑張って女学校出てから看護婦学校行って助産婦さんの学校も出て、試験に合格するよ。俺には分かるんだ。きっとウメ吉先生もそう言うと思うよ」
思結の瞳を見つめて、オモダカくんは言った。
「え、女学校出てから看護婦学校3年行って、それから助産婦の学校へ行くの? 何年先になったらウメ吉先生のお手伝いができるの?」
「大丈夫。トシに加速はつかないからさ。ウメ吉先生とのトシの差は縮まらないって!」
「ずいぶん先だよね……」
第九章 先生に報告
「せ、先生。私、学校へ行って、先生のお手伝いができるように助産婦になります!」
「は?」
産院の院長室の扉を開けるなり、丁寧に床に正座してウメ吉先生の背中へ、思結が言ったものだから、書き物をしていたウメ吉先生の手が止まり、回転椅子がこちらを向いた。
「今、なんと言った? 思結ちゃん」
先生の真剣なまなざしが思結をとらえた。
宇宙空間では――。
星空に包まれた渾天儀の奥で、背中に青年の熱さを感じながら、円環女が小さく笑い声を出した。
「わらわの産んだ子は、どうやらお人好しのようだ……」
「今、なんと仰せに? 女神」
緋色冠者が問うた。
「欲がないらしい。自らの幸せより他人の幸せを願う子に育っている。もうひとりも恋に破れようと――」
「子? いつの間に、お子を?」
緋色冠者がムクリと背中を起こした。
「そなたとの間以外に、子を成すものか」
女神が手のひらに、フッと息を吹きかけると真珠のような大きさの渾天儀がポロポロと湧き出し、おちていく。
「このうち、ひとつが育ち、可愛いことに愛を知った。――もうひとつも。叶わぬ恋に苦しんでいる」
「よろしいのですか? 救うてやらずとも」
「そちは苦しい恋をした時、誰かに救うてほしいと思うのか?」
「まさか」
緋色の口元が余裕の笑みに歪む。
「俺なら、苦しい恋の甘さを味わいたい……」
背中から回した緋色冠者の手が女神を抱きしめる。
「緋色冠者、そなた、最近、何かに苦しんでいるのではないか。瞳の奥が沈んだ色をしている……。黒曜石の輝きはどこへ行ってしまったのだ」
女神の紫の瞳に苦し気な青年の顔が映る――。
第十章 心晴れた朝
「父ちゃん、母ちゃん。あれからよく考えたんだけど……あたい、やっぱり教授さんところの養女になって助産婦になる学校へ行くことにしました」
朝ご飯を食べて、「ご馳走さま」を言ったすぐ後に思結は、深く息を吸い込んでから吐き出すように一気に言った。
ハヤ坊を抱いてあやしながら、ご飯を食べていた母ちゃんも、トヨ坊にご飯を食べさせていた父ちゃんも、目が飛び出しそうな顔になって何も言えない。
「お願いします。わがままを許してください。育児は、ウメ先生の参院で赤ん坊や小さな子を預かってくれるそうなので……」
思結は正式な所作で正座して、深々と両親にお辞儀した。
「ちょ、ちょっと、思結! なんで急にそんなに考えが変わったの?」
思結を誘いに来たすずみちゃんが、戸口から覗いた。
「それはね、おばちゃん。思結ちゃんは大きくなったら、ウメ吉先生の元で働きたくなったからなのよ」
「思結は本気で助産婦になるつもりなの?」
「そうよ。トヨ坊やハヤ坊のお世話をしていて、そう思ったんじゃないかな?」
すずみちゃんは袴をひらつかせて、思結の後を追いかけた。その後をでかい渾天儀がガシャガシャとついていく。
「あの子、渾天儀の中で願掛けしたのね!」
叫んでいる母ちゃんの隣で、父ちゃんはいきなりすぎて、ひと言も話せなかった。
「母ちゃんに言っちゃったのね、すずみちゃんのおしゃべり!」
「でも、肝心なことは言ってないわよ。助産婦になりたいと思ったのは、ウメ吉先生を好きになったからとか。――ううっ!」
思結が辛抱できずに、すずみちゃんの口を両手でふさいだ。
「わ~~ん、許してっ!」
「許さないわよ!」
ふたりの少女は、星合女学校へと駆けていく。
先日、ウメ吉先生の部屋へ報告に行った時のことが思結の頭の中で響いた。一日のうち何度でも響く。あんな言葉を聞いたのでは……。
ウメ吉先生は言った。
「君が助産婦になるにはまだまだ先になるが、勉強を頑張りたまえ。待っているよ。――待っていたんだ。自分で取り上げた女の子を嫁にもらうのを」
朝の光の中で、しばし沈黙が置かれた。
「ひゃあっ! せっ先生、今、なんて言ったの?」
「もう言わない。大事なことは一回しか言わない」
笑いながら、割烹着姿のウメ吉先生の背中が温かさに満ちていた。
一方、宇宙空間の渾天儀の中では……、
「何故かしら、そなたの心の裡(うち)に淀んでいた悩みが、急に晴れたようね」
「分かりましたか、円環女さま。悩みは晴れ、心の中の小さな乙女は力強く歩みはじめましたゆえ」
女神が緋色冠者の黒髪を指でもてあそびながら、
「心の中の小さな乙女とは?」
「小さな渾天儀を首飾りにしてぶら下げています。自分が生まれ出た殻(から)を首飾りにしているのです」
「ほほう、わらわも小さな渾天儀をつないで首飾りを作るかな」
「円環女さまには……」
小さな渾天儀がついた環を、緋色冠者は女神の白く細い指にはめた。
「おお、似合うかな」
指環をはめられた手を星空にかざしてみる。
手のひらにたくさん湧き出た渾天儀を、またフッと吹き、地上にばらまいた。
