[367]正座と新樹光(しんじゅこう)ゲット


タイトル:正座と新樹光(しんじゅこう)ゲット
掲載日:2025/07/12

シリーズ名:緑林シリーズ
シリーズ番号:1

著者:海道 遠

あらすじ:
 薫丸は、ついにみずらを結う髪を思い立ったように琉球で切ってしまい、琉球の巫女ナナジと一緒に唐の船に乗り込んだ。離れ島に隠れ処を持つ「緑林」という盗賊が、仲間を募集しているというので「入林試験」を受けに行くことにしたのだ。
 思いがけず、薫丸は正座の所作と連れていたミドリの赤ん坊を「緑林」の女頭領から気に入られる。その頃、都では、八坂神社のマグシ姫が驚く内容の文を受け取っていた。



本文

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序章

『緑林(りょくりん)』とは――。
 古代中国で、盗賊が緑林山に窮民を集めて盗賊として名乗りを上げて、征討軍と戦う活動していた集団らしい。それから数百年後の今また「緑林」と名乗って盗賊どもが離れ小島の洞窟をアジトに集結しているとか。
 しかし、普通の盗賊ではないらしい。

第一章 唐の船で

 都の自宅での元服式を、ついにすっぽかした薫丸は、唐の船に乗り込み働きながら船賃を稼ぐことにした。
 船は祖国の唐の都を目指していた。
 琉球から旅立った巫女のナナジも共に乗り込んでいた。
 薫丸は船に乗る際に、ナナジ巫女をかばうように木箱の上に乗って前に立ち、大声で船乗りたちに叫んだ。
「この女人は琉球の神に仕える巫女だ! 指一本でもふれたら、恐ろしい罰が下るんだぞ!」
 ハッタリをかませて船乗りたちに防衛線を張った。
「ありがとう、薫丸さま。でも私はもう巫女じゃありませんよ」
 ナナジ巫女はホッとしたのか、涙さえ浮かべてお礼を言った。
「いいんだよ。荒くれの船乗りにはこれくらい言っておかなきゃ、あんたの身が危ないからな。それに、おいらのことは薫(くゆり)って呼んでくれ。日本を出たら貴族じゃないよ。ただの船乗りだ」
 しかし薫丸は、本心を言うと心細くてたまらなかった。
 自分ひとりでさえ心もとないのに、琉球の巫女だった女人と唐の船に乗るなんて、どうなることやら……。
 我ながら思いきったことをしてしまったと思っている。
 だが、琉球のグスクで何かが閃いて(ひらめいて)告げたのだ。
「みずら髪を切るなら、今だ、今しかないと―――」
 その声に従って、あれほど日延べしていた元服で切るはずのみずら髪を、琉球の城で切り落としてしまった。
 乳母が知ったら、なんというだろう。
 侍女のひじきが知ったら、なんというだろう。
 おたあさま(母)やおもうさま(父)が知ったらなんというだろう。
 傀儡子一座の皆や、人形遣いのオダマキちゃんが知ったらなんというだろう?
 美甘ちゃんが知ったら、なんというだろう?
(いや、美甘ちゃんは知っているじゃないか。琉球の城(グスク)で、夫のうりずんと一緒に見ていた)
(そう―――。美甘ちゃんは、今やうりずんさんの奥方さまだ)
 胸がキュンとするのが止まらない。

第二章 「緑林のウワサ」

「おい、『緑林』が入林希望者を募っているらしいぞ」
「本当か! 俺、今年こそ応募しようかな」
「頭領と一対一で、正座で面接を受けるらしいぞ」
 薫丸は船乗りたちの会話を小耳に挟んだ。「緑林」というのは聞いたことがある。
 腕が確かで逃げ足の早い盗賊だそうだが、海底の洞窟にアジトがあるとか。頭領が女で、実は義賊(ぎぞく=善いことをする盗賊)だとかいうウワサもある。
(義賊なら、盗んだものを貧しい人に分け与えるんだから善いことをすることになるんだよな)
 これからの道をどうしようかと考えていた時に、これは朗報かもしれない。薫丸のアタマにまたしても閃いたものがあった。
(しばらく、緑林の仲間になる――とか)
 途端に、九条家の乳母の怒鳴り声が頭に響いた。
(若君様! 九条家の若君が盗賊の仲間になるなんぞ、なりませぬぞ〜〜〜!)
(うわっっっっ!!)
 間近に大きな目玉が見えたと思ったら、翠鬼だった。ひょろひょろの細身ではなく筋肉ムキムキの巨大鬼になり、顔も狂暴な「どこぞやのリューク」みたいな顔になっている!
「わわっ! 死神!」
 薫丸は口から心臓が飛び出そうになった。
「薫丸さん、何ですか、俺がいつ死神に……」 
「す、翠鬼、びっくりするじゃないか」
「乳母さんの代わりに、ぎょろ目になって見張ってるんですよ!」
 翠鬼はひょろひょろの身体に縮んだ。好きな体形になれるようだ。
「翠鬼、お前、意外といろんなことができるんだな」
「そりゃ、天燈鬼さんの眉間の眼玉から生まれたんですから」
「それに、いつの間に乳母の手先に……」
「だって乳母どのは、お駄賃くれますからね!」
 翠鬼は嬉しそうに顔面をイキイキさせ、
「実は昨夜、大急ぎで若君の九条家へ帰って、若君の切り落とした髪を乳母どのとひじきどのに渡してきましたんでさ」
「な、な、な、なんだってぇ〜〜?」
 薫丸は甲板の上に尻もちをついた。
「で、乳母やひじきは何て言ってた〜〜?」
「何を言う間もなく気絶なさってました。しばらくして目を覚ましてから、お駄賃をくださいました」
「…………さもありなんや〜〜!」
「あ、その場に、粉熟(ふずく)のお裾分けをもらいに来ていたオダマキちゃんていう人形遣いの女の子は、固まってしもて目を開けたまま、気絶してましたよ」
「オダマキちゃんまで!」
 薫丸は後の言葉に詰まった。翠鬼が、
「……ということで、若君は今度、お家に帰るまで(何て言おうかな〜〜?)とか、(この短い髪の毛、笑われないかな〜?)とか、悩む必要は無くなりましたから! おいらって気が利くでしょう? ハッハ〜〜!」
 得意げにぴょんぴょん跳ねた。
「困ったことがあったら、おいらに言ってください。瞬間移動、神通力、分身の術、巨大怪人に変身、昆布茶色の老人に変身、緑の赤子に変身、イケメンに変身もできますから!」
「お前、オールマイティーなんだな……」
 薫丸が呆れながら感心した。

第三章 最難関

「……しかし、どうしても出来ないことがひとつ……」
「何だ?」
「正座した時のシビレを防止することが、どうしても克服出来ないんでさあ〜〜」
「なっに〜〜! おいらの一番の難関が……!」
「若君もですか!」
 緑林の入林試験の「正座で面接」という言葉がよみがえった。

 薫丸とナナジ巫女と翠鬼が必死に海に潜って、たどり着いた海底洞窟には緑林の一員らしいひとりの男が待っていた。
「今はここには頭領はいません」
 と、ぶっきらぼうに言い、手紙を渡した。
『入林希望の方々へ
『新樹光』という秘宝を探し出した者にだけ、入林試験を受ける資格を与える』
「『新樹光』という秘宝? ……宝石か?」
「さあ、自分で探し出してくださいって、さ」
 2枚目の紙に、
『新樹光が、ただの光だとか宝石だとか思った者には、容易に手にいれることはできまい。あらゆる発想ができる者にこそ、新樹光は姿を現すであろう。光の一筋も入らぬ深海の砂の中に埋もれているかもしれぬし、すぐ背後の岩に吸い付いている薄桃色のイソギンチャクの中にあって、手を突っ込んで食いちぎられるかもしれませぬ』
「そんな……どうすれば在り処が分かるのだ」
 翠鬼がうめいた。
 それから三人は、昼も夜も貝の身や昆布など、テキトーなものを食べて「新樹光」が何なのか、頭を抱えて考えた。
 どう正座しても、シビレはやってくる。
 十日ほど考えてから、薫丸が言った。
「こうなれば仕方ない、うりずんさんのお知恵を拝借することにししよう!」
「新婚のうりずんさんのオジャマをするんですかい? 頼みにくいなあ……」
 気の進まない翠鬼だったが、いくら考えても良い方法が閃かないので、うりずんに神通力で連絡を取った。
 海の上に出て、うりずんからの返事を待っていると、
(なんだ? 翠鬼。何か用か? こっちは今、美甘ちゃんから一秒たりとも離れると怒られるのだ!)
「申し訳ありません。うりずんさん、『新樹光』ってご存知ですか?」
「『新樹光』――? ああ、そりゃ、日本の俳句の季語だ。私は短歌はまるきりダメだが俳句のことならまかしとけ! 若葉に透けた太陽の光のことを『新樹光』というのだ。若々しくて、まるで私のことのような季語だから気に入っている!」
 ドヤ顔のうりずんが見えるような気がして、翠鬼は「ケッ」と小さくつぶやいた。うりずんは続けて、
「私の本拠地の琉球では、日本で一番早く木々の新芽が出て『新樹光』が堪能できる。ミドリ色の生まれたばかりの『新樹光』を浴びながらの散歩は最高だぞ!」
「その光をどうやって持ち帰ることができるでしょうねえ?」
「持ち帰る? う~~むむ。それはちょっと難しいなあ」
「……でしょう」
「そうだ、翠鬼! 『新樹光』の中で巣作りしている小鳥の巣を覗いてみたらどうだ? 何か持って帰れるものが見つかるかもしれんぞ」
「小鳥の巣ですか! なるほど……覗いてみます」
 翠鬼は河童のようにスイスイと潜って海底の洞窟へ戻った。薫丸とナナジ巫女に、小鳥の巣を覗いて『新樹光』というものを探すと伝えた。
「ええ? 小鳥の巣? まるでかぐや姫が婿の候補に出した課題の『燕(つばめ)の巣』探しみたいだな」
「あ、ナナジ巫女さんは木登りしたら危ないですから、地上で待っていてください。ボク、翠鬼と薫丸さまが木登りして探しますから」
 ナナジ巫女は、ややプンスカして言い返す。
「お見くびりにならないで。私だってちょっとポッチャリ気味でも木登りくらいできますわよ」

第四章 『新樹光』発見

 三人は近くの樹木の茂った島に上陸した。
 林の木々に登ると、新しい葉が陽光を浴びて辺りはミドリ色に染まっている。正に『新樹光』だ。
 ひすい色の鬼、翠鬼はさっそく手近にあった樹に登り、鳥の巣を見つけて手をゴソゴソ突っ込んでみる。
「手応えあり。緑の卵だ! 信じられないほど美しい緑色だ!」
「やった!」
 翠鬼はさっそく1個をつかみ、大口を開けて片手で割った。
 これまで味わったことがない濃厚な味わいの黄身だ。喉越しがすごい! と思ったとたん、親鳥から本気の攻撃を受ける。
「わわっ、ごめんよ、おいらの努めなんだってばっ!」
 ナナジ巫女は口笛でさえずりのマネをして巣に近づこうとしたが、やはり失敗に終わった。
 見ていられなくなったのか、うりずんが現れた。
「翠鬼、枝の上じゃない、地面の巣だ!」
「地面の上?」
 視線を下に向けると、地上の草むらに巣が点在している。どうやら地面を移動する鳥の卵だったようだ。確かに枝の上のよりも鮮やかな緑色をしている。
 付近にウズラに似た鳥がうろうろしていたが、翠鬼と薫丸は素早く数個をゲットして布に包み、背負って海岸へ走った。どうにか割れずに運ぶことができた。
「『新樹光』というのはこっちのミドリの卵のことだろうか?」
 薫丸が、おずおずとうりずんに尋ねてみた。
「う~~む、緑林の頭領の朱華(はねず)という女の好みまで分からんが……」
 薫丸と翠鬼とナナジ巫女は、うりずんの頼りない情報にがっくりした。
「じゃあ、私は琉球に帰る。あまり外出が長いと美甘の奥ちゃんがうるさいから……」
 潮風にまぎれて、うりずんは姿を消した。
「すっかり、新婚の奥ちゃんの尻に敷かれてるな」

第五章 ミドリの赤子

『緑林』の面接があるという。
 薫丸らは、情報をばらまいていた手下から、海底洞窟の場所と日程をしっかり聞いた。
「明日だぞ!」
「ギリギリの日程だなあ」
 とりあえず3人は小舟を手に入れ、海底洞窟のある小さな島へたどり着いた。
 岩だらけの海岸から人員募集の長い列ができている。さまざまな風ていの男や女が、皆、ミドリ色の卵を持って並んでいる。
 長い列がだんだん洞窟の奥に進み、面接室とやらに近づいた。
 いきなり面接室の扉が開いて、ミドリ色のヴェールを口元に巻き付けた女が飛び出してきた。
「誰だ! 誰がミドリの卵を持ってこいと言ったのだ!」
 行列に並んでいた者は呆気にとられた。
「私の求めているのは、ミドリの卵なんかじゃなく、人間の嬰児(みどりご)だ!」
 女は眉毛を吊り上げて怒鳴っている。
「人間の嬰児だって?」
 薫丸はピンときた。
「翠鬼! 翠鬼はいるか?」
「はい、若君!」
 薫丸は翠鬼を岩陰に連れてきた。
「お前、何にでも変身できると言ったな?」
「はあ、瞬間移動、神通力、分身の術、巨大怪人に変身、昆布茶色の老人に変身、緑の赤子に変身、緑の黒髪の美女、イケメンに変身も」
「それだ! 黒髪の美女もイケメンもいらぬ。変身してほしいのは、ミドリの赤子だ! 嬰児だ」
「へ? またどういうわけで?」
「とにかく緑林の頭領が、ミドリの赤子をほしがっている」
「じゃあ『新樹光』てえのは、その赤子のことだったんで?」
「おそらくな」
「では、失礼して」
 翠鬼はたちまち、一糸まとわぬ赤子に変身して、岩だらけの地面に寝転がった。ナナジ巫女が駆け寄ってきた。
「いくらなんでも可哀想に。風邪をひいてしまいますよ」
 自分の領巾(ひれ)を腕からほどいて巻き、抱き上げた。
「ナナジ巫女にしばらく乳母役をお願いしていいか?」
「はい。くゆりさま。お乳は出ませんが」
 ナナジ巫女が答えたとたん、お乳の大きい白いヤギが一頭現れた。薫丸が笑ってヤギの頭を撫でた。
「翠鬼、お前のしわざだな」
「ほほほ、ヤギのお乳があれば大丈夫ですね」
 その時、緑林の手下が叫んだ。
「次の者! 頭領がお呼びだ!」

「おお! まさしくミドリの子!」
 翠鬼が変身したミドリ色の赤ん坊を見るなり、女頭領はガバっと立ち上がったが、傍らの白いアゴヒゲの老人が咳ばらいすると静かに正座に戻った。続けて老人は挨拶した。
「頭領の朱華さまの執事のアマドコロ爺やと申します」
「我が緑林に入林希望者は正座せよ」
 薫丸は抱いていた赤ん坊をナナジ巫女に預け、緊張気味に背筋を真っ直ぐにして女頭領の前に膝を着いた。
 衣に手を添えてお尻の下に敷きながら、かかとの上に座り、手を膝の上に置いた。
「ほほう、小僧、見事な正座の所作だ」
「恐れいります」
「名は?」
「くじょうの……いえ、くゆりと申します」
「私は頭領の朱華という。正座と赤ん坊が気にいった! ミドリの赤子が今すぐ必要なのだ! 貸してほしい! 良いか?」
「は?」
(何故、ミドリの赤ん坊が必要なんだろう?)
 薫丸が尋ねる前に、女頭領はガバっと両手をついて頭を下げた。
「この通りじゃ。貸してほしい。こんなにピッタリな赤ん坊は、どこを探してもおらぬだろう」
 薫丸は首をかしげるばかりだ。
「くゆりとやら。今から命令する」
 朱華の瞳が真剣に据えられた。

第六章 朱華からの手紙

 その頃、都の八坂神社の奥殿では、マグシ姫が一通の文を睨んだまま、手のわななきを止められなかった。

『八坂神社ご祭神、スサノオの尊さま
 ミドリの赤ん坊は間違いなくスサノオの尊さまのお子でございます。数日後、お届けいたしますので、貴方様のお手元で育ててやってくださいませ。
                側室 朱華』

(君さまが私の知らぬ間に、他所(よそ)の女に子を産ませていた――――!)
 マグシ姫の手から文がハラリと足元に落ちた。
「誰か、ある! 誰か、ある! この文を受け取ったは誰じゃ?」
「姫さま」
 ひとりの巫女が静かに御簾を開けた。
「恐れながら―――朱色の鶴ほどの大きさの鳥がやってきて、大君さまの文机の上で文に姿を変えたのでございます」
「そ、それはいったい……」
「実際には口に出すのも恐れ多い、お上や貴人さまだけが身に着けてもよいとされる禁色(きんじき)の『朱華色』が正確な表現でしょうか」
「『はねず色』ですって!」
 マグシの視界がぼやけて意識が遠くなりかけた。手紙の差出人は確(しか)と、『スサノオの側室はねず』と書いてある。
(朱華――、はねずって誰? 君さまにそのようなお方がおられたなんて……!)

 やがて、薫丸はナナジ巫女が抱くミドリの赤ん坊とヤギまで引き連れ船に乗り、九州を経て瀬戸内海を東に進み、大坂に上陸し、川をさかのぼって都に帰りついた。
 ようやく八坂神社に到着した。スサノオの尊は喜んで奥から玄関へ走っていき、緑の肌の赤ん坊を迎えた。
「遠くからよう参った! 吾子(あこ)、みどりの子よ」
 にこにこ笑ってあやしている。
 夫のはちきれんばかりの笑顔を、まともに見てしまったマグシ姫は失神してしまい、その後うなされる日が何日も続く。
(あ、悪夢だ、悪夢だわ――。スサノオの大君の子が届けられるなんて……)

 スサノオの尊は赤ん坊が来た祝いの宴を開いて、神職の皆にお披露目して喜び、マグシ姫に遠慮する態度はまったくない。
 マグシ姫は体調が戻っても文句を言わず家出もせずに、赤ん坊の世話をしている。ヤギの乳搾りやオムツ洗いまで自分からやっている。
 八坂神社の巫女たちが健気な姫の様子を見るに耐えきれず、
「姫さま、お洗濯などは私どもがいたしますから」
 と言ってもイヤな顔もせず、黙々と洗濯物を干したりヤギの乳を手ぬぐいで拭いてやったりしている。
 スサノオの外出先には、薫丸とナナジ巫女とヤギまで連れて赤ん坊を背負ってついていく。

第七章 アマドコロ爺や

 最近、神社には深夜になると、扉をドンドンと乱暴にたたく音がする。荒くれた男どもの気配がして、
「君さま! 出かけますよ!」
 と言って、スサノオの尊に身支度をさせて連れていく。
 いったいどこへ連れていくのか、さすがにマグシ姫も深夜に荒くれた男どもと赤子を連れて、行動を共にする勇気はない。
「マグシ姫!」
 ある夜、途中まで後をつけた薫丸が走って戻った。
「スサノオの尊さまは、男数人と共に神社の七不思議のひとつの龍穴から地下へ行かれましたよ! それもヒサゴで酒を飲みながら……」
「そんな。信じられないわ。君さまがお酒を飲みながら、あのような荒くれた男どもと一緒に、地下へ行かれたなんて」
 龍穴をずっとたどれば、都の北部の海岸に通じると言われている。様子をうかがっていると、翌日、スサノオの尊は値打ちのありそうな品々を持ち帰り、酒気を帯びて男たちと話している。言葉遣いも荒い。
「スサノオの君さまとは思えないわ。すっかり言葉遣いも変わられて」
 マグシ姫の疑惑は大きくなるばかりだ。
 薫丸と元の大きさに戻った翠鬼とナナジ巫女と話し合うが、
「あれはスサノオの尊ではない」
 という意見で一致した。

 そんなある日の夕刻、神社にひと気が少なくなった頃、ホトホトと戸を叩く者がある。
 薫丸が用心深く扉のところへ行き、
「誰だ」
 と問うと、しわがれた声が答えた。
「ワシは『緑林』の女頭領、朱華さまの爺やで、アマドコロと申します」
 薫丸がそっと戸を開けると、『緑林』の入林試験の時に見覚えのある、灰色のアゴヒゲを生やした老人が赤ん坊を抱いて立っていた。
「あなたには見覚えがあります」
「かたじけないのう」
 老人のふところに抱かれていたのは、緑色の肌をした赤ん坊だ。翠鬼が化けた赤ん坊でないことは、角がないのですぐに分かった。
「この子は猟師の子『海松(みる)坊』という赤子です」
「じゃ、俺はもう用済みだな」
 翠鬼の変身していた緑の赤ん坊は元の身体になった。
「はねずさまが用意したとは?」
 薫丸はじめ、マグシ姫も翠鬼もナナジ巫女も、膝を進めて老人の話に耳を傾けた。
「今、八坂神社のご祭神としておられるのは、元のスサノオの尊さまではなく『月神がちじん』です」
「『がちじん』――?」
「『がちじん』とは、別の信仰で生まれた月の邪神で、妖しの存在に近い。スサノオの尊さまになりすましている偽者です。腕が六本もあって、身体は人の二倍ほどもある鬼神のような化け物だとか」
「なんと――!」
 アマドコロ爺やを囲んでいた一同は、息を飲んだ。
「うちの朱華さまも『がちじん』に騙され、言われる通りに赤ん坊を用意して葉っぱの汁を塗りたくり『緑林』の象徴にしたのですじゃ。しかし、もう実の親に返さねばならないのです。それで、入林試験の時に別の子を探してもらったのです。ワシは朱華さまの目を覚ましたい一心で都まで追ってきたのでございます」
「では、本物のスサノオの尊さまはいずこに――?」
 マグシ姫が恐る恐る尋ねた。
「さあ、それは、なんとも……」
 老爺は首を横にふるばかりだ。

第八章 姫の激怒

 突然、マグシ姫の声色がドスを帯びた。
「その『がちじん』とやらをふん捕まえて、吐かせるしかあらへんねっ!」
「ふん捕まえて吐かせる―――?」
 薫丸と翠鬼は、耳を疑った。
「今のお言葉はマグシ姫さま?」
「そうやっっ! 『がちじん』とやらを、ぎゃふんと言わせてスサノオの尊さまの居場所を聞きだしてやるわ!」
 姫の瞳の中に轟々とした怒りの炎が燃えている。
(マグシ姫は本気で怒っている……! 言葉遣いまで下品な京ことばになって……)
 薫丸と翠鬼は、恐れおののいて後じさりした。
「よくもスサノオの尊さまを騙して連れ去ったねっ! 朱華さんという人も騙して利用した! 私はおかげで君さまに裏切られたと思いこんだやないの!」
 瞳の炎が涙になって溢れた。
「でも、赤ちゃんに不自由をさせてはあかんから、一生懸命に洗濯やお乳のためのヤギの世話までしたのや! これはヤギに蹴られた時の青たんや!」
 姫は腕を持ち上げて見せた。濃い青アザが残っている。
「マグシ姫っ!」
 戸口の隅に隠れていた少女が飛び出してきた。うりずんの妻になった美甘ちゃんだ。
「大変なご苦労を! 心配していたのですが危険だからって、そよぎに止められて……ごめんなさい、ごめんなさい、マグシ姫……」
「ええねん、美甘ちゃん。これは私たちに降りかかった問題や。美甘ちゃんにご迷惑をおかけするわけにはいかへん」
「とにかく、青アザのお手当をいたしましょう」
 美甘ちゃんはマグシ姫の手を引っぱって奥に行った。
「メエェ~、メエェ~」
 土間で鳴いているヤギに、美甘ちゃんは、
「めんめ(ダメ)よ! ヤギさん、蹴ったりしちゃ」

第九章 朱華現る

 マグシ姫と薫丸、そして美甘ちゃんと翠鬼とナナジ巫女は頭を突き合わせて考えた。
「『月神がちじん』をおびき出して、スサノオの尊さまの居場所を探ろう!」
 薫丸が強く言う。
「月が好きなものって何だ?」
「……」
「月は自分の姿に見惚れるって聞いたことがあるわ!」
 美甘ちゃんが突然、思い出した。
「じゃあ、鏡か池か湖か――」
「大沢の池はどうかしら? あそこなら周りにお堂がたくさんあるから魔物を鎮められると思うわ」
 ナナジの巫女が急いで月の暦を調べた。

 皆が支度を急いでいる間に、ちぐらに寝かせてあったミドリの赤ん坊がぐずり出し、マグシ姫が抱っこしてあやした。
「はいはい、海松坊、いい子ね」
 背後から深遠な女の声が聞こえてきた。
 姫が振り向くと、ミドリの薄布で口元を覆った大柄な女が現れた。
「私は緑林の女頭領の朱華さ。スサノオの奥方ね。誰が何を言ったかしら知らないけど、スサノオの尊は『がちじん』の言いなりになったよ。ほほほ」
 朱華は、高笑いしながら告げる。
「スサノオの尊は龍穴から地下へ、そして北の海岸へ導かれて魔力で『がちじん』の体内に閉じ込められ離れることができない。ミドリの赤ん坊はスサノオと私の間の子。緑林の跡継ぎさ。ほっほほ……」
(背の君さまが『がちじん』とやらの体内に?――じゃ、やはり、ミドリの赤ん坊はスサノオさまとあの女の子ども?)
 マグシ姫の身体は熱を帯び、手足は氷のように冷たくなった。
(そんな馬鹿な……スサノオの君さまが、千年以上の誓いを裏切るなんて)
 アマドコロ爺やが駆けつけた。
「朱華さま、どうか爺の言うことをお聞きくださいませっ。『がちじん』は、我ら『緑林』を手に入れようとして朱華さまを欺いているのです。スサノオの尊さまのお体を自由にするよう、手をお貸しくださいませっ」
「やなこったわよ」
 朱華は爺やの言うことに耳を貸さず、暗闇へ消えてしまった。

第十章 満月の夜

 満月の日が来た。薫丸たちは大沢の池の畔で、たくさんの野うさぎを集めて、月が登るのを待った。
 池の畔はじめじめしていて、『がちじん』のどす黒い瘴気(しょうき)を感じる。肌を刺すような邪悪な瘴気だ。
 うさぎたちが岸辺に並んで、負けまいと声にならない強い思念が『がちじん』に向けて放たれる。一斉に地面をダンッと踏み鳴らしながら、
「おいらたちの美しい月を汚すな!」
「スサノオの尊さまを自由の身に解き放て!」
「偽の神は去れ!」
「池に映った己が姿を見てみろ」
「月には絶対に及ばない。いや、月とスッポンよりひどいぞ」
「6本も腕のあるお前なんか、虫けらだ!」

 やがて、ヨシの茂みをガサガサと踏み分ける音がして、うさぎたちは一目散に飛び跳ねて散っていった。
 薫丸たちが振り向いた時、7尺もあるかと思われる巨体が現れた。
「ひっ……」
 マグシ姫の声が思わず引き攣る(つる)。
 目の前に現れたのは腕が6本もある荒々しい怪物だ。六本の腕を振り上げ、指先の爪を立て怒りを露わにしている。うさぎたちの思念に腹を立てたらしい。
 見開かれた眼の瞳は白く濁り、不気味この上ない。
「ぐるるる……よくも……」
 裂けた口元からは、肉食獣のようなヨダレが撒き散らされている。
「皆、逃げろ! おいらが惹きつける!」
 薫丸が『がちじん』の前に飛び出して、池の方向へ走り出す。怪物は大股でそれを追う。
 池の際まで来た時、不意に雲が左右に割れて満月が姿を表した。白い光にまともに顔を射られて怪物は膝を折って座りこんだ。神々しい光を浴びて力が抜けたのだろう。
 薫丸も同じようにその場に膝を着いた。そして急に所作をおもむろにして衣をお尻の下に敷いた。かかとの上に座り、前に両手を置き、月に向かって頭を下げた。
「ツキヨミの尊(つきよみのみこと)さま、どうか偽りの邪神から、お兄上―――スサノオの尊さまをお救いくださいませ」
 薫丸の傍らにマグシ姫が走り出てきて正座した。
「どうか我が背の君を自由の身にしてお返しくださいませ」
 深く深く頭を下げ、祈る。
 一心不乱に念じて――どのくらいの時間が過ぎたのか―――、座礼していた『がちじん』の身体から白い湯気が立ちはじめた。
 湯気は次第に濃くなり『がちじん』の全身を覆った。

第十一章 正座の護り

『がちじん』の身体が湯気に包まれ、外側から見えなくなった。徐々に薄くなったと思うと湯気が雲散霧消する。後には、ひと回り小さなスサノオの尊が無事に正座していた。
 彼はそっと瞳を開けて手のひらを見て、足元も見た。
「正座が私を護ってくれたようだ」
 その瞳は、マグシ姫が千年以上連れ添っているお方の瞳だ。
「君さまっ」
 姫が走り寄り、スサノオの尊に飛びついた。
「よくぞ、よくぞ、ご無事で!」
「マグシ。なんだか霧に包まれていた気がする」
「緑林の女頭領や、ミドリの赤子のことを覚えておいでですか?」
 海松坊の顔を見せながら尋ねた。
「緑林の女頭領? ミドリの赤子? 何のことだ?」
 スサノオの尊は何ひとつ覚えていないようだ。
「じゃ、朱華さんのことも、この子のこともご存知ないのね?」
「どこの赤ん坊だ。ミドリの赤子とは珍しいな」
「覚えておられないなら、それでいいのよ!」

「今回は誰がワルモノなんだ?」
 薫丸がそっと言った。翠鬼がおどけた姿で現れた。
「『がちじん』でしょう。それと、うりずんさん! 『新樹光』が鳥の卵だとか言うから、皆であちこち探し回ったじゃないですか」
「あいつめ~~~!」
「罰に、本当にシビレに効くものを探してもらいましょう!」
「シビレに効くもの、な」
「女頭領の朱華さん、あの方、面接に正座なんて決めていたから、案外シビレないのかも?」
「今度、シビレない正座を教えてもらおう!」
 薫丸が大声で言った。
「今度って?」
 翠鬼とナナジ巫女が耳を傾けて聞いた。
 白い月光の下、即席の親子? スサノオの尊とマグシ姫がミドリの赤ん坊をはさんで笑った。