[413]無明(むみょう)の病封じと麒麟のウロコ
タイトル:無明(むみょう)の病封じと麒麟のウロコ
掲載日:2026/05/10
シリーズ名:白雲木シリーズ
シリーズ番号:3
著者:海道 遠
あらすじ:
白雲木のご神木と神社から、凶獣ホウキの襲撃は終わり、いっときの平和が訪れた。が、ピコちゃんは不吉な妄想を見たといい、黒マントの男、無明が女神さまを狙っていることを懸念していた。
女神さまもそれを感じて、月を見る度に家族から引き離されると思い、涙にくれていた。そんなある日、新たなる凶獣のウワサが!

本文
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第一章 ピコと神官翁
「おじいちゃ〜ん!」
部屋を訪ねてきた女の子の可愛い声に、翁(おきな=老人)は相好を崩した。いつもお気に入りのお茶を飲みながら、座敷から田畑の並んだ景色を眺めているのは、宮司さんの祖父上だ。
今も神官として務めている現役だ。
「おお、ピコちゃん!」
「女神さまから手作りの草餅どうぞって、いただいたから持ってきたの。どうぞ!」
お皿の上には葉っぱの繊維が混じった緑色の餅が3つ乗っている。
「こりゃあ、美味そうじゃなあ。いただくぞ」
翁はひとつ、パクリと白ヒゲに囲まれた口へ放りこみ、ピコがヨダレを垂らしそうなのに気づいた。
「ピコちゃんも一緒に、さあいただこう」
「ありがとう! いただきま〜〜す」
「美味いのう、さすが女神さまの手作りじゃ」
ピコのツインテールのヘアスタイルが珍しい翁は、髪をポンポンと弾ませたりして遊んだ。
「ははは、面白い髪型じゃのう!」
気さくなお爺ちゃんに、ピコはすっかりうちとけている。
「女神さまはお変わりないか?」
「う、うん、まあね」
ピコは少し言葉を詰まらせた。
「この前、ホウキが襲撃してきた時は大変じゃったのう」
食欲旺盛な巨体イノシシのホウキが、ご神木をかじった後に緑青(ろくしょう)の足にもかじりついたのだった。
「緑青くんの足のかじられたケガは、かなり治ってきたわ」
「樹(たつる)くんは、またもや全身に葉っぱがくっついたようで大変じゃったのう……」
「そうそう。美穏ちゃんが一生懸命に、1枚ずつ剥がしたんですって!」
「それはほんに手間なことじゃったが、ご神木のご加護でホウキにカジリつかれずに済んだのじゃ」
「それはそうなんだけど……」
「ん? どうした、ピコちゃん、浮かぬ顔をして」
「はあ……。ホウキと黒マントの無明が逃げ出す時に、ふと脳裏に不思議な光景が見えたんです」
「なに? 不思議な光景とな?」
ピコちゃんは勘が鋭く、後や先の光景が見える時があるという。
「けしからん光景なんですけど、どうかおじいちゃん、ピコのこと叱らないでくださいね」
「叱らんとも! こんな可愛いピコちゃんを叱ったら、神様からバチが当たるわ!」
翁は大声で笑った。
「言うてみい!」
「あのね、黒マントの男と隣に女神さまがウェディングドレスみたいなのを着て、ブーケを持って立っているの」
「な、なんとな? ウェディングドレス? それじゃ、まるで結婚式ではないか!」
「そうなんですぅ〜〜。黒マントの男と女神さまが結婚式だなんて、とんでもない妄想の光景を見ちゃいました〜〜!」
「うむむ……」
翁は難しい顔をして考えこんだ。
「ピコちゃん、もしかして、それは黒マントの男の本心――願いかもしれん。ホウキのお腹が減ったことよりも、女神さまを我がものにしようと企み、ホウキや大ガラスを利用して、ご神木を襲いに来たのやも?」
「ええっ?」
第二章 先日の火事
「数カ月前、美穏ちゃんが夜道を怪しい者につけられ、事ははじまったというではないか。美穏ちゃんは面立ちが女神さまに似ていると、樹くんが言っておった。黒マントの男は女神さまに似ている美穏ちゃんに惹かれてやってきたのじゃろう。じゃから、ベランダから美穏ちゃんをさらったのでは?」
翁は口元を引き締めて言った。
「おじいちゃん、詳しく知っているんですねぇ」
「それはそうじゃ。あの火事は神社とご神木にとっても一大事じゃったからな。ベランダの一件はクジャクの緑里眼(りょくりがん)が教えてくれたのじゃ」
「緑青くんのパパが!」
「美穏ちゃんの務めからの帰り道、緑里眼が空から見ていると、どうも様子が変なことを気がついて見とったらしい」
「まあ……」
「あの時、美穏ちゃんは、白雲木から見ていた樹くんに木の中に匿われて、朝まで無事じゃったらしいが、翌朝からも怪しいと睨んだ緑里眼が、ずっと監視を続けていたのじゃ」
「まあ、緑青くんのパパって抜かりないのねぇ」
「そりゃあ、男は誰でも美穏ちゃんやピコちゃんみたいなカワイコちゃんを守ってやりたいと思うもんじゃよ」
翁はカッカッカッと笑った。
「おじいちゃんも?」
「もちろんじゃよ! そしたら、翌日の夜に美穏ちゃんがベランダから黒マントの男にさらわれたんで、緑青のパパが急いで後を追い、奪い返したそうな」
「あっら~~、そうだったの!」
ピコの面持ちはやや、暗い。
「そういうことを思いわずらっておいでなのかしら、女神さまは……」
「女神さまがどうかしたか?」
「うん。最近『かぐや姫』みたいに、月を眺めては涙ぐんでおられるの……。それも満月じゃなくて、新月の赤い闇月の時もなのよ」
「なに、いつも朗らかな女神さまが涙ぐんで……じゃと?」
翁は座布団から膝を乗り出した。
「どれ、ちょっと女神さまのご機嫌伺いに行ってくるか」
翁はよっこらしょと立ち上がって、部屋を出ていった。
第三章 女神のご機嫌
ご神木近くの小さな庵(いおり)に、女神さまは住まっている。
「ごめん下され」
宮司の翁は、ひと言声をかけて庵の玄関に立った。
「先ほどは、ほっぺたが落ちるほど美味な草餅をご馳走さまでした」
庵の中にはまだアンコの香りが満ち、女神がご神木の方向を向いて正座して合掌していた。
翁が来たので振り返り、
「よろしゅうお上がりくださいました」
とだけ言った。睫毛の先に涙の玉が揺れている。
翁は、コホンと咳ばらいした。
「美味な草餅をいただき、ほっぺたが落ちそうになったゆえ、何かお返しをと思うたんじゃが、今度はワシが女神さまの胸のつかえを落として差し上げようと思いましてな」
穏やかな笑みを浮かべながら、翁は言った。
「胸のつかえ……ですか?」
「そうですとも。ありますでしょう、鉛のごとく重い胸のつかえが。そのせいで毎夜、月のない夜にさえ夜空を眺めて、こみ上げる涙を流しておられる」
「……」
「大ガラスとホウキを操る無明と申す黒マントの男に、何か脅しを受けて、ここから去らねばならないとか思いこんでおられるのでは?」
女神は、ハッと翁を振り向いた。
「どうしてそれを?」
「聖山の湧き水より清いお心の持ち主の女神さま。何か異変があれば、そのくらい察しはつきますぞ。それに……樹くんが麒麟から、黒マントの男の再来を意味する身体のウロコを預かっています。もしもの時は、これをかざして我を呼ぶようにと」
翁の指先には、小さな黄金色のウロコが挟まれている。
ウロコはたちまち、手鏡くらいの大きさになった。
「再び来るのですな、無明は」
「わっ」
と、女神さまは泣き伏した。
「そうです。あの男はわらわを連れ去るつもりです。そうしなければ、全てに危害をもたらすというのです。息子の緑青とも別れ、愛しい緑里眼とも別れ、あの男のものにならねばなりませぬ」
嗚咽(おえつ)がもれた。
「ううむ、やはり……」
翁は唇を噛みしめた。
第四章 翁の励まし
「女神、女神らしゅうございませんぞ!」
「え……?」
「この神社が創建された時代、この辺りは手のつけようがない荒地だったという言い伝えです。それこそ、ホウキや古代中国で六害(ろくがい)と呼ばれた九嬰(きゅうえい)のような輩がうじゃうじゃいたとか。それでも、人々はきゃつらを滅ぼし、ご神木を植え、神社や鳥居を打ち立てました」
「……!」
「ここの神社の氏子さんたちは、そんな逞しい祖先を持つ人々です! 信じるのですよ、きっと無明から女神さまを守ってくれると!」
翁はできるだけ希望を持つように説得した。
「お励まし、誠にありがとうございます」
女神は翁を戸口まで見送った。
(地元の方々が私を守ってくださる……。もしそうなら、ありがたいことだわ)
と、思った瞬間、後ろから首の付け根に一撃を食らった。女神は真っ暗闇の底へ落ちていった。
次に意識が戻ってきた時、カラスの鳴き声が微かに聞こえた。
後頭部が重かったが頭がはっきりしてきた。山小屋の隅で藁の上に寝かされていたのは分かった。
ロウソクの光の中で、フードを脱いだ黒マントの男、無明が、何かを用意して出かけるようだった。
まだ夜は白々としか明けていない。
案の定、いつもの黒いマントを着て、濃い霧の立ち込めている森へ彼は出かけた。
どこへ行くのか気になった女神は、そっと後を追った。
すると――。
無明は森の真ん中で切り株に座り、群がってくるカラスにエサを与えているではないか。意外な光景に、女神は目をぱちくりさせた。
「ほら、食べろ。食べて元気になれ」
カラスたちは肉切れをガツガツと飲み込んでから、
「カア!」
と鳴いた。それが何羽も増えてきたものだから、けたたましいことこの上ない。
(カラスを餌付けするなんて……)
と思っていた女神だったが、カラスに対する無明の言葉遣いが、意外にも優しいことに気づいた。
(絶対にしゃべらない無口な人だと思っていたけど……カラスのことは可愛いようね)
第五章 カラスの親養い
「おい、そこの女」
突然、無明がカラスたちにエサを与えながら、茂みに隠れている女神に声をかけた。
「嫌われ者のカラスだが、ヒナを育てる時ばかりでなく、年老いた親ガラスにもエサを運ぶことを知っているか?」
思いがけないことを尋ねられた女神は、声にして答えられずに首を振った。
「……だろうな。殆どの人間は、カラスを残忍で執念深い輩と思いこんで、まさか年老いた親ガラスの面倒までみるとは思ってもいない」
それは女神も初めて耳にすることだった。
無明は続ける。
「俺はカラスと共に長年、過ごしてきた。あの神社が建立される時くらいから――」
「創建は千数百年を越えるとか――」
無明は苦笑した。
「そんなに長くなるのか……。おかげでカラスの習性が移っちまったらしい」
「それは、どういう意味?」
「俺はどこで生まれ落ちたか記憶にないが、あんたの守るご神木を巣にして育ったのだ。言わば、ご神木が俺の親だ。だから、ホウキをおびき出して白雲木の毒の含まれた実をかじらせ、満腹させておっぱらってやった。なあに、白雲木の毒は軽いから心配ない」
「そなたは親を守るつもりでホウキを……。では、幾月か前、どうして火を放つ鳥によってご神木や神社を燃やしたの?」
「女神のくせに、分かってないなあ」
無明は言い捨てて、立ち上がった。
「六害の凶獣どもが狙っていると言っただろう! 炎で穢れを消すために焼いたまでだ。これもご神木を守るためさ。炎をまき散らしたのは、火焔翼(かえんよく)という凶獣の一種だ」
「穢れ? ご神木と神社が穢れていたと言うの?」
「六害の凶獣に執着されることを、穢れと言うのだ」
「それは、ご神木や私に何か至らない点があったから執着されたのでしょうか?」
女神の声は震えていた。
「それは考えすぎだ。きゃつらは無差別に獲物を襲う」
第六章 月夜のダンス
月が真昼のように煌々と輝いて森を照らしている。
「わらわは……ずいぶん、そなたのことを誤解しておりましたわ」
「む?」
「可愛い美穏ちゃんを高い空へさらったと聞いて、てっきり野蛮に血でも吸ってしまうのだろうと……」
「はっははは……、吸血鬼だって? こんな真っ黒のマントを着ているから仕方ないな」
またもや意外にも、無明は声を出して笑った。不気味ではなく爽やかな笑い方だ。
「わらわのいろんな思いこみと、愚かな誤解をお許しください」
女神は背筋を真っ直ぐして立ち、膝を地面について、ドレスの下半身部分をお尻の下に敷き、かかとの上に座った。そして、地面に両手をついてお辞儀した。
「これはこれは、『正座』の正式な所作で女神に謝られるとは思っておりませんでしたぞ」
無明はおどけた口ぶりで言った。
「いえ……誠に申し訳ございませんでした」
「どうだ、お月様の見ている夜に、ひとつ舞を舞わないか? その白い衣が月光に映えて美しいに違いない」
(舞う――? つまり、躍る――? この黒マントの男と――?)
女神は驚くのも忘れて、差し出される大きな手の上に手のひらを乗せた。
無明は被っていたフードを背中にポンと投げた。
優しい眼をしている。肩に落ちた黒髪はサラサラとして柔らかそうだ。礼儀正しくダンスの前のお辞儀をして、女神の手を取り舞いはじめた。
木立に隠れて見ていた緑里眼は、ふたりが舞っているのを見て、卒倒しそうになるのを堪えていた。
(うう、これはまるで悪夢だ……。俺の女神の彩雲が、無明とダンスをするなんて……)
目元を押さえてうめいていると、
「親父! 母ちゃんは取り戻したから、今のうちに逃げろ!」
息子の緑青の声が聞こえた。振り向くと、緑青が母親の女神を「お姫様抱っこ」して逃げてくるところだった。
緑里眼も、膝に力を入れてどうにか立ち上がり、息子の後を追った。
第七章 緑さん、ダウン
しかし――、翌朝は高熱を出して起き上がれなかった。
宮司の祖父上がお見舞いにやってきた。
「緑(りょく)さん、よほどショックだったようだな。どうだね? 具合は」
「これは翁。お見舞いいただき、かたじけない」
「ここの家は暗くて湿気が多そうじゃな。ワシの部屋でしばらく養生してはどうかな?」
翁の言葉に甘えて、しばらく養生させてもらうことにした。息子の緑青が父親を背負って引っ越した。
翁の部屋は神社と同じ高台に建っているため、見晴らしがよく、田畑が一望の元に見え、清々しい風が入ってくる。
「なんと美しい景色だろう」
「いつまででも、ゆっくり滞在されるがよろしいぞ」
宮司の祖父上の翁は優しく迎え入れた。夫の様子を見るために女神が訪ねてきた。
「こんな良いお部屋に寝かせていただけるなんて、宮司の祖父上さま、ありがとうございます」
「いやいや、なにせ、女神さまの大切な夫どのですからな。早く元気になってもらわねば」
翁はどこまでも鷹揚(おうよう)だ。
「……それで、無明がいいやつだと判ったから、月夜にダンスを踊っていただと……?」
真っ青な顔は元通りに治ったが、クジャク男の緑里眼は、まだご機嫌斜めでむくれている。
「ダンスしただけよ」
「ダンスしただけって、お前のこの白い柔い手をあいつが触ったんだろう」
「手を持たないとダンスできないですもん」
「はずみで、ほっぺにチューとか、オデコがぶつかって勢いで唇にチューとかされていないだろうなっ」
緑里眼は、今度は赤鬼のように真っ赤になってむくれている。
「バカねぇ、あなた以外の人にそんなこと許すわけないでしょう?」
「バカだと?」
「そうそう。女神が緑さん以外の人にそんなことはせん」
翁が言った側から、女神はすぐに翁の手を取って、
「ありがとうございます、祖父上さま」
「あ〜〜! お前、さっそく祖父上の手を握ったな」
「……何のことじゃ?」
妻にヤキモチ妬いて寝込んでいたとは、祖父上には言えないで、緑里眼は布団を被ってシドモドするばかりだ。
「ああ、悪かった。女神の羽二重餅(はぶたえもち)のような手はワシの健康必需品でな。一回触らせていただくと寿命が10年延びるのじゃ」
祖父上は、カッカと笑った。
第八章 無明の予想
「緑さんや。お前さんが腹を立てておるカラス男の無明じゃが……、ワシは昨夜、彼と少し話をしてきた」
「え? 翁が?」
「女神さんのことじゃないぞよ」
翁は含み笑いをした。
「またもや、この神社を狙っておる凶獣がいるとかでの、無明の感じるところによると、先日のホウキの襲来のせいで凶獣どもがこの神社に目をつけたらしくて、今度は、この……」
翁は巻物にしてある絵を広げた。
そこには牛に似ているが、三つ目で真ん中の眼が赤い、尻尾は大蛇になっている異様な化け物が描かれていた。
「フェイという凶獣じゃ。これが歩いたところの草は枯れ果て、水も干上がってしまうそうじゃ。そして、こやつが来た後の村には疫病が流行り出すらしい」
「なんという禍々しい(まがまがしい)獣だ!」
緑里眼が唸った。
「しかし、あの無明という男は、知識が豊富で勘が鋭いぞ。生薬の配合も研究しておる。おそらくフェイの襲来も間違いなさそうじゃ」
「じゃあ、フェイが襲ってきた後、草も水も無くなり、疫病が流行るとおっしゃるのですか?」
「ふむ……残念ながら」
翁は絵巻物のフェイを睨みつけた。
「ワシはフェイの弱点は何じゃろうと考えた。――三つ目の真ん中の赤い眼が気にかかったのじゃ。無明も真ん中の赤い眼を研究していた」
「ほほう」
「ヤツは強い体臭を撒き散らし、植物を枯らし、水も涸らし、人間を疫病にする。疫病の元は強い体臭ではないか? では、体臭はどこから分泌されるのか? 額の赤い眼ではないか? と考えついたのじゃ」
「疫病の元である体臭が、額の赤い眼から分泌するですと? なるほど……」
緑里眼はアゴを押さえて何度もうなずいた。
「緑青!」
緑里眼は息子を呼んだ。
「俺は、敵を待ち受けているのは性に合わん。いっそ、こちらからフェイの生息地に行き、調べるぞ!」
「無茶なことを言いだすのう、緑さん。今朝まで寝込んでおったくせに」
翁が呆れた。
「息子の緑青も同じ性質だ。この前もホウキを待ち構えていてイライラして足を噛まれたんだ。俺たちは攻めの人間だ」
「緑青! お前がフェイを待ち構えてヤツに飛び乗り、赤い眼から強い体臭がするか確かめよ!」
「分かったぜ、親父」
「ピコちゃんの大切なカレシだ。ケガせぬようにな」
翁が言い添えた。
黒マントの男、無明がやってきて、緑青に小さな瓶に入った軟膏を手渡す。
「これをフェイの赤い目玉に塗り込むのだ」
「塗り込んだらどうなるの?」
「発散されている悪臭が止まる。疫病の元も止められる」
第九章 フェイの生息地
海を渡り、港から人の住んでいない砂漠を歩き、長い長い旅路をたどり、緑里眼と緑青父子はフェイの生息地に到着した。
墨絵の世界のようだ。あちこち九
「それにしても、人は見かけによらんな。闇の人間と思いこんで敵あつかいしていた無明が、戦いに力を貸してくれるとは」
「生薬まで作れるんだったら、鬼に金棒じゃないか」
ふたりはフェイの生息地に到着した。岩だらけの山だ。
上方の岩陰に隠れて出没するのを待ち、フェイの背中に飛び乗る心づもりだった。
その時!
紫色のカタマリが岩のてっぺんから飛び降りて、緑青をつき飛ばすや、フェイの曲がりくねった角を片足で蹴り、背中にまたがって走りはじめた。
「あっ、あれはピコ! ピコじゃないか!」
「なにっ? ピコだと?」
緑青が叫んだ通り、フェイの背中に乗っているのはピコだ。
「わっ! ひどい臭~~いっ」
フェイのオデコにある赤い眼から悪臭が飛散され、草木を枯らして小川の水も干上がっていく。
「ピコ! これを赤い眼に塗り込め!」
緑青が軟膏の入った小瓶を投げて、ピコが受け止めた。
「うう、ひどいにおい! ちょっと沁みるかもしれないけど、お前の眼が臭うのがいけないんだからね!」
ピコは手を伸ばして、軟膏を赤い眼に塗り込んだ。
「ギャオ~~~~っ!」
フェイの悲鳴が辺りに轟いた。ピコが塗り込んだ軟膏が沁みたのだ。
後ろ足を跳ね上げ邪魔者を振り落とそうとするが、ピコはたてがみを握りしめて、振り落とされないようにしがみついている。
「ピコ、がんばれ! 振り落とされるな!」
叫んだのは無明だ。大ガラスの大群がぶら下げたブランコに乗って滑空してきたではないか。
「ええっ?」
と、緑青が空を見上げた。
第十章 麒麟神
(黒マントの男、いつの間にピコとあんなに親しげに……!)
ムラムラと腹立ちの火が、緑青の胸の裡(うち)にわき起こった。
「フェイに塗り薬が沁みわたるまで、しばらく辛抱させろ! フェイの赤い眼も病に冒されているのだ。眼を治療すれば人間界に病を撒き散らさないで済む!」
無明がまた叫んだ。
(無明のヤツ、いい加減なことをほざきやがって)
緑青がまた胸の裡で毒づいた。
背後から、緑里眼が叫んだ。
「無明の言うことは誠のことだ。フェイが通った後に土地に撒き散らされる病の元は、あの赤い眼から飛び散っていたのだ」
「なんだと? 親父」
「そうなのだ、緑青。フェイもまた赤い眼の病源に犯されて苦しみのあまり、暴れて人や作物や農家に被害をもたらしていたのだ」
「では……」
「無明の作った目の薬は、フェイも救うことになるのか?」
「その通り」
親子が崖の上と下で大声のやりとりをしているうちに、フェイはよろよろと立ち上がり、崖の裂け目にあった洞窟へ逃げ込んだ。
「あっ、フェイを逃がすな!」
無明がカラスのブランコから飛び降り、後を追う。
ピコもその後を追おうとしたが、緑青の腕にがっしりと引き留められた。
「行くな、ピコ!」
緑青の瞳は断固として行かせないと言っている。
「だって、無明さんが……」
最後まで言わせず壁に背中を押し付けられ、緑青の唇がピコの唇をふさぐ。
「……むぐぐ」
「行くなと言ったら行くな。アイツにお前は渡さない」
念を押すように力いっぱい抱きすくめられた。
「なによぉ、まだキス1年生のクセして」
ピコは真っ赤になりながら、ほっぺを思いきり膨らませた。
しばらくして――、いきなり、洞窟の中に黄金色の光が満ちた。
「なんだ?」
ズシン、ズシンと足音がして、黄金に光輝く大柄な男がフェイを肩に担いで洞窟から出てきた。
「誰だ、お前は!」
髪は黄金色で頭に2本、角が生えていて、瞳は黄金色で、肩から下半身にかけてウロコがびっしり生えている。
「まさか、お前は……麒麟? 麒麟が人型の神になった姿か?」
背後から無明が答えた。
「そうだ。人語が話せないので私が代わりに答える」
「無明……麒麟とも付き合いがあるのか」
「通訳ができるだけだ」
「……フェイはぐったりしているが、まだ息があるんだろうな」
緑青が尋ねたので、無明が聞き慣れない言葉で麒麟に聞いた。
「気を失っているだけだそうだ」
無明は一旦、言葉を切ってから、
「俺がフェイを追って洞窟の奥へ駆けつけた時、麒麟がフェイの行く手に待ち構えていた。フェイの悪臭をものともせず、真正面からフェイの身体を受け止めた。双方、ドシンと正面からぶつかったということだ」
「麒麟が待ち構えていた? 先にいたってことか?」
無明が、
「俺の推察だが――、この洞窟は、白雲木神社のご神木と奥でつながっているのではないか?」
「えええっ?」
緑青父子とピコは驚きの声を上げた。
第十一章 ウロコの威力
緑青父子とピコは地上に出て、元来た道――真っ暗な夜になった道を歩いていた。
「そういえば、麒麟さんの身体のウロコは、社務所のおじいちゃんに一度見せてもらったことがあるような気がするわ」
ピコが洩らすと、麒麟は立ち止まって腕のウロコを一枚取り、何やら呪文のようなものを唱えた。
人の爪くらいしかなかったウロコが、手鏡のような大きさになり、麒麟がにやりと笑って持っている。
高々と頭の上にかざし、
「――モドレ! キョウジュウ、フェイよ!」
麒麟の力強い呪文と共に、手鏡の大きさのウロコが眩しい黄金の光を放った。一瞬、辺りは真昼になったかのようだ。
光で飛び起きたフェイは、怯えながら逃げ出した。
「あれ? いつの間にか、あの強烈な臭いがなくなってる」
ピコの言う通りだった。緑青が、
「無明の作った薬が効いて、フェイの赤い眼が治ったのだろう」
「じゃあ、フェイが歩き回っても草が枯れたり、水が干上がったりすることも、病が広がることもなくなったの?」
「多分な」
緑里眼が、麒麟と目を合わせてうなずいた。
「やったぜ~~~!」
「白雲木も神社も村も助かった~~~!」
朝日が山の端から昇る頃、緑里眼と緑青一行は神社に帰り着いた。樹と美穏も喜び、若者たちはその場に正座し、
「どんな凶獣がやってきても負けないぜ! えいえい、お――!」
4人そろって拳を突き上げた。
社務所の陰で無明が苦笑していた。
(功労者のことを忘れてもらっちゃ困るぜ)




