[366]正座の体育祭応援団
タイトル:正座の体育祭応援団
掲載日:2025/07/09
シリーズ名:某学校シリーズ
シリーズ番号:33
著者:虹海 美野
イラスト:時雨エイプリル
あらすじ:
某栄富高校一年のユタカは、クラスメイトの選太が学校のアヒルや猫と過ごし、馬術部で忙しく、あまり友達付き合いをしていないのが気がかりだ。
学校では体育祭の応援合戦の準備に入る。
ユタカのクラスは、以前ユタカが教えた正座をヒントに、和を取り入れたダンスを考案。
衣装の縫製で手際よくミシンがけをし、頼りにされるユタカ。
クラスメイトの手伝いをする傍ら、選太の手つかずの衣装が気にかかり、ミシンがけを申し出て……。
本文
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1
実土利(みどり)ユタカは、某栄富高校の一年生である。
某栄富高校は、ユタカの住む地域から下り電車で十分ほど、そこから駅のバスロータリーに来るスクールバス、及び路線バスに乗車して行ける学校だ。駅前にはスーパーやファストフード店などがあるが、そこからは山沿いへ向かい、山を含めた広大な敷地に木工体験やアスレチック、畑、馬術部まである、とにかく自然に恵まれた施設が某栄富高校にはある。生徒数はほかの高校に比べるとやや少なく、一学年百名程度で、三クラスに分かれる。高校ではあるが、事前予約で川魚の塩焼きや野菜などの給食が出るほか、隣のソファに流しのある部屋には、生徒全員のマグカップを置ける棚も設置。地域との交流も多く、ボランティア登録してくださっている方々が日常的に学校へやって来て、畑や花壇の世話を手伝ったり、指導してくだり、ソファの部屋の流し横には、そういった方々の差し入れの季節の果物やお菓子がある。
某栄富高校は、通学時に電車が混まないことと、受験の際学力が合っていたことで、ユタカは某栄富高校に入学した。だから、正直に言えば、入学早々の地域交流会でクラス全員に役割が割り振られるのも驚いたし、学校の山にあるキャンプ施設で自炊したり、木工体験をしたりするのも、入学前から希望してのことではなく、入ってみたらそんな行事があったといった具合だった。
更に某栄富高校には馬術部がある関係で、獣医さんが定期的にやって来る。そうして、この学校内には保護猫やら、アヒルやら、リクガメなんかがいて、獣医さんがそうした動物たちの健康状態も軽く診てくれている。
地域交流会では、楽だと思って挙手した手伝いで、お茶の先生の助手をすることになり、その際には、校内にある地域猫専用の座布団を借り、正座の練習をした。背筋を伸ばし、脇は締めるか、軽く開く程度、膝はつけるか握りこぶし一つ分開くくらい、足の親指同士が離れぬようにし、手は太もものつけ根と膝の間でハの字に揃える。その後、一緒に手伝いをするクラスの女子にもこれを教え、スカートはお尻の下に敷くようにと追加で伝えた。学校内で行われた一泊の研修でも、湧き水を使ったお茶を振る舞ってもらう際に、やはり正座をするので、周囲の仲間に教えたりもした。
あまりクラスの輪や、校内に出入りしているボランティアの方と積極的に話さないユタカだったが、そうした経緯で半分必要に迫られ、だいぶ周囲と打ち解けてきた。入試の面接で、先生からは、この学校はひとりで何かに熱中する生徒も、みんなと協力して何かをやるのが好きな生徒ものびのびと活動している、というようなことを聞いたのを思い出す。
そうして、クラスでよく一人でいる、個建選太(こだちせんた)の存在が最近気になるようになった。選太は馬術部で、部の当番のある日は朝早くに学校に来て、馬の糞を片づけてから、授業に来る。馬術部があるとうのは、学校案内にも出ていて、さほど思い入れなく某栄富高校に入学したユタカでも知っていたが、実際にその部に入っているのは、クラスで選太一人であった。朝、五回循環するスクールバスの最後の時間に乗車し、帰りも授業が終われば、放課後最初のスクールバスで帰るユタカは、これまで選太との接点はほぼなかった。交流を深める研修で、それなりに多くの人と話したつもりだったが、それでも選太とは話していなかったと思う。
よくよく教室内で選太を見ていると、あまり周囲とは話さない性格のようだった。
理科の実験や体育の団体競技で一人で困っているようではないから、その場に応じて、一人でいるのを選んでいるようだった。そんなふうに選太を見ていたユタカは、理科の実験での記録を書き忘れて隣の席のクラスメイトに頼んで見せてもらい、体育のサッカーではうっかりオウンゴールを決めてしまった。
2
昼食に選太は給食を頼んでいるようだった。
某栄富高校では、事前申し込みで給食が出る。
ユタカは大概、弁当持ちか、どこかで買って来るから、選太の昼食の様子はわからない。
だが、給食の出る食堂と弁当持参の生徒が使うソファのある部屋は隣だから、ユタカは選太が給食を終える機会を、隣の部屋で覗っていた。
はやっ。
ユタカがまだ弁当のおにぎりひとつと卵焼きを食べたところで、もう選太はユタカのいるソファの部屋の前を通過して校舎を出て行った。
慌ててもうひとつのおにぎりに、ハンバーグ、付け合わせの野菜を食べ、弁当箱を保冷バッグに突っ込んだのを昇降口の下駄箱に入れ、外へ出る。
すると、選太はアヒルを撫でていた。
選太のしゃがんでいる横には、学校内にいる地域猫が二匹、すり寄っている。
ユタカは以前猫の座布団を借りて正座の練習をしていて、それなりに猫との距離は近かったはずだが、この猫たち、アヒルの選太への懐き方は一線を画していた。
あまり周囲と交流しないユタカが言うのもなんだが、選太は表情に乏しいというか、あまり感情を表に出さない印象があった。けれど今、さほど大げさな表情をしているわけではないが、確かに選太は幸せそうで、嬉しそうだった。そうして、選太の周囲にいる動物も然り。
声をかけたかったが、ユタカは黙っていた。
選太はしゃがんで動物を撫でているが、決して自分から近づかない。選太が優先するのは、動物の気持ちで、動物を撫でたいといった自分の希望を先走らせていないのがわかった。その穏やかで優しい空間を、壊してはいけないと思った。
「あれ、実土利くん、珍しいね。こんなに早く」と声をかけられた。
振り返ると、クラスメイト数人がいた。
「ああ、うん、まあ」とユタカは曖昧に頷いた。
彼らが選太と動物たちの輪に入って、その空間を壊してしまうのではないか、と一瞬懸念したが、皆の視界に選太はいるのに、誰一人そこへ走り寄らない。
「みんなは、どうしたの」とユタカが訊くと、「体育祭の応援団の備品を確認して取りに行くけど、一緒に行く?」と誘う。
「うん、じゃあ」と頷く。
ユタカたちの会話は選太に聞こえているはずだが、誰も選太を誘わない。
そのまま、選太のそばを通り過ぎる。
ユタカはなんとなく、気まずさを感じた。
校舎側を歩いたところで、「今日も仲良しだよな」と、誰かが言う、
「入試前から仲良かったらしいから」
「後から来た猫とも仲いいから」
皆の会話から、選太の話だとわかる。
ああ、みんな、選太を外しているのではなくて、選太を尊重しているんだ、とここでユタカはようやく気づいた。
そうして周囲を見れば、本当にこの学校は自然に恵まれている。
藤棚が校内の遊歩道にあり、その下にはベンチが設置してある。
花壇には四季折々の植物が育ち、名前は知らないけれど、その葉のかたちや花の色はユタカでも覚え始めている。
土や植物の匂いの中、クラスメイトについて行った先には、緑のツタの絡まりかけた、赤い屋根に白壁の一階建ての細長い建物が校舎に並行に建っていて、校舎とこの建物の間には、きゅうりやトマトを植えた鉢が並んでいる。なんとも心和む風景である。近代的な建物の学校も最近では多いらしいが、ユタカはそもそも学校見学自体、一校も行かなかった横着物で、高校はこの某栄富高校しか知らない。だが、この学校は本当にいい学校だと、こうしたところを見てもしみじみ思う。
「実土利くん、こっち」と呼ばれ、赤い屋根の建物の側面に均等に並んだドアの一つを開ける。
中には小さなたたきがあって、靴箱が横にある。
室内は板の間で、大きなラックに、透明なプラスチックケースが並び、そこに内容物を記したシールが貼ってある。なんとも整然とし、親切な物置である。これくらい、自分の持ち物も片づけられれば、と思う。
「これこれ」と、クラスメイトが箱を出す。
中には大きなビニールシートが入っていて、それを近くにいたユタカに渡す。
「ねえ、これで何するの?」と、ビニールシートを受け取ったユタカが、クラスメイトがまだあれこれ箱を開けているのを見ながら訊いた。
「今日、この後のホームルームで説明するよ」
応援団の備品と言っていたが、このシートは、下にでも敷くのだろうか。
「なんか、他人事みたいな顔しているけど、実土利くん、しっかりしてよ。もともとは、実土利くんが今回の応援団の出し物のヒントになったんだから」
色鮮やかなリボンだとか、鈴と書いてある箱だとかを出して確認しながら、クラスメイトが言う。
ますます、わからない。
「ほら、研修の時に実土利くんが正座をちゃんとしていて、それを和室で改めて見て、今回、どういったのにしようかって言った時に、案が出たんだよ」
どんな案なのか。
「ちょっとここでもう一度やってみてくれる」とまで言う。
どういうことなのかわからぬが、ユタカは床に正座した。
床といっても、板張りで、ひんやりと心地よい。
「背筋を伸ばして、膝はつけるか、握りこぶし一つ分開くくらい、脇は締めるか、軽く開く程度、足の親指同士が離れないように気をつけて、手は太もものつけ根と膝の間でハの字に揃える。スカートの場合はお尻の下に敷く」
「そうそう。ありがとう。これ、結構重要だから」
ますます、どういうことかわからない。
「うちの学校の応援合戦は、先生や保護者、見に来てくれているボランティアの人たちの投票で決まるから、やっぱり習ったこととか、行事に関係あることが含まれると好感度も上がるからね」
応援合戦の投票というのも今、初めて聞いた……。
「これ、運び出すから、早く行こう」と言うクラスメイトの声にユタカは立ち上がり、シートを抱えて教室へ戻った。
3
ホームルームの時間は、体育祭の応援団の内容説明だった。
高校によっては、一年から三年までを縦割りに区切って、色分けなんかをし、応援団を結成する。某栄富高校の場合は、完全クラス別で行うのだそうだ。参加人数に制限はなし。つまり、数人でもいいし、全員でも可なのだそうだ。
そこまでの説明を聞き、さっきのクラスメイトたち、確か体育祭実行委員とその友達、有志が出て何かをやってくれ、それ以外の生徒はうちわだとか、旗だとかを作って座席からの応援をするようなのをユタカは想定していた。
だが、体育祭の実行委員は前に立つと開口一番、「うちのクラスは全員応援にします」と言い切った。採決も行っていない。まさか、いきなりの決定事項。
ええ、と思ったが、意義を唱える者は誰もいない。
「一応説明すると、少人数精鋭でもいいのですが、某栄富高校での体育祭は交流を目的のひとつに挙げています。特に一年生は入学して間もないし、研修を終えてお互い理解はしあえてきたところなので、ここで一気に結束を図るといいと、先輩たちが言っていました」
そんなに結束って大事か……? とも思ったが、率先して実行委員をやってくれているクラスメイトが、こうして提案するのなら、まあ仕方がない。
正直ユタカはあまり乗り気ではなかったが、今から体育祭を欠席しますと言うほどの事態でもなし、黙って話を聞いていた。
「それで、クラス別リレーや、参加競技については全員の希望を聞きますが、応援については毎年、体育祭実行委員が指揮を取るので内容も任せてもらっています」
確か、さっき正座がヒントになったとか言っていたし、使うものも用意してあるのだから、まあ、内容もおおよそ決まっているのだろう。
ユタカが遅い時間のスクールバスで登校し、帰りは一番早い時間のスクールバスを使うのに対し、彼らはここまでの準備をするために、学校なり、その周辺なりで話し合いをしていたはずである。
面倒だと正直思ってはいるが、そう考えると、なんだか申し訳なくもなる。
あ、なんか、ごめん、と心の中で言った。
そんなユタカをよそに、実行委員はきびきびと話を進めていく。
本当に同じ年齢、そうして同じ学力なのだろうか。
人間力、というやつか……。
「最初は正座から始まります。その後全員和装で鈴を手に持った、和のダンスを披露します。そこからフォーメーションを変えて、シートを持って円になって、中に入る人と、外で踊る人とに分かれます。シートの中に入った人は、羽織っていた着物を脱いで、これから発注するクラス用のシャツになります。その間に残りの人が今度はシートの中に入って、同じように着物を脱いで出てきます。僕がラップが趣味なんで、ここで出てきたクラスの人の名前と特徴を短く紹介していって、全員で今風のダンスをして、最後にシートから登場した担任の先生を胴上げして終わろうと思います。どうでしょうか」
なんとも具体的でわかりやすい説明である。
その口頭説明の間に、もう一人の実行委員がその様子を黒板に図と文章で書いて説明している。
「シャツと、上に羽織る着物は、三サイズあります。ダンスの振りは、後で担任の先生の方から、皆さんが持っている学校用タブレットに送ってもらうので、頑張って覚えてください。以上です」
あっと言う間の説明であった。
ここまで十分足らず。
某栄富高校に限らず、今は高校でタブレット端末が使用され始めている。
担任の先生への急ぎの質問や、学校全体の連絡事項がこのタブレット端末で行われ、授業でも使用するが、こうした使用の仕方もあるのかとユタカは素直に感心した。遊び目的で使うことが多くなると懸念されるが、こうした活用は画期的である。某栄富高校は、山奥の高校だから、スクールバス以外に自転車で来る生徒や、電車の本数が少ない生徒もいるし、選太のように部活で授業前や放課後に時間を取りにくい生徒もいる。おまけに学校全体の人数も少ないから、部活や委員会なんかをクラスの応援の練習で休む、というと、本当に部活や委員会は少人数で行うから、出席者への負担増しを考えると、大層親切で、最善の方法だ。
正直、応援に参加するのは面倒に感じていたが、これだけ指導力のあるクラスメイトを前に、今はただただ感服するばかりであった。
4
シャツはクラス全員の名前入りのオリジナルで、文化祭でも使用すると言う。そうして、問題は、着物であった。仕立てたものが届くと思っていたら、反物を裁断したセットが届いた。着物自体は帯もないし、シャツの上に羽織るだけのものである。丈は膝下、表面は青く、裏地は鮮明な赤で、これが鈴を持って踊る時に同じタイミングで翻るのが美しいのだそうだ。
……それは、いい。
問題は、裁縫だった。
さすがに、「なんで作ってあるのを頼まなんだよ」という声がこの時には出たが、「これが大量発注できて、安かったんです。まっすぐ縫うだけです。そのくらいはやってください」と言う実行委員の言葉に、皆、黙った。これまで発案から用具の準備、衣装の発注までしてくれた経緯から、自分の衣装をちょっと縫うくらいなんだというのだ、と言われれば、確かにそうだ。
「昼休みと放課後、家庭科室でミシンを貸してもらえるんですけど、ほかのクラスも使うので、一度に使用できるミシンは一クラス二台までです」
それを聞いて、ユタカは早速今日の昼休みに家庭科室へ行った。
実行委員もいて、自分たちの衣装を縫い、見本としてクラスで見せるらしい。
ほかのクラスも、趣向を凝らした衣装を作るらしく、早速ミシンを使っている。
「これ、一台、借りていい?」とユタカが訊けば、「もちろんだよ。初日からこうやって作りに来てくれている人がいるが本当に嬉しい」と言ってくれる。
下糸のセットにやや戸惑ったが、上の針を下げると、下糸が出て来て、これで無事上下二本の糸が出そろい、後は速さとミシンの目を調整して縫うのみだ。
縫う箇所を合わせ、固定すると、早速ミシンを作動させる。
リズミカルな音とともに、生地が進んでいく。
「おお」と実行委員の二人が声を上げる。
「実土利くん、すげえ」
返し縫をして、あっと言う間に最初の箇所が縫い上がった。
真っすぐに縫い合わせるだけだから、十分足らずで終わってしまった。
「え、実土利くん、この下糸、出すのやってくれる?」と実行委員が訊く。
……まだセットできていなかったのか。
「いいよ」と言い、下糸の量を確認して、すぐにセットが完了する。
「おー!」と歓声が上がる。
近くで見ていたほかのクラスの生徒や先輩が、「これも頼んでいい?」と訊く。厳密にはライバルになるわけだが、普段昼食の際、ソファの部屋で一緒になるほかのクラスの生徒や先輩が、「これ、使う?」と、ユタカがポットのお湯でお茶を淹れる際には、ティーバッグを一緒に取ってくれたり、この前はボランティアの方が差し入れてくださった果物を切り分けてくれた。キッチンがあり、生徒全員のマグカップが置いてある場というのは、自然と生徒同士の距離が縮まる。今回も然りである。
ユタカは「はい」と言い、ミシンの糸をセットするところまでは引き受けたのだった。
5
「正座は背筋を伸ばして、膝はつけるか握りこぶし一つ分開くくらい、脇は締めるか、軽く開く程度。足の親指同士が離れないように。スカートはお尻の下に敷く」
つい最近自身が言ったことが教室で聞こえる。
見れば、教室の後方のスペースで何人かの女子が正座し、衣装の着物を手縫いしていた。
後ろで広げてやっていたのは、反物の長さがあるからか。
「実土利くん、悪いんだけど、今日の昼休み、ちょっと家庭科室一緒に来てくれる?」と席が近い男子に頼まれた。
「いいけど」
「昨日実行委員が、実土利くんがミシン上手かったって言っててさ、ああ、実行委員を悪く思わないでほしいんだけど。それを聞いて実土利くん利用しようとか、自分が楽しようっていうのではなくて、俺、中学の時にミシン苦手だったからさ、かといって、女子みたいに手縫いも駄目で、失敗すると、代わりの布がないから自信ないんだよね」
クラス内で誰がミシンが上手いとか、そのくらいの範囲で、しかも丸投げでないのだから、いろいろ考えなくてもいいと思うが、それだけ親しくしても、否、親しいからこそそうした点での説明を欠かさないということか……。
今後の参考にしよう……。
「いいよ」とユタカは答えた。
「ああ、よかった」と、心から安堵しているらしいクラスメイトを見て、自分でもクラスに貢献できることがあってよかった、と思った。
以前の研修の料理では、全然できることがなくて、配膳やテーブル拭きに終始した。自分なりに頑張ったが、やや不甲斐なさを感じた。
だが、意外なところで頼られ、まんざらでもない。
ほかの男子もやって来て、「俺も今日部活ない日だから、一緒に行っていい?」などと訊く。
「全然かまわないよ」
そんな会話をしている時、ふと、ユタカは選太を見た。
配布された反物のセットの袋がそのまま、机のフックに掛けてある。
ふいに選太がこちらを振り返った。
ユタカと目が合ったが、すぐに逸らした。
ユタカはそれが気になった。
6
昼休み、何人かの男子が家庭科室に来た。
ユタカはミシンのセットをし、見本にと、最初の部分を直線で縫い、次からは本人と交代して、隣のミシンをセットし、同様に最初の部分を縫って交代する。
それからは、頼まれたので様子を見守る。
昼休み終了が近づき、最後はユタカが再度交代し、衣装を五人分仕上げた。
「おお、できた!」と、クラスメイトが喜んで早速衣装を着ている。
なるほど、動くと裏地がきれいに映える。
これはよさそうだ。
放課後には、女子数名にも頼まれて、ミシンで衣装を仕上げた。
そんな日が三日ほどあり、気づけばクラスメイトの衣装の大半は出来上がっていた。
来週からが衣装をつけての練習だ。
そうして、ふと、ユタカは選太の机に掛けたままの反物を見遣った。
この日、いつものように給食を速攻で食べた選太をユタカは呼び止めた。
「あのさ、個建くん」
選太はユタカを振り返った。
これといった表情は出していないが、繊細で優しい雰囲気だった。
この学校にまだ慣れていない、どこからかやって来た猫のような、あどけなさと少しの警戒が感じ取られて、クラスメイトが不用意に声をかけない理由もなんとなくわかった。
「個建くん、いつも部活なんかで忙しいよね。僕、そういうのやってないからさ、よかったら、応援団の衣装、縫っておこうか?」
「……いいの?」
少し間を置いてから、選太が訊く。
ユタカは大きく頷いた。
「いいから言ってるんだよ」
「ありがとう」
選太はそう言って少ししてから笑った。
嘘のない笑い方だった。
7
なんだか衣装づくりで体育祭の応援の準備が済んだ気がしていたが、実際はここからだった。振りはタブレット端末に送ってもらった動画を見てだいたいわかったが、実際に動き、しかも周囲と合わせるというのは、なかなかに難しかった。
ここでも体育祭の実行委員が指揮を取り、全員の動きを確認していく。
「だいたいいいけど、実土利くん、ちょっとずれてるところあるから、もうちょっと頑張れる?」
「あ、うん、ごめん」
つい最近まで、「実土利くん、お願い」、「実土利くん、ありがとう」と言われていたが、今は若干肩身が狭い。
最初の頃の練習は、みんな自分のような感じかとばかり思っていた。
だが、そう思っていたのはユタカだけだった。
どういうわけか、みんな最初からキレッキレで踊る。
遅れたり、早すぎたりする人がいない。
正直、自然体の選太は全く踊れないのではないか、と密かに心配していたが、和の振り付けも、今風ダンスも実に様になっている。
一体どういうことか……。
ホームルームの時間が終わり、ややしょんぼりしていると、「実土利くん」と声をかけられた。
選太だった。
「もしよかったら、少し一緒に練習する?」
「いいの? 部活は?」
「今日は、休みで、当番もないから」
静かに、淡々と話す。
「ありがとう」
そう言ったものの、この口数の少ない選太と二人、しかも自分が教えてもらう立場で大丈夫だろうかと、少し不安になった。
だが……。
選太は実に教えるのがうまかった。
「ここまできたら、次の動き。そこで跳ぶ。そう、その感じ。そこ、もう一回やって覚えるといいよ」
こんな感じで、大層穏やかな口調でキレッキレの動きを伝授してくれる。
おかげで驚くほど、ユタカのダンスは上達した。
「……ありがとう。体育祭、どうしようかって思ったけど、おかげで大丈夫そう」
「うん、まあ、これに鈴を持ったり、衣装を変えたりするのもあるから、まだ途中なんだけどね」
やはり穏やかに言いながら、選太はきちんと先を見通していた。
「ああ、そうだ」と、そこで選太はユタカを見る。
「何?」
「前半に正座するところがあるよね。実土利くんが何度かクラスで教えているの知っていたんだけど、僕だけ教わり損ねてて……」
「ああ……」
思い返せば、ほかのクラスメイトにはどこかしらで教えていたかも知れない。
選太が気になっていた割に、そういうところをユタカは見逃す。
「じゃあ、ここで」とユタカはまず正座する。
ちょうど衣装の着物も着ていた。
「背筋を伸ばして、脇は締めるか軽く開く程度、膝は握りこぶし一つ分開くか、つける。手は太もものつけ根と膝の間でハの字に。足の親指同士が離れないようにして、スカート、着物とか、お尻の下に敷いて」
驚いたのは、選太の姿勢の良さだった。
ああ、そうだ。
馬術部だった。
体幹もいいだろうし、姿勢がいいのも納得だった。
「姿勢がすごくよくて、いいね」とユタカは言った。
「ありがとう」と選太は言った。
そんなことないよ、と言わないのが、選太だ、とユタカは勝手に思った。
8
応援合戦は、体育祭後半、昼食後に行われる。どのクラスも昼食後すぐに準備に取り掛かる。
順番はくじ引きで、ユタカたちのクラスは中盤だった。一クラス、その持ち時間僅か五分である。
前のクラスが終わると、すぐにグラウンド中央に全員が走り、立ち位置を確認。
その場に正座する。
グラウンドがしん、と静まる。
この静かな『間』は、いくつもの応援合戦の中で、観客の目を引く狙いがあると実行委員は言っていた。持ち時間の短さを考え、一瞬でこの雰囲気を作るためには、姿勢のよい正座を即座に揃えてする必要があるという説明だった。
横笛から始まる音曲とともに、全員が立ち上がり、青と赤の長いリボンのついた鈴を鳴らす。
着物を翻し、同時に赤い裏地が旗のように揺れ、そこからフォーメーションが変わり、円になって踊る半数の輪の中で、大きなシートを持った残り半数が走り、次第にシートが膨らむ。そうしてそのシートが大きく膨らんだところで中に入り、最初にラップをやる実行委員がクラスシャツで飛び出し、マイクを手に自己紹介。その後、飛び出して来るクラスメイトを次々にラップで短く紹介し、紹介されたクラスメイトがキレッキレの今風ダンスを披露する。このラップの紹介内容は当日まで秘密であったが、選太が出て来た時は、「真面目な馬術部、動物と心通じる純粋少年」と紹介され、ユタカは「一番遅くに来て早く帰る帰宅部エース、特技はミシン」であった。
そうして最後に「我らが担任!」と名を呼ばれた担任の先生が出てくると、皆で胴上げし、担任の先生が無事着地したところで、ユタカたちのクラスの応援は終わった。
笑いと大きな拍手に包まれ、ユタカは得も言われぬ達成感の中にいた。
9
応援合戦の結果は、一位、二位が三年生で、ユタカたちのクラスは三位だった。一年生、最初の体育祭に於いては、大健闘であった。
ただ、ほかのクラスに比べ、ユタカたちのクラスは運動部や、元運動部が少なかったことと、比較的協調性のあるクラスの気質故か、競技自体にはあまり向いていないようで、応援合戦のほかは惨敗であった。
それでも担任の先生は、クラスの健闘を讃え、体育祭終了後には、駅前のケーキ屋で買ったケーキと、学校の自販機で買ったお茶やジュースを振る舞ってくれた。
ユタカは、入賞したから担任の先生がケーキを買ってくれたと思ったが、クラス分のケーキということは、事前注文していた、ということになる。
どのクラスでも何かしら、教室での打ち上げのようなことが行われていた様子から、某栄富高校では、この日担任の先生がどこかしらで生徒を労うアイスなり、ケーキなり、ピザなりを事前注文し、恐らく届けてもらっていたのだろう。
ユタカは後で知ることになるが、この日は、某栄富高校最寄り駅付近のいくつかの菓子店は、某栄富高校の教員からの大量注文を受けるのが、毎年恒例だということだった。
そうしてこの日、馬にはいつもの干し草だが、事前に獣医さんに確認を取り、教えてもらった各動物のおやつを放課後、選太が校内の動物たちにあげてから帰ったことは、限られた人物しか知らないことだった。