[67]正座侍先生の教え


タイトル:正座侍先生の教え
分類:電子書籍
発売日:2019/09/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:32
定価:200円+税

著者:ひでまる
イラスト:如月 れい

内容
喧嘩走りの少年は落ち着きがないと父から中学校入学早々、正座教室へ行けと命じられる。
「正座侍」と呼ばれる正座教室には昔虐めていた同級生の輝かしい姿があった。
少年は自分とは違う同級生の笑顔に嫉妬していく。
自己嫌悪に陥りながらも不器用に歩む青春物語。

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本文

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 窓から見える朝靄の景色に心が落ち着く。そっと窓を開けると鼻先に感じる桜の香り。中学生になった新ステージで躍進を飾る絶好の朝だったはずが、昨夜親に言われた言葉に胸が苦しく、表面が曇る。
「もう正座教室に行かせるしかないか」
 もう自分たちの手では負えない、俺たちはやり尽くしたから、後は他の人にまかそう、そう捉える父の言葉に僕は言葉を失った。母はうんうんと頷くも心ここにあらずで、ずっと下を向いている。この人はなんでも面倒くさい事は父にまかせて、自分は関係ありませんよという顔をする。
 そもそもこうなったのにはもちろん理由がある。足癖が悪く、手が早い僕にいつも父は落ち着きがないと注意をした。小学校低学年の頃はそれぞれの個性と捉え、あまりお咎めはなかったが、高学年になっても変わらない態度に父はしびれを切らしてしまった。
「より大人に近付く中学生になって、このままだと恥ずかしい人間になってしまう」
「俺たちも指導をもっと出来れば良かったのだが」
 自分たちの育児の仕方よりも、僕の行動が駄目だと劣悪を感じながらも言ってくる大人の姿勢に腹が立つ。頭を搔きむしり、ふけをどれだけ飛ばしても、また頭へと戻ってくる。僕の人生もまたいずれ親から離れても、ずっとこの先繋がっていくのだと考えるといつも気が遠くなってしまうのだ。


 入学式を終え、慣れない制服姿のまま正門を出た。風が吹く度に桜の花道が僕の前へと広がっていく。こっちへおいでよと呼びかける声にロマンを感じそうだが、生憎そっちは「正座教室」へ行く道で行きたくない。しかし体験入学を申し込んだ親に行ってきたよと嘘は言えないので、行くしかなかった。
 住宅街を抜けた道の右手側に正座教室はあった。テナントを利用した教室と思っていたら、道場のような木造建物で大部屋に畳みが敷かれている。元柔道場っぽい正面看板には墨で「正座侍」と書かれている。窓から中を覗き込むと老若男女問わず正座をしているのが見えた。皆一針方向に正座をし、瞑想でもしているかと思ったら、あるグループは輪になって談話していたり、ある人は目を閉じて精神統一をしたり、それぞれが正座をしている取り組み方をしていた。
「入らないのかい?」
 若い男が傘を差し出しながら言った。雨が降り出して来たのを思い出した。
「あの、その……体験入学に来たんですが……」
 今更になってここに来る事が恥ずかしく思い、たどたどしくなってしまった。
「あぁ、木村くんだね? こちらへ来て下さい、待っていましたよ」
 笑顔が素敵な男は丁寧な口調で言い、僕たちは道場へと入った。


 よくある光景なのか僕が入場しても誰も気に留めなかった。それぞれが個々の時間を自由に使い、且つ相手に迷惑をかけないよう一定の距離を保って正座に取り組んでいた。
「みんな正座しているんですよね?」
「あぁ、遊んでいるように見えるけど、皆正座しているよ。ここの教室は一斉授業みたいな事はしないからね」
 すれ違う生徒に挨拶をしながら、若い男は歩いて行く。
「そう言えば言い忘れていたね。僕はここで正座を教えている菊池です。宜しくね」
 向かい合わせになったと思うと先生はどかっとその場に座ってしまった。僕は困惑しながらも先生の前に座る。
「木村です。親に言われて体験入学に来ました」
 つい問題児が来ましたよと嫌味な感じで発言をしてしまった。
「聞いているよ」
 先生は少し間をあけてから
「早速正座しよっか。体験始まらないしね」
 と笑顔で言った。
「えっ!? 何も準備出来てないんですが」
「準備も何も正座するだけだよ」
「この制服の格好でですか?」
「ノ―プログラム、やる姿勢と気持ちが大事」
 先生に催促され、僕は渋々正座をする事にした。
「この時計の針が四時を示すまでの一時間ここにいて欲しい。何十分寝ようが、遊ぼうが自由だが、一度は必ず正座をして欲しい。正座をする時間も自由だ。さぁ始めましょうか」
 きょとんとする僕の横を通り抜け、先生は去っていた。
 何もしないまま十分が経過した。なぜか、それは簡単だ。体験入学へ来た大切な生徒をないがしろにする馬鹿先生はどこにいるのだ。 無性に腹が立ち、早く帰りたくなった。すぐにでも立ち去りたかったが、周りの正座熱心を見ると熱を冷ましそうで立ち去りにくい。一度正座をしてみて、その後帰っても誰も文句は言わないだろう。
 まずは脚をコの文字に曲げ、膝からゆっくりと足首まで畳に重心を下ろす。足の甲が畳に当たりジリジリするが、左へ右へ少しでも痛みが和らぐ位置へ重心を移動し、あとはただボーと待つ。それが自分流正座のやり方だ。
 ものの五分で足が痺れてしまい、足をぐぐっと前へ伸ばす。指先の感覚がなく、下半身が熱を帯びたかのように熱くなっていた。
「頑張ってましたね。少し力が入ってましたが、それもいいですね。次は……」
 先生が突然後ろから声を掛けてきた。少し驚いたが、すぐに怒りを思い出し、
「先生、疲れたんで帰らしてもらっていいですか?」
 先生の顔を見合わせる事なく、僕は身支度を整えた。身体がふらつき、足が痺れたままだが、もうここへ来たくはない。
 道場の出口へ向かう途中、僕はある人を見つけ、立ち止まった。それは同じ制服姿で正座に取り組んでいる名は確か……野元だ。小学校時代、僕が苛めていた小柄なサル顔の野元が一体ここで何をしているのか。
「正座侍先生!」
 威勢のいい声が聞こえた。その声の主は野元だ。
 先生は野元のそばへ行き、何やら楽しく話している。あんな野元のはつらつとした顔を見た事がない。真面目に正座をしている野元は手振りを交えながら、先生と会話をし、やがて僕の顔を見て、なんとこっちへおいでと促してきた。
 僕は恥ずかしくなって道場を飛び出した。とにかくここを立ち去りたかった。雨は止んでいたが、水溜りのはじく音が、誰かが追いかけてくるような気がして、心が落ち着かなかった。家へ帰るまで後ろを振り返ることはなかった。


「どうだった?」
 父の質問に、僕は「辛かった」と伝え、「次、どうする?」と聞かれ、機会があれば行くとだけ答え、寝室へ向かった。
 真っ白なベットに嫌悪な気持ちをぶちまけたかったが、身体の疲れはとれても、嫌な気持ちはずっと心に居座ったままだった。正座が辛かった、先生が自分の事をないがしろにしたというよりも、苛めていた野元になぜか負けていたと思ったことだ。自分が苦痛に感じた正座をあんなに活き活きと、学校では見せない素振りでしていたことに劣等感を感じた。
「たかが正座ごときに」
 苦言を吐き、正当化しようとしたが、心の靄は晴れない。負けてはいない自分を証明するためには、またあそこへ行くしかないのはもう分かっていた。


 翌日、父には忘れ物をしたとだけ言い、正座教室へ向かった。自転車へ腰かけ、ペダルを踏んで一心不乱に漕いでいく。昨日の出来事を打ち消すようにただ漕ぐことに集中した。
 道場の前へ到着し、窓から中の様子を探る。菊池先生の姿はなかったが、制服姿の野元の後ろ姿はすぐに分かった。真っ直ぐな背筋で瞑想しているように見える。ゆっくりと道場へ入り、他の生徒たちの間を抜けながら野元の元へと向かう。彼は目を閉じ独自の世界へ入っているようで声を掛けにくかったが、このまま逃げるわけには行かなかった。
「また制服姿か?」
 仏頂面で後ろから声をかけた。野元ははっとした顔で振り返り、一瞬顔がこわばったように見えたが、すぐに笑顔で話した。
「木村くんかぁ、びっくりしたよ」
 野元は横に座る僕に構わず、正座を続けた。胡坐をかいている僕が不良っぽく見える。
「制服で正座しているのか?」
「木村くんも前にしてたじゃないかぁ。僕はこの姿が一番正座にしっくりくるんだぁ」
「ここへいつから来てるんだ?」
「小学校を卒業してから…一カ月前くらいからかなぁ?」
「親の勧めで?」
「いや、僕自身の意志でだよ」
「何で?」
 会話が急に止まった。野元は少し考えてから、ゆっくりと答えた。
「心を強くするためだよ」
 その返答に今度は僕が黙ってしまった。それは野元がここへ来たのは「いじめ」にあった自分を強くするためにだと感じたからだ。そしてその原因は僕であることを野元はわかって、僕を傷つけずに答えたのだ。
「それずっとしんどいだろ?」
 張り詰めた空気に耐えきれず、僕は話を逸らした。野元もそれを察して答える。
「うん、でも平気だよ。正座をすると落ち着くんだぁ」
「しんどいのに落ち着くのか?」
「しんどいと思うからしんどいんだよ。正しい正座を自分の型に入れれば、少し楽だよ」
「何にも教えてくれねぇのに、どう正しくすればいいんだよ」
 本音で言った言葉に野元は少し嬉しそうに答えた。
「やっぱり最初はそう思うよね? 僕もそう思った。僕だけじゃなかったんだぁ。えーと、確かにこの正座教室は変わっていて、先生が教えてくれることはあまりないんだぁ。自分で体験して、自分にあった正座を見つけていく。それを先生がサポートし、最終的に正しい正座へと導いてくれるんだぁ」
「なぜそう回り道をするんだ? 最初から正しい正座を教えてくれてもいいじゃないか?」
「ああしろ、こうしろ、それは違うと言っていくと、皆正座をするのが嫌いになっていくんだって。誰もが正座が好きで正座教室へ来ないから、完璧スタイルから正座に入ると誰も正座をしようって思わなくなるみたい」
「そういうものなのか?」
「そうだよ、もう一度正座やって見なよ。その為にここに来たんでしょ?」
 野元の提案に納得はいかないが、彼がなぜ正座を熱心に続けているのか気になっていた。俺はやらないよと言いながらも、彼の熱心な視線に負けた。
「やっぱり痛いな」
 正座をすると、足の甲がじわじわと痛くなっていく。顔が歪むほどの痛さではないが、心が落ち着かなくなってくる。
「木村くんは肩の力が少し入り過ぎだよ。もう少し楽にしてみて」
「こうか?」
「いいねぇ、後はもう少し姿勢を真っ直ぐにして…」
 姿勢を真っ直ぐにすると痛みは変わらないが、俯いた感情が少し晴れる気がした。
「なんか、ちょっと、さっきと感じが違うな」
「でしょ? 正座好きになるでしょ?」
 好きにはならないが、さっきよりはマシな気がする。
「痛いのは皆一緒なんだよ。でも気持ちを少しでも変えれば楽になるんだ。あとは…」
 道場の入口扉が開いた。皆一斉に顔を向ける。菊池先生が俯いた顔で歩いて行くのが見えた。ゆっくりと道場中央に行き、何も言わないまま正座をした。
 皆先生の第一声を待った。何かあったに違いないと表情でわかった。だから待った。でも先生は俯いた表情で正座を続けた。以前の僕のように。
「先生どうかしたんですか?」
 堪らず近くの生徒が声をかけた。
「あぁすまないね、心配かけてしまって。その、なんというか『正座侍』を閉鎖する事になったんだよ。皆すまないね」
 そよ風のようなか弱い声で確かにそう言った。他の生徒の顔を見れば、一目瞭然だ。
「何故ですか?」とさっきの生徒。
「すまない、理由は言えないんだ」
 その後先生は一人ずつ言葉を交わしていた。落胆する者が多く、先生を責め立てる者は誰もいなかった。
「木村君何も教えられなくてすまなかったね」
「僕が悪ガキで、言う事が聞かない。そのせいで教室が閉鎖するんですか?」
「そんな事はないよ…」
「じゃあ何故ですか? 僕が来た次の日に閉鎖するなんておかしいでしょ?」
 僕は激昂した。野元が制止する姿が横目で見えたが、なり振り構わなかった。僕は自分自身の弱さを全て先生のせいにした。自分の情けなさを他人にぶつけ、苛めていた野元が自分より輝いてことが許せなかった。
 全てが嫌になり、僕は道場をまた飛び出した。野元が後ろから追いかけて来たが、元陸上部の僕に追いつく事は出来なかった。


 僕は自分自身にイライラして泣いた。窓が開いていて時折風が鼻を掠めたが気にしなかった。気が付くと正座をしながら泣いていた。それは自分の戒めとかではなく、ただ落ち着きたかった。拳を膝の上に置き、目を閉じただ泣いた。数分後膝がじりじりとしてきたが、徐々に気持ちが和らいでいくのが分かった。
 部屋のノックに気付いた。母が姿を見せたが、泣いている姿に何も言わず、
「友達が来ているよ」
 とだけ言い、去っていった。
 突然の来訪者に戸惑いを感じたが、待たせているわけにもいかず、涙を拭いて玄関へ行った。そこに居たのは野元だった。
「急に来てごめんね、少し話をしたいんだぁ」
 野元の申し訳なさそうな声が階下へ響く。ここで玄関払いをすれば、父に怒られるに違いない。二階へ続く階段を指差し、無言のまま僕たちは階段を上がった。


 日が沈み、外には街灯が照らされていく。風が止み、車が通過する音がうるさかったので、ピシャと無言で窓を閉めると、野元は「突然ごめん」とまた謝った。
「正座侍先生が木村くんのせいじゃないって事を伝えて来て欲しいって言われて……」
「じゃあ何で先生が直接来ないんだ?」
 野元の発言に僕は怒りを露わにし、正座したまま言った。
「詳しくは僕も知らないんだけど、先生病気で入院するんだって。もう無理はできない身体みたいで…」
 野元も正座をしながら先程の僕のように拳を膝の上で握り締めた。
 僕は言葉を失ってしまった。自分の勝手な思い違いで、先生と野元に迷惑をかけてしまった。そしてその事を今気付いた自分を嘆いた。
「ごめん」
 人に対して初めて素直に謝った。心のわだかまりが抜けていくような感じがする。
「木村くんは悪くはないよ。誰のせいでもないんだからぁ」
 沈黙が続いた。足の甲が痺れてきて膝をモゾモゾとさせていると、
「辛くなったら正座しなくていいんだよ」
 野元の一言に救われた。胡坐をかき、ゆっくりと両肩を二、三度回した。
「ごめんな、いじめてしまって」
 心が軽くなったのか、自然とずっと言いたかった言葉が素直に言えた。野元に嫉妬していた自分を正し、弱い自分を許すことができた。
「いいよ、気にしてないし」
 野元も胡坐をかき、ゆったりとした姿勢で僕を見つめた。
「本当は嫌だったけど、正座侍先生に会えたし、こうして正座を通じて初めて友達になれたから嬉しいよ」
 野元は晴れやかにそう言った。初めての友達、野元はその言葉をより深く悩み続けていたのだろう。
「俺も『正座侍』に行って良かったよ。正座をする大切さとは言えないけど、少しは分かったかもしれない。そしてお前とこうして話もすることができた。謝ること、情けない自分を許し、成長することができた」
 言い終えた瞬間、少し疑問が浮かんだ。
「そう言えば何故『正座侍』って言うんだ? 野元もそう先生のことを呼んでいるようだけど?」
「あぁ正座をする姿勢が侍みたいだからだよ。その姿勢は勇ましく気品があり、誰もその姿勢を真似出来ないから、僕がそう名付けたんだ」
「それで『正座侍』なのか。先生も教室もなくなればその名は消えていくのか…」
「消えないよ。場がなくても、正座をしようと思う心があれば、いつでも正座ができる。正座がなくならない限り、『正座侍』の名は消えない。みんなで創っていくんだぁ」
 野元はゆっくりと立ち上がった。
「全て正座侍先生の教えなんだぁ。木村くんもきっとわかると思うよ……あっ、ごめんねぇ夕食前に割り込んで。そろそろ行かないと怒られちゃうね」
「良いさ、また、そのよろしくな」
 僕は少し照れ笑いした。野元のことが少し好きになった。部屋を出る前、野元は思い出したように言った。
「そういえば、木村くん親指を離さないように次回から正座してね」
「お前ホント正座が好きだな」
 僕は満面の笑顔で笑った。


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