[360]お江戸正座27


タイトル:お江戸正座27
掲載日:2025/06/06

シリーズ名:お江戸正座シリーズ
シリーズ番号:27

著者:虹海 美野

あらすじ:
おすえは干物屋の末娘である。おすえは愛想がなく、そのことでよく親に注意される。
そんなおすえの家のはす向かいに、陶器店諏訪理田屋の夫婦が越してきた。華美にせずとも容姿が整い、お商売を真面目にし、夫の文二郎にも大切にされているおつぎが、どうにも気に入らない。
ある日、向かいのご隠居さんのお三味線のお披露目会を干物問屋のお座敷で開くことになり、行く途中で下駄の鼻緒を切らせたおすえは、おつぎに助けられ……。

本文

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 おすえは干物屋の三女である。一番上の姉が婿を取って店を継いだ。二番目の姉は自分で相手を見つけて家を出た。商家の手代だという。二番目の姉は長屋暮らしだが、ご近所さんが皆親切で、大層楽しいという。もともと要領のよい二番目の姉は、朝から井戸の前で米を研いだり、洗濯したりしながら、ほかの家のおかみさんと持ちつ持たれつの生活を謳歌している。
 姉は三姉妹の長女故か持って生まれたものか、しっかりしていて、実家で所帯を持ってからも、その力を遺憾なく発揮し、両親と夫との関係も良好、財布の紐をしっかり握りながら、夫が羽目を外さぬ程度の自由を確保している。つまりは、姉二人は結婚し、うまいことやっているわけである。
 そうして、大概、末っ子の娘というのは、愛嬌があって、甘え上手、父に猫かわいがりされるものと思われているが、おすえは全くそれに当てはまらなかった。
 客が面白くもない冗談を言ったところで笑えるか、と思うと、客への態度を注意される。注意する父に、適当に反省する振りでもできればよいが、おすえはそれもできぬ。だから、角が立つ。大概がお母ちゃんや姉、義兄が間に入ってくれるが、その気遣いも、正直なところ感謝しておらぬ。
 ある時、父に呼ばれた。
 小さな店だから、お商売をしているお店の奥にある狭い部屋である。
 むすっとしている父の前で、おすえは居心地悪い思いで正座する。
 箸の上げ下ろしや、座り方、障子の開け閉めなんかには、やたらとうるさい家だから、おすえはこの時も、黙って父の前に正座した。
 背筋を伸ばし、着物を尻の下に敷き、脇は締めるか軽く開く程度、膝はつけるか握りこぶし一つ分開くくらい、足の親指同士が離れぬようにする。
 足袋なんかは普段履かないから、素足の親指同士がきちんとついているのがわかる。
 父は咳払いし、「おすえは、じきに十八になるな」と言った。
「はい」と、無表情で答える。
「これから先は、どうするつもりだ」
「……どうする、とは?」
「嫁ぎ先が決まるまで、うちにいるなら、それでいい。……だが、おすえ、今のままでは客の相手もきちんとできているとは言えない。もし、この先見合いの話がきても、そのような態度では、難しいのではないか」
 つまり、感じよくしろ、と言うのだろう。
 まあ、確かに世間では、にこにこして、感じのよい娘がほめられる。一緒になりたいという人も多く現れるだろう。
 だが、皆が皆、そんなにこやかな娘ではない。世渡り上手ではない。
 客の言った商品や勘定を間違えるわけではないのだから、それでいいではないか。
 不満そうな顔をする父と娘。
 ごはんよ、という母の声に、どちらもほっとしていた。


 そんな父の注意を受けて、面白くないおすえが、最近、なんだか腹立たしく思うのが、はす向かいで陶器店、諏訪理田屋を開いた夫婦である。
 確か夫は文二郎、妻はおつぎと言った。
 引っ越しのあいさつには、夫の実家の商いで取り扱っている茶葉を持って来てくれた。菓子の方がよかった、と内心思ったおすえであったが、滅多にない来客の折、丁度茶葉を切らし、このいただきものの茶葉を使ったのだが、淹れた時の香りの良さに驚いた。
 ふっと心軽くする香りである。
 そして、鮮やかで深みのある色合い。
 あいさつの折、あの奥ゆかしい夫婦は、これからよろしくお願いします、と茶葉を差し出し、帰っていった。こっちも、受け取って、ご丁寧にとお礼を言ったが、茶箪笥に乱雑に仕舞った。使いかけの茶葉があったから、それが終わったら、買い足さなくていい、くらいに考えていた。もうちょっと気さくというか、この先親しくしていくことを考えている夫婦なら、『いい茶葉ですよ』くらい冗談交じりに言ってもよさそうだ、と、よいものを貰っておいて、勝手にあの陶器店の夫婦を気取り屋で気が利かない、などと穿った見方をしたくなる。
 茶を盆に載せ、奥の間の襖を開けると、すっと伸びた背が見えた。
 背筋を伸ばし、脇は締めるか軽く開く程度、着物を尻の下に敷き、足の親指同士が離れぬように。
 そうして、茶を前に出せば、膝はつけるか握りこぶし一つ分開くくらいで、太もものつけ根と膝の間で指先同士が向き合うように揃えられた手が視界に入った。
 父が「どうぞ」と勧め、茶を口にすると、「いただきます」とその人は言った。
 そうして、「ああ、こんなにおいしい茶は初めていただきました」と言った。
 大げさではないが、心を込めた声であった。
 おすえはふと、顔を上げた。
 うちが品を卸してもらっているうちの一つの干物問屋で、確か代替わりのあいさつだと聞いていたが、こんな二枚目だとは驚きだ。
 干物問屋の若旦那は、穏やかに微笑み、「おいしいお茶をありがとうございます」と言った。
「いえ、いただきものの茶葉ですから」と答えると、「おすえ!」と、小さく、咎めるお父ちゃんの声と、あっはっはっは、という明るい笑い声が同時に狭い部屋に響いた。
「……失礼します」と、おすえは動転しながらも、平静を装い、部屋を出た。
 ああ、こういう時に愛想というのは、持っていると便利なんだなあ、と思う。
 だが、それができぬ。
 ふうと、ため息をついた。
 お母ちゃんに店番を代わるように言われ、店の方に出る。
 そうすると、向こうから、野菜の入った籠を抱えた、はす向かいの陶器店、諏訪理田屋の妻、おつぎが通りかかり、目が合うと、丁寧に頭を下げる。
 おすえも、渋々それに合わせる。
 このおつぎという妻、年はおすえと同じ頃であろう。
 やたらと顔を白く塗っている女子(おなご)と違い、このおつぎは全く化粧をしていない。眉の手入れもさほどしていないのだろう。一歩間違えば野暮ったいはずだが、顔立ちが整っているので、何もつけておらぬのが、かえってその良さを引き出しているのだ。
 そうして、何よりもおすえが腹立たしいのが、このおつぎ、とても感じがよいのである。
 今の会釈だって、飾り気はないのに、どこか品がある笑顔で、如才ない。
 そうして、とても人柄がよいのだ。
 見ていると、何も買わぬ客にも丁寧に接しているし、高齢の客がいくつも買い物をすれば、それを持って送ることもあるようである。陶器はそこそこに重いはずだが、全くそれを表に出さぬ。ご老人が何かを言えば、適当に合わせるふうでもなく、ひとつひとつを真面目に聞いて返している。
 つまり、文句のいいようがない。
 それが、おすえには気に入らないのだ。
 感じよくしろ、と実家で言われ、それを素直に聞けぬ自分からすると、妻になり、しっかりお商売をして、見目もいいし、全く派手さもないし、恐らく、浪費もしないのだろう。
 そうして、ついでにというか、もっともおすえがおつぎが気に入らぬ、と思うのは、おつぎの夫であった。
 あの飾り気がないけれど美しく、実直で優しい人柄を十二分に理解しているらしいおつぎの夫、文二郎は、何かと「おつぎ、おつぎ」と呼ぶ。
 ああ、そんなに重いものを持って疲れたろう。
 無理をするなよ。
 今日は買い付けのついでに櫛を買ってきたんだ。
 そんな調子である。
 そうして、おつぎは夫の気遣いなんかに対し、短く、大丈夫です、と短く答え、土産がある時には、私にこのような贅沢なものを、と言う。
 こうして思い返すと、ずいぶんとはす向かいの夫婦をおすえは観察している。
 好きでないのなら、無関心でいればよいものを、それがおすえにはできぬ。
 散々はす向かいの陶器店の夫婦を見ておきながら、おすえは、「そういう夫婦仲の良いやり取りは家の奥でやって」と思うばかりであった。


 ある日、「おすえ、おすえ」と、お母ちゃんがいつもの疲れた、やややる気のない声とは違った、本人なりに張りのある声で呼んだ。
 ここを片づけておいて、とか、そこを掃いておいて、とか、そういう時の呼び方とは異なる。
 饅頭でも買って来たのかと、おすえがお母ちゃんの元へ行くと、何やら普段眠そうに見える目を本人なりに大きく見開き、頬を紅潮させ、興奮した様子である。
 一体なんだというのだ。
 羊羹でもあるのか。
 大概、おすえの家は喜ばしいこと、というのは、何かおいしいものが手に入った、という場合である。
 左団扇で、いつでも高い菓子なんかを食べられる家ではないから、そういうことが家族の幸せである。
「今行くから」と言いつつ、狭い家なので、すぐにお母ちゃんの元につく。
 すると、お母ちゃんはその笑顔で、なぜか「そこにお座り」と言う。
 何かしでかした、説教の時に言う言葉だ。
 それを今、なぜ、その様子で言うのか……。
 解せぬまま立っていると、「早く、お座り」と言う。
 ここで機嫌を損ねると、面倒くさい。
 お母ちゃんの機嫌が悪いと、家族中に迷惑がかかる。
 しぶしぶ、おすえはそこに正座した。
 背筋を伸ばし、肘はつけるか軽く開く程度、着物を尻の下に敷き、膝はつけるか握りこぶし一つ分開くくらい、手は太もものつけ根と膝の間で指先同士が向き合うように揃える。足の親指同士が離れぬようにする。
「うん、大丈夫そうだね」とお母ちゃんが言う。
「ああ、お義母さん、あの話ですか」
 義兄が買い付けから戻り、笑顔で言う。
 このうちで一緒にやっていけるくらいの人であるから、もともと感じがいいのだが、今日の義兄は、何か笑いをこらえるような節がある。
 一体なんだと言うのだ。
「ああ、お疲れさん。茶箪笥に、饅頭があるからね」
 ……饅頭があったのか……。
 うらめしい目でお母ちゃんを見上げると、お母ちゃんは全くそれに介せず、「今度ね、向かいのご隠居さんがお三味線を披露するので、この前来てくださった干物問屋の広い座敷を借りて、そこへ皆で聞きに行くんだよ」と言う。
「ふうん」
 そんなもの、聞きたい人がいるのか。
「まあ、みんなって言ってもね、お商売もあるし、全員でとはいかない。だから、うちからは、おすえが行ってきておくれよ」
「えー!」
 おすえは明らかに不満の声を漏らした。
「桟敷席で見る芝居ならともかく、向かいのご隠居さんのお三味線でしょう? そんなのお母ちゃんが行きなよ」
「私は店があるでしょう」
 それを言うのなら、しょっちゅう呼びつけて店の番をしているおすえにだって同じことが言える。
 もし、桟敷席の芝居だったら、自分が行くくせに……。
 だが、これ以上何かを言ったところで、もうおすえが向かいのご隠居さんのお三味線を聞くことは決まっている。
 溜息をつき、「行かせていただきます」と、それらしく頷いた。
「決まりだね。ああ、着物はお母ちゃんが選んで出しておくから、そこらへんのを着て行くんじゃないよ。足袋も履いてね」
 そこらへんのって、いつも、そこらへんのを着てしか顔を合わせていない向かいのご隠居さんである。
 そんな気遣いが必要なのか……。
 思うことは多々あったが、おすえは頷いておいた。


 いつものように、店の前を掃いていると、ちょうどはす向かいの陶器店諏訪理田屋のおつぎも店の前を清めていた。
 互いに軽く会釈する。
 ざっ、ざっと、箒を動かす音がする。
 ここで同じ年くらいの女子(おなご)同士なら、立ち話、といくところだろうが、このおつぎは、全くそういうことがない。夫の文二郎とは親し気に話しているが、もう、ここへやって来て三月が経とういうのに、周囲に溶け込もうという気配が感じられぬ。
 そうしておすえが適当に箒を動かしている間に、おつぎはきれいに店の前を掃き清める。言葉数は少ないが、丁寧な人だ、というのは、もうずいぶん前から気づいていた。多分、実家でしっかりとしつけられたのだろう。
 まあ、おすえも同じようにしつけられはしたかも知れぬが、それに従う気がない。
 だから、今もおすえの家の干物屋の前は掃き掃除をしても、それほどきれいではない。
 そこへ、向こうから、このご近所の味噌屋と酒屋の娘二人が話しながらやって来た。年はおすえと同じくらいで、どちらも実家住まい。まあ、昔からの顔馴染である。
「ああ、おすえちゃん」と、二人が走り寄って来る。
「久しぶりね。元気?」
「久しぶりって、前に会ったの、五日前くらいじゃない?」
 あっはっは、と味噌屋の娘が笑う。
「五日って、結構久しぶりよ。ねえ」とおすえが返せば、「昔、おすえちゃん、朝会って、夕方もう一度会っても、久しぶりって言ったじゃない」と酒屋の娘が言う。
 そこで三人笑っていると、その肩越しに、陶器店諏訪理田屋のおつぎがそっと気配を消すようにし、店に入って行くのが見えた。
「ねえ、あの人、どうなの?」と、酒屋の娘がおすえに訊く。
 どうなの? という問いの先は、わかっている。
 おすえが心の奥で思っているのと、同じことを、酒屋の娘も味噌屋の娘も思っている。
 新参者で、同年代の娘。
 しかもご新造さん。
 まず、褒めることはない。
 なんとなく、面白くない、というのが本音である。
 仲良くなれば、話は別だが、その気配はない。
 そもそも、向こうから、こういう時に、あいさつがてら話に入ることもなし、だんだんと距離を縮め、うまくやっていこう、という意図が感じられぬ。
 だから、つい、こっちも、だったら構わない、というような心持になる。
『あの通り、感じがよくないのよ』
 そんな言葉が出かかる。
 けれど、その言葉は、ふと己に打ち返る。
 もし、自分が住み慣れた実家を離れ、どこかでやっていく時、にこにこと愛想よく、もう出来上がっている人の輪に入れるだろうか。
 そう考えると、本当は心の中に山のようにあったおつぎへの悪口は、言葉として、発せられなかった。
 代わりに、「真面目な人だと思う。お商売も頑張っているわ」と答えた。
 二人はやや鼻白んだ様子だが、「偉いわね」、「若いのに」と言い、頷いたのだった。


 さて、お向かいのご隠居さんのお三味線ご披露の日がやって来た。
 干物問屋のお座敷を借りると聞いているが、どうせ、歩いてすぐのところである。
 一日がかりの芝居でもないのだから、普段の着物のままでいいと言うのに、お母ちゃんは、よそ行きの着物を出した。よそ行きと言っても、普段着ている着物と違うもの、というくらいで古着屋で買った木綿だが、それでも毎日袖を通している着物とは匂いや肌触りが違い、何やらそわそわした気がしてくる。
 そうして、新品の足袋を履き、いつもの素足と違う感触で、髪にはお母ちゃんのとっておきの櫛を挿してくれた。お母ちゃんはお姉ちゃんに「ねえ、ちょっとあの簪、おすえに貸してやってよ」と言ったが、「嫌よ。失くされたり、壊されたりしたくないもん」と冷たい返事である。「ちょっとそこまで付けていくだけでしょう。長旅に付けるでもなし……」とお母ちゃんは食い下がったら、「貸さなければ、絶対に失くされたり、壊されたりしないけど、貸せばそういうこともあるでしょう」と、これまたきっぱりと返された。まあ、その簪、姉が夫に贈ってもらった大切な品で、もう若い娘ではないから付けられないにしても、仕舞っておきたい気持ちもわかりはする。
「全く、こんなに冷たい娘だったとはね」とお母ちゃんは言うが、「もともと、お母ちゃんが買ってくれたものなら考えるけど、これは無理よ」とまたしても姉はすげなく返す。こういうやり取りの時、おすえは完全に蚊帳の外である。昔から、長女である姉は、お母ちゃんにとって、とても近い存在であったように思う。長女の姉がお母ちゃんを隣で支え、次女の姉がお母ちゃんと向き合っておしゃべりするとすれば、おすえは、その三人から見られる図であるように感じる。時として、見られるが、ちょっかいを出すとか、からかわれるとかで、それでおすえが怒ったり、すねたりすれば、三人が笑いながらおすえの気を紛らわすのに、饅頭なんかを持って来るのが常であった。
 そんなことを思い出しながら、着物を替え、お母ちゃんの櫛を挿し、家族に見送られ、干物問屋を目指し、おすえは出かけたのだった。
 柔らかな風の吹く、気持ちのよい日であった。
 おすえなりにめかし、化粧品屋なんかをちょっと見ながら、歩を進める。
 そうして、もう少しで干物問屋に着く、という時であった。
 あちこち、周囲を見すぎたのがいけなかった。
 道のくぼみに躓いた。
 はっとして、両手をつく。
 手に砂埃がついたくらいで、大したことはなかったが、気づけば履物の鼻緒が切れている。
 財布に少し入ってはいるが、この近くに鼻緒を売っている店も、下駄屋もない。
 足袋で歩けば、あっという間に足袋の裏が汚れる。
 はあ、とおすえは溜息をついた。
 決して楽しみなお披露目会ではないが、お母ちゃんが準備して送り出してくれたのに、これで帰って来ては、がっかりさせてしまうだろう。
 普段、あんまりお母ちゃんの言うことに感じよく応じてはおらぬが、やはりこういうことがあると、心が痛むものである。
「大丈夫ですか」
 静かな声がした。
 顔を上げると、おつぎであった。
 こんなに間近で見るのは初めてだが、きめの細かい肌をしている。
「こんにちは」と、おすえはひとまず言った。
 こういう時、一番会いたくない相手であった。
 この前の酒屋の娘や味噌屋の娘なら、「ちょっと大丈夫?」とか、「もうどうしよう」なんて話して、困っていながらも、明るく応じられるところである。
 おすえは、おつぎとこれ以上話すつもりなく、この場を去ろうと、鼻緒の切れた下駄を足になんとかひっかけて、歩こうとした。
「あの、鼻緒が」とおつぎが言う。
「ああ」とおすえは、小さく答えた。
 いつも店の前で顔を合わせても、あいさつ以上のことをしないのだから、放っておいてほしい……。
「これから、どちらかへ行かれるのではないですか」とおつぎは訊く。
 控えめでありながら、親切で優しい口調であった。
 心に張り巡らせていた意地が、消える。
「お向かいのご隠居さんが、お三味線のお披露目会を干物問屋のお座敷でするそうなの。それに呼ばれて」
 そこまで答えて、おすえははっとした。
 おすえの家の向かいのご隠居ということは、はす向かいであるおつぎの家とは隣同士である。
 うちに声がかかって、おつぎのところには声がかからぬ。
 まあ、おつぎたちが越して来て、まだそう経ってはいないのだから仕方がないのだろう。 
 だが、やはり心に影は差す。
「あの、よかったら、一緒に行きませんか」
 何を言っているんだ、私は……。
 そう思いながら、言葉は止まらぬ。
「まあ、そんなにお上手かどうかわからないけど、一緒に行けば、知っている人もいるだろうし……」
「ありがとうございます」
 静かなおつぎの言葉で、おすえは黙った。
「とても、嬉しいです。私はこれから店の方にすぐ戻ると言って出ましたので」
「そう、ですか」
 本当かどうかはわからぬが、頷いておく。
「それより、お披露目会はもう始まるのではありませんか」
「ああ……」
 おすえは切れた鼻緒を見て、曖昧に返事をした。
 一緒に行きませんか、も何も、自分は今、鼻緒を切らしている。
 すると、おつぎが、「この鼻緒でしたら、お着物と合うと思います。よろしかったら、お披露目会から帰るまで替えましょう」と言い、自身の下駄を脱いで、おすえの前に出した。
「でも、そんな、それじゃあ……」
 おつぎは懐から手拭を出し、それを小さく切った。
「そちらの履物をお借りして、間に合わせの鼻緒を付けてもよろしいでしょうか。私は鼻緒を付けて、その履物で家まで帰ります」
「そんな……、そこまでしてもらうのは悪いよ……」
「大丈夫ですよ」とおつぎは言う。
 そうして、おつぎの前にかがみ、先ほど脱いだ自身の下駄を履かせる。
「大きさも良いようですね。さ、早く行かないと遅れてしまいますよ」
 おつぎはそう言うと、脱いだおすえの履物を手に、先ほど割いた手拭の切れ端で即席の鼻緒を用意し始める。
「すみません、ありがとう」
「いいえ。気を付けて」
 おつぎはそう言い、おすえを見送ってくれた。


 さて、干物問屋の前では、ご丁寧に若旦那が待っていてくださった。
「もう、みなさんお集まりですよ」
「まあ、すみません」
「いえ、ご隠居さんのお披露目は大義名分、みんなここぞとばかりに集まって、あれこれ話しこんでいますよ。ご隠居さんもその輪の中にいるのだから、心配ありません」
「それは助かりました。みなさん、だんまりでお待たせしては、とても入って行けませんから」
 ささ、どうぞ、と若旦那に促され、おすえは履物を揃え、座敷に上がった。
 揃えた履物をふと振り返り、おつぎのことが過った。
 座敷では、並べられていた座布団を好き勝手に移動させた顔見知り達が、楽し気に話していた。そうしておすえを見ると、「おお、来たか。来たか」と手を上げる。
「遅れて、申し訳ありません」
「どうしたんだい。来る途中、おすえちゃんのお母ちゃんに会ったら、『もう出かけました』と言ってたのに」
 ご近所はよくも悪くも、世話焼きである。
 適当に流そうと思ったが、おつぎを思い出したおすえは、つと小さく呼吸し、ご近所さんを見た。
「実は来る途中に鼻緒を切らせてしまって」
「そりゃ大変だ」
「けがはなかったかい?」
「それで、どうしたんだい」
 ……矢継ぎ早に返事が来る。
「うちのはす向かいの陶器店、諏訪理田屋さんのご新造さん、おつぎさんに助けてもらったんです。おつぎさんが、ご自分の履物と私のを替えてくださって、自分は私が鼻緒を切らした履物を手拭の切れ端でつけて、それを履いて帰るから、早くお披露目会に行くようにと」
 ほう、それはそれは、できたおひとだ、と皆が言った。
「そうなんです。本当にいい方です」
 心の中では、できすぎて、好きじゃない、と散々思っていた相手だが、皆の前でおつぎのことをありのままに言い、皆が褒めるのを見ると、それまで心に留まっていたもやもやした感情がきれいに消えた。
「おすえさんは、いい方ですね」と、若旦那がそっとおすえに言った。
「いい方はおつぎさんですよ」とおすえが返すと、「そういうことではなく、誰かを褒めるのは、なかなか簡単なようで難しい」と若旦那が言う。
「そうでしょうか……」
「おすえさんは、お名前の通り、心の据わった、しっかりとした人ですね」
 ご存知だったのですか? と訊き返そうとしたが、ご隠居さんのお三味線の準備が整った。
 促され、用意された座布団に正座する。
 背筋を伸ばし、着物を尻の下に敷き、脇は締めるか軽く開く程度、膝はつけるか握りこぶし一つ分開くくらい、手は太もものつけ根と膝の間で指先同士が向き合うように揃え、足の親指同士が離れぬように。
 やや調子はずれだが、楽しそうな音色が座敷に響く。
 こうして集まるのも、面倒に思えたが、来てみれば悪くないものだ。
 そのうちにおつぎ夫婦もこの輪に加わるだろう。
 今度は事前におすえから誘ってもいいだろう……。
 そうして、おすえは先ほどの若旦那の言葉を思い出した。
 おすえは、三姉妹の末子だ。
 だから、おすえという名だと思われることが多い。
 だが、生まれたおすえを見たお父ちゃんが、この子は聡い目をしている。しっかりと考えのある、肚の据わった子になるよう、おすえにしよう、と言ったと聞く。お母ちゃんは、そんな、店の旦那さんになるわけでもないのに、そんな由来の名にしたら、愛想のない子にならぬか心配です、と言ったらしい。これは、お母ちゃんの言った通りになったか……。

 おすえがおつぎにこの話をするのは、少し先のことである。
 そうして、自分も次女だから、おつぎという名だと間違えられるが、本当は器の金継ぎから来ているおつぎである、とおつぎは教えてくれた。
 口数の少ないおつぎが、名の話をしたところから、おすえには心を開いてくれたような気がしたのだった。
 そうして、幾度も幾度も少ない会話を重ねるうちに、実は似たもの同士だった、と気づく。
 だが、それを知るのは、周囲のごく限られた人と、たまにやって来る干物問屋の若旦那くらいであった。おつぎとおすえについて、どこかの人の輪で取り上げられることは殆どなかったが、特に干物問屋の若旦那は、周囲が騒いで二人の静かなつながりが絶えてしまわぬように、と用心深く、口をつぐむのであった。

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