[22]正座の記憶


タイトル:正座の記憶
発売日:2017/07/01
シリーズ名:須和理田家シリーズ
シリーズ番号:1

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:32
定価:200円+税

著者:虹海 美野
イラスト:時雨エイプリル

内容
平成に年号が変わり十年と少しが経過した就職氷河期時代、女子大生のスグルは十一月に入った今も就職先が決まらない。
そんな時、同居していた祖父が入院先の病院で他界する。
祖父の思いを汲んで通夜、葬儀が自宅で執り行われ、今日は四十九日の法要が行われる。
和室で席を詰めたために正座している足が痺れはじめたスグルは、この和室で過ごした祖父との思い出を回想していく。

販売サイト
販売は終了しました。



本文

当作品を発行所から承諾を得ずに、無断で複写、複製することは禁止しています。


 これは平成に年号が変わり数年が経過した頃の、古き良き時代の名残り漂う昭和に小学校時代を過ごし、平成に思春期、大不況の中の就職活動をどうにかこうにか頑張る女子、須和理田スグルの正座にまつわる物語である。
 スグルは二十二歳の女子大生である。スグルが高校生になる頃には世間での求人は一気に減り、就職氷河期という言葉が頻繁に新聞に載るようになった。就職氷河期は依然変わらぬままスグルは大学四回生になり、十一月に入った現在も就職先が決まらない。まだ世間はポケベルやPHSの使用率も高く、入社試験の結果は自宅の電話が定番だった。次の試験に進めれば夜何時までに連絡が入り、それまでに連絡がなければご縁がなかったという方法のこともあり、スグルは帰宅後も気の抜けない日々を送っていた。もっとも、そうした一定規模での新卒者対象の就職試験は夏の終わりにはほぼ終了し、現在は若干名の募集をかけている企業の説明会に入りきれないほどの学生が押し寄せている。その中から自分が選ばれることがないと自覚しつつも、スグルは毎回最善を尽くすべく面接に挑んでは、また新たな募集をかけている企業を探すことを繰り返している。
 同居する祖父が入院先の病院で永眠したと報せを受けたのは、そんな就職活動に疲弊し、自己評価も気分も下降の一途をたどっていた一ヶ月と少し前のことだった。
 祖父の他界は、慌ただしい家の中の様子で理解できたが、思考は完全に追いつかない。
 もう何年も会っていない親戚や、初めて会う人が続々と家へやって来て、業者の方により準備が進められ、通夜と葬儀が執り行われた。
 須和理田家一階の和室を使用して行われた通夜と葬儀でお経をあげてくださったのは、来客控室で祖父について家族に尋ね、雑談を交わした穏やかでありながらトレンドにも何やら詳しいご住職だった。葬儀会場でお葬式を行うことが一般的となった昨今ではあるが、須和理田家は自宅で祖父の通夜と葬儀を執り行った。こうした時のためにと庭に面して大きく開く硝子の引き戸と縁側の設えられた二間続きの和室を祖父は作ったらしく、須和理田家はその意図を汲んで自宅での通夜と葬儀を選んだ。和室で須和理田家一族は焼香に来てくださった祖父や家族にゆかりのある人に正座をして頭を下げた。もう何十年と付き合いのあるご近所の方も来てくださったのがありがたかった。
 今日は祖父の四十九日の法要を執り行うことになっている。
 この前と同じご住職が自家用車でやって来て、事前に須和理田家名義で借りておいた近所の駐車場へ両親が案内する。
 その間にスグルは和室に人数分と思しき、つまり家にあるだけの来客用座布団を並べる。
 和室はご住職のために用意した大きな座布団の後ろに、ずらりと通常サイズの座布団が敷き詰められた状態になる。
 ご住職が両親とともに家に入り、そのタイミングでスグルはご住職のお茶を入れる。
 おもむろにご住職が仏壇前の特製のふかふか座布団にきらびやかな袈裟をまとって座する。お供えのお花をよけ、ご住職にお盆に載せたお茶をお出しした。兄が祖母と来客の待つ部屋へ行き、ご住職の到着を知らせる。祖母と両親がご住職のすぐ後ろの席に座り、その隣に兄も座る。
 血縁者たちと束の間近況報告をし合っていたご老齢の来客方が、和室一面に並べられた座布団に腰を落ち着ける。この家の娘として来客を気遣い、兄の方へと詰めたスグルは座布団と座布団の間に正座するかたちとなった。しまった、と思った時には遅い。これは、確実に足が痺れる正座だ……。


 スグルの緊張をよそに、ご住職はこちらに背を向け、背から首筋まですくっと伸ばして正座している。さすがにご住職ともなると正座の姿勢も素晴らしい。兄からスグルへお盆でまわってきた焼香を済ませ、叔父へと渡す。
 スグルはご住職の読む淀みのない調子のお経と、独特の緊張感から突如湧き起った笑いをどうにか口の中に抑え込んだ。足の親指から少しずつ冷たくなっていくのがわかる。痺れている。今、確実に足は痺れの一途をたどっている。リズミカルな木魚も加わりスグルは上下の唇を歯の内側に挟み込み、俯いて神妙な面持ちを作った。
 なんとか気分を逸らすために、部屋を見回す。思えば幼稚園の卒園式も、お参りした神社での七五三でも、小学校の入学式でも、卒業式でも……と、常にスグルは荘厳な雰囲気が少しでも漂う場所に出ると、周囲の人(後方含む)を観察したり、わけもなく天井を眺めたり、時には今のように笑い出したくなるのを我慢して時を過ごしていた。
 今日のこの和室は、スグルの慣れ親しんでいる自宅の部屋ではなく、祖父の法要のため遠方よりやって来たご老齢の来客方の訪問を受け、大小さまざまな黒い背が並んだ法要の場となっている。お年寄りからはなぜか似た匂いがするとスグルは子どもの頃から思う。お線香と、日本茶の茶葉を茶こしに入れる時の乾いた香ばしさが混ざったような匂いが、スグルにとってのお年寄りの匂いで、それは自宅の祖父母もそうであり、お年寄りの集うところでは、大抵同じであり、和室にもその匂いが漂っているとスグルは無意識に鼻を心もち上に向けて確認した。
 この和室は日当たりがよく、家具はほとんど置かれていない広々とした部屋で、兄とスグルの幼稚園から中学校までの家庭訪問で先生を通すのは大抵この部屋だった。スグルが幼い頃に、お祭りで釣ったヨーヨーがしぼみ、小さく開いた穴から水をピューっと庭へ向けて飛ばすのに熱中した際に、他に穴の開いたヨーヨーはないかと探しあぐね、祖母の裁縫の針でヨーヨーを刺し、パーン!という音とともにヨーヨーの丸みを帯びたフォルムは掻き消え、畳に水が飛び散った中で茫然としたのもこの部屋だ。
「新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と正座して手をつき、家族内での改まった挨拶もこの部屋でした。思い返してみれば、この部屋と正座はとても密な関係だったとスグルは思う。


「スグル」と祖父が階段下から二階にいるスグルを呼んだのは、スグルが小学校二年生くらいの頃だっただろうか。囲碁が得意な祖父は、スグルに幼い頃より囲碁を仕込もうと考えたらしかった。手先が器用で家のちょっとした修理から野菜作りまで得意な祖父は、囲碁の腕も相当なもので、賞状が額に入れられ、この和室に当時から飾られていた。
 呼ばれて和室に行くと、中央に碁盤、その上に碁石の入った木製の入れ物が二つ置かれている。祖父が下座に座り、スグルが座る向かい側にはふかふかとした臙脂の座布団が用意されていた。碁盤は小さなテーブルほどの高さがある立派なもので、祖父がとても大切に扱っていることをスグルは知っていた。
 祖父は囲碁を始める時には正座し、「お願いします」と頭を下げることをスグルに教え、スグルはそれに倣い、祖父も「お願いします」と頭を下げた。
 六十も違う囲碁の上級者である祖父がそうして正座し、改まる様子をスグルはどこかで受け止めかねていて、けれど祖父のスグルに教えたいことがたくさんあるという気持ちは理解できた。すぐにでもなんでもできるようになりたいと子どものスグルは思う。祖父は碁盤の目のことから、碁石の白と黒についてをスグルに簡潔だけれどわかりやすく説明した。最初はいくつかの石を動かすところからだった。祖父の中では、その次も、その次も教えることが、どこまでも折り目正しい祖父の収納のように並んでいたのだろう。
 あの後、何度か祖父と碁盤をはさみ、あのふかふかの臙脂の座布団に正座をして囲碁をした。
 けれど、その記憶はそこで途切れる。
 友達との約束、しなければならない勉強。
 きっと祖父は時折スグルに声をかけようとしては、スグルの余裕のない様子を察してはそのまま部屋に戻ったのだろう。スグルの方からも、囲碁を習うことを切り出さなくなった。
 いつか囲碁が上達したら、この上等な碁盤はスグルにあげると言っていた祖父との約束は果たされなかった。
 時間を作れば、続けられたのかも知れない。
 けれど、スグルはそうしなかった。
 自身の不甲斐なさにスグルは思わず俯く。
 何をやっても、駄目な人間で、駄目な孫だ、と思う。
 スグルは極めて地味で大人しく、子どもの頃は通常の学年より二学年下の平均身長、平均体重であることが常だった。
 スグル、スグル、とスグルが幼い頃よりスグルに目をかけ、祖父はスグルを可愛がってくれた。無邪気にそれを受け止められたのは、今から遡ること、幼稚園くらいまでではなかっただろうか。
 いつの頃か、祖父に目をかけられる自分は外の世界では下位に属しているという思いが心の中に常駐するようになった。
 祖父は兄とスグルの運動会も学芸会も楽しみにしていつも両親、祖母とともに見に来てくれていたが、スグルはそうした子どもにとっての晴れの場で活躍した記憶も目立った記憶もない。兄は時折リレーの選手に選ばれていたが、本当に須和理田家の子どもの活躍というのはその程度だった。それでもその日の夕飯の席で祖父は兄とスグルを同等に褒めた。祖父がスグルを褒める時、次第にスグルは俯くようになった。自慢できるような要素の挙げられない孫なのに、祖父は意に介さずにスグルを無条件に肯定する。
 祖父が囲碁をスグルに教えようとしてくれていた時、一見平和に見える小学校時代を送るスグルは二年ごとにあるクラス替えのたびに再編成される女子数人ずつの集団同士で行われる駆け引きや些細な諍いに注意し、予習、復習をしないとすぐにわからなくなる算数に苦労していた。普通にクラスの女の子と渡り合って、勉強が標準的にできていれば、祖父との囲碁を続けられたのではないか。そういう時間を作ろうと努めようとしない程度の子どもであったことをスグルは今更ながらに不甲斐なく、不甲斐なく思う。
 スグルなのに、全然優れていない自分……。
 就職を決めて、祖父を安心させたかった、と思う。
 さっきまで堪えるのが苦しかった笑いは掻き消え、その時のまま噛んだ唇を、スグルは溢れそうになる涙をこらえるために再び噛みしめる。
「どんなおじいちゃんでしたか?」と、今お経を読んでいるご住職は通夜の前に兄とスグルに尋ねた。
 囲碁がうまくて、手先が器用で、以前は畑を借りて野菜を作っていました。自転車がパンクすると、翌日にはパンクが直った状態で庭に出ているんです。おじいちゃんが黙って昼間直してくれていました。小さい時には自転車に子ども用の椅子をつけて、一緒にお菓子を買いに行ったり、デパートまで行って、屋上で遊ばせてくれて、食堂でお昼を食べて帰ってきました。高校に合格した時も、大学に推薦合格できた時も、とても喜んでいろんな人に話していました。
「お孫さんと、とても仲がよかったのですね」
 正座をして手元を見ながら話していたスグルはそこで顔を上げ、穏やかで物静かなご住職の細められた目を見た。
 明るく「はい」と答えたはずの声が震えた。
 喉の奥が熱くなって、こくんと喉を鳴らすと、それに押されるように涙があふれてきて、瞼のところで留めた。兄もそれは同じだったのか、普段以上に言葉少なになり、ここでご住職との会話は終わった。
 本当はもっとたくさんの語れることがあった。伝えたいことがあった。けれどそれは夢の中で大声を出しても思うような声が出せない時のように、発信することができなかった。心の内の縁に押し寄せ、押し寄せて、言葉を追い越していく。


 小さな頃、スグルは祖父の自転車のハンドル部分につけられた子ども用の椅子に乗り、祖父と一緒に出掛けた。力強く漕ぎ出されるペダルとともに、ぐん、と風が顔に向かって来るのを覚えている。
 祖父と外出することが減ったスグルは、時折大通りを走るバスに祖父や祖母に似た人が乗っているのに気付くことがあった。帰ってから聞くと、その日祖父や祖母がバスに乗っていたこともあり、人違いだったこともあった。
 その頃からだっただろうか。スグルはバスや電車で祖父母に近い年代の人に気付くと席を譲ることが日常となった。単純に年を重ねた人に席を譲るという考えがあったのとともに、今、スグルが席を譲ることで、祖父母がバスに乗る時同じように誰かが祖父母に席を譲ってくれるのではないか、と半ば自己暗示的であり、願いであり、祈りのような思いがあった。
 重ねられる年月に伴う兄やスグルの成長を祖父母は尊び、目を細める。その一方で年月には抗いようのない移ろいがあり、スグルに心の奥が痛くなるような感情を確実に植え付けていた。
「おじいちゃん、おじいちゃん」とまとわりつくこともなくなり、家でも顔を合わせる機会が減ってきていた祖父へ向かうスグルの心は驚くほど変化がなかった。
 今でこそダイエットにも関心を抱く、ごく標準体型になり、地下鉄の乗り換えも迷わずにできるようになり、スーツも一人で買いに行ける「一般的な女子」を僭越ながら自称するスグルの中には、今でも子どもの頃の、学校では心細い自分がいる。明日が休みという日は、いつも走って帰っていた。日当たりのいい玄関、よく磨かれた板の間。その先にある光が部屋の奥の襖まで届く和室。冬でも日差しに照らされて暖かい畳に寝転がった時の安心感、幸福感。ここは、何も自分を傷つけるものがないと本能的にわかっていた。
 果てしなく安心できるこの場所で、祖父の通夜と葬儀を行い、今日は法事を行っている。
 背筋を伸ばし、碁盤の向かい側で正座する祖父をスグルは思い出す。
 穏やかで、頼もしく、ずっとそこに居てくれるような気がしていた。
 祖父が他界して一ヵ月以上経った今も、昼間の街でバスを見かけると、スグルは祖父の姿を無意識に探す。
 そしてふと、よく晴れた冬空を見上げ、天国へと発車するバスがあるのではないか、と想像する。
 そこに乗る祖父が笑顔でいますように、座れていますように、と願う。
 スグルは心の中で溜息をついた。
 他界した祖父に今尚、そんな心情を読み取ってもらい、大丈夫、おじいちゃんはわかっているよ、とスグルの不義理と後悔と祖父を慕う心の理解を求めようとしている。
 碁盤を挟んで正座をしていた祖父は、最終的にスグルが勝てるようにうまく試合を運んだ。
 そして碁石を片付けると改まり、「ありがとうございました」と礼をする。
 あの時、スグルのつたない囲碁を見守るように、祖父はスグルの現状も未来も見通しているような気がして仕方がない。
 おじいちゃん、と心の中でつぶやく声はなんと幼く、心もとないのだろう。
 立ち止まる暇はない、今度こそ、今度こそ、この会社に居場所がきっとある、そう前向きに就職活動を続けてきた。
 けれどずっと、心細かった。
 これまでは先へ先へと進学が待っていたけれど、仕事を得る場所を探すのはなんと難しいのだろう。
「運動会なんかで同じ格好をしていても、スグルはすぐにわかる。姿勢がいいからな」
「スグルは箸の使い方がきれいだ」
「スグルはうちに来る老人会の人にもきちんと挨拶ができる子だ。感心だ」
「スグルの字は丁寧で読みやすい。よく書けている。スグルのことを知らない先生でも、スグルの良さがすぐわかる」
「今の小学校はただ解くだけの問題はあまり出さないんだな。今日、こっちの部屋で勉強していたのを声かけないで見ていたけど、スグルはできるまで、諦めない。これはなかなかできることじゃない。将来難しい学校に入れるんじゃないか」
 思い出される祖父の言葉は、この和室のように温かく、スグルを安心させる。
「ありがとう」と受け取れなかった言葉は、優しさは、かなりの時間差で今、届いた。
 幼い頃より祖父母の前できちんと正座をする機会が多く、姿勢のよさや、周囲から褒められる所作は、そうしたところからきていたのだと思う。
 ふと我に帰ると、ご住職の法話が終わり、四十九日の法要が終わったらしかった。ざわざわとする和室でスグルの両親がこの後会食をすると言っている。
 スグルは立ち上がろうとし、わっと兄に頭からぶつかった。
「いきなり頭突きかよっ」
 妹の身を案じるという考えのない兄は、咄嗟に仕返しに出てスグルに肘鉄を喰らわせようとする。スグルはその腕にすがりついた。
「足、足が、痺れた……」
「はあ? うっ」
 スグルの様子で突如自身も足が痺れていると自覚した兄は、スグルの巻き添えで、さっきまでご住職が座っていた座布団に突っ込んだ。
「いたたたた」
「ってえなあ」
 兄とともに周囲の失笑を買ったスグルだったが、皆の前で祖父を思って泣かずに済んだことにほっとしていた。「そんなに気を使いなさんな。ゆっくりして、落ち着きなさい」、他の人のために奥へ詰め、無理な状態で正座をして足を痺れさせ、就職活動で自信を失くしていたスグルに祖父はそんなふうに言ってくれるのではないか、とふいにスグルは思った。
 お経をあげ、法話の後も涼しげな顔で立ち上がったご住職の座していた座布団越しに見えた祖父の写真の笑顔に、スグルはそっと目礼し、「ありがとうございました」と伝えた。
 その後、朝一番に入れたお茶をお供えして、仏壇の前に正座し、手を合わせるのがスグルの習慣となった。

あわせて読みたい