[200]正座のスプリンター


タイトル:正座のスプリンター
発行日:2021/08/01
シリーズ名:某学校シリーズ
シリーズ番号:17

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:52
販売価格:200円

著者:虹海 美野
イラスト:時雨エイプリル

内容
 某出井高校の駆(かける)は陸上部の二年生だ。
 部室を訪れた駆は運動部の部長が集まり、トレーニングマシンの購入検討の話に加わるが、予算が大きな課題だった。
 そこへ生徒会役員と某瑛高校のお花の先生が、お花のデモンストレーションの参加者を探しているとやって来た。
 そしてお花の先生は自宅にあるトレーニングマシンの譲渡を申し出てくれた。
 運動部員たちはお花のデモンストレーションをすべく、まずは正座の練習を開始する。

販売サイト
https://seiza.booth.pm/items/3165192


本文

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 校庭の端にある真っすぐに伸びて整備されたグラウンドを丹離駆は走り抜ける。
 部の中では短距離のエースで一年の頃から市の大会で優勝した。
 駆が通うのは、某出井高校という部活の盛んさと自由さが特徴の学校だ。
 学校予算に余裕のある学校と比較すると、部活の数が多いだけに予算面では全て自由とはいかないが、生徒会がそれぞれの部の互助により、例えば吹奏楽部の演奏会の記録を映像研究や写真部に、演劇部やダンス部の衣装制作を被服部に依頼することで予算軽減とともに、部活に対する意識を上げようという試みがなされた。発案当初はこの試みに関与する部の予算が上がり、運動部全般はこれまでより予算が下げられるのでは、という危惧もあり、その上で全ての部が学校のよりよい未来のため賛同したのだったが、実際のところは思った以上に互助による予算削減ができ、運動部全般、そして陸上部にもこれまでよりもやや多めに予算が配分されるようにはなった。
 この案に駆は感謝しているし、ただの高校生でもこんなことができる、という可能性を見せてくれた生徒会を尊敬してもいる。
 しかし、如何せん、梅雨の時期などに入ると、グラウンドを使用する多くの部は学校の廊下などでの筋トレを余儀なくされる。
 身体を柔軟にするのは必要だが、体幹や筋力ももっと効率的に鍛えた方がいいと感じる。
 トレーニングの本格的にできるベンチつきのセットがあれば、グラウンドに出られない期間をもっと有効に使えるのではないか、と思う。
 某出井高校に入学した当時から、駆は梅雨の季節にもどかしさを抱いていたが、今年は更にその思いが強くなった。
 駆が二年になった五月、体力測定を受けていた一年生の男子の中で、ダントツに足が速く、俊敏な動きをする生徒がいた。本人たちは特にそれを気にかける様子もなく、測定が終われば結果も確認せずにふざけ合っている。勿体ない、と駆は思った。
 早速、一年生の教室のあるエリアに行き、足の速かった二人を訪ねた。
 名前は脚井達と、早戸祝といった。
 二人は仲がいいようだが、高校に入ってたまたま仲良くなっただけだと言う。
 そして、中学まで所属していた部を尋ねると、達はボランティア部、祝はダンス部だと答えた。駆はもう一歩踏み込み、高校でもその活動を続ける予定かと訊いてみた。二人は顔を見合わせ、達はほかの部にも興味があると言い、祝は某出井高校のダンス部は女子だけなので入らないと言った。そこで駆は、二人を陸上部に誘った。いまいち乗り気ではなさそうな二人だったが、駆は二人なら市の大会での優勝はもちろん、都大会も夢ではないと力説した。
 まずは仮入部、と提案する。
 二人はあんまり休日や平日の遅くまで部活づけになると、高校生になっても家と学校だけの世界になるのが嫌だということを、先輩である駆に控えめに伝えた。
 実際のところは、休日に記録会があるし、大会前は土日も練習し、平日休みは週に一度だけだ。
 だが、まず二人が自分の持つ可能性に気づいてくれなければ、そしてそれを本人の意志で伸ばしたいと思ってくれなければ始まらない。
 駆は後で部長に相談しようと思い、この場で二人の考えを優先すると受けあった。


 かくして、前途有望な新入部員を見つけたことを報告すべく駆が部室へ行くと、そこにはサッカー部やラグビー部、野球部、テニス部といったグラウンドを使用する部の部長が集まっていた。運動部の部室は基本的に体育倉庫に入れない備品の管理と、部員のユニフォームなどが置かれている場で狭いのだが、そこで彼らは熱心に小さな携帯の液晶画面を見ていた。
「こんにちは」とあいさつすると、皆が振り返る。
「どうしたんですか」と訊くと、「これをなんとか、うちらの部の連名で買ってもらえないかと思って」と言い、液晶画面を見せた。
 そこに表示されていたのは、トレーニングマシンだった。
 値段は高いものから手軽なものまであるが、やはり数万円はする。
 連名で購入する場合、ひとつの部で一万円から二万円を負担することになり、ほかにも下に敷くマットなどが必要になると思われた。
 各部で一万円を負担すると、部によってはそれで年間の部費の半分を使ってしまうところもある。特に陸上部などは、学校の授業で使用するもので活動できる種目が多く、ストップウォッチとか、ホイッスルを購入するくらいで、後のスパイクやユニフォームは個人負担になるので、あまり学校に部費を請求していない。ほかの部も似たような感じではあるが、こうしていくつもの部で必要なものならば、生徒会に相談してもいいのではないか、というのが今ここに集まった部長たちの意見だということだ。
「やっぱり、こういうのあるといいですね」と、駆も話の中に入り、頷く。
「これに各部でこれまでに買ったダンベルとか、バランスボールとか、懸垂マシンなんかをまとめて、共有できないかと思って」
「そうですね」と駆は部長の言葉に再び頷いた。
「場所はどうするんですか」
「できれば専用のトレーニングルームっていうか、そういう場所を空き教室とか、渡り廊下の先にあるスペースに作りたいけど、トレーニング器具をきちんと管理することを考えると、その場所の整備代もかかると思う」
「でも、校舎の一部なら、学校の予算でなんとかできないんですかね」
「さあ、これは生徒会の前に学校とか、そういう方に相談するのかも……」
「顧問のポケットマネーは?」と誰かが言い、「……顧問が一人もいなくなると思います」と駆は小さく言い、沈黙の後、寂し気な笑いが起こった。そこへ、笑い声に引かれたかのように部室の扉がノックされ、部長が面倒そうに「はい」と答えた。
「失礼します」
 建てつけの悪い戸は大きく軋んで開き、そこにはラフな格好をしていながらも、一般生徒とはどこか風格の違いを感じさせる生徒会役員が立っていた。この生徒会役員は友橋あかりといい、駆と同じ二年生だ。何も考えていなさそうで如才ない生徒会長と同等に渡り合える、否、端で見ていても割と顎で使っているように思われる、度胸と明るさを備えた女子だ。その女子と一年の女子二人、それに和服姿の女性が一人。
 一体ここに何の用だ、と思いながら、部室にいた一同は相手の言葉を待った。
「こちら、水泳部一年の永ちゃんとウタちゃん。それでこちらが某瑛高校のお花の先生です」
「こんにちは」とか、「急にすみません」とか、四人はそれぞれに言い、部室にいた一同は「まま、どうぞ」と狭い部室内で唯一の長椅子を空け、勧めた。
「すみません」と四人が座ったところであかりが説明を始める。
「実はこの前、うちの会長が某瑛高校の生徒会に頼まれて、学校説明会のお茶のデモンストレーションをして、すごく評判がよかったんですよ。それで、今度はお花のデモンストレーションを行うことになりました」
 部室にいた運動部の一同はその続きが全く予期できなかった。
 正確には予期できない振りをし続けようとしていた。
 その時、「あら、これうちにあるのと同じ」と、着物を上品に着こなした、およそこの場にふさわしくないお花の先生が長椅子の向かいに置いたままの携帯の液晶画面を見て言った。
「え、先生が使うんですか」とあかりが訊くと、「まさか」とお花の先生は首と手を振った。
 それはそうだろう、と誰もが思った。
「うちは両親も私と妹も同じ敷地に家を建てて住んでいるんだけど、妹の息子が高校生の時にこのセットを勝手に通販で頼んでね、それが届いてみたら思ったより場所を取るらしくて、うちの屋根付きの物干し場にずっと置いて使ってたんだけど、なんかまた新しいのを買いたいとか言い出してね。妹がだったら、今あるものを売るなり、処分するなりしてからにしてって、言ってて。だけど、あれだけ大きいと、ネットで売るにも梱包も大変で、どうしようかって言っててね」
 これは、あかりの戦略だろうか、と駆は思った。
 しかし、トレーニング器具の話は今まとめている途中であり、生徒会への報告はしていない。
「ああ、ごめんなさい。話の途中に」とお花の先生は謝ったが、最早、誰もその謝罪を聞いていなかった。
「俺、デモンストレーション、出ます!」と、手を挙げたのはラグビー部の部長で、それに続き、サッカー部やテニス部、陸上部とその場にいた部長全員が挙手した。
「え、あらあ、まあ、よろしいの?」
 お花の先生が感激した様子で一同を見た。
「それでその……、そのトレーニングマシン、売っていただけませんか」と、陸上部の部長が言った。
 あかりが「え」と声を上げると、「予算の方は、後で生徒会に掛け合うつもりだったんだけど」と陸上部の部長があかりに手を合わせる。
「ここで私に言われても……」と言葉を濁したあかりを遮り、「あら、引き取ってくださるの?」と、またしてもお花の先生が感激した様子で一同を見る。
「助かるわ。お届けするのはお休みの日でもいいかしら? 甥っ子に言って、ワゴン車で届けさせるから、そこから運んでくれるのを手伝ってくださる方がいれば、すぐにでもお譲りできると思うけど」
 お花の先生は今『お譲りできる』と言った。そして『ワゴン車で届けさせる』と。
 それは、つまり無料で、送料も請求されず、ここまで皆が切望していたトレーニングマシンがやって来る、ということだ。
「もちろんです!」と一同は頷いた。
 お花の先生はこちらの懐事情を知らないため、大層「助かったわ」と喜ばれ、そのまま帰ろうとし、慌ててあかりが「先生、お花のデモンストレーションのメンバー、こちらに記入させておいた方が」と名簿の用紙を出し、それにその場で挙手した部長たちに記名させ、時間と場所を記した文面をその場で携帯で皆に送信し、「それではよろしくお願いします」と大層手際よく仕事を終え、水泳部の女子二人は「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言って、部室を後にした。


 生徒会役員のあかりがその場に居合わせたおかげで、トレーニングマシンの置場については生徒会が職員室に相談に行ってくれることになった。後は搬送日に学校で待つばかりである。
 そこまでしてくれるあの和服のご婦人、もといお花の先生のため、できることはしようということになった。
 居合わせた部長たちの中に、たまたま男性の華道家の舞台をテレビで見たことがある、という人がいて、その動画を一同は顔を寄せ合い視聴した。
 大層きらびやかな舞台で、和装の美男がテンポよく、大きな器に花を生けていく。
 おお、と一同は手に汗握った。
 一同の中には、彼らのように着飾り、スポットライトを浴びて躍動的に花を生ける自身の姿が出来上がりつつあった。
「おお、面白そう……」
 一同の目がきらきらと輝きはじめた頃、あかりからの連絡事項を確認した駆が「あの」と口を挟んだ。
「何?」
「水を差すようで悪いんですけど、この某瑛高校の場所、和室になってますよ。多分、座って一人づつやるんじゃないですか」
 その場がしん、と静まり返った。
「だって、普通に考えて、いきなりこんなのできませんよ。こういうのを見せるなら、ちゃんとそういう人たちにお願いするんじゃないですか。うちの学校の生徒で、しかも運動部ばかりの男子に頼むってことは、初心者枠ってことでしょう?」
 一同は納得と残念さ半々といった面持ちで頷いた。
「展示は一般の教室でやって、体験したい方は和室へどうぞっていう案内を出すらしいですよ」と、説明の続きを読んで伝える。
「っていうか、俺ら、正座する時点で厳しくない?」
 ちょっとした陸上部の先輩の一言で、更に部室は重い沈黙に包まれた。
 試合前には朝練もあり、放課後も学校で定められた活動時間まで目いっぱい部活に明け暮れる彼らは、常に動いていることと恵まれた体格の上に鍛え上げられた身体を持て余し気味であることで、授業中は片足が机の下から通路に投げ出されているのも日常茶飯事だった。辛うじて授業に集中し、真面目に勉強することで、そうしたことまでは先生も言及しなかった。しかし、某瑛高校の校風は某出井高校と大きく異なる。なにせお作法、お茶、お花の授業があり、先ほどいらしたような大層お上品な先生が教えるような学校である。
 まあ、ずるい考えをすれば、もらえるものだけもらって後は適当、ということも出来ないでもない。
 しかし、ここは根が真面目な彼らだ。
 やるからにはきちんとやるべきだと思った。
 そして、そのための第一段階として、彼らは実に彼ららしい大味な手段でそれを行った。
 翌日の全校朝礼の後、「ほかに何かありますか」という生徒会のマイクからの問いかけに陸上部の先輩が勢いよく挙手し、さっと舞台へ駆け上がった。
「みなさん、この高校に善意でトレーニングマシンが寄贈されることになりました!」
 そう大声で言い、自ら拍手をし、それに乗じて体育館全体からおーっという声や拍手が沸いた。
「それで、その寄贈をしてくれる方が某瑛高校のお花の先生で、あ、トレーニングマシンを使っていたのはお花の先生ではないんですけど……、それと交換条件というわけではなく、僕ら運動部が何人か某瑛高校の学校見学会でお花のデモンストレーションをすることになりました。しかし! 僕らは正座がちゃんとできていません。このままでは、お花のデモンストレーションに胸を張って臨めません! みなさん、僕らに力を貸してください。僕らに正座を教えてもいいという人!」
 陸上部の部長の大声が響き渡ると、すぐに何名かの手が挙がった。
 先日部室を訪れた水泳部の女子、被服部の女子、そして生徒会長だった。
「ありがとうございます!」と陸上部の先輩が言い、それに続いて体育館にいた運動部の面々がお礼を言った。
 ここで生徒会長が引き継ぎ、「では、今正座指導を引き受けてもいいと言ってくれた人は、部活の活動掲示板に『正座指導可能』と書いて、時間、場所を指定してください。それで、正座の指導が必要な人は各自でそこに行って教えてもらってください。一応僕も指導できるので、僕の方は定例会以外の日、生徒会室に来てくれれば指導します。以上!」と、実に簡潔に締めくくったのだった。


 指定された和室で昼休み、早くに到着した運動部の面々は、昼食後のほどよい満腹感にごろごろと畳に身体を横たえ、ふざけ合っていた。
 そこへ引き戸が開き、被服部の女子二人と生徒会長がやって来た。
 生徒会長とは気心知れた仲だが、被服部の女子とは接点がなかった。
 皆、さっと起き上がり、しん、と和室は静まり返った。
 被服部の女子は提げていた紙袋から、何かを出し、「よかったらどうぞ」と、その場にいた運動部員に配り始めた。
 駆も「どうも」と受け取ると、それはネクタイだった。
「被服部の手作りです。某出井高校は夏服にネクタイがないですけど、某瑛高校は服装にも気を配る学校だと聞いています。よかったら使ってください。私たちにできることはこれくらいですけど、応援しています」
 売っているものと遜色ないそのネクタイを一同は凝視し、深く感じ入った。ネクタイには某出井高校の頭文字の『B』が刺繍されている。幅や長さが工夫され、ジャケットを着なくても映えるデザインだ。
「これ、ミシンとかでする刺繍?」と、生徒会長が訊くと「手縫いです」と被服部が答える。
 ついさっきまでごろ寝をしていたことが、とても申し訳なくなる。
 ありがとうございます、と一同はお礼を言った。
 本当はありがとうでは足りない、と駆は思う。
 自分たちにできることは、大会でベストを尽くし、できれば上位に入ることだ。
 けれどその前に、まずはその手助けとなるべくトレーニングマシンを寄贈してくださった某瑛高校のお花の先生に、デモンストレーション参加という形で恩を返し、今はその時に備え、正座をきちんとすることだ。
 そう決意していると、「すみません、写真部です」と、写真部の生徒が顔を出した。
「写真部はほかの部活の撮影をしているんですけど、いいですか」と控えめに訊く。
「撮って、撮って、俺ら広報とか載るの?」と、野球部の部長が明るく訊き、「いや、まだわからないですけど、もし、どこかに掲載されるのが嫌だって人は先に言ってもらえますか? その人は撮りませんから」と、全員をを慮るる写真部に一同は顔を見合わせた後、「俺らは大丈夫」と再び野球部の部長が皆の意志を確認し、被服部の女子も「私たちも大丈夫です」と快諾した。
「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言い、写真部の生徒は撮影の準備に取りかかる。
「では、始めていいですか」
 控えめで礼儀正しい被服部は、面倒を見る側なのに、そう丁寧に言い、その場を取り仕切った。
「お願いします」と一同は頷く。
「まず、姿勢をよくするっていうのからなんですけど、皆、とても姿勢がいいので、その調子で」
 授業中、多少だらしない座り方をしてはいるが、日々身体を鍛えている一同は、意識せずとも姿勢がいいようだった。
「身体の軸も安定している感じなので、それも大丈夫だと思います」
「これからトレーニングマシンも入るので、ますます安定します」と、誰かが余計なことを言い、被服部の女子は一瞬笑っていいものかどうか困った顔をし、続けた。
「お花を生ける時には関係ないかもしれませんが、正座の時には肘を垂直におろして、手は太ももの付け根と膝の間に重ねずにハの字で。脇は閉じるか軽く開く程度で」
 教えながら、被服部の女子が手の置き方などを少し直していく。
「膝はつけるか、にぎりこぶしひとつ分開くくらいで、足の親指同士は離れないように。これに女子の場合はスカートをお尻の下に敷くようにします」
 さっきまでのだらけていた場が嘘のように引き締まる。
「じゃあ、正座をしたままで、花を生けるから、今日は花を生ける代わりに、今配られたネクタイを結ぶ練習でもしましょうか」と生徒会長が提案した。
 確かに、正座をして、そこから花を生けるのだから、何かをする、ということはしておいた方がいい気がした。
 更にせっかくのネクタイもきれいに結べなければ勿体ない。
 ここから、正座をしながら襟元に集中する練習に入った。


 その後、お花のデモンストレーションに参加する面々は、部活の合間を縫って、正座の練習に通った。
 水泳部の女子二人は、平日唯一部活が休みの日にお花を習いに公民館に通っているとかで、それが終わってから、部活の終わった正座の練習希望者のために学校に戻り、練習に付き合ってくれた。その時に「参考になるといいですけど」と、写真部の男子が同伴して撮影したというお花の教室の生徒さんたちの作品画像を見せてくれた。花器も花の種類も、そしてその表現もさまざまで、内心とても堅苦しいと身構えていた一同はここで少し緊張が解けたのだった。
 そして三度目の練習ですっかり緊張を解いて行き、後悔したのが、生徒会長の正座指導だった。
「やあ、待っていたよ」と、笑顔で迎えてくれた生徒会長の背後では、印刷機が忙しなく動き、生徒会役員が総出で書類作成をしていた。
 なんとなくこの時点で、「今日は用があったので帰ります」と駆は言いたくなったが、それを阻止するかのように、あかりが生徒会室の戸を駆たちの後ろでご丁寧に閉めてくださった。
 嫌な予感は的中し、「ただ正座するだけで、僕らがこうして動いていると、なんだか何かを反省しているみたいだから、手を動かそう」と、さも生徒会長はその場で思いついたかのように手を叩き、実に手際よく、学校見学会などの時に受付の後ろに敷いて荷物置き場に使用する敷布を広げ、そこに駆たちに正座をさせ、その前に印刷した資料を置いていった。
「一応ページが合っているか確認して、このホチキスで留めて」とさらりと言う。
「これって、生徒会が配布する資料?」と野球部の部長が訊くと、「そう。去年君らが生徒総会の間、中身も見ずに丸めてバットの代わりにして遊んでいた資料だよ」と返す。
「まあ、正座を学ぶついでに、こういう影の努力を知るにもいい機会だしね」とあかりが手を動かしながら言い、野球部の部長は「やらせていただきます」と、きちんと正座をし、黙々と作業を始め、他の面々もそれに倣った。その最中、さりげなく、生徒会長は正座の基本を伝え、直していく。忙しく動きながらも、こういうところが如才ない、と駆は思う。
 作業が終わると、「ご協力ありがとうございました」と、生徒会役員が紙コップに入れた紅茶を出してくれた。
 それを正座のままありがたくいただき、「高校によっては、こういう資料って、ちゃんと製本してもらってない?」とテニス部の部長が訊いた。
 駆も某出井高校以外の高校の見学会、説明会に参加したので、それはわかった。某出井高校のように学校で印刷して、ホチキスで留める、というような資料作成をしているところはほかにもあったが、一方で、きれいに製本されたものを配っているところも確かにある。
「まあ、そうなんだけど。うちの生徒会は、これ、学校で作ることになっているから」
「結構手間かかるね」とサッカー部の部長が言う。
「それはそれでもう慣れたっていうか、わりと手伝ってくれる人もいるし、君らの練習とは違うけど、活動って面では同じだから」と生徒会長は答える。
 ああ、この人は大人だ、と駆は思った。
 駆は設備の整った強豪校と、某出井高校とを比べて焦っている面があった。
 今回トレーニングマシンを幸運にもいただけることになったが、本音を言えば、屋内練習場の整った学校もあり、それは絶対にこの高校では無理だとわかりながらも、その願望を捨てきれずにいる。
 けれど、よその学校の状態を知ったうえで、自分たちの学校はこうだ、と割り切れる、そしてそれを苦に思わない姿勢の潔さ。
 それはデザイン系の専門学校ではなく、放課後の部活動としてのみの活動で、売っているものと遜色ないネクタイを作る被服部や、部活が休みの日に通える範囲でお花を習いに行く水泳部の女子二人を見ても、学んでいたことだった。
 そして、某出井高校に入学を決めたのは、自分の中で温めているもののある人がとても多い学校だと感じたからだった。
 入学説明会のあいさつでも、校長先生が「この高校は設備が完璧とは言えません。けれど、勉強も、自分の夢も、大切にしている先輩がたくさんいます。だから、仲間の夢も真剣に応援します。それがこの学校の誇りです」と言った。そのあいさつの後に始まった部活紹介では「受賞歴のある部員も初心者も一緒に練習して、頑張っています」という言葉を何度も聞いた。知らない間に目元が熱くなって、涙が浮かんでいた。この高校に入りたい、と心から思った。
 そのことをふいに思い出した駆は、改めて、頑張ろう、楽しもう、と決意した。
 休日にはお花の先生の甥子さんが約束通りトレーニングマシンを搬入してくれた。お花の先生も同伴しており、「今、正座の方も練習して、万全の体制で当日行きますのでよろしくお願いします」と言うと、「あら、そんな心配しなくて大丈夫よ。来ていただけるだけでありがたいんですから」と、先生は慌てる。それでも嬉しそうに「本当にありがとう」と言った。
 校庭では、駆が陸上部に誘った達と祝が短距離の練習に励んでいた。
 今日は記録会前の自主練で、休日のため無理強いはしていないが、二人とも自主的に朝から来て、準備段階から参加している。
「ずいぶん速い新入部員が入ったね」とトレーニングマシンの搬入の傍ら校舎の窓から校庭を眺めていた運動部の部長が言い、陸上部の部長が「うちの駆が逸材を見つけてきた」と誇らし気に答えた。
「うちの方も兼部してくれないかな」と、ほかの部長が言い、「駄目ですよ。今度の記録会に向けて頑張っているんだから」と駆が慌てる。
 達と祝には最初の約束通り、部活の無理強いはしなかった。しかし、実際にフォームを先輩に見てもらい、どんどん縮んでいくタイムと、何よりも部活の楽しい雰囲気に、自ら活動日には欠かさず出てくるようになった。地味な基礎練習を黙々とこなし、入部当初駆でもきつかった長距離のランニングにもどうにかついて行っている。
 これで今日、トレーニングマシンも搬入され、雨の日も有意義に過ごせるようになれば、彼らはこれから先、都大会、全国大会へも行けるかもしれない。そんな夢が駆の中に芽生えた。


 どの運動部も、記録会や大会を控え、忙しい時期ではあったが、某瑛高校の学校見学会には参加予定者は誰一人欠席せずに臨んだ。
 一応先にお花の展示された教室を見学した後に、和室に向かった。
 水泳部の二人にお花の作品は画像で見せてもらっていたが、実際に見せてもらうのと、某瑛高校では展示されているお花に男子の作品が多いことで、新鮮な心もちだった。
 和室に入ると、生徒会の腕章をした女子が長テーブルと座布団を準備しており、そこへお花の先生が「今日はよく来てくださいました」とお花を抱え、やって来た。
「今日はよろしくお願いします」と一同はあいさつした後、「お手伝いできることありますか」と訊いた。
「これから花器やお道具を運ぶところだけど、みなさんにそこまでしてもらうのは……」
「いえ、僕らトレーニングマシンで筋トレをするくらい、鍛えることに必死なんで、やらせていただけるとありがたいです」と、ラグビー部の部長がお道具の運搬を頼みやすいように言った。
 お花の先生は「本当にいい生徒さんたちで……」と若干目を潤ませ、「じゃあ、お願いします」と言い、駆たちは運搬を手伝った。
「ずいぶんお花もたくさん用意しているんですね」とサッカー部の部長が言うと、「なるべく自由にできるように、いろいろ選んで来ました。みなさんの好きなお花はあるかしら?」と訊く。
「普段、花を買ったりしないんでよくわからないですけど、きれいですね」と陸上部の部長が言うと、「そう思ってくれてうれしいわ」と先生は笑った。
 その後、華道体験の希望者が数人集まったところで、駆たちのデモンストレーションが行われた。
 見学者にももちろん座布団が用意されていたが、緊張気味の中学生は「ありがとうございます」とか、「失礼します」と言い、そっと座った。
 正座に慣れていない中学生を見て、駆はふと、自分がこの何週間かの間に正座やお花という文化に少し近づいていたことに気づいたのだった。
 初めての華道だったが、先生が終始にこやかなこともあり、一同はとてもリラックスして華道体験ができた。
 やや大味な作品や、バランスが微妙な作品もあったが、先生はどの作品も褒めてくださった。
 そうしたやり取りを見て安心したのか、華道体験をしたいという中学生が次々に挙手し、その準備を駆たちも手伝い、帰ろうとした。
 その時、和室の出口で生徒会の腕章をつけた女子が、「これ、見学会に来た中学生に配っているものですけど、よかったら」と、ペットボトルのお茶を渡してくれ、更に、「これは先生からです。この先のパン屋さんで朝買って来たそうです」と、透明な袋に入ったパンをくれた。ウサギのかたちをしたパン、というのが、なんというか、あの先生らしいと思い、和室を覗き、「ありがとうございました」とお礼を伝えた後に、生徒会の腕章をつけた女子にもお礼を言った。
 その時、「丹離駆先輩ですよね」と、生徒会の女子が駆に言った。
「はい」と、駆は戸惑いながら頷く。
「私、先輩と同じ中学で、先輩のこと知ってます。市の大会で優勝しましたよね」
「あ、よく覚えてましたね」と、駆は驚いて言った。
 駆が中学の陸上部に在籍していた頃、割と受賞者が多く、年に何度か、全校集会で誰かしらが賞状を受け取っていた。
「私、ボランティア部で学校の花壇の手入れをよくしていたんですけど、トレーニングで校舎の外側を全力疾走したりする部が多くて、その時に遠回りになっても花壇の外側を気をつけて走ってくれていたのが、丹離駆先輩で、市で優勝するほど速いのに、練習で順位よりそういうことに気を配ってくれるんだって思ったので、覚えていました」
「あ、そう、なんだ」と、駆はどう答えたものかと迷いながら、頷いた。
「はい、今も陸上は?」
「続けてるけど」
 そこまで駆が答えると、部長が「今度記録会があるので、よかったら来てください」と言い、日時と場所まで伝えた。
「え、いいですよ。そんな」と駆が慌てると、「応援、行かせてもらいますね」と、生徒会の女子は笑顔で答え、後方から生徒会の腕章をつけた生徒に呼ばれ、「それでは」と去って行った。
「これは頑張らないとな」と部長たちが笑い、「まあ、頑張ります」と駆は答えた。


 某瑛高校のお花のことで気を取られていたが、気づけば某出井高校でも二週間後に学校見学会が予定されていた。
 先日正座の指導のついでというかたちで生徒総会の資料作りを手伝ったが、生徒会は学校見学会の受付、校内案内、部活紹介ステージの司会などを全て取り仕切っており、その準備もいつの間にかしていたことになる。自分たちのトレーニングマシンと、お花のデモンストレーション参加でてんやわんやだった自分たちの面倒を見つつ、生徒会の仕事をこなし、勉強もできるらしい生徒会の面々は、内申と当日の試験との同じ条件で入学したとは思えない人格者だと駆は感じた。
 そう思えば、自分たちの部活紹介ごときで慌てるのもいかがなものかと大騒ぎはしなかったが、駆は自分の迂闊さを悔いていた。学校見学会での部活紹介は、二年生の仕事だ。そして、それぞれの部が工夫を凝らし、演劇部でもないのに寸劇をしたり、ダンス部でもないのに踊ったり、アクロバティックな演技を披露したりと、かなりクオリティの高い仕上がりで、これを見て某出井高校入学を決意する以前に、入学したい部を決める中学生も多い。
 どうしたものか、と悩んでいると、携帯に達と祝から連絡がきた。
 文面を見ると、次の世代のためにトレーニングマシンを入手し、他校での華道のデモンストレーションのため、部活の練習、そしてテスト勉強の時間を削り、尽力してくださった先輩たちのため、今年の部活紹介は、校庭を使用する運動部の一年生有志で合同発表にさせてはくれないか、という内容だった。すでにほかの部と連絡を取り合い、準備は進んでいるという。文末には、『先輩方への感謝を込めて頑張りますので、楽しみにしていてください』とある。なんだかわからないが、自信のほどがうかがえた。そして、正直、何より助かった。
 部活紹介のためのリハーサルは平日の放課後に行われるが、それも一年生の参加者だけが出るので、先輩たちは部活に出ていてください、と言われ、せっかくなので、お願いすることにした。一応心配であかりにどんな感じだったかを訊くと、「内容は言えないけど、いい仕上がり」という返事で、それなら大丈夫、と安心した。
 かくして当日、運動部は一年生の初舞台となる部活説明会を体育館の後方から見学することにした。
 暗転した体育館で音楽が流れ、後方の照明が点けられると、祝が見事なダンスを披露していた。そしてその周囲でテニスラケットやボール、バッドを持った運動部の面々がユニフォーム姿で手拍子をし、それは体育館全体に広がった。
 祝のダンスが終わると、今度は舞台の端と端で様々ボールを使ったラリーが行われ、テニスボールやサッカーボール、ラグビーボールが行き交い、時にボールがぶつかり、ステージ下に転がり、それを司会の生徒会長が拾って戻す。戸惑いと笑いの混じる体育館で、達のホイッスルを合図に、全員が横一列に並んだ。
「僕たちは、某出井高校の校庭で活動する一年生の部員です」と、端にいた一年生があいさつする。
「今年、どうしてこんな発表をしたかというと、僕らの先輩たちが、雨の日に少しでも活動しやすいよう、頑張ってくれている姿を見て、僕らも団結してその志を引き継ぎたいと思ったからです」
 彼らの後方のスクリーンに、プロジェクターで和室で正座の練習をしている駆たちの姿が映し出される。
「これは、先輩方が他校の華道体験のデモンストレーションに参加する前に、正座の仕方を学んでいるところです」
「先輩方は雨の日の活動が少しでも充実できるようトレーニングマシンを設置しようと考えていたところ……」
 自分の分担の言う箇所を忘れてしまったらしい達に、隣にいる祝が「ご厚意で譲っていただけることになり、そのご縁で、華道のデモンストレーションに参加しました」と小声で言ったが、全てそれは達の持っていたマイクから体育館中に聞こえ、笑いが起こった。
 気を取り直し、祝は「先輩たちの頑張りを、校内のさまざまな人が応援してくれました。写真に写っているネクタイは、正座の指導を引き受けてくれた被服部の皆さんによる手作りです。この写真も、写真部の人が提供してくれています」と続けた。
「運動だけでなく、正座も華道も頑張って、色々な人から協力してもらえる先輩たちを、僕らは運動部の先輩としてだけでなく、人間としても尊敬しています」
「それに、この学校は、正座にも華道にも無縁だった先輩たちに手を差し伸べてくれる先輩たちがいます」
「大会や記録会前で、しかも試験もある中で、僕たちによりよい活動環境を作るために、頑張ってくれる先輩方は本当に素晴らしいです」
「僕は今年、陸上部に初心者で入りましたが、先輩の指導のおかげもあって、自己ベストが日々更新されています」
「僕らもこの先、後輩のために、先輩たちのように頑張りたいです」
「そんな僕らのいる某出井高校の僕らの部に、よかったら入部しませんか」
「お待ちしています」
 マイクを順番に持ち替え、最後まで言った一年生の面々はそこで礼をした。
 体育館に大きな拍手が起こる。
 駆や部長たちは、拍手をし、正面を向いたままだった。
 涙の浮かんだ駆たちの目は、先輩たちに精一杯の恩返しをした一年生の並ぶステージを映していた。

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