もっとも巨大な顔を持つ動物=人間

掲載日2001/10/02
投稿者リーフライダーズ
 自我の発達以前に、子供は自分の母親をまちがいなく見分ける。当たり前のことであるが、この事実は、母親の顔は母親についての様々な記憶を結びつける絆だということではないだろうか。
 もちろん母親だけでなく、われわれの記憶の中ですべての物がその見た目とそれについての記憶とが結びついていると考えることができる。
 たとえば、玉子は壊れ易いものとして見える。玉子の見た目とその壊れ易さは、われわれの記憶の中でむすびついているのは、まちがいなさそうである。
 記憶のこのような単純な結びつき、おそらく大脳を持っているすべての哺乳類に共通していると思われるような基本的な記憶の働きこそ人間にとっても極めて重要なものであると思える。
 
 不思議なことは、他人の顔とその人についての記憶が結びついていると考えることができる人がいるにしても、自分の身体の感覚と自分の記憶が結びついていると考える人が見当たらないことだ。
 人は行動する時、常に自分の身体を感じて行動していると考えるのには、それなりに根拠がありそうです。
 「地に足がついていないような」不安、という表現は、逆に人は日常足が地についているのを常に感じているために、その喪失が不安の表現として成立するということです。
 変な風に手をねじってうたた寝をした時など、起きたときに手がしびれてどうなっているのかわからないことがあります。そんな時は、まともに手を動かすことができません。手がどうなっているのか、地面がどうなのか、身体のバランスはどうなのか人は常にこのようなことを感じながら行動していると考えられます。
 
 自分の身体は、いわば自分の顔である。日常自分で見ることのできない自分の顔にかわって、人は自分の身体に自分の記憶を結びつける。
 記憶は日常的な経験の写しである。そして私にとって私の身体こそ、私の日常の経験の中心であり、記憶の中心であると言って言いすぎではない。
 もちろんこのような記憶の働きは、人間だけでなく、他の動物にも共通することです。

 もっとも巨大な顔を持つ動物=人間

 人間が他の動物とちがうところは、直立し、両手を自在に使って行動するところです。人は、直立を維持するために、日常的に腹筋と背筋を緊張させ、安定した、力強い身体の感覚を持つようになった。
 日常的に持続されるこの安定した身体の感覚は、あらゆる日常的な経験と結びつくき、記憶全体の中心となる。
 自分の身体が自分の顔であるとすれば、このことから人間は力強く、安定した、もっとも巨大な顔を持つ動物と言えなくもない。
 人間は直立行動することによって、記憶の中心に太い幹となる絆を持つことができた。そしてこの神経細胞の太い幹こそ、人類の大脳の発達を促した原因であると考えられなくもない。

 以上のような説から、ゴルフ場のような国土や地方に住みつき、日々身体を動かすことを楽しめるプロテスタント系の西欧人や正座の習慣を日常の生活に取り入れ、殿様でも背もたれを用いなかった日本の江戸時代の武士や町人の充実した精神文化を理解することはむずかしくない。

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