第9回 正座に関わった日本の偉人達

掲載日2016/05/22
著者橋詰 康子
イラスト中理 柴
 今ではかしこまった場では、当たり前のように求められる正座。武道の場や茶道の場でも、当然のようにみな正座をしている姿がよく見受けられます。
 そんな正座が世間に広まったのは、だいたい明治時代からといわれていますが、それらには「ある偉人」がこだわっていたり、実は茶道で有名な「あの人」の意外な正座に関わる事実も諸説あります。

 今回は、そんな正座に関わった日本の偉人たちについてご紹介していきます。


・茶の湯の第一人者、千利休は正座をしていなかった!?
whatisseiza_9_s1  まずは茶道を日本に広め、大成させた千利休についてご紹介していきます。茶道といえば、武道と同じくらい正座をする場面が多い日本伝統のものですが、その茶道の第一人者である千利休が、実は正座をしていなかったということなんです。
 茶道の場では、皆さん着物を着て、無駄口をたたかず、背筋を伸ばして正座をしている場面を思い浮かべる方が多いかと思います。
 しかし、千利休を当時描いたとされる長谷川等伯の絵の中では、千利休は明らかにあぐらをかいています。
 その理由としては、諸説ありますが、一つ上げれば、千利休が生きた時代が関係しています。戦国時代では、武将たちが互いに腹を探り合い、戦略や敵か味方かなどを判断していたのです。
 その話し合いの場として、当時盛んに用いられていたのが茶室です。茶人がたてた茶を飲みながら、武将たちは相手の出方をうかがったとされています。
 当時、千利休含め茶人たちは武器の持ち込みを禁じられていた茶室で、相手の本心を見抜き読み取らせることに特化していたといわれています。
 その為、武将たちを適度に寛がせるのにあぐらが適していたのではないか、という考えの下、あぐらが用いられていたのでは、という説もあります。
 ちなみにその後茶室の広さなどを配慮して、茶道の場ではあぐらから正座へ変わっていきました。
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・新撰組は正座にこだわっていた!?
whatisseiza_9_s2  続いては、日本人なら知らない方はいないであろう新撰組と正座についてご紹介していきます。
 新撰組局長、近藤勇の現存している写真を見ると、きれいに正座をしているものがあります。江戸時代当時は、もう正座はだいたい浸透しているとはいえ、武士にとっては実は正座はあまり好まれてはいなかったのです。
 なぜなら、正座を長時間することで、足がしびれ、敵襲などいざという時に戦えなくなってしまうことが予想されていたからです。したがって、武士には不向きなのは確かです。
 それに反して、近藤勇はきちんと正座をしています。それは、武家出身ではなく豪農出身だった近藤勇だからこそ、武士よりも武士らしくしようとした現れなのでは、という考えもあります。
 加えて、新撰組3番隊隊長、斎藤一は、最期に正座をしたまま、目をカッと見開いて亡くなったとされています。そこにも、武士としての誇りがあったのではないか、と考えられています。
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 いかがでしたか? 正座に関する偉人についてご紹介してきましたが、まだまだ正座に関わっている偉人たちはたくさんいます。機会があればまたご紹介していきたいと思います。ぜひ参考にしてみてください。


丁宗鐡(2009)『正座と日本人』講談社.

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