[117]みんなで正座先生になろう


タイトル:みんなで正座先生になろう
発行日:2021/05/01

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:64
定価:200円+税

著者:眞宮 悠里
イラスト:鬼倉 みのり

内容
 高校3年生のサカイ リコは、正座の存在をきっかけに高校生活が大きく変わった、星が丘高校茶道部の元部長。
 そんなリコはついに高校を卒業し、大学生になってからも無事に茶道と正座を続けられることになった。
 そして今日は、茶道部の送別会。
 茶道部員みんなで改めて正座をしながら、これまでのこと、これからのことを語り合います!
 高校生活を通して『正座先生』となったリコの物語、ついに完結。
 『正座先生』シリーズ最終章となる第32弾です!

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本文

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『みんなで正座先生になろう』

 たとえばもし、一年半ほど前のわたしが、このような提案をされても……。

『いいえ、わたしはなれません』
『正座が苦手なわたしが……。
 正座の先生になんて、なれるはずがないでしょう!』

 と、断っていたことだろう。
 一年半ほど前のわたしは、正座というものに対して、強い苦手意識を持っていた。
 だから、正座はわたしの人生には必要ない。いや、本当は必要としてるけど……。
 とにかく、このまま、正座はできないまま生きていく!
 と、思っていたからだ。
 ――そんなわたしも、今では

『みんなで正座先生になりましょう!
 『なりたい』という気持ちがあれば、誰だって正座先生になれるんです!』

 と、言う側になった。
 それは、とても良い『正座先生』の指導があり、長年抱えていた苦手意識を克服できたからだ。
 それから、元『正座下手』さんとして、かつての自分のような『正座を必要としているけど、正座ができなくて困っている』そんな人たちの力になりたい……。
 と、考えたことも、とても大きい。
 わたしの考える『正座先生』とは『正座を長時間、完璧にできる人』のことではない。
 もちろん、正座の技術は、ある程度は必要だ。
 『正座が得意で、正座の知識を持っていること』。正座先生になるためには、これが必須条件だと思っている。
 でも、わたしが重視するのは、正座そのものの技術よりも『優しく、丁寧に教える力』があるかどうかだ。
 正座は、奈良時代に中国から伝わった座り方だ。
 でも、現代においては、主に日本人のあいだだけで伝わっている文化である。
 で、あるにもかかわらず、今の日本人の中には、かつてのわたしのような人がたくさんいる。
 つまり、正座が苦手な人。
 正座をする機会がなく、技術を得ることがないまま今日に至ってしまった人。
 その結果、今から正座をしてみたくても、どうしたらいいかわからない人……。
 そんな人が、たくさんいるのだ。
 ゆえにわたしは『正座先生』を目指すうえで、そういった人たちの気持ちに寄り添うことが、とても大切だと考えている。
 そういった人たちが正座を始めたいと思ったとき、気軽に声をかけられる存在であること。
 それが『正座先生』を名乗る、あるいは目指すうえで、一番大切なことだと思っているからだ。
 だから『正座先生』あるいは『正座先生志望』としては、かつて正座が苦手だったことは、大きなアドバンテージになると思っている。
 正座をうまくできない人の視点に立つこと。
 それができれば……。
 どんな風に教えれば、うまくいくか。
 うまくいかない時でも、どんな言葉をかければ、気持ちが軽くなり、またトライしたいと思えるか……。
 それが、わかるようになるからだ。
 もちろん、それでも百パーセントの人が正座を得意になったり『正座先生』になったりできるわけではない。
 それは『なりたい』という気持ちがない場合だ。
 わたしは、本人にその意欲がなかったり、自分にはどうしても不向きだと判断したりした時は、いつでも正座をやめていいと思っている。
 誰にでも好みや、向き不向きはあるからだ。
 だから、正座が好みでなかったり、向いていなかったりする人に、正座を無理強いすること。正座の良さを知っているからと言って、それを他人に押し付けること。
 『正座先生』を目指すのならば、こういったことだけはしてはいけないと思っているのだ。
 以上が、わたしが考える『正座先生』である。
 わたしは高校二年生の初夏に『正座下手』さんを卒業し、それから高校卒業までの一年半ほどの間、自分の思い描く『正座先生』であろうと、あるときは星が丘高校茶道部部長として、あるときは正座に関心のある人たちに正座を教える『正座先生』として活動し続けた。
 そんな高校生活は、今日でついに終わるけれど……。
 その活動の成果は、後輩のみんなにも受け継がれる。
 そして、わたしの未来を照らしてくれる。
 そう思っているのだ。
 それでは……具体的にどう受け継がれていきそうなのかを……卒業式の後に行われたパーティで、確かめていきましょう。
 長かったわたしの星が丘高校ライフも、今日でいよいよ、終わりを迎えます!


「リゴざま……。ぐすっ。
 ごのだびはっ……ご卒業っ……。ぐすんぐすん。
 おめでどうございまずでずわっ……」

 星が丘高校で過ごす最後の日。
 多目的室で行われた茶道部のパーティは、二年生部員で、茶道部現部長の『コゼット・ベルナール』ちゃんの、こんな言葉から始まった。

「今日ばっ……わだぐじだぢがら。すんすん。
 ざざやがなパーティを開がぜでいだだぎまずわ……。ぐすぐす。
 どうがっ……楽じんで行っでぐだざいまじね……」

 そんなコゼットちゃんは、わたしの卒業をとても惜しんでくれているようだ。
 その気持ちは、本当に嬉しい。嬉しいのだけれど……。
 コゼットちゃんときたら、大泣きするあまり、言葉がほとんど全部濁ってしまっている。
 なので、少し聞き取りづらくなっているけれど……その言葉から濁点を取ってみると、彼女が本来何を言いたかったかがわかるだろう。

「もおっ! コゼット部長ったら。泣くの早いですよぉ!
 その気持ちはっ。とーってもわかりますけどねー?
 ということでリコ名誉部長! 本日はご卒業おめでとうございますっ。
 今日の送別会、ゆっくり楽しんで行って下さいね!」
「ソウデース。オトハサンの言う通りデスヨー、コゼット。
 ハイッ。鼻かんでー」

 そんなコゼットちゃんに『泣くのは早い』と諭したのは、一年生部員の『ムカイ オトハ』ちゃん。
 そして、ティッシュを差し出し、鼻をかむように指示したのは、二年生部員で茶道部現副部長であり、コゼットちゃんの双子のお姉さんでもある『ジゼル・ベルナール』ちゃんである。
 ところで『名誉部長』というのはなんだろう。
 オトハちゃんはわたしが茶道部部長だったころからわたしをとても慕ってくれている。
 でも『名誉部長』は少し褒めすぎな気がするし、そもそも、今日初めてそんな風に呼ばれたのだけど……。

「ずびずび……チーン。ありがどうございまず、ジゼルお姉ざま……」
「フフフ。リコセンパイ! ご卒業おめでとうデース!
 来月からは、ぜひOGとして!
 時々でいいので、星が丘高校茶道部に顔を見せて下さいネー?」
「コゼットちゃん、オトハちゃん、ジゼルちゃん。ありがとう!
 もちろんこれからは、OGとして応援させてもらうねっ!
 みんなのおかげで、無事に卒業できたよ……!」
「とんでもないことですわ! これはすべて、リコ様の努力に寄るものでしてよ!
 胸を張って下さいまし!」
「あーっ。コゼット新部長の濁り、直りましたねっ」

 この光景を見ると、みなさんはきっと『リコは部員たちと仲が良い。特にコゼットとは、とても仲がいいのだろう』と思うことだろう。
 それはもちろん、当たりだ。
 コゼットちゃんがいたからこそ、わたしは引退まで無事に茶道部部長をやってこられた。
 それから引退後も『コゼットちゃんが新部長なら大丈夫!』と、安心して茶道部の今後を見守ることができたのである。
 また、コゼットちゃんにとっても、わたしはきっと、必要な存在だったはずだ。
 おととしの冬にコゼットちゃんがフランスから留学して来た直後こそ、わたしたちの仲はあまり良くなかった。
 だけどそこからたくさんの出来事を経て、今では『先輩後輩』というよりも『親友』といっていい間柄になれたのだった。
 それでは、今ではこんなに仲のいいわたしたちは、出会った当初何が理由で仲がよくなくて、何がきっかけで親しくなれたのだろう?
 それは……。

「おととしの冬、リコ様に正座を教わってから早一年と数か月。
 当時はただの『日本嫌い』『正座嫌い』なフランス人留学生だったわたくしも……。
 おかげさまで、今ではすっかり日本での暮らしを謳歌しております。
 これも、リコ様たちに正座をもう一度教えていただいたおかげですわね」
「そう思ってくれるのはすっごく嬉しい!
 ……でも、あれは、わたしっていうより、ナナミの力でもあるよね。
 ナナミが茶道部の『初代・正座先生』になってくれていたから、コゼットちゃんも正座をすぐ習得できたんじゃないかな?」
「あっ! そんなナナミ先輩と、マフユさんが到着しましたよーっ!」

 噂をすれば! である。
 わたしが今名前を出した『ナナミ』とは、今『ヤスミネ マフユ』さんと一緒に部室に到着した『タカナシ ナナミ』のことだ。
 彼女こそが、かつてわたしに正座を教えてくれた人。
 つまり、元祖『正座先生』なのである!

「みなさま、一足遅れて申し訳ございません。
 リコ部長、ご卒業おめでとうございます。
 こちら、茶道部一同から、プレゼントです!」
「リコ殿、卒業おめでとうございますでござるー!
 こっちは拙者たちからのもう一つのプレゼント。寄せ書きでござるよー!」
「わー! ありがとう! 茶道部みんなで、こんな素敵なものを用意してくれたんだね……!」
「茶道部だけではないでござるよ!
 寄せ書きの真ん中にあるリコ様のイラストは、数学部のみんなが描いてくれたでござる!」
「そうなの!? 嬉しいなぁ……。
 わ! わたしのイラスト、ちゃんと正座してるー!」

 大きな花束と、中央にわたしの似顔絵まで描いてもらっている寄せ書きを受け取ると、思わず涙が出てしまいそうだ。
 今名前が出た数学部のみなさんとは、学校祭で一緒に出し物をしてコラボレーションしたり、数学部は勉強、茶道部は正座……という形で、得意分野を教え合ったりした仲だ。
 そんな彼らがわたしをイラスト化してくれたのである。嬉しい……!
 そんな彼らがわたしを思い浮かべるとき、わたしは正座しているようだ。
 それはそれだけ、わたしが『正座先生』であるということが浸透している証なのだろう。
 ところで今日集まっているここは、茶道部の部室ではない。
 卒業式において、式の後生徒たちで残って、パーティをすることは許可されている。
 だけど本来なら、茶道部が集まる場所は、茶道部の部室のはずだ。
 だけど、部室では正座ができない。茶道部の部室は通常の教室を割り当てられているので、靴を脱いで利用したり、床に座ったりすることはできないからだ。
 ということで……。
 わたしたちは許可を得た上で、この、靴を脱いで使用する、つまり正座ができる場所……茶道部第二の部室ともいえる『多目的教室』を貸してもらっているのだった。
 これは、わたしたちの活動をずっと見守ってきてくれた、ユモト先生の計らいである。
 ユモト先生、本当にお世話になりました。

「それでは、全員揃ったことですし、乾杯をいたしましょうか!
 改めましてリコ様、ご卒業おめでとうございますわー!」
「いえーい!」

 こうしてパーティが始まり、みんな、持ち寄ったお菓子を食べたり、ジュースを飲んだりし始める。
 座る席にしろ、食べ物と飲み物の配分にしろ、会の進行にしろ、部屋の飾りつけにしろ、パーティの段取りは完璧で……これなら、来年度の運営も全く問題ないだろうと思える安心感があった。
 また泣きそうになってしまう。
 良い部で活動できたわたしは幸せだ。

「みんな、今日は本当にありがとう。
 今日の多目的室の飾りつけ、すごく豪華だね!
 まるで多目的室じゃないみたいで、入ったときはびっくりしちゃった。
 こんな素敵なパーティを開いてくれるみんななら、来年の茶道部も安泰だね」
「リコ様。その件なのですけれど!」
「ふえ?」

 しかし、涙目になりながらお菓子を食べ、うっとりと会の感想を述べていると、コゼットちゃんが突如、グワッ! と食いついてきた。

「そうですリコ名誉部長。その件。その件なんです!」
「そうでした。私たちはその件について、それぞれリコ先輩にお伝えしなくてはならないことがあるのです」
「もちろん拙者もあるでござるよー!
 リコ殿は受験後もお忙しくされていて、なかなかゆっくり話す機会が得られなかったでござるからな!
 みんな、話したいことがたまりにたまっているのでござるよ!」
「そうですよリコ先輩!」
「そ、そ、そうですっ……! わ! わわわ、わたしもあります!」
「そうだったんだ!? それはすごく嬉しいな!」

 コゼットちゃんが切り出したとともに、オトハちゃんやナナミ、マフユさんが一気につめかけてきた。
 さらにまだ今日は話していなかった他の部員の子たちも自然と寄ってきて、わたしは部員のみんなに囲まれる形になる。
 そうだったのか。
 みんながそれぞれに話したいことがあるなら、できるだけ早く聞いてあげなくっちゃ。
 それでは……。

「じゃあ、最初に伝えようとしてくれたコゼットちゃんから聞かせてもらおうかな!
 話したいことって、なあに?」
「ありがとうございます、リコ様。
 わたくしたちがリコ様にお伝えしたいと思っていること……それは、来年度の、それぞれの活動についてですの」
「なるほどね! 確かにそれは、今日直接話したいことだよね。
 いいよ。どんどん話して」
「それではお伝えいたします。来年度の、わたくしのことなのですけれど……」
「うんうん」
「特に、わたくしのやることは変わりませんわ」
「あれまっ」

 コゼットちゃんの言葉を聞いて、わたしは思わずズッコケてしまう。
 ドキドキしながら質問したのに、そんなのってあるー!?
 だけど、みんなはこれをすでに知っていたようだ。
 なので、わたしだけがマヌケな格好になってしまったわけだけど……話はまだ終わっていない。
 ということで、わたしは体勢を何とか立て直して、コゼットちゃんのお話を最後まで聞くことにする。

「わたくしがリコ様にお伝えしたいと思っていること。
 それは、わたくしは四月からもこれまで通り、茶道部部長として部を守ってまいります! ということですわ。
 ですが、もちろんそれだけではございません。
 並行して、留学生として、さらに日本を学ぶ。
 大学も、日本の学校を受験する方向で固めております。
 第一志望は、四月からリコ様が通われる星が丘大学。
 一年後には、大学でもリコ様の後輩になっているかもしれませんわね」
「えーっ!」
「この国は奥深い。二年と数か月の留学では、学ぶには短すぎますわ。
 両親も許可してくれていることですし、今後も日本での生活を続けたいと思っています」
「そうだったんだ……」

 やっぱり人のお話は最後まできちんと聞くものだ。
 コゼットちゃんが高校卒業後も引き続き留学を考えている。
 これについては、以前から聞いていた。
 けれど、まさか、それはもう確定の方向で……具体的には、星が丘大学を受験予定というのは知らなかった!
 先ほどコゼットちゃん自身も言っていた通り、かつてのコゼットちゃんは『日本嫌い』の『正座嫌い』で、日本に留学したのも、ジゼルちゃんをフランスに連れ戻す為だった。
 それが、一年と数か月後には、日本と正座の両方を好きになってくれて、さらに両方極めようとしてくれるなんて……嬉しすぎる!

「ハーイ、リコセンパイ。ここで、ワタシから補足デース!
 コゼットの留学続行。これに向けて、ワタシたちベルナール姉妹は……四月から、新しい活動を始めようと思っているのデース!」
「えっ? なあに、それは! 
 もしかして、今コゼットちゃんが言った『並行して、留学生として、さらに日本を学ぶ』っていうのと、関係あるの?」
「フフフ。どうやら、話す前からバレてしまっているようですわね」

 二番目に、コゼットちゃんの話を補足するということで手をあげたのは、ジゼルちゃんだ。
 ジゼルちゃんはコゼットちゃんとは対照的に、留学開始時から自他ともに認める日本大好きガールだ。
 だけど、コゼットちゃんとは違い、卒業後はフランスに戻ると決めていると聞いているけれど……?

「リコセンパイもご存知の通り、ワタシは来年、星が丘高校卒業とともにフランスに帰国しマース。
 デモ、現在フランスでは、ワタシたちの活動に興味を持ってくれている友人が増えているのデース。
 だからワタシは、帰国後は、フランスのみんなに本格的に正座を教えようと思っていマース。
 そこで、コゼットと話し合い……。
 四月から、二人で茶道部の活動と並行して、『出張・正座先生』になることにしたのデース!」
「具体的な活動内容は、茶道部が数学部のみなさまに正座を教えたり、リコ様がご友人のみなさまに正座を教えたりしたのと一緒ですわ。
 昨年度のこのような活動がきっかけで、星が丘高校内では『正座は成績アップにつながるらしい』ということが周知され始めておりますの。
 そこで高まる需要にお応えするために!
 わたくしたちベルナール姉妹が、正座指導希望の団体や個人に、正座を教えることになったのですわ!」
「そうなんだ、すごいね! それって、わたしたちだけじゃなくて、数学部と一緒に作り上げてきた『正座勉強法』が認められてきてるってことだもんね。
 でも……」

 普段活動している茶道部を飛び出し、正座を学びたいと思っている人の所へ、積極的に教えに行く。
 茶道をするときのための正座だけじゃなくて、集中力アップや、眠気防止策としての正座も教える。
 それはとてもすばらしいことだ。
 それこそが『正座先生』の務めだとも思う。
 ……ただ、一つ気になることもある。

「コゼットちゃんジゼルちゃんは、今のうちの部の部長と副部長だよね。
 茶道部はどうするの? 『出張・正座先生』の活動は、部活と兼任できそうな範囲でやっていくのかな?」
「そうです! そこでわたしたちなんですよーっ! リコ名誉部長!
 さぁさぁ、言っちゃって、シノ」
「はい!」

 でも、指摘するまでもなかったようだ。
 わたしの不安の解決策は、オトハちゃんとシノちゃんがすでに持っているらしい。
 この『シノちゃん』とは、二年生部員の『カツラギ シノ』ちゃんのことだ。
 シノちゃんは大の『日本好き』であり、また、オトハちゃんの幼馴染で、二人は高校入学前からとても仲がいい。
 だけどシノちゃんも、当初は『正座下手』さんで『正座嫌い』だった。
 そんな彼女と仲良くなっていくのは、少し時間が必要だったけど……。
 シノちゃんと正座を学ぶのは、得難い経験だった。
 シノちゃんもまた、かつてのわたしのように正座に苦手意識を抱き、それゆえに『日本好き』として、してみたいことができずにいた。
 そんな彼女に、わたしは、彼女がより自由に日本の文化を楽しむお手伝いができた。そう自負しているからだ。

「では……。まだ先のことではありますが、リコ前部長にはご報告させて下さい。
 次期部長は、僭越ながら、私、カツラギ シノが務めさせていただきます」
「それでー。副部長は、わたし、オトハが務めちゃいまーす!」
「えーっ!?」

 いきなりの大発表だ。
 茶道部は文化部なので『三年生は、絶対にこの日までに引退しなくてはならない』という日は決まっていない。
 だから、今年度、わたしとコゼットちゃんのバトンタッチも遅かった。
 だけど来年度は、四月になってすぐに部長・副部長を交代するということだろうか?

「もちろん、四月からすぐに『交代』ってわけじゃないんですっ。
 でもお二人の『出張・正座先生』の活動もありますから、四月からすぐ『引き継ぎ業務』は始めて行くつもりなんですよぉ」
「『交代』は、昨年同様、秋ごろを予定しています。
 それまで私とオトハは『部長・副部長見習い』ということですね」
「なるほどね……! すごくいいと思う。
 そうやって徐々に移行していけば、正式に就任した時も困らないし、ジゼルちゃんコゼットちゃんが出張中も、シノちゃんオトハちゃんで対応できるもんね」
「はい。そのように考えています。
 ……それにしても、とても不思議な気持ちです。
 たった一年前までは茶道の『さ』、正座の『せ』の字も知らなかった、私のような人間が茶道部の部長になる。
 そして『正座先生』としても頑張っていくなんて……。
 人生……というと、大げさかもしれませんが、未来のことはわからないものですね。
 不安な点は少し、というか、多くございますが、できる限りのことをしたいと思っています」

 シノちゃんはそう言い終えると、緊張しているのか、小さく息を吸って吐いた。
 だけどわたしは、それを見て、より、シノちゃんは部長向きだと思った。
 なぜなら……。

「シノちゃん。シノちゃんは今『自分はいい部長になれるのかな?』って悩んでいるのかもしれないけど……。
 わたしは、そうやって悩みながら頑張ってくれる部長って『いいな』『素敵だな』って思うよ。
 それだけ、部の事を真剣に考えてくれてるんだなって思えるもん」
「リコ前部長……ありがとうございます!」
「だから、わたしはシノちゃんが部長になることに大賛成だよ。
 だけど、ちょっと意外ではあるかな。
 わたしはてっきり、オトハちゃんも部長志望なんじゃないかと思ってたから」
「あーっ。リコ名誉部長、そこ、わかっちゃいますー?
 実は、それに関しては、去年の夏ごろから考えてましてー。
 ねえ? コゼット部長?」
「はい。昨年の夏は、オトハさんとシノさんを交えてフランスへ行ったのですが、そのときにご相談いただきましたの。
 わたくしコゼットの次に部長になる人は、一体誰が適任なのかと」
「そんなことがあったんだ!」

 去年の夏休みは受験勉強で忙しくて、わたしはその旅行に参加することはできなかった。
 ……まさか、そんな大切な話をしていただなんて!

「リコ名誉部長。わたし……自分の『好きなことには一直線』『マニア気質で、趣味を極めようとしちゃう』といった性質は、正直言って、好きです。
 いいことだと思ってます。
 でも、だからと言って……。
 『みんなに、わたしのようになってほしい!』って考えるのは、違うなって思うんです。
 良くも悪くも……。
 わたしみたいな人には、みんななれないと思うんですよぉ。
 それに、良くも悪くも一人で突き進みすぎちゃう、わたしみたいな人が部長になったとき、部員みんながついてきてくれるかと言うと……。
 必ずしも、そうじゃない気がするんです。
 中には『部長のやる気についていけない』って思う人が、現れてしまうんじゃないかなぁって。
 だからわたし、考えたんです!
 たとえばわたしが『正座下手』さんだったら、どんな人に部長になってほしいか。
 それはやっぱり、シノのことだと思ったんです!
 以前正座を苦手としていて、上手くできない人の気持ちがわかるシノなら、きっとみんながついていきます。わたしは、それを支えたいと思ってます。
 だから、これは納得の上での選択ですっ!
 なので今後、というか今日からリコさんのことは『リコ名誉部長』。
 コゼットさんのことは『コゼット部長』。
 シノのことは『シノ次期部長』って呼ぼうと思いまーすっ!
 もう呼んじゃってますけど!」
「あ、だから今日突然『リコ名誉部長』なんて呼び方をしてたんだね!?」
「そうでーす! わたしの中では三人ともずっと部長ですけど、呼び方変えないと混乱を招くこともあると思ったのでー!」
「そうだったんだ……」

 オトハちゃんの主張はとても筋が通っていて、これまたとても安心できるものだった。
 確かに『正座下手』さんの気持ちがわかるシノちゃんが部長として中心になる。
 それを『星が丘高校茶道部マニア』ともいえるほど部に詳しいオトハちゃんが副部長として支えれば、この部は今後、もっといい団体になって行くことだろう。

「あっでも、だからといってー。
 わたしは何もしないわけじゃありませんよっ!」
「えっ!? どういうこと!?」

 だけど、オトハちゃんは、単に副部長をするだけにはとどまらないらしい。
 オトハちゃんは続ける。

「わたしは。来年度から『広報・正座先生』になっちゃいます!
 具体的には、茶道部と正座を学校外の人にアピールするために、日常の活動内容を紹介する動画や写真を撮ったり、それを動画サイトやSNSへ投稿したり。
 学校のホームページ内にある茶道部ページももっと充実させて、紹介記事の執筆や、ブログの定期更新をしますよー!
 かつてのわたしやシノみたいに、志望校から遠い場所に住んでる中学生にとって、インターネットは本当に大切な情報源なんです。
 だからわたしはっ。『広報・正座先生』の活動を頑張っていきますよー!」
「それ、すごくいい! それに、オトハちゃんらしいね」
「はい! 受験勉強中、茶道部の動画を見てはやる気を燃やしていたわたしですから。
 これが、一番自分に適任な仕事だと思ってます!
 では次! マフユさんどうぞ!」
「はいでござる!」

 オトハちゃんの決断にジーンときていると、オトハちゃんが次の発言者としてマフユさんを指名した。
 どれどれ。マフユさんはどんな話をしてくれるのだろう。

「リコ殿。拙者は……お菓子を極めたいと考えているでござる……!」
「おおっ! それは『お菓子・正座先生』になっちゃうってこと!?」

 マフユさんは一年生部員で、シノちゃん同様、去年の今頃は、自分が茶道と正座をやるなんて、思いもしていなかった人だ。
 そんなマフユさんも、茶道部の活動にプラスアルファしてやりたいことを見つけているなんて、すばらしい!

「コゼット殿とジゼル殿が『出張・正座先生』となり、シノ殿とオトハ殿が新部長と副部長になる。
 そうなったとき、拙者は何をして部に貢献しようか……と、改めて考えたのでござる。
 そこで今の自分は、茶道部でも出している和菓子の美しさに、改めて惹かれていることに気づいたでござる。
 なので、拙者は『お菓子・正座先生』になるでござる!
 作ったお菓子は、部でお出しするのはもちろん、写真やレシピを、オトハ殿に頼んでインターネット公開してもらおうと考えているでござる!」
「いいねえ! わたしも食べさせてもらいに来ちゃうね!」
「ああああああの! わわわわわ! わたしは!
 しょ、しょ、書記を務めさせていただきます!」
「わぁっ!?」

 そしてその次に切り出したのは、一年生部員の『ヤノ モエコ』ちゃんだ。
 わたしは彼女とほとんど一緒に活動できなかったので、実は彼女のことはほとんど知らない。
 でも、引退した上級生部員があまり知らない下級生部員が、部で活躍しているということ。それは、世代交代ができている証でもある。
 これもすばらしいことである。

「リリリ、リコ前部長にとっては、わたしが、なじみのない存在だということはっ、わかっています。
 で、で、でもどうしてもご挨拶とご報告がしたくてっ……」
「その気持ち、とても嬉しいよ。ぜひ話して?」
「ははは、はい!」

 モエコちゃんはこの通り、とても大人しく、人と話すのが苦手な子だと聞いている。
 そんな彼女が茶道部の書記になったということは、何か理由があるのだろう。

「わわわ、わたしはちょっと部に入ったのが遅かったので、まだこれと言ってできることはありません。
 でも、茶道部を支える存在になりたいって、思ってます。
 なので……わたしは『見習い・正座先生』として頑張ります!」
「モエコさんはこのようにおっしゃいますが、実際はすでに部のデータ管理やスケジュール作成等、様々な分野で大活躍されています」
「そうそう! で、わたしとシノは人前に出ることや会議とかに集中して、モエコちゃんにはデータまとめや管理をお願いすれば、より円滑に部が運営できるって思ったんですー!」
「いいね!」

 そうか、人材が豊富だと、こんな風に役割分担ができるんだ。
 モエコちゃんが人と話すのが苦手なら、それを無理やり克服させるのではなく、得意としている分野で活躍してもらう。
 それって、個々の気持ちを大切にする茶道部らしくて、とてもいいと思った。

「そうだ。ナナミは?」

 となると、今ここに集まっていて、まだ唯一発言していないナナミのことが気になってくる。
 でも、ナナミは予想に反して、少し残念そうに話し始めた。

「私は、来年度は剣道部の活動がより忙しくなってしまいそうです。
 茶道部にも、引き続き兼部部員として籍を置かせていただきますが……。
 おそらく、あまり活動はできないと考えています」
「そっか……」

 だけど、話はここで終わりではなかった。
 ナナミはわたしに向かってピースサインを作ると、このように提案してくれたのだ。

「なので! 私は、自分なりに茶道部で培ったことを剣道部により還元していきたいと思っています。
 それは、剣道部でも正座先生になることです!
 剣道部部員のみんなは普段から正座しておりますが『なぜ正座をするのか』『正座にはどのようないい点があるのか』については知らない人が多いです。
 そんな彼らに正座の良い点について教え、モチベーションを高め、剣道以外でも正座を活用してもらう。
 来年度、私はそれを目標にします。
 いわば私は『出張・正座先生』の派生版。
 『剣道・正座先生』になる! といえますね」
「いいねえ!
 じゃあ、みんながそんな風になるなら……。わたしはそしたら……。
 『大学生・正座先生』とかになるのかな?
 他のみんなと比べて、肩書って呼ぶには弱い気がするけど……。
 やっぱり別のがいいなぁ……」

 なので、わたしも『正座先生』の前にプラスする新しい肩書が欲しいなと思ったけど、すぐには出てこなかった。
 だけどそんなわたしに、コゼットちゃんとオトハちゃんが、優しく諭すように言ってくれる。

「『大学生』の部分を今後何に変えていくかは、大学生になってから決めてもよいことだと、わたくしは思いますわよ。
 リコ様は大学受験という、大きな試練を乗り越えられたばかりです。
 だから、少しくらいはゆっくりして。
 それから今後のことを考えればよいのです」
「そうですそうですーっ。
 『大学はスタートダッシュが肝心!』とか。
 『何事も、始めて即頑張らなきゃダメ!』みたいな風潮ってあると思いますけど。
 そんなの人それぞれなんですっ。
 リコ名誉部長はリコ名誉部長のペースで! これからどんな正座先生になるかを決めてほしいです!」
「そうです。すぐに新しい肩書を決めて、すぐに活動できる。
 そんなことができるのは、オトハのような『ハリキリ系』の方だけですよ」
「アハハッ。まさにシノの言う通りだねーっ」
「じゃあリコ殿。まずは今日『OG・正座先生』になるのはどうでござるか?」
「『OG・正座先生』? それって、何をする人のこと?
 『OG』っていうのは『女性の卒業生』って意味だから。
 聞いた感じだと『大学生・正座先生』と、あんまり変わらない気がするんだけど……?」
「いーえっ。大きく違うでござるよぉ?」

 マフユさんの提案にわたしがキョトンとしていると、ナナミが微笑んで、自分の膝をポンポン叩いた。
 『ナナミの膝を見ろ』ということだろうか。
 ナナミは、いつも通り、とても美しい姿勢で正座している……。
 ん? これは、つまり?

「そうですマフユさんの言う通りでーすっ!
 リコ名誉部長! OGとして、わたしたちに正座指導してくださいよっ。
 リコ名誉部長の指導、久しぶりにいただきたいですっ!」
「本当? いいのかな? ここで始めちゃって」
「もちろんですことよ。茶道部を立て直した『OG・正座先生』であるリコ様の正座指導は、みなさまの今後の指針になりますわ」
「よーし! じゃあ始めるね!」

 こうして正座指導をしてほしいと言われたとき、わたしが思い出したのは、先日友人の『モリサキ ユリナ』がしてくれた正座指導だ。
 ユリナはわたしを通じて正座に関心を持った子で、それまでは正座についてまったく何も知らなかった。
 だけど、だからこそ要点を抑えた教え方のできる正座先生になり、先日わたしや、そのとき一緒にいた友人たちに、丁寧な指導をしてくれたのである。
 かつて自分が指導した人から、良い指導方法を学ぶ。
 こういうのって、すごく幸せなことだと思う。

「正座は、まず、膝から足の甲までを床につけて。
 それから、膝を曲げて、かかとの上にお尻を乗せる座り方です。
 この座り方をより自然に、より楽な状態で続けることが、正座を学ぶうえでの目標になります。
 具体的には、まず、座るとき、背筋はピンと伸ばします。
 こうするだけでなんとなく、呼吸がしやすいような、気持ちが引き締まるような。
 そんな気持ちになると思います。
 次に、肘は垂直におろします。
 そして手を膝の上に置くことになりますが、この置き方は、カタカナの『ハ』の字を意識してください。
 そうすると、ちょっと胸を張るような感じになって、やはり呼吸がしやすいような、気持ちが引き締まるような感じになると思います。
 ここで、足の裏を見せる形で座ることになりますが、足に関しては自由です。
 足の親指同士をどうするか気になるところかと思いますが、『親指同士が触れる程度』『軽く重なり合っている程度』『深く重なり合っている程度』どの状態でも大丈夫です。
 でも、足の親指を、もう片方のかかとよりも、外側には向けないようにしましょうね。
 そしてそれから、スカートをはいて正座するときは、スカートは必ずお尻の下にひくようにしましょう。
 スカートの裾が広がっているのは見栄えがよくありませんし、誰かがうっかり踏んでしまうなど、怪我の可能性も出てしまいます。
 ……こんな感じかな?」
「わー! リコ名誉部長の指導、丁寧で、何度聞いても気が引き締まりますねーっ。
 でもっ。これからはわたしも『すごーい!』って言うだけじゃなくて、超えていくつもりで頑張りますから!
 絶対時々遊びに来てくださいね?」
「オトハ。それ、主に、リコ前部長に遊びに来てほしいって気持ちで言っているでしょう?」
「アハハッ、バレちゃった。でも、超えていきたい気持ちも本心ですからっ!」
「ちょっとオトハさん? 聞き捨てなりませんわ。
 リコ様よりもまずはわたくし! 現部長であるわたくしの存在を忘れてはなりませんわよ!」
「フフフ。コゼット殿は相変わらず負けず嫌いでござるなぁ!」
「ありがとう……。みんな。
 お言葉に甘えて今後はまず『大学生・正座先生』兼『OG・正座先生』として、大学での正座と茶道を頑張りながら、OGとしてみんなの様子を見に来るね。
 じゃあみんな、これからは、今日までよりもバラバラになってしまいますが……。
 これからも『正座仲間』『茶道仲間』としてつながり……。
 仲良くしていただけますか?」
「もちろん……」

 わたしが提案すると、みんなの声が揃う。
 わたしはここからさらに続くだろう言葉が好きだ。
 思えば茶道部に入ったときも、当時の先輩である『マジマ ユキ』さんとこんなやり取りをしたのである。
 ああ、ユキさんは今頃どうしているだろう。
 彼女からは、今朝卒業祝いのメールをいただいている。
 だから、今日このパーティが終わったら、きちんとお礼の連絡をして、それから、今の気持ちをたっぷり伝えよう。
 それから、一つ上の代の『カワウチ アヤカ』さんや、『ワタベ ミユウ』さんともお話ししたい。
 活動する場所が変わっても、物理的な距離が離れてしまっても、わたしたちは正座を通じて繋がっている。そう思うから……。

「喜んでー!」

 わたしはこれからも『星が丘高校茶道部OG』として『正座先生』活動を頑張っていくのだ。
 全員が高くこぶしを突き上げ、明るく声を揃える。
 苦手な正座を克服し『正座先生』になりたいと願ったことで開けたわたしの新しい世界は、今日、こんな風に一つの区切りを迎えたのだった。

(おわり)

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