[330]円座(わろうだ)の中に鏡
タイトル:円座(わろうだ)の中に鏡
掲載日:2025/01/01
著者:海道 遠
イラスト:よろ
あらすじ:
薫丸(くゆりまる)は公家の御曹司。思春期真っただ中。
傀儡子(くぐつし)の一団、人形遣いの少女オダマキや、弓矢の師匠、半夏(はんげ)青年と大の仲良しだ。
新しくやってきた別の傀儡子の女の子、ネリネは親方に怒鳴られる毎日だ。ある日、自分が編んだ円座(わろうだ)をくれた。
薫丸たちが正座しようとすると、円座からムカデが這い出てきて、オダマキの腕に咬みついた。毒で苦しみ出すオダマキ。
さて、薫丸と半夏は?
本文
当作品を発行所から承諾を得ずに、無断で複写、複製することは禁止しています。
序章
「さあ、いらっしゃれ、いらっしゃれ!」
都の賀茂川の河原では、朝早くと夕暮れになると野菜売りや川魚売り、雑貨売り、傀儡子(くぐつし=大道芸師)たちが店開きする。
朝は、川で洗濯する女将さんたちや仕事場に向かう男たちが、足を止める。
新しく加わった傀儡子の一団の親方は、ゴウツク親方といい、えらく巨漢で樽のような腰周りに沢山のものを着けていた。大振りの刀や反った幅広い斧(おの)のような刃物、まじないのためか、小さいドクロが十数個連なった飾り、丸薬入れのひさご(ひょうたん)を着け、顔つきは目が胡乱(うろん)で不機嫌そう、イライラしてしょっちゅう手下を怒鳴りつけている。腰周りの武装は、勇ましさではなく臆病さを物語っていた。
「さっさとしろ!」
人使いの荒さは怒鳴り声から判る。傀儡子たちは黙々と従っていた。
ネリネという十歳そこそこの野菜売りの少女も、いつも怒鳴られてビクビクしていた。利発そうな顔しているが、多分、売られてきたのだろう。
自分で編んだ円座(わろうだ)を敷いて、少しばかりのしなびた野菜を売っているのを、薫丸(くゆりまる)とオダマキは遠くから見ていた。
「ひどい親方だな……」
「うちの親方と大違いだわね」
第一章 酷暑
平安時代――。
貴族たちは大きな屋敷で豪勢に暮らしているが、庶民はひとたび、干ばつや大雨に見舞われるとたちまち飢える生活をしていた。
その年の夏、都の一帯は炎熱地獄とでもいうような凄まじい暑さかと思えば、落雷や大雨に見舞われたりしていた。
ここ数日は、酷暑の毎日が続いている。
九条家の若君、薫丸(くゆりまる)は、いたずら盛りの14歳。ちっとも屋敷にじっとしていないで、幼い頃から馴染みの傀儡子の一団と過ごしていた。
両耳に垂れる下げみづらを、ばあやにいつも結ってもらい、それにはそぐわない水干(すいかん)という着物を着ている。
傀儡子の親方は元より、人形使いの少女オダマキや、弓矢の使い手の青年、半夏(はんげ)や踊り娘のお姐さんたち、綱渡りを披露するにいさんたちとはすっかり仲間だ。
薫丸は今年の暑さをどうにかできないものかと頭をひねった。都の北の貴船の氷室(ひむろ)から氷を取り寄せて、傀儡子の仲間と氷をけずって飛ばしたりする芸を披露してみた。庶民は少しばかりでも涼感を味わい、喜ばれていた。
ある日、夕方になり、野菜売りの少女ネリネが恥ずかしそうに近づいてきて、円座(わろうだ)を三枚差し出した。
円座とは、イグサやマコモなどで円く(まるく)編まれた座布団だ。とても細やかに丁寧に編んである。
「あたいはネリネといいます。涼し気な芸を見せてくださってありがとうございます。拙い手編みの品ですが、どうぞお使いください」
つぶらな黒い瞳だ。
「君が編んだのかい? もらっていいの? 座り心地が良さそうだ! ありがとう!」
「ありがとう、ネリネちゃん!」
薫丸とオダマキは喜んでもらった。
第二章 ムカデの出現
小屋に帰った傀儡子一同は、やれやれと荷物を置いた。
「ネリネちゃんにもらった円座を使って正座してみよう」
オダマキがさっそく敷こうとした時、中から黒く長いものがゾロリと這い出してきた。
「うわ~~~! 巨大ムカデだ!」
薫丸が叫んだ通り、黒光りした青大将ほどもある巨大なムカデだ。オダマキは思わず放り出したが、遅かった。
「あいたっ」
腕を咬まれてしまった。
ムカデは毒の出る牙を持っている。みるみる間にオダマキの腕は赤く腫れ上がった。
「痛いっ、ズキズキ痛むわっ」
半夏が小屋を飛び出して、ネリネを追いかけた。
「おいっ、どういうわけだ! 円座の中から大ムカデで出てきたぞ!」
ネリネは半泣きになって、砂利の上に土下座した。
「お、お許しください。ゴウツク親方に命令されて仕方なく……」
「ゴウツク親方が?」
ライバルの一団の親方だ。
「水芸が人気があるのを見て、ムカデ入りの円座を作らせたんです。言うことを聞かなければひどい目にあわせると言って……」
ネリネは「わっ」と泣いてうずくまった。
「ううむ。俺は女の涙にゃ弱いんだ」
筋肉隆々の半夏も、困って髪の毛をかきむしった。
「半夏さん! オダマキが熱を!」
薫丸の声に、半夏は小屋に戻った。
オダマキは真っ赤な顔になり、苦しそうな呼吸をしている。
「どうしよう、このまま熱がひかなかったら……」
オダマキの親代わりの、茶色い頭巾の親方が走りこんできた。
「おい! 暑さ平癒のために、霊験あらたかな衆宝(しゅうほう)観音さまが清水寺に参拝に来られているそうだ! 熱を下げる方法を聞いてみたらどうだ?」
「よし、参拝通りの宿を片っ端からあたってみるよ!」
薫丸と半夏が飛び出していった。
聞いて回っているうちに宿が判った。
衆宝観音は場末の宿に泊まっておいでだった。いくら場末に泊まろうと、輝くような美しさが人目を引かないはずはない。
案内されて入っていくと、おんぼろな板壁からキラキラした光がもれていて肉付きのよい女性が片膝を立てて座っていた。なまめかしくも神々しいことと言ったら、匂い立つ薄紅の蓮の花のようだ。
衆宝観音は急な客に戸惑った様子だ。
「女の子がムカデに咬まれた? ムカデは七福神のおひとり毘沙門天どのの使いです。神聖な存在なので願いは叶い、富も財宝も豊かになるのですよ」
「ムカデが神聖な存在? でも、熱が引かないのです!」
「オダマキの熱を下げてください!」
薫丸と半夏は、もう一度きちんと正座して頭を下げた。
「熱心なボクと青年だこと……。困ったわ、わたくしには解熱の知恵はないのだけれど……様子を見てみましょう」
衆宝観音は自らワラジを履いて、傀儡子たちの小屋に向かった。
第三章 毘沙門天のところへ
小屋ではオダマキがうなされていた。ムカデに咬まれた腕は大きく腫れている。
「これは気の毒に……。薬師(くすし)はなんと言ってるの?」
「薬は飲ませましたが、効いてこないのです」
そっと垂れ幕をめくって覗きに来たネリネが、
「解毒なら、蛇やサソリをやっつける孔雀の背に乗った孔雀明王さまがご存知かも?」
「じゃあ、その方にお願いしよう!」
薫丸は「善は急げ」タイプだ。
「待って!」
ネリネが慌てて引き止めた。
「孔雀明王さまはお作法に厳しくて、きれいな正座ができる者にしか会われないのよ」
しかし、衆宝観音が、
「大丈夫、会ってくださるわ。きっと良い方法を教えてくださるにちがいないわ」
薫丸と半夏はうなずきあって、半夏は長い弓矢をつかんだ。
「待ちなさい。その前に、円座の中のムカデを放り出したことを毘沙門天さまに謝らなければ筋が通りませんよ!」
薫丸と半夏はハッと足を止めて、シュンとした。
「ほほほ、大丈夫。毘沙門天さまは怖い方ではありませんから」
「は、はあ」
「円座の中にごく普通の宝鏡を編みこみ、毘沙門天さまに献上して、引き換えに彼の秘宝の鏡を貸していただくのです」
「何のためにそんなことを?」
「彼の持つ宝鏡は、美しい正座を見極める力があるのよ。あなた方の正座を映し出して見せれば、孔雀明王さんも安心してお会いになるでしょう」
「そんな回りくどいことをしなくてもさぁ……」
薫丸は大きな態度で、
「おいら、いや、麿は九条家の若なんだ。小さい頃からさんざん女房たちに唐渡りの正座を稽古させられたんだぜ。正座なら百点満点の花丸の自信あるから! なあ、半夏さん?」
衆宝観音はホウッと、優しい息を吐き、
「あなたのことを疑うわけじゃないのよ。でも念には念を入れて毘沙門天さまの宝鏡をお借りすればよろしいわ」
「じゃ、そうするか? 薫丸」
半夏が言い添えた。薫丸は空でも飛んで孔雀明王のところへ行きたい気分だったが、仕方なくうなずいてオダマキの枕元へ寄った。
「オダマキ、待ってろよ。おいらが熱の下がる方法を聞いてきてやるからな」
小屋を出て夜の都小路を歩きながら、
「そっか。まず、毘沙門天さまに謝らなきゃな。ムカデをビシッとしちまったんだから」
「はんなりした観音さまのおっしゃることがもっともだ」
薫丸は、半夏にいさんの鼻の下が伸びてることに気がついた。
「半夏さん、衆宝観音さまのはんなりお色気にビビッと来た?」
「何を考えてる。早く行こうぜ」
第四章 毘沙門天さまの鏡
夜が明けてしまった。朝早くから暑さがじわじわ身にしみる。
毘沙門天のお堂を訪ねてみた。巨大なお堂の影が薫丸と半夏の影を飲みこむ。
「毘沙門天さま~~~!」
「薫丸と半夏と申す人間です。ちとお伺いしたきことが……」
一向に返事がない。
ふたりは奥に進んでいった。すると――、薄暗い床に、甲冑(かっちゅう)姿で倒れている方がいるではないか。
「毘沙門天さま?」
まさしく絵でよく見る甲冑の黒ヒゲを生やした、髪の毛は黒い剛毛の毘沙門天だ! 大の字になって倒れている。
「毘沙門天さま! しっかりしてください!」
甲冑を脱がせると、熱がこもりきっている。あまりの暑さで気を失ったらしい。
半夏は大急ぎでお堂の側の井戸から水を汲んできて、バッシャ―――ン! と、ぶっかけた。
「ぶ、ぶほ?」
毘沙門天は、目を覚ませた。
水をごくごく飲んでひと息ついた毘沙門天は、やっと我に返った。
「何? うちの眷属(けんぞく)のムカデが、お連れに咬みついたと?」
「それで解毒のことを聞くために、孔雀明王さまのいらっしゃる山寺を訪ねようと思ったのさ!」
「薫丸、言葉遣いは丁寧に! 四天王のおひとり、毘沙門天さまだぞ!」
半夏は改まって座り直し、
「誠に厚かましいことではございますが、毘沙門天さまがお持ちの宝鏡をお貸しいただけないかと……」
「むむ? わしの宝鏡を?」
「宝鏡は正座ができているかどうか、見極める力があるとのこと。正座が完璧にできる人間でないと、孔雀明王さまは会ってくださらないとかで」
「そうだったかな? 行商の骨董屋がそんなことを言っていたような?」
頼りない返事に、薫丸と半夏はガクッとなった。
「かまわんよ」
毘沙門天は神棚から宝鏡を下ろし、
「ほれ、持っていきな。うちのムカデが咬みついた詫びだ。質屋に入れてもかまわんよ」
「おお、ありがとうございます!」
ふたりは大喜びで、カマドのフタくらいある宝鏡を受け取った。
色とりどりの石で飾られている宝鏡だ。
「良かったな、薫丸! 毘沙門天さまって、いかついヒゲを生やしているのに、超、気さくな方で」
「うん。半夏さん、しっかり宝鏡を背負ってよね」
「おう! 孔雀明王さまのところへ急ごう!」
第五章 山寺の朝
山々が重なって、紫色から薄むらさき色に見える。
陽がやっと昇ってきたばかりだというのに、今日も暑さが厳しい。
山寺の門前で、一羽の美しい孔雀が翼で器用に庭ボウキをはさみ、掃きそうじをしている。
「ふぅ~~、暑いわ、ボクの自慢のタマムシ色の羽根は砂ほこりだらけになるわ、イヤんなるなぁ~~」
砂ボコリで真っ白になった翼と尾羽を情けなく見下ろした。
「いやいや、これも修行のうち。まゆらちゃんのためにも、ちゃんと掃除しないとね」
ホウキを持ち直して掃きはじめたところ、つづれ折りの山道を見慣れないふたり連れが登ってくるのが見えた。
「今日もかなりな暑さになりそうですわね。少しでも雨が降ればいいのですけど……」
孔雀明王のまゆらちゃんが、4本の腕に二重にたすき掛けをして、本堂の床を拭き掃除している。
「そうじゃな。本堂にも参拝のお客様のためにエアコンを設置せにゃならんかの?」
住職は、ご本尊の御身ぬぐいをしてから、手を合わせてため息をついた。
「ご住職、暑いからって朝の勤行を簡単に済ませようってのはいけませんわよ」
まゆらちゃんが長い髪をポニーテールに縛りながら、可愛く睨みつけた。
「エアコンは嬉しいですが、そんな資金はうちには無いでしょう」
「肝心なのはそれなんじゃ。もっと参拝客を呼ぶ方法はないものかな?」
「近頃、流行りのライトアップとか? でも、山門や本堂も特別きれいでもなし、花火大会をするわけにもいかないし、私とピーちゃんの立ち姿しかないのでは、ねえ」
などと話しているところへ、大きな声が聞こえてきた。
「ご住職さま~~、まゆらちゃ~~ん、お客様ですよ~~」
「あら、ピーちゃんだわ。お客様ってどなたかしら?」
「ナマイキそうなガキンチョと、ムキムキの男だよ! まゆらちゃん、一目惚れしちゃダメだよ!」
「ピーちゃんたら!」
「九条家の息子で、薫丸と申します」
「弓矢の師匠で半夏と申します」
ふたりは本堂の床にピシリと立ち、頭を下げた。薫丸の下げみづらがピョコンと跳ねた。
まゆらちゃんは首をかしげてから、ピーちゃんに彼らを座敷にお通しするように言った。
座敷に腰を下ろす前に、
「まずは、これをご覧ください」
薫丸が、半夏の背負っていた風呂敷包みを広げた。
かまどのフタくらいの大きさの厚みの宝鏡が現れた。金、銀、孔雀石の細工で鳳凰や龍、亀、その他の吉祥紋があふれんばかりに施されている。内側はピカピカの鏡の面。
「この鏡は……」
薫丸が勢いよく背すじを真っ直ぐにして立ち、膝をついて衣をお尻の下に敷いてかかとの上に座った。青年がそれを鏡に映して見せた。それから薫丸が鏡を持ち青年が同じ所作で正座した。
「そ、その所作は……」
まゆらちゃんが目を丸くした。
「はい! ちゃんと座れているでしょうか?」
「ええ。座れてますとも。私も正座師匠から習った通りよ」
まゆらちゃんは姿勢を正した。
「私に真剣なお話がありそうですね」
「はい! いたいけな女の子が、毘沙門天さまのムカデに咬まれて生死の境を彷徨って(さまよって)いるのです。孔雀明王さまに、ぜひ解毒の方法を教えていただきたくお伺いしたのです」
「ムカデに咬まれた?」
「お願いです! 早くオダマキを助けてやってください!」
まゆらちゃんの目つきが鋭くなった。
「ピーちゃん! 今すぐ、私とこの少年を背中に乗せて、京の都まで飛んでちょうだい!」
第六章 役人の調べ
孔雀のピーちゃんはやれやれと言いながら、まゆらちゃんと少年を背中に乗せて倭国の京の都まで飛んだ。
傀儡子たちの小屋が建てられている河原へ舞い降りる。
すぐにオダマキの元へ駆けつけ、まゆらちゃんが傷口から毒を吸いだそうとすると、薫丸が引き止めた。
「あっ、吸い出すのは、毒を吸っちゃうからダメなんでしょ?」
孔雀のピーちゃんが翼をバサバサさせて、
「大丈夫、大丈夫。ボクたち、毒蛇やサソリの毒にもなんともならないから!」
まゆらちゃんが毒を吸い出したが、熱は退かない。
「咬まれてから丸一日経ってるからなあ……」
オダマキの真っ白になっている唇が動いた。
「ネリネちゃんが……ひたすら謝るの……。『ごめんね、ごめんね、苦しい目にあわせて……ムカデを入れてしまったの。あたい、悪い子だったわ』って……」
「じゃあ、やはり野菜売りの子が?」
薫丸が急いで聞いたが、オダマキはふたたび昏々(こんこん)と眠り続ける。
まゆらちゃんが、
「ムカデは親子二匹組で行動するのよ」
半夏が重い宝鏡を背負って、全身から汗をしたたらせて遅れて帰ってきた。
宝鏡を下ろすや否や、すぐにゴウツク親方の幕小屋に走っていって、巨体の親方を取り押さえる。
「罪のない子どもにムカデを円座に入れるようけしかけ、咬みつかせた罪で検非違使庁(けびいしちょう=警察署)にしょっぴく!」
「ムカデ~~? 何のこった、俺は知らねえぞ!」
ゴウツク親方は、半夏の力強い腕で連れて行かれた。
ピーちゃんが偵察に行き、空からゴウツク親方の取り調べの様子を聞いた。
ゴウツク親方が検非違使庁の役人の前に縛られて、座らされていた。
「数か月前、大道芸に、孔雀の羽根を貸してもらうために孔雀明王に面会しに行ったんだが、正座が不合格で会ってもらえなかったんだ~~」
恨みに思ったゴウツク親方は、てるてる坊主大神の護摩焚きに雨を降らせないよう祈願したと白状する。
「雨乞いの神でもある、孔雀明王の評判を落としてやろうと思ったんだ~~!」
親方とネリネが山寺で孔雀明王の答えを待っている時、ふたりの姿が寺の宝鏡に映ったのだった。
たとえ正座ができていなくても、まゆらちゃんは面会を断ったりしないのだが、その時は天敵のムカデの気配を感じ取ったので会わなかったのだ。
ゴウツク親方は更に白状した。
「ムカデの母親に『子どもにもっといいメシを食わせてやらないか?』と、誘いをかけたんだよぉ」
とばっちりを受けたのはネリネだ。酷暑が続いて畑の野菜は枯れて収穫が少なくなり商売は立ち行かなくなる。
一方、薫丸とオダマキたちは水芸で繁盛しているわで、悔しくなったネリネはゴウツク親方の命令通り、ムカデを円座の中に編みこんで渡したのだった。
第七章 宝珠の光
オダマキの熱は下がらない。まゆらちゃんは苦い顔をした。
「これは……、咬まれてすぐに傷口を水で洗わなかったでしょう。ムカデの毒が身体の中で固まっているのだわ。眠ったままでいいから、この子を正座させてくれますか? 薫丸くん」
「わかった!」
薫丸は、素早くムシロの上にオダマキを正座させて、背後から支えた。
「半夏さんでしたっけ、あなたはこの子の向こう側から、毘沙門天さまの宝鏡を持って照らしてくださいな」
「こ、こうかな?」
「ええ。どなたか、反射させる光るものを……」
「光るものなら、これはいかが?」
垂れ幕をめくって小屋に入ってきたのは衆宝観音だった。手には水晶玉のような宝珠を持っている。
「まあ、衆宝ちゃん!」
振り向いたまゆらちゃんの顔が輝いた。
「ご機嫌よう、まゆらさん。薫丸くんたちに、あなたなら熱の下げ方が分かるかもしれないって言ったのは私なの。だからお待ちしていたのよ」
「そうだったの」
「この珠は普段、私の頭上に頂いている宝珠よ。西方十万億土の先の浄土の光を集めて送ることができるの。お役に立つかもしれないわ」
観音が、宝珠をオダマキの背中に近づけた。強烈な光が半夏の持つ宝鏡に反射する。
薫丸が眩しさに思わず目元を長い袖で隠した。
(孔雀明王さまと観音さまの美しさだけでも眩しいのに、浄土の光を送るだって? 十万億土の果てから? 眩しすぎて目なんか開けてらんねえ!)
半夏も目を背けていた。
(なんて強烈な光だ、お天道様の側に寄ったみたいだ。目も心もがんじがらめだ!)
オダマキの身体が透けて見える。
「おお、これは……」
まゆらちゃんが唸る。
「やはりムカデの毒がお腹に移動して固まっているわ」
「孔雀明王さま、どうしたらいいんだい?」
薫丸は真っ青だ。
「ムカデのヌシである毘沙門天さまにうかがった方が良いわ。ピーちゃん、もう一度お願いできる?」
「分かったよ、まゆらちゃん!」
第八章 毘沙門天の奥さん
ピーちゃんは薫丸を背中に乗せて、再び毘沙門堂を訪ねた。
「ムカデの毒が固まっているだと?」
毘沙門天は考え込んだ。
「う~~む、親ムカデの毒で対処してみるか」
毘沙門天が鋭く口笛を吹くと、青大将ほどの大きさのムカデが現れた。
「お前の子がやんちゃをしたそうではないか」
親ムカデは申し訳なさそうにうつむき、孔雀の気配を感じて震えあがっている。毘沙門天はムカデの首根っこをつかみ、翡翠の小さな壷にアゴを押しつけて毒を絞った。
「これを咬まれた子に飲ませれば、毒が溶けるかもしれん」
「……かもしれんって頼りないなぁ、毘沙門天さま。プロフによると、一日に三回も焼きはらわなけりゃならないほど『福』の山に埋もれてるそうじゃないか。このピンチを救うくらいの『福』を分けてよ!」
不満たらたら、薫丸がもらした。
「そうしてやりたいのはやまやまだが、いくら眷属でも解毒の方法が分からんのだよ。それに勝手なことすると、うちの奥さんのキチジョウちゃんが怖いんだもん」
そこへ、玄関から、
「あなた~~、お客様なの?」
「ああっ、ウワサをすればキチジョウちゃんが糠(ぬか)のエステから帰ってきた! 普段はふらふらどこかへ遊びに行ってるのに、こういう時にかぎって帰ってくるとは!」
キチジョウちゃんというのは、毘沙門天の妻の吉祥天のことだ。
毘沙門天は慌てて、脱ぎっぱなしで散らかしていた鎧や兜を着けて井戸端へ飛んでいき、冷やしてあったウリを引き上げた。
「なんだか甘い香りと光の気配がするわねぇ」
襖を勢いよく開けて入ってきたのは、大陸風の衣を身に着けたグラマラスな女神だ。頭のてっぺんのダンゴに真横から鋭いかんざしが刺さっている。
ピーちゃんと薫丸は、僅差(きんさ)で、となりの部屋に逃げこんだ。
「ふ~ん? どうも何かの気配が……」
キチジョウさんの目に、ビリジャンの大きい羽毛が落ちているのが飛びこんできた。
「これは孔雀の羽根? どうして家の中に?」
「孔雀の羽根の敷物のお中元が届いたから、さっそく正座の稽古をしていたんだよ。その時、きっと一本抜けてしまったんだな。キチジョウちゃん、お稽古、見てくれるかい?」
毘沙門天は、甲冑をガシャガシャさせながら立ち上がる。
「変な座り方してたから、足がつっちゃった。ちょっと待ってね。これで真っ直ぐ立てたかな?」
「ええ。『大魔神』みたいにギクシャクしてるけど」
「床に膝を着いて、と。お尻の下に衣を敷いて、かかとの上に座る。どう? 唐渡りの正座ができてるかい?」
「まあまあ、できてるわね」
「そう! ありがとう! キチジョウちゃんに褒めてもらって、ホッとした! さあ、冷やしてあったウリ、食べようよ。外は暑かっただろう?」
ウリを切りに行く隙に、毘沙門天は落ちていた孔雀の尾羽根をピーちゃんに返した。
第九章 孔雀のちょんまげ
「ごめんね、オダマキちゃん……。私、きっとどうかしてたんだわ」
薫丸とピーちゃんが帰ると、ネリネは涙をボロボロ流して、オダマキの額と傷口に手ぬぐいをあてていた。
「おじさん、その鏡をあたいにも持たせてくれる?」
「おじさんって、俺のこと?」
半夏は自分を指差してから、毘沙門天が「持ってけ」と言った宝鏡をネリネにゆだねた。
「重いから気をつけろよ」
宝鏡には色んな宝石に混じって、ひときわ立派な孔雀石が輝いている。ネリネはオダマキの背後にまわり、孔雀明王と衆宝観音は前に正座した。オダマキの背中側にある宝鏡の石たちが美しい光を放ちはじめる。
お腹の中に、どす黒い液体がうごめいているのが見えた。ムカデの毒だ。
「これが親ムカデの毒だ。子どもムカデの毒に勝ってくれれば……」
薫丸は薬壷をオダマキの口にあてがい、飲ませた。
「こりゃ、不思議な治療法だな。親の毒と子の毒を戦わせるのか」
茶色い頭巾の親方が呆然と見ていた。
「毘沙門天の思いつきなんだ。頼るしかない」
「ううっ、ごほごほ……」
オダマキの顔がしかめられて、むせた。
孔雀明王の手に戻った尾羽根の緑色の光と、衆宝観音の宝珠が放つ光を浴びたオダマキのお腹の影が、生き物のようにうごめく。
「みんな、頑張って!」
ピーちゃんが叫ぶ。
ネリネの涙が止まらない。親方が優しく背中に手を置いた。
「オダマキはきっと毒に勝つさ」
「でも、あたいが苦しい目にあわせてしまった……」
「ゴウツク親方が厳しすぎたんだ。仕方ないさ。こうも暑くちゃ、人間、イライラしちまう」
ムシロの垂れ幕から、にょっきりと三叉(さんさ)の槍が出てきてめくられ、黒い兜を被った大男が顔を覗かせた。
「び、毘沙門天さま?」
大きい手の指先に、細い細い緑色の羽根をつまんでいる。
「おい、孔雀! オツムのちょんまげを一本、落としていっただろ」
ピーちゃんが慌てて頭に翼をやり、
「あ、本当だ!」
「肝心のセンサーの役目をするこいつが、宝鏡の孔雀石に反応しないと、ムカデの毒をやっつけることができないんだよ。届けにきてやったぜ」
「ええ~~?」
「奥さんのキチジョウちゃんに正直に話したら、持ってってやれってさ」
まゆらちゃんが毘沙門天の前に出てきた。
「吉祥天さまが、なんというお慈悲を……。毘沙門天さま、くれぐれもよろしくお伝えくださいませね」
毘沙門天はまゆらちゃんの美貌にコチコチになって、何も言えない。
「ピーちゃん、私が着けてあげるわ」
まゆらちゃんが、ピーちゃんの頭にちょんまげ羽根を一本、戻した。
オダマキの身体の中の固まりが溶け出すのが分かる。
やがて、小窓の外の東の空が明るくなってきた。
「オダマキちゃん……」
まゆらちゃんと衆宝観音がオダマキの顔を見つめた。安らかな寝息をしている。苦しそうな表情は去っていた。
「もう大丈夫のようね」
「ムカデの毒を撃退できたんだわ。お手柄よ。ピーちゃんのちょんまげ羽根!」
まゆらちゃんと衆宝観音が胸を撫で下ろした。
「薫丸くんが飲ませた親の毒が効いたんじゃないの?」
「連携プレーでしょうね!」
「おお! やったあああ!」
一同はバンザイした。
ピーちゃんがにんまりしながら、心の中でつぶやいた。
(これだ! 山寺の本堂に鏡のキラキラの珠を吊ったら、参拝客が喜びそうだ!)
第十章 円座で正座
ネリネは身体を投げ出して、孔雀明王と衆宝観音、そして毘沙門天の前にひれ伏した。
「ありがとうございます~~。オダマキちゃんの命を救ってくださってありがとうございます……」
オダマキが薄っすらと目を開けた。
「ネ……リネちゃん、泣かないで。元気になったら、一緒に人形芝居……しましょうね」
「オダマキちゃん、許してくれるの? ……なんて優しい……」
ふたりの少女を見守る女神ふたりがにっこりした。
「ネリネという子は、検非違使に捕えられたゴウツク親方にひどい仕打ちを受けたにしては、心まで曲がっていないようですね」
「オダマキちゃんと同じ、素直な魂の持ち主なんですわ」
それからしばらくして――。
「いらっしゃれ、いらっしゃれ!」
下げみずらの少年が手を叩いて、夕暮れの河原で客の呼びこみをしている。
「唐渡りの美しい座り方をお教えしましょう! できるようになった方には、円座の編み方を無料でお教えしますよ。材料はタダだよ!」
女将さんや男たちが家路へ急ぐ足を止めて、円座を編んでいる女の子の座り方をまじまじと見ている。
「唐渡りの座り方ってのは、これかい?」
「はい、そうです!」
円座を編む手を続けたながら、ネリネは答えた。
「へええ。そんなに足を折って、よく真っ直ぐに座れるもんだねえ」
「お稽古すれば大丈夫です。背筋が伸びて、編むことに集中できますよ」
「きれいな編み目だね」
「サラリとして暑い季節には気持ちよいですし、朝晩冷えてきましたが、秋冬には温かく感じられます」
女将さんのひとりが、円座に手のひらをすべらせた。
「唐渡りの座り方のお稽古もどうぞ。薫丸くんと半夏にいさんが、丁寧にお教えしますよ」
「半夏にいさんって、こちらのご立派な体格の?」
「はい。元はお役人様だったそうです」
「まあ! 道理で、お顔つきからして勇ましいわ」
「なのに座り方の所作を教えてくださるなんて、凛々しい方!」
「ゴホッゴホッ」
半夏が思わず咳こんだ。
若いおなごや女将さんが寄ってきて、かなり盛況だ。
ようやく、暑い暑い夏も終わりに近づいたようだ。