[297]お江戸正座9


タイトル:お江戸正座9
掲載日:2024/07/01

著者:虹海 美野

内容:
文太は茶葉を売る諏訪理田屋の旦那である。
七人兄弟の長男である自分は幼い頃より弟たちの面倒を見る損な立場だと思っていた。
しかも七人目の弟が生まれた折、正座をした父が、この弟に祖父と同じ文左衛門と名づけると言い、複雑な心境になった。
その後文太は店を継ぎ、所帯を持ち、弟たちも大人になった。
ある日、文左衛門が戯作者になりたく、家を出て師の元で世話になると言った。
昔の父のように正座をし、話を聞く文太は……。

本文

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 文太は茶葉を扱う諏訪理田屋の旦那である。
 文太には現在手習いに通う長男と、まだ幼い長女がいる。
 そうして、諏訪理田屋は文太を筆頭に七人兄弟であった。
 文太が生まれた時には、諏訪理田屋初めての子にして跡取り息子とあって、それはそれは盛大に祝ってもらったものだ、と未だに両親は言う。
 だが、それからすぐに次男の文二郎、三男文三、四男文史郎、五男文五郎、六男の文六、そうして末の文左衛門が誕生した。
 思えば物心つく以前より、もう弟がいて、常に母は生まれて間もない弟を抱くか、おなかに授かるかしていた。
 何かと騒がしい家で、三男くらいまでは手習いだ、稽古事だと面倒を見るのは常に文太の役目だった。ほんの二年かそこら、末っ子であった文三は、やたらと自己主張が強く、何か不満があればすぐに大声で訴える。厠に行きたくなっただの、疲れただの、喉が渇いただの、いちいちいちいち、こっちだって言われたところでいつでもどうにかできるものでもない。大人というのは呑気なもので、これだけ今から達者なら、商いもうまくいきましょうなどと文三の将来をいいように褒め、笑っている。こっちの身にもなってくれ、と文太は思う。
 不服そうにしていると、文太はこの家に最初に生まれて、それはそれは盛大に祝ったのだ、という話を誰かがし、あの時は、とまた別の誰かが言う。
 祝ってもらえたのはありがたいが、全く覚えていない。
 幼いころで覚えているのは、文三が厠に行く際、障子を張り替える糊(のり)の入った容器に足を踏み入れ大泣きし、その文三を取りあえず厠に抱き上げて連れて行き、ひっくり返った糊を拭いたのが文太であったということくらいだ。遊んでいるところで厠だと言われ、まだ遊ぶと言い張る文二郎をなんとか説き伏せて、文三の手を引いて母屋まで走る当時の文太の気持ちを誰がいかほど理解しているというのか。なぜ手を引いてやって、あの小さな糊の入れ物にわざわざ足を突っ込んだのか。気をつけろよと言ったではないか。当の文三に於いては、その一件自体覚えてもいないだろう。大泣きし、自分だけあらあら、と大人たちに身体を洗ってもらい、着替えさせてもらっていたのだから……。文二郎だって、遊んでいたのにと不満顔をすれば、じゃあこっちへいらっしゃい、と饅頭なんぞを出してもらって、ちゃっかり食べていたではないか……。きっと文二郎もこのことを覚えていない。
 そのうちにこの文二郎、文三が大きくなり、文三が文史郎や文五郎なんかの世話をうまいぐあいに見るようになり、母は文六の世話をし、お役御免と思った頃に、末の文左衛門が誕生した。
 名付けたのは、父である。祖父が他界してひと月ほど経っての誕生であった。
 この子はとても穏やかで聡い目をしている、と父は涙ぐみながら言い、幼少期は文七としておくが、いずれは文左衛門にすると宣言した。だが、実のところは文左衛門は生まれた時より父が文左衛門、文左衛門というものだから、家でも文七と呼ぶ者もなく、祖父の名をいただき、おそらくずっと文左衛門で通していた。
 まあ、このような父の言動のためではあったが、一応文七という名はあるものの、子どもの頃より文左衛門というのは、なかなかに珍しいことであった。しかも文左衛門というのは、前店主、ついひと月前まで大旦那であった祖父の名である。仮にこうした名にするのであれば、店を継いだ時が一般的ではあるまいか……。
 父が生まれたばかりの末の弟に文左衛門の名を継がせることが、なんとなく、文太は不服であった。
 諏訪理田屋を継ぐ、という、子どもなりに自負しているものが揺らいだような気がした。
 これは本能的に、自身がより強い立場で生きていけるかという、商人の子であっても実の弟たちにさえも抱く、競争意識というものだったかも知れぬ。
 もう店の見習いを始めていた頃で、記憶が鮮明なのもそのためだろうが、あの日、文左衛門と命名した紙を眺める父は、背筋を伸ばし、膝をつけ、着物を尻の下に敷き、脇をしめ、足の親指同士をつけ正座し、とても粛々とした佇まいであった。
 そうして向かい合った文太もまた、背筋を伸ばし、着物をきれいに尻の下に敷き、足の親指同士をつけ、脇は軽く開くくらい、膝は握りこぶしひとつ分開く程度、手は太もものつけ根と膝の間に両の手の指先同士が向かい合うように揃え、正座していた。


 そうして時は過ぎ、文太は祝言を挙げ、それと同時に店を継いだ。
 名をいつか改めようと文太は思っていたが、結局元服の年齢を過ぎ、店を継いでも文太を名乗った。
 その後、次男に暖簾分けをすると、両親は隠居生活に入った。
 文太は店を取り仕切り、弟たちは成長していった。
 次男の暖簾分けまでは両親が手配してくれたが、そこから先、五人の弟の身の振りは、事実上、文太に任された。
 商い仲間にもきょうだいのいる者は大勢いたが、七人というのは多い方であった。
 商い仲間から、妹がどこそこへ嫁ぐから持参金を用意しなければ、と嬉しいながらも悩ましい事情をよく聞いており、文太は商いに励み、蓄えも常に頭に入れていた。
 いずれ三男の文三には店を持たせたいと思い、水面下でどこかよい場所はないかと町を歩く時も、それとなくあちこちを見ていた。
 ところが、である。
 まだまだ家にいるとばかり思っていた末っ子の文左衛門が家を出ると申し出た。
 どういうことかと、床の間で向かい合った。
 この時、文太はいつぞやの父を思い出し、背筋を伸ばし、膝をつけ、着物を尻の下にきれいに敷き、足の親指同士が離れぬように、脇は軽く開く程度で正座をしていた。
 前に置かれた茶に手を伸ばす。
 一方、文左衛門も正座をしているが、どこか心もとない。
 そういえば、お作法の稽古に一番多く通わせてもらったのは、自分であったと文太は思った。
 弟たちとともに、文太はお作法に通ったが、下の弟の方になると、本当に数える程度で、文左衛門に於いてはまだ幼すぎて、通っていなかったのではないか……。否、通ったことがあったか……。記憶は曖昧である。文三が糊に足を突っ込んでそれを自分が片づけただとか、文二郎が駄々をこねただとかいうことは覚えているのに、こういうことを文太が覚えていないのなら、文太が弟に対して不義理に思うのも、一方的という気もする。
 自分は弟たちの面倒をずいぶん長い間見ていた、損をする役回りだという思いが、大人になり、また子の父になった今でもあり、それにばかり気を取られていたが、今文左衛門を前に思い返せば、文左衛門が何かしらで、特別にいい思いをしたとも限らぬではないか。
 記憶にはないが、文太が最初の子で手厚く育てられたのに対し、文左衛門は大人しい気質であったことからか、結構一人で遊んでいる姿も見かけたものだ……。
 昔を思い出し、いやいや、今は文左衛門のこれからを聞く時だと気を取り直す。
 改めて、文左衛門の話を聞くと、戯作者になりたく、師の元へ弟子入りすると言う。
 この大人しい弟が?
 文太の知らぬ人を師と仰いで?
 しかも、家を出る?
 まだ十八、否、今年で十九か……。
 どちらにしても年の離れた、弟である。
 文太が店の見習いを始め、稽古事にも通い、時折母屋を見遣ると、この末の弟は大層大人しくしていた。
 六番目の弟、文六も大人しいといえば大人しかったが、自身の主張ははっきりしていたと思う。ちょっと大きくなれば、文史郎、時には文三と喧嘩をしていた。間に入った文太は、文六からの体当たりや、文史郎の平手、文三の蹴りと、さまざまなとばっちりを受けてきたものだ。やめろと言っても聞かぬ弟たちに、とうとう怒り心頭の文太が止める立場から、弟たちと一緒くたになることもしばしばで、どたばたと息子たちがやっていると、「何をしてるんだ!」と父が仁王立ちで一喝することもあった。そこそこに大きなお店の奥の座敷では、障子が外れ、違い棚に飾ってあった花瓶が割れるということも珍しくはなかったのである。しん、と静まり返ったのちに、きょとんとした末の弟がうあー、と泣けば、父が孫に対するように目尻を下げ、よしよしと文左衛門を抱き上げ、困った兄さんたちだな、と立ち去り、文太をはじめとした兄弟は、文左衛門が泣いたのは親父の一喝のせいではないのかと思いつつも口には出さずに俯き、なんとなく解せない思いをしたものだった。
 また、末の弟は甲高い声で泣いて、お母ちゃんが背負ってあちこち歩くようなこともなかった。
 いつもいつも上機嫌、という様子ではなかったが、空腹を訴えて泣く声も、どこか朗らかさを感じさせた。
 二つくらいの時より、文太が幼い頃に祖父が張り切って買ってきてくれた絵草紙を、飽きもせずに眺めていた。兄が上に六人もいるから、大層古くなったものばかりだった。見兼ねて文太は遣い先で駄賃をもらったり、いくばくかの給金をもらったりするようになると、末の弟に絵草紙を買ってやった。
 それを見て文六は、自分は古いすごろくで遊んでいるのだから、新しいものを買って来てくれと催促した。文六はものを覚えるのが大層得意で、また算術の能力も突出していた。一人で延々とすごろくをしていたが、今思えば、あれはいくつ進むとか、ここまでくるにはあといくつ数が必要だとか、考えていたのではなかろうか。よく、そういう類のことを文六は文太に言ったが、文太は、「そうだ。合っている」と一応は文六の話を聞き、内容を確認して頷くことをすれど、その能力の高さまでは考えていなかった。ついでに思い返せば、何も言わず古い本を見ている文左衛門にはいくらでも新しい本を買ってやりたいが、買ってくれと、当然とばかりに言う文六には、なんだか買ってやりたくなくなった。そのうちに文六は将棋や囲碁に興味を示し始め、すごろくは使わなくなったが、今思えば、少しかわいそうなことをしたかも知れぬ。
 まあ、そんな文六の能力は、その後帳簿をつけていた番頭によって見いだされるのだが、その一方で、文左衛門はいつの間にか小遣いを貸本屋に遣い、そのうちにそれでも足りなくなったのか、蔵にあった祖父の行李に仕舞ってあった本を出し、延々と読んでいた。
 手習いの後に文左衛門も見習いから始め、店で働くものと文太は思っていたし、兄弟皆、同じように手習い、お稽古事に見習いという順序で店の働き手になった。
 だが、文左衛門だけは様子が違った。
 本を読む時は大層集中しているが、掃除をさせても、ちょっと目の前を蝶なんぞが飛んでいれば、雑巾を手にそれを追っている。遣いを頼んでも、本屋なんぞに立ち寄って、なかなか戻らぬ。読み書き、勘定はきちんと学んだ。できぬ、ということではない。それは知っている。だが、向いていない。
 仕方なく、朝の店の前の掃き掃除だとか、届いた文を仕分けるとか、そういう限られた仕事を試しにいくつか任せてみて、後は好きにさせることにした。
 穏やかで聡い目をしている、という父の言葉が文太の中によみがえった。
 これが志願して来た丁稚であれば、多少きつく叱っても、仕事を覚えさせるのも文太、及び店の大人の仕事である。
 だが、文左衛門は言われたことに口ごたえしないが、決してお商売が楽しいとか、もっといろいろな仕事を早く覚えたいといった様子が見られぬ。
 大人しい性分で、派手な遊びを好むわけでもない。
 この先を考えると少々心配にはなったが、いざとなればいずれ店を継ぐ文太の長男に文左衛門のことを頼み、部屋の一室を文左衛門のものと決め、文左衛門が好きにできるよう取り図ろうか、と考えていた。
 諏訪理田屋は外へ出る時の身なりなどにも気を遣い、折を見て兄弟全員の着物を誂えてはいた。だが、毎日毎日新調した上質な着物ばかりというわけにはいかぬ。汚す、ほつれるは日常茶飯事。長男の文太は新しい着物ばかりであったが、弟たちはお下がりや、兄の着物をほどいて、弟用に縫い直すこともあった。恐らく、それが一番多かったのは文左衛門であろう。
 文太は文左衛門の初めての望みを聞き、全面的に援助しようと決めた。
 弟子入りとは、身一つで師匠の元へ行くのも珍しくないらしいが、文太は文左衛門に嫁入りの持参金ではないが、向こうでつつがなく暮らせるように金子を包んで持たせ、他にも店で一番よい茶をたんまりと持たせた。
 どうか、この子がよりよく暮らせますよう、と文左衛門が家を出た日には、その背に向けて手を合わせたくらいだった。


 そうして、末の弟が家を出て、店には三男から六男までが残った。
 さあ、三男の身の振り、そして縁談はどうしたものかと文太は腕を組み、考えていた。
「どうぞ」と、妻が茶を出してくれる。
 この妻は、もともと文太が生まれて数年後、妻が生まれた頃からほぼ決まっていた縁談で一緒になった。
 生まれた時から縁談が決まる家の娘というのは、やはりそこそこによいところのお嬢さんで、お稽古事は一通り習得し、性格は朗らか、そして思いのほか芯の強い、大層優れた人であった。
 文太の母もこの諏訪理田屋に嫁いで七人もの子をなし、人を雇っている家ではあるけれど、できる限り自身で一人ひとりを面倒みてきた人で、この母以上の人はおらぬ、と思っていた文太だが、いやはや、世の中には優れたお人というのが数多いるものだと思ったものだ。
 妻は春に相応しい、淡い緑の単衣を上品に着こなして、文太から少し離れたところに正座している。
 着物をきれいに尻の下に敷き、足の親指同士が離れぬことなく、背筋を伸ばし、ほっそりとした首がまっすぐに伸びて美しく、脇を締め、膝をつけ、手は太もものつけ根と膝の間で両の手の指先が向かい合うように揃えている。
 子を二人授かり、弟たちも多くいる家で、笑顔を絶やさず、いつも身ぎれいにして、決してだらしのない座り方をしない。
 あまりにきちんとし過ぎる妻に、お客の前でなければ、もう少しくつろいだらどうだと文太が言ったことがあるが、妻は不思議そうな顔をして、こうして背筋を伸ばして正座しているのが一番よいのでございます、と返す。
「文左衛門が弟子入りしたが、ほかの弟たちの身の振りを考えてやらないとな」と文太が呟くように言うと、「文三さんはわかりませんが、文史郎さん、文五郎さん、文六さんには、いい人がいるようですよ」と言う。
「それは本当か?」
 いつも店の方には立たず、ひたすら奥で子どもたちの面倒を見たり、台所に立ったり、家族の繕い物をしたりしている妻に、なぜそうしたことがわかるのか……。
 そういう顔をしていたのだろう。
「見ていればわかりますよ。私が嫁いできた時、文二郎さん、文三さんはもう手代になっていましたけど、文史郎さんはお店の見習いをしていた頃で、文五郎さん、文六さんはまだ手習いや、それを終えたかどうかというくらいでしたから。毎日様子を見ていれば、それとなくわかるものです」
「そうか」と文太が当人に確かめようと腰を上げかけると、「ご本人たちからお話があるまで、待った方がいいということもありますよ」と、妻は穏やかにそれを止める。
「私たちのように、すでに一緒になるよう決まった人たちばかりではありませんから。まだ皆さんお若いですし、一人でいろいろと思うこともおありでしょう」
「それはそうだが」と文太は納得したが、文太が妻と初めて会ったのは、まだ妻が手習いに通っていた頃である。
 普段文太の決めることに口を出さぬ妻が、今回はやんわりと止めた。
 その判断を文太は信じることにした。


 そうして、妻の判断は正しかったようだ。
 文史郎、文五郎、そして、まだまだ子どものように思っていた文六までも、お相手があり、その親が直々に婿養子にとあいさつにやって来た。
 見事に兄弟の順番通りであった。
 すぐにでも祝言、という運びにしたかったが、揃いもそろって弟たちは年上の文三より先に祝言を挙げるのは、と躊躇った。
 確かにそれも一理あった。
 文太はそこで、それぞれのお相手のご両親に訳を話し、三男、文三の祝言までは、許嫁ということで、と頼んだ。
 そうして、文史郎、文五郎、文六にはそれらしい理由をつけて、お相手の実家での家業を継ぐ準備というか、まあ、一緒になる約束を反故にされぬ程度にお相手と会える時間を設けた。
 何も知らぬ文三は、これからも諏訪理田屋を盛り上げると大層張り切っており、なんだか悪いことをしている気分であった。
 まあ、そんな文三の張り切りが功を奏したのか、ようやく文三にもお相手が見つかった。
 驚いたことに、文三のお相手は末の弟、文左衛門の師のお嬢さんであった。
 大層目出度いことだが、やや心痛める事実を文太は知った。
 精いっぱいの思いで送り出した末の弟の文左衛門は、お師匠の家で何かうまくいかぬことがあったとかで、今は小さな一軒家で一人暮らしをしているという。
 師匠の家を出た、という連絡はあったが、その詳細までは知らなかった。師弟関係というものにも文太は疎く、ある程度師の宅で学んだら、そこを出る、というものなのだろうというくらいに捉えていた。
 まあ、何やら事情があったことは遅ればせながらに知ったが、文左衛門が師匠の家を出るにあたり、師匠が勉強のための書物や新しい住まいの面倒、生活できるよう版元での手伝いの仕事も手配してくれ、そこからのご縁で戯作も出せたというので、師匠を責める気にはなれなかった。幼い弟、と文太は思うが、世間では、もう一人前の大人である。その大人である弟子が家を出るといえば、もう、そこまでというのも珍しくはないのではなかろうか。仮に諏訪理田屋でお暇を、と願い出た手代などがいたとして、それまでの給金に多少上乗せした金子を渡すが、その先の面倒をどこまで見るかと問われれば、とても文左衛門の師匠のように手厚くはできぬ。それを考えると、文左衛門の師匠は大層よい人である。そういう師匠に弟子入りできて、よかったと今更ながらに思った。
 まあ、とにかく、戯作者として頑張る末の弟以外、全員の結婚が決まった。
 文三に任せる店舗も少し前にちょうどよいところを見つけ、話をつけたところだ。
 祝言は順を追ってということになるが、既に文史郎、文五郎、文六は、婿入り先の家業に於いては見習いを始めている。
 弟たちが安心して婿入りできるようにするためにも、これからまだまだ頑張らねば、と文太は気を引き締める。
 少し前まで、まあ弟たちは手習いも済み、お商売も任せられる大人になったのだから、と旦那衆と飲み歩いていたが、それも暫くは控えようと思った。
 いつも店の仕切りは文三に任せていたが、この文三もお相手のお嬢さんとの時間を作るため、今日は出かけている。
 たまには店先に立つか、と手代や弟たちに交じり、店に出た。
 いつでも店全体を見渡して、手際よく指示を出せる文三。
 舌が鋭く、米や出汁とあらゆるものに於いて、うまいものを名や値を知る前に判別できる文史郎。
 穏やかで優しく、決して声を荒げず、話しに来るのが楽しみな客の何度も繰り返す話題に嘘のない笑顔で応じられる文五郎。
 記憶力と算術にとてつもなく優れ、客の買った茶を忘れず、勘定は延々に空で正確に出せる文六。
 この弟たちが店を出るのか……。
「ごめんください」
 客の声で文太は我に返る。
「はい、いらっしゃいませ」と進み出る。
 初めて来た客のようで、茶の産地を言い、あるかと尋ねた。
 新茶が入りましたが、そちらにいたしますかと尋ねると、それをと言う。
 品を渡し、勘定を済ませる。
 ありがとうございましたと心をこめて告げると、客は「あの、このお店は戯作者の諏訪理田と、ご親戚か何かですか? この前発表された作を偶然読みましてね。次が出たらぜひまた買おうと思っていたところ、同じ名のお店があったものですから」と切り出した。
 文太は目を上げる。
 初老の、粋人、といった感じのお人だった。
 ああ、こういう人のいる環境で文左衛門が育っていれば……。
 そんな思いが過り、文太を見る理知的で穏やかな目を見つめた瞬間、ふいに視界が緩んだ。
 文太は視線をやや落とし、「はい。それはうちの末の弟の文左衛門のことでございます」と答えた。
「文左衛門さんというのですか。失礼でなければ、旦那さんのお名前を教えていただけますか」
「……文太と申します。次が文二郎、文三、文史郎、文五郎、文六と続き、文左衛門の七人兄弟でございます」
 自身の名だけでなく、弟全員の名をここで挙げたのには、文左衛門の命名にどこかこだわりがあってのことだったかも知れぬ。
 お客は「そうでございますか。ふみ、などに用いる文でございましょうか。この字は芸や美しさといった意味もあるとか……。旦那さんだけでなく、ご兄弟、名をつけてくださった方の願い通りにお育ちになられたのでしょうね」と続ける。
「ありがとうございます。そのお言葉と名に恥じぬよう、精進してまいります」と文太は深く頭を下げた。
「とんでもございません。ただの年寄りが思ったことを申したまででございます。それにしても、そうですか。文左衛門さんはご自身の育ったお店を、きっと誇りに思ってらして、同じ名にしたのでしょうな。穏やか、優しい文体と芯ある話の筋が、このお店を訪れてみて、すうっと馴染むように感じ取れましたから」
「勿体ないお言葉です」
「いやいや。私は世間ではひねくれ者で通ってますが、決して嘘は申しません。また寄らせてもらいます。弟さん、諏訪理田に次作も楽しみにしていると伝えてください」
「ありがとうございます」
 耐え切れず、涙声が混じった。
 客はそれに気づいてか気づいていないかわからぬが、しゃれた巾着を提げて、店を後にした。
 じっと店の床を見つめたまま、そろそろ茶葉も尽きる頃だ、末の弟に届けてやろう、そうしてついでだから、今しがた来たお客の話をしよう、と文太は思った。

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