[296]眠り流しと愛愛兎(めめと)くん
タイトル:眠り流しと愛愛兎(めめと)くん
掲載日:2024/06/25
著者:海道 遠
内容:
ボクはうさぎの愛愛兎(めめと)。飼い主は、十歳の座奈(すえな)ちゃん。元気な小学四年生! お母さんは、町でお仕事、おじいちゃんとボクとで三人暮らし。座奈ちゃんもおじいちゃんもお寝坊ばかりで起こすのが大変。
七夕が近いある日、お母さんがおうちでお仕事することになった。
いつもパソコンの中で見ている、お母さんの上司の林美歩路編集長を、おじいちゃんが七夕行事の『眠り流し』にお招きする。『夕星(ゆうづつ)兎(う)―マン・正座コンテスト』に出場しませんか? って。
本文
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序章
昔、昔、乙女が機(はた)を織りながら、音もなく水田の上を歩いて神様がやってくるのを待っているという。
美歩路(みほろ)は、都会の雑踏を歩いていて、その光景が頭に浮かんだ。
青い青い闇の中を、しずしずと白い姿の「神」が水田の上をすべるように進んでくる光景が。――ふと気づくと、小さな画廊の入口の階段に立っていた。登っていくと、突き当りの壁に「眠り流し」という日本画の作品が展示してあった。
第一章 目覚まし係
ボクはうさぎの愛愛兎。
グレーで鼻の先っぽと耳と足の先に黒い毛があるミニウサギ。
飼い主は、十歳の座奈(すえな)ちゃん。元気な小学四年生! お母さんは、町でお仕事があるから、おじいちゃんとボクとで三人暮らし。
座奈ちゃんは毎日のように寝坊して、遅刻ぎりぎりに小学校へ着く。授業中も、よく居眠りしてるって同級生の涼夏ちゃんが言ってる。
帰って宿題していても、友達と遊んでいても、すぐ寝てしまう。眠るのが大好きな眠り姫だ。
その度に、足ダンッ☆して、ボクが起こす。
足ダンていうのは、うさぎが機嫌の悪い時に足を踏み鳴らすこと。
「起きて、座奈ちゃん! 遅刻するよ! 庭の畑に水やりしてくれよな! 特にニンジン!」
「また寝てる! 宿題ができないぞ!」
「涼夏(りょうか)ちゃんに嫌われるぞ、起きて、起きてってば!」
目をこすりこすり、座奈ちゃんはやっと目を覚ます。
「うるさいわね~~、愛愛兎……。起きるわよ」
すぐ寝てしまうのは、おじいちゃんもおんなじだ。朝は、しゃっきり起きて朝ごはん作って、ご仏壇に向かって正座して、あ、正座の順序はこうだ。
ボクが「兎立っち(うたっち)」するみたいにカッコよく立ち上がって座布団の上に膝を着き、『愛愛兎、女の子はかかとに座る時、お尻にスカートを敷くんじゃぞ。そいから……』かかとの上に座り、正座の出来上がり! ボク、毎日見てるから順番、覚えちゃったよ。
それからご仏壇に手を合わせて『なむあみだぶつ』って言う。何かのおまじないの言葉だろう。
おじいちゃんは、朝ご飯を食べたら、すぐ眠くなって横になってしまう。梅雨だから、よけい眠いらしいけどサ。
洗濯機が止まったけど、いつまでも洗濯物が干せない。ボクがいくらぴょんぴょん跳び上がっても、物干し竿には届かない。
「起きて! おじいちゃん、洗濯物! 畑の世話も! 掃除も買い物も! ほら、移動スーパーのおばちゃんの車が来たぞ!」
昼からもお昼寝、三時間ざら。
~~というわけで、ボクは毎日ふたりを起こしてばかりいる。
第二章 七夕のしたく
でも、あれ?
いつもはお昼ご飯が終わったら、またお昼寝してるはずのおじいちゃんが、机の上で何か勉強してる! 座奈ちゃんみたいにエンピツっていう細い棒で紙に何か書いてるぞ。
「ちょっと、おじいちゃん! そんなことより、ボクのおやつは?」
ケージの中でバタバタガリガリする。
「お? 愛愛兎、何だ?」
「おやつ、ちょーだい、おじいちゃん!」
「お、腹が減ったんだな。バナナでも食べるか?」
「食べる食べる!」
おじいちゃんがボクのお皿にバナナの先っぽを入れてくれて、やっとありつく。モグモグッ。ああ、バナナってなんて甘くて美味しいんだろう。改めて感激!
おじいちゃんは、また勉強を始めた。
もうすぐ七夕だ。天の川のあっちとこっちに別れてる彦星と織姫が、一年に一度、会える日なんだって。子どもたちが軒先に、笹の枝に折り紙で作った飾りを下げるよ。
短冊っていう願いごとを書く紙、お星さま、スイカ、ナス、キュウリ、色紙の輪っかのくさり。ちょうちん。
『眠り流し』は、飾り終わった笹の枝を小舟に乗せて、おじさんたちが正座のきれいにできる女の人を乗せて町を練り歩き、岸辺で降りて、大きな松明(たいまつ)で火をつけて川に流す。すると眠気が吹っ飛ぶと言われてるんだって。
変だな? 何年か前に、『眠り流し』をしているはずなのに座奈ちゃんとおじいちゃんのお寝坊は、全然なおらないぞ。
でも……、おじいちゃんの言うには、ボクもケージの中や部屋の隅っこで、よく居眠りしてるそうだから、おあいこか。てへッ。
おじいちゃんは、おそうめん作るの好き。だから、七夕には『天の川そうめん』作ってくれるよ。白いそうめんとピンクのそうめんとミドリのそうめんとで、その上にキュウリとニンジンを星型に切ったのを、乗せてくれる。ボクはおそうめんは食べられないけど、キュウリとニンジンが楽しみ!
七夕には、お母さんが帰ってくる。
でも、お母さんはボクを女の子だと思いこんでる。うさぎは赤ん坊の時は男の子か女の子か、区別つきにくいからね。それで可愛いドレスのサスペンダーを作って送ってくれるんだけど、ちょっと可愛すぎるから着たことないんだ。
第三章 お母さん帰る
お母さんが帰ってきた!
梅雨っていう蒸し暑い季節の中、紫陽花(あじさい)っていう手毬みたいな花だけが元気にいっぱい咲いてる。
座奈ちゃんに抱っこされて、バス停まで迎えに行った。
水色のワンピースを着たお母さんはバスを降りるなり、ボクごと、座奈ちゃんを抱きしめた。甘い、ソーダのアイスみたいないい匂いだ~~。
「ふたりとも、おりこうにしてた?」
「うん!」
(ボクも)「うん!」
「おじいちゃんが待ってるわね、お家へ急ぎましょう! いい知らせがあるのよ」
いい知らせ? 何だろう? ワクワク。
お母さんはまず、ご仏壇の前に正座して、合掌した。
「ただいま、お母さん。お父さんと座奈を守ってくださってありがとうございます」
おじいちゃんはにこやかに見ていた。
「座奈はちゃんと正座のお稽古してる?」
「うん。ご仏壇にお線香あげる時も、ご飯の時もしてるよ。それより、いい知らせって?」
「あのね、お母さん、パソコンでお仕事することになったから、もう町に戻らなくてよくなったのよ」
「ホントッ? お母さん!」
「ホントよ。ず~~~っと、座奈と愛愛兎くんと一緒よ!」
「バンザ~~イ!」
ボクも、「バンザ~イ」だ!
これで、お寝坊のふたりを起こさなくてよくなる!
「そうなのか? じゃあ、あの上司の人とは?」
「上司……って、林美歩路(はやしみほろ)編集長のことね?」
「そうだ。元気な眼のハキハキした女性の編集長だ」
おじいちゃんが何故か心配そうにしてる。パソコンに映る元気な眼のハキハキした女の人なら、ボクも知ってる! パソコンの中から、香箱座りしてるボクにニッコリしてくれるもん。
「編集部全体でのテレワークはもっと回数増えるわよ。どうかした? おじいちゃん?」
「い、いや、それならいいんだ」
お母さんの返事を聞いて、ご機嫌治ったおじいちゃん。変なの。
その夜は、お母さんが帰ってきた時にお決まりの、親子三本川に布団を敷いて寝た。
座奈ちゃんとお母さんが外側で、ボクが真ん中。嬉しくてふたりの腕にコアラ抱っこした。
「今年の七夕は久しぶりに『眠り流し』が行われるそうじゃないの。愛愛兎くんには凛々しい色で法被(はっぴ)作ってあげるわ。あなた男の子だったんだもんね。今まで女の子用のフリルやレースつきのばかり作ってごめんね」
「ワタシは?」
「座奈にもよ。何色がいいかな?」
「う~ん、涼夏ちゃんと相談する」
「じゃあ、二着、作ることになりそうね」
お母さんにナデナデされて嬉しくなり、デングリグリンと転がった。
「一代目の女のコ愛愛兎は、お父さんがお母さんにプレゼントしたのよね!」
「そうよ。うさぎの香箱座りを見て、赤ちゃんも正座が上手になるようにって。座奈がお母さんのお腹に来てくれた時にね。お父さんがプレゼントしてくれたの。今みたいに、女のコ愛愛兎を真ん中にしてたくさんおしゃべりしたわ」
第四章 お誘い
リモート会議が終わったお母さんの横で、モジモジしているおじいちゃん。
「おじいちゃんが、編集長さんとお話したいみたいだよ」
じれったくなってボクが言うと、おじいちゃんは真っ赤になり、パソコンの中に映る美歩路編集長が、目をパチクリさせた。
「初めまして。編集長の林美歩路と申します」
空の色みたいな青いTシャツの美人がしゃべった。
「これはこれは。娘がいつもお世話になっております。編集長さんは正座がお好きだとか」
「はい。背すじがしゃっきり伸びて好きです。好きが高じてオフィスの机を座卓の高さにして正座しています」
「ワシも正座が好きでして。ばあさんから習った所作を見ていただけますでしょうか?」
「お父さんたらっ」
お母さんがあたふたしたが、おじいちゃんは畑用の野良着のまま、正座の所作を披露した。
「まあ! 最初の立ち姿から、かかとの上での座り方まで流れるように鮮やかですわね」
編集長が褒めた。
「いやいやいや、長くやっているというだけのことで……」
そこで、おじいちゃんは目ぢからを込め、乗り出した。
「実は、今年の七夕は『眠り流し』という行事もやります。眠気を流す邪気払いの神事ですが、クライマックスに『夕星(ゆうづつ)兎(う)―マン・正座コンテスト』というのが行われます」
「ゆうづつ……ウーマン……正座コンテスト?」
「『夕星』は宵の明星のこと、氏神様がうさぎのカタチのご神体なので「兎ーマン」になったのです。飾りつけた笹と一緒に小舟に乗り、正座してもらって町内を練り歩くのですが、その場で挙手してもらって結構ですよ」
「舟は全部で七艘(そう)。七人の正座した女性の中から、『夕星・正座クイーン』が選ばれるのです。よろしかったら参加されませんか?」
「まあ、それはありがとうございます。お祭り、大好きです! 七夕の後というと、三日後ですね。えっと……」
編集長は大乗り気で、スマホを出して予定表を見ている。
「急に言ったら、ご迷惑じゃないの」
お母さんがおじいちゃんを小突く。
「大丈夫ですよ。お伺いします」
「本当ですか!」
おじいちゃんは飛び上がらんばかりに喜んだ。
それから、ボクにおいでおいでをして、耳元で、
「『正座の横綱』が出場することは、ナイショにな、愛愛兎」
「正座のよこづな?」
「ふふふ……、楽しみにな」
第五章 力が抜けた
七夕の二日前。いつもより蒸し暑いなぁ。
けど、お母さんと子どもたちは、頑張って笹飾りを作る。
あれれ? なんだか目が回るぞ。力が抜けてきた。床にべったりしていたい。飛び跳ねる元気ない。
チモシーもペレットも何も食べたくない。変だな? うんピも出ない。
縁側でべったりしていると、山から笹を採ってきたおじいちゃんが気づいてくれた。
「愛愛兎、どうした、元気がないな。ペレットもチモシーも全然、減ってないし。お水も飲んでないじゃないか」
「ええ?」
座奈ちゃんと涼夏ちゃんが、顔色を変えて様子を見に来てくれた。
「しまった! 笹飾り作るのに夢中になっていて、気づかなかった! 食べない……、うんピ出てない……。大変だわ! お母さん、愛愛兎をお医者様へ連れて行かなくちゃ!」
「お医者さん? 押さえつけて、お口の中見るとこ? ヤダヤダヤダ~~~!」
ヤケになって、笹飾りを歯と足でめちゃめちゃにひっちゃぶいた。
(ビリビリに破いた)
「座奈! 車持ってきたわよ! 愛愛兎をキャリーに入れて早く乗って!」
お母さんの声がトンネルの向こうからみたいに聞こえた。
次に気がついた時は、白い服着たお医者さんが、ボクをバスタオルにつつんで、
「はい、ちょっと我慢ね~~」
って、あちこちいじくった。
ボクは抵抗して、キックキックしまくったが、お医者さんはビクともしない。
あっさりと、
「ちょっとした夏バテですな。季節の変わり目によくあることですよ。お部屋をしっかり冷やしておいてあげてください」
首根っこに、ビタミン剤とかいうのをプスッと注射された。あっという間だったから痛くなかった。
お家に帰ってから、もらったお薬を座奈ちゃんがリンゴジュースに混ぜてスポイトで吸い上げて、ボクを横抱きにして歯の間から飲ませてくれた。
「愛愛兎、早く元気になりますように」
夕方になって、お腹がぎゅるぎゅる鳴ってきた。ちょっとお水飲んで、ペレット食べた。
「愛愛兎、良かったね~~」
座奈ちゃんとお母さんが、嬉し泣きしながらそっと見守ってくれた。
でも、笹飾りは、全部ひっちゃぶいちゃった……。果物飾りもちょうちんも短冊も、ビリビリだ。どうしよう?
しゅんとしていると、座奈ちゃんが、
「愛愛兎、大丈夫よ。また頑張って作るから。そうだ! 今度はうさぎのカタチの飾りのも作ろうか?」
「さんせ~~い!」
涼夏ちゃんが元気よく手を挙げて、新しい千代紙を持ってきた。
うさぎのカタチの飾りは、おじいちゃんが笹に飾ってくれた。香箱座りのや、兎(う)立っちのや、見返りポーズや、クシュクシュするポーズのも。
第六章 三色そうめん
ボクの法被サスペンダーを、お母さんが縫い上げてくれた。
藍色とミドリ色に別れていて、背中に「愛」ってワッペンがついてる。お母さんが着せてくれた。ピッタリだ!
座奈ちゃんと涼夏ちゃんは、オレンジ色と黄緑色の色違いの法被で、頭にハチマキを結んでもらう。
昼間は薄曇りで蒸し暑かったけど、夕方は涼しい風が吹いてきた。
かっこいい真っ赤な車で、美歩路編集長がやってきた。
家の前の砂利道に、ザザザッと入ってきたから、ボクがびっくりしていると、編集長がジーンズで降りてきたところだった。
「お誘い、ありがとう、森下さん!」
かっこいい! いつもパソコンで見てたけど、やっぱり本物はもっとかっこいい! ナデナデしてくれた。
「座奈ちゃん、愛愛兎くんね! いつもパソコンでは、ありがとう!」
あれれ? おじいちゃんは? さっきまでそうめん湯がいていたのに、台所にいないぞ。
「愛愛兎、何してるの? 編集長のお土産のスイカ、いただこうよ!」
座奈ちゃんが呼んだ。
夜はとってもよく晴れて、天の川がバッチリ見れた。
おじいちゃんがいつのまにか戻ってきた。
庭に床几(しょうぎ)っていう長椅子を出してきて、天の川を見上げながら、おじいちゃんが打った三色のお蕎麦を皆で食べた。
座奈ちゃんが、星型のキュウリとニンジンをボクにくれた。
「愛愛兎、食べられるようになって良かったわね」
「うん!」
おじいちゃんが、みんなにそうめんのお代わりしたりしてるけど、ちょっとソワソワしてるな。どうしたんだ?
みんな、願い事を心の中で言ったのかな? ボクの願い事は、バナナを毎日、たくさん食べられますように。
第七章 眠り流しに参加
次の日は、いよいよ何年かぶりの『眠り流し』。ボクは初めてだ。
参加者は、氏神様の神社の境内に集まった。たくさんのおじさんが法被を着て待っている。
舟が七艘並べられている。ねじり鉢巻きの筋肉おじさんが大声で、
「さあ、『眠り流し』に参加する正座の猛者(もさ)は、どんどん手を挙げてくんなっ」
「もさ」って何だろう? うさぎのお友達に「もふくん」は、いるけど?
さっそく美歩路編集長が、「はーい」と手を挙げた。
編集長は、シックな抹茶色の浴衣を着て、抹茶スイーツのピアス着けてる!
(お母さんよりずいぶん若いんだ!)
お母さんに、お尻をペンと叩かれた。ひとり言が聞こえたのかな?
「愛愛兎くん、可愛いわね~~。お耳と鼻がコゲコゲで」
編集長が鼻先をナデナデしてくれた。
「『眠り流し』出場希望者、もういませんか?」
筋肉おじさんがまた叫び、おじいちゃんが突然、ボクを抱っこして、手を持ち上げて声を張り上げた。
「は~~い、森下愛愛兎! 飼い主の座奈の膝の上で香箱座りの正座して参加します!」
座奈ちゃんが、飲みかけのコーラをぶっと吹いた。
「おじいちゃん、聞いてないわよ、そんなこと!」
「ボクもだ!」
「大丈夫、大丈夫、やってみろ。お前たちならできる!」
ボクたちは舟に乗りこんだ。ボクは座奈ちゃんの膝の上で、一生懸命に香箱座りをやった。膝がせまくてやりにくいや。筋肉おじさんやおにいさんが、舟を担いで「エッサ、エッサ」と歩いていく。
曲がり角で、ボクはずるっと滑って座奈ちゃんの膝から落ちかけた! サッと素早いタイミングで舟に飛び乗った涼夏ちゃんが、受け止めて乗せてくれた。助かった~~。
道の両側に町内の人が見物にやってくる。
「笹に飾りがいっぱい、きれいだね」
「舟に乗って座ってる人の正座がきれいですね」
「あら、うさぎも正座してるわよ。香箱座り」
舟は各町内を練り歩き、七艘の舟は、河原に集まり始めた。
辺りが夕暮れの薄むらさき色につつまれようとしている中、松明(たいまつ)が燃やされ、みんなの顔もオレンジ色に見える。
舟に乗っていた人たちが河原に降りると、舟の上に山のように盛られた七夕飾りに火が点けられた。みるみる燃えて、暗闇の水面に朱い火の粉が散った。
七艘の舟は燃えながら、川に流されていく。
第八章 眠り流しプリンスうさぎ
ねじり鉢巻きの筋肉おじさんが叫ぶ。
「皆さん、これから投票します!」
河原に設置された投票箱に、星型に折られた折り紙を一票として、町内のみんなが一票ずつ入れていく。
さて――。
「投票によって『夕星・正座クイーン』に選ばれたのは――」
筋肉おじさんの声は裏返っている。
「林美歩路さんと、座奈ちゃんと愛愛兎くんのコンビ、同点首位で優勝!」
わあああっ、と歓声が上がった。
「抹茶色の浴衣のお姉さん、正座の決まり具合、サイコーだったよ!」
「裾からチラ見えする足首が色っぽかったぜ!」
「お嬢ちゃんとウサ公もお行儀よく座っていたな!」
涼夏ちゃんが走ってきて、座奈ちゃんを抱きしめた。
「おめでとう~~! やったわね!」
法被すがたの青年たちも、ひと際美しい美歩路さんに、ヒューヒューしたり、叫んだり、賑やかだ。
ボクと座奈ちゃんにも拍手をもらった。
「お嬢ちゃんとウサ公も、きれいに座ったまま担がれてたな!」
「やったな、正座の横綱、愛愛兎!」
おじいちゃんが駆け寄ってきて、頭をポンポンしてくれた。
表彰式が行われた。
町内会長さんと、うさぎを祀る神社の宮司さんと、「眠り流し実行委員会」会長さんと、マナー講座のお師匠さんが、河原にズラリと座っていた。
お腹の出っぱった会長さんが、河原に設けられた台に上がり、美歩路さんが前に立つと賞状を広げた。
「○○年度、『眠り流し大会』優勝! 林美歩路さま、あなたは本大会において、舟の上で大変美しい正座をされたことを讃え、ここに『眠り流し・正座クイーン』として表彰いたします。○○町、町内会会長、○○○○」
「ありがとうございます」
美歩路さんが即座に台の上で正座し、恭しく両手で受け取ったので、会長さんも慌てて正座した。
次は……、ボ、ボクと座奈ちゃんだ~~~! あんな目立つとこに立つのなんか、イヤだ~~~!
逃げ出す寸前に、座奈ちゃんの両手が、ぐゎしッとボクの身体を抱きかかえた。
「座奈ちゃん、賞状は、私が代わりに受け取るわ」
退場しかけてた美歩路さんが戻ってきてささやいた。ボクはどうにも動けない。
「○○年度、『眠り流し大会』、同点優勝! 森下座奈さんと、森下……め、め、愛愛兎くん、特に愛愛兎くんは前代未聞の香箱座りにて美しく座ったことを表彰して、『眠り流しプリンスうさぎ』として、ここに表彰いたします。町内会会長」
「ありがとうございますッ」
(『プリンスうさぎ』」だってさ~~! 「横綱」より照れる~~!)
座奈ちゃんが、しっかり表彰状を受け取った。
「愛愛兎、これは、ビリビリにしちゃダメよ。代わりは無いんだから」
「わ……わかってらいっ」
表彰台を降りたところで、おじいちゃんが、青年たちの熱気をものともせず、真っ直ぐ美歩路さんに向かって歩いてくるじゃないか。
「美歩路編集長、あのう、これを受け取っていただきたいのですが」
震える手で小さな紙を差し出した。
笹飾りの銀色の短冊だ。おじいちゃんはきっと、振り絞れるだけの勇気を出したんだろうな。読み上げた。
『これから、毎年、一年に一度、我が家に来てください』
あっ、あれは、おじいちゃんが昼間、勉強机に向かって何か書いていた時のだ! 美歩路編集長に渡す短冊だったのか!
まるきりラブレターじゃん!
編集長は、短冊をじっと見つめてから、
「森下さん、大変ありがたいお招きではありますが、これはお受けできません」
と言って、背を向けた!
「えええ~~~?」
周りにいた人々から、残念そうな声がもれた。
第九章 峠で
「あれ? おじいちゃんはどこ?」
家への帰り道、いつの間にかおじいちゃんの姿が見えない。
「眠り流しの舟が全部、川へ放たれて燃えるとこまでは一緒に見てたのに……」
ボクはピンと来た。きっと、編集長の答えが大ショックだったんだ!
お昼寝を我慢して、汗いっぱいかきながら、目をギンギンに開いて短冊の練習を書いている時のおじいちゃんは真剣だったもんな。やっと渡せる絶好のチャンスが来たのに、ふられるなんて……。
家へ帰って、あちこち呼んでもいない。おかあさんも座奈ちゃんたちも、顔色変えて探しはじめた。
(もしかして、おじいちゃんのお気に入りの峠かな?)
ボクは峠への近道を、全速力で走り出した。
おじいちゃんが目的の峠に到着した時、ボクがやっと追いついた。
「愛愛兎! お前、いつの間に」
家の裏山から尾根伝いに近道を登ってきて、時刻は真夜中かな。
「ここだったら、おじいちゃんと一緒にいつも来るもん」
「こんな夜道を危ないじゃないか。タヌキやイタチやフクロウに攻撃されたらどうするんだ」
「大丈夫だい! キックキックで打ち負かす!」
峠から見える天の川は、光の帯となってシャラシャラとした音をまき散らすように、盆地の向こう側の山へ流れ落ちていた。
山の手前に見える四角い田んぼが真っ白に見える。
昔、乙女が、機(はた)を織りながら、水を渡って訪れるという神様を待っていたんだって。
「愛愛兎、よく知っとるな」
「おじいちゃんが教えてくれたじゃないか」
ふと、後ろに気配がして、
「森下星舟(せいしゅう)先生……ですね」
振り向くと、美歩路編集長が肩で息をしていた。
「編集長さん」
「やはり、星舟先生でしたか。この場所なんですね。【日本の初秋賞】『眠り流し』を着想されたのは」
「ご存知でしたか」
「美術系の雑誌編集者のはしくれですから」
「あんな昔の作品、とっくの昔に世間から忘れられたと思っていましたよ」
「そ、そんなことはございません! 私は『眠り流し』に惹かれて美術の世界に飛び込んだのですから」
「……」
「受賞後、先生は一切の活動をお辞めになり、日本画壇から姿を消してしまわれました」
ボクが足をバタつかせたので、おじいちゃんが抱っこしてくれた。
「『眠り流し』の舟に担がれて、正座する女性の気高い美しさ、たおやかさ。笹飾りがしなだれかかる、うなじの白さ、背後の燃え上がる松明の勇壮なさま、あの作品に魅了されました」
「あれのモデルは天国へ行った家内でしてな。ワシの正座の師匠です」
遠い目をして、おじいちゃんは言った。
「やはりそうでしたか。最愛のモデルさんを喪われて、先生は画壇を去られたのですね」
編集長は地面に正座して、頭を下げた。
「どうか、もう一度、絵筆を持って私を弟子にしてください。先ほどの短冊には『一年に一度』とありましたので、お断りいたしました。住みこみで弟子入りする覚悟ですので、一年に一度とかは論外です!」
「しかし、編集長のお仕事はどうなさるのですか」
「キッパリ辞めます。元々、日本画家志望だったのです」
「う~~む」
「先生が絵筆を持っていらっしゃる方が、奥様も安心してご覧になっておられるのではないでしょうか」
「……」
天の川を背に、沈黙が落ちた。
ボク、おばあちゃんのことは知らないけど、きっと美歩路編集長の言うとおりじゃないかな。ボクも元気なおじいちゃんが好き! きっと、座奈ちゃんとお母さんもそうだよ!
健気にお願いする美歩路編集長の瞳に、ついに、おじいちゃんは負けてしまった。
ボク、知ってるんだ。好きになったの、おじいちゃんの方だもんな。編集長は、おじいちゃんのことを「先生」としてしか見てないけど。あ~~~あ。
結びの章
九月――。
美歩路編集長が出版社を辞めて、山の我が家に住みこみで弟子入りすることになった。お母さんも増えたから、一度に大家族になった。
しかも!
もう、毎朝ボクが起こして回らなくてすむな、と思いこんでいたら、なんと! 朝一番から、なかなか起きない人が!
「編集長――違った、美歩路さん、朝ですよ! 起きてよ! 弟子は朝ご飯の支度前に、玄関の掃除、それからお座敷の掃除して、正座のお稽古するんだって」
枕元をぴょんぴょん跳んでも、全然、起きない。
「う~~ん、……もう少し天の川の夢を見させて……。むにゃむにゃ」
ツヤツヤの巻き毛が、タオルケットの中にモグッちゃう。
ボクはいつまで、目覚まし係なのかな?