[352]美甘ちゃんの御巫(みかんこ)体験


タイトル:美甘ちゃんの御巫(みかんこ)体験
掲載日:2025/04/27

シリーズ名:うりずんシリーズ
シリーズ番号:12

著者:海道 遠

あらすじ:
 美甘姫が、奈良の春日大社の巫女が「御巫(みかんこ)」と呼ばれていることを知り、体験講座に応募することにした。それを知った薫丸(くゆりまる)も心配で、女装して参加する。
 大社の若宮にお会いできるかもしれないので、美甘姫はワクワクしている。御巫の受講生に正座の所作をお教えする。
 藤の花に加えて、そっくりの黄色いキングサリの花の栽培も始めた。祭のある12月には時をさかのぼって、うりずんが花を届けてくれる手筈だ。
 そして大祭の日がやってきた。


本文

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第一章 春日大社

 奈良時代のこと――。
 春日山の麓に、武甕槌尊(タケミカヅチの尊)さまが鹿島の国から白い鹿に乗って奈良にやって来られ、4柱を主祭神とする神が祀られた。
 以来、春日神社として栄える。
 同時に、鹿も神の使いとして大切に飼われることになった。

 春日大社の御巫さんが「みかんこ」と呼ばれていることを知った美甘ちゃんは、運命的なものを勝手に感じて、御巫さん修行体験講座に入学すると言い出す。
「その席で、正座の所作をアピールしてまいります!」
 婆やは、もちろん大反対する。
「姫さま! 長い間、紀伊の国を留守にしていますのに、今度は奈良に? また留守が伸びるではありませぬか」
 が、好奇心でパンパンの美甘ちゃんは言うことを聞かない。
「美甘姫さまの『みかん』はお名前。御巫さんは巫女さまの呼び名で、意味が違います」
 マグシ姫も「わらわも!」と言い出したが、今度ばかりはスサノオの尊が厳しく止めた。
「マグシ。お前は八坂神社のご祭神を務める身なのだぞ。よその神社の巫女さん体験など、とんでもない! もっと自覚を持ちなさい」
「は……」
「それに、巫女は未婚の女性でなければいけないのだ」
「……そうだったんですね」
 しおらしく諦めた。

 御巫は年齢18歳からの規定なので、美甘ちゃんは、お姉さんのふりをする。
 それを耳にした薫丸(くゆりまる)は心配でたまらない。
 女装して同じ講座に潜入することにした。
 髪を垂らせば、声変わりはまだしていないし顔立ちは可愛いし、女の子に見える。
「修行体験期間はトータルで半月だけだから!」
 九条家の乳母は、
「いくら半月でも女装するなどと情けなや〜〜」
 と、連発しながら、いやいや女装を手伝った。

 正座教室の邪魔をする兇つ奴(まがつど)の集団は、鳴りを潜めたから、そんなに心配していない。
 薫丸が心配なのは、惚れっぽい美甘ちゃんが春日大社の若宮さまにお熱にならないか? ということだ。
(若宮さまって人間のカタチで姿を現されるのだろうか?)
(いくら白い鹿に乗って現れても、御巫の衣装を着て藤のカンザシを刺したサイコーに可愛い美甘ちゃんには、絶対に手出しさせないぞ!)
 春日神社の御巫修行講座が始まった。
 玉串(たまぐし)の捧げ方、書経の書き方などお稽古が重ねられた。文机の前に座る時は正座なので、ほとんどの方はシビレに苦しんでいた。

第二章 若宮さまとは?

 美甘ちゃんの心に、もうひとつ夢が膨らんでいた。
 紀伊の国にいた頃、港で船乗りからもらったキングサリという黄色の藤そっくりの花を育て、お祭の時には髪に飾って若宮さまを驚かせたいのだ。それと、
(若宮さまがカッコいい方なら、ご寵愛を受けてもいいわ!)
 などと、調子のいいことを考えていた。
 それを察したように、指導係の御巫の上臈(じょうろう)さまが「若宮さまについて」説明した。
 美甘ちゃんは、いつもより身を乗り出して上臈さまの話を聞く。
「若宮神社に鎮座する神は、本社本殿第三殿に祭られた天児屋根命(あめのこやねのみこと)と第四殿の比売(ひめ)神の間に生まれた御子神、天押雲根命(アメノ・オシクモネの・みこと)です。伝承によると、本殿第四殿の床に突然「水の塊」のようなものが現れて落下し、柱を伝って殿内へ入っていった――」
(アメノ・オシクモネくんか……)
 美甘ちゃんは名前を心に刻んだ。
「まあ……」
 講座の御巫たちは、ため息とも驚きともつかない声を洩らした。
 上臈さまは話を続け、
「これが、両親から生まれ出た「子どもの神」とされる若宮の神で、第二殿と第三殿の間に祭られることになり、若宮の神は水に関わる若い生命の神として祭られました。いつしか芸能の神にもなり、大和国で一番の大祭にまでなったのです」
(大和国一の大祭!)
 美甘ちゃんの瞳が輝いた。
 春日大社の神紋は下がり藤である。御巫の修行しながら、せっせと藤の世話をする。
 空いている花壇で、キングサリの栽培も始めたいと思った。
(宮司さまに、許可をとらなければね!)
 美甘ちゃんが声をかけた時、宮司さまは、歩きながら何かをそらんじておられる最中で、御巫の卵ごときが何か話しかけても上の空という感じで、
「え? 空いている花壇で新しい花を栽培したい? ああ、好きなようにしなさい」
 と、あっさり承知してもらった。美甘ちゃんは大喜びだ。
(これで藤とキングサリの花が咲くと、紫と黄色の花房が垂れ下がる様子が見られることになる。これを冠の飾りに認めていただければ、いっそう華やかになるわ!)

 御巫の衣裳は、夏場は暑いので二枚襟になるが、10月~5月には紅白の襟元が八枚襟である。八枚襟は紅白が八段に重なって、とても華やかだ。装束の着付けにも慣れてきた。
 驚くことに、薫丸も遅れを取らずに着付けや講座で習うことについて来ている。
 講座の皆さんには、
「美甘の又従姉妹のくゆりと申します。皆さん、宜しく」
 と、女の子っぽく挨拶してごまかしている。男子が混じっているとバレたら大変だ。
 薫丸を教室の隅っこで捕まえ、小声で、
「薫丸くん、私のことは心配ないから、お願い、都のお屋敷に帰って待っていて」
「いや、ダメだよ。ひとつ言っておくことがある」
「な、なぁに?」
「美甘ちゃん。若宮さまに会えるのを楽しみにしているだろう」
「まあ、薫丸くん、知ってたの?」
 美甘ちゃんは紅くなった。
「この前の上臈さまのお話の通り、ご祭神のことらしいよ。つまり神様だから接近は許されない」
「……」
 美甘ちゃんは、ボウッと立ち尽した。
 頭の中で描いていた夢――白い鹿に乗った少年と親しくおしゃべりすること――が、パ―になってしまったのだ。

第三章 正座のお稽古

「こうなったら……」
「ど、どうするんだ?」
「皆さんに正座のお稽古してもらうわ!」
 美甘ちゃんは、すっくと立ち上がった。
「正座の稽古と若宮と何の関係があんのさ?」
「とにかく、スッキリしたいのよ!」
 言うが早いか、御巫の教壇に立った。
「御巫修行中の皆さん、大変、生意気ではありますが、それを承知の上で、私から正座の所作を号令かけさせていただきます。シビレ防止の方法もお伝えします」
 御巫のお姉さんたちは、一斉に美甘ちゃんの方を向いた。
「正座の所作?」
「正座に所作があるなんて初めて聞いたわ!」
「シビレなくなるのは助かるわ、美甘ちゃんとやら」
 美甘ちゃんは深くお辞儀して、
「ありがとうございます。では……文机の横に立っていただき……」
 美甘ちゃんは教壇の上で横を向いた。
「体幹を意識して、背筋を真っ直ぐにして立ちます。そして、床に膝を着きます。緋袴に手を添えてお尻の下に敷き――、かかとの上か、かかとで作る『V』の字の中に座ります。両手は膝の上に乗せて。はい、これで正座の出来上がりです」
「本当だわ。これで正座ができた!」
「『V』の中に座ると、シビレになりにくそうね」
 御巫の皆さんに好評だった。
(ああ、皆さんに喜んでもらえて、ちょっとスッキリしたわ)

第四章 夏休みを過ぎて

 御巫体験講座は、6月から9月まで一旦、休みに入った。
 美甘ちゃんは、その間に紀伊の祖父上の元に帰り、長い留守をお詫びし、春日大社の御巫体験講座のため、もう少し奈良に滞在するお許しをもらった。
「蜜柑園の蜜柑はすくすく育っておる。この冬も豊作になるじゃろう。こちらのことは気にせず、奈良でも京の都でも好きなだけ滞在するがよいぞ」
 祖父上は白い眉を下げて、相好を崩した。
「お祖父さまに、寂しい思いをさせてごめんなさい」
「いや、こんな山の中では退屈じゃろう。いつまでも山賊の相手をさせるわけにもいくまい。好きにしてよいのじゃぞ」
 婆やとふたりでホッとした。

 秋口に奈良に戻った時には、前髪がかなり伸びていた。講座が始まった時から、若宮おん祭のために前髪は耳に挟む長さにするので、切らないようにと言われていた。
 また、藤そっくりのキングサリという黄色い花の苗も伸びていたが、花はすっかり終わっていた。
 うりずんさんにお願いして、神通力で花が最盛期の時にさかのぼって摘んでいただくことになっているので心配はしていない。
 若宮おん祭が12月にあるため、舞のお稽古は9月から始まった。
 いつもの着物の上に「千早(ちはや)」という羽織る着物を着て、紐の結び方を習う。
 御巫の中でも年長の上臈(じょうろう)が琴師を務め、笛を吹く者、神楽舞を務める者など役割が決められる。
 舞は「八乙女(やおとめ)の舞」といい、伴奏に合わせて8人の乙女が舞うことになっている。
 それなりの白粉(おしろい)を首筋からほどこし、皆、そろって美しい舞を見せる予定だ。

 美甘ちゃんは、8人のひとりに選ばれるように真面目にお稽古に取り組んだ。
(上手に舞えたら若宮さまがどこかからご覧になっていて、顔を覚えてくださるのではないかしら?)
 ふと薫丸くんのことを思い出した。
(薫丸くんは舞をできるのだろうか? どうするのだろう?)
 彼を目で探して様子を見ていると、なんと上臈の御巫さんから横笛の手ほどきを受けているではないか。
 休憩に入った時、美甘ちゃんは急いで薫丸くんの元に駆け寄った。
「薫丸くん! まさかとは思うけど、お神楽の笛を担当するんじゃないでしょうね」
「その、まさかだよ」
 薫丸くんは、ふんぞり返って答えた。
「美甘ちゃんは知らなかっただろうけど、おいら――いや、麿は龍笛(りゅうてき)の稽古は、傀儡子仲間の中でも毎日やっていて、頭領からも褒められるくらいなんだぜ。さっきも御巫の上臈さまに『なかなかの腕前ですね』って褒められちまった」
 得意げに頭をかいた。
(まあ……知らなかった。龍笛は花形の楽器だから、若宮さまも注目されるわね)
 美甘ちゃんには意外なライバル出現になった。
(ご寵愛を受けてもいいわ)
 なんて思っている美甘ちゃんだが……。

第五章 夢が元で

 ある夜、美甘ちゃんは体験講座の皆と眠っている時、夢を見た。
 神社に盗賊が襲ってくる夢だ。
 火矢が柱に刺さり、炎が燃え広がって逃げ道を見失ってしまった。そこへ、観音開きの大きな扉が開けられ、
「こちらだよ!」
 と叫んだのは、背のスラリと高い青年ではないか。
 なんと神々しい姿か。火焔地獄に現れた純白の貴公子――いや、神様だ。
 彼は乗ってきた白い鹿の背から飛び降りて、美甘ちゃんに駆け寄った。乗ってきた純白の鹿に似た顔立ちの美しい人だ。
「あなたは……若宮のオシクモネさま?」
 吐息がかかるほど近づいた。彼の瞳に映っているのは、自分のびっくりした顔だ!
(なんて大きい瞳だろう……鹿の黒眼みたいだ)
「ケガは無いか」
 彼に抱き上げられ、ふたりで鹿の背中に乗った。いよいよ炎は迫っていたが、鹿の背後に見える雪を頂いた高い山脈のおかげで熱く感じない。
 それでも足元に火は迫ってくる。
「美甘ちゃん! 美甘ちゃん!」
 誰かが大声で呼んでいる。
 ハッと目を覚ますと、薫丸くんの顔が間近にあった。
「キャッ! く、薫丸くん!」
 体験講座の皆が見ている中で、薫丸くんの本名を呼んでしまった。
「くゆりさん! あなた、男の子だったの?」
「道理で平べったい背中していると思ったわ」
「胸もね」
 体験生はジロジロ見たが、薫丸は必死の表情と声で、
「お願いします、宮司さんや、上臈さんには内緒にしておいてください。幼なじみの美甘が心配でついてきたのです」
 ガバと頭を下げて、丁重に皆にお願いした。

第六章 うりずん来る

 12月中旬、いよいよ若宮おん祭の日を迎える。
 日が迫ったある日、春日大社の女子寮に充てられている建物に、ひとりの公達(きんだち)がやってきた。珍しい紅鬱金(べにうこん)色の髪に、爽やかな水色の直衣(のうし)を着た青年で栗毛の馬に乗ってきた。
「美甘どのは、おられるかな?」
 公達は足踏みする馬の首筋を軽くたたきながら、鎮まらせて馬を下りた。
「うりずんさ〜ん!」
 美甘ちゃんが窓から手を降り、すぐに出口へ廻った。
「まあ! あの美しい方、美甘さんのご面会?」
「うちの神職さま方にも劣らない神秘的な殿方ね!」
 同期の御巫たちは窓から覗いて、思わず騒いだので、上臈さまがパンパン! と手をたたいた。
「皆さま、窓から身を乗り出すなど、淑女のすることではございませんことよ!」
 御巫たちは、しぶしぶ席に戻った。
「うりずんさん! この度はお使い立ていたしまして申し訳なく存じます! 明日からお祭りに入ります。ちょうど良い時においでくださいました」
「やあ、張り切ってるね!」
 馬の背から荷物を下ろして、美甘ちゃんの腕の中に渡し、もうひとつは後からやってきた薫丸に渡した。
「うわ、ずいぶん、かさ高い……」
「思ったよりかさ高くなってしまってね」
 風呂敷の隙間から黄色い花びらが見える。
「キングサリの花を、時をさかのぼって摘んできてくださったんですね! 本当にありがとうございます」
「いいんだよ、美甘ちゃん。何か私にできることがあったら言っておくれ」
 うりずんさんはニコッと笑うと、また馬上の人となり、御巫の教室を後にした。

第七章 若宮おん祭

 若宮おん祭は、まず「大宿所祭」が15日に行われる。おん祭を中心的に進行する「大和士(やまとざむらい)」が身を浄める行事である。
 浄めのために「御湯立て(みゆたて)神事」が行われ、おん祭名物の「のっぺ汁」が振る舞われる。美甘ちゃんたち御巫体験生も味合わせてもらった。
「正座汁と同じ、おすましの中にいろんな野菜が入っているわ」
「温まるなぁ〜~」
 薫丸くんは、美味しそうに三杯もお代わりした。

 16日の宵には、宵宮祭と宵宮詣でが行われる。
 若宮神社の神前に神饌(しんせん)を捧げて祭の無事を祈る。
 宵宮詣では、大和士が流鏑馬児を伴って、神前に御幣を捧げて拝礼する。
 17日、午前0時から『遷幸(せんこう)の儀』。
 若宮を若宮本殿から御旅所にお移しする儀式である。若宮の霊は榊(さかき)を持った神職の者が十重、二十重になってお遷し(うつし)する。奉仕者が先に立ち、「ヲ〜ヲ〜ヲ〜」と先払いの声を発しながら進み、松明やお香を持った人たちが道を浄める。楽人は道楽を奏でてお供をする。

 冬の凍りつくような寒さの真夜中に、神職の者たちに厳か(おごそか)に囲まれるご神体を見て、美甘ちゃんは、
「あんなに大切に囲まれて……。やはり凡人がお会いできるお方ではないのだわ」
 ため息をついた。
 還幸の儀の後、午前1時頃から若宮に朝食が供えられる。
 17日、正午より【お渡り式】。
 真夜中まで様々な芸能が行列になって催される。御旅所祭りで芸能を奉納する一行が出発し、赤い衣に白い千早を肩にかけた「梅白枝(うめのずばえ)」と「祝御幣(いわいのごへい)」。次に青摺り(あおずり)の袍(ほう)を着けた「十列児(とおつらのちご)」の騎馬四人が冠に桜の花を挿して、御旅所では東遊(あずまあそび)を舞う。
 次に風流傘を差しかけながら、騎馬で進むのが拝殿八乙女で、美甘ちゃんたちの代表である。
 細男(せいのお)の六人の青年による古来の一座の舞。
 影向(ようごう)の松では、松の下儀式が行われる。
 猿楽座、田楽座による舞が披露された。後は競馬、流鏑馬、将馬(いさせうま)などが行われる。
 芝舞台に「だだいこ」という九尺を越える高さの太鼓が設置され、ようやく、美甘ちゃんたち御巫体験生たちが混じっての神楽舞が行われる。

 うりずんさんが昨夜、遷幸祭がはじまる前に持ってきてくれた藤の花そっくりの黄色いキングサリで、紫の藤と共に細工した花かんざしが人数分、出来上がっている。
 短い時間に美甘ちゃんが、手早くかんざしに着けたのだった。

第八章 神楽の中断

 八乙女神楽が舞われた。美甘ちゃんは緊張の中で勇気を奮い起こし、懸命に一挙手一投足を間違えないように心をこめて舞った。
 その最中――。
(なんだろう、暗闇から鼻息みたいな音がする――)
 突然、暗闇から大きな雄鹿が突進してきた! 
 角を向けて、美甘ちゃんに体当たりした。舞楽奉納場は大騒ぎになる。
 鹿係の者が駆けつけ、鹿を外に追いやった。
「美甘ちゃん!」
 薫丸が駆けつけてきた。
「だ、大丈夫よ。びっくりしただけ」
「千早がやぶけてしまったね」
 美甘ちゃんにケガはなかったが、千早の袖が裂けてしまった。
 鹿の係の者が、かんざしから落ちた黄色い花びらを見て、
「これはもしや有毒の植物ではないか? 誰がこんな花を!」
 キングサリには毒が含まれており、それに反応した鹿が興奮したというのだ。
 祭のお偉い方々が集まってきた。
 キングサリを栽培したことを知った宮司さまが、激怒する。
「そこの御巫体験生ふたり! 勝手に黄色い毒のある花を育て、かんざしに使うとは!」
 美甘ちゃんは真っ青になる。
(鹿が興奮……そんなこと、ぜんぜん知らなかった! お祭りを台無しにしようなんて考えるワケないわ!)
 震える肩を、薫丸くんががっしりと抱いてくれた。
「そんな御巫体験生は、失格! すぐに追い出せ~~!」
 宮司さまが怒鳴った時―――、冬の穢れない陽射しの中に人影が現れた。

 純白の衣をまとった若宮さまが一言放つ。
「待て!」と。
「若宮さま―――!」
「若宮のアマノオシクモネさまだ!」
 一同、立ち尽くす。
 それから、ハッとしてその場に正座して頭を下げた。
「栽培を始めた者と許した宮司にも話を聞かねば。誠、その黄色い花が有毒なのかも調べなければならない!」
 宮司さんが走り寄った。
「若宮さま。ともかく黄色い花はすべて処分させます。お近づきになりませんように」
 若宮さまは宮司の注意も聞かずに白い鹿の背から下りて、地面に投げ捨てられた黄色い花を手に取り眺める。
「この清らかな黄色い花に毒が?」
「あ、オシクモネさま! お手に毒がついてしまいます!」
 美甘ちゃんが駆け寄って花を捨てるよう進言する。
 その時、再びうりずんがやってきた。

第九章 黄色い花

 美甘ちゃんは黄色の花を勝手にかんざしに飾ったことを、御巫の偉い上臈から激しく攻められる。
「かんざしに勝手に別の色の花を加えるなんて、あなたは春日大社の代々の決まりをどう考えていらっしゃるの!」
「わ、私はただ……」
 美甘ちゃんは泣き崩れた。
 それを見た薫丸くんは、かんざしを外して上臈の前に立った。
「黄色い花を育てることは、宮司さんからちゃんと許可をもらったって言ってたぞ。美甘ちゃんはウソつくはずない!」
「くゆりさん! あなた! 男子だったの?」
「そうですよ! 九条薫丸というのが本名の男子です! 御巫が男子で悪いですか?」
 宮司さんは、首を傾げて頼りなく考えるだけだ。
「むむ? 御巫の体験生から、花の栽培? そんな申し出があったかなぁ?」
 若宮も困って口ごもっている。
 アタマに来た薫丸は身をひるがえして、これから行われようとしていた稚児流鏑馬(ちごやぶさめ)の場所へ駆けつけた。そして素早く1頭の馬の手綱を持って背に乗り、御巫の神楽舞の場所に引き返す。流鏑馬の熱気が冷めやらない中、後片付けしていた赤や白の水干を着ていた少年たちは、馬を奪われてオロオロした。
「ボクたちの馬をどこへ持っていく!」
「馬どろぼう~~~!」

 薫丸くんが堂々と馬に乗って戻ってきた。若宮に向かって、
「勝負しろ! 勝った方の言うことが正しいことに決める!」
 若宮は驚いた。
「待ちなさい。かんざしと流鏑馬の件はまったく別です。そんな物事の決め方は賛成できませんね」
「おいらに勝つ自信が無いのだろう!」
「う~~む。そこまで言われては―――、神である私が人間のおのこに負けるわけにはいきません。流鏑馬の勝負、受けて立ちましょう」
 若宮は意地を張ってしまい、完全に薫丸の思うツボになった。気合いを入れて白鹿にまたがった。

第十章 流鏑馬勝負

 御巫たちは、若宮さま側と薫丸くん側に分かれて声援を送った。若宮さま側の御巫は当然のことながら、女装していた薫丸くんに応援がつくとは、美甘ちゃんには予想外のことだった。
「若宮さま~~、頑張って! 人間のおのこに負けないでください!」
「くゆりさん、頑張れ! 美甘ちゃんを心配で女装してまで体験講座に潜入するくらい度胸があるんだもん、流鏑馬の的を射るくらい、楽勝よね!」
 御巫の声援を聞いて、一般の見物人まで二手に分かれて応援をはじめる始末だ。
 美甘ちゃんは、さすがに困ってしまったが、こうなれば成り行きに任せるしか仕方がない。

 薫丸くんからだ。馬を出走させる。
 矢が射られる。タ――ン! 的に中る音が響く。命中!
 次は若宮さま。馬とは違い、鹿がぴょんぴょん跳ねてきた! 狙えるか? タ――ン! 命中~~!

 両者、疾走して全部で3回走ったが、ふたりとも3回とも的に当ててしまって勝負がつかない。
 ふたりは睨みあった。
「美甘ちゃんはおいらのものだ! 手を出すな!」
 薫丸が大声で言った。若宮もムッとして、
「その方、何のことを言っている? 御巫の美甘どのとやらの正式な許婚者なのか?」
「許婚者ではないが、幼稚園舎ぴちぴち組からの幼なじみだ!」
「幼なじみは許婚者でも恋人でもないぞ!」
「おいらたちの場合は、幼なじみを越えた仲なのだ!」
 かんざし用の花から論点がズレた口論になった。

 そこへ、うりずんがやってきた。
「おやめなさい、ふたりとも。みっともないですよ。公衆の面前で」
「あっ、あなたは……」
 若宮は目を見開いた。
 うりずんは馬から下りて、宮司さんを呼んだ。
「貴方さまは、季節神のうりずんさま!」
「宮司どの。この度はご迷惑をおかけしました。御巫の体験講座に参加している知り合いの娘が、かんざしにキングサリという黄色い花も加えたいと申しまして、栽培を許可してくださったそうですが……」
「おお、やはり許可を出していたのですね、私としたことが、しっかりとした覚えがないのですよ。トシをとりたくはありませんな」
 宮司さんは、決まり悪そうに頭をかいた。
 うりずんは居ずまいを正した。
「私が調べたところ、キングサリという花は藤にそっくりで美しいのですが有毒なのです。うっかり口に入れると胃腸の腑がやられてしまう」
「な、なんですと?」
「で、私がキングサリを採ったことにして、実際には琉球によく咲いている無毒の黄色い花を代わりに運んできたのです」
 宮司さんが驚くより先に、美甘ちゃんが駆け寄った。
「キングサリに毒性が? わざわざ琉球から似た花を運んでくださったの?」
「そうなんだ。調べてから分かったのだが、キングサリは少量でも体内に入ると胃腸の臓腑に悪影響を及ぼすらしい。そなたが黄色に飾るのを楽しみにしていたから、言い出せずに別の黄色い花を運んだのだ」
「そうだったのですか……。それではかんざしに飾れないですものね」

第十一章 白鹿

 御巫の先輩たちが美甘ちゃんを取り囲み、
「花の毒なんか、もしどんな花に含まれていても、私たちの舞で浄化して散らしてあげるわ! 春日大社の御巫の神楽舞をなめてもらっちゃいけないわ。そのための御巫の舞なんですもの」
「あ、ありがとうございます、皆さん……」
 一致団結した御巫たちの力強い言葉に、美甘ちゃんは力づけられ感激する。

 薫丸が顔を上げた。
「じゃあ、さっき美甘ちゃんに突撃した雄鹿は? うりずんさんの持ってこられたのが無毒の黄色い花なら、何も影響はないはずだが?」
 鹿の係の男衆が、急いで捕らえた鹿を調べた。
 美甘ちゃんも鹿の元へ行き、檻(おり)の前に正座した。
「鹿さん、お花の毒で苦しかったの? どうか誠のことを伝えておくれ」
 鹿は美甘ちゃんの瞳を見つめ、美甘ちゃんは鹿の瞳を見つめた。た。邪悪など欠片(かけら)もない、澄んだ瞳をしている。
「御巫さん、申し訳ありませんでした」
 鹿の係の男衆が頭を下げた。
「鹿は花を何も食べていないようです。季節柄、興奮しがちだったのでしょう。朝になったら山に放ってやります」
「良かった。よろしくお願いします」

 若宮さまの白い鹿も首を垂れて近寄ってきた。鹿の声が聞き取れた。
『美甘どの……』
「白い鹿さん、あなたは人間の言葉が分かるのね?」
『美甘どのが神仙に近いお方だから分かるのです。山鹿の落ち度は若宮さまの落ち度。直にお仕えする白鹿にも重い責任がございます。どうか若宮さまを恨んだりせず、許して差し上げてください』
 白鹿は細い首をしなやかに垂れて、お詫びのつもりか長い間じっとしていた。
 捕らわれていた山鹿も白い色になり、檻を抜け出て近寄ってきた。若宮の白鹿と並んで座り込む。
「恨んだりなど、とんでもございません。春日大社の象徴として尊敬申し上げます。白鹿さんたちのご忠義にも頭が下がりますわ」
 美甘ちゃんも丁寧に座礼を返した。

第十二章 毒は結構!

「報告をせよ」
 若宮が、還幸(かんこう=宮へ戻る)寸前、おん祭参加者に言い渡した。
 宮司さんが汗をぬぐいながら、
「思わぬ問題が発生しました。御巫のかんざしに黄色い花が飾られようとしたこと。栽培を許したこと。野生の鹿が御巫に襲いかかったこと。京の九条家のご嫡男が、御巫体験講座に紛れ込んでいたこと」
 若宮の口元に苦笑が浮かんだ。
「栽培を許した宮司の記憶が定かでなかったのが、一番の問題かと思う。後の件は大したことではないので、処分はなしでよい」
 うりずんさんが、
「宮司さまには、琉球名物の強いお酒――泡盛か、ハブ酒でもお贈りするつもりです。きっと記憶力が抜群に若返られるでしょう」
 それを聞いた美甘ちゃんが、薫丸くんに、
「ハブ酒ってどんな?」
「話によると、ハブっていう毒蛇から造る酒だそうだよ」
「きゃあ~~っ! 毒の話はもうたくさん!」
 大慌てで逃げ出した。
「美甘ちゃん、いいわね、あんなに威勢の良い『薫丸の守護神』がいてくれて」
 先輩の御巫たちがからかい、美甘ちゃんは真っ赤になった。


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