[356]鹿の樹(かのじゅ)将軍がやってきた!


タイトル:鹿の樹(かのじゅ)将軍がやってきた!
掲載日:2025/05/12

シリーズ名:うりずんシリーズ
シリーズ番号:13

著者:海道 遠

あらすじ:
 京の都の小さな寺の境内で、うりずんが「うりずん拳法」を子どもたちに教えていると、昔なじみの鹿の樹(かのじゅ)将軍という男が現れる。いつも声のでかい男で神仙の将軍だ。
 子どもの昼飯まで奪うような礼儀知らずだが、訳があった。参戦している時に河の中洲に足止めされ飢餓状態になったこと。その間に親や妻を戦いで亡くしたことを、うりずんは知る。
 将軍の掛け声は力強く、正座の所作を子どもたちにさせる。
 ふたりの前に、この世の人とも思えない美しい女人、あかりが現れる。


本文

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第一章 鹿の樹

 鹿の樹(かのじゅ)は、琉球の季節神うりずんの旧友。神仙の将軍だ。逞しくて弱き者には優しい男だが、怒りん坊なのがタマにキズ。
 絶えず怒鳴り声を放ち、雄たけびを上げている。友と言わず先輩と師匠と言わず、怒鳴り飛ばす。
 会話が全て怒声。
 元々、納得できる内容で、無闇に怒ったり当たり散らしているわけではないので、声の大きさ以外、周りの者や部下は彼の特色だと思うことにしている。

「やあっ!」
「とおっ!」
 朝早くから、気合いの入った声が響いていた。
 京の都の町外れの寺の境内―――。
 紅鬱金(べにうこん)色の長い髪の青年が、子どもたち十数人を相手に「うりずん拳法」の型をやっている。
「張り切ってるな、みんな!」
「うりずん師匠、明日は奈良へ遠足だもん!」

 そこへ、地響きのようなものが近づいてきた。
 うりずんと子どもたちは、身の危険を感じて地面に伏せた。するとまもなく、山や町を埋め尽くすほどの鹿の大群が近づいてきた。
 ドドドドドド~~~ッと鹿の大群が頭の上を過ぎ去ったかと思うと、先頭の大きな鹿だけが、上に乗っている大柄な男に操られて戻ってきた。青い髪の大柄な男が大声で、
「貴様〜〜! こんなところでのんきに何をしている〜〜?」
 うりずんは、いきなり怒鳴られた。
(そ、その声は……)
 道着姿の子どもたちも稽古を止め、怒鳴った男をオドオドして振り向いた。
「あ、貴方は……鹿の樹(かのじゅ)将軍! びっくりするじゃないですか、そんな大声で」
「何を言うとるか! これがオレの話し方なのを忘れたか〜〜!」
 うりずんは耳を両手でふさぎながら、30尺ほど離れた。
「頭に響きますから、もう少し小さな声でお願いしますよ」
「オレは、これで普通に話しとるっ!」
(ふ、普通でこの話し方?)
(けたたましいおじさんだなぁ)
 怖がりのおのこ、スガルが朱い胴着のおちせの背中に隠れた。
「そこのわっぱら! 誰がおじさんだと? 聞こえているぞ! おにいさんと言うがよい!」
 弟子たちの話し声を敏感に聞き取った「おじさん」は、素早く抗議する。
「鹿の樹将軍、子どもに悪気はないので許してやってください」
「ふんっ、仕方ない! この子どもらは何の集まりだ?」
「『うりずん拳法』という武道を教えているのです」
「『うりずん拳法』だと? 初めて聞くぞ」
「今度、ゆっくりお教えしますよ」
 朝から、ひとしきり稽古の時間が過ぎた。
「さあ、休憩にしよう、みんな、日陰に入って水を飲みなさい」
「うりずん師匠〜、お腹減ったよオ」
「おいらも〜〜」
 弟子たちがお腹に手を当てて訴えた。
「え? もう腹が減った? まだ昼には少し早いが、仕方ないな。昼飯の時間にしなさい」
「わ〜〜い!」
 皆、喜んで持ってきた柏葉(かしわば)を広げて食べはじめた。もちろん正座してだ。中身は大きいおむすびだ。
「わ〜い、母ちゃんがでっかい塩むすび作ってくれた!」
「おいらのはカツオ節が入ってる」
 弟子たちの隣に正座したうりずんは、皆を見て微笑んだ。
「うりずん、お前の昼飯は?」
 鹿の樹が尋ねた時、ふたりの女の子が恥ずかしそうに包みを持ってきた。
「うりずん先生、これ食べてください。あたい、頑張って作ってきたの」
「あたいのも食べてね」
「おう。いつもかたじけないなぁ」
 うりずんが柏葉の包みを開けようとしたとたん……、将軍の怒鳴り声がまた、火を噴いた。
「うりずん! 貴様、おなごの弟子に握り飯を作らせているのか! その様子では毎日だな!」
「作らせてるってか、この娘たちが作らせてくれって言うもんだから……」
「おのこらもだ! 母親に作ってもらっているようではないか! 握り飯くらい、自分で作らんでどうする〜〜!」
 境内じゅうに響きわたる怒鳴り声だ。
「鹿の樹将軍……」

第二章 お腹が空いて

「昼の握り飯くらい、自分で作らんか!」
 おなごの弟子に作ってもらっているうりずんに、シットしたようだ。
 さっきから見ていた邪鬼の天燈鬼と竜燈鬼が、それを見抜いていた。
「あのデカい声のおっさんはきっと、うりずんさんにジェラシーしてるのや!」
「うん、うん。弟子たちも、うりずんさんもいい迷惑じゃないか」
「竜ちゃん、あのおっさん……お腹がギュルギュル鳴ってたで」
「そんじゃ―――」
 ふたりの会話をすっかり聞いていたうりずんは、寺に駆け込むなり修行僧のひとりに尋ねた。
「修行僧さんのご飯、残っていませんか?」
「朝の残りならありますが……」
 うりずんは残ったご飯で急ぎ、デカい握り飯を3個作り、鹿の樹将軍に差し出した。
「こ、これは? そよぎちゃん!」
 握り飯を見た鹿の樹将軍は、急に馴れ馴れしく「そよぎちゃん」と呼び方が変わった。ゲンキンな将軍だ。
「どうぞ。お腹が空いてるんだろ?」
「これは……そよぎ大明神さま! いただきます!」
「私は季節神だよ」
 鹿の樹将軍は大口を開けて食べはじめた。その勢いは普通ではなく、むさぼり食いと言った方がいい。
「もっとないのか?」
 しかも、食べ終わってからも追加をねだる始末だ。

第三章 悲しい過去

 天燈鬼が、うりずんに耳打ちした。
「あの方、どうかしなすったんですか?」
「あれでも、大勢の戦士を統べる偉い将軍なのだ。……確かに鹿の樹将軍らしくない、欲望むき出しの食欲だな」
 そのうち、弟子の握り飯を奪って食べ出した。泣き出す子どもが続出する。
「鹿の樹将軍! 弟子のものまで奪っちゃいけませんよ! 皆さん、下級貴族の子とはいえ裕福ではないお宅の子まで無理を言って、白ご飯の握り飯を持たせてもらっているのですから」
 うりずんが弟子の手に戻した。
 弟子たちは、すっかり鹿の樹将軍に敵を見る目で睨みをきかせている。
「このおじさん、油断ならんぞ! いくら、うりずん師匠の友達で偉い将軍さまであっても許せない!」
「そうだよな、大事な握り飯を奪うとは!」

 うりずんは、ため息をついた。
「天燈鬼、ちょっと頼まれてくれないか?」
 呼び寄せると、天燈鬼は、
「あの将軍の偵察ですか? そう思って、さっき、ワシの3番目の眼から生まれた翠鬼(すいき)を行かせました」
「天燈鬼、さすがに仕事が早いな」
 皆が握り飯を食べ終わる頃、翠鬼は空から帰ってきた。
「天燈鬼さん、うりずんさん!」
「ご苦労だったな、翠鬼」
 薄みどり色の翠鬼が着地した。
「どうも、先般、激しい戦いがあったようです」
「戦い? 神仙の世界でのことか」
「そうです。その時、鹿の樹将軍は『渡河(とか)将軍』という、軍隊に大河を渡らせる役目についていたそうですが……進軍の途中に川水の嵩が高くなって、中洲に取り残される事態に陥ったんだそうです」
「なんということだ! で?」
「軍隊は水が退いても中洲に閉じ込められて、何日間か飢餓状態に見舞われたそうで」
「それで、鹿の樹将軍は、あんなに握り飯に執着していたのか」
「それともうひとつ、戦いで留守にしていた故郷が敵に攻められ、親御さんと夫人が亡くなられて、幼い弟御まで行方不明になられたそうでして……」
 翠鬼は絶句した。うりずんも天燈鬼も下唇を噛みしめた。
「なんということだ……。以前から怒りっぽいところへ、そんなことが起こったのでは、鹿の樹将軍も母上や夫人の作られた握り飯を思い出して、苛立ってしまうよなあ」
「だからって、子どもの昼の握り飯まで奪うなんて、大人げないではないですか! 将軍と呼ばれているお方がですよ!」
「そこが、鹿の樹将軍の純真というか、良いところでもあるのさ」
 うりずんは片目をつむって言った。鹿の樹将軍とは、長いつきあいなのだ。
(歳の離れた弟が行方不明……。無事なんだろうか?)

第四章 弟の行方

 翌日、うりずんは鹿の樹将軍の滞在先の宿まで行き、奈良遠足に誘った。
「自分の地元へ帰ったところで何も珍しくない! 母上も妻もおらぬ」
 散らかった仮住まいの褥(しとね)に寝転んだまま、口を「へ」の字に曲げて取りつく島もない。
「そのようなことを言わずに。味噌入りの握り飯を作ってきてやったぞ」
「なにっ? 味噌入りの握り飯だと?」
 鹿の樹将軍は、瞳を輝かせてガバッと起き上がった。
「さあさあ、着物を着換えて。東大寺の大仏殿へ行きましょう」
 うりずんが着替えを手伝い朝飯の握り飯を渡した。それを食べながら宿の玄関へ出ると、子どもが十数人ほど待ち構えていた。
「鹿の樹将軍、奈良へ遠足に行きましょう!」
「今日は『うりずん拳法』はお休み。みんなで奈良へ行こうって、うりずん師匠がおっしゃったの」
 おのこたちもおなごたちも嬉しそうにしている。
 なんと! 鹿の樹将軍の手を握りに来る子までいて、将軍は驚いた。
「な、なんだ? オレになついてくるとは!」
「だって、おいらたち、将軍の母上と奥方さまが戦で亡くなったって聞いてお気の毒に思ったんだもん。な、おちせ」
「うん。スガルくん。仲良くしてあげましょうね!」
 振り分け髪の10歳くらいのおなごが、目に涙を溜めて将軍の顔を見上げた。思わず将軍の胸が熱くなって、返事する言葉を失くした。怒鳴らないのは珍しい。おちせちゃんは、スガルくんと鹿の樹将軍の手を代わりばんこに握った。
「わあ、将軍の手、すごく大きい! うりずん師匠より大きいわ!」
「当たり前だ。オレはうりずんのように、ふわふわしてヒマを持て余しているヤワな男ではないからな。身体も鍛え上げている」
「誰が、ふわふわしてヒマを持て余しているヤワな男だって?」
 うりずんがちょっと怖い目をして、鹿の樹将軍を振り返った。彼と手をつないでいるスガルくんを見て、
「おい、鹿の樹将軍、この子くらいの弟くんは?」
「……家族が戦火に見舞われた時、行方不明になってしもうた。今、部下に捜索させている」
 地面に目を落として力なく答えた。

第五章 大仏殿にて

 のろのろ歩いた一行が、ようやく奈良の大仏殿に到着したのは、夕方近くになってからだった。
 とりあえず、地面に正座して座礼したり合掌したりした。
「これでは、じっくり参拝する時間もないではないか~~! 散歩する気分でのろのろ歩いているから、こんなことになるんだぞ!」
 鹿の樹将軍の怒鳴り声が炸裂した。
「まあまあ。この子らの親御さんには使いも出せるし、宿も考えれば明日まで日延べできるではないか」
「明日まで日延べだと~~~? オレは、お前のようにふわふわしたヒマ人ではないと言ってるだろうが!」
「何か予定があるのか?」
「う……これといって予定はないが……」
 奈良の宿に一泊することになった。宿では部屋を四つも借りたが、それでも雑魚寝(ざこね)状態だ。
 うりずんは、弟子たちと楽しくおしゃべりしながらお腹いっぱい柿の葉寿司を食べ、床についた。
 一方、鹿の樹将軍は、断固として、
「ひとりで寝る! うるさい小童どもと同じ部屋で眠れるか!」
 と言っていたが、ひとり、ふたりと子どもが枕を持ってやってくると、最初は苦々しい顔をしていたが、やがてニヤニヤして同じ布団で寝入ってしまった。

 うりずんは部屋の隙間からその様子をうかがってから、簀の子に出て翠鬼を呼び、耳打ちして空に飛ばした。

第六章 合掌で挨拶

 鹿の樹が翌朝、目を覚まして宿の外を見てみると、数えきれないくらいの鹿が宿の建物の周り一面に集まっていた。
 鹿の樹将軍の姿を認めると、前足を折って一斉にひざまずく。
「よ――――し! 鹿どもよ! 鹿の正座、よくできた!」
 鹿の樹は起立して鹿の群れを見回しうなずく。

 くるりと宿の部屋へ取って返すと、大声でうりずんの弟子たちに叫んだ。
「布団を畳んで着替えよ! 朝餉(あさげ)を食べ終えたら、玄関に集合! 東大寺参拝に向かう!」
「は、はいっ!」
「うりずん、お前もだ!」
「ああ、分かってるよ。ちょっと待ってくれ。前髪の巻き加減がうまくキマらないんだ」
 手鏡と櫛を持って格闘しているうりずんに、鹿の樹将軍は容赦なく、
「なんだ、そのダルい返事は! おのこたるもの、髪型くらいで何を悩んでおる! しっかり返事せんか!」
「はい! 鹿の樹将軍!」
 うりずんも鹿の樹に付き合って、彼のペースに巻き込まれてやった。

 宿の玄関に、うりずんの弟子が居並んだ。
「端から番号!」
 鹿の樹が叫ぶ。
 端のおなごが、おずおずと叫ぶ。
「いち……!」
「元気が足りん! もう一度!」
「いち!」
「よ―――し! 次!」
 昨日のスガルくんが、
「にぃ!」
「よ―――し! 次!」
 次のおなごが、
「さん!」
 ひと通り、15番まで叫ぶと、
「ただいまより、東大寺へ向かう! 返事!」
 鹿の樹将軍の命令に、
「は〜い!」
 一同は答えて、歩きはじめた。
「いっちに―、いっちに―、両手を振って! 足を高く上げて! 元気よく! 自分でも声を出して! そうそう!」
 昨日、手をつないでいた、おちせとスガルにも声を掛けていく。東大寺の南大門に到着した。左右から巨大な仁王が睨みを利かせている。
「よし! 金剛力士たち、職務ご苦労!」
 鹿の樹はサラリと声をかけて通り抜け、東大寺の正面にたどり着く。
「よし、点呼を取る!」
 再び弟子たちは大声で番号を叫んだ。
「よし、正座!」
 鹿の樹将軍が、姿勢を正して真正面に立った。
「背筋を真っ直ぐにして、気をつけ――! 地面に膝をつけ〜〜い! 尻に衣を敷き、かかとの上に着座〜〜! よし!」
 東大寺の広い玄関前に、子どもたちがきれいに居並んで正座した。
「皆、合掌! 大仏さまに向かって合掌せよ!」
 子どもたちは言われる通り一斉に合掌して目を閉じた。うりずんも合掌した。
「うりずん、貴様、何をお願いした?」
 鹿の樹将軍が尋ねた。
「この遠足が楽しくできますように、だよ」
「何だと~~? おのこたるもの、そんなみみっちい考えでよいのか? 『国家安寧(こっかあんねい)』を願うに決まっとるだろうが!」
 鹿の樹将軍の怒鳴り声が炸裂した。
「そんな大きな声で言わなくても……」
「ああ? 何か言ったか?」
「いや、別に……」
 うりずんの元へ、翠鬼が戻ってきた。何か耳打ちする。
「ご苦労だった。やはりそうか……」

第七章 壺装束の女人

 鹿の樹将軍の元へ、壺装束の女人が近づいてきた。
 壺装束というのは打ち掛けを頭から被ることだ。やや身分の高い女人の外出時の装束である。胸の辺りに緋色の掛け帯というものを巻いて、背後で結んでいる。
 市女笠を脱ぐと、濡れ羽色の黒髪が豊かそうで瞳も黒曜石のように輝いている。
「そこなご武人さま、ぎょうさん(たくさん)お子を連れておいでですねえ」
「それが何か?」
 鹿の樹将軍は、素っ気ない返事を返した。
「お子さん方の、ご武人さまを見る目がいきいきとして尊敬の眼差しで、しばらくぶりに子どもの良き視線を見たような気がします」
「え? 子どもたちの見る目がいきいきとして? みんな、オレの声が怖くてびくびくしているというのなら分かるが」
「びくびくだなんて、とんでもございません。皆、貴方さまを慕うている目をしておりますよ」
「ええ?」
 鹿の樹将軍は周りの子どもを見まわした。
「将軍、私から見ても、そう思うぞ」
 うりずんが言った。
「昨日、手をつないでいた、おちせとスガルなど、めろめろになっている」
「めろめろ? このオレにか?」
「先ほどの女房どのも、将軍に一目惚れされたのではあるまいか?」
「ま、まさか」
 うりずんは、素早く向こうへ歩きかけていた壺装束の女人を呼び止めた。
「女房どの、失礼だが、どちらのお屋敷のお方かな?」
 女人は振り向き、
「あかり……とだけ、申しておきましょう」
 それだけ答えると、壺装束の打ち掛けで顔を隠し、大仏殿の中へ人ごみに紛れていってしまった。
 しかし「あかり」という名前通りの、なんとも華やかでしっとりとした「灯り」のような美貌だろう。
(うっ、いかんいかん、私としたことが。衆宝観音という愛おしい人がいながら邪念が入ってしまった)
 うりずんは首を振って、邪念をはらおうとした。
「ううむ。確かに滅多におらぬ魅力を秘めたおなごじゃ」
 鹿の樹将軍も見惚れている。その姿を見て、うりずんにとんでもない邪念が戻ってきた。
(衆宝観音さまは私の妻であるはずはなし、少しくらい人間の女に惚れたって罰は当たるまい)

第八章 どっちの背中

 昼になり、参道のうどん屋で一同は昼ごはんを食べた。
 いきなりたくさんの客を迎え、うどん屋のおやじは慌てたが、なんとか分量は足りた。
 皆で食べている時のかまびすしいこと。
 しかし、鹿の樹将軍はひと言も怒鳴らず、おとなしく食べていた。
 その頃、うどん屋の裏手では、うりずんが、スガルくんを呼び出していた。
「お前、おとうとおかあは亡くなったと言っていたな」
「うん。流行り病で、おいらが小さい頃に。だから覚えてない」
「その後は、おちせのところに引き取られたんだな?」
「おちせのとこは親戚。おじちゃんもおばちゃんも優しいよ」
 スガルはうどんの鉢を持ったまま、ちゅるん、と一本のうどんを吸いこんだ。
「どうして今頃、そんなこと聞くのさ、うりずん師匠?」
「いや……」
 そこへ、先ほどの壺装束の女人がやってきて、うどん屋の軒先に座った。
「お方さま、どうぞ、おみ足をお見せくださいませ」
「でも、こんなところで」
 侍女が足を見せるように勧めている。どうやら、女人は足を痛めたらしい。
 うりずんは「ここぞ!」とばかり勇気を出した。
「女房どの。先ほどはどうも。よろしかったら、私が診て進ぜましょうか? 少々、医術の心得がありますゆえ」
 女人は恥じらい気に素足になった。草履の鼻緒でこすれてしまって痛そうだ。うりずんは手ぬぐいを裂いて手早く手当した。
「これで応急の処置はした。後は、私が背負ってまいりましょう」
 そう言った時、鹿の樹将軍がやってきた。
「いや、オレ、私が背負って進ぜましょう。私の背中の方が広いですよ」
「いや、鹿の樹将軍の背中はゴツゴツしている。それに、私の背中の方が巻き髪の残り香が、ほのかに匂って心地よいですぞ」
「男の巻き髪なんぞ、想像しただけで気持ちよくない!」
「将軍、巻き髪の諸氏ファン全員をたった今、敵に回しましたな!」
「何のことだ? とにかく、あかりさんは私が背負う!」
「あかりさんだと? 馴れ馴れしいにもホドがある!」
 ふたりは歯ぎしりするほどの表情で睨み合った。
「こうなったら、どちらの背中に乗ってもらうか、鹿の流鏑馬で勝負しよう!」
「鹿の流鏑馬? それは流鏑鹿(やぶしか)だ!」
「おう! 受けて立とうじゃないか!」

第九章 やぶしか勝負

 勢いで勝負を引き受けてしまったが、うりずんの心に恋人、衆宝観音に対して罪悪感が、ずし~~んと昏い(くらい)雲のように立ち込めた。
(どうしよう、この勝負に勝てば、あかりさんを恋人にする権利を得てしまう……! 恋人にするかもしれない。いや、するだろう。あんなに魅力的な人だもの)
 悩んでいる間に弟子たちが、祭の時に使う鹿の「やぶしか」の道具を借りに行った。
 スガルも張り切って、
「はい、うりずん師匠、矢は3本でいい? 的は3つだから、足りるでしょう」
「スガル……そんな、お前……」
「どうしたのさ」
「相手は将軍だぞ! 俺は負けるかもしれん」
「うりずん師匠が負けるはずないでしょ!」
(事情を知らんから、そんなことを……)
(勝ってしまったら、衆宝観音から怨まれることになるんだぞ)
(それに、失恋した鹿の樹将軍がどんなに怒りまくるか……いつもより10倍くらいでかい怒鳴り声を想像するだけで、ゾッとする……)

 うりずんの恐れをよそに、弟子たちは「やぶしか」をするものと思い込んでいる。
 おちせちゃんなんぞは、仲間と共に参道の土産物屋さんに、
「明日、うちの師匠が『やぶしか勝負』をするんですよ! お客さんたちにも見物するように言ってくださいね!」
 宣伝に回る始末だ。
「え? 祭でもないのに流鏑馬やるのかい?」
「鹿に乗ってやるから『やぶしか』よ!」
「そいつぁ、見物せにゃあ!」
 宣伝効果あり、どんどん噂は広まった。

第十章 うりずんがいない

 その頃、侍女に付き添われて宿に帰ったあかりは、窓辺から外の様子に耳を傾けていた。
「子どもたちが何かを言って回ってるようだけど、何の知らせかしら……」
 参道に下りて聞いてきた侍女が報告する。
「大変ですよ、お方さま! さっきのうりずんさんと鹿の樹将軍とやらが鹿に乗って流鏑馬をして、勝った方がお方さまの恋人になるらしいです!」
 あかりという女性は驚いて、しばらく言葉もでなかった。が、やっと気を持ち直し、
「何ですって? いつの間にそんなことに? 私を背負ってくださるのはどちらかではなかったの?」
「確かそうでしたよね。……でも、おふたりとも美しいお方さまに一目惚れなさり、そういう勝負になったのでは?」
 侍女が言った。
「呆れてものが言えないわ。私は勝負の賞品ではありません。ましてや、盧舎那仏(るしゃなぶつ)さまと薬師如来さまにお仕えする身です」
 侍女に肩を支えられて、あかりが参道に出ると、辺りにいた鹿たちが、一斉に集まってきて膝を折って頭を下げた。
「よしよし、可愛い鹿たち。何かの間違いよ。お前たちを放って、人間の恋人になんかなりませんからね」

 翌日、あかりも「やぶしか」勝負を見なければならない。無論、ふたりに「私は誰のものにもなりません」という手厳しい文を送ったが、返事はない。
 東大寺周辺は、ふたりの「やぶしか」勝負を見ようという人々でごった返してきた。
「うりずん師匠、支度はいいですか?」
 おちせちゃんが、うりずんの宿の部屋へ迎えに行くと、姿が見えない。兄弟子の子が、
「うりずん師匠の姿が、昨夜遅くから消えたんだ!」
 それを階下で聞いた、鹿の樹将軍が、
「まさか、負けるのを恐れて逃げたんじゃないだろうな!」
「そんなはずありませんよ! うちの師匠は武芸一般、すごい腕なんですから! 座れば美男座(びなんざ)、立てば貴公子、歩く姿はカモシカってくらいですから」
 しかし、うりずんは忽然と消えてしまった。

 翠鬼が飛んで行って、それを天燈鬼に知らせた。彼はすぐに奈良にやってきて、
「うりずんさんは、勝負の前に逃げたりしない方だけどなあ。何せ、龍がまともに襲ってきても恋人を守るために一歩も引かなかったから!」
 天燈鬼の言葉を傍らで聞いてしまったのは、あかりさんだ。
「なんですって! うりずんという方には想い人がおいでなの?」
 翠鬼が元から黄緑色の顔色だが、もっと翡翠色になってしまった。鹿の樹将軍が、
「はっはっは、そうです。あいつはそういう薄情なところがあるのです!」
 勝負に勝ったかのように高らかに笑った。
「う~~~ん、ムカつくわねえ」
 おちせちゃんはむくれていたが、
「そういえば、スガルくんはどこへ行ったのかしら?」
 鹿係の男衆が、鹿に鞍(くら)や手綱を着けて用意を済ませた。出場する鹿もやる気十分になって足踏みしている。

第十一章 弓矢勝負

 ――そこへ、うりずんの声がした。
「待たせたな、鹿の樹将軍!」
 鹿に乗る武具を身につけて矢筒を背負い、近づいてくる。
「来たな、うりずん。逃げたかと思っておったぞ!」
「逃げたりはせん」
「では、まず私から走るぞ!」
 鹿の樹将軍が的へ向かって鹿を走らせた。
 一矢め。命中。二矢め、命中。三矢めも見事、命中した。見物している観客は、大騒ぎだ。
 うりずんが出発の位置に鹿を進ませた。
「いざ!」
 一矢め、二矢め、そして三矢め。的の端にかするだけという失敗をしてしまった。
「わ~~~はっはっは、これでオレの勝ちだな、うりずん! あかりさんはいただいたぞ!」
 鹿の樹将軍は、自信でいっぱいのカチドキを上げた。

 鹿に乗って、二騎が東大寺前まで帰ってきた。
 ひとりの女人が白い鹿の背中に乗って、ふたりの前に立ちはだかった。あかりさんだ。
「なんですか、野蛮な。勝手に取引して私を自分のものにしようだなんて。認めませんからね。何せ、私は月光菩薩(がっこうぼさつ)密名、『清涼金剛』――ですもの。普通の人間のものになるわけにはいきません」
「がっがっ、月光菩薩さまですって――!」
 うりずんも鹿の樹将軍も、目玉が飛び出るくらい驚いた。
「あかりさん、ちょっと待っていてくださいね。それより前に、鹿の樹将軍に話があります」
「なんだ、逃げようとした言い訳か!」
「違いますって。あのう、うちの弟子のスガルのことですが……」
「ああ?」
「昨夜から調べてきました。あの子は戦乱で生き別れになった貴方の弟ですよ! 参戦前には幼少だったからお互いに分からなかったのでしょう」
「むむ?」
 並木の向こうから、スガルが、涙をほとばしらせながら駆けてきた。
「鹿の樹将軍! おいら、あんたの弟なんだってさ! うりずん師匠が渡河将軍府に行って、はっきりさせてくれたんだ!」
「な……」
 いつもの大声はどこへやら、将軍は声が出ない。
「本当だってば! おちせちゃんのおじちゃん、おばちゃんがおいらを預かって育ててくれたんだってさ!」
「スガ……」
 呆けてしまったように、将軍はふらりと鹿の背から下りたところへ、スガルが胸に飛びこんだ。
「兄ちゃん! 会いたかったよ~~!」
「スガル~~~!」
 将軍の頬に涙が伝った。
 傍観していた見物客たちは、ようやく兄と小さな弟の涙の対面と分かって、ぱちぱちと拍手をはじめた。

第十二章 弟の稽古

 あかりさんが、
「渡河将軍府っておっしゃったわね、さっき」
「はい。鹿の樹将軍は神仙の渡河将軍です。そして、私はただの琉球の季節神です」
 うりずんの言葉に呆然としたのは、今度はあかりの番だった。
「おふたりとも人間ではなかったのね……。でも、私は先ほども申し上げたように月光菩薩です。軽々しく自分の身の上を決めるわけにはまいりません」
「そうですね。またの機会に考えてください。鹿の樹将軍も、今は弟との再会で他のことは考えられないでしょうから」
「おふたりとも、勝手な方ね」
 あかりは苦笑いしながら、白い鹿に乗って去っていった。

 スガルがすっかり涙を拭き、東大寺の前で、
「鹿の樹にいちゃん。うりずん師匠から習った正式の正座の所作を教えてあげるよ」
「正座なら、俺はできるぞ」
「いや、なっちゃいない。おいらが教えてやる。はい、まずは背筋を真っ直ぐにして!」
「……はいはい」
 鹿の樹将軍は可愛い弟には逆らわずに、おとなしく所作をはじめるのだった。
 天燈鬼がうりずんの側にやってきた。
「良かったですね。兄弟で再会できて」
「うむ」
「衆宝観音さまには、今日のことは黙っておきますからね」
「こら~~~~! もし彼女に言ったら、お前は破門だ!」
 うりずんの怒鳴り声に、周りにいた人々は何ごとかと躍り上がった。


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