[329]うりずんと竜燈鬼(りゅうとうき)と黒闇天(こくあんてん)カーララ


タイトル:うりずんと竜燈鬼(りゅうとうき)と黒闇天(こくあんてん)カーララ
掲載日:2024/12/29

シリーズ名:うりずんシリーズ
シリーズ番号:3

著者:海道 遠

あらすじ:
 日本三景の天橋立で、竜燈鬼(りゅうとうき)という邪鬼が頭の上に重そうな燈火を乗せて仁王立ちしていると、朱い髪に派手な身なりの若い女が通りかかった。彼女は絵師の「赫女(かくじょ)」と名乗り、竜燈鬼に肖像画を描かせてくれと正座して頭を下げる。
 彼女は正座師匠、万古老の妹弟子でもあった。


本文

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第一章 赫女(かくじょ)

 丹後の国、天橋立の智恩寺、文殊堂(ちおんじ、もんじゅどう)の近く――。
 全国から天橋立の「文殊堂」は参詣客と、橋立の見物客で賑わっていた。
 松林が続く天橋立の真ん中くらいで、竜燈(りゅうとう)鬼という邪鬼が頭の上に重そうな燈火を乗せて、胸にはヘビを巻きつけたまま、辺りを睨みながら仁王立ちしていると、朱い髪を何本も三つ編みにした若い女が通りかかった。

 竜燈鬼に目を留め、ジロジロ眺めまわす。
「娘はん、ワイになんか用か?」
「おじさん、どうして重い燈火なんか頭に乗せて、じっと立ってるのさ? 今は昼間だよ」
 鬼の眼が娘をにらむ。
「なによう、おじさん。口を『うん』の字に結んで不機嫌な顔で。ヘビなんか身体に巻きつけてさ」
「ヘビとちゃいまっせ。これは竜の巳巳子(みみこ)はんや」
「巳(み)?」
 娘は吹き出した。
「やっぱりヘビじゃないか! あんた、もしかして放下師(ほうかし)の一員? ヘビ使いとか」
「放下師(大道芸師)――! ち、ちゃうわい。巳巳子はんは、任務を遂行しとるかどうかのワイの見張り役や」
「なぁんだ、芸を見せてくれるんじゃないのか……」
「違うっちゅーてるのに! ワイは見世物やあらへん!」
 娘は背におぶっていた真っ赤な風呂敷包みを下ろした。巻いた紙や筆が何本もあふれている。
「ちょっと、おじさんを描かしてくれないかな? やたら絵心をくすぐられるんだよ、表情といいポーズといい、牙や目玉といい、全身から醸し出される可笑しみがさ」
 言うが早いか、娘は地面に座って道具を広げはじめた。
「何や? 変な座り方やな、朱い娘はん」
「これは唐渡りの『正座』っていう座り方さ。ピシッとしてるだろ?」
「正座やて?」
「そう。奈良時代に唐から渡ってきた座り方さ。あたいは長いこと大陸の仙人の地で、正座の稽古をやってたんだ。師匠の妹弟子で、赫女(かくじょ)という絵師さ」
「座り方の弟子やのか、絵師やのか、どっちなんや?」
「両方さ。モデルもやる」
「ま、何でもかまわへんけど、ワイを描くんやったら銭を払うてや」
「がめつい(=守銭奴)わね!」
「タダで描こうったってそうはいかへんで。ワイは元々、奈良の四天王さまの足元にいたんやけど、燈火を照らすお役目を言いつかったんや。他人にタダでジャマされるわけにはいかへん。四天王さまのご慈悲に逆ろうてしまうさかいに」
 赫女はアゴに手をやり、考えていた。
「四天王さまの足元にいた鬼なら知ってる! 確かペアの邪鬼で、もう1匹いたよね? 『あ!』って口を開けてる方の」
「1匹! 1匹とはなんや! ――ワイらは天燈鬼と竜燈鬼や。ヤツは今、なんとかの修行場に行ってるで。コレの……」
 と、小指を立てた。
「コレの様子を見に、ばんこ……なんとかって作法の修行を受けに行ってるそうや」
「ば……万古老の正座修行じゃないかい、それ!」
「そうや! 万古老はんの洞窟へ、かかぁが稽古に行くことになったんやそうや」
「万古老だって〜〜? それ、あたいの兄弟子だよ!」
「ええ?」
 邪鬼の目玉がはっきり赫女を捉えた。
「へぇ~、世の中せまいね〜、こんなに参拝客でごった返してるのに、万古老兄(にい)のご縁の人と出会うなんて」
「そう言うたら天燈鬼のやつ、遅いな。どないしてるか、様子見に行ったろうかいな」
 竜燈鬼は、頭の上に乗せていた火の入ったビイドロの箱を、地面に置いた。
 相方のウワサを聞き、居ても立ってもいられなくなったのだ。智恩寺のご住職のところへ、とことこ歩きはじめている。
「ちょっと待って、絵は描かせてもらうよ。背景に絶景の場所があるじゃないか! モデル料ははずむからさ!」
「なに、金をはらうってか? ほんなら早う(はよう)行こう! その場所へ!」
「あそこ、海を見下ろせる山の上だよ!」
 聞くが早いか、竜燈鬼は首に巻きついていた「巳巳子はん」をほどき、言い置いた。
「ちょっと絵のモデルしてきますわ。巳巳子はん。燈(ともしび)の番、お願いしまっせ! すぐ下りてきまっさかい」
 赫女は、急いで絵の道具を風呂敷に包み、後を追いかける。

第二章 洞窟へ

 万古老師匠の住処(すみか)でもある山の洞窟へ近づくと、威勢の良いかけ声が聞こえてくるではないか。
「ヤ~~ッ!」
「トウッ!」
 岩山を登ってきた赫女は、手をかざしてみた。
「あれは?」
 藍色の胴着を着た三人の若者と、老人が格闘の型をやっている。
 ひとりは薄茶色の髪の美少年(青年か?)、と、ふたりの子どもだ。白いアゴヒゲを生やした老人も、よろけながら一緒に頑張って型を作っているではないか。
「お~~い、万古老兄さん!」
 赫女が叫ぶと、老人が振り向いた。
「おお、赫女ではないか。珍しいのう、ワシの洞窟へ来るとは」
 顔面に汗いっぱいかきながら、子どもから布を受け取った。
「万古老師匠!」
 薄茶色のふわふわ髪の青年が、身体の動きを止めた。
「そろそろ陽が傾いてきました。稽古はここまでにして、泉で水浴びしましょう」
「そうじゃな、そろそろキチジョウさんの作ってくださる夕餉(ゆうげ)もできるじゃろう。百世(ももせ)、流転(るてん)、お前たちも泉に飛び込め!」
 子どもふたりの弟子がちょこまかと動き、格闘技の練習の後始末をしてから、洞窟の前にある泉にザブンと飛びこんだ。
「どうしたんですか、正座の修行は。拳法なんてやってるんですか?」
 赫女が尋ねると、
「正座の修行を終えてから『うりずん拳法』をやっておるんじゃ。これは、うりずんくんの編み出した拳法でな――」
「うりずん?」
「ああ、南国の早春の神じゃ。オトコマエじゃろう。ワシの藍万古時代には及ばんが」
 やわらかい茶色い髪の青年も、胴着を脱いで泉に飛びこんだ。
「うわっ、オトコマエどころじゃない眩しさだわ!」
「うりずんです、よろしく、お嬢さん!」
「うわ~~~! 美々(びび)しい! 後で描かせてください!」
 キョトンとするうりずんに、万古老が紹介した。
「この娘はワシの妹弟子でのう、長いつきあいなんじゃ。絵描きでもある」
 万古老は今、やっと洞窟に到着した邪鬼に目をやった。
「赫女、あの小鬼はお前の連れか? 重そうな燈火の箱を担いで……ご苦労じゃのう」
「ああ、竜燈鬼さんと言って、あたいのモデルさんです。ここに来る途中にも描いてきました。見てください!」
 赫女が、背中の風呂敷から丸めてはみ出ていた紙2枚を広げた。
 一枚目は、邪鬼が天橋立に向かって『股のぞき』している図だ。2本の角がある頭がぶら下がり、向こうに天橋立の松林がきれいに見えて、可笑しいやら美しいやら。もう一枚は、汚れた太ももの横から逆さになった顔を見せている図で、どう見ても滑稽(こっけい)だ。
 知らぬ間にうりずんが、上半身はだかのまま背後から立って、絵を眺めていた。
「いい絵じゃないですか。私のもよろしくお願いしますよ」
「まかせて! でも、着物は着てくださいね」
 ドンと胸をたたきながら、赫女はしどもどになった。

 竜燈鬼が、のたのたと万古老の前へやってきた。
「話によると、ワイの相方が修行させてもろうとるとか。お世話になっとります……」
 恐ろしげな顔も、ややはにかんでいる。
「ああ、お前さんが天燈鬼の相方の竜燈鬼さんか。相方さんは真面目に修行してますよ」
 万古老が愛想よく答えてから、うりずんが言い足して、
「旦那さまから修行を命じられたのは、本当はキチジョウさんの方なんですが、様子を見に来られたんですね」
「キチジョウさん?」
「毘沙門天さまの奥さんの吉祥天さまのことですよ。ご面識はなかったですか?」
「ひえぇ~~~! ありますとも! 吉祥天さままでこちらに?」

第三章 吉祥天さん

 ちょうど、その時、洞窟から姐(あね)さんかぶりにした美女が顔を出して声をかけた。
「皆さん、夕餉の『正座汁』ができましたよ!」
「わ~~い!」
 百世と流転が着物を着ながら、洞窟に吸いこまれていく。
(「正座汁」? 何が入っているんだろう?)
 赫女と竜燈鬼は同時に思った。
「おや、竜燈鬼さんじゃないですか」
 おたまを持った吉祥天も気がついた。
「吉祥天さままでこちらにおいでやったとは、つゆ知らず……」
「わらわは戯言(ざれごと)が過ぎて、旦那にここへ修行に来るよう言いつけられたんですよ。天燈鬼さんなら、真面目に修行しながら、子どもたちと巻き割りや雑用をしていますよ」
「戯言? それで済むんですかい?」
「うちの人は瞬間湯沸かし器ですから、じきに怒りも冷めるでしょう。天燈鬼さ~~ん、竜燈鬼さんが来ましたよ~~~!」
 吉祥天さんが呼ぶと、天燈鬼が素早く出てきた。そして、竜燈鬼の肩にすがって泣きだした。
「リュウちゃん! 会いたかったぞ! よく来てくれた!」
「トウカちゃん、ワイもや~~」
 ふたりはガシッと抱きあい、おいおい泣いて再会を喜んだ。
「あれ? リュウちゃん! 見張りの巳巳子さんは?」
「あ、もしかして……」
 竜燈鬼が口をぱかっと開けたとたんに、泉から水が高く吹き上げた。
「きゃ~~~~! どしたの!」
 百世が叫んで万古老が抱き寄せた。
 吹き上げた水から、黄金の巨大なものが飛び出してきた。
「龍だ!」
 流転が叫んだ。
「あ、やっぱり巳巳子さん!」
【ぎゃお~~~ん!】
 巳巳子さんは大口を開けて、大音響で鳴いた。
「よくも、私を天橋立で待ちぼうけにしたわねっ」
 竜燈鬼は、がばっと土下座した。
「申し訳ありまへん、巳巳子はん、忘れてたわけやないんですが」
(ゴジラみたいや……)
「何か言った?」
「いえっ、何も!」
「忘れてたんでしょう! 天橋立の松並木で待ちぼうけくったわよ!」
 万古老と弟子ふたりが、素早くも美しい正座をして地面につくほど頭を下げた。
「巳巳子さんとやら! どうか、竜燈鬼さんを許してやってください! きっと、天燈鬼に会いたくて慌てていたのでしょう。正座師匠の万古老です。ワシに免じて、どうか、どうか」
「正座師匠さん? ま、まあ、それなら……仕方ないわね」
 巳巳子さんはシュシュシュと縮んで、マムシくらいの寸法になり、竜燈鬼の胸に巻きついた。

第四章 黒闇天の存在

 赫女は彼らを眺めていて、思った。
(吉祥天さんて、ヤケに明るい女神さまだな。毘沙門天さんの奥様とはとても思えない! 庶民にも気さくに話しかけてくださって。だいたい「正座汁」なんて姐さんかぶりで作ってること自体、オドロキだわ)
 赫女も一目で好感を持った。
(皆からも慕われているようだ。「はい、ご飯おかわりは?」と言われると、「ハイ! ハイ!」とお碗が差し出されるし……)
(偉い神様の宴会なんて、はじめから御膳立てしてあるのが常なのに、このアットホームさは何なんだろ?)
「吉祥天さんの底抜けの明るさには、私も驚く」
 隣に正座しているうりずんが、赫女の心をお見通しのようにつぶやいた。
 やわらかい薄茶色の髪の彼は、か細そうな身体つきに見えるが、かなり筋肉質なことは、泉に飛びこんだ時に分かった。
「あなたもそう思うのね」
「ああ。ただ……」
「ただ、なに?」
 うりずんは、それきり口をつぐんだ。

 吉祥天は双子の妹、黒闇天(こくあんてん)を内側に住まわせている。表裏一体だ。別名サンスクリット語でカーララという。
 表の吉祥天は太陽のように明るく皆に愛されているが、黒闇天は邪悪の神。時々入れ替わり、顔を出す。
 彼女は人間みんなを憎んでいて、最近、特に天燈鬼を憎んでいる。
(あんなおどけた顔をしていて長い間、踏みつけられていたくせに、皆から気遣われていることが赦せない……)
 吉祥天の心の奥で、黒闇天カーララの嫉妬の炎が燃えている。
 実は悪だくみをして、天燈鬼の「正座汁」を入れるお碗に毒を仕掛けている。大きな椀の底にだけある文様が、汁の熱で溶け出せば薬草の毒が出てくる仕組みになっている。
 文様をよ〜〜く見ると、小さな赤いドクロの形だ。
 このまま毎日「正座汁」を飲み続けると、天燈鬼は高熱を発して呼吸困難になり、命が危うくなるだろう。

 黒闇天カーララの気配をうすうす気づいている、うりずん。しかし、しっかり正体をつかめていない。
「おや、赫女さん。今日は絵を描くんですか?」
 うりずんが声をかけた。
「ええ。絵は描きたいときが、旬(しゅん)! なんでね」
 赫女が、広間の隅っこに紙を広げて絵筆を持った。
「何を描くんですか?」
 勝手に手が動き、黒い着物に真っ赤な瞳、黒髪をふたつに分けて結んだ女の姿を描いてしまう。
「あれ? お料理している吉祥天さまが、湯気に包まれているところが神々しいから描きたいと思っているのに、何故か、ほど遠い黒い着物の怖い女を描いてしまうんだよね。今日のあたいの手、なんか変だ」
 うりずんは、赫女の描く黒い着物の女が(黒闇天か?)と気づく。
「赫女。その黒い着物の女に見覚えはあるのか?」
「ううん、全然。こんなに真っ赤な瞳で口が裂けた女なんて、まるで妖怪じゃないか。吉祥天さんに申し訳ないよ」
 赫女の絵を見に来た吉祥天が、持っていた茶の盆を落としてしまった。
「え、これがわらわ?」
「吉祥天さんらしくないわよね、ごめんなさい」
「あ、お茶を淹れなおすわ。赫女さんの絵がお上手で、つい見入ってしまったの」
 割れた茶碗の欠片(かけら)を拾う手が震えている。

第五章 乱闘さわぎ

 翌朝、皆で朝餉をとっている時、急に天燈鬼が顔をしかめてうずくまった。
「トウカちゃん!」
 竜燈鬼と巳巳子ちゃんが走り寄る。
「うわ、すごい熱だ、どうしたんだ?」
 万古老が診察するが、原因が分からない。
 しばらくして、天燈鬼の苦悶の表情がやや和らいだ。枕元にはうりずんが、しっかり正座していた。
 天燈鬼の額の汗を拭いてやりながら、うりずんは手水を取り替えて戻ってきた、吉祥天の腕を素早くつかんだ。
「……カーララだな?」
 吉祥天の表情が険しくなる。
「……離せ、うりずん。痛い!」
「そうはいかん。カーララ。哀れな天燈鬼を憎むのはやめろ。長年、四天王に踏みつけられて昔の罪は償ったのだから」

「うりずんさん―――どういうわけ?」
 赫女が駆け寄った。
「吉祥天の裡(うち)には、双子の妹が存在するのだ。姉と正反対の醜悪な顔と心を持つ妹がな。それがこの女、黒闇天だ。別名カーララという。ふたりは表裏一体で離れられない」
「ええっ、お優しい吉祥天さまの中に?」
 赫女は吉祥天を見つめた。
 うりずんは、尚も黒闇天のカーララに向かって、
「燈火鬼から手を引け、カーララ」
「あたいに命令する気かい? 半身は吉祥天だよ」
「お前のためにもやめるのだ。邪神が善神になった例もある。天燈鬼に解毒の葉を煎じて飲ませるんだ。天燈鬼を救えば、お前も救われる」
「あたいは邪神でこそ命を与えられたんだ! 心の深淵を覗き、争いを起こし互いを憎悪させる! でなければ存在の意味が無い!」
「吉祥天と共に滅んでもよいというのか? カーララ、お前の真実の姿は吉祥天と、うり二つの心優しい善神のはず!」
「うぐぐ……寝言をほざくんじゃないよ、うりずん!」
 黒闇天は尚も抵抗して唸り、
「天燈鬼、竜燈鬼、子どもらを羽交い締めにしな!」 
 命令されたとたん、熱で寝込んでいた竜燈鬼が起き上がり、百世と流転の背中から飛びかかった。
「きゃあっ! 何するの!」
「く、苦しい、重い……」
 同時に黒闇天カーララが素早く左手の杖を現し、突進して、うりずんの喉に押しつけた。
「それは、怨みの頭を乗せた人面杖(じんめんづえ)! ぐっ、何をする、カーララ!」
「ふふふ……、あんたの思い通りにはさせないよ、うりずん兄さん」
「カーララ、子どもたちに罪は無い! 天燈鬼、竜燈鬼の呪縛を解き、目を覚ましてやってくれ」
 ふたりの睨み合いが続き――、うりずんが杖を押しのけた拍子に、黒闇天カーララは背後に転倒した。

「お前を改心させ、吉祥天さまを安心させて、天燈鬼の命も助けてやりたい。そのために、お前に正座の真髄(しんずい)を教えてやる」
 うりずんの声と共に、爽やかな風が洞窟の中にまで吹きこんで、天井へ抜けていった。
 一同はホッと力がぬけ、天燈鬼と竜燈鬼はうずくまった。
「大丈夫? おじさん、熱は?」
 百世が天燈鬼を介抱してやっている。

第六章 黒闇の旦那

「『カーララ』とは古代インドで知り合った黒闇天の名だ。そよ風の意味を持つ―――。つまり私と同族だ」
「そんな太古から、あんたたちは知り合いなのか」
「カーララひとりとな。当時は吉祥天とは別々の存在だった。醜悪でも根性がねじくれてもいない―――爽やかな風のような素直な女だった」

 万古老が近づいてきた。
「ほほう、うりずんどの。正座の真髄をご存知とな? ワシにも是非、教えてもらいたいのう」
「師匠、ご冗談を! 師匠は蓬莱山より高い地位の師匠ではありませんか」
「わっははは」
 万古老師匠は、ヒゲを撫でながら、
「ささ、カーララさんとやら。こちらに正座なさい」
 うりずんが、地面に倒れている黒闇天に手を差し出した。
「カーララ。万古老師匠が直に正座を教えてくださるぞ」
 黒闇天は、プイと横を向いた。
「さあ、拗ねていないで」
「……」
 女は上目遣いになり、手を伸ばしかけた。

「待てえっ、黒闇! 」
 いきなり、耳をつんざく怒号が洞窟を突き抜けた。巳巳子さんのゴジラ吠えより、数倍恐ろしい声だ。
 百世と流転は飛び上がり、天燈鬼と竜燈鬼は抱き合った。
「あの声は……」
 黒闇天が、ガタガタ震えはじめている。
「黒闇、許さんぞ~~! 正座を習うだと? それは邪神にあるまじき行為じゃ~~!」
 一同が恐る恐る洞窟の外へ出てみると、真っ赤な顔をして「王」と書いた冠をかぶり、派手な着物、手には笏(しゃく)、人面杖を持った大男が立っていた。
「冥界の――、閻魔大王!」
 万古老が声を上げると、
「きゃあ~~~! 閻魔大王ですって?」
 百世たちは、悲鳴を上げていっそう抱きあった。
「こら、黒闇ぃ! こんなところで何を血迷ったことを! お前は邪神であることを忘れたかっ!」
「閻魔大王さま、忘れてやしません。ほら、証拠にあたいも人面杖を所持しておりますっ!」
「しかし、正座の稽古をしようとしていたじゃろう! ふわふわ頭の若造と爺さんにたぶらかされおって!」
 怒号の威力のせいか、洞窟の外は岩と石ころだらけの、殺伐とした景色になってしまった。
 ひとりの男が、閻魔大王の前に立ち、
「爺さんとはなんだ、爺さんとは! この若々しい姿が見えんとは、閻魔大王も目が弱られたのかな?」
 藍色の髪の逞しい男が立っていた。

第七章 閻魔大王が正座

「あっ、藍万古さんだ!」
 百世と流転がそろって言った。
「藍万古?」
 うりずんが問うと、
「うん。万古師匠の若い頃の姿だよ! 肩幅あるだろ。つぉいんだぜ! ふわふわ頭のうりずんさんが相手したら、張り飛ばされるかも?」
「万古老師匠は若い頃、そんなに勇猛だったのか」
 うりずんは眼を丸くした。
 藍万古が、
「閻魔大王よ、奥方が正座を習うのは良いことだと思うがな」
「お前は? 魂は万古老じゃな。若い姿か」
「藍万古と呼んでくれ。吉祥天と黒闇天のカーララ、表裏一体のふたりは大したもんだぜ。吉祥天の方は甲斐甲斐しく家事をやり、正座の稽古もやり、黒闇天も正座を習う決心をしたところだ。どうか習わせてやってくれ」
「吉祥天の亭主は毘沙門天だ、関係ない!」
「毘沙門天さんは奥さんに正座修行を命じたんだから、あんたも奥さんの黒闇天さんを許しておやりなさいよ!」
 藍色の髪をかき上げて、藍万古は厳しく言った。
「朕は、毘沙門天のように物分かりがよくないのだ」
「困ったなぁ。閻魔大王を敵に回したくはないし……」
 藍万古は腕組みをして考えた。
「ヒマだったら、閻魔大王もたまには正座してみるかい?」
「朕が正座? 四角い、ちんまりした座り方をするのか?」
「貴公だって、いつも四角い椅子に座ってるでしょ。こっちの方が地面や床に座れて楽ですよ。よろしかったら、毛氈を三重くらいにして用意します」
「それがよろしいですわ!」
 蓮の饅頭をお盆に乗せて運んできたのは、赫女だ。
「閻魔大王さまの凛々しい正座姿、あたいも拝見したいです! 肖像画も描かせてください。あたいは絵師です!」
「そいつぁいい! 赫女、閻魔大王の正座の肖像画を頼むぞ!」
 藍万古も乗り気だ。
「いいでしょう? お偉い方は、必ず肖像画を描かせるものです」
「う、……うむ、朕はかまわぬが」
 閻魔大王の頑固な心が溶けてきたようだ。
 百世と流転が手早く、きれいな毛氈を三枚運んできて岩のごつごつした地面に敷いた。天燈鬼と竜燈鬼はお茶の用意をする。
 天燈鬼が閻魔大王の前に出て、
「大王さま。お目にかかるのも失礼な、邪鬼の天燈鬼でございますが……元はというと、ワシが吉祥天さまの戯言を見破れずに【カミさん】と名乗られて、身ごもったという言葉を信じてしまったのがいけなかったんです」
「なんだと~~? 麗しい吉祥天さまがお前の子をっっ? それは、いくらなんでも毘沙門天に報告せねばっ!」
 いかつい眉を上げて閻魔大王が怒鳴ったと同時に、百世、流転と竜燈鬼と巳巳子さんが、よってたかって天燈鬼の口をふさいだ。
「いえっ、それは天燈鬼の思いちがいでしてっ。奥さまの軽~い冗談ですう」
 百世がなんとかごまかす。
(ヘタすりゃ、閻魔大王VS毘沙門天の闘いが勃発ってことになっちまう!)
(なんとしても食い止めるんだ、百世!)
 流転も慌てた。
「とにかく、お茶でも点てますから、正座のお稽古をしましょう」
 藍万古が、藍色の肩までの髪を結びながらなだめた。

第八章 肖像画完成

「まず、背筋をまっすぐにして立ってください。そうそう。おみ足もまっすぐに。はい、そうです。え? がに股気味? どこがですか? 華流ドラマの役者のようにスラリとしておられますから大丈夫、きれいに真っすぐになっていますよ」
 閻魔大王はすっかり藍万古のペースに乗って、正座のお稽古を始める。
「衣のおすそに手を添えてお尻の下に敷いて、かかとの『V』のところにお座りになると、シビレがマシに座れます」
「シビレがマシに! それは助かるのう」
 機嫌を直して、両足の「V」の谷間にお尻を下した。
「これで正座ができとるか?」
 赫女が返事する。
「はいっ、素敵です! 肖像画をお描きしましょうね。初めて正座を習われたよい記念になるでしょう。偉人、いや偉い王は記念に肖像画を遺されるのが常識です!」
 絵筆の道具を一式、素早く用意してきて、地面に紙を広げて描き始めた。
「待て、お姉ちゃん。どうせなら、毘沙門天のふたりの妻を両脇に座らせて描いてもらいたいのう。……くれぐれも、毘沙門天にはナイショでな」
「吉祥天さまと黒闇天のカーララさまをですか?」
「無理かのう、身体がひとつしかないゆえ……」
「おまかせください! おひとりに先に表に出てきていただき、絵は途中でおいておき、もうおひとりは後で描けばよろしいのです」
「なるほど、お姉ちゃん、頭が良いではないか」
 閻魔は手を打った。
「私の妹弟子です」
 藍万古が言い足した。

 時間差を作って、吉祥天の次は黒闇天のカーララがモデルを務め、
 かくして――、
 肖像画は出来上がった。中央に閻魔大王が正座して両横に吉祥天と黒闇天のカーララが正座し、三人がバランスよく収まっている。
 閻魔大王が大きくうなずいた。
 黒闇天が突然、泣き出した。
「どうしたんじゃ、黒闇よ」
「どうしたんだ、カーララ」
 思わず呼びかけたうりずんは、閻魔大王ににらまれてしまった。
「だって、だって……。吉祥天姉さんは、あたいと大違いの明るい美人で、あたいはいつも暗黒地獄のイメージなのに、この絵は同じくらい明るくにこやかな女に描いてくださってるわ」
 赫女が微笑んで、
「わたしの見て感じた通りですよ、黒闇天さん。カーララというお名前も素敵。梵語のお名前ですものね。うりずんと同じ、そよ風を意味する『梵』(そよぎ)とおっしゃるのですものね」
「あたいが『梵』という言葉を意味する、うりずんと同族……」
「そうだと言ってるじゃないか、カーララ」
 うりずんが微笑んだ。
「それに、お前の闇は『人間に安らぎをもたらす闇』とも言われている。吉祥天さまの明るさもお前の闇も、人には必要なものなのだ」
 様子を見ていた天燈鬼が、
「半分、吉祥天さまの妹のカーララさま! ワシを手練手管(てれんてくだ)にかけた後は、美青年をたぶらかすおつもりですか? そうは世の中、甘くないですよ!」
「何だと、この邪鬼めが~~! 朕も毘沙門天も許さんぞ!」
 閻魔大王にも聞こえたので、天燈鬼は一目散に逃げた。
「天燈鬼、病はどこへ行った!」
 うりずんが叫んだ。
「解毒の葉を煎じたのを、黒闇天さまが飲ませてくださいました!」
 引き下がりながら、天燈鬼は叫んだ。
「なるほど、優しいお心をお持ちになったから、黒闇天さま――カーララは美しく見えたのか」
 うりずんは納得した。
「トウカちゃん、元気になって良かったなあ。正座の修行もやったし、ワイらは天橋立へ帰ろうか」
 竜燈鬼の後を、巳巳子さんがにょろにょろと這い上って、いつもの胸元に巻きついた。

 翌日、うりずんも南国へ帰ることになった。
「長居をいたしました。万古老師匠。ありがとうございました」
「また、いつでもおいでなされ」
 老人の姿に戻った万古老は、白いアゴヒゲをさわりながら目を細めた。
「拳法のお稽古、楽しかったね。また来てね」
 百世と流転が名残り惜しそうだ。
 赫女も絵の道具を真っ赤な風呂敷に包み、出立するらしい。
「妹弟子よ。お前も旅支度か」
「はい! まだ、うりずんさんを描いていないので南国へついていきます」
(ふわふわ頭の青年をどう描くか、自分でもワクワクして恐ろしいくらいだわ。淡い色合いの彼だけど、しっかり「人たらし」ですもんね)

 この世と地獄の間に戻った閻魔大王は、肖像画を眺めてニヤニヤしていたが、やがて、後に絵のための閻魔堂を建立(こんりゅう)して、配下の鬼たちにも正座の稽古をさせたそうだ。


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