[341]この世の「青」をひとつに集めたような


タイトル:この世の「青」をひとつに集めたような
掲載日:2025/03/05

シリーズ名:うりずんシリーズ
シリーズ番号:8

著者:海道 遠

あらすじ:
 この世の『青』をひとつに集めたような青い実がある。
「リュウノヒゲ」の実の色は、そのくらい深くてピカピカ耀く瑠璃色だ。
 昔、黄金龍と青い龍が闘い、負けた青い龍が、涙の代わりに「リュウノヒゲ」の青い実を落としたのだという言い伝えがある。
 一方、天燈鬼と竜燈鬼はすっかり人気者になり、ファンの方から追っかけされている。うりずんは、琉球の家にあずかる人がいるから、鬼たちも一緒に来るかい? と誘った。



本文

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序章

 この世の『青』をひとつに集めたような瑠璃色の実がある。
「龍のヒゲの実」の色はそのくらい深くてピカピカ耀く青色だ。よく似た色に、カワセミの背中の鮮やかな青がある。
 昔、黄金龍と青い龍が闘い、負けた青い龍が空の龍の道を飛ぶ時に、涙の代わりに「リュウノヒゲ」の青い実を落としながら、リンリンと鳴くのだという言い伝えがある。

第一章 邪鬼たち

 薄いミドリの翡翠色そっくりな身体をした背の小さい鬼が、わんわん泣きながら歩いている。
 鬼にしては細身だが、確かに鬼だ。頭に角が2本生えているし牙もある。子どもなのか大人なのか判らないが、恥ずかし気もなく町中を大声で泣き叫びながら歩いている。耳に響くキンキン声だ。
 背後から、首元にヘビを巻きつけた小鬼が追いかけてきた。
「いい加減に泣きやめよ! 泣きたいのはこっちだ。知らねえ間に、相棒のひたいの目ん玉から生まれてきたなんぞ言うし、本当なんだかねぇ」
「本当だっつってんだろ! 俺は翠鬼(すいき)。天燈鬼のひたいの目から生まれてきたんだ」
 翡翠色の小鬼が振り向いて言った。
「おいらが本家本元だってのによ、偽物呼ばわりしやがって」
「誰が偽物呼ばわりしたんだって?」
「だから、あの村の奴らだよ。カワセミ色ってのは、濃い濃い青色のことだって。剥げた色のおいらなんて偽物だって!」
「あの村の奴ら……?」
「龍が飛ぶっていう空の下の村の奴らだよ」
「ああ、ただの言い伝えだろ」
 首に巻きついているヘビが、ひょいと首を伸ばして、
「ああ、その言い伝え。まんざら言い伝えとも言えないんじゃないかい?」
「なんだよ、巳巳子さんまで」
「昔から、ワタシら龍蛇(りゅうだ)仲間じゃ有名な話だよ。『リュウノヒゲ』の実が宝石みたいなピカピカな青で、龍が飛ぶ空の下で鈴みたいな綺麗な声で鳴るとか、泣くとか……」
「ヒゲの実が綺麗な声で泣く?」
「ああ、リンリン……てね」
「助けてくれえっ」
 後ろから、また小鬼が駆けてきた。
「トウカちゃんじゃねえか!」
「おお、リュウちゃんと巳巳子さん! それに翠鬼まで! こんな田舎道で何を……」
 4人が立ち話する間もなく、背後から女性の黄色い声が押し寄せてきた。 
「て、天燈鬼さんっ、天燈鬼さんよね〜〜!」
「首にヘビを巻きつけた竜燈鬼さんも、一緒にいるわ!」
「ひたいの三つめの眼から生まれた翠鬼さんも一緒だわっ!」
 女性たちに取り巻かれた。
「サインして!」
「握手よ、握手!」
「いえ、ハグして!」
「は貢? ハグ? 玻璃の玉でも貢げってか?」
 天燈鬼は必死に頭を巡らせた。しかし、女性たちが何をしてほしいのか、よく分からない。
 おばさん女子たちのパワーはすごい。
 抱きしめられて押しくらまんじゅうみたいになり、息ができない!

第二章 追っかけされる

 ピリピリピリッ!
「そこのご婦人方! そんなところでおしくらまんじゅうしていると、人力が通るから危ないですよ!」
 法被(はっぴ)を着た村の消防団員がホイッスルを吹きながら止めにやってきて、ようやく女性たちが去っていった。
「やれやれ……」
 後には、女性たちに踏みちゃちゃこにされた鬼たちが残った。
「どうしたんだよ?」
「この前、お寺の展示会があったやろ。あの時、ワイらはエラい人気やったそうや! ワイもリュウちゃんも。オマケに翠鬼まで三つ目の眼から出てきて、よけいに人気がうなぎのぼりになったらしい」
「なんでイケメンでもアイドルでもない俺たちが?」
「四天王に踏まれていた時代から知っていて、可哀想な気持ちと可愛い気持ちが混ざっているらしい」
「ワイらは足が短い。そんなに逃げ足、早うないから、逃げられへんわ」
 しばらくゼイゼイとしてから、道端に座りこんだ。
「それだけで、こんなに追っかけされるほど人気が出たのか?」
 竜燈鬼が尋ねた。巳巳子さんが、
「違うよね、天燈鬼さん。この前、節分の前に恋美兎(こいびと)神社で万古老師匠が『正座汁と正座料理の教室』を開いたそうじゃないか。その時、天燈鬼さんがカエルの毒の混じった汁に、酒粕(さけかす)を入れて毒を緩和しようとしたんだよ! それで評判が一挙に上がったんだよ!」
「トウカちゃん、そうなのか?」
「よう分からへんのや。カエルの燻製を入れた悪者がいた時に、ワイが味を濃くしようと鍋に酒粕を放りこんだら、偶然にそうなってしもうたのや」
「え? そうだったの?」
 巳巳子さんは、身体を伸ばして天燈鬼の首まわりを取り巻いて怪訝な顔をしていたが、ほいっと離れた。
「ま、終わり良ければ全て良しってね」

第三章 南への旅 

「良かったら、かくまってやろうか?」
 いきなり、背後から若い声がして、美しい亜麻色の長い髪の青年が立っていた。
「うりずんさん!」
「琉球の私の樹の上の家なら結界が張ってあるから、並の人間には気づかれないよ」
「そりゃ、願ってもないことや」
 天燈鬼が心底、ホッとした顔で応えた。
「こんなチャンスはめったにないだろうから、もったいない気もするけど……」
「うりずんさんは追っかけに慣れてるかもしれへんけど、ワイらは、こんなのごめんですで〜〜」
「罰あたりかもしれんが、こんなのプライベートも何もありませんからな〜〜」
「実は今、琉球の家にかくまう予定の人がいるんだ。そろそろ到着する頃かな? 同じかくまうなら一緒にと思ったんだよ」
「うりずんさんの家にかくまう人?」
 天燈鬼は首をかしげた。
「大切に預かる方だ。極秘裏に迎え入れる」
「そんな方とおいらたちが同居してもよろしいんですか?」
「天燈鬼も竜燈鬼も翠鬼も、警護に少しは役にたってくれるだろう」
「はあ、少しなら……」
 3匹の鬼は顔を見合わせてからうなずきあった。
「いったい誰だろう、かくまう人って?」

 馬車を手配し、天燈鬼と竜燈鬼がかわりばんこで馭者(ぎょしゃ)を務め、九州の南端にやってきた。この先は船になる。
 ハチドリが一羽、うりずんの耳元に寄ってきた。
「な、なに? 隠れてもらった木箱から消えただと?」
 うりずんは下唇をかんだ。
「どうしたんや?」
「預かるはずだった人が消えた!」
 3匹の鬼は目を白黒させている。
「いったい、預かるお方っちゅ―のは……」
「私には普通の人間にはない能力がある。お前たち、知ってるな」
「は、はあ」
「預かるお方は、平安時代の年端のいかない貴族の姫さまなんだ」
「平安時代〜〜? 今は令和ですぜ」
「時間を飛び越えてもらって、遥か未来に来てもらった方が安全だと思ったんだが……」
 うりずんたちは一路、琉球へ急ぐことにした。

第四章 婆やの話

 翡翠色の大海原が広がる南の―――。
「おお〜、海の色がきれいだな〜」
「潮風が心地よいなあ~~」
 白波が岩にはじけ、遠浅の海がどこまでも続いている。ひと際高い樹には、うりずんの家が小鳥の巣箱のように建っている。
 ハチドリがずっとついてきた。
 家の板場には、みかんが山盛り入っている木箱だけが置かれていた。
『この通り、誰も入っていなかったんデスヨ』
「変だな、舎人(とねり)の話では、無事に送り出したということだったのに」

 浜辺でひとりの老婆がうずくまって泣いていた。
 うりずんは、老婆に見覚えがあった。
「これ、婆やさん」
 老婆は涙をいっぱいためた目を上げた。
「う、うりずんさま!」
「どうした、美甘(みかん)ちゃんに付き添っていたのではなかったのか?」
「それが……それが……姫さまは、きっと例の男にかどわかされたのです!」
「かどわかされた?」
「うりずんさま、姫さまをお助けください! 取り戻してくださいませ! この婆やの手に! お生まれになられてから、早くに亡くなった母上様に代わり、どれほど厚い手をかけ、婆やがお育て申しあげたことか!」
 婆やはうりずんの前に正座して合掌した。美しい所作だ。美甘姫に所作を教わったという。姫が正座の所作が上手なことは聞いていた。
「無論だ。美甘ちゃんは無事に連れ帰る」
「多分、例の男に『リュウノヒゲ』の鳴る音を気づかれたに違いありません」

 うりずんは、婆やさんと3匹の鬼を自分の家に連れていった。
 樹上の家は下方から潮騒が聞こえ、窓からは太樹の葉擦れの音がして、和やかそのものだ。
 うりずんと鬼たちと婆やさんは車座に座った。
「婆やさん、詳しく話を聞こう。例の男とは? 『リュウノヒゲ』がどうとか?」
「はい。すべて申し上げます。美甘姫さまは山賊と対峙するほど、勇ましくお育ちになりました。果樹園の荘園の警護を、お祖父上さまがお任せになるほどに」
「なんと、12歳の少女が?」
「姫さまには龍神の片鱗がおありだったのです。生まれた時はひ弱でしたが、都から紀伊の国へ移られてから、みるみるお元気で逞しくなられ、この娘は龍神のお慈悲で産まれてきたのだとお祖父上さまも信じておられました」
「ふ〜む」
「それが、良くない輩に目立ってしまったのでしょう。ここ数年、冬が来る度に、姫さまは申されていました」
「なんと?」
「『リュウノヒゲ』の実が鳴っている……。リンリンと」
「それは植物のあれか? ピカピカの青い実の」
「はい、そうです。『リュウのヒゲ』の実の鳴るのだか泣くのだかが、淋しげに聞こえる……と」
 うりずんと鬼たちは顔を見合わせた。
 巳巳子さんが竜燈鬼の首から、ずるずると畳の上に下りてきて、人のカタチになった。
「間違いないよ、あの音が聞こえるんなら、美甘姫さまは間違いなく龍族だ」
「巳巳子さんが言うならそうなんだろう。このことを、最近、正座師匠のじゃまをする『兇つ奴党(まがつどとう)』という一派に知られてしまったのだ」
「例の男も『兇つ奴』のひとりですわっ」
 婆やさんの声が震えている。

第五章 マグシ姫来る

「こんにちは〜!」
 螺旋状の階段の下から、元気な女の子の声が聞こえてきた。
「あ、あの声は!」
 うりずんは慌てて立ち上がった。階段口を覗くと、可愛い顔が見上げていた。
「うりずんさ〜ん、お招きありがとうございま〜す」
「あちゃ―、しまった、こんなことになるとは思わず……マグシ姫が、美甘ちゃんの良い話し相手になると思って呼んでしまったんだった……」
 思わず、うりずんは顔を手で覆って天井を向く。
「マグシ姫さまとおっしゃいますと?」
 婆やさんも入り口に首を伸ばした。
「スサノオの尊の奥方のマグシ姫さまです」
「えええ――、ええ? スサノオさまの奥方さま! 神代の時代からのおエラい神様ではありませんかっ!」
「美甘ちゃんと気が合いそうな快活なお方で……」
 天燈鬼が、
「おエラいなんて全然感じない、自慢もしない幼い姫さまですよ」
「うちの美甘姫さまも、相当なねんねちゃんですが……」
 トントントン、と可愛い足音がした。
「おじゃまいたしま〜す。上がって来ちゃった! あら、お客さま?」
「マグシ姫っ! 相変わらず可愛くお元気ですね」
「うりずんさん、わらわのお友達になれそうな、美甘ちゃんてお方はどちら? あら、天燈鬼さんとお仲間の鬼さんたち? ずいぶんたくさん、お客さまなのねえ」
 うりずんが、素早く鬼3匹を部屋の端へ寄せた。
「美甘ちゃんが行方不明だなんて知ったら、マグシ姫は自分で捜索に行くなんて言いだしそうだから、ナイショだぞ」
「あり得る〜〜!」
 うりずんは、マグシ姫の前に正座して頭を下げる。
「美甘姫さまは、予定が遅れてまだ到着していらっしゃらないのです」
 一同は解散して夕餉(ゆうげ)の用意にかかった。
「なんだ、美甘ちゃんはまだなのね? つまんな〜い」
 マグシ姫はお腹いっぱいになると、すぐに眠りについてしまい、鬼たちも隣の部屋で雑魚寝(ざこね)してしまった。

第六章 兇つ奴の稽古

 螺旋状の階段から、ギシギシという音がした。
 うりずんが戸口を開けると明けの明星が輝いている。美甘ちゃんが、思いがけず夜明けにひとりで帰ってきた。
「姫さま! 婆やはどんなに心配しましたことか……お怪我はございませんか?」
 婆やさんが抱きしめても、美甘ちゃんは冷静なまま抱きしめ返すだけだ。
「誰が姫さまを、どこへ連れていかれたんです?」
「誰にも。みかんと一緒に木箱に入って出発を待っていたら、いつもの鈴のような音が聞こえて、音のする方へ歩いて行ったの」
 物音に目を覚ましたのか、マグシ姫が起きてきた。
「それで?」
「おじさんがひとり、とても疲れた顔をして道端に座っていたから『正座する?』って言って所作を教えてあげたの。だって、真っ直ぐ正座した方が楽だもん」
「乱暴されませんでしたか?」
「ううん、全然。正座して楽になったって言ってた。美甘ね、なぜか『リュウノヒゲ』のピカピカ青い実が頭に浮かんで、おじさんがとても疲れているのが分かったから、『元気になりますように、元気になりますように』って願いながら、所作を教えたの。その間もずっと青い実のことが思い浮かんだわ。『人にはやってもらいたいことを丁寧な思いで伝えるのよ、決して力で強引に教えてはいけないのよ』って、リンリン鳴って教えてくれたわ。お稽古を終わったら、おじさんがこれをくれたの」
 美甘ちゃんの手には、ピカピカの青い実が5、6粒握られていた。
「あら! 濃い青の実ねえ。今まで見た中でいちばん濃い青だわ! まるで、この世の『青』をみんな集めたみたい」
 マグシ姫が感嘆した。
「あなたもこの青い実をご存じなのね」
 美甘ちゃんがマグシ姫に声をかけている。
「……」
「……」
 婆やさんとうりずんは、黙って聞いていた。
「どんな男だった?」
 うりずんが尋ねる。
「普通のおじさんよ。黒っぽいフードを深く被っていたから、顔は分からないわ」
「『青い実が、人にはやってもらいたいことを丁寧に思いで伝える』『決して力で強引に教えてはいけない』……まるで正座の真髄の教えだ……」
(では、先日の『兇つ奴』ではないのか――?)
 うりずんはしばらく放心状態でいた。

第七章 姫たちの初恋

 皆で手分けして作った正座雑炊の朝餉(あさげ)を食べ終わると、マグシ姫と美甘ちゃんはすっかり仲良くなっていた。
「まあ、では、マグシ姫さまは都の八坂神社のご祭神を、旦那さまのスサノオの尊さまとご一緒に務めておられるの?」
「ええ、まあ」
「私、幼稚園までは都にいましたから、公家幼稚園舎のぴちぴち組だった時も、八坂神社へもよくお詣りに行きました。お隣に住んでいた又従兄の薫丸(くゆりまる)くんとね。美甘が紀伊の国に移る牛車を見送られる時、『再びまみえて青い杯に入れようと誓った、たわわに実ったみかんのひと絞りのこと』とか……、懐かしく覚えています」
「美甘ちゃん、もしかして、その薫丸さまって美甘ちゃんの初恋の方?」
 美甘ちゃんは頬を真っ赤に染めた。
「そ、そうかもしれません……」
「いいなあ、そういうのって」
 マグシ姫は大声で言った。
「マグシ姫さまは、スサノオの尊さまに運命的に出会われて、ヤマタノオロチからお命を救われられたのでしょ。その方が情熱的で羨ましく思いますよ!」
「たまたまそうなっただけで、わらわはヤマタノオロチ退治に褒美としてスサノオさまに与えられたようなもの――。美甘ちゃんのように幼い頃から想いあっての方が憧れます」
 思わず美甘ちゃんの婆やさんが乗り出して、
「誠にぶしつけではございますが、マグシ姫さま、命の恩人の旦那さまのことをそのように申されるのは、よその姫さまのことながら、婆やも、ちと、いかがかと思いますが」
 マグシ姫は半分驚き、照れてから、
「美甘ちゃんの婆やさん、ありがとうございます。分かっております。スサノオの尊さまは、と~~~っても素晴らしい伴侶です。出会い方に文句など言っては罰があたりますわね」
「思わず、よけいなことを……! お許しくださいませっ」
 婆やさんは慌てて頭を深く下げた。
「そんなにかしこまられては困りますわ。美甘ちゃんは利発なお方です」
「確かに……。薫丸さまの侍女のひじきさんが申されていましたが、最初に九条家に正座の所作をお教えしたのは、うちの美甘姫さまだそうです」
 美甘ちゃんが慌ててやってきた。
「婆やったら。あれこそ青い実の鳴る村を通りがかった時に、おじさんが近くの菜の花畑で子どもたちに教えてくれたのよ。そんなこと自慢にもなんにもならないわよ。婆や、お口を謹んでね」
 うりずんが駆け寄るというより、すっ飛んできた。
「黒装束の昨夜のようなおじさんが、幼かった美甘姫さまに、正座を? ふ~~む」

第八章 深まる謎

「姫さま方にご心配おかけすることではありませんでした。板場の爽やかな場所で『ひいな遊び』でもしておいでください」
「『ひいな遊び』? わらわはそんな年ではありませんわ」
 マグシ姫が唇を尖らせて、うりずんに口答えした。
「これは! スサノオの尊さまの奥方さまに失礼なことを申してしまいましたっ」
「うりずんさん、本当はわらわは『ひいな遊び』大好きよ。美甘ちゃんとおとなしく遊んでおりますね。美甘ちゃん、お人形の着物を縫うのはお好き?」
 ふたりはおしゃべりしながら、婆やさんから布のはぎれをもらって外の板場へ出ていった。

(やれやれ、スサノオの尊さまも薫丸くんとやらも、女の子のご機嫌を取ることの難しさに同情するよ)
 天燈鬼が笑いをこらえて、
(婆やさんの世代もじゃありまへんか?)
「天燈鬼、ちょうどよかった、来てくれ」
 天燈鬼と巳巳子さんを首に巻きつけた竜燈鬼さんと、細身の翠鬼がやってきた。
「さっきの美甘ちゃんの話を聞いていたか? 青い実を黒装束の男が持っていたことや、幼稚園時代に所作を教えてもらったことなど」
「聞いておりました」
「そんなに以前から、黒装束の男は美甘姫さまに接近していたのかと、おいらもびっくりしましたで!」
 うりずんは表情を引き締めた。
「先日、料理教室を妨害した『兇つ奴』は、正座の教えに敵対する徒党だと万古老師匠からうかがっていた。しかし、美甘姫さまの話からすると、所作を『兇つ奴』から教わったと――?」
「青い実を美甘姫さまにくれたんでっしゃろ。まるで、その黒装束の男が龍神さまと関係があるような。不思議な話ですな」
 巳巳子さんも、首をかしげて黙りこんでいた。

第九章 青い龍の悲しみ

 竜燈鬼が「もしかして……」と言いだした。
「昔、黄金の龍と青い龍が勝負したという伝説を思い出した! 青い龍は負けず嫌いで、この世の青いものを集めてひとつにして自分の身体に塗りこんだそうだ」
「青いものとは、どんなものがある?」
「花の色素や実の色素。後は鳥の羽根の色だな。オオルリ、コルリ、ルリビタキ、カワセミ……。しかし、所詮は塗った色。鱗やヒゲの先からポロポロと落ちてしまったそうだ。それが『リュウノヒゲ』と呼ばれる、あの実だ」
「青い龍は黄金龍との戦いに負けたんだな」
 うりずんの言葉は合っていた。
「そうです。青い龍は負けてヒゲを失くしたのでしょう。それが悲しくて、ヒゲがあった時代を思い出し地上に散らばっている青い実の上を飛ぶ時に、リンリンという泣き声をもらすそうです」
 竜燈鬼は答えて続ける。
「龍は人間の姿に変身した時に、落ち着いて『青』の気持ちになれる正座が好きだったそうです」
「なるほど、『青』は冷静、静かな気持ちの象徴だからな。では『兇つ奴』も、元は正座を愛していたのか」
「多分、そうでしょうね」
 巳巳子さんが答えた。
「それから、万古老師匠はじめ、いろんな方が正座を広めて普及していきました。それを妬んだ者たちが集まり『兇つ奴党』を打ち立てたのだと思います」
 後ろで黙っていた翠鬼が乗り出してきた。
「俺の別名のカワセミの色を使っておきながら、勝負に負けたからって正座師匠のじゃまをするとは、なんて奴らだ!」
 短気で負けず嫌いなのは翠鬼も同じようで、かなりオツムに熱がこもっている。

第十章 青い実の願い事

 マグシ姫と美甘姫は、ひいな遊びに飽きて、浜辺の散歩に出かけた。
「この青い実が……」
 美甘姫は、ふところから匂い袋くらいの大きさの巾着を出し、中に入っていた青い実をポロポロと手のひらに乗せた。
「これが、もらった青い実よ。これを見つめながら、願い事をすると叶うんですって」
「なんて綺麗な『青』かしら!」
「マグシ姫さまは、何か願い事がありますか?」
 美甘姫は少し足元を見つめ、
「――うちの紀伊の国の家には、私だけしか跡継ぎがいないのです。お祖父さまが、最近、その事をとても気にしていて……そろそろ婿君を決めなさいって言われているんです。でも、私はまだまだそんな……」
「初恋の薫丸くんを婚約者に決められたら、万事解決なんやないですか?」
「薫丸くんは美甘のことなど、なんとも思っていませんわ」
「どうして、そんなことがわかるの?」
「半年ほど前、薫丸くんは紀伊の国に遊びに来たんですが、ぜ〜んぜん! あの時はお菓子作りの甘いものを作ることに必死で、うちのみかんもそれに使うとかで……」
「どうだか分からないわよ」
 美甘ちゃんは唇を噛んで、波打ち際を見つめ続けていた。
「マグシ姫さまは? 何かお願い事がありますの?」
「わらわ? そうねえ、すぐでなくていいから、スサノオさまの赤さまが欲しい。スサノオさまも欲しいって言われるし……」
 頬をほんのり紅く染めてマグシ姫が答えた。
「あ、赤さまですか!」
 聞いた美甘ちゃんの方が真っ赤になった。
「でも……、赤さまってどこから来るのかしら」
「えっ……」
 美甘ちゃんはよけい紅くなって立ち止まった。
「赤さまはどこからも来ませんよ。お腹の中に小さな芽が芽生えて、だんだん大きくなって、実が成るように赤さまのカタチになるのです」
「お腹の中に芽が出て……? 美甘ちゃんはよく知っているのね」
「と、とにかくマグシ姫さまには、ご立派なスサノオさまとおっしゃる旦那さまがおいでなんですから、おふたりでお祈りすれば、可愛い赤さまがお生まれになりますよ」
「ようわからへんけど、そうなのかな?」
 その時だった。
 岩陰から誰かが飛び出してきて、マグシ姫を横抱きに抱えるや止めてあった小舟に乗り、海へ漕ぎ出ていこうとする!
「きゃああ〜〜っ! マグシ姫さまっ、マグシ姫さまがさらわれた〜〜っ!」
 浜辺を散歩しているうちに結界の外に出てしまったらしい。
 家から悲鳴を聞いたうりずんが、いち早く駆けつけた。
 小舟を追いかけようとした美甘姫は、浜辺に転んだ砂まみれになって、うりずんの胸に飛びこんだ。
「マグシ姫さまを助けて! うりずんさんっ!」
 小舟はまだ近くに浮かんでいる。
 うりずんは掴んできた弓矢を構えて、小舟の上の男めがけて的を絞った。

第十一章 スサノオの尊

 矢はうりずんの弓をひゅん! と離れると、見事に小舟を漕いでいる男の手元の櫂(かい)を射た。櫂は海面に落ち、潮に流されて小舟は大きく揺れた。男はふらついて海に落ちた。
 うりずんが海にじゃぶじゃぶと入っていき、舟に追いつくと、すがりついてきたマグシ姫をしっかり抱きとめた。
 ―――と思ったとたん、すぐ傍らにスサノオの尊が現れ、姫を抱きしめた。
「ス、スサノオさま?」
 鬼たちが駆けつけて、海に落ちた男をよってたかって捕らえた。
「天燈鬼、竜燈鬼、その男にできるだけ乱暴せずに、私の家に運んでくれ」
「ガッテンだ、うりずんさん!」
 男は、鬼たちによって家に連行された。
 美甘ちゃんは浜辺に駆けつけた婆やさんの胸に飛びこんで、震えながら様子を見ていた。

「君さま! なんでここに?」
 マグシ姫は、スサノオの尊の胸から逞しい黒いヒゲの顔を見上げた。
「姫さんの姿や声は、どこにいても感じることができる」
 マグシ姫は大きな胸にもたれかかった。
「君さま、怖かった、怖かったわ」
「私が来たからには、もう大丈夫だ」
 マグシ姫の意識は途切れた。途切れる間際にうりずんの声がした。
「風が冷たくなりましたな」

 次に、マグシ姫が意識を取り戻した時には、暖炉のオレンジ色の炎がパチパチと爆ぜていた。
(火の色? みかんと同じ橙色……ここは?)
 顔を上げようとすると、大きな手でオデコを押さえられた。スサノオの尊の胸の中で、暖炉の側に横になっていたのだ。
「もう少し、このまま休んでおれ」
「君さま……」
 海岸でのことがよみがえった。
「そうだ! 美甘姫さまが知らない男に!」
「ふたりとも大丈夫だ」
「あのおじさんを、うりずんさんが矢で――」
「大丈夫だ。ふたりとも怪我はない。自分のことを心配しなさい。そなたは私の大切な伴侶だ」
 もっと強く抱きしめられ、接吻をされた。
(とろけちゃいそう……)
 身体ごと蕩けそうになりながら、マグシ姫は伴侶のほっぺを両手で包んだ。

第十二章 青い実の世界 

 翌朝、窓から外を覗いたマグシ姫は目を疑った。
 一面の銀世界――。
(ここは琉球、南国のはず。しかも若葉の季節だったのに)
 しかも、真っ白な地面や樹の上に、あの小さな青い実が数えきれないくらい落ちている。
(銀世界が、青い実の世界になっている――。青い実は、龍の哀しみの数なのよね。そんなに勝負に負けたことが悔しかったのね)
 二階へ行くと黒装束の男の前で、美甘ちゃんが膝を折って泣いていた。マグシ姫を見ると深く頭を下げた。
「マグシ姫さま、私が一緒にいながら、申し訳ありませんでした!」
「美甘ちゃんのせいじゃないわ。そんなに泣かないで」
「あ、この涙は、先ほどからこの方のお話を聞いてもらい泣きしてしまって……」
 美甘ちゃんの前には、マグシ姫を横抱きにして連れ去った男が座っていた。尖った目つきやつり上がった眉でもない、普通の温厚そうな顔をしていた。
「驚かせてしまったな。美甘という娘さんとお前さんを間違えてしまって」
「お前さんって、私のこと?」
 マグシ姫はあきれて目をくりくりさせた。「お前さん」と呼ばれたことがないのだ。
 暖炉の加減を見にきた、巳巳子さんが、
「美甘姫さまは、やはり龍――青い龍とのご縁があると思われます。勝負に負けた青い龍は、千日の間、涙が止まらずに青い実を地上に落とし続けたとか――というお話をうかがっていたのです」
「じゃあ、あなたは龍族? 美甘ちゃんをさらっていこうとしたのも、そのため?」
「マグシ姫さまも、龍族と同じく気高いお方ですから、間違われても仕方ないですわね」
 巳巳子さんは続けて、
「青い実は生まれてくる人の魂の数だけ、逝く人の数だけあるのだそうです。逝ってしまった人に会いたくて淋しくて、涙の代わりに青い実―――『リュウノヒゲ』の実を落とし、空を飛んでいるとリンリンと音が鳴るのだそうです」
 鼻水をがまんして、布で涙をふいた。

「さあ! 美甘姫のところの新鮮みかんで作ったジュースができたぞ。皆、一緒に飲もう! 座布団を増やしたから正座しても痛くないぞ」
 うりずんが涙を吹き飛ばすように、明るい声で呼びかけた。
「ジュースって?」
 美甘ちゃんが首をかしげる。
「果汁を絞った飲みものですよ」
 天燈鬼と竜燈鬼と翠鬼が先を争って教えてあげた。
「そう! それならお勧めですよ。あれ? さっき、私を舟で連れていこうとした人は?」
 男はいつの間にか、姿を消していた。
 スサノオの尊が落ち着いた低い声音で、
「あの男もかなり悲しい思いをしたようだ。マグシは無事だったから、そっとしておいてやろう」
「スサノオの尊さまがそれでよろしいのでしたら、そのように」
 うりずんもうなずき、南国には珍しい雪景色を眺めた。『リュウノヒゲ』の実が点々と落ちている珍しい景色を―――。


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