[373]朱華(はねず)と平楽(たいら)姫
タイトル:朱華(はねず)と平楽(たいら)姫
掲載日:2025/08/14
シリーズ名:緑林シリーズ
シリーズ番号:4
著者:海道 遠
あらすじ:
都の薫丸はしばらく前に、離れ小島にアジトを持つ盗賊「緑林」の入林試験を受けたが、「正座をして受ける」という注意書きが気になっていた。
どうやらシビレに関係があるらしいので、巳巳子さんに相談してみると、京の下級貴族で、継母と姉たちからズンドー体型と言われている細身の姫がいるらしい。そこへ出かけていく。
本文
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第一章 巳巳子さんと薫丸
※『緑林』離れ小島の海底に住処を持っている盗賊団。
義賊とも言われている。
「正座して、シビレない方法ですか?」
頭の上から声がして薫丸は見上げた。ここは、都の八坂神社の境内だ。
「そうだよ。所作はガキ……じゃなかった、小さい頃からやってるから問題ないんだけど、シビレだけは、決定的にならない方法が見つからなくて……ヘビの巳巳子さんもシビレるんですか?」
薫丸は情けない表情で訴える。誰に? …って? 木の枝に巻きついているヘビの巳巳子さんにだ。
「あの〜、私、これでも竜なんですけど」
巳巳子さんが控えめに言った。
「え? そうだったんですか! 竜といえば神さま! それは失礼をば!」
薫丸は慌てて木の根元に正座をして、頭を下げた。
「ズンドーの人は、シビレにならないとかウワサを聞いたんで、教えてもらおうかな〜と……」
「私はズンドーってことね? 寸胴ナベの超細形みたいな」
「あっ、いや、そのう」
巳巳子さんは笑いながら幹を伝って下りてきた。普段は竜燈鬼の首に巻きついている竜だ。
「間違いないわよ。ズンドーじゃないヘビや竜がいたら、私が会いたいくらいだわ」
「ごもっとも」
「残念ながら、人間に変身した時しか正座できない私には、あんまりお役に立てない悩みね」
巳巳子さんは舌をチロチロ出して言った。
「薫丸さん、どうして今さら?」
「ほら、『緑林』のアマドコロ爺やさんがいるだろ? あの人にも聞いてみたんだよ。緑林の入林問題は、あの方も共に作ったそうだから答えはあるんですか? って―――」
「答えはなんて?」
「それが分からないんだそうだ。入林問題にすれば誰かが答えを探してくるだろうと期待していたそうだよ」
「出題者にも分からないんですか……」
「ただ、寸胴ナベ体型がヒントだそうで。正座した時のカタチ、座ってる底面は四角だけど、座っている者は寸胴ナベみたいな円柱のカタチでしょう?」
「なるほどそうですね。それなら、どこやらの姫さまが寸胴体型でとても悩んでいらっしゃるとか。シビレ防止のヒントになるかもしれませんね」
「それはもしかしたら、寸胴ナベ体型と言われて、三日夜の餅(みかよのもちい)までこぎ着けられずにフラレてしまった平楽(たいら)姫のことかな?」
薫丸はまた考えた。
「それより、若君、お屋敷には帰還のご挨拶に行かれましたか?」
「ま、まだなんだよ。どうも髪の毛を切ってから行きづらくてな」
「早く行かないと、よけいに行きづらくなりますわよ」
巳巳子さんはもっともなことを忠告した。
「分かってるんだけど、今はシビレ防止対策の方が気になるから、もう一度『緑林』の洞窟へ行って、頭領の朱華(はねず)さんに会って来ようと思っているんだ」
第二章 平楽(たいら)姫
薫丸はシビレの研究のため、「落窪物語もどき」と言われて継母と義理の姉妹からいじめられているという、ウワサの平楽姫に会いに行った。
巳巳子さんに人間に変身してもらって、お供をお願いした。
ごく普通の中流貴族の、柴垣に囲まれた小ぢんまりした屋敷だ。
家族は主人とその後妻、つまり平楽姫にとっては継母と義理の姉姫がふたりいるらしい。
侍女が奥方、つまり後妻の継母の部屋に通した。
かなりふっくらした女人だ。薫丸のような細身の少年を見ると、目を細めて感じの悪い笑みを浮かべた。
「ご身分の高そうな若君が、うちの貧相な末娘に何のご用でしょう?」
「突然の訪問、誠に失礼申し上げます」
薫丸は正座して頭を下げた。
御簾の向こうでは、母親似のふっくら体型の娘がふたり、ふてぶてしい顔で様子をうかがっている。
『もしかして、平楽に通いに来たのかしら』
『姉君、まだまだ子どものようですわよ』
薫丸は咳払いをした。
「私は座り方の所作など研究している者です。誠に失礼な表現ですが、平楽姫さまはとても細身で、すんなりしておられるとうかがって―――」
「お恥ずかしくも、私や姉たちのようにふっくら体型ではありませんから、羨ましい平らかさですけどねぇ」
この時代、身体がふっくらしているのは下品と見なされて、胸にはサラシのように布を巻きつけて目立たないようにしていた。
しかし、継母の言葉には、細身の女を軽蔑しているトゲが含まれている。
「平楽姫さまをお呼びいただき、我らが研究している『正座』という座り方をしていただきたいのですが」
思いきって薫丸は言った。
「正座? 初めてお聞きする座り方ですわね」
「この場で所作をお目にかけましょう」
巳巳子さんが、薫丸の合図で立ち上がった。
「立ち上がり、背筋を真っ直ぐに伸ばしその場に膝を着きます。そして衣に手を添えながら、お尻の下に敷き、かかとの上に座ります。両手は膝の上に置きます」
「ほ〜〜う」
継母と姉姫たちは、ぼうっと見物していた。
「これが唐渡りの正座という座り方です」
「平楽姫に、この座り方をさせればいいのですね」
「はい。お願いします」
「な〜んだ、妻問いじゃなかったのね」
「当たり前でしょ。あの娘に私たちの先を越されてたまるものですか」
姉姫たちが聞こえよがしにウワサしている。
「いかがでしょう。平楽姫さまは『正座』をしてくださるでしょうか」
「はい。先ほどの所作で座ればよろしいのですね」
背後から小さな小さな声がして、ほっそりした少女が部屋に入ってきた。
「平楽姫さまでいらっしゃいますね。初めまして。おいら、いや、私はくゆりと申します」
薫丸は居住まいを正した。
少女は先ほどの見本の所作通りに正座をした。
確かに細身だ。何枚か袿(うちぎ)を重ねていても、それは分かる。しかし貧相な細身というより、すんなりして品がある。
「真っ直ぐ立ったように美しい座り方です」
薫丸は褒めたが、
「そりゃあ、胸の出っぱりが全然ないですものね」
「お尻も小さいですし」
姉姫たちは、意地悪な陰口を言っていた。
「平楽! お客様が帰られる前に、袿を脱いで上半身をちゃんとお見せして!」
継母が命令した。
平楽姫は真っ赤になりながら、おずおずと袿を脱ごうとした。
「お待ちください」
巳巳子さんが、巳の身体に変身し、素早く袿のすそから潜りこんで姫の身体を偵察してきた。
姫が悲鳴をガマンしているのが分かった。
「若君、これは評判通りの美しい、丸太ん棒のような正座ですわ」
「やはり! 私の思った通り、正座は底面が四角だが細身の人が座れば『丸太ん棒のごとく』別の美しさが現れるのだ!」
「若君、『丸太ん棒』とは、ちと申されようが……」
苦虫をつぶしたような巳巳子さんが、横目でにらんだ。
「いかがですか? シビレは感じますか?」
「まだあまり時間が経っていませんので、そんなには……」
「それは無理もありません」
「……?」
継母とふたりの姉姫が、何のことやら首をひねっていると、薫丸は立ち上がった。
「おじゃましました。これで気がすみました」
布袋(ぬのぶくろ)の荷物を肩に担ぎ上げて、帰ろうとする。
「え……え? 若君さま、お泊まりになりませんの?」
継母と姉姫たちがうろたえているうちに、簀の子を歩いて行ってしまった。部屋には、平楽姫の姿はどこにも見当たらない。
「平楽の姿がどこにもありませんわよ、母上!」
「さっき、若君が肩に担いでいった布袋はもしや?」
「さらわれたってこと?」
侍女も呼びつけて捜したが、やはり見当たらない。
「まあ、いいではありませんの。母上。厄介者払いできて」
姉姫たちはほくそ笑むと同時に、ふたりとも、すってんころりんと転んだ。
「あ、あ、足が、足がシビレて~~~!」
「何をやってるのよ!、大姫、中姫!」
「私もあの娘のマネをして『正座』というのをやってみたら、足がああっ!」
「おバカね! ああっ、私も足がジンジンして……。婆や、婆や、来ておくれっ! 私も娘たちの足も揉んでおくれ! いえ、やっぱり、さわってはダメだよ!」
婆やが駆けつけて、母娘3人が大騒ぎしている間に薫丸の乗った牛車が出発した。
第三章 緑林の隠れ処へ
南国の波の彼方に手下を連れて活動する、緑林の女頭領、朱華にやっとまともに会えることになった。
船の甲板から、薫丸は離れ島の見えてくる予定の方向を眺めていた。
「緑林」の島へ行くのは、草木染めの汁でミドリ色に塗りたくった赤ん坊の海松(みる)坊を、漁り夫の両親に返さなきゃならないためもあったのだが。
「この子を親元に返してもよろしいのですか? ミドリの赤ん坊は緑林の象徴なんでしょう?」
薫丸はアマドコロ爺やさんに尋ねてみた。
「そうなんじゃが、朱華さまの心境の変化じゃろうな」
「緑林は続けるおつもりなんでしょう?」
「うむ。しかし、ここらで仕切り直しなのかもしれんな」
「おいら、伺いたいことがあるんです。いろいろ話がしたいです!」
「朱華さまも喜ばれるじゃろう」
海松坊は甲板で抱っこされながら、波しぶきがかかるのを見てきゃっきゃとはしゃいだ。
「こら、海松坊、島に帰る前にびしょびしょになっちゃうじゃないか」
「大丈夫! 今度はマグシ姫に代わって、私が洗濯してあげるから!」
元気の良い声に振り返ると、美甘ちゃんとうりずんが船乗りに混じって、ふたりだけ浮いたきらびやかな着物を着て立っていた。
「あれえええ? 新婚のくせに、ふたりでついてきたのかよ」
薫丸が唇を尖らせた。
「緑林の女頭領の朱華さんとやらが、美人で正座も美しいと評判を聞いたからにはお会いしないとな。どんなに勇猛でもお転婆でも、私に落とせない女人はいない」
怖いもの知らずのうりずんが、柔らかい紅鬱金色(べにうこんいろ)の髪を風になびかせて言い放つ。
「私がちゃんと見張ってますから、そんなことはさせません!」
腕を組んだ美甘ちゃんが、甲板で転ばないように仁王立ちになっている。
(これが新婚の姫だろうか? しっかり『オカミサン』風情だ)
薫丸の心に少しだけ、
(美甘ちゃんを妻にしないで良かった……)
なんていう思いが、かけらほど湧き上がった。
「あっ!」
薫丸は叫ぶなり、急いで船底の荷物が積まれている部屋へ急いだ。山のような荷物の中から、細身の姫が顔を出していた。
「ああ、遅くなりまして申し訳ありません、平楽姫! 苦しかったでしょう」
「ここはどこですの? 薄暗くて何やら波の音が……」
「ここは貨物船の中です。都から川を下って船にお乗せしたのです」
「どこへ連れていくの?」
「南の、とある仲間が集まる島なのですが、姫さまにはご心配はおかけしません。『正座』さえしていただければ長居は無用です。ちゃんとお食事も用意しますから」
「……あなたはいったい、どなたなのですか?」
「おいら……いや、私は、九条家の薫丸と申します」
「九条家の!」
「はい。でも、事情があって家には帰れません。もう帰らないかもしれません」
「そうなのですか……」
平楽姫は悲しそうにおし黙った。
「これから仲間が集まる島へ、島の長(おさ)に会いに行きます。平楽姫さまにも会っていただきます」
「分かりました」
第四章 平楽姫の正座
幾月か前に入林試験を受けた島へ、再びやってきた。
港には朱華頭領が緑色の薄衣を口元に巻いた姿で、迎えに出ていた。瞳だけでも美貌と勝ち気さが見て取れる。
乗組員が船から小舟に乗り換え、洞窟の中にある船着き場に着くと、朱華頭領が手を振って、
「アマドコロ爺や~~!」
と、叫んで迎えた。
爺やも、海松坊を抱きながら頭領に手を振った。
「朱華さま、ご健勝でしたか?」
「ああ、変わりない。爺やこそご苦労だったな」
アマドコロ爺やが上陸する際、海松坊を抱き取り、
「まだ小さいのに偉かったね、みる坊」
慣れた手つきで爺やから代わった。
「朱華さま。先日、入林試験を受けに来られた京の薫丸さまも同行しておられます」
「分かった。正座についてたっぷり話を聞こう」
薫丸は小舟から降り、布袋(ぬのぶくろ)に入っていた平楽姫に袋から出てもらった。
細身の平楽姫は、袋から出ると洞窟の中の船着き場をきょろきょろと見回した。
薫丸は、アマドコロ爺やさんに近づき、
「あのう、おいらはともかく、姫さま方にお部屋をお借りできませんか?」
「はい、洞窟の外に、少々手狭(てぜま)ですが屋敷がありますからご案内いたします」
打ち掛けを両手でたくし上げ、小舟から船着き場に飛び移った美甘ちゃんは、平楽姫の手をとってテキパキと案内した。ふたりとも、やんごとなき姫のはずなのに、リードしているのは美甘ちゃんだ。
「都からまいりました、美甘と平楽姫と申します」
朱華に一礼して上陸した。
朱華は鷹揚にうなずいたが、美甘の後から小舟を降りようとした紅鬱金色の長いふわふわ髪の男に「待った」をかけた。
足止めくらったのは、うりずんだ。
「な、なんですか、私は上陸できないんですか?」
「紅鬱金色のふわふわ頭……貴方みたいなのを『チャラい』というのだ。神さまでも人間でも、『待った』してもらう」
朱華が厳しく言った。
アマドコロ爺やさんが、美甘姫と平楽姫を屋敷へ案内する。
「こちらのお部屋をお使いください」
洞窟の中とは思えないほど、こじんまりとしてはいるが、ちゃんと調度が整えられている。
御簾のかかった部屋の中には、几帳や文机、棚などが十分ある。侍女までふたり待機していて着替えを勧める。
「ささ、楽なものにお着換えされて、まずは旅のお疲れを取ってくださいませ」
しばらくして、朱華がやってきた。
「どれ、細身の姫の正座を拝見したいのだが」
平楽姫は先日、薫丸がやってみせた通りの所作で正座した。
「ほほう、確かに細く美しい正座姿じゃな」
「お恥ずかしゅうございます」
「しばらく正座していよ。シビレを感じないのなら、平楽姫の体型はもってこいということになろう」
「ご覧の通りの細身ですが、これがシビレない原因になっているのかどうか、自分ではよく分かりません」
傍らにいた美甘ちゃんが、
「シビレが無いなんて羨ましいです。私などすぐにシビレてしまって、立ち上がった時に足首に力が入らず転んでしまったこともありますもん」
朱華が苦笑しながら、
「はて、不思議なことじゃの。まだ子どものそなたこそ『丸太ん棒』ではないか。それなのにシビレを感じるとは」
美甘ちゃんは、イラッとなった。
「な、何? あなたはシビレがひどいと言いたいの?」
「無論じゃ。見て分からぬか? これほど『ほーまん』なら丸太ん棒の正反対だ。ゆさゆさするほど胸が大きいというのは案外すごしにくいものだぞ。前を締める着物の時には着崩れしやすいし、サラシを巻くと苦しいし、汗はよくかくしのう」
美甘ちゃんは、まだ胸がゆさゆさする感じなど味わったことがないし、着崩れしやすい経験もない。
イラッとするのを通りすぎて悲しくなった。
第五章 ここなつ遊児
ギギギ~~~ッという音がして、いきなり部屋の窓から、長く太いものがしなって入ってきた。続いて大きなカタマリがコロリと落ちた。
部屋の中へ刺さったのは太い椰子(やし)の幹ではないか。そして、落ちたのはシュロの毛のような赤毛の子どもだ。
「きゃ~~っ! あなたは誰?」
平楽姫が美甘ちゃんにくっついた。
「おいらは椰子の木の子さ。ここなつ遊児ってんだ。さっきから聞いていると、おなごたちのおしゃべりが面白くてな」
「椰子の木って、島に生えている真っ直ぐの木のことね?」
美甘ちゃんが言った。
「そうだ。あんたたちの言ってる丸太ん棒の代表みたいな木だ」
「女頭領より無礼なんだか、よく分からないけど、あんたもイラッとするわねえ! ここはる何とやら」
また美甘ちゃんが言い返す。
「ここはるじゃない、ここなつだよ! そこの細身の丸太ん棒少女よ。丸太ん棒だからってシビレには関係ないぜ」
「え?」
「シビレるかどうかは、ミドリの布を首に巻いたおばさんのようにボヨンボヨンの身体でも、丸太ん棒の身体でも関係ない。要は足が圧迫されるかどうかだよ」
「誰がおばさんですって? ボヨンボヨンですって?」
朱華が眉を吊り上げて乗り出しかけた。
「足が圧迫されるかどうか?」
美甘ちゃんはくり返した。
「うん。細身のおなごは、足が圧迫されない座り方をしておるのだろうな」
「わ、私の座り方……?」
平楽姫は自分の座っている足を見下ろした。
「この座り方は亡くなった母から習いました。かかとに座る時に、『V』のカタチにしておくこと、それと体重を前にかければ楽だということを」
「それだ!」
朱華が叫んだ。
「多分、その所作と細身のおかげでシビレにくいのだ。私も今から『V』の字と体重を前にかけて正座してみる」
それを聞いた、ここなつ遊児もうなずいた。
朱華は正座の所作をして座り直した。
うりずんが、ミドリの海松坊を抱っこして部屋に入ってきた。
「やれやれ、すっかり海松坊に懐かれてしまって離してもらえないから参ったよ」
美甘ちゃんが目を丸くした。
「その子はアマドコロ爺やさんが、両親に返したんじゃなかったの?」
「一度は母親に返したんだが、何故か私から離れなくなってしまったんだよ」
海松坊はうりずんの紅鬱金の髪を気に入ったのか、両手でつかんで離さない。
「これこれ、痛いよ、海松坊、あまり引っぱらないでくれ」
美甘ちゃんが吹き出した。
「ちゃんとつかんでおいてよ、海松坊。これで、そのおにいちゃんはどこの姫にも手出しできないから、ちょうどいいわ」
朱華が立ち上がった。
「あれから一刻は経ったと思うがシビレていない。ということは、『V』の字座りと前傾姿勢が良かったのかな?」
「実は私も海松坊をずっと膝に置いて正座していたが、シビレていない! ギャッ、痛いってば、きつく引っぱっちゃダメだよ、海松坊!」
うりずんが叫んだ。
ここなつ遊児が椰子の先にぶらさがって、部屋の外と中を行ったり来たりしていたが、
「きっと、髪の毛を引っぱられた痛さで、足のシビレの原因の『血の流れ』が気にならなかったんだろうよ!」
「なんて言った? 小僧!」
部屋に入ってきたばかりの薫丸が叫んだ。
「もう一度、言ってくれ! 『血の流れ』だって?」
第六章 血の流れ説
「そう。血の流れが押さえつけられて止まり、シビレはおきるんだよ。それは前から知っていた」
ここなつ遊児は、また椰子の木の先にぶら下がった。
「それじゃ、ズンドーで丸太ん棒の姫さま説は間違いで、『血の流れ説』が、シビレの原因だと発見できたのか?」
薫丸が言ったが、美甘ちゃんが口をはさんだ。
「私はかかとのカタチ『V』説と、座り前傾姿勢の方が有力だと思うけど?」
平楽姫がしばらくぶりに口を開いて、
「私も美甘姫さまがおっしゃったことが有力だと思います。亡き母の教えの通りになりますけど……継母と姉たちはなにかというと、私の体型がズンドーで丸太ん棒だと言ってましたが、シビレないこととは関係ないような気がします。『V』の中にかかとを置いて、身体を前に傾けるとシビレはひどくなりません。それと……」
「それと?」
「覚悟を決めて正座するのです! 『自分は絶対、シビレない』と。そうすればその通りになります!」
一同は平楽姫のツルの一声にギョッとした。大人しい姫がこんなに強気に発言するとは。
薫丸が平楽姫に向かって元気よく拍手した。
「平楽姫さま、やっとご自分の意見をはっきり申されましたねえ。その調子で継母どのと姉上たちに言ってやれば良かったのです。おいらまで胸がスカッとしましたよ」
「じゃあ、私はなぜ、シビレないのだ?」
朱華がポツンと言った。
「それは、きっと慣れていらっしゃるからでしょう」
アマドコロ爺やが海松坊を迎えに来て、答えた。
「頭領は正座がお好きで、唐から渡ってきたと知ってからずっと正座をしてらっしゃいましたからねえ」
「なるほど、これは慣れなのか」
朱華がうなずいたところで、
「海松坊、痛いっ! いい加減、私の美しい巻き毛を引っぱるのは止してくれっ!」
またもや、うりずんの悲鳴が響いたので、部屋にいた一同は笑いを誘われた。
第七章 お見合い相手
アマドコロ爺やさんが、緑林の男衆が寝静まった後、薫丸と美甘とうりずんを呼び出した。
部屋へ行ってみると、しんみり話し始めた。
「ご一同、どうして朱華さまが、緑林の入林試験を正座でしようとなさったのかお分かりですか?」
「正座の時のシビレをどうにかなさろうとしたのでは?」
薫丸が答えたが、老人は首を振った。
「違うのです。実は私めが、朱華さまのご伴侶をお選びしようとして美しい正座のできるお方を探すため、入林試験を正座でしてもらおうと考えついたのです」
「そうだったのですか?」
「朱華さんはそのことを……」
薫丸と美甘ちゃんが尋ねたが、老人はまた首を振った。
「もし朱華さまがお知りになれば、『よけいなことを』とお怒りになるでしょう。しかし、ご両親さまも亡くなられ、この爺やもトシを取りました。なんとかご立派な伴侶を探して差し上げたいのです。どなたか朱華さまに相応しい逞しくて心優しい殿御をご存知ありますまいか、と思いましてのう」
「なるほど、アマドコロ爺やさんのご配慮でしたか」
うりずんはうなずいた。
「でも、朱華さんは『緑林』の頭領を辞めるおつもりはないのでしょう?」
「それで困っているのです」
うりずんが顔を上げた。
「じゃあ、お相手は緑林の協力ができる勇ましい漢(おとこ)がよろしいでしょう。それなら、ぴったりの漢がいますよ。――と言っても、この中では薫丸くんしか知らないか?」
「誰のことだい、それは」
「ほら、私の知り合いの鹿の樹(かのじゅ)将軍だよ!」
「えええっ? あの大胆で声のでかい? 朱華頭領に鹿の樹将軍を紹介するってこと? お見合いしてもらうの?」
「勇ましいし、それでいて正座にも礼儀正しいし、ぴったりのお似合いカップルじゃないか!」
「ええ~~~?」
アマドコロ爺やさんが、
「その方は、どのようなお方ですか?」
「神仙の将軍なのだ。戦で両親を亡くしたところへ、幼い弟がいて、そうだ! そうだよ! 弟のスガルだって母上がいなくて寂しいはずだ! 朱華頭領が鹿の樹将軍と結ばれれば、新しい姉上――というより、新しい母上ができるじゃないか」
うりずんの眼が輝いた。
「第二候補として、平楽姫もいいんじゃないかな」
薫丸とアマドコロ爺やさんたちは、また口を開けた。
第八章 文のやり取り
「お見合いだって? 私が?」
「はあ。頭領と平楽姫とどちらかにですが」
翌日、うりずんとアマドコロ爺やからお見合いの話を聞いた朱華は、ハトが豆デッポウの顔をして、ふたりと薫丸と平楽姫を見た。
それから大きな息をつき、
「やれやれ。白状しなきゃしょうがないな」
「白状とは?」
「実はな、平楽姫は継母の家に引き取られる時に、私の船に乗って知り合い――。都の継母の家に移ってからは、ずっと文のやり取りをしていたのだ」
「じゃあ、今回が朱華さんと平楽姫は初めて会ったのじゃなかったのか!」
薫丸とうりずんがそろって言った。
平楽姫がふところから、文を出して、
「これが一番、大切にしている朱華さんからの文です」
【朱華からの文】
「私も以前は痩せていて、寸胴ナベとか丸太ん棒とか平坦とか、さんざんからかわれたわ。でも、それが何だというのよ。美しく正座できる方が人間の値打ちがあるのよ。何故ならシビレないよう気合を入れたり工夫したりして座っているのだから。だから、あなたも女たちの言うことに凹まないこと!」
平楽姫は継母や姉たちの言葉で辛い目に遭う度に、手紙で朱華に打ち明けて慰められていたのだ。
姫が素直な気質であることを知った朱華は、いつか継母の元から助け出したいと思っていた。そして、良き伴侶を見つけてあげようと―――。
そこへやってきたのが薫丸だった。その縁のおかげで、逞しい将軍との縁談が持ち上がっている。
平楽姫が、
「私ね、夢で理想的な男性が、寸胴ナベで美味しいお汁を作ってくれた夢を見ましたの」
文に書くと、朱華さんからは意外な返事が来た。
「私も同じ夢を見たことがあります」
本当のことらしい。
朱華さんが女らしい方だと知って、
平楽姫は「この方なら、将来ずっと信じていける友人になれそうだ」と改めて実感したそうだ。
「お見合いのお話などいただくと思っていませんでした。でも……あまりに突然ですから、しばらく考えさせてください」
「うんうん、ふたりとも無理もありません! 平楽姫はやっと自由になれたところだし、朱華頭領には『晴天の霹靂(へきれき)』でしょう」
うりずんが鹿の樹将軍を思い出しながら、汗を拭き拭き答えた。
「平楽姫さまは、しばらく椰子の木のあるこの島でお暮らしになるのがいいかもしれないわね」
美甘ちゃんも同意してから、髪の毛が短くなった薫丸の顔を見た。
「うん、おいらもそう思う」
少し気まずそうな、恥ずかし気な空気が漂った。
「それにしても、思い切りよく切ったわねえ」
美甘ちゃんが、薫丸のザンギリ頭をしげしげと眺めた。
その頃、何も知らない鹿の樹将軍は、部下の訓練中に、轟音と共にデカいくしゃみをした。周りにいた鹿たちが驚いて跳ねていった。