[401]正座パパの愛


タイトル:正座パパの愛
掲載日:2026/02/19

著者:海道 遠
イラスト:鬼倉 みのり

あらすじ:
 帰国子女のララと呉服店の娘、そよ子は共に13歳。ララはパパから「あぐら」を禁止され、そよ子は父さんから完璧な正座を命じられて、お行儀教室に通っているが、文句たらたら。
 父親同士も偶然、剣道教室で知り合い、意気投合する。お行儀教室の座之介先生はユニークな若者で正座の所作に曲をつけてはどうかと言い出す。



本文

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第一章 娘ふたり

 ある日、ふたりは偶然、残った。
 二十畳ほどの広いお行儀教室のお座敷に、生徒たちが帰った後のことだ。
「そよ子ちゃんだっけ。ちょっとおしゃべりしない?」
 ショッキングピンクのパーカーを羽織りながら、一旦持ったバッグを下ろしてララは声をかけた。
「いいわよ。父さんが迎えに来るまで、まだ時間あるから」
 若草色に桃色の小花の小紋を着たそよ子は、にっこりして答えた。
 ララとそよ子は同じお行儀教室に通っている13歳の中学生。それぞれのパパの正座の教育方針がまったく違う。
「ララちゃん、この前、アメリカから帰ってきて、このお行儀教室に入られたばかりでまだお話してなかったものね」
「ええ、ありがとう!」
 ララは笑顔になってそよ子の前に滑りこんできた。
「元気いいのね、ララちゃん」
「そう? そうでもないのよ。聞いてよ、そよ子ちゃん」
「なあに?」
「私たちアメリカ生活が長かったでしょう? だから、うちのパパは『あぐら』かいちゃいけないって言いだしたの。アメリカにいる時は、『あぐら』でくつろいでいたのに」
「へえ、そうなのね」
 そよ子は、なるほどと頷いた。
 日本以外の国では「正座」しないからだ。当然アメリカなど西洋でも「正座文化」はないのだから「あぐら」しても仕方がない。
「うちの父さんは……。うちって呉服屋やってるの」
「へえ、そうなんだ。それで着物、着てるのね」
「お行儀教室に着物を着て来るのはいいんだけど、どこにも行かない時でも学校から帰るとすぐに着物を着るように言われてるの。もちろん、座り方はバシッと正座しなきゃ叱られるの。お客様の前では特に。商売柄、仕方ないけどね。」
「呉服屋さんって行ったことないわ。今度、遊びに行ってもいい?」
「いいわよ。ママも一緒にどうぞ」
「ママはお仕事でまだ日本に帰ってないの。来月くらいになりそう」
「そうなんだ~~。早く来てほしいな」
 ふたりは気が合うようだ。
「それにしても、ララちゃんのパパ、若くてファッションもカッコいいわね。何かアーティストっぽいお仕事なんでしょう」
「なんかよく分からないけど仕事部屋にはメカがいっぱいあって」
「とってもお若そう」
「32歳よ」
「32歳? 32歳! もしかしてお行儀のお師匠の座之介(ざのすけ)先生と同い年じゃない? カッコいいはずよね!」
 そよ子がはしゃいで叫んだ。
「でも、『あぐら』かいたら怒るし普通のパパよ」
「ララちゃん、うちの父さんは60歳なのよ。ララちゃんのパパと親子ほど違うじゃないの」
「でも呉服屋さんのご主人なんでしょう。うちの軽~~いパパとは威厳が違うわよ。和装姿もご立派だし」
「ララちゃん、うちの父さんを知ってたの?」
「知ってるわよお。優しそうなお父さんじゃないの」
「それが、ぜ~んぜん。正座が5ミリずれてても叱られるのよ」
「そりゃあ、厳しいわね……」
 ふたりして大きなため息をついた。

第二章 師匠、座之介先生

「聞いちゃったぞ~~、聞いちゃったぞ」
 襖の陰から飛び出してきたのは、師匠の座之介だ。
 和服姿だが、最近はやりの洋装を取り入れてアレンジした着方をしている。羽織は大正時代あたりのヴィンテージものだ。
「きゃっ、先生」
「いやぁね、盗み聞きだなんて」
「大声でおしゃべりしてる方が悪いんだ」
 先生は大股で、ララとそよ子の前へやってきた。
「ふたりとも、あんなに素晴らしいお父さんたちの愚痴なんか言ってたらバチが当たるぞ」
「だって……」
 ララとそよ子は、バツの悪い顔をしてもじもじした。
 ララは、
「うちのパパ、座之介先生と同い年なんだって。先生みたいに優しかったらいいのに」
「うちこそよ! 父さんは座之介先生のお父さんくらいの年齢なのに、ちょっとでも正座の所作や型が崩れていると怒鳴るんだから」
 そよ子も唇を突き出してぶうぶう言った。
「ララ、それは、少しでも日本の慣習に慣れてほしいと思ってらっしゃるからだよ。そよ子も分かってるよね、お父さんは有名な呉服店のご主人だ。お座敷で反物をお客様にお見せするのがお仕事だ。お嬢さんにちゃんとした正座ができてほしいと思っておられるのは当然のことだ」
 座之介先生は自分も正座しながら、七・三分けの髪をぐいと後ろへはらいのけて言った。
「つまんないの……」
 ララが洩らす。
「優等生のご意見ね。先生はもっと自由な、遊び心のある人だと思っていたのに」
「僕が優等生だって?」
 座之介先生は苦笑いした。
「今は師匠として真面目な和服着て、お行儀を生徒さんたちにお教えしているけど、とんでもないヤンチャだったんだぜ」
「だぜ?」
 ララとそよ子の眼が真ん丸になった。
「親の言いつけでお行儀教室を継ぐことになったんだよ。超アグレッシヴな族だったのにだぜ」
「だぜ?」
(族って何族だったんだろう?)
 ララとそよ子は同時にクエスチョンマークを頭のてっぺんに掲げた。
「最初はイヤでイヤで、ハンストやったり、家出したりしたけどどうしても親父が跡を継げと言いやがってな」
「言いやがって?」
「お袋とふたりで土下座までされたのさ。で、仕方なく今日に至る」
「土下座されて仕方なく優等生に転身したんですか?」
「優等生になんかなってないって。中身はヤンチャなところが残ったまんまだぜ。このまま、落語でも始めたいくらいだぜ」
 先生は落語家のように袖に手を隠してパタパタして、膝で歩くマネをした。それを見てふたりは吹き出した。
「とにかく、君たちのお父さんたちは娘思いの良いお父さんたちだ。文句を言わないで、うちにせっせと通ってきなさい」
「なんだ、それが言いたかったのか。やっぱり残念な優等生だわ、先生って」
 そよ子の口答えを聞いて、先生は両手をパンパンと鳴らした。
「では、今日のお稽古の仕上げをしよう。二人とも、立って」
「え?」
「正座のおさらいをして、今日はさよならしようぜ」
「やれやれ」
 ララとそよ子は手荷物を元に戻した。
 座之介先生がスラリとした長身で立つ。
「背筋を伸ばします。背中がカイカン感じるくらいシャキッとな。次に膝をつきます。それから、ララは短いパンツだからいいけど、さよ子は着物の裾をちゃんとお尻の下に敷くんだぜ。そうしないと裾が乱れて、先生、ちょっと嬉しいかもな?」
「きゃはは」
「ヤダわ、先生!」
「やっぱ優等生じゃないわ、だぜ!」
 和気あいあいとした声が、座敷に響いた。

第三章 パパと父さんと

「ヤ―――!」
「ヤアッ、トウッ!」
 元気のよい掛け声が響き、竹刀(しない)のぶつかり合う猛々しい音がする。
 剣道の道場だ。
 そこで、ふたりの人物が顔を合わせた。
 黒光りする道場の隅で面を脱ぐなり、隣の若い男性から声をかけられたのは、そよ子の父親、呉服屋主人の定造だ。
「あのう、もしかして、お行儀教室でお会いしませんでしたか?」
「おお、アメリカから帰国されたという、ララちゃんのお父さんですね」
「そうです! 玲央(れお)と言います。そよ子ちゃんのお父さんですね!」
 ふたりは顔面の汗をぬぐいながら笑顔になった。
「奇遇ですなあ。わしはここに通って15年目ですよ」
「僕は入門したばかりです。アメリカにいた分、日本文化を取り戻したいと思いまして。さすがのお手並みですね。宜しくお願いします」
「いやいや、堅苦しい稼業のうっぷんをここで晴らしているだけです」
 そよ子のお父さんはロマンスグレイの頭をかいて照れ臭そうに答えた。
「娘のそよ子がお嬢さんに親しくしていただいているようで、ありがとうございます。お嬢さんのララちゃんのことは時々、聞いていますよ」
「うちのはねっかえりのことですか。そよ子ちゃんはいつも和装姿でおしとやかではないですか。うちのお転婆が影響しなきゃよろしいですが」
「とんでもございません。ララちゃんのことが大好きな様子です。今度、うちの店に遊びにみえる約束をしたとか」
「そうなんですか! 何も聞いておりませんで、失礼申し上げました」
 ララのパパの正座のお辞儀が美しいので、そよ子父さんは、しばらく見惚れてしまった。
「まるで正式に習われたような素晴らしい所作ですな」
「いえ、とんでもございません。ただの我流です。ララにもちゃんと日本のお行儀を身につけてやりたくて、お行儀教室に通わせている次第です」
 黒髪、短髪で、物言いもハキハキしている青年を、さよ子父さんは気に入った。
「娘のララには、くつろぎやすい『あぐら』を禁止していますが、妻は心が落ち込んだ時には『あぐら』や正座をすると穏やかになれると申しています。どちらにせよ、そういう自由さで正座をしてほしいと思っています」
「おお!」
 そよ子の父さんが目を輝かせた。
「わしも、そよ子に日頃から厳しくしていますが、表向きだけで実は座り方なんてお客様の前以外、娘が心地よければ自由でいいと思っている甘い父親です」
「結局、お互いに甘い父親なんですね」
 その時、道場の先輩から声がかかった。
 ふたりは急いで手ぬぐいを頭に巻いて面をかぶり、道場の中央に出て、一手(ひとて)交えた。
 パン! パン! と竹刀がぶつかりあい、裸足が床を前後し、やがてララのパパが「面!」をとられて敗れた。
 ふたりは下がってお辞儀をした。
「さすがの腕前です。これからも宜しくお願いします」
「こちらこそ! 娘をあまやかせたいのに、厳しく躾け(しつけ)していることの矛盾を感じていましたが、もやもやが晴れた感じです」
「僕もです!」
 ふたりの父親は手を取りあった。

第四章 さよ子ちゃんちのお店で

「わ~~~! きれ~~い!」
 店に入るなり、ララは260度に手を広げ、ぐるぐる回って歓声をあげた。
 ママの帰国を待たずに、ひとりでそよ子の父親の老舗呉服店へ初訪問したのである。
 店の壁一面に反物が山のように積まれているわ、衛門かけに振袖が広げていっぱい展示されているわで、花畑の中に飛びこんだようなものだ。
「ララちゃんが来ると知って、お父さんが展示会なみに飾ったのよ」
「わあ、ありがとうございます。どっちを向いても晴れ着、晴れ着! 花車という柄もきれいだし、ヒョウタンや結び紐も素敵! キンキラの刺繍もきれい」
「ゆっくり見物していってください」
 そよ子の父親がニコニコして挨拶してから、お客様の相手に戻って、ピシリと膝の着物のシワを叩いて正座した。
(おおっ、さすが呉服屋さんの正座だ! カッコいい!)
 ララの目が釘付けになった。
「ララちゃん、着物着たことある?」
「えっと、7歳くらいの時に一度だけね。それからずっと着ていないわ」
「じゃ、この中から好きなのを選んでみて。着せてあげる」
 ずらりと並んだ衛門かけの晴れ着を指さした。
「ええ? いいの?」
「うん。帯や小物も一緒に選びましょ」
「わあ、嬉しい! ピンクのも可愛いし、ブルーやグリーンもきれい。イエローやブラック、金色も」
 ふたりは目移りしながら、着物選びに楽しい時間を過ごした。
「お花の柄だけでも沢山、種類があるのに蝶々や色んな柄がいっぱい!」
「ララちゃん、これとかどうかしら?」
 そよ子が衛門かけに広げられた一着を勧めた。それは分かりやすい色名で言うなら、紅色(くれないいろ)で総絞りの品だ。絞りは着物の繊細な技法のひとつで、生地に細かく糸で結び、絞り柄が作られる高級品だ。
 その上に牡丹が描かれている。
「帯は、この銀とピンクとが混じったのはどう?」
「うん、きれい、きれい」
 お店の女店員さんにも相談に乗ってもらい、ふたりで、きゃあきゃあ言いながら選んでいった。

 ララはお店の試着室で女店員さんに着付けしてもらった。試着室から出てくると、そよ子と父親が待っていた。
「えへへ……。照れるなあ」
「素敵よ、ララちゃん、よく似合う!」
「とてもよくお似合いですよ。目鼻立ちが大きくくっきりしてらっしゃるから、こういうはっきりした色目の方が映えますね」
 そよ子の父親も頷いた。
「着物を着せてもらうと、気持ちがシャキッとして、お行儀のお稽古――特に正座をきれいにしたくなってしまうわ。不思議ね」
「あら、ララちゃん。いつも日常着の着物しか着ていない私でもそういう気持ちになるのよ」
「ええ~~、そよ子ちゃんも!」
「お稽古、やる気ない時もあるけどね」
 ぺろっと舌を出した。
「着物と正座って不思議な関係ね」
「実はおじさんも……」
 さよ子の父親が口をはさんだ。
「こうして着物を着ると、お客様の前ではしっかり正座して応対しなくてはと思うよ」
「まあ、おじさんも。正座して反物を広げたりスルスル巻いてらっしゃるところ、とても素敵ですヨ」
「ははは、ありがとう、ララちゃん」

 紅色の総絞りの振袖と帯一式は、ララにプレゼントされたのだった。

第五章 娘たち父の思いを知る

「ララちゃんのパパは『あぐら』に反対」
「そよ子ちゃんのお父さんはカンペキな正座」
「どっちもどっちね」
 お行儀教室の皆が帰った静けさの中、ララとそよ子はまたもやおしゃべりしていた。
 厳しい正座方針のパパを持つララとそよ子は、この辺でリボリューションが必要だなと思いはじめ、ふたりで理想の正座を考える。
 ララは、
「所作全部の美しさを強調した正座ってどうかな」
 そよ子は、
「正座の型そのものにプラスしてね」
 座之介先生に提案してみると、「いいんじゃないか」と答えた。
「ただ、正座する間、し~~んと静かなのが当たり前だろうが、先生は音楽をつけて所作してもいいんじゃないか、と考えていたんだ」
「正座の所作に音楽をつけるんですか?」
 ララとそよ子はそろって目をくりくりした。
「そよ子ちゃんがやってる日本舞踊のような音楽なら想像できるけど」
「ララ、お前の弾むような所作にも合うような音楽をつけられたらな~~って思うんだよ。この前、『あぐら』かいてるのを見て、こういう活発な感じに音楽つけるのもいいなあって閃いたんだよ」
「先生、もしかして作曲できるの?」
「少しな。ララ、お前のパパは著名な作曲家だから合作しようということになったんだ」
「ええっ! いつの間にそんなことに?」
 ふたりは飛び上がった。
「パパと正座の音楽を座之介先生が合作?」
「ララちゃんのパパって有名な作曲家だったの?」
「有名じゃないけどね。コンピューター使っていろんなことやってるみたい」
 そよ子に尋ねられて、ララは照れ臭そうに答えた。
「ララパパとそよ子父さんは、剣道場で偶然出会って話が弾んだそうだぜ」
「まあ、父さんが剣道?」
「ええ? パパが剣道?」
 ふたりそろって叫び、両方の父親の意外な行動に驚いた。しかもいつの間にか座之介先生とも親しいようだ。
「三人でいつの間に……」
「そうよ、私たちに内緒で」
「睨むなよ、ララ、さよ子。今、打ち明けただろう」

 正座に音楽をつける計画を、ララは喜んでアメリカのママにメールで報告した。
 だが、なかなか返信してこない。と思ったら、いきなりテレビ電話してきた。眉がつり上がっている。
『ララ! どういうことなの、正座の所作に音楽をつけるって!』
 明らかに怒っている。
「正座の所作に音楽をつけたら、雰囲気が盛り上がっていいんじゃないかって、パパたちが考えたのよ」
『パパたちって?』
「こっちのお行儀教室で知り合った呉服店のそよ子ちゃんのお父さんとうちのパパとお行儀教室の師匠の座之介先生よ」
『呉服店……? なんていう呉服店なの?』
 ママの声は震えていた。
「わか竹呉服店よ」
『わか竹呉服店―――?』
 ママの顔色が蒼白になった。
「ど、どうかした? ママ」
『わか竹呉服店の娘さんとお友達になったの? ララ!』
「そ、そうよ」
『ダメ! 絶対ダメ! 正座の所作に音楽をつけるなんてヤボなこと、絶対に許しませんからね! 正座は心臓の鼓動さえ聞こえる静けさの中でやってこそ本物よ。バックミュージックなんて必要ないわ!』
 ママの肩は激しい息遣いのために揺れていた。
「ママ、正座でもあぐらでもいいって言ってたじゃん」
「そうよ。でも、正座に音楽をつけるのは反対。ダンスじゃあるまいし、合わないに決まってるわ」
「合うか合わないか、やってみなくちゃ分からないじゃない!」
『やってみなくても分かりますよ、そのくらい』
「ひどいわ、ママ。頭ごなしじゃない!」
 キズついたララは、電話をブチっと切り、部屋にこもってベッドに突っ伏した。
(ママなら応援してくれると思ってたのに……)

第六章 新作お披露目会

 ララのママが正座の所作に音楽をつけることに反対しているとは夢にも知らず、ララのパパ、そよ子の父さん、座之介先生は、時間を作ってはララのパパのスタジオに集まって、せっせと作曲していた。
 ララはママが大反対していることは言い出せなかった。
 来月の初め、そよ子お父さんのお店の新作着物を、緑ガ森庭園のお座敷でお披露目することになった。
「100着もお披露目するんですって。父さん、はりきってる。その時にパパたちが作曲した曲を私たちの所作に合わせて披露したら? って言ってるの」
 そよ子が嬉しそうに言う。
「新作お披露目会?」
「その時に私たちの正座の所作をお客様に伴奏つきで見ていただくのよ。新作お披露目にぴったりのシチュエーションじゃないの。緑ガ森庭園は由緒あるお庭なんですって」
「そ、そうなの」
 ララはママが知ったらどう言うか心配だった。

 いよいよ当日になった。
 緑ヶ森庭園のお座敷は、100着もの新作の晴れ着が展示され、華やいだ。お天気にも恵まれ、緑鮮やかな庭には真っ赤な毛氈(もうせん)が敷かれ、お茶席が三か所設けられた。
 ここで、ララとそよ子は音楽に合わせて茶道の所作を見せるのだ。音楽はどんなものが出来上がったのか、ふたりはまったく知らなかった。
(ぶっつけ本番で大丈夫かしら)
 不安がないでもなかったが、茶道の手順や正座の所作の練習に気を取られていた。
 ララは先日、そよ子のお店でいただいた紅色の総絞りの振袖を着た。そよ子は対になるような瑠璃色(るりいろ)総絞りの振袖姿だ。
 お座敷が解放され、招待客がどっと押し寄せた。
「まあ、今年の新作はなんて素晴らしいのでしょう」
「老舗の風格と新作の雰囲気がちゃんとコラボして」
 お客たちは、晴れ着を見るのに夢中になっている。

 ひとりの女性がやってきた。上品な紫水晶色(青みがかった灰色の一種)の色無地に楽器の描かれた桃花色(ももはないろ)の帯を締めて、髪は優雅に結い、黒い皮のケースを持っている。
「ママ!」
 庭でお茶の支度をしていたララは目が飛び出た。
「ママじゃないの! どうしたの。何も連絡なしで」
「どうもこうも、あなた方のことが気になって早く帰ってきたのよ。今日のお披露目がどうなることかと」
 ママの顔はこわばっている。
 ララの側にいた座之介先生とそよ子が挨拶した。
「ララがいつもお世話になっております。先生、そよ子ちゃん。いつもありがとうございます」
「ララママが帰国されるとは! 頑張り甲斐があるな、ララ、さよ子」
 座之介先生は晴れやかな笑顔とバッチリ決めた羽織袴姿でママを迎えた。
 お座敷で新作を見て回る客たち、庭へ降りてお茶をご馳走になろうとする客たちで会場は華やいでいる。

 準備ができ、いよいよララがお茶をいただくために毛氈の上を歩いて進み、正座する番になった。
 ママがとっさにたすき掛けにして、足元の黒いケースからヴァイオリンを取り出した。
 縁側に立ち、ヴァイオリンをアゴと肩にはさんで奏で始める。
 周りの人たちの視線が集中した。
「ララ! いつも通り正座して!」
 座之介先生が叫んだ。ララは心を鎮めて背筋をまっすぐにし、膝を毛氈の上につき、着物をお尻の下に敷いて、かかとの上に座った。ララの動きは持ち前の軽快な感じだが、ヴァイオリンの音はそれに合わせて「くるみ割り人形」に似た軽いリズムだ。
 そよ子の時は、おしとやかさに合わせてしゃなりしゃなりしたバージョン。お琴に近いような緩やかな旋律だ。
 ふたりの娘が正座してお抹茶をいただき、ようやくひと息ついた。
 ママはヴァイオリンを下ろし、たすき掛けの紐を解いた。
 周りの客から拍手が湧きおこった。
「ヴァイオリニストの鷺坂塔子(さぎさかとうこ)じゃないの?」
「そうだわ!」
「お茶席の女の子ふたりが、彼女のヴァイオリンに合わせて正座の所作をしていたみたいだけど」
「やっぱりそうなの? そうよね! 鷺坂塔子さんよね!」
 再び、客から大きな拍手が起こった。
「ララ! さよ子ちゃん、どうだった?」
 縁側からララのママが叫んだ。
「どうなってるの? ママが演奏するなんて」
「とにかくママもお茶をいただくわ。緊張して喉が渇いちゃって」
 庭の芝生に降りてきたララのママは、見事な所作で毛氈の上に上がり正座した。

第七章 正座パパの愛

「わか竹呉服店の新作発表会に来て、お綺麗な晴れ着を見せていただくだけでなく、鷺坂塔子さんのヴァイオリンを聴けるなんて、なんという贅沢かしら!」
「お若いお嬢さんたちが、音楽に合わせて正座して、お点前までご披露していただくなんて!」
 お客たちは興奮して騒いだ。

「一体どういうわけ? この前のテレビ電話では怒っていたじゃないの。正座に音楽をつけるなんてとんでもないって」
 ララは毛氈の上で一服お茶をいただいているママに咬みついた。
「まあまあ、成功したみたいで良かったじゃないの」
 にこやかなママになっている。
 座之介先生が毛氈の上にやってきた。
「ララのママ、初めまして。この度はいろいろとお世話になりました」
「お世話になったのはこちらのほうです」
 ララとそよ子は何が何だか分からない。
「ララ……」
 ララのママは、改めて娘の方を向いて丁寧に頭を下げた。
「この前は電話であんなに怒っちゃってごめんなさいね。ママ、考え直したのよ。パパさんたちがあなたたちを応援しようとしてるのに、ママも協力させてもらわないといけないって」
「ワケわかんないわ」
「実はね、ママも学生時代に同じことを考えついたのよ。茶道を習っていてね、所作にヴァイオリンで音楽をつけてみようって。お茶会の時に実行したんだけど、出席者の皆さん、しらけてしまって大失敗してしまったの。だから今度もそうなるって思いこんでしまったの」
「ママが先にやったことあるの?」
「ええ。思い直して、ママも仲間に入れてもらおうとパパに連絡して、座之介先生やわか竹呉服店ご主人のお仲間に入れていただいたの。どうだった? ママの弾き方」
「素晴らしかったです!」
 叫んだのはそよ子だ。
「おば様、今日、再挑戦なさったのね」
「そよ子ちゃんね。どうもありがとう」
 そよ子の父さんもやってきた。
「これはこれは。ララちゃんのお母さんですな」
 ララのママの顔がわずかに強張った。そよ子の父さんは首をかしげた。
「はて? どこかでお目にかかりませんでしたか? なんだかそんな気が……」
「さあ、どこかでお会いしたかもしれませんわね」
 言葉とは裏腹に、ララのママの笑顔はかすかにひきつっている。
 そこへ、ララのパパが和装姿でキメてやってきた。
「そよ子ちゃん、ララ。上手な正座とお点前ができたぞ。良かったな」
 ララとそよ子はほっとして微笑んだ。
 ララのママが晴れやかな顔に戻り、
「今回のお父さんたちの娘への思い、わたくし、胸を打たれました。娘の正座が個性を尊重して、美しくできるように―――。その純粋な願いは娘を思えばこそですものね。最初はびっくりしたので反対して申し訳ありませんでした」
「おお!」
 いきなり、そよ子の父さんが膝に手を打ちつけた。
「どうも経験したような情景だなあと思っていたら、ララちゃんのお母さんは、あのお茶会の時にヴァイオリンで伴奏した女子大生の鷺坂塔子さん!」
 一同、そよ子父さんに視線を集めた。
「思い出しました! 20年ほど前のお茶会で鷺坂さんの伴奏を批判し、台無しにしてしまった……」
 沈黙が流れた。
「と、父さん! そんなことしたの! ララのママは今日と同じことをしただけじゃない!」
 そよ子が思わず叫ぶ。
「も、申し訳ない……。父さんはまだあの時、人間ができていなかった……。今なら、お前たちが一生懸命、正座に取り組んでいるのがよく分かる。なのに、あの時の父さんはガチガチの古い頭だったんだ」
 そよ子の父さんの額に脂汗が噴き出た。膝の前に大きな手のひらを着き、深々と頭を下げた。
「鷺坂さん、その節は大変申し訳ありませんでした」
「わか竹さん、どうぞお顔をお上げになって下さい」
 ララのママが顔を覗きこむようにして言った。
「娘たちの計画に、わか竹さんが加わって下さってると聞いた時に、私の子供っぽい恥の思い出はきれいに消えました。わか竹さんもお嬢さんをお持ちの優しいお父様じゃないですか」
「ゆ、許して下さるんですか。あの時、お客様の前でひどくあざけった私を」
「許すも許さないも――。人様のご意見は人それぞれ。私は先走ってしまったのですわ」
 ふたりは正座を座り直して丁寧に頭を下げた。

「さて、先ほどご披露した所作の音楽に名前を着けませんか?」
 座之介先生がはりきって言い出した。
「『正座パパの愛』なんてどうでしょう? ちょっとキザかな」
「いいんじゃないですか! 座之介先生」
 ララのパパが目を輝かせた。
「座之介先生もぜひ、娘さんのパパになって下さい」
「わ、私がですか? じゃ、後3年ほど待って、そよ子かララのどちらかにプロポーズしようかな……」
「なんですって?」
 そよ子の父さんとララのパパは、座之介先生を「むん」と睨みつけた。


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