[45]正座先生と未来への第一歩
タイトル:正座先生と未来への第一歩
分類:電子書籍
発売日:2019/02/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:112
定価:200円+税
著者:眞宮 悠里
イラスト:鬼倉 みのり
内容
星が丘高校3年生のリコは、茶道と正座の普及のため活動する、茶道部の部長。
6月に入り、新入部員に1年生のシノが入部したことで、ますます盛り上がる茶道部だったが、肝心のリコは卒業後の進路がはっきり決められず、悩める日々を送っていた。
そんなある日、茶道部副部長と書記を務めるフランス人留学生・コゼットとジゼルの両親が来日するというニュースが舞い込む。
茶道と正座に関心を持った2人の両親は、ぜひ星が丘高校茶道部の面々に茶道を教えて欲しいのだという。
快諾したリコたちは「特別茶会」を企画するが、「特別茶会」開催日に、なんとリコは追試を受けることになってしまった!
果たしてリコたちの「特別茶会」の結果はいかに?
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本文
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1
思えばわたしサカイ リコは、昔から一度夢中になると、とことん没頭してしまう子どもでした。
最初に夢中になったのは、お人形遊び。
小学校に上がるまで、欲しがるものといえば全部お人形関連のグッズ。
個々のお人形のファッションコーディネートだけでは飽き足らず、お人形のおうちの間取りを細かな部分まで完璧に決め、季節ごとに模様替えプランを立て……果ては、人形たちについて、本来はないオリジナルの設定まで創作して遊んでいました。
そんなわたしは、友達が家に遊びに来れば、当然毎回お人形遊びに誘っていました。
だから、幼いころから仲良くさせていただいている一歳年上のお友達『マジマ ユキ』さんなんかは、優しく付き合ってくれつつも、内心ちょっと苦笑いを浮かべていたように思います。
次に大好きになったものは、中学生の頃、クラスでも人気だったアイドルグループです。
でも、どのメンバーが好きなのか知られるのはちょっと恥ずかしかったので、ユキさんはもちろん、一歳年下の後輩だけれど、まるで先輩のように頼りになるお友達『タカナシ ナナミ』にも、推しているメンバー……いわゆる『推しメン』を話したことはありません。
だけどおそらく、実はクラスの誰よりも詳しかったと思います。なぜなら当時、全楽曲を、歌詞を見ずに歌えるくらいの熱心なファンだったからです。残念なことに……そのグループはわたしが中学校を卒業するころに解散してしまいましたが。
それから高校受験のときは、星が丘高校にどうしても通いたかったので、必死に勉強しました。
なので、中学三年生の秋から受験終了までは、勉強していたこと以外の記憶があまりありません。
当時の出来事を友達と話す機会があると、友達にすら『リコはいつも勉強をしていた』と言われるほどです。
こんなわたしですが、ここまで一生懸命になったことは、お人形遊びであったり、アイドルグループのファン活動であったり、勉強であったり、どれも基本的に一人で行うことでした。
だから『すごく夢中になれるほど好きになったものを、仲間と取り組む』。
そんな経験には特に恵まれることのないまま、わたしは無事星が丘高校に合格し、高校生になりました。
入学後も部活動に入る予定はなかったし、わたしの人生は、これからもきっとそうなんだろうなあ……。と、漠然と考えていたのです。
しかし、人生には突然変化が訪れるものです。
高校二年生の夏、わたしは茶道部に入部することになりました。
それは、わたしにとって大きなチャレンジでした。
なぜかというと……わたし、サカイ リコは、一度没頭するとそればっかりになる一方で、失敗を極端に恐れる人間でもあり……つまり、茶道とは、わたしにとって『失敗しそうなこと』の象徴といえるものだったからです。
そもそも、なぜわたしは失敗を極端に恐れるようになり、さらに、茶道が『失敗しそうなこと』の象徴になってしまったのか?
それは先ほども登場した、幼い頃からのお友達で、星が丘高校の先輩でもあるユキさんと、幼いころ座禅教室に参加したことがきっかけでした。
お人形遊びのエピソードからもわかる通り、子どものころから、わたしはユキさんが大好きでした。
ユキさんが行くところにはたいていついていき、一緒に、本当に色んな体験をしたように思います。
そのほとんどは楽しい思い出として心に残っていますが、悲しいことに、座禅教室だけはそうはならなかったのです。
わたしは座禅教室で、事前にちゃんと準備をしていかなかったばっかりに、座禅中、正座の姿勢を続けられず……。足が痺れて、とても恥ずかしい思いをしてしまったからです。
それは、誰がどう考えても自業自得の出来事です。
でも、教室の先生もユキさんも『初めてだから仕方のないこと』と優しく許してくれました。『もしまだ座禅に関心を持ってくれているなら、今回の失敗は気にせずに、ぜひ続けて欲しい』と、おっしゃってもくれました。
というか、本当は、座禅では絶対正座しなければいけないという決まりはないので……わたしは座り方を変えて、もう一度参加することももちろんできたのです。
だけど、それはできませんでした。
さらにわたしは『もう同じような失敗を繰り返したくない』と思うあまり、正座そのものに、強い苦手意識を持ってしまうようになってしまったのです。
その後に好きになったのがアイドルグループという、基本的にファン活動に失敗は存在せず、同時に、コンサート会場などへ行ったり、ファン同士でコミュニケーションを取ったりしなければ、他人に迷惑をかける可能性も比較的低いものだったのは、今思うと、非常に自然な流れに思えます。
その次に受験勉強に必死になったのも、やはり失敗を恐れる思い……『絶対に不合格になりたくない』という強い気持ちの表れだったのでしょう。
つまり、茶道部に入部するまでは、わたしにとって『チャレンジ』という言葉は、とても縁の薄いものになっていたのです。
そんなわたしが、なぜ茶道部に入ろうとしたのか。
それはやはりユキさんの存在と、先ほども登場したナナミの応援がきっかけでした。
わたしが高校二年生の夏、当時ユキさんは星が丘高校茶道部の部長を務めていました。なので、学校祭で開催予定の茶会にわたしを誘ってくださったのです。
だけど、茶会では、座禅とは違い、正座が必須です。
例によって失敗を恐れるあまり、わたしは参加するか悩んでいました。
ですが、そんなわたしの事情を聞きつけたナナミは、懇切丁寧に正座の仕方を指導してくれました。
おうちが剣道道場で、正座のエキスパートともいえるナナミは、本当に教えるのが上手でした。
結果、ナナミのおかげでわたしは茶会に参加を決意し、本番中も、なんとか正座し続けることができたのです!
苦手に感じていたことでも、真剣に取り組めば、ちゃんと克服できる。
克服できたら、今度は、苦手だったはずのことも、とても楽しい!
ナナミがくれたそんな経験は、わたしに大きな自信を与えてくれました。
そこからのわたしは、今度は茶道に夢中。
苦手な正座を克服したからには、本当は前々から関心のあった茶道部員になろう。
わたしをもう一度正座に向き合わせてくれたユキさんとナナミのためにも、頑張って活動をしよう。
そう思った日から今日まで、本当に茶道と正座に染まった高校生を送ってきました。
そんなわたしの足取りは、簡単に書くと、この四つに分類されます。
1: 『正座』という苦手を克服して、茶道部という新しい世界に飛び込む。
2: 茶道部入部後は、なんと廃部寸前になっていた部を存続させるため、ユキさんをはじめとする先輩方と、新入部員獲得に励む。
3: なんとか存続決定し、三月に先輩方が卒業された後は、部でたったひとりの最上級生として、今年度の茶道部の活動方針を『一人一人が正座先生と呼べるほどの存在になることを目指す』と決める。
4: その過程で、ある女の子との間に生じていた誤解を解き、彼女を新茶道部員として迎える。
うーん、我ながら、なかなか頑張ったじゃないか。
そう思います。
だけど、この後の『5』に当たる部分で、わたし個人は、一体どうするのでしょう?
秋になるとわたしは、大半の生徒がそうであるように、大学受験のため、部活を引退します。
だから、茶道部部長ではなくなって……それから少しする頃には、星が丘高校も卒業して、おそらく大学に進学します。
……で、その後は、どんな風に生きていくのでしょう。
正直に言うと、茶道部活動に夢中になりすぎて、深く考えたことがなかったのです!
……でも、今回は、いよいよそれを考えなくちゃいけないようです……。
2
「リコ、やばいよ……。シャレになってねえよ、その成績」
六月の始まり、月曜日のお昼休み。星が丘高校三年二組の教室にて。
わたしは友人であり、クラスメートでもある『モリサキ ユリナ』と『キリタニ アンズ』。
それから、学年は一つ下だけど、毎日一緒にお弁当を食べている茶道部副部長の『コゼット・ベルナール』ちゃん。
そして、自分を含めた四人で、仲良くお弁当を食べていた。
「もう一度言うけどな。このままだと、リコの進路って、かなり限られてくるぞ」
今恐ろしい発言をしたのは、ユリナ。
ユリナは、この通り口調が男の子みたいで、容姿もサッパリした感じで、さらに女子サッカー部を引っ張るエース選手として活躍している。なので、周囲からはちょっと『ガサツな女の子』と誤解されがちだ。
だけど、本当はものすごく心配性で繊細。
ユリナは昨年度、つまり茶道部が廃部寸前だったころからいつもわたしを心配して、わたしのことも、茶道部のことも、まるで自分のことのように真剣に気にかけてくれていた。
わたしたちが二年生から三年生に進級して、無事茶道部が存続できたはいいものの、今度は『部に指導者がいない!』という悩みを抱えていたときなんて、すごい先生の存在を教えてくれたくらいなのだ。
……つまりわたしは、そんな心優しく親身なユリナに、ここまでのことを言わせてしまうほどの成績を見せてしまったのである。
「え? ユリナ様。そんなにもひどい……のですの?
こんなに平和なお昼休みに、衝撃が走ってしまうほどでして?」
「ああ。ものすごい衝撃だよ。
とりあえずあたしは手元の弁当が喉を通りそうもない」
ああ、わたしはいつもユリナを心配させてばかりである……。
……いや、ユリナだけではなかった。この人もだった。
『この人』とは、ユリナの隣に座っているコゼットちゃんである。
コゼットちゃんは、双子のお姉さんの『ジゼル・ベルナール』ちゃんを追いかけて、フランスからこの星が丘高校に留学してきた二年生だ。
コゼットちゃんは大の負けず嫌いで、それ以上に、とても努力家の女の子である。
言葉の違いというハンデなんてものともせず、あっという間に日本語を習得し、校内でも『日本語がうますぎる留学生』として知られているくらいなのだ。
そんな彼女は、この通り丁寧なお嬢様口調を見事に操り、いつでもわたしたちに忌憚のない意見を聞かせてくれる。
今でこそ、超優秀な茶道部副部長としてわたしを支えてくれているこのコゼットちゃん。
だけれどコゼットちゃんは、留学当初はジゼルちゃんを連れて、すぐにフランスに帰るつもりでいた。
なぜかというと、コゼットちゃんは、ジゼルちゃんという『日本・正座・茶道』の三つが大好きすぎて日本に来たお姉さんが大好きなあまり、『日本・正座・茶道』の三つを大嫌いになってしまっていたからである。
ジゼルちゃんは、本当はフランスの高校に通うはずだった。
だけど、『日本で茶道を学びたい!』という理由で、高校一年生の頃、突然日本へ留学してしまった。
なので、フランスに残されたコゼットちゃんは『お姉さまを日本・正座・茶道にとられた!』と思うあまり、その三つを恨むようになってしまっていたのである。
特に正座に関しては、フランスにはない習慣で、当時のコゼットちゃんにとっては『不要なもの』に感じられた。さらに『一度はジゼルちゃんにつられて正座してみたけれど、コゼットちゃんにはあまりうまくできなかったこと』であったのが、嫌いを加速させてしまったのだ。
『フランスにいる限り正座は特にしなくても良いし、何より正座は難しい!』
そんな理由から、コゼットちゃんは正座嫌いになっており、なんとしてでもジゼルちゃんを『日本・正座・茶道』の三つから取り戻し、フランスに帰らせようと思うようになってしまっていたのである。
こんなコゼットちゃんとわたしには、一見何の共通点もないように思える。
わたしは正座に苦手意識はあったけれど、正座そのものが嫌いというわけではなかったし、座禅教室での経験をきっかけに茶道に惹かれていったユキさんに対して『ユキさんを茶道にとられてしまった』と思ったこともなかったからだ。
だけど、実はわたしたちには、大きな共感ポイントがあった。
それは『一度だけの失敗で、正座から逃げてしまった』ということだ。
わたしは、コゼットちゃんと出会ってすぐ、日本が嫌いなはずなのに『お姉さまには負けられない』という理由だけで、日本好きのジゼルちゃんよりも日本語が得意になってしまったコゼットちゃんを見て、こんなことを思った。
『もしかしたら、コゼットちゃんは今まで正座が苦手だと思い込んでいただけ。もう一度トライすれば、意外とあっさり正座できるのではないか?』
と。
その予想が当たっていたかどうかは、もうわかると思う。
わたしたちが教えた座り方のコツにより、コゼットちゃんはサラリと正座をマスターして……そして今では帰国するのをやめ『日本・正座・茶道』を見直すため茶道部員となり、優秀な副部長として活躍してくれているのである!
コゼットちゃんとはお互い、最初の印象があまり良くなかった分、一緒にいて緊張することもあった。
だけど、今はこの通り、何かと頼りないわたしを、厳しくも温かく助けてくれ、いつも気遣ってくれる。
今となってはコゼットちゃんなしでは、わたしの茶道部ライフは存在しないだろう……。というくらい、大切な存在なのである。
ちなみにジゼルちゃんとコゼットちゃんは一卵性の双子な上、日本語力に関してもほとんど変わらない。
なので、語尾が『デース』『マース』と言った感じで、わずかになまりが残るのがジゼルちゃん。
完全に完璧な、丁寧なお嬢様口調の日本を話すのがコゼットちゃん。
と覚えるとわかりやすいと思う。
……と、こんな風に、自慢の友達をニコニコと、順番に説明してゆきたいところなのだけれど。
今、コゼットちゃんが青ざめた顔で質問し、ユリナがそれよりもさらに暗澹とした表情で解答した通り、今日はそうもいかない。
『お弁当が喉を通りそうにない』。そう言ったユリナ以上に、わたしの隣に座るアンズが、普段の堂々とした雰囲気からは想像もできないほどの弱弱しい声で、わたしに話しかけてきたのである。
ああ、ユリナとコゼットちゃんに加え、わたしはいつもアンズを心配させてばかりである……。
つまり、ここにいる三人全員に心配されながら生きているということか。
「あの、リコ。
本来、強要すべきことでないのはわかっていますが……。
それでも、情報を得ないことには対策も立てられません。
私にも見せていただけますか? 模試の結果」
「はい……」
アンズは高校入学後に親しくなった友達で、容姿はおっとり穏やか、中身はビシバシ生真面目。という、ギャップのある女の子だ。
アーチェリー部に所属するアンズは、人に教えることがとっても上手。そのため、部では『裏顧問』と呼ばれるほど慕われている、先生並みの指導力を持つすごい子だ。
なので、わたしたち四人組においても、お姉さん的ポジションとして機能している。
つまりアンズ以外の三人はみな、アンズに弱いのである。アンズはとても落ち着いていて、頭が良くて、たとえば意味もなく人に『テストの点数を見せろ』なんて言ったりはしない……という、強い信頼がある。
だからアンズにお願いされたら、たとえ見せたくないものでも、わたしは何かきちんとした意図があるのだと信じ、素直に従ってしまうのである。
「これは……思った以上ですね」
ということで……こうしてユリナいわく『シャレになってない』わたしの成績は、ここにいる三人全員の目に入ることになった。
「……すごい。見事な右肩下がりだ」
わたしに気を遣ってか、三人は、成績表が他の人には見えないよう身を寄せ合って、小さな声で話している。
だから成績表そのものや、成績表を見た感想が、他の人には聞こえないようにしてくれている。
しかし、目の前にいるわたしにはしっかり聞こえているので、余計に胸が痛くなってくる。
ところで、わたしは教室では主に自分、ユリナ、アンズの三人組で行動している。
なので、わたしを通じて、コゼットちゃんはユリナとアンズと出会い、親しくなった。
そして、今では学年の垣根を越えて、四人で仲良くしているというわけだ。
「まったくですわ。なだらかな下降線を描いております……」
それにしても。
『成績が、なだらかな下降線を描いている』
日本語として、なかなか高度な表現である。
コゼットちゃんは、去年の冬に日本にやってきたばかりの留学生なのに、彼女の日本語は、この半年ほどで、ここまで進化している。
留学当初のコゼットちゃんの言葉には、ジゼルちゃんのように、少しだけカタコトっぽいなまりがあった。
だけど、最近はもうそれも完全になくなっている。
あまりにも流暢にお話しするから、たとえばコゼットちゃんのことを知らない人に、コゼットちゃんの声だけを聞かせたら、その人はコゼットちゃんを日本人だと思ってしまうのでのではないだろうか。
なのに、わたしときたらどうなっているのか。
毎日休まずに学校へ来て、高校生らしく勉強しているというのに、むしろ、茶道部入学以前よりバカになっているような気がする。
はぁ……一体わたし、何をしてたんだろうなあ……。
思わず泣きそうになる。けれど、わたしに対する三人の心配は、成績だけにはとどまらなかったようだ。
三人は成績表からゆっくり顔を上げると『これもそろそろ言わなくてはいけないと思っていたんだ』というような表情で、こちらを見つめてきたのである。
えっ。まだわたし、何か『シャレになってないこと』ありましたか?
「あとさあ。リコ。
おまえ、ほんと部活頑張ってるからさ。
ちょっと言いにくかったんだけど。
なんか最近……なんていうか、その……」
「ああ、わたくしもおそらく、ユリナ様と同じことを感じておりましたわ。
リコ様の成績はこの通り、あんまりなものですが。
身体の方は右肩どころか、両肩ふくれ上がってらっしゃるというか。
もっとはっきり申し上げると、質量が増してございますというか」
「コゼットさん。もっとはっきり申し上げていいのよ。
リコ、あなた、太ったでしょう?」
優しい性格ゆえに、はっきりとは言わないユリナと、やや遠慮がちなコゼットちゃんの指摘。
これだけならまだわたしは、事態の深刻さを理解しなかったかもしれない。
しかし、自分にも他人にも厳しいアンズの言葉は、ビシッとわたしに真実を突きつけるのであった。
『太った』と。
「ああっ……痛いところを突かれました……。
こう……部活の後は疲れるから……。
うちに帰ってからついおやつをたくさん食べちゃって……。
あとお茶菓子おいしいし……」
「やっぱりそうだろ?
スカートもきつくなってるんじゃねえのか」
「正直今もちょっと苦しいです」
わかってはいた。自分でも自覚していたのだ。
しかし、こうも声を揃えて言われてしまうと、みぞおちを殴られたような衝撃を受ける。
茶道部の活動に夢中になっていたために、成績を落とし、その上太った。
こんなわたしから、今茶道部を取ってしまったら、一体何が残るというのか。
帰宅部の、太っちょおバカさんの誕生である。
「リコって、入学したときはすげぇ成績良くてさ、新入生代表の挨拶とかもしてたよな?
だからあたし、リコはずっと優等生なんだと思ってたんだよ。
あと、当時は心配になるくらいやせてた記憶がある」
「それね。よく言われるの!
あのころは、わたしの人生で一番賢く、やせていた時期だったんだ。
絶対不合格になりたくなくて必死に勉強してたら、なんと一番で合格しちゃったっていうね。
食べる間も惜しんで勉強してたから、かなりやせてたし。
……今はこの通り、見る影もない成績だけど!
わたし、必要に迫られてないと勉強頑張れないタイプなんだって、受験勉強ではっきりわかった」
「つまり、『不合格になったらどうしよう』という恐怖から解放されたとたん。
勉強への意欲は、ガクッと落ち……それに反比例するかのように、食欲は増してしまったということね。
それもリコらしいといえば、リコらしいけれど。
リコ。いけませんよ。
このままでは『部活ばっかりやって成績を落とした』と思われかねません」
アンズにあまりにも痛いところをつかれ、わたしは『ウッ』と声を詰まらせる。
部活動は本当に楽しかった。
だけどわたしは、生来の『夢中になると止まらない』という性質のせいで、今、とんでもない窮地に立たされてしまっているようだ。
「そうだね……。
というか、もうそれ、すでに誰かに思われててもしょうがない雰囲気だよね……。
実はユモト先生にも注意されちゃって、追試を受けることになってしまいました。
急に決まったから正規の試験じゃないけど、その成績で改めて進学先を判断するって」
しかし、ガックリと肩を落とすわたしの向かいの位置で、コゼットちゃんが、なぜかわたし以上に困った声を出す。
「つ、追試?
リコ様。それはいつ実施予定なのです?」
「へ? 二週間後だよ。
六月なら今のところ特に茶道部のイベントも企画してないし、この間に真面目に勉強するね。
みんなには迷惑かけちゃうけど、部活もちょっと、何回か欠席させてもらうことになるかも……」
「……そうですわね。はい。リコ様はそうするべきでございますわね」
「うん?」
コゼットちゃんは視線を泳がせ、言葉を詰まらせる。
それと同時に、机に置いていたコゼットちゃんのスマホが光る。
しかし、コゼットちゃんはスマホに表示された文字を見て、さらにひきつった顔になり、うつむいてしまった。
一体何かあったのだろうか。
常に何でもビシバシ意見してくれる彼女のこんな表情は珍しくて、当然気になってしまう。
「コゼットちゃん、わたしの追試が二週間後だと、何か困ることがあったの?」
「えーっと……えっーとそれはですわね……」
「リコセンパーイ!」
質問の答えを聞く前に、教室の扉が、ガラガラガラ! と勢いよく開く。
今困った顔をしているコゼットちゃんを語る上では、絶対に欠かせない、双子のお姉さんの登場である。
「ジゼルちゃん!」
ジゼルちゃんの表情は明るく楽しげで、コゼットちゃんとは完全に対照的だ。
……それも、後で思い返すと、わたしの成績のことを全く知らなかったからなのだけれど……。
「お昼休み中スミマセン!
この度は、特別茶会の提案があって参りましたデース!
実はデスね! ワタシとコゼットの両親が、二週間後に日本に遊びに来るんデース!
そこでデスネ! 茶道部としてぜひ! お時間ある方で集まって、両親向けの茶会を開けたらイイナと!
ついさっきまでは、来日の日程が決まっていなくてご相談できなかったんデスが……。
今両親からメールが来まして! コゼットも見ましたヨネ?
だから飛んで来てしまいマシター!
リコセンパイであれば、きっと賛成してくれると思って……って。
なんでミナサン、暗い顔をしているのデース?」
「……ああ、なんてタイミングの悪いお姉さま」
コゼットちゃんが頭を抱え、スマホの表示を再度見る。
あ、つまり、さっきはご両親の来日の日程が書かれたメールを見て、青ざめてたってことかあ……。
合点がいった。と、思わずひとり頷いてしまうわたしに、注がれる視線が二つ。
ユリナとアンズである。
「……あの、リコ。わかっていますね?」
「そうだぞリコ。
二週間後のおまえにとって、絶対優先しなきゃいけないものがあるってことくらい……さすがに、わかってるよな?」
ジゼルちゃんが今提案してくれた、ジゼルちゃん&コゼットちゃんの両親を交えての特別茶会。
ああ、すごく魅力的なお誘いだけれど……。
「え? リコセンパイ、二週間後に何かあるんデスー?」
果たしてわたしは、それに参加できる余裕があるのでしょうか。
3
「六月は、特別茶会で正座先生に……」
「なりたいところじゃが、おぬしはダメだぞ、リコ」
「あうっ」
放課後の茶道部会議は、わたしのこんな提案から始まる……。
はずだったのだけれど、この通り思いっきり却下されてしまった。
星が丘高校三階、茶道部部室。
今ここには、茶道部部長のわたし、リコ。
副部長のコゼットちゃんと、書記のジゼルちゃん。
一年生部員の『ムカイ オトハ』ちゃんと『カツラギ シノ』ちゃんと『ヤスミネ マフユ』さん。
ナナミのような、茶道部と別の部を兼部しながら活動している兼部部員のみなさんのうち、ご都合のよろしい方々と。
今わたしを呆れた目で見ている、茶道部の特別講師『ヤスミネ トウコ』先生が集まっていた。
「あのなあ!
ここで『模試の点が悪かったくらいで落ち込むな。特別茶会に参加してもいいぞぉ』などとでも言うわらわだとでも思ったのか?
わらわからすれば、アンズの言葉すら優しく、生ぬるく感じるわ。
このままじゃおぬし、大学受験をする以前に、落第じゃぞ、落第」
「ら、落第!? リコ先輩、一体何をしてしまったのですか?」
トウコ先生の言葉は、アンズの言葉よりもさらに深く、わたしの心をザクリと刺す。
トウコ先生は、見た目はわたしと変わらないほどに若く、一見女子高生にしか見えない。
だけど『~なのじゃ』『~であろう?』といった、なんだか古めかしい口調で話し……いつも驚くほど落ち着いていて、とても頼りになる。
こんなトウコ先生は、書面上では女子高生ではなく、れっきとした成人女性として来校されている。
つまり、星が丘高校の生徒ではない。
でも、かといって星が丘高校の先生でもない。
茶道部が部活するときにだけやって来て、茶道を教えてくれる『特別講師』として、この学校に来てくださっているのだ。
ここで、
『えっ? トウコ先生って本当は何歳?』
『書面上、って言い方が、なんだか気になるんですが……』
と思われた方は、大変勘が鋭い。
今から、ちょっと信じられない話をすると……。
見た目は高校生のようで、書面上では二十代の女性ということになっているけれど、どこかおばあちゃんのような雰囲気のあるこのお方の年齢は、なんと実は百歳を軽く超えられている。
つまり、彼女は人間ではないのである。
トウコ先生の正体は、星が丘市にある、星が丘神社に祀られている『部活動の神様』なのだ。
星が丘神社には、昔から『どんな部活も立派な団体に育て上げる先生がいる』という噂があった。
二〇一七年度が始まったばかり、つまりわたしが三年生に進級したばかりの茶道部は、当時『指導者がいない』という問題に直面していた。
それを心配して、星ヶ丘神社の存在を教えてくれたのが、前述の通り、ユリナだ。
なのでわたしは、ユリナから情報を得てすぐ、星が丘神社へ向かった。
そして境内にいたトウコ先生に、彼女が神様であることも、というか、学生にしか見えない彼女が『どんな部活も立派な団体に育て上げる先生』ということも知らぬまま声をかけ、知り合ったというわけだ。
しかし『どんな部活も立派な団体に育て上げる先生』は、決してヒマなわけではない。
トウコ先生が特別講師としてコーチできるのは、一年に一つの団体だけなのである。
そこでわたしは星が丘高校茶道部を代表して、トウコ先生から指導に値するかチェックするための試験を受けさせていただき……その過程でトウコ先生が神様であることを知り、トウコ先生の従者であり、トウコ先生と同じく人間ではない存在であるマフユさんとも親しくなったというわけだ。
そうして、最終的に試験にも何とか合格したわたしは、トウコ先生を指導者として迎えることに成功した。
以来、トウコ先生は、マフユさんを連れ『実は神様である』ということを隠して、星が丘高校に通ってくださっている。
そう、こちらのマフユさんとともに。
「拙者も驚きでござるよ……。
まさか部長たるリコ殿の成績が、落第寸前と言えるほどの危機的状況でいらっしゃったとは」
「まったくじゃよ。
部活に打ち込んでるやつって、結構みんな成績もいいもんなんじゃがなあ。
リコは、打ち込み過ぎて勉強の存在を忘れるタイプだったんじゃな」
こちらの、一人称が『拙者』の女の子が、マフユさんだ。
たった今お伝えした通り、マフユさんは星ヶ丘神社でトウコ先生のお世話をしている精霊だ。
つまり、やはりトウコ先生同様、わたしよりもずっとずっと長く生きている存在なのである。
だけど、そんなマフユさんは、見た目だけなら小柄で幼い雰囲気で、わたしよりも年下に見えてしまう。
なので、トウコ先生のサポートをするにあたり、正体を隠して学生として星が丘高校の一年生として通うことになったのだ。
だから、わたしにとっては『ずっと年上の後輩』にあたる。
ゆえにわたしは、学年的には下のマフユさんを『さん』づけで呼んでいるわけだ。
トウコ先生とマフユさんがいらっしゃったことで、今年度の星が丘高校茶道部は、神様とその従者の方にまでサポートいただいているすごい部活となった。
ただしその部長は、成績不振で今みんなに心配されているわけですが……。
「なるほど。そういった経緯から『落第』と言われてしまっていたのですね。
いささか強烈な単語でしたので……取り乱してしましました」
「ナ、ナナミぃ……」
そして、トウコ先生とマフユさんの会話を聞いて事態を理解し、ホッと胸をなでおろしたのが、さっきからチラチラと話題に出てきている、ナナミだ。
ナナミは一歳年下の二年生だけれど、ユキさんと並んで、わたしが茶道部に入部するきっかけをくれた、超重要人物だ。
ナナミはいつでもわたしに優しく、同時にわたしに正座を教えてくれた師でもある。
そんなナナミに心配させるのは本当に心苦しいけれど……もはやわたしが『特別茶会』に参加するには、ナナミに擁護してもらうしかない。
わたしは助けを求め、すがるようにナナミを見上げる。
が。当然と言えば当然なのだけれど、ナナミもまた『こればっかりは私も……』と言う感じで、ゆっくり首を振るばかりであった。
「お言葉ですが……。
トウコ先生同様、ここで『参加したっていいじゃありませんか』と言える私ではないですね。
……というか、どうして成績が下降気味なこと、私に話してくださらなかったんですか?
リコ先輩って、そういうところ、ありますよね……。
中学生の頃も、結局お好きなアイドルが誰なのか教えてくださいませんでしたし」
い、今その話を持ち出しますか。その通り、未だに話したことがなかったけど。
確かにわたし、これでも一応ナナミより年上なので、ナナミの前では格好つけたいというか、知られたら恥ずかしいことは、ちょっと隠しがちな傾向があるけれど。
ナナミは一見完璧な後輩に見えるけれど、こんな風に意外と嫉妬深いというか、やきもちやきな一面もある。
そんなところが、わたしにとってはとてもかわいかったりするのだけれど……。
と、なごんでいる場合ではない。
今度は別の方向から、大きな声が上がったからだ。
「えーっ!?
じゃあ、リコ部長、この『特別茶会』には参加できないってことなんですかー?」
「当たり前でしょう、オトハ。
まったく、相変わらずどこか抜けてらっしゃいますよね。リコ部長は」
「あはは……」
ナナミの次に発言をしたのは、オトハちゃんとシノちゃんだ。
この二人は四月に入学したばかりの一年生なので、わたしと知り合ってからは、まだ二か月くらいだ。
だけどその二か月で驚くほどの数の思い出を共有したので、わたしとしては、もう何年も一緒にいるような気持ちになってしまっている。
まずは、先に大きな声を上げていた、オトハちゃんから紹介しよう。
オトハちゃんとは、星が丘高校が、毎年秋に中学生向けに開催しているイベント『学校説明会』で初めてお話をした。
要するに、わたしが高校一年生、オトハちゃんが中学三年生のときに出会ったのだ。
『学校説明会』は、先生方が『星が丘高校はこういう学校ですよ』と参加者に説明するのと同時に、各部活に入っている生徒たちが『星が丘高校にはこんな部活動があって、入部したら楽しいですよ。ぜひ受験に合格して、一緒に活動しましょうね』とPR活動を行う場でもある。
そして茶道部のPR中にわたしとオトハちゃんは出会い、なぜだかはよくわからないけれど、オトハちゃんはわたしを『とても素敵な先輩だ』と思ってくれたらしい。
その瞬間から、オトハちゃんはありがたくも、わたしと茶道部で活動することを目的に星が丘高校への受験を決め、無事に合格。入学式が終わってすぐ、その足で茶道部に入部してくれるほどの熱心な部員として、わたしと再会してくれたのだ。
そんな彼女は、この通り、びっくりするほどわたしを慕ってくれていている。
なので、出会った当初は『そんなにわたしは素敵な人じゃないよ!』と及び腰になってしまったこともある。
だけど、オトハちゃんの想像するわたしと、実際のわたしの間にあるギャップに悩んでいたわたしに、アンズはこんなアドバイスをしてくれた。
それは『オトハちゃんの理想に近づいていく努力をしながら、本当の自分も知ってもらうことで、ギャップを埋めていく』ということだったのだけれど……。
うーん。これでも努力はしているのですが『オトハちゃんの想像する、優秀で理想的なわたし』に、わたしは全く近づいている気がしませんねえ。
「ちなみに、オトハとシノは、模試の結果ってどうだったんじゃ?
おぬしら、すっごい頭よさそう」
「とんでもないですよ、トウコ先生。
私の学力は、お恥ずかしながら、たいしたことはありません。
それなり程度、問題なく部活に参加できる程度です。
でも、オトハは、リコ部長に少しでも近づくために、トップの成績で入学していますよ」
「そうでーっす!
リコ部長ってばすごいですよね! 入試トップで星が丘高校に合格されてるなんて!
わたし、そのへんもちゃーんとホームページで確認してますからね!
リコ部長マニアですから!
リコ部長みたいな高校デビューを果たしたくて、頑張っちゃいました!
でも、シノも謙遜しすぎ!
一年生三百六十人中、トップ五十に入る人の成績って『それなり』っていうの?」
オトハちゃんはいつでも『一番いいときのわたし』を基準に、わたしを応援してくれる。
今も、最新のひどい成績は加味せずに、あくまで入学当初に焦点を合わせて尊敬してくれる。……なので、わたしはオトハちゃんの優しさが、余計心苦しくなってきた。
それにしても、二人はそんなに優秀なのか。
ナナミもかなり成績がいい方だし、留学生でありながら日本語ペラペラのベルナール姉妹の成績は、もはや言うまでもない。
茶道部って、頭のいい人ばっかりだなあ。
バカなのって、もしかしてわたしだけ? って気持ちになってきた……。
「私の成績は別にいいんですよ。
今は、リコ部長の話でしたよね?
あの、コゼット副部長とジゼル書記のご両親の来日は、もう確定で、動かしようはないのでしょうか。
追試後、一日でも空けば、リコ部長も都合をつけられるのでは?」
「申し訳ございませんが、それは難しいみたいですわ。
わたくしたちもすでに一度相談したのですが……やはり二人とも、仕事がございますので」
今、日程について気遣ってくれたシノちゃんとは、仲良くなれるまで結構時間がかかった。
わたしへの第一印象が良すぎたオトハちゃんに対し、シノちゃんは、わたしへの第一印象が悪すぎたからである。
わたしとシノちゃんの出会いは、先ほどの、オトハちゃんが星が丘高校の入学式を終えてすぐ茶道部部室を訪れ、その場で入部してくれたエピソードにさかのぼる。
オトハちゃんに同行し、茶道部を見学してくれたのがシノちゃんだったからである。
だけどそのとき、わたしたち茶道部員は大きなミスを犯してしまった。
入学式の日は、本来、一年生の各部活への入部は受け付けていない。
なのでわたしたちは『まさか一年生が見学に来ることはないだろう』と高を括るあまり……お菓子を食べながら会議をするという、あまり褒められたものではない態度をとってしてしまっていたのである。
オトハちゃんは、わたし同様『一度決めたら変えない! 突っ走る!』というタイプだ。だから、その光景を見ても、ありがたいことにまったく気にせず、入部してくれた。
でも、シノちゃんはそうはいかない。
オトハちゃんとは違って強い入部の意思があったわけでもなく、中学三年次もオトハちゃんと『学校説明会』には来ていても、茶道部の見学はしなかったシノちゃんにとって、茶道部は『お菓子を食べて遊んでいる不真面目な部活』に写ったからである。
ここで、先ほど、わたしのこれまでの主な足取りを説明させていただいたときに、こんなものがあったのを思い出していただきたい。
4: その過程で、ある女の子との間に生じていた誤解を解き、彼女を新茶道部員として迎える。
そう。この『ある女の子』というのが、シノちゃんなのだ。
ちなみに補足すると、『その過程』というのは『今年度の茶道部の活動方針を定める過程』のことである。
シノちゃんは今お伝えした通り、わたしたち茶道部部員が部活をせずにお菓子を食べていた『サボリ事件』を目撃して以来、当然ながら茶道部にいい印象を持ってはいなかった。
でも『こんな茶道部に入部する意思はありません!』とツンツンした態度を取りつつ『オトハが心配だから』と言いながら、なぜか茶道部のイベントにはいつも顔を出してくれ……デレデレ、とまではいかないけど、なんだかんだわたしたちの活動に、ずっと興味を示してくれていたのである。
わたしは長らく、シノちゃんのその態度が少し不思議だった。
その謎に関するヒントをくれたのは、なんとユキさんだった。
シノちゃんとユキさんは実は昔からの知り合いで、ユキさんはシノちゃんのことをよく知っていたからである。
ユキさんのサポートで、わたしは
・ シノちゃんはもともと、和風なことに強い興味があり、ユキさんと一緒に座禅教室へ行っていたこともある
・ なので、茶道部にも実は、かなり関心があった
・ だけど、正座が苦手。だから、入部には至らずにいた
ということを知った。
なので『これはもしかすると、まだ望みがあるのかもしれない』と考えたわたしは、シノちゃんに再度アタック。それは先日ついに実を結び、シノちゃんはとうとう茶道部員になってくれたというわけだ。
ということで、以上が、現在、中心となって茶道部にかかわっているみなさんである。
最近は関係者が一気に増えたので、紹介するだけでにぎやかで楽しい。
自分以外全員が三年生で、先輩方が卒業したら、茶道部は廃部になってしまうかも! と不安を感じていたあのころからすると、なんだか夢のようである。
「ちなみに、わたくしもあの場ではつい聞きそびれましたけれど。
追試の日の時間割って、リコ様はもう受け取っておりますの?」
「あ、うん! 普通の模試の時間割と同じだよ。
朝の九時から始まって、午後三時には終わる感じ」
「ではわたくしたちは朝一番で茶会をさせていただきますわね」
「そ、そんなあ……意地悪言わないでよ、コゼットちゃーん」
一時期は部の消滅すら覚悟したわたしにとって、今の日々は本当に宝物だ。
だから、秋に部を引退するその日まで、茶道部に精いっぱい尽くしていきたい。
と思っていたのだけど……当然ながら、今のわたしに『特別茶会に参加してもいいよ』と言ってくれる人はいないようだ。
ああ、これこそ自業自得。
なんだか遠い昔の座禅教室での苦い経験までフラッシュバックしてしまって、わたしは、トホホ、と肩を落とすしかなかった。
「とにかく、リコの参加はなしじゃ!
『特別茶会』は、ジゼルとコゼットを中心に行い、後日レポートを書く形でリコへ報告しろ。
リコは今日から二週間、部活禁止。
模試が終わるまで勉学に集中するんじゃぞ。
あと少しはダイエットもせい。
最近ちょっと、こう、コロコロ、フワフワしてきたぞ、おぬし」
ああ、やっぱりこうなってしまった。
図星を突かれ過ぎて、一切抵抗することもできないまま、わたしの『特別茶会』への欠席は決定してしまったのであった。
4
部活の帰りは、ジゼルちゃんにお茶に誘われた。
なんでも、わたしに何かお話があるらしい。
ジゼルちゃんと二人きりになるのは、実は久しぶりだ。
コゼットちゃんとは毎日お昼ごはんを食べていることもあり、なんだかいつも一緒にいるような気がする。
だけどジゼルちゃんとは、三年生に進級してからは、新入部員が入ってきたり、色々なイベントで忙しかったせいで、一緒に過ごす時間はちょっと減ってしまっていた。
ちなみにこのお話のためにわたしたちは喫茶店へ入ったけれど、わたしはフードメニューはパスして、コーヒーだけをいただいている。
太ったせいで、コゼットちゃんいわく『右肩どころか、両肩がふくれ上がってしまっている』し、トウコ先生いわく『身体全体がコロコロ、フワフワしてきた』そうなので……。
ウッ、つらい。
「ところでジゼルちゃん、お話って何かな?」
「あ、ハイ! 実はデスネ。
お風呂で正座するダイエットが最近流行ってるらしいそうなので……。
ダイエットを始めようとされているリコセンパイに、それをお伝えシタク、お呼びしました……」
「えっ、ありがとう! 早速気を遣ってくれたんだね。
メモするからちょっと待って」
「……とまあ、それは冗談なのデスが」
「そうなんだ!?」
どうやら『お話』は、ジゼルちゃんにとって、ちょっと切り出すのに緊張するものらしい。
ジゼルちゃんはわたしにテヘヘと微笑むと、姿勢を正して、改めてこちらへ向き直る。
ちなみに後で調べたところ、お風呂で正座するダイエット方法は、確かに話題になっているようだ。
ダイエット効果がある理由は、正座をすることで、お尻でふくらはぎを加圧する形になるので、身体が温まりやすいということ。
それだけだと通常の正座と変わらないけれど、それをお風呂で行うことで、お風呂以外の場所で正座しているときと、正座以外の姿勢でお風呂に入ったときよりも、代謝が上がるということ。
それから、正座してお風呂に入るということは、一気に身体が温まることでもあるので、副交感神経が刺激されてリラックス効果が高くなり、睡眠の質の向上につながることが主な要因みたいだ。
身体を温めて代謝を上げることはまだしも、なぜ、睡眠の質を上げることが、ダイエット効果になるのか?
これはわたしも調べるまで知らなかったのだけれど、睡眠の質が上がると、やせやすい身体ができていくらしい。
それは、良い睡眠中には成長ホルモンがたくさん分泌されるから。
成長ホルモンは身体を若々しくする効果があるので、お風呂で正座をすると、単に代謝を良くなってやせるだけではなく、お肌もきれいになるようだ。
ちなみに、お湯の設定温度は三十八度から四十度程度のぬるめがベストで、食後すぐのお風呂は身体によくないので、早くても食後三十分以降の入浴がいいらしい。
あと、これはお風呂で行うダイエット全般に言えることだけれど、こまめな水分補給は非常に大切だ。
入浴前にしっかりお水やスポーツドリンクを飲んでおくか、あるいは、飲み物の入ったペットボトルをお風呂に持ち込んで、飲みながらお風呂に入るのもいいらしい。
お風呂で正座ダイエットは、聞けば聞くほど『入浴時に限らず、いつも正座するとさらに効果アップだと思うよ!』と思ってしまう話でもあるけれど、せっかく知る機会を得たので、これからは毎日お風呂でも正座をやってみようと思う。
そういえば、正座を始めたばかりのころ、ナナミから『お風呂では血流が良くなるので、痺れにくく、正座の練習に良い』という話を聞いていた。
だから当時はよくお風呂で正座の練習をしたものだけれど、あれ、無意識のうちにダイエットになっていたんだなあ……。
いや、あれをやめたから太るスピードが上がってしまったのかもしれないのか?
と、この話も正座にかかわることだし、大切なのだけれど。
話を戻そう。ジゼルちゃんは、一体何をわたしに伝えようとしているのだろう?
「あの……リコセンパイ。
『特別茶会』なんデスガ……オトウサンとオカアサンの飛行機の時間もありマスので……。
おそらくコゼットの言った通り、リコセンパイが追試を受けている時間帯に開催すると思いマース。
だから、リコセンパイは途中からの参加も難しいと考え、ワタシたちのことは気にせず、当日は試験に集中してほしいデース」
「あ……そっかぁ……」
どうやらジゼルちゃんのお話とは、わたしの『特別茶会』の参加は、途中からでも難しそうだ……ということらしい。
もう決定済みのことではあるけど、改めて言われてしまうと、なんだか淋しい。
そんなわたしの気持ちを、ジゼルちゃんもわかっているんだろう。
ジゼルちゃんは申し訳なさそうに続ける。
「あの……。
リコセンパイは昔、ワタシのことを、いい意味で『同級生みたい』とおっしゃってくれマシタ。
それは、ワタシとリコセンパイの茶道部への入部時期が、ほぼ同じだったからデスヨネ。
でも、今思うと、ワタシは、その言葉に甘えすぎていたのかもしれまセーン……。
リコセンパイが受験生であることは、わかっていたノニ。
本当に同級生みたいな気分で、いつでも自分と同じくらいの作業をお任せできると、思い込んでしまってイマシター……。
『特別茶会』のことも、ワタシたち、両親の来日そのものは、もっと早くに知っていたんデース。
でもワタシは、コゼットの『すぐに相談しましょう』って言葉を聞かずに『サプライズで知らせたい』と押し切ってしまいマシタ。
それが結果的にリコセンパイのご都合がつかない事態とナリ……リコセンパイを悲しませてしまいマシタ」
「いやいや! ジゼルちゃんは悪くないよ! 悪い成績を取った、わたしが悪いんだもん」
「イイエ。
ちゃんと相談するべきだったのに『リコセンパイなら、きっとイイヨって言ってくれる』と思い込んで……コゼットのアドバイスも聞かナクテ。
一人で暴走したせいで、こうなってしまったんデース。
……ムカシ、リコセンパイがワタシに相談せずにトウコ先生をお招きしたとき、ワタシはあんなに怒ってしまったのに……。
許してくれるリコセンパイに、感謝してイマース」
ジゼルちゃんの言葉に、わたしはトウコ先生を星が丘高校茶道部にお招きした直後のことを思いだす。
わたしは当時、なかなか指導者が確保できなくて、内心非常に焦っていた。
だから、ユリナにトウコ先生の噂を教えてもらって、その足でトウコ先生の元へ向かってしまい、茶道部の誰に相談することもないまま試験を受けて、ご指導いただく約束を取り付けてしまった。
茶道部の部長はわたしだけれど、副部長はジゼルちゃんだ。
だから、わたしは、ジゼルちゃんは自分に一切の相談がなかったことに対するお叱りを受けてしまったのである。
思いだすと、わたしの人生は本当にミスの多い人生である。
わたしとしては、この件に関しては、直前に電話の一本も入れなかったわたしが完全に悪いと思っているし、怒られて当然のことだったと思っている。
なので、以前のトウコ先生に関する件と、今回ジゼルちゃんが『特別茶会』を行うことに関してわたしに事前相談しなかった件については、まったく別物だと思うし、というか、どっちもわたしが悪いな? という気持ちでいる。
だけどジゼルちゃんは、そうは思っていないらしい。
ジゼルちゃんはペコリと頭を下げると、わたしにこう言った。
「でも、こんなワタシですが……。
今回を機に、成長したいと思ってイマース。
リコセンパイに、茶道部の先頭をお任せしっぱなしなのはもうやめて……。
今回のイベントに限らず、次カラも……今後部を引っ張っていくのは自分たちであるという自覚を持って励んで行きマース。
だから、リコセンパイは心配しないでクダサーイ。
今回はトウコ先生のおっしゃる通り、ワタシたちに任せて!
とにかく今は! 勉強に集中してほしいのデース!」
あ、そっか。
確かにその通りだ。だってわたし、あと数か月で部を去るんだもの。
それを踏まえて、ジゼルちゃんたちは活動していかなければならない時期にもうなっているんだ。
『心配しないで。ワタシたちに任せて』
そんなジゼルちゃんの気持ちはとてもありがたいけれど、ずっと一緒に活動してきた身としては、ちょっと淋しくもある。
でも、三年生って、部長ってこういうものなのかもしれない。
自分なりに全力で築き上げてきたものでも、引退の時が迫ってきたら、後輩に笑顔で譲るべきなのだ。
ユリナとアンズも、わたしのこの意見に『もちろんその通りだ』と言うだろう。
でも『すごく夢中になれるほど好きになったものを、仲間と取り組む』。
そんな経験が、今回生まれて初めてのわたしには、すぐには受け入れられそうにない。
ああ、淋しいなあ。わたしもうすぐ、茶道部やめちゃうんだなあ。
「……うん。お願いする。ほんと、頼りない部長でごめんね」
そんな気持ちで頭がいっぱいになってしまって、わたしは、ジゼルちゃんに、こんな言葉しか返せなかった。
5
こうしてわたしは、追試が終わるまで部活をお休みすることになってしまった。
茶道部は、もともと、毎日活動があるわけではない。
運動部のように、しばらく休むと取り戻すのが大変……ということもあまりない。
だから、実際は、そこまで大きく普段と違うスケジュールを過ごしているわけではない。
だけど、それでも……わたしの日々にはポッカリと穴が開いたように、突如空洞の時間が生まれてしまっていた。
『いや、その空洞の時間で勉強をしなさい。あと、ダイエットもしなさい』
『今のあなたにヒマな時間などは一切ないはずです。
毎日、とてもとても忙しいはずでしょう?』
そんなツッコミが誰かから入る前に、自分自身の意見として、頭の中から聞こえてくるのも事実だ。
でも、なんだか淋しい。
この前のジゼルちゃんの『今後部を引っ張っていくのは自分たちである。という自覚を持って励んで行きます』という言葉を聞いてから、わたしはどうしても引退の日を意識してしまっている。
そしてその後、わたしがいなくても、星が丘高校茶道部は活動していくことを思うと、なんだかとても淋しくなってしまうのだった。
それは仕方のないことだ。でも、頭では理解できていても、気分が落ち込んでいると、それが途方もなくつらくて、苦しいことのように感じられてしまう。
わたし、部活がなくなったら、こんな風に抜け殻の時間を過ごしてしまうんだろうか……。いや、そのころには受験勉強してるはずなんだけど。
でもわたし、今の成績で受かる大学とかあるの?
不安だ……。
……と、いかん。本格的に落ち込んできた。このままではいけない。ちょっとジョギングにでも行こう! 勉強と並行して、ダイエットもしたいし……。
そう思って、わたしはフラフラと外へ出ることにした。
けれど、いざ家の前で準備体操をして『さあ、走ろう!』と思っても、なんだかそんな元気も出ない。
ノロノロと、ただ十分ほど歩く、という、運動とはとても言えないような動きをしてしまう。
やっぱり戻って勉強をしようか。
追試の後は、その成績を元に、改めてユモト先生と進路相談をしなくてはならないから、少しでもいい成績を出さなきゃいけないし。
だけど、こんなわたしには、一体どんな進路があるっていうんだろう……。
あっ、やばい。わたし、ちょっと泣きそうかも。
いよいよ落ち込んで、涙が出そうになっていたその瞬間。
わたしは、聞き慣れた優しい声に呼び止められた。
「おーい! リコ! ジョギング中か?」
そこにいたのは、ユリナだった。
自転車で移動中のユリナは、わたしの目の前で止まると、自転車を降り、心配そうにこちらをのぞき込む。
慌てて涙を拭こうとするけれど、わたしがションボリとしていたのは、ユリナには後ろ姿を見ただけでお見通しだったようだ。
ユリナはわたしにハンカチを差し出すと、優しく、ポンと肩を叩いてくれた。
「なんだよ、元気ねーじゃん。腹でも減ってんのか?」
「そうなの! おなか空いてる! おやつがすごく恋しいよ!
……でも、元気がないのは、実は……」
「わかってるよ。部活したくてしょうがないんだろ。
……ちょっとそこの公園でジュースでも飲まねえ? おごるよ」
ユリナはすぐそばの小さな公園を指さすと、再度小さくわたしの肩を叩いて、そっと移動を促す。
つくづくユリナは、面倒見が良くて優しい。女子サッカー部の後輩たちにモテモテなのも、うなずける。
わたしはうなずいて従うと、空いていた公園のベンチに、ヨロヨロと座った。
そんなわたしに、ユリナはスポーツドリンクを手渡してくれる。
だから自然と素直になれて、悩みを打ち明けてしまった。
「で、なになに。部活を引退するのが淋しいって?」
「うん。今回『特別茶会』に参加できなくなって、今茶道部は、わたしを抜きにして活動してるでしょう?
ジゼルちゃんはそれを『今回を機に、成長したい。わたしに茶道部を任せっきりの状態はもうやめて、今後部を引っ張っていくのは自分たちって自覚を持って励んで行きたい』って言ってくれたんだけど。
それはとても素晴らしいことなんだけど。
実際、秋には部を引退して、来年には卒業しちゃうわけだから、今からそれくらいみんなが立派なの、喜ばしいことなんだけど。
わたしは今、それがすごく淋しいっていうか……」
「なるほどなあ」
一度言葉を紡ぎだすと、あとはもう止まらなかった。
わたしは丁寧に相槌を打ってくれるユリナの隣で、一気に今の気持ちを口にして言った。
「それからわたし、部活を休むことになってから、気づいちゃったの。
わたし、茶道部に入部してから、本当に部活以外のことやってこなかったんだなあ……というか、部活以外のことをまるで考えてこなかったんだなあ、って。
だから、未だに進路も決まらない。
それってつまり……『茶道部の活動を頑張ってる』ってことを言い訳に、他のことを考えないようにしてただけなんだなって」
「『他のこと』っていうのは、自分の成績とか、進路とか、部活引退後どうしていくか?
ってことだな?」
「……うん」
茶道部に入部してから今日まで、わたしは、わたしなりに毎日を充実させてきたつもりでいた。
だけど、今思うとそれは『卒業後、特に進みたい道がない』とか『そもそも、成績がジワリジワリと落ち始めている』といった、将来への漠然とした不安をごまかすために、部活に打ち込んでいたようにも思えるのだ。
わたしが見ていたのは、自分の将来ではなくて、目の前のワクワク感だけだ。
つまり、部活に夢中になって、その瞬間が楽しく過ごせれば、わたしは本当はそれでよかったのである。
だから、茶道部に関するトラブルに立ち向かうふりをして、わたしは別のトラブルから、ずっと目をそらし続けていた。
そう……わたしはずっと『部活を引退したらどうするの?』という問題を、ずっと無視していたのだ。
「リコの気持ちはわかるよ。
部活に没頭してると、それで許されるような気持ちになっちゃうっていうかさ。
部活以外のことがおろそかになったとき、自分に言い訳しちゃうんだよな。
『部活を頑張ってたから仕方ない』って。
『だから、ちょっとくらい成績が落ちても許してね』って。
あたしも似たような理由で、中学のとき成績落としたことあるもん」
「ユリナも……?」
「ああ。だからリコの成績を見て、ついキツいことを言っちゃったってわけ」
そう言いながら、ユリナは苦笑いして、手にしたコーラを一気に飲み干す。
まさか、ユリナも同じ経験をしていたなんて知らなかった。
ユリナは高校入学前からサッカーが大好きで、ずっとレギュラーとして女子サッカー部で活躍している。成績はすごくいい、ということはないけど、先生に怒られているところや、追試を受けているところは見たことがない。
だからわたしは、この前トウコ先生が言っていたような『部活に打ち込んでいる生徒は、たいてい成績もなかなか良い』の最たる例が、ユリナだと思っていたのだ。
驚くわたしの横で、ユリナは続ける。
「それから、部活を引退したくないって気持ちも、すごいわかるよ。
部活にしろ、人間関係とかにしろ……。
一番楽しいところで、一番いいところで『ストップ!』って時間が経つのを止めて。
ずっとそのままで暮らせたらいいのにって思うよな。
……でも、そうはいかないんだよな。
たとえ自分が何もしなかったとしても、時間って勝手に経つし。
その間にも、自分以外のみんなは、未来に向かって行動してるわけだし。
変化していくみんなを、コントロールすることは絶対にできない」
「そうなんだよねえ……」
ユリナの言葉にはズッシリと重みがあって、うなずきながら、わたしは再び涙が出てきてしまう。
ユリナの言う通り、わたしは変わりたくなかった。
茶道部は廃部の危機も乗り越えたし、シノちゃんの誤解も解けた。
だから、とても楽しい今の状況のまま、みんなで、いつまでも部活を続けていきたかった。
でも、それもまたユリナの言う通り、不可能なのだ。
だけど、一見変わることに否定的に思えたユリナは、意外な切り口で話を広げる。
それは、わたしもよく知っている出来事に関することだった。
「……でもさあ。
変わってよかったなって思うことも、たくさんあるよな。
たとえばあたし、高校二年になったとき、リコとアンズとあたしの三人で毎日仲良く過ごしてたから。
『今が最高』『卒業まで、ずっとこの三人で仲良くしたい』って思ってた。
でも、冬にコゼットが留学して来てさ。
最初は『すげえやつが来たな』って驚きもしたけど……。
今は、その変化があってよかったと思う。
三人だったころより、四人で昼ごはん食べるのが楽しいって思ってる。
コゼットって努力家だから一緒にいるだけで刺激されるし、フランスの面白い話もたくさん聞かせてくれるしな。
つまり、変化が訪れたばっかりのころって、どうしてもびっくりしちゃうから。
否定的になったり、怖くなったり、淋しくなることもあるけど……。
後で必要なことだったとか、良いことだったってわかることもあるんだよな。
要するに、変化の直後ですぐ『いい』『悪い』って判断するのはよくないってこと!
だからさ、リコ。
とりあえず今は勉強を頑張ってさ、終わってからジゼルたちと改めて相談してみろよ。
成績次第では、通常の引退の日程よりも、長く活動できるかもしれないんだからさ」
「ユリナ……!」
ユリナは『な? そうしろよ』と言ってニカッと笑う。
その笑顔を見ているだけでわたしはなんだか明るい気持ちになってきて、とても励まされるのだった。
「ユリナってすごいね。
わたしの悩み、もう全部解決しちゃった。
ユリナって超能力者なの? まるでわたしの考えてたこと、全部わかるみたい。
というか、わたしってそんなにわかりやすいのかな?」
「まあな。確かにリコは相当わかりやすいけど」
「やっぱりそうなんだ!?」
ガクリと肩を落とすわたしを見て、ユリナが、アッハッハと笑う。
それからゆっくりと立ち上がり、大きく伸びをした。
「でもな。みんながリコの考えてることを、伝える前に察してくれたり、理解してくれてるっていうのは……。
『リコの考えてることはわかりやすい』ってこと以上に、みんながリコに注目してて、大切に想ってることの証拠だと思うよ。
だからさ。ジゼルが言ってた通り、たまにはあいつらに任せてみなよ。
ジゼルやコゼットたちだって、来年はリコ抜きで活動していくんだ。
その練習をさせるのも、部長として必要なことだと思うよ」
「つまり今回のわたしは、何もしないのが仕事?」
「そう。部長っつーか、部の責任者とかエースにはそんなこともあるもんさ。
それに、多分、コゼットも……」
そこでユリナは『おっと』と言って、そのまま言葉を止めた。
「へ? ユリナ、コゼットちゃんから何か聞いてるの?」
「いや、なんでもねーよ?
よーし、ランニング付き合うぜ。
思いっきり走ったら、きっと気分もスッキリするぜ!」
「あっ、ユリナ、走るの早すぎだよ!」
何かあるのかな?
ユリナの態度を不思議に思いつつ、わたしは自転車に乗ってさっそく走り出そうとするユリナの後を追いかけた。
6
追試の日、そして『特別茶会』の日はあっさり訪れた。
「よし、それじゃあ、追試験を始めるぞ」
本日の試験監督は、最近心配させっぱなしの生活指導先生、ユモト先生である。
ユモト先生は、わたしが三年生の六月になっても進路がはっきりせず、さらに成績をガクンと落としてしまったことを、相当心配してくれているらしい。
なので、本日もなんだかわたし以上にアワアワしながら……答案用紙と回答用紙を渡してくれる。
だけど、実はもうわたしは大丈夫になりつつあった。
ユリナに悩みを聞いてもらった日から、わたしはなんとか吹っ切れたのである。
なので、今回みんなに心配しかされていないわたしだけれど、あの日から心を入れ替え、今日までにそれなりの勉強はさせてもらっている。
落第寸前の成績から、学年トップへ颯爽と躍り出る!
……とまではいかないけど、全力は尽くしてきたので、今度こそはいいところを見せたいと思っている。
「じゃあ、はじめ!」
そうして追試は始まり、一つ目の国語が終わり、二つ目の数学も終わり、三つ目の社会も終わって、お昼休みになった。
そして次の理科に関する復習という、最後のあがきをしながら、わたしはちょっと昔のことを思いだす。
思えば、わたしサカイ リコは、昔から『一歩進んで二歩下がる』『三歩進んで二歩戻る……あれ? これって進んでる? ちゃんと成長できてる?』そんな歩み方をする子どもだったなあ、と。
この前振り返った通り、茶道部の活動においてもずっとそう。
失敗したり、不安な思いもしながら、なんとかここまで歩いてきた。
その時々で何度も『もうだめなんじゃないか』と思ったことはある。
でも、全部何とかなってきた。だから、今回もユリナの言葉に従って、変化の直後ですぐ『いい』『悪い』って判断するのはせず、明るい未来があると信じてみよう。
そんな風にわたしは思えるようになっていた。
そうして理科のテストは終わり、最後の英語のテストが始まる。
わたしは順調に問題を解き、リスニング問題開始まで余裕を持って進め、答案を最後まで埋めていく。
それから、見直しを二回。
それでもまだ時間が余っているなんて、我ながら今回はよく頑張ったと思う。
だから、つい『もう茶会が終わった時間かな』と、何度も時計を見てしまう。
行かないと決めていたのに、やっぱりソワソワしてしまう。
そんなことを何回も繰り返して、ようやく終了のチャイムが鳴る。
そしてあからさまに何かを気にしている、わたしを見かねたのだろう。
ユモト先生は小さく息をつくと、わたしから回答用紙を受け取ったとたん、こう言った。
「少しくらいなら、行ってもいいと思うぞ。
どうせサカイのことだ。顔出さないと気が済まないんだろう」
「先生……!」
やっぱりわたしは、相当わかりやすいらしい。
ユモト先生は小さくため息をつくと、壁の時計を指さした。
「茶道部の『特別茶会』のことは聞いてるよ。ちょうど今頃、終わるくらいかもしれない。
すぐに地下鉄に乗って行けば、ベルナール姉妹のご両親がお帰りになるのに、ギリギリ間に合うかもな。
……サカイ。今日の試験態度、すごく良かったよ。
この前の模試とは違って、余裕があって、冷静に見えた。
サカイは本当、新入生代表になれるくらいの成績を出したことがあるんだから、やればすごく勉強できるのになあ。
自分の持ってるエネルギーを、そのとき一番大事なものに全部使い果たしちゃうんだよなあ。
それも、サカイらしいんだろうけど。
ベルナール姉妹が今世話になっているご親戚の住所は知ってるな?
もう追試は終わったから、ご挨拶をしておいで」
その言葉に、わたしは立ち上がり、ギュッとカバンを握りしめて、ユモト先生に深くお辞儀をする。
「はい!
ありがとうございます、ユモト先生。
……行ってきます!」
『特別茶会』には参加できなくとも、もしかしたら何かできることはあるかも知れない、と、信じて。
7
ジゼルちゃんとコゼットちゃんが今下宿しているご親戚のおうちは、星が丘高校から地下鉄で三駅離れた駅の、すぐそばにある。
住所自体は年賀状を送ったりする関係で前々から知っていたけれど、お宅訪問をするのは初めてだ。
それにしても、なんと立派な日本家屋だろう。家を囲う塀はどこまでも続いていて、どこが入り口なのかわからない。
この、静かで、落ち着いている、和風な雰囲気。
ジゼルちゃんが日本好きになったのはおそらくこのおうちの影響が大きいのだろう……と、わたしは感じつつ、予想以上に広大なお屋敷に面食らっていた。
本当に、一体、どこが玄関なんだ。
というか、どこにチャイムがあるんだ?
そもそもわたし、ジゼルちゃんに『今回は自分たちに任せてくれ』って言われちゃってたんだった……。
『挨拶だけでも……』と思ったけれど、もしかしたらそれすら迷惑だろうか?
と、まごついていると、そこでヒョッコリと小さな影が顔を出した。
「ああ、いらっしゃいましたわね。そろそろだと思っておりましたわ」
「コゼットちゃん!?」
「ええ。わたくしですわ。お待ちしておりましたわよ。さ、行きましょ」
コゼットちゃんは挨拶もそこそこにわたしを導くと、スイスイとお屋敷の中へ入っていく。
まるで、すべてが想定内のように。
「え? 待っててくれたの?
あっ、でもわたし、ジゼルちゃんに……」
「お姉さまはリコ様に『茶会に関しては、途中からの参加も難しいと考えてくれ』としかおっしゃっていないはずです。
茶会が終わっている今なら良いのではなくて?
だって、わが両親に、何かお伝えしたいことがあっていらしたのでしょう?」
「すごいね。コゼットちゃん、なんでわたしの考えていることがわかるの」
「『なんでわたしの考えていることがわかるの』じゃございませんわよ。
これ、部員全員予測していることですのよ。
ユモト先生にもご相談済みです」
あ、なるほど。
ユモト先生がわたし以上にソワソワしていて、時間を気にしていたのは、そういうことだったのか……。
同時にわたしは、ユリナの言葉を思い出す。
そういえばユリナも『それに、多分、コゼットも……』と、コゼットちゃんに関して何かを知っているような雰囲気だった!
あれはもしかして『コゼットもリコの考えを読んで、当日何か準備をしてくれてるっぽいよ』と言いかけたのではないだろうか?
じゃあ、みんな『任せる』とは言いつつ、わたしが追試の後にここへ来るのは、予想済みってこと? そうだよね。今、コゼットちゃん、そう言ったもんね。
わたしは自分のあまりのわかりやすさに恥ずかしくなりつつ、コゼットちゃんについていく。
「ところで、『特別茶会』は大成功でしたわ。
ご存じの通り、ここはわたくしたちの親戚の家なのですが。
ご覧の通り、この家って『日本!』という感じの作りになっておりますでしょう?
だからわたくしたちの両親も、元々日本への関心が強くて……。
一つ道具を見るたびに大騒ぎでしたの。
だから、茶会というより、もっと気楽なものになってしまいましたけどね。
というか、もとより、家族で日本を嫌っていたのって、わたくしだけでしたのよね。
『あんなにも日本嫌いだったコゼットが、こんなに上手く正座できているとは思わなかった!』と言われてしまいましたわ。
春休みに実家に戻ったときは、わたくし恥ずかしくて、正座する姿を見せませんでしたから……。
ちなみに、両親はすんなり正座できたのですけれど、これはリコ様とナナミ様が以前ジゼルお姉さまに渡した『長時間正座を続けるコツ』を読んだかららしいですわ。
今日に備えて、ナナミ様がお勧めした通りお風呂で少しずつ練習したり、少し重心を前にして座るよう心掛けたり、両足の親指を重ねるように座ってみたりされていたようですの。
特にリコ様が常々お勧めしている『両手は膝の上に、ハの字で置く』は両親も実践しておりました」
「そうだったんだ……。じゃあ、わたし、参加できなかったけど、少しはお役に立ててたのかな」
「当然ですわよ。
『長時間正座を続けるコツ』を始め、リコ様がこだわって何作も作った『紙の資料』のおかげで、わたくしたちはスムーズに準備を進めることができたのですから」
やがてコゼットちゃんはある地点で立ち止まり、カラカラカラ……と扉を開けて、みなさんのいる部屋へわたしを導いた。
「Merci de vous avoir patienté.」
そこで、コゼットちゃんの言葉は突如フランス語に変わった。
えっと、
「リコセンパイ、こんにちはデース。……やっぱり、いらっしゃいましたネー」
「ジゼルちゃん」
「あ、コゼットの言葉は、ワタシが翻訳しマース。
先ほどの言葉は『大変お待たせいたしました』デース。
で、今は。『お父さま、お母さま。茶道部部長のサカイ リコ様がいらっしゃいましたわ』と紹介していマース」
部屋に入ると、待ち構えたようにコゼットちゃんの姿があった。
部屋の奥には茶道部のみんながおり、わたしの存在に気づくなり、なんだかニヤニヤとした視線を送ってくる。
どうやら茶会を終えて、みんなで大部屋に移動し、おしゃべりをしていたところのようだ。
一歩遅れる形でジゼルちゃんが翻訳してくれ、わたしは話している内容を理解する。
「『なにぶんリコ様は三年生。受験生にございますので……。
本日も模試でお忙しいところを、特別にお時間を頂戴いたしましたの。
これから、部を代表してご挨拶をしてくださいますわ』
……と、コゼットは二人に伝えておりマース」
フランス語でご両親と話すコゼットちゃんの言葉を、ジゼルちゃんが翻訳してくれる。
コゼットちゃんは、飛び入り参加のわたしのことを、まるで最初からその予定であったかのように紹介してくれているらしい。
ん? 部を代表してご挨拶?
もちろんそのつもりできたのだけれど、ここまで自然な流れで展開していくと驚く。わたしは慌てて立ち上がって、初めてお会いするジゼルちゃんとコゼットちゃんのご両親へ頭を下げた。
「はい! ご紹介にあずかりました、サカイ リコです!
大変不勉強ながら、フランス語は『ボンジュール』くらいしか存じ上げませんが……。
本日はジゼルちゃんとコゼットちゃんの力を借りて、お二人にお伝えしたいことがあり、参りました」
ジゼルちゃんとコゼットちゃんのご両親は、やっぱり娘たちによく似ている。
ジゼルちゃんはお父さんに特に雰囲気が似ていて、コゼットちゃんはお母さんに特に雰囲気が似ている気がする。
そんな二人に見上げられる形で話し出したわたしは、なんだか突如始まったスピーチのような雰囲気で挨拶を続ける。
でも、実はそれに近いものなのかもしれない。
もうすぐその職務を離れるとしても、わたしは今茶道部の代表だ。部の責任者として、ジゼルちゃんとコゼットちゃんの良いところを、両親にお伝えする義務があるのだ。
「わたしはジゼルさんとコゼットさんのことを、非常に頼りにしています。
後輩というよりは同学年の仲間のように思い、二人に強い信頼を抱いています。
まず、ジゼルさんとわたしは、茶道を始めたのがほぼ同時期でした。
だから、茶道部での思い出は、すべてジゼルさんとの思い出でもあります。
ジゼルさんは非常に場の雰囲気に敏感で、率先してみんなが心地いい環境を作ろうとしてくれるとても優しい人です。
わたしが間違えた選択をしたときは、はっきり教えてくれますし、その分、代わりに働いてくださったこともありました。
そんな彼女に、わたしはずっと助けられ続けています。
コゼットさんとは、部活動をしている時間以外も一緒に過ごすことが多くて、部活の仲間というよりも、いつも一緒にいるお友達のような関係です。
コゼットさんは大変負けず嫌いで努力家なので『一緒にいると刺激される』と、わたしだけではなく、周りのみんなが思っています。
周囲を巻き込むほどパワフルで一生懸命なコゼットさんに、わたしは負けたくなくて、頑張っている部分が大きいです。
二人に出会えたから、わたしは部長としてだけではなく、一人の高校生として、未来への第一歩が踏み出せそうなんです」
「えっ? じゃあ、リコ様……」
わたしの言葉にコゼットちゃんが驚き、息をのむ。
わたしは今回茶道部から一度離れたことで、自分自身を見つめ直すことができた。
その結果『茶道部部長』としての自分だけではなく『サカイ リコ』個人としても、新たな目標を見つけることができたのだ。
今日までずっと、わたしは茶道部員として全力を尽くしてきた。
そんなわたしの足取りは、簡単に書くと、この四つに分類される。
1: 『正座』という苦手を克服して、茶道部という新しい世界に飛び込む。
2: 茶道部入部後は、なんと廃部寸前になっていた部を存続させるため、ユキさんをはじめとする先輩方と、新入部員獲得に励む。
3: なんとか存続決定し、三月に先輩方が卒業された後は、部でたったひとりの最上級生として、今年度の茶道部の活動方針を『一人一人が正座先生と呼べるほどの存在になることを目指す』と決める。
4: その過程で、ある女の子との間に生じていた誤解を解き、彼女を新茶道部員として迎える。
そしてわたしはその次のステップである『5』に該当するものを決めた。
それは……。
「わたしは、ジゼルさんとコゼットさんをはじめとする茶道部の皆さんと活動する中で、ついに進路を決めることができました。
自分のためにも、そして、ジゼルさんとコゼットさんのような、茶道に関心を持ってくださった海外の方のためにも。
茶道と、正座を、これからも伝えていきたいと思います。
なのでわたしは、茶道サークルがある星が丘大学に進学して、この道を続けていきます。
わたしの選択が……ジゼルさんとコゼットさんの将来の参考になればと思っています。
今日は到着が遅れてしまいましたが……。
そのためにも残りの期間、ジゼルさんとコゼットさんと頑張っていきたいと思います。
なので……わたしが部を引退するまで、引き続きおふたりと一緒に活動させてください。
本日はお越しくださり誠にありがとうございました。
これからも……よろしくお願いいたします!」
ジゼルちゃんとコゼットちゃんのご両親が笑って拍手をしてくれ、一番奥にいたトウコ先生が、ニヤリと微笑む。
こうしてわたしは、引退までのあと少しの期間、卒業後も茶道を続けるという選択のために、部活も、勉強も、より頑張っていくことになったのだった。