[65]正座先生と受験勉強
タイトル:正座先生と受験勉強
分類:電子書籍
発売日:2019/09/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:112
定価:200円+税
著者:眞宮 悠里
イラスト:鬼倉 みのり
内容
茶道部部長のサカイ リコは、茶道と正座の普及のため活動する、高校3年生。
そんなリコの夏休みも終わり、高校生活最後の2学期がやってきた。
2学期になったからには、これからは茶道部の活動にはあまり参加できない。
つまり、一人黙々と勉強する生活が続くのかも……。
と考えるリコだったが『大学でも茶道と正座を続けたい』と願うリコを応援する仲間は多かった!
さらにユモト先生の協力もあって多目的室の使用が許可され、正座を教えながら勉強できるという、リコにとって最高の環境が整うことに。
そんなみんなの優しさに感謝したリコは、2週間後に迫る9月の模試で、なんとしてでも良い成績を取ろうと誓うが……。
『正座先生』シリーズ第18弾は、本格的な受験勉強開始!
今回も正座と勉強を絡めながら、日々努力する大切さをたっぷり伝えていきます!
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本文
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1
高校三年生の夏。
わたし『サカイ リコ』がこれから受験勉強をしていくにあたり、まず考えたことは『おそらくこれからの生活は、とても地味なものになるだろう』ということだった。
今日は九月一日。二学期の始まる日である。
だけど入学試験があるのは、来年の二月。三学期の後半で、あと五か月ほどある。
つまり、わたしはこの期間中、ほぼ勉強一色の日々を過ごすことになる。これが、これからの生活がおそらく地味になるだろう、という根拠だ。
それでも、わたしが志望校に対して、余裕で合格圏内にいるほど優秀なら、あまり問題はない。
少なくとも『勉強以外のことは忘れないといけないくらい、頑張らないとダメ』ということにはならない。たまに出かけたり、趣味を楽しんだりするくらいは大丈夫だろう。
だけど、残念ながらそうではない。
わたしは志望校の星が丘大学に対して、合格圏内、ギリギリもギリギリ……いや、少し圏外にはみ出しているくらいの成績である。
なので、相当頑張らなくては、合格は厳しい。
結果、わたしはこれから約五か月間、勉強以外のことは、できるだけ避けた方が賢明である。という状態にあるのであった。
わたしの通っている星が丘高校はそこそこの進学校で、わたしの在籍する三年一組は、文系大学の受験を予定する生徒で構成されている。
その中にはもちろん、予定を変更して専門学校に行ったり、それ以外の道を歩んだりする生徒もいるだろう。
だけどおおむねみんな、大学受験をする予定で集まっている。
なので教室には、夏頃から少しずつ、ピリピリとした雰囲気が満ち始めていた。
そしてわたしはそんな教室の空気を『ちょっと怖いなあ……』と思いつつも、自分もピリピリせざるを得ない側なのであった。
受験勉強とは厳しく険しく、どれだけやっても『絶対に大丈夫』という地点には、決してたどり着かないものだ。
なのでわたしたちは、受験が終わるその日まで、ベストを尽くす。
まず、参考書を読んで、その内容を理解する。
次に、正しく理解できているか確認するため、問題を解く。
その際、解けなかった問題は、正答できるまでリトライする。
そしてそれを達成した後は、受験対策として、より高度な応用問題にチャレンジする。
以後、この工程を繰り返し、少しずつ実力を確かなものにしていく。
……といった、コツコツと、丁寧で、ストイックな反復作業を、毎日行うというわけだ。
これをあと五か月続けるのだから、これからのわたしには、非常にたくさんのものが必要になってくる。
たとえば、どうすれば確実に目標を達成できるか考え、それを具体的な作業スケジュールとして組み立てる準備力。
それから、設計したスケジュールを、途中で飽きたり、嫌になったりせず、淡々とこなせる忍耐力。
また、体調を崩してしまうことのないよう、設計したスケジュールの通りに行動するためのスタミナを維持する、体力。
それでもスケジュールに遅れや乱れが発生したときに、どう立て直すかを考えられる、応用力。
さらには、一人孤独に勉強するという状況や、受験勉強中まるで遊びに行けないストレスを乗り越える、精神力も重要になってくる。
ということで二学期が始まる朝、わたしはまず、近所の神社・星が丘神社へやってきた。
もちろんわたしは『星が丘神社に行けば、今あげたすべての力が手に入る』と思っているわけではない。
さらに言えば『星ヶ丘神社の神様にお祈りすれば、志望校合格が確実なものになる』と思っているわけでもない。
もちろん、仮にお参りをすれば、この二つの願いが叶うというのであれば、いくらでもお参りしたい。だけど、そうじゃないことをわかっているからこそ、わたしはここへ来たのである。
そうだ。わたしは、自分自身のこの並々ならぬ気合を、神様にお伝えしに来たのだ!
……ということで、わたしは今一人、砂利道をサクサクと足音を立てて歩き、境内に向かっている。
時刻は、まだ六時台だ。
星が丘神社は、星が丘公園の奥まったところにあり、星が丘高校からは、ちょっと距離がある。
なのでわたしは遅刻をしないために、こんな早い時間から参拝しているのだ。
当然、辺りには誰もいない。
公園の木々が優しく風に吹かれ、サラサラと涼やかな音を立てているだけだ。
そんな中、一人深呼吸をすると、心が洗われていく気がする。
星が丘神社は森林公園の中にあるから、これも広義の森林浴、ということになるのだろうか。
うーん、気持ちいい。
こんな爽やかな空気の中、お茶を点てて、正座なんかしたら、きっと最高の気分になるだろうなあ……。
と、思っていると……。
「おや。早起きさんじゃのう」
「トウコ先生!」
そこでわたしは、一人の女の子に声をかけられた。
わたしがいつも大変お世話になっている『ヤスミネ トウコ』先生である。
「トウコ先生、おはようございます! お掃除ですか?」
「そうじゃそうじゃ。感心じゃろ?」
トウコ先生は巫女さんの格好をして、右手にほうきを持ち、左手でこちらにブンブン手を振りながら近づいてくる。
その姿は、何も知らない人からすれば、神主の家族か、あるいは神社でアルバイトをしている、高校生くらいの女の子にしか見えないだろう。
だけどトウコ先生は、星が丘神社の巫女さんというわけではない。
どちらかというと、巫女さんが仕える側の存在である。
さらに言えば、トウコ先生は高校生ですらない。
そう……何を隠そうこのお方、一見わたしと同世代の、普通の女の子にしか見えないけれど……実はこの星が丘神社の主であり、星ヶ丘神社に祀られている、神様なのだ!
ということで、この衝撃の事実を踏まえた上で、もう一度トウコ先生のお姿をご覧になっていただきたい。
『そう言われてみれば、口調がちょっと古めかしいし、ずいぶん堂々とした雰囲気がある。確かになんだか、普通の人間っぽくないかも!』と思っていただけると思う。
「こんな早くからお参りとは、気合十分じゃのう。
さすが、目標が定まったやつは違うな」
「えへへ。二学期のわたしは、一味違うんですよ!」
「そうじゃな。星が丘大学に進学して、卒業後もわらわの世話になる気なんじゃもんな?」
「そうです! 今後もトウコ先生に見守っていただけるように、なんとかして大学でも、茶道と正座を続けなくちゃなりませんからね!」
トウコ先生は、星が丘神社の神様でありながら、こうして人間の姿に変身して、星が丘市民としても暮らしている、非常に気さくな神様だ。
さらにトウコ先生は、現在わたしが所属する星が丘高校茶道部の、特別講師まで務めてくださっている。
なので今出てきた『卒業後もわらわの世話になる』という言葉と『今後もトウコ先生に見守っていただく』という言葉の意味は、つまり『現在高校三年生のわたしが、大学生に進学した後も、講師と生徒の関係として、わたしの茶道&正座ライフを見守っていただきたい』という意味になるのだった。
なのでわたしはトウコ先生のことを、『トウコ様』と、神様として呼ぶのではなく『トウコ先生』と、講師の先生として呼んでいる。
トウコ先生とわたしは、四か月ほど前、この星ヶ丘神社で出会った。
当時わたしは、茶道部をよりよい団体にするべく、コーチをしてくれる先生を探していた。
しかし星が丘高校には茶道を教えられる方はおらず、顧問の先生も他の部と掛け持ちで、あまり茶道部に顔を出せない。つまり、先生が欲しければ、学外に求めるしかない……という状況にあった。
そこでわたしは、友達から聞いた『星ヶ丘神社には、どんな学校のどんな部活も一流の団体に育て上げてくれる、部活動の神様がいるらしい』とのうわさを信じ、早速突撃したことで、トウコ先生と出会ったのである。
もっとも、出会ったその日は、わたしはトウコ先生が神様であることを、もちろん知らなかった。
なので、わたしはトウコ先生を、人間の若い女性だと思い込み、普通に話しかけてしまった。そして、これがきっかけで、わたしたちは今日にいたるのであった。
人と人との縁とは、つくづく不思議なものである。
いや、この場合、人と神様の縁というのが正解かな。
「ほーれ、マフユ! おぬしも少しは見習え。いつまでボーッとしておるのじゃ。
リコに挨拶せぇ」
「ふわぁーい……」
そんなことを考えていると、トウコ先生に呼ばれる形で『ヤスミネ マフユ』さんが顔を出す。
「マフユさん! おはようございます!」
「リコ殿、おはようございますぅー……。
ふわぁ……こんなに朝早くから行動開始しているだなんて、リコ殿は立派でござるなあ……」
今朝のマフユさんは、トウコ先生と同じ、巫女さんの格好をしている。
だけどふたりは、対等な関係……たとえば、神様同士というわけではない。
マフユさんは、トウコ先生に仕える、星ヶ丘神社の精霊なのである。
マフユさんとわたしは、わたしがトウコ先生に出会った日、トウコ先生にご紹介いただく形で知り合った。
わたしがお二人と初めて出会った日、わたしはトウコ先生に、その正体を知らぬまま『部活動の神様に師事したいので、ご紹介いただきたい』と頼んだ。
しかし、アポなしで突然現れたわたしは、トウコ先生から見れば『やる気はあるようだけど、どの程度本気なのかはわからない、今日初めて会った高校生』である。
なのでトウコ先生は『部活動の神様』として、わたしが自分が指導するにふさわしい人間か『試験』をすることにした。
これによって、わたしは星が丘神社に招かれ、一泊二日の『試験』を受けることになった。そしてその間、わたしの案内役を務めてくれたのが、こちらのマフユさんというわけだ。
先ほど出た『星ヶ丘神社には、どんな学校のどんな部活も一流の団体に育て上げてくれる、部活動の神様がいるらしい』という噂は、噂ではなく、事実であった。
どのように事実であったかというと、まず『部活動の神様』というのは、当然ながらトウコ先生のことである。
次に、星が丘神社は、学生の部活動の繁栄をつかさどる神社だ。
これに関しては、わたしは例の友達に教えてもらうまで、まったく知らなかった。
だけど、星が丘市に住む、部活を頑張っている学生たちにとっては、星が丘神社は一種の聖地のようなものらしい。
なのでみんな、試合やコンクールの前には、かなりの割合で星が丘神社に来てお参りをする。
つまりこのくらい、星が丘神社のパワーは信じられ、愛され、大切にされているのである。
では、トウコ先生がどうやって参拝に来た学生たちの部活動を繁栄させているかというと、その方法は主に二種類ある。
まず一つめの方法は、参拝に来たり、お守りを購入したりした学生たちに、少しだけ力を貸すという、オーソドックスな方法だ。
おそらくこれは、星が丘神社のみならず、他の神社の神様もみな行っていることだと思う。
トウコ先生は、神社に直接足を運んでくれたり、大切にお守りを持ってくれている学生たちへ、彼らの持つ本来の力をうまく発揮できるように、ちょっとだけコンディションを整えてあげることができるのだ。
だけどトウコ先生の本領は、二つめの方法にある。
トウコ先生は、人間に変身して星が丘神社の外へ出ていくことで、自らが任意の部活動の指導者となり、直接繁栄のお手伝いをする活動をしているのである。
だけど、いくらトウコ先生が神様といえど、その身体は一つしかない。
トウコ先生を必要としている部活動は無限にある。
けれど、トウコ先生が力を貸せる部活動は、一年に一団体が限度なのだ。
そこでトウコ先生は、ある時から『試験』を実施することにした。
その対象はもちろん『星ヶ丘神社には、どんな学校のどんな部活も一流の団体に育て上げてくれる、部活動の神様がいるらしい』という噂を聞きつけてやってくる、わたしのようなやる気のありそうな学生だ。
トウコ先生は各学生の『試験』に対する取り組みを見ることで、その学生が、一年間指導する相手としてふさわしいか、チェックをするというわけだ。
そして、誰かがこの『試験』に見事合格し、その年の指導先が決まった後、トウコ先生はいよいよ人間に変身し、星が丘神社の外へ出る。
マフユさんを連れて、その部活がある学校へ通うようになるというわけだ。
ちなみにこの指導期間中、トウコ先生は『特別講師』として学校に招かれる形で、マフユさんはその学校の生徒として入学し、その部の部員となる形で一年間サポートをする。
ここでみなさんはきっと『えっ? 正式に人間として学校に所属するってことは、神様とその従者って、人間としての身分証明書があるの?』とお思いになると思う。
実を言うと、これについてはわたしもよくわからない。
わからないので、おそらく神様としての不思議なパワーで、そのあたりを誤魔化しているのだろう……と、推測している。
ちなみに、星が丘神社はマフユさんをはじめとする精霊の皆さんが管理しているので、神主さんもいない。
結果、参拝する人たちは、誰も神主の姿を見たことがない。
なのに、神社はいつもきれいに整備されているという、根っからの不思議スポットなのであった。
説明が少し長くなってしまった。
ということで、マフユさんは、今は星が丘高校茶道部の一年生部員として活動している。なので星が丘高校においては、マフユさんはわたしの後輩ということになる。
とはいっても、相手は神様に仕える精霊である。校内では目下の存在になるからと言って、ため口をきこうとは、わたしはとても思えない。
結果、わたしは、マフユさんのことを『さん』付けで呼び、敬語で接しているのであった。
……しかしマフユさん、昨夜は寝坊でもしたのだろうか。
小柄な身体を『自分でもうまくコントロールしきれない』といった様子で、フラフラ、ヨロヨロと近づいてくる。
「ふわぁ……。リコ殿は本日、何かお願いがあって来たのでござるか?
それとも、おみくじをご所望でござるか?
であれば、すぐに用意するでござるが……」
「ああ! そういうわけではないんです。今日は単純に、参拝だけをしに来ました。
ほら、星が丘神社って、神聖な場所ですから、空気がとってもおいしいじゃありませんか。
だからわたしは二学期の始まる朝に、この場所の特別な雰囲気を味わって、お参りをして、気分を高めたいなって思ってきたんです。
あとそれから……」
「それから?」
わたしが今日ここに来たのには、今あげた以外にも、まだ理由があった。
それは……。
「実はわたし、一日の満足度を上げていきたいなって思っておりまして。
夜寝る前、あるいは今日を日記に書いて振り返るとき、少しでも『充実していたな』と思えるように、できるだけ行動的になろうと思っているんです」
「ほぉ?」
「と、いいますと……?」
わたしの気持ちは、今言った言葉の通りだ。
だけど、ちょっと説明不足だったかもしれない。
トウコ先生もマフユさんも、キョトンとしている。
「えーっと、ほら。わたしって今受験生ですから、生活の中心は勉強ですよね。
だけど勉強だけをしていると、どうしても気分がしおれてくることがあるじゃありませんか。
そこで、たとえば、いつもより三十分早起きして作った朝の時間とか、お風呂に入ってから寝るまでの、わずかな間とか……そういった『スキマ時間』を利用して、勉強以外の色んなことをやってみようと思っているんです」
「あぁ、なるほど。今朝はそれが、星が丘神社への参拝というわけじゃな」
「はい! そうなんです。
わたし、朝の神社に参拝に来たのは今日が初めてなんですが、こんなに空気が澄んでいて、気持ちのいいものなんですね。
初めて知ることができて、ラッキーだな、来てよかったなって、今思っています。
こうやって、毎日少しずつ何か、普段はしていないことにトライすると、一日の充実度がアップしますよね。
これを続けることで、わたしは勉強のストレスを解消したり、毎日の暮らしにハリを持てたりするようにしたいなって思ってるんです」
「理解したでござる。
確かにそれ、とっても素敵でござるなぁ……。
……あ。拙者も昨日、リコ殿と似たことをしてみたでござるよぉ!
最近拙者、クラスの方に教えてもらったゲームに夢中なのでござるが、昨日はなんと……!
いつもより、二時間ほど長く遊んでみたでござる……!
……まぁ、そもそも始められた時間も遅かったのでござるがぁ……」
「……おいおい、マフユ。おぬしが昨日行ったそれは、リコの言っている『一日の充実度をアップさせるための活動』とはちょっと違うじゃろう。
ゲームが面白いということに異論はないが……いつもより長時間遊んだのは、単に夢中になりすぎたというだけのことじゃろう。
しかもそれで、夜寝るのが遅くなっておるし」
「むう……この件では拙者もトウコ様に言いたいことがあるのでござるがぁ……」
「あはは……マフユさん、遊びすぎには注意ですよ!
……それで、話は戻りますが、わたしは最近、そうやってトライした新しいことはもちろん、日々、日常的に行っている些細な活動についても、できるだけ記録することにしてみたんです」
「記録? 日記を書くということか?」
「日記というよりは『その日にやったことリスト』のような感じです。
たとえば、日記の形式で今日を表現すると『今日は星が丘神社に行った。空気がきれいでおいしかった。途中でトウコ先生とマフユさんにお会いしてお話した。楽しかった』といった風に、自分が感じたこと、誰かと話した内容などがメインになりますよね。
わたしがしている記録はもっと簡単なんです。
たとえば『早起きした』『星が丘神社に行った』という、事実をどんどん記録していく感じです。
でもその代わりに、できるだけ細かく、時系列順に、多くのことを残すようにしています。
たとえば『早起きした』と『星が丘神社に行った』の間に行ったことも残して『洗濯をした』『掃除機をかけた』『星が丘神社に行った』といった感じにしています。
よかったらこちらをご覧になってほしいんですが……」
「ほうほう?」
これは、直接見てもらう方が早いだろう。
わたしはそこでスマホを取り出し、メモ帳アプリを開く。
このアプリ内に、わたしは『その日にやったことリスト』を記しているのだった。
「ああ、本当じゃ。今日朝起きてから、リコがしたことが、みぃんな記録されておる。
……ほぉ、おぬし、朝家を出る前に掃除機をかけているのか。感心じゃなあ」
「ありがとうございます!
こうやって毎日の活動を細かく記録しておくことで、自分が一日にどんなことをしているのか確認できますし、それを時々見直して、たとえば『一日のあいだで、ゲームしている時間が長すぎるから、遊んでいるソーシャルゲームを一つやめよう』ですとか『夕ご飯の後は、お腹がいっぱいで、だらけてしまいがちだ。お風呂に入るまで特に何もしていないなら、いっそ早く寝て、勉強は朝するようにしよう』ですとかって改善していくことで、いずれ大きな目標を達成したいと思っているんです。
ほら。昔、トウコ先生が教えてくださったじゃありませんか。文芸部の子のこと」
「ああ!」
すぐに思い当たったようで、トウコ先生は、ポン、と手を叩く。
わたしは以前、トウコ先生からこんな話を聞いたことがある。
トウコ先生は星が丘高校茶道部の特別講師になる前、別の学校の文芸部の特別講師をしていたことがあった。
トウコ先生がそこで出会ったのは、主に短編小説を書いている女子部員だ。
彼女はある日まで、文字数に換算すると、約三千文字くらいの短編を執筆していた。
しかし、文芸部が学校祭で文芸誌を発行することになったとき、彼女は一念発起した。
これまでの十倍……つまり、文字数に換算すると、約三万文字ほどの中編に、チャレンジしてみよう! と、考えたのである。
しかし、いざ執筆を始めると、彼女は、とある難題にぶつかった。
そう……書いても書いても、なかなか作品が完成しないのである!
当たり前と言えば当たり前である。執筆中の作品は、普段の十倍のボリュームだ。
これまで通り毎日コツコツと執筆を続け、これまで通りであればもうとっくに完成している文字数に差し掛かっても、今回の作品においては、まだ全体の十パーセントの文字数でしかないのである。
彼女だってもちろん、こうなってしまうことは、頭では理解できていた。
だけど彼女はだんだん、執筆が辛くなってきてしまう。
終わりの見えない作業にモチベーションが下がり、やがて、どうしたらいいかわからなくなってしまったのである。
そこでトウコ先生は、彼女に次のような執筆方法を提案した。
それは、大きな一つの目標を、小さないくつもの目標に分解することで、一つ一つを達成しやすくする。というものであった。
たとえば、目標をいきなり
◆十日後までに、文字数・三万文字の小説を完成させる
という大きな目標に定めてみたとする。
そして、これを達成するために一日執筆活動をして、たとえば、三千文字地点までたどり着いたとしよう。
それでは『まだ全体の十パーセントしか完成してない。自分はなんてダメなやつなんだろう。このままでは締め切りに間に合わないかもしれない……』と落ち込んでしまう可能性が出てくる。
だけど、この目標を細かく割って、次のように書き換えてみるとどうだろう。
◆一日で、文字数・三千文字分執筆作業を進める。これを十日間続けることで、文字数・三万文字の小説を完成させる
これなら、結果は先ほどと同じでも『今日は一日作業して、予定通り三千文字地点まで進められた。まだ進捗度合いとしては十パーセント程度だが、毎日これを続けていけば、締め切りには問題なく間に合うだろう』と、前向きに考えることができるようになるのだ。
そしてこの分解した目標は、状況によって、さらに柔軟に修正していく必要がある。
執筆期間にあてている十日間、すべて同じペースで作業できるとは限らないからだ。
その途中で体調を崩してしまったり、本来のスケジュールにはなかった、急な予定が入ったりすることもある。
そのせいで予定していた通りの作業ができず、自分で自分にガッカリしてしまうこともあるだろう。
そんなとき『今日は予定通りの作業ができなかった。遅れが出るのは仕方ない』と諦め『最終目標文字数は、三万文字から二万文字に変更しよう』と下方修正するのも、時には解決策の一つだと思う。
だけどそこで、締め切りまでの残り日数と、その日までに執筆した、現在執筆済みの文字数がわかっていれば、目標を次のように修正していくことができる。
目標を下方修正しなくても良くなるのだ。
締め切りまでの残り日数:五日
現在執筆済みの文字数:一万文字
ここから、残りの文字数を算出すると、
残りの文字数:二万字
となる。そこで、これを日数の五で割ると……。
一日に執筆するべき文字数:四千文字
となり、
◆一日で、文字数・四千文字分執筆作業を進める。これを五日間続けることで、文字数・二万文字分執筆する。そして現在できている一万文字と組み合わせて、文字数・三万文字の小説を完成させる
と、作業目標を修正できるのだ。
こんな風に目標を修正するためには、普段の記録が欠かせない。
たとえば、速筆で、一日に一万文字以上余裕で書いた実績があるなら、思い切って期間を短くし『三日で三万文字の小説を書く』に変更してもいい。
逆に、頑張っても一日千文字書くことが限界の人に『十日で三万文字の小説を書く』という目標は達成しがたいだろう。執筆期間を延ばし『三十日で三万文字の小説を書く』あるいは余裕をもって『三十日から三十五日の期間で三万文字の小説を書く』とするのが適切だ。
自分の生活に関する日々の記録を細かく取っていくと、自分への知識と情報が増えていく。
これが、目標を達成していく上で、思った以上の武器になる。
最初は少し記録作業に時間がかかってしまっても、あとでそれが、自分を支える膨大なデータに変身するのだ。
さらに記録をつけることで、気持ちも引き締まる。
昨日の記録を確認して『今日は、昨日よりも良い一日を過ごそう!』と思うと、それまではどうしてもやる気の出なかったことにも、前向きに取り組める。
たとえば、お母さんに任せがちだった掃除機がけを、自分でやってみることで、昨日よりも成長した自分に会える。
これによって一日の充実度は上がり、昨日よりも自分を好きになることができるのだ。
……あと、先ほどの『トウコ先生にほめてもらう』という、思わぬハッピーが起きることもある。
なのでわたしは、少なくともこれから受験までのあと五か月間は『毎日ベストを尽くす』ことを信条に、多少のトラブルが発生しても、柔軟な対応を心掛けることにしている。
失敗や遅れをできるだけ明日に響かせず、先ほどの、後から目標を修正するやり方で、最初に設定した目標を目指そうと思っているのだ。
「なあリコ、これ、画面をスクロールして良いか。
今日ここに来るまでにおぬしがやったことを、すべて見せておくれよ」
「あ……! 拙者も拝見したいでござるー。リコ殿。良いでござるか?」
「どうぞ!」
そうだ。画面をスクロールしていなかったから、お二人は今日のわたしの一部しかまだ見ていない。
ご要望にお応えしてスクロールを始めると、トウコ先生とマフユさんが、ヒョイ、とわたしのスマホの画面をのぞき込み、ジッ……と見つめ始める。
「ほうほう……。ゴミ出しもやっておるのか……」
「なるほどなるほど……お皿洗いまで……」
と、最初は一つ一つ確認しながら、わたしの作業内容を見ていくお二人だったが……。
「お、思ったよりたくさんあるのぉ……」
「リコ殿。これって、本当に、今日が始まってから今までの作業でござる、よな?」
「はい! その通りです!」
と、次第にお二人の目、合計四つの目が驚きで見開かれていく。
そして……。
「か、かなりあるんじゃな!?」
「せ、拙者、目が回ってきたでござる……」
最後には、グルグルと目を回してしまわれたのであった。
そうなのである。
日常的にこなしている小さな仕事って、本当に、思った以上に『かなりある』のだ。
「『朝、起きて家じゅうの燃えるゴミを集める』『朝、リビングに掃除機をかける』『朝、食事の後にお皿を洗う』……すごいのぉ!
家事だけで、ここまであるものか」
「そうなんですよ! びっくりしちゃいますよね」
「主婦が家事として行っている業務は、かなりの重労働である。時給に換算すると、会社員とほぼ変わらないのではないか……という話を聞いたことがあるが……あれって誇張でも何でもなくて、真実だったんじゃなあ」
「はい。わたしも同じことを思っています。
だから、最近はお母さんがとても偉大な存在に思えて……。
お母さんの負担を減らそうと、家事を分担する割合が増えました」
「日々の出来事をこまめに記録することで、思った以上に気づくことがあった。ということじゃな」
「そうなんです! それから、この作業をいくつ『いつも必ずする作業』にできるかについても、今は頑張っているんです」
「『いつも必ずする作業』とは?」
「たとえば、わたしはこれまで洗濯を『すべてお母さんにお任せしている』状態、つまり『まったく作業をしていない』状態でした。
そこから『手が空いているときにお手伝いをする』という状態に変わると、それは『たまに作業をする』状態になったといえますよね。
わたしはさらにそこから進化して『決まった日や時間に、必ず作業する』つまり『いつも作業している』状態に変えたいと思っているんです。
これを『いつも必ずする作業』と呼んでいます。
これが多いと……」
「あ! わかったでござる!
ゲームっぽく言うと、一日に獲得できる『充実度』のポイント量がアップするんでござるな!
そりゃあ、家事をまったくしない毎日よりも、家事をきちんとこなしている毎日の方が、充実しているし、自立しているでござるものな!」
「その通りです! わたしは、一日の満足度を上げるというのは、こういうささいなところから始めるものだと思っているんです!」
『いつも必ずする作業』これが、一日の中で一つでも多くあると『わたしは毎日、こんなに頑張っているんだ』という自信につながる。
だからわたしは、思うようにいかないことが多い日こそ『いつも必ずする作業』を大切にするようにしている。
たとえばある日、あんまり体調がよくないまま目覚めたとする。
そんなときでも、毎朝の『いつも必ずする作業』を順にこなしていくことで、調子が取り戻せることもあるのだ。
朝起きたら、家じゅうのゴミを集めて、学校に行く時に収集所へ持っていくこと。
家に帰ったら、洗濯物を取り込んでクローゼットにしまうこと。
こういった些細な仕事は、ウォーミングアップ効果がある。
ボーッとした状態で目覚めても、手を動かすうちにだんだん頭がはっきりしてくるのである。
そうして『いつも必ずする作業』が終わる頃には『今日もきちんと頑張れた』という安堵感が生まれ、また、これが、思った以上に自信につながるのだ。
ということで『いつも必ずする作業』は、まず、とても自分のためになる。
だけど、あんまり目立つ行動ではない分、人から評価してもらえることは、残念ながらあまりない。
家事を頑張っているお母さんが、家事に協力的でない家族にムッとしてしまうことはよくある。
それは、お母さんの日々の努力を、家族があまりよく理解していないことが原因だと思う。
だけどそこで家族に改善を求めても、望み通りの結果が得られないことはある。
たとえばお母さんの大変さを、家族が理解してくれたとする。
結果、家事は分担となり、お母さんの作業量が減るかもしれない。
だけどお母さんの本当の望みは、無理な作業分担よりも、一言『ありがとう』とお礼を言われることや『毎日すごいね』とほめてもらうことだったかもしれない。
でも、お礼を言われることとほめられることは、決して強要できない。
なので『ほめてもらう』という行為は、もう自分自身でやってしまった方が早い。と、わたしは考えている。
そしてそこでまた、記録が生きてくると思っている。
毎日自分がやったことの記録をきちんとつけることで『今日はこれだけ頑張った』という証は残る。
それを定期的に見直すだけで、さっきのトウコ先生とマフユさんのように『自分はこんなに色々やってきたんだ!』と思えるし、同時になんだか誇らしい気持ちになれるものだ。
もちろん、その頑張りに応じて自分に何かプレゼントをするのもいいと思う。
たとえば、一か月間毎日『いつも必ずする作業』をできたなら、ケーキを食べに行くとか、日帰り温泉に行くとか、そんなご褒美があるとモチベーションも上がるだろう。
だけど『自分へのご褒美』という言葉が、自分を甘やかしすぎているようで不安になるなら、いっそ、ご褒美はなくてもいいとわたしは思う。
毎日自分で自分の頑張りをしっかり記録して、時々見返して、理解してあげる。
それは自分をとても大切にしていることだと思うし、自分で自分を正しく評価できれば、それだけで十分気持ちは満足するものだと思うのである。
「ところでトウコ様。
リコ殿のように朝集中して……というわけにはいきませぬが、これと同じくらいの家事を、拙者も毎日しているって、ご存じでござったか?」
と。
ここに『毎日の家事が大変なお母さん』タイプの方がいらっしゃったようだ。
マフユさんが、ジーッとジト目でトウコ先生を見つめている。
「おっほん。すまぬ。
家事をしてくれているのはわかっていたが、まさか毎日の作業だけで、こんなすさまじい量だとは、わかっておらんかったのぉ……」
「つまり拙者は、毎日リコ殿がしているのとほぼ同様の労働をしているのでござる……。
だからゲームを始める時間が遅くなってしまうこともあるのでござる……。
お仕事を頑張った上で遊んでいて、今日はたまたま寝坊しただけなのでござる……」
「あ『だから大目に見ろ』と言いたいわけじゃな?
……じゃが確かに、マフユの言う通りじゃな。
さっきも『そもそも遊び始めた時間が遅かった』と言っておったのは、こういうことだったんじゃろ?
わらわが悪かったよ。
おぬしの労働量が多すぎて、夜更かししないと遊ぶ時間も確保できないほどだとは知らんかった。
明日の定例会議にでも他の精霊たちとも話し合って、作業分担を考え直そうではないか」
「やったー! トウコ様、さすが話が分かるでござる!」
「……おぬし、今一気に目が覚めたじゃろ?」
「それは気のせいでござるー! リコ殿! リコ殿のおかげでござるよ!
リコ殿が、一日の家事作業量を記録してみせてくれたおかげで、トウコ様が家事の大変さをわかってくれたでござるー!」
「いえいえ! 自分が趣味でやっていたものをお見せしただけですから!
でも、お役に立てたなら嬉しいです!」
記録の話は意外な方向へ転び、少しお役に立てたようだ。
特に何かしたということはなく、というか、自分の話をしていただけなのでなんだか恐縮だけれど、やっぱりうれしい。
「うむ。わらわもリコの『その日にやったことリスト』を見せてもらえたことで反省した。
リコはそれを趣味と言ったが、良い趣味だと思うぞ。
自分の活動を記録して残そうという思いが、毎日を丁寧に過ごすことにつながるんじゃな。
うん。今のおぬしなら、受験もきっとうまく行くような気がするぞい」
「トウコ先生……ありがとうございます!」
「……で、大変面白い話を聞けてありがたかったのじゃが。
話してほしいと頼んだのはわらわなので申し訳ないのじゃが。
そろそろリコは参拝に、わらわとマフユは朝食の支度を始めないとまずいかもしれん。
もう七時を過ぎてしまった」
「ええっ! もうそんな時間ですか!」
すっかり話し込んでいたようだ。
でも、トウコ先生とマフユさんから直接お褒めの言葉をいただけたことで、思った以上の自信につながった。
今のわたしは、これでいいのだ。
高校三年生の三学期……頑張れる気がする!
「それじゃあリコ、またあとでな。
慌ただしくなってすまんが、貴重なものを見せてくれてありがとう。
勉強になったぞ。
今日から仲間たちと朝勉強をするんじゃったよな?
気を付けていけよ」
「はい! ありがとうございます!」
「では拙者たちはこのあたりでぇ……。
リコ殿、また学校でお会いしましょうでござる……。ムニャムニャ……」
「……おいマフユ! おぬし、さっきので目が覚めたんじゃなかったのか……?」
「やっぱり、眠いものは眠いでござるぅ……」
「あはは……マフユさん、遅刻しないでくださいね……」
うーん。マフユさん。
今の話し合いでトウコ先生とよりよい関係になれたのはいいけど、あの調子では遅刻されないか心配である。
でもわたしも、のんびりしすぎているとまずいかも!
わたしは去って行く二人に手を振ると、少し駆け足で、向拝所へ向かった。
2
「おはようございます、リコ様! 本日からお覚悟はよろしくて?」
こうしてお参りを終えたわたしが学校へ向かうと、教室に入るなり、とある人が待ち構えていた。
「おはよう! コゼットちゃん!
もちろんだよ。初日の今日は、英語の問題だよね!」
「さようでございますわ。一問目から、バリバリ行きますわよ!」
『とある人』それは、わたしがとても親しくしているお友達で星が丘高校茶道部部員『コゼット・ベルナール』ちゃん……通称『日本語がうますぎるフランス人』である。
コゼットちゃんは、一学年下の二年生だ。
だけど、わたし今が入った教室は二年生のものではなく、れっきとしたわたしのクラス、三年一組である。
コゼットちゃんは、今日から毎朝三年一組に来て、わたしたちの朝勉強の、お手伝いをしてくれることになったのだ。
「では、こちらの英語の問題にお答えください。
『I saw a girl who I thought was a friend of my friend’s.』
この文章の意味は?」
「うっ!?」
しかし、その朝勉強の、記念すべき一問目で、さっそくつまづくのがわたしである。
これで大丈夫なのか、わたしの大学受験!!
「ああっ、これ難しいやつだね……コゼットちゃん、ヒント、ヒントをちょうだい!
いや待って。耳で聞いただけだから難しく感じるのかも。
紙に書いたらすんなりいけるかな……」
「……ヒントは、僕から見たコゼット君のことかな?」
「あ! おはよう! ナツカワ君!」
と、思っていると、そこで、またもとても親しくしている人の声が響く。
教室の入り口からヒョッコリと顔を出したのは、わたしの友達で、クラスは三年五組の『ナツカワ シュウ』君であった。
「おはよう。サカイ君、コゼット君。
まさか、僕より早く来ている人が二人もいるとは思わなかったよ」
ちなみにナツカワ君は、基本的に誰に対しても苗字に『君』付けで呼ぶ。
けれど、コゼットちゃんには双子の姉の『ジゼル・ベルナール』ちゃんがいるので、特別に下の名前に『君』付けで呼んでいるのだった。
ところで、今のがヒントということは……。
「あー! 今のヒントでわかったよ!
答えは『私は友達の友達と思われる女の子を見かけた』だね!
つまり、ナツカワ君から見たコゼットちゃんのことだ!」
「正解でございます!
……でもナツカワ様。わたくしのこと『友達の友達』とおっしゃるなんて、なんだか淋しいですわ。
二学期は、ぜひともわたくしとも『友達』といえる関係になってくださいましね!」
「おや、ありがとう、コゼット君。
僕はなにぶん、女性の友達が少なくて、うまく話せないものでね……『友達』と呼ばせてもらってよいものかと、つい遠慮してしまった。
こちらこそ、二学期からはぜひ友人としてよろしくお願いするよ」
ナツカワ君は今『女性の友達が少ない』といったけれど、わたしも、男の子のお友達は少ない。
というか、ナツカワ君と、ナツカワ君を通じて知り合った男の子たちくらいである。
さらにいえば、わたしはフランス人のお友達も、コゼットちゃんと、今話題に出た、ジゼルちゃんの二人だけだ。
つまりこの二人は、わたしにとって『男の子』と『外国人の子』という、かなり珍しいカテゴリーのお友達なのである。
わたしはコゼットちゃんとも、ナツカワ君とも、茶道部の活動を通じて知り合った。
二人は、わたしが茶道をやっていたからこそ、仲良くなれた人たちなのだ。
それを思うと、茶道部に入って本当に良かったと思う。正座という技術を習得することで、わたしは茶道を始められて、新しい友達を手に入れた。
そして、そこからまた、コゼットちゃんとナツカワ君のように、わたしの友達同士が友達になったりもする。
あ。友達同士が友達になるといえば……この人達の存在も欠かせない。
「おはよー! おっ、早いな、リコもコゼットも。
もう勉強始めてるのか!」
「おはよう、ユリナ! そうだよ。二学期からのわたしは、一味違うからね!」
わたしの友達で、今ではコゼットちゃんともすっかり仲良しの『モリサキ ユリナ』に……。
「フフフ、おはようございます。
では、私達もぜひその勉強会に参加させていただけるかしら」
「あら、おはようございます、アンズ様!
アンズ様も参加するとなると、一段階難しい問題を出題せねばなりませんわね。
……リコ様に解けるかしら?」
「もぉっ! つっ、次はきっと大丈夫だよ、コゼットちゃん!」
同じくわたしの友達で、実は、ナツカワ君と中学校からの付き合いの『キリタニ アンズ』である。
「ハハハ。みんな、揃うのが早いね。
全員それだけ、受験勉強に本気ということかな」
「おうよ!
ひとまず、当面の目標は、二週間後の模試で全員揃っていい成績を取ることだよな。
夏休みはあれだけ勉強したんだ。そろそろ一つ成果を出して、ホッと一息つきたいぜ」
「その通りだよねぇ……。
でないと、わざわざ別のクラスから来て一緒に勉強してくれる、ナツカワ君とコゼットちゃんに示しがつかないし……」
ところでナツカワ君は、きっちりとした丁寧な口調で話し、ユリナは、ちょっと乱暴な、男の子のような口調で話す。
なので、二人の会話を文字に起こすと、性別を逆に勘違いしてしまいそうなことがあるけど……一見気の強そうに見えるユリナの内面は、実は次のようなものなのであった。
「わたくしは好きでみなさんと一緒に勉強しておりますから、構いませんが。
超のつく心配症で、超のつく繊細さんであらせられるユリナ様には、ここで頑張って、そろそろホッとしていただきたいですわ。
まったくユリナ様ってば、志望校は推薦入試予定で、もし一般入試を受けることになっても、すでに完全に合格圏。A判定でございますのに……。
ここまできて、一体、何を心配されますの?」
「し、仕方ねえだろ! どうしても気になっちまうんだよ!
……たぶん、合格するまで、あたしはずっと不安なんだと思う……」
うーむ。この調子じゃあ、次の模試で良い結果が出ても、結局ユリナは安心できないんだろうなあ。合格するまでは、この緊張状態が続きそうだ。
と、思ってしまうほど、ユリナの心はこまやかで、不安になりがちなのであった。
なお、コゼットちゃんが手伝ってくれているのは、受験勉強だけではない。
茶道部の一員として、朝勉強の参加者に、こんな問題も出しているのであった。
「……では、そんなユリナ様には、まずアンズ様と一緒に勉強の支度を始めていただいておくことにして。
ナツカワ様、では問題ですわ!
正座中に足が痺れてしまったときは、どのように対処するのがよろしくて?」
そう! 茶道部の得意分野『正座』に関心を持ってくれたナツカワ君たちに、正座も教えているのである!
「ハハハ、コゼット君。
それは僕が『正座先生』を目指す身であるとわかっていての発言かい?」
しかしナツカワ君、突然の出題にもまるで動じない。
眼鏡をクイクイと上げ下げしながら、フフン、と微笑んでいる。
ちなみにこの『眼鏡クイクイ』は、ナツカワ君の癖である。
「正座中に足が痺れてしまったときは、まず何より、慌てないことが肝心だ。
正しく正座をしている人であっても、正座慣れしている人であっても、コンディションが悪ければ、痺れてしまうことはあるからね。
『こんなこともある』と、受け入れることが大切だ。
こうして気持ちを落ち着けたら、次は、無理に動かさないようにする。
ここで足の指なんかを動かしたら、早く痺れが取れるような気がしてしまうが、それは逆効果だからだ。
痺れが悪化したり、こむらがえりの原因になってしまったりすることがあるからね。
だから、痺れが自然に収まるまで、静かに待つのがいい。
足が痺れてしまった場が、真面目できちんとした場であれば、できるだけ進行の邪魔にならないように、目立たないように、そーっと足を崩すのが良い。
逆に、少しくらいなら会話をしても良いフランクな場であれば、正直に『足が痺れてしまったので、崩してもいいですか』と申告するのも良いね。
正座は良いものだが、うまく正座ができない日に、無理して続けて身体を痛めてしまっては、元も子もない。
やっぱり『こんなこともある』と、その日は一度正座を諦めることも大切だね。
一番いけないのは『痺れてしまった自分は、正座ができないダメな人間だ』『もう、正座はやめよう。あるいは、正座が必要な場には行かないようにしよう』と思ってしまうことだ。
正座を長く楽しむためには、気楽に付き合うことが大切なんだね。
……ところで『おでこに唾を塗ると、足の痺れが取れる』といったうわさもあるそうだね。
効果があるのかどうか以前に、足を崩すとはばかられるような真面目な場、というか周りに人がいるところで、それをするのはなかなか難しいと思うんだが。
一度試してみたいけれど、試すには少し勇気がいるよね」
「完璧ですわ! では次の問題でございます。
ナツカワ様は、そもそも『痺れ』とはなんなのか、理解しておられます?
また、その知識を生かして、足を痺れにくくするために、日ごろから気を付けておけることってございます?」
「それについても勉強済みさ。
まず、痺れにはいろいろあり、中には病気と関連する深刻なものもある。
……が、ここで話すのは、普段健康な人が、長時間正座をしていたときに発生する痺れに限定して話すよ。
そもそも、痺れとは、神経が異常に興奮してしまっている状態のことだ。
神経には太いものと細いものがあるんだけれど、太い方の神経は、圧迫されることや、血行不足に弱い。麻痺しやすいんだ。
つまり、正座で足が痺れているのは、この太い方の神経が麻痺してしまっているんだね。
こうして太い方の神経が働かなくなってしまうと、細い方の神経は、なぜか異常に興奮してしまう。
その結果、僕たちは、ジンジンとした痛みを感じるわけだ。
またこのとき、当然ながら僕たちは正座で足を折りたたんでいるわけだから、ふくらはぎが圧迫されている。なので、やはり当然ながら、足を伸ばしている状態よりも、血流が悪い。筋肉への血液補給が少なくなってしまっているんだ。
この、血液補給が普段より難しくなり、十分でない状態……お金に例えるならば『赤字』の状態を『虚血』という。
つまり、正座しているときに感じる痺れは『足の虚血』によって起こるものというわけだ。
足が痺れてしまったとき、正座をやめて足を伸ばすと、ピリピリとした痛みを感じると思うけど……これは、足が虚血状態から回復する時に感じる痛みなんだよ。
ただ、ここまでは説明できるんだが、実は『なぜ生き物は痺れるのか』という仕組みは、いまだによくわかっていない。
現状、痺れに有効な薬というものもない。もちろん、大学で研究はされているけれどね。
なので僕らは、薬に頼らず、普段の生活で『痺れ対策』をしなくてはならない。
先ほど、痺れの原因は、血の供給が足りてない『赤字』の状態といったよね。
だから、足が圧迫されていること以外の『赤字』要因を減らすことが大切だ。
たとえば冷え性の方や、貧血気味の方は、血流が悪くなっている。
特に貧血なんか、文字通り血が足りていない。『虚血』になってしまいがちだね。
こういった状態だと、どうしても痺れやすくなってしまう。だから自覚のある方は、栄養バランスの良い食事をとったり、冷たい食べもの・飲みものは避けたり、身体を締め付ける服装は避けたり……ウォーキングやストレッチといった、軽い運動をしたりなどの、生活習慣改善をしてみるといいだろう。
そうすれば正座する場合も少しは安心だし、何より健康につながるね。
特に自覚はない人でも、たとえば茶道の茶会のような、正座をする席に向かう際には、今言ったことに気を付けておくと、足が痺れにくくなるだろう。
たとえば、服装なんかは気を付けやすいだろう。ジーンズのような身体にピタッとした服は、膝を折りたたんで座ったときに、どうしても足を圧迫しがちだから、あらかじめ長時間正座をするとわかっている日は、穿くのを避けるのが賢明だね。
それから、これはもう言うまでもないことかもしれないが、スカートを穿いて正座をするときは、お尻の下に敷くのを忘れないようにしよう。
今後僕もスカートを穿いて正座する可能性はゼロじゃないからね……基本的なことだが、肝にめいじておこうと思っている。
あと、これは聞いた話だが、正しい姿勢で正座しているのに、どうしてかいつも足が痺れやすい……という人がいた。
だけどその人は、実は冷たいジュースが大好きでいつも飲んでいて、しかも運動不足気味で、元々冷えで血流が悪くなりがちだった。という話を聞いたこともあるからね。
その他には、自分の普段の姿勢を見直すことも大切だ。
姿勢が悪く、骨盤が歪んでいたら、当然血流も悪く『虚血』につながる。
たとえば、正座以外の姿勢で座ったとき、すぐに足を組んでしまったり、猫背になってしまったりするということはないかい?
こういった悪い姿勢で暮らしていると、骨盤を中心に、骨格がゆがんでしまうんだ。
骨盤にゆがみが生じるとどうなると思う?
他の骨も連動してバランスが崩れて、身体全体の血流が悪くなってしまうんだ。
その結果何が起きるかは……もう、わかるだろう?
ここまで話したこと、どれにも覚えがないなら、もちろん、正座する時の姿勢を見直してみるのも良い。
これは茶道部の皆さんには今更言うまでもないだろうけど……この前読んだ、とある茶道の先生のお話では『前方に体重を落とすようにして正座する』『かかとと、お尻の間に、一枚紙が挟まっているような気持ちで、上半身を上に引き上げて正座する』『足の親指を重ねるようにして正座する』の三つを、おすすめの正座の仕方として挙げていたよ。
……まああと、当然ながら、太りすぎにも気を付けよう。
体重そのものが重いと、正座したとき、ふくらはぎにかかる負担は大きくなり、圧迫度合いも激しくなる。こんなの……『虚血』まっしぐらだ。
これが僕の回答だよ。フフフ、どうかな?」
「またも完璧ですわ!
……あの、ナツカワ様。今からでも茶道部に入部しませんこと?
ナツカワ様でしたら、残りわずかな活動期間であっても、存分に活躍できますわ!」
「そんな……照れるなあ。
東京大学を目指すものとして、これくらいは当然押さえておきたい知識だったというだけさ……」
「……あいつらは二人で白熱してるなあ。とりあえず、あたしら三人も、勉強始めるか」
「ハッ! ……そうだね。思わず二人の会話に聞き入っちゃってた……」
そうか。これまでわたしは、いかに『良い正座の仕方』をするかにばかり気を取られていたけど……。
『なぜ足が痺れるのか』という理屈を理解して、そもそも足が痺れにくい『正座向きの身体』を作る、という方法もあったのか……!
さすがナツカワ君。東大を目指しているだけのことはある……!
と、思わず感動してしまった。
けれど、今正座の勉強をしているのはコゼットちゃんとナツカワ君であって、わたしはこの時間英語を勉強するつもりなのであった。
正座トークは楽しい。だけど、わたしは今朝トウコ先生に、できるだけ自分の設定した目標通りに、予定通り作業を進めることを頑張ると宣言したばかりではないか。
正直、正座トークに混じりたい。でも、半年後の明るく楽しい正座ライフのために、今は受験勉強を頑張ろう……。
「では、何からやりましょうか……そうだ。
リコ、ユリナに昨日参考書を借りたのでしょう?
そちらの進捗はいかがですか?」
「えっとね。とりあえず、ここまで進めたよ」
今話しかけてくれたアンズは、明らかにわたしの意識が正座に向かっていると気づいている感じだったけれど、大目に見てくれたらしい。
わたしは昨日ユリナに貸してもらった参考書を開くと、今朝ここまでくるまでに進めたページを開いて、二人に見せる。
ちなみにユリナは、参考書の扱いも、ものすごく繊細で丁寧である。
「えっ? この本リコんちまで渡しに行ったのって、昨日の夜十時とかで、遅かったよな?
もしかして、その後ずっと勉強して……?」
「あっ、違う違う! 寝不足は受験勉強の敵だからね。ちゃんと寝てるよ。
わたし、今朝は星が丘神社に寄ってから学校に来たんだ。
だから、星が丘神社から学校までは、バスに乗ったんだよね。
でも意外と待ち時間があってね。その間に進めたんだ」
「本当かよ! そんな合間にここまで解いたのか!」
「……なるほど。これも先日リコが電話でおっしゃっていた『一日の充実度アップ』のための活動なんですね。
いわゆるスキマ時間の有効活用というものでしょう?」
「そうなの! アンズ、わかってくれて嬉しいよ!」
そうである。まさに今、アンズが言ってくれた通り、わたしは『一日の充実度アップ』のために、ちょっと頑張ってみたのである。
『スキマ時間まで勉強なんて、根を詰めすぎだ』という考えもある。
確かに、たとえばこれが混んでいる電車内だったら、無理に参考書を広げるより、その場で少し休憩した方がいいことだってあるだろう。
だけど、今日はなかなか来ないバスを待つヒマな時間だった。だから、ちょっとやってみたのである。
ここでちょっと、わたしの過去のお話をさせてほしい。
中学三年生のとき、わたしはこの星が丘高校に入るために、実はかなりの無理をした。
どれくらい無理をしたのかというと……数か月間勉強以外のことを一切しなかったおかげで、当時の記憶が全然ないくらいなのである。
その結果、わたしは星が丘高校にトップの成績で合格することができた。
しかし、短期間で無理やり一気に詰め込んだ知識は、抜け落ちるのも早かった。
入学後、わたしの成績はずるずると落ちてしまい……高校三年生の一学期には、テストで追試を受けるくらい、ひどい成績になってしまったのである。
つまり、短期集中の勉強法は、わたしには合っていなかった。
だから今回の大学受験では、高校受験時のように三年分の授業量を三か月で理解しようとしたり、夜から次の朝まで一夜漬けをしたりといったやり方では、まず、失敗する。
それに、先ほども言った通り、スケジュールには急な変更がつきもの。
『時間のあるときに、一気にやろう』としばらく放っておいて何もせず、いざ『時間ができるはずの日』に予定が入ってしまったら、もう、目も当てられなくなってしまう。
だから今回のわたしは、毎日特定の勉強時間を確保するのはもちろん『今なら時間的にも、体調的にもイケる』と判断したときに、確実に少しずつ勉強を進めることにしたのだ。
なので、わたしとしては自然なやり方なのだけど……トウコ先生&マフユさんに続き、ユリナ&アンズにもほめられたのは嬉しい……と、ニヤけていると。
「おお! 早いな、お前たち! もう登校していたのか」
「ユモト先生!」
片手に書類の入ったファイルを持って、生徒指導のユモト先生がやってきた。
「おはよーございます!
ユモト先生、見て下さいよ。リコのやつ、すげえ頑張ってます。
参考書、半日で、しかもスキマ時間だけ使って、ここまで進めたんですよ」
「おお! すごいじゃないか!
……うんうん、感心感心。どうやらサカイは、夏休みの間に相当頑張ったようだな。
一学期の頃とは違って、すっかり受験生らしくなってきたじゃないか」
「あはは……」
そしてユモト先生もユリナ達同様わたしのことをほめてくれたけれど、ユモト先生の場合、ちょっとほめ方のタイプが違う。
ユモト先生の知る一学期のわたしは、あんまり受験生らしくはなかったからである……。
そのせいで、わたしはユモト先生に、一学期相当ご心配をおかけしてしまった。
なので、何も言えないわたしなのであった。
「そうだ。何を言いに来たのか忘れるところだった。
例の件、OKになったよ。今朝のホームルームでも話すつもりだが……。
ほら、この書類をご覧」
「えっ! 本当ですか!」
しかし、ユモト先生のこの一言で、わたしのテンションは一気に上がる。
同時に、すっかり正座トークで盛り上がっていたコゼットちゃんとナツカワ君も『なんだろう?』とこちらを見た。
「リコ様。例の件ってなんですの?」
「実はね、夏期講習中に、一部の三年生を中心に、三階の多目的室の自由利用化希望を出していたの。
で、それが受理されたんだ。
つまり今後は放課後、毎週月曜日は多目的室を自習室として使えるようになったの。
その他の曜日も、事前に申請すれば使えるようになった。
たとえば、部活でも使っていいことになったの」
「えーっと。と、いいますと……?」
あ。説明が足りなかったようだ。
コゼットちゃんは『多目的室以外の場所でも、自習や部活はできるのでは?』という、疑問の表情を浮かべている。
だけど、多目的室には、多目的室にしかない魅力があるのである。
それは……。
「ごめんねコゼットちゃん、言葉が足りなかったね。
じゃあ、ここで思い出してくれるかな。
多目的室は、他の教室とは違って、靴を脱いで入る、床がカーペットになっている部屋でしょう?
つまり……」
「あ! 理解しましたわ! 勉強しながら、正座もできるというわけですわね!
それから、茶道部の活動場所としても利用できるというわけですわね!」
「そういうこと!」
「わぁ……すごいじゃありませんの、リコ様!
受験勉強はするが、正座も絶対あきらめない。
わたくし、リコさまのそのような強い執念を感じましたわ!
すごい、すごい、すごいですわ!」
コゼットちゃんは立ち上がってわたしの手を取ると、嬉しそうにピョンピョンとその場で飛ぶ。
今はこんなに仲良しのわたしたちだけど、実は出会った当初は、とんでもなく仲が悪かった。というか、一方的に嫌われてしまっていた。
だけどそれから色々あって、今では親友ともいえるほどの関係になるのだから、人生って、何が起きるかわからないものだ。
「ハハハ。喜んでくれてるようで先生も嬉しいぞ。
だがこれも、サカイたち茶道部と、ナツカワたち数学部が『部活対抗・期末テストグランプリ』と学校祭の両方で頑張ったおかげだな。
どちらのイベントにおいても、茶道部と数学部は良い結果を残した。
だから先生たちにも信頼されるようになって、こういう活動の許可も出やすくなったというわけだ」
「あ……そうだったんですね! えへ……なんだか照れます」
『人生って、何が起きるかわからない』。そう思ったそばから、またも『何が起きるかわからない』展開が起きた。
今ユモト先生がおっしゃった『部活対抗・期末テストグランプリ』とは、一学期の期末テストで行われたイベントで、その名の通り、期末テストの成績を、各部活、あるいは個人で競うイベントである。
そこでわたしたち茶道部は、全校で二位の成績を収め、ナツカワ君たちの数学部は、一位に輝いた。
そしてそれがきっかけで茶道部と数学部は仲良くなり、今に至るのである。
正直なところ、茶道部として良い結果を出せた上、これまでまったくつながりのなかったナツカワ君たち数学部と仲良くなれたというだけで『部活対抗・期末テストグランプリ』は、十分すぎるほど素晴らしいイベントだった。
にもかかわらず、そこからさらに先生達からの評価アップにもつながっていたなんて!
他の場所での頑張りが、また違うところにつながることがある。そんなことを実感する。
だからやっぱり、何事に対しても手を抜かず、丁寧に頑張ることが大切だ。
だって、どんなに小さな頑張りでも、それが未来につながっているのは間違いないのだと、たった今自分で証明したのだから!
ということで……。
「ユモト先生、お知らせいただきありがとうございます。でしたら……」
「ああ。その先は言わなくてももうわかってるから、勝手に申請しておいた。
今日から早速、使うだろう?」
「はい! もちろん、お願いします!」
勉強時間は短いけれど、毎日確実に確保できる教室での朝勉強も、勉強時間を長く取れるけど、その分集中力が必要な多目的室での放課後勉強も、どちらも同じくらい頑張らなくっちゃ!
「よーし! では今週から『放課後正座勉強』も始めちゃおう!」
「おー!」
嬉しくて思わず、わたしは右手を上に高くあげる。
それにならって、みんなも手を高く上げたので、何だかますます嬉しくなってしまった。
3
多目的室の自習室化初日は、思った以上に生徒が集まっていた。
おそらく、朝のホームルームで全クラスに情報が行き渡り、興味を持った三年生が次々押し掛けたというのが大きな要因だろう。新しく使えるようになった場所というのはただでさえ魅力的だし、一度覗いてみたくなるものだからである。
だけどそれに負けないくらい魅力的で、つい覗きたくなってしまう理由は……。やはり多目的室の床がカーペットになっていて『学校にいるのに、床に座って勉強ができる』という、物珍しさだろう!
……だけど『床がカーペットだから、勉強に疲れたら横になれる!』と言って本当に横になろうとした生徒は……こっそり監視していたユモト先生にジロリと睨まれて、早々に去って行った。
そして解放開始から三十分ほどが経過するころには、みんなおいおいに、真面目に自習し始めたのであった。
もちろん、それはわたし、ユリナ、アンズ、ナツカワ君の四人グループも同様だ。
ちなみにもちろん、全員正座をして勉強している。
以前わたしたち茶道部が提唱した『正座勉強法』に基づいて……である。
「ではナツカワ君、放課後はコゼットちゃんに変わってわたしが問題を出します。
なぜ、正座しながら勉強をすることが、勉強の効率アップにつながるのでしょうか?」
「フフフ。それはもはや問題ではなく、かつてのおさらいだね。
正座には、集中力を上げる効果があるからさ。
その根拠は、正座をすることで骨盤が左右対称になり、背筋が伸びることにある。
背筋が伸びることによって、身体が吸収できる酸素量が増え、その結果、呼吸は整えられる。これによって、脳の働きが良くなるからさ。
だから、たとえ正座をしていたとしても、背筋が曲がった状態では効率アップにはつながらない。
当然だが、背筋が曲がったままでは身体が吸収する酸素量は増えず、脳の働きも良くならないからね。
だから、どうしても志望校に受かりたい僕は、まず、背筋がしっかり伸びた状態で、長時間正座をするすべを学びたくて『痺れ』『虚血』についても学んだというわけさ」
「うーん。完璧。
ナツカワ君、正座についてはもはや茶道部部員並みか、それ以上の知識量だよね」
「ハハハ、これもサカイ君たちのお陰さ。
では、今日はモリサキ君が提案してくれた勉強法で行こうか。
これも、脳にいいらしいね」
「おうよ! これはインターネット上で得た知識なんだけどさ、まず一つの作業を四十五分くらい続けて、だんだん疲れてきて『飽きてきたな』って思ったところで、いったんそれを止める。
その後しばらく、別の作業をして、また『飽きてきたな』ってなった段階で、作業内容を切り替えるって言うのが、効果的な作業方法らしいんだ。
これって、勉強にも応用できるよな」
「物事に対して『飽きた』と感じるのは、脳が『わたしは今疲れています』と知らせるサインなのだそうね。
脳は、同じ作業の繰り返しに弱いという性質があるそうですから。
それは、同じ作業を続けていると、脳の同じ部分だけが繰り返し使われるかららしいですね。
そこで脳は苦しくなってくると『飽きた』という心境になるように心にサインを送ったり、身体にも、あくびや肩こり、目の疲れといったサインを送るんだとか」
「疲れてくると甘いものが欲しくなったり、ちょっと伸びをしたいと思うのも同じ理由らしいね。
というわけで、今日は『人間の集中力は四十五分』という説に従って、基本は四十五分を一単位にし、もし途中で『飽きた』と感じたら、自由に休憩して良いというルールで勉強しよう」
「わかったよ。よーし、頑張ろう!」
みんなといると、思った以上に様々なことが学べ、さらにそれがお互いの勉強効率をアップにつながっている。
今の会話では、ただただ聞き手になるばかりのわたしだったけれど……この多目的室ならば、全員に正座を教える『正座先生』として十分貢献できる。
なのでわたしは、このように、みんなと一緒に正座して勉強しながら、みんなが正座についてわからないことができたらサポートすることにした。
「じゃあ、基本的にはみんな正座で。
もし厳しくなってきたら、朝ナツカワ君が言ってた通りにしてね。
姿勢とかコツとか、復習したくなったら聞いて」
ああ、成績はまだみんなと比べると劣るわたしだけど、正座を勉強していて本当に良かった……。
というかこれって、元をたどっていくと、わたしが『正座先生』だから、今日ここでみんなと勉強できているということになるのだろうか。
だって、多目的室は、『部活対抗・期末テストグランプリ』で良い成績を残さなかったら使用させてもらえなかったかもしれない。
良い成績を残せたのは、今やっている『正座勉強法』のおかげであり、『正座勉強法』を生み出せたのは、わたしが『正座先生』と呼ばれるほどの存在になりたくて、日々勉強していたからである。
やはり、日々の小さな積み重ねが、楽しい今日を生んでいる。
今朝、星が丘神社に向かう途中は『おそらくこれからの生活は、とても地味なものになるだろう』と、ちょっと悲観していたわたしだったけれど……この勉強会は、思っていたよりもずっと、楽しくて充実している。
確かに一見勉強ばかりで地味かもしれないけど、これはこれで素敵な青春という気がしてきた!
と、かくしてわたしは、こんな、内心ウキウキ気分で勉強を始めた。
隣の席で、向かいの席で、友達が正座して一緒に勉強していると思うと気持ちにもハリが出て、スイスイ問題も解ける。
しかし、ユリナの話通り、はじめて四十分を過ぎてきたあたりで……うむ、これは『飽きてきた』というやつかもしれない、という感じになってきた。
では、ナツカワ君のお言葉に甘えて……。
「あの、ちょっとお手洗いに行ってくるね」
「ほーい」
わたしは多目的室の木の扉をカラカラと開けて、一人外に出ることにした。
多目的室から一番近いお手洗いは、実はすぐ横にある。
だけどわたしはそこを通過すると、もう少し遠いところにあるお手洗いを目指して、テクテク歩いていく。
では、なぜ、わたしがわざわざ遠回りをして、そのお手洗いに向かっているかというと……。
本当にお手洗いに行きたかったわけではないからである。
そうである。どうしても、茶道部の活動が……今ちょうど行われているはずのミーティングが、気になってしまったのである!
『おいおい。とっとと多目的室に戻りなさい』……そんな声が聞こえてくる気がするけど、ちょっとだけならいいじゃないか! みんな、問題なく活動しているのか、気になってしょうがないのだ……。
茶道部は文化部なので、明確な三年生の引退時期というものはない。
だから、わたしの受験勉強さえうまく行っていれば、卒業まで顔を出すことだってもちろん可能であった。
だけどもうみなさんご存じの通り、正直全く余裕がないので……二学期からは、部活に行く回数を減らすことにし、今日の茶道部ミーティングも、勉強のため欠席させてもらったのである。
だから今日のわたしは『やっぱり時間ができたから、来たよ!』などと言って、ミーティングに途中参加することはできない。
だけどまあ……外からちょっと覗くだけなら、いいよね!
……と、茶道部の部室の前まで進み、見つからないようにそーっと様子を見ると、コゼットちゃんをはじめとする、二年生以下の部員のみんなが、活気のある雰囲気で話し合いをしていた。
今話しているのは……一年生の『ムカイ オトハ』ちゃんのようだ。
「次のイベントは『学校説明会』ですねっ!
わたしは昨年、この『学校説明会』がきっかけで、星が丘高校の受験と、茶道部への入部を決意しました。つまり、運命を変えられちゃったんですっ!
だから今年はわたしがっ! 中学三年生のみんなの運命を変えちゃいたいと思っていますよー!
その位気合を入れて臨みますので、どうぞよろしくお願いしまーす!」
そうか。二学期の最初のイベントといえば『学校説明会』だった。
『学校説明会』とは、来年星が丘高校への受験を考えている、現在中学三年生の子たち向けに開かれるイベントだ。
今の言葉の通り、オトハちゃんとわたしは、この『学校説明会』がきっかけで出会った。
オトハちゃんは、星が丘高校に通うには、実はちょっと遠い地域に住んでいる。
だから当初は受験をするつもりはなく、お友達で、今は茶道部部員でもある『カツラギ シノ』ちゃんの付き添いで『学校説明会』に参加したのである。
だけどそこでわたしとオトハちゃんは知り合い、わたしと茶道部をいたく気に入ってくれたオトハちゃんは、ギュン! と進路を大きく変更した。
そして、今に至るのである。
オトハちゃんとわたしは、二学年離れているので、一緒に活動できる期間は短い。
オトハちゃんがわたしを慕ってくれていても、わたしがオトハちゃんに残せるものは、限られているのである。
だから一つ一つのイベントが大切だし、本当は今も、飛び入りでこのミーティングに参加したい。
したいけど……。
「…………」
だけど今は、受験勉強を頑張るね。
わたしは頑張っているみんなに、心の中で手を振ると、見つからないようにそーっと、多目的室に戻ることにした。
4
こうして訪れた模試当日は、思いのほか緊張することなく回答できた。
コゼットちゃんに、毎朝問題を出してもらっていたのが聞いたのだろう。
予期せぬ内容が出題されても、あまり焦らずに答えることができた。
ちなみに当然ながら、模試は正座では受けられない。
なのでわたしたちは、せめてできる限り良い姿勢を維持しながら、問題に取り組んだというわけだ。
いつか多目的室のように、カーペットの上で勉強できる部屋も試験会場になったらいいのになぁ……。と、思わずにはいられない、模試であった。
そして、その模試の結果をわたしは本日受け取り、今はトウコ先生とユモト先生と、三人でお話している。
「いやいや、よく頑張ったのぉ、リコよ!
聞くところによると、コゼットとナツカワの協力の元、得意な分野と苦手な分野をしっかり記録して、対策した上で試験に挑んだそうじゃないか。
今回はお主の『記録力』の勝利じゃな!」
「先生も驚いているよ。二学期になってから顔つきが変わったなあとは思っていたが……。
まさか早速、ここまで結果を出すなんて。
これもトウコ先生のお力でしょうか?」
「いやいや、わらわはなんにもしとらんよ。
むしろ、ユモトがリコたちの勉強場所の確保のために、頑張ったのが良かったんじゃろう」
「ふふふ……ありがとうございます、お二人とも!」
ユモト先生とトウコ先生は旧知の仲で、ユモト先生はかつてトウコ先生に師事していたこともあり、大変仲が良い。
そんな二人に揃ってほめられ、大変照れるわたしである。
このところ、照れる機会がなんだか多い。
「おっしゃいます通り、今回わたしはお二人のおかげで、いい成績を残せました。
……あの、ユモト先生。これなら……その……」
「ああ。お前が何を言いたいかはわかってるぞ。
『学校説明会』のことだろう?」
「あらっ?」
よし、チャンスは今しかない。あの件について切り出そう。
そう思って話し始めると、ユモト先生はすでに見抜いていたようである。
毎度のことながら、わかりやすすぎる生徒でごめんなさい……。
「……まあ、今回の成績なら、少しくらい準備を手伝ったって大丈夫だろう。
残り少ないイベントだしな。参加しておいで」
「ほ! 本当ですか!?」
「ああ、差支えのない範囲で頑張りなさい」
「おお! やったではないか、リコ!」
「はい! トウコ先生!」
喜びのあまり、わたしは隣のトウコ先生と抱き合う。
その光景を、ユモト先生がニコニコと見ている。
しかしそこに……。
「やーったぁ! リコ部長なら、絶対参加してくれるって、わたし、信じてましたぁー!」
「うん! ありがとう、オトハちゃん!」
ん?
……今いるはずのない人の声が聞こえて、返事をしてしまったけど、まあいいか。
「おめでとうございます。やはり、私たちだけでは心配でしたので……リコ部長も一緒でホッとしました」
「シノちゃんも……嬉しいよ!」
あれ? やっぱり何かおかしい気がするぞ。
今、一年生部員でオトハちゃんと大変仲良しの『カツラギ シノ』ちゃんの声が聞こえたような……。そしてまた反射的に返事をしてしまったような。
「となれば早速、リコ様込みのスケジュールを組み直さなくてはいけませんわね!
リコ様も参加できるのでしたら、やれることの範囲が広がります!」
「そうだよね、コゼットちゃん! ありがとうみんな! やっぱりわたし、できる限り茶道部にも参加したい!
そのためにスキマ時間も頑張ったから、報われて嬉しい……。
……んんん?」
ん?
これは完全におかしい!
コゼットちゃんがいる。
わたしたち、三人で会話をしているはずだったのに、いつの間にか、人が増えている!
「わわわ!? オトハちゃんたち、いつからいたのー!?」
「当然ですわ。気になりますもの」
「同意です。リコ部長は部長なのですから、部外の活動……テストにおいても、わたしたちの注目を集めてしまうものなのです」
「えへへ。まあつまりはー。
わたしたちリコ部長の模試の結果が気になって、のぞきに来ちゃったんですう。
先日の、ミーティングをのぞきに来たリコ部長と一緒です!
わたしたち、お互いに気になっているというわけだったんですねぇ!」
「あはは! なるほどね!」
あぁ……完全に隠れていたつもりだったのに、やっぱりバレてしまっていたのか。
だけど、こんなにわたしのことを気にしてくれる部員のみんながいるなんて、なんて幸せなことなんだろう。
この優しさには、絶対こたえたい。
最後の学校説明会、頑張るぞ!
「よーし! じゃあ今日から『放課後正座勉強』に加えて茶道部活動も再開しちゃうね!
みんなよろしく!」
「おー!」
やっぱり嬉しくて、思わず、わたしはまた右手を上に高くあげる。
それにならって、みんなも手を高く上げたくれたので、何だかますます嬉しくなってしまう。
ああ、この二週間は、照れたり、嬉しくなったり、ハッピーなことの多い時間だったなあ。
これ、しっかり記録しておかないと!
そう思いながらわたしは、さらに高く右手を上げた。