[56]正座先生と、最後の学校祭!


タイトル:正座先生と、最後の学校祭!
分類:電子書籍
発売日:2019/06/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:80
定価:200円+税

著者:眞宮 悠里
イラスト:鬼倉 みのり

内容
 茶道部部長のサカイ リコは、茶道と正座の普及のため活動する、高校3年生。
 そんなリコの高校生活も7月に入り、いよいよ最後の学校祭が近づいて来た!
 今年の茶道部は、数学部とコラボレーションできたことで仲間が大幅に増え、さらに出店スペースとして絶好の位置を確保できたことにより、全員が気合十分。
 茶道部OGのユキたちも遊びに来てくれることになり「成功させたい」というリコの思いは最高潮に達していた。
 そんなリコが、少しでも多くの人に楽しんでもらえるように考えたとある作戦とは?
 「正座先生」シリーズ第15弾も、学校生活を通じて正座の楽しさと良さをたくさん伝えていきます!

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本文

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 もしもわたしが今自己紹介をするならば、始まりはきっと、こんな感じの言葉になるだろう。

『わたしの名前はサカイ リコ。
 星が丘高校に通う、三年生の女子生徒です。
 部活動は茶道部に所属し、部長を務めさせていただいています。
 現在は高校三年生の七月ですが、わたしがこれまでの高校生活で一番頑張ったことは、やはり部活動です。
  わたしは高校二年生の七月、茶道部に入部してから、部活動一筋の高校生活を送ってきました。
 さらに今では高校生活最後の学校祭に向けて準備を進めており、これを茶道部活動の集大成にしたい!
 と、強く意気込むほど、部長としての活動に燃えているからです』

 だけどもしも、一年前のわたしに自己紹介をさせたら、それはとても短く、簡単なものになってしまうだろう。
 おそらく、二行。

『わたしの名前はサカイ リコ。
 星が丘高校に通う、二年生の女子生徒です』

 で、終わってしまうに違いない。
 なぜかというと、わたしは、先ほどの自己紹介の通り、高校二年生の六月までどの部活動にも所属していなかった。
 それだけなら、さほど珍しいことではない。
 星が丘高校は部活動に入っている生徒の割合が比較的多い学校だけれど、それでも帰宅部という選択肢だって一般的だ。
 だけどわたしは、前向きな帰宅部として、将来に向けて勉強や習い事を頑張っているということもなかった。それなら、夢中で取り組める趣味があれば毎日が充実していたはずなのに……。そういったものもないまま、毎日を、ただ漫然と過ごしていた。
 つまり、一年前のわたしには、熱中できるものが何もなかったのである。
 当時のわたしは、特に何もしていないがゆえに、無為にエネルギーを持て余し、自分の生き方について『何かが足りない』『少し勇気を出せば、今の生活を大きく変えられるのに』と自覚しながら。
 そうするきっかけをどうしても見つけられず、ただ、だらだらと月日だけを消費していた。
 それが今ではどういうわけか、ほとんど一日も休む間もなく、毎日を必死に生きている。
 その理由は三つある。
 まず、これまた先ほどの自己紹介にあった、茶道部部長として、高校生活最後の学校祭を成功させたいと思っているというのが一つ目。
 その次に、高校卒業後も茶道を続けられるように、茶道サークルがある星が丘大学に進学するため、部活動だけではなく、勉強も頑張るようになったのが二つ目。
 そして将来的には、茶道をずっと長く続けつつ……。
 茶道を始める上で、ちょっとしたハードルでもある『正座』についての世の中の認識を、少しでも変える活動をしたい! と思っているのが三つ目。である。
 つまり私の高校生活は、茶道を始めたこと……さらにいえば、茶道を始めるにあたり『正座』についての認識を変えたことで一変したのだ。

 正座。

 それは、茶道だけでなく、日本古来の文化や武道に触れる上で、どうしても必要になってくる座り方だ。
 ただこの正座、二十一世紀の日常生活においては、なかなかする機会がない。座り方としてメジャーなものかというと、現在断然正座派のわたしとしても『決してメジャーではない』と言わざるを得ない。
 なので、どうしても苦手意識を持つ人が多いのだ。
 結果『長時間正座ができそうもないから』という理由で、たとえば茶道、たとえば剣道といった、自分のやりたいことを……チャレンジする前からあきらめてしまう人もいるのである。
 というか、一年前までのわたしが、そうであった。
 わたしが茶道に興味を持ちながら、高校二年生の七月まで茶道部入部しようとしなかった理由。
 それはわたしが、正座がとにかく苦手な『正座下手』であったからなのだ。
 だからわたしは、正座に苦手意識を持っている人たちに対して『すべての座り方の中で、絶対正座が一番だよ! 他の座り方なんてやめて、今すぐ正座しよう!』と、強制しようとは思わない。
 考え方は人それぞれだし、そのつもりがないのに、強制されて仕方なく始めたものは、続かないと考えているからだ。
 でももし、正座に苦手意識を持ちつつも『本当は正座してみたい』あるいは『正座を用いて行う文化や武道に興味がある』と思っている、かつてのわたしのような人がいるなら……。
 わたしは積極的に、正座は本当はとても身体によく、すばらしいものなんだよということ。
 コツさえつかんでしまえば、正座は気軽に楽しめるものであり、仮に足が痺れてしまったとしても、そこから立て直す方法さえ覚えておけば安心なんだよ。
 だから、あなたは正座に対して前向きな考えを持ち『正座下手』を脱したことをきっかけに、色々なことに挑戦できるんだよ。
 ということを、伝授して回りたいのだ。
 こうして『学校祭の成功』という短期目標。
 『志望大学への進学』という中期目標。
 そして『周囲の正座への認識を、少しでも変えていく』という長期目標。
 この三大目標を設定したわたしは、今、なかなか忙しい。
 たった一年前までは、あんなにだらけた人間だったわたしが、こんなに先の将来を見通すことができるようになるなんて。一人の人間って、短期間で、ここまで大きく変わることができるんだなぁ……。
 と、わたし自身、驚かざるを得ない。
 目標があると、毎日の充実感がまるで違うと、今の私は実感している。
 だけど目標を上手に立てることは、実はなかなか難しい。
 生まれた瞬間から、将来やりたいことが決まっていて。そこへたどり着くまでの道筋を、自分一人ですぐさま立てられる! ……といった人は、かなりまれだと感じている。
 わたし自身も、茶道部に入ってすぐ、ここまできちんとした目標を建てられたわけじゃなかった。
 というか、つい最近までは、ただ目の前にある問題と向き合い、新入部員の獲得や、茶会といった、直前のイベントを成功させることが精いっぱいだったのだ。
 だからわたしは今、ようやく未来に向けて計画や、作戦を立てられるようになったばかりだ。
 それでも自分の、完璧じゃない、ダメなところもたくさんある、残り少ない高校生活を。毎日少しずつでも、より良いものにしていきながら。
 自分の人生で、初めて心から達成したいと思った目標へ向かっていきたいと思っている。
 なので……。
 サカイ リコ、ついに学校祭が迫った今回は。
 全力を尽くして頑張ります!


「今回の学校祭では。
 あえて『正座』を強制しない野点をしようと思います!」
「えーっ!」

 いよいよ学校祭が迫った七月のある日の茶道部会議は、わたしのそんな言葉と、その場にいるみんなの、驚きのリアクションから始まった。
 こうしてイベントが行われるたびに開催しているこの会議には、今回はなんと茶道部の面々のみならず、最近親しくなった数学部の皆さんも参加している。
 なぜならば……今回の学校祭は、茶道部と数学部が合同で出し物をすることになったからである!
 ちなみに野点とは、簡単に言うと、外で行う茶会のことである。
 今回の学校祭において、茶道部は普段使っている茶室を飛び出して、野外のスペースで出し物を行うことになった。
 なので、わたしたちがそのスペースで茶会をする場合、それは自動的に野点になるのだった。

「それは、今回の野点においては『一切正座をしなくてもいい』。
 つまり……イスを用意し、参加者の皆様にはそちらに座っていただくということですの?」

 そこでスッと右手を上げ、最初の質問をしてくれたのは、茶道部副部長のコゼット・ベルナールちゃんだ。
 コゼットちゃんはその名の通り、フランスからやってきたフランス人留学生である。
 にもかかわらず、コゼットちゃんは留学開始から一年も経たぬ間に、日本語をイントネーションまで完璧に習得している。
 なので、たとえばコゼットちゃんを知らない人が、その姿かたちを見ずに声だけを聴いたら、誰もが日本人だと錯覚するに違いない……! と思われていることから、星が丘高校では『日本語がうますぎる留学生』として知られている。
 気が強く正直で、思ったことは何でもすぐはっきりと言うコゼットちゃん。
 そんな彼女は、会議でもこうして、いつも積極的に自分の意見や疑問を発信してくれる。
 その姿勢はもちろん、会議以外でもいかんなく発揮され……。
 今の茶道部は、彼女の強い意欲と行動力に支えられている! と言っても過言ではない。
 だから、これはあくまでわたしのイメージだけれど……。
 今のコゼットちゃんが自己紹介をするならばきっと、こんな感じになるだろう。
 ちなみにコゼットちゃんは先ほどの通り、非常に丁寧なお嬢様口調で話す。
 『日本語がうますぎる留学生』の彼女は、完全な日本人であるわたしよりも、すでにはるかに多くの語彙を習得している。しかも、その中で、彼女が最も美しいと考える言葉づかいで話すのだ……。

『わたくしの名前はコゼット・ベルナール。
 星が丘高校に通う、二年生の女子生徒にございます。
 わたくしは、昨年の十二月にフランスからやってきた留学生で、同じく留学生のジゼル・ベルナールは、わたくしの双子の姉にあたります。
 わたくしたちベルナール姉妹は、そろって茶道部に所属し、部内において、わたくしは副部長、ジゼルは書記を務めております。
 なのでわたくしは、次年度の部長候補として。
 もうじき行われる学校祭を絶対に成功させるべく、非常に張り切っておりますの!』

 おそらくこんな感じと思われる自己紹介を聞いたなら、きっと誰もがコゼットちゃんのことを、留学前から日本が大好きで、留学開始時からすさまじい意欲にあふれる、茶道部の活動に熱心の女の子だと思うだろう。
 だけど先ほどのわたしのように、もし一年前のコゼットちゃんに自己紹介をしてもらうなら。
 わたしは

『わたくしの名前はコゼット・ベルナール』

 に続く二行目以降が、正直なところ想像もつかない。
 なぜかというと一年前のコゼットちゃんは、茶道部の活動に熱心どころか、日本という国そのものを毛嫌いしていたからだ。
 そんなコゼットちゃんが、一体何をするために星が丘高校への留学を決意したかというと……。

「『正座を強制しない野点』……というコトは!
 先日備品担当のセンセイに数を確認してイタダイタ。
 木の長いすを主に使うということデース?」

 今発言した、コゼットちゃんの双子のお姉さん。
 ジゼル・ベルナールちゃんの存在があったからである。
 ジゼルちゃんは、昨年の八月から日本にやってきたフランス人留学生だ。
 自己紹介をしてもらうなら……きっとこんな感じだと思う。

『ワタシの名前はジゼル・ベルナール。
 国籍はフランスで。
 高校一年生の八月に、日本が大好き! という思いで留学を決めた、星が丘高校高校二年生の女子デース! 
 ワタシは、星が丘高校に留学したからには、絶対日本の文化に関する部活動に入ろうと考えていマシター。
 そこで、色んな部活に体験入部して……最終的に決めたのが茶道部デース!
 そこからのワタシは、ずっと、茶道一筋!
 今は書記として、真剣に活動してオリマース!』

 昨年の八月、ジゼルちゃんはこのような経緯で日本へ留学し、茶道部へやってきた。
 だけどそれは、家族の了承を得たものではなく、急な方向転換でもあった。
 本来であればコゼットちゃんと同じフランスの高校で過ごすはずだったジゼルちゃんは、コゼットちゃんとしっかり話し合わないまま、急きょ留学を決めてしまったのだ。
 当然これを、コゼットちゃんが良く思うはずはない。
 コゼットちゃんはジゼルちゃんを無理やりフランスに帰国させるため、ジゼルちゃんを追いかける形で日本に留学してきたのである。
 つまりこれが、一年前のコゼットちゃんがどんな自己紹介をするか、わたしには見当もつかない……という理由なのである。
 一年前のコゼットちゃんは、今とは間違いなく別人だ。
 当時のコゼットちゃんは、ジゼルちゃんが日本に傾倒しているあまり『ジゼルちゃんを日本に取られた。日本なんて大嫌い』と思うようになっていた。
 そんな彼女は、たった一年後の自分が、大嫌いな日本人に囲まれて、茶道……つまり、大嫌いな日本の文化を学んでいるなんて、まず想像もしないだろうし。しかも自分がその集団の中でひときわやる気を出して、次期部長を目指しているなんて言おうものなら『そんなのありえませんわ!』と笑うに違いないだろう。
 だけど事実、コゼットちゃんは今、茶道部のスーパー部員として活躍している。 
 このようにして、この一年間におけるコゼットちゃんの変化を見るとき、わたしは一年という月日はとても長く、その中で、人は大きく変わるのだと実感する。
 だけどジゼルちゃんの方を見てみると、彼女は驚くほど変わっていない。一年前の時点で『日本に親しむ』という目標を持ってやってきたジゼルちゃんは、ずっとそれに従って過ごしていた。なので『ブレる』つまり、想定していない方向に変化することがなかったのである。
 ブレないジゼルちゃんは、いつでも自分のやりたいことと、自分の求める未来を理解している。
 そしてジゼルちゃんが求めるのは、穏やかで楽しい雰囲気の部活動だ。
 だからいつも率先して場の雰囲気が良くなるように振舞ってくれるし、困っている人がいたら助け舟を出す。
 いい案が出ない時も明るく励ましてくれるし、今もこうして笑顔で私に質問をくれるのだ。
 だけどその分、和を乱す人、約束を守らない人に対しては怖い。
 わたしは一度大きな失敗をしてジゼルちゃんをとても怒らせてしまったので、それからは部活動において『ほうれんそう』つまり、報告・連絡・相談を絶対怠らないようにしているのだった……。

「ではでは、二人の疑問にお答えするね。
 まず、コゼットちゃんの質問から。
 今回わたしは茶道部スペースを『正座以外の座り方で楽しんでもいい』って雰囲気にしたいと思っているんだ。
 だから、今ジゼルちゃんが言ってくれた木の長いすも用意するけれど、予定通り正座をして座るスペースも用意するよ。
 ジゼルちゃんの質問に関しては、おっしゃる通り。
 ただ、そこまで多くは配置しないと思う」
「では、僕たち数学部のスペースにおいては、どうする考えなんだい?
 てっきり僕は合同で出し物をする以上、お客さんは皆正座必須なのだとばかり思っていたよ」
「それについてはね……」

 今、メガネをクイクイ動かしながら質問してくれたのは、数学部部長のナツカワ シュウ君だ。
 ナツカワ君と仲良くなったのは、ごく最近だ。
 だけどわたしとナツカワ君にはちょっと似たところがあるらしく、知り合ってあっという間に意気投合した。
 だから、そんな彼に自己紹介をしてもらうとするなら……こんな感じかなと思う。

『僕はナツカワ シュウ。
 星が丘高校三年五組と、数学部に所属する男子生徒だ。
 東京大学進学を目指して、勉強、アルバイト、そして部活動の、三つの分野において、常に全力で活動しているよ。
 自分ではよくわからないんだが……。
 エネルギーにあふれているタイプ。
 ……と評されることが、よくある』

 ナツカワ君とは、先日星が丘高校で行われた『部活対抗・期末テストグランプリ』というイベントがきっかけで、とても仲良くなった。
 『部活対抗・期末テストグランプリ』とは、一学期の期末テストにおいて、良い成績を収めた団体、あるいは個人に『部費』か『学校祭で金券として使用できるチケット』をプレゼントするというものであった。
 なので、星が丘高校の生徒はみんな、張り切りに張り切り。学校全体における平均獲得点数が、いつもよりかなり上がった! ……という噂まであるくらい、非常に頑張ったのだ。
 『部活対抗・期末テストグランプリ』のランキングは、まず生徒たち全員を『部活動に所属している生徒』と『帰宅部の生徒』に分け、前者は各部の部員全員を一つのチームとして、チーム全員の成績の平均値を、部の成績として計算。
 後者は個人で参加し、自分の成績でそのまま競争することができる……という方法で決められた。
 なので『部活対抗・期末テストグランプリ』で上位を収めるということは、学校全体でもかなり賢い人間が所属する団体、あるいは学校全体でかなり賢い生徒である証明になったのだ。
 そして、この熾烈な戦いにおいて優勝したのが、ナツカワ君率いる数学部。
 続く二位となったのが、わたしたちの茶道部であった。
 数学部は、その名の通り数学を専門的に勉強する、かなり真面目な部活だ。
 対する茶道部は、確かに比較的成績の良い生徒が集まってはいるけれど……たとえば部内小テストがあるとか、成績が悪いと部活動に参加できなくなってしまうとか。部活動の時間がそのまま勉強の時間になったり、勉強しないとペナルティが発生するような活動は基本的にしていない。
 なのでナツカワ君は、この『部活対抗・期末テストグランプリ』の結果を不思議に思い……。
 『茶道部は、何か特別な勉強法を取ることで、素晴らしい成績を出すことに成功したのでは?』と考え、声をかけてくれたのである。
 そんなナツカワ君に、わたしたちは、自分たちの力の秘訣は『正座』にある。そして、茶道部において正座を用いる勉強法は、そのままズバリ『正座勉強法』と名付けられているということを伝えた。
 この事実を知ったナツカワ君は、さっそく数学部の勉強のノウハウと『正座勉強法』を組み合わせることで、さらによい勉強法を編み出すという『コラボレーション』をしないかと提案してくれた。
 さらに、ナツカワ君は実際にわたしから正座を学んだ上で『正座勉強法』は良いと理解してくれた。そして、もしも学校祭において、茶道部と数学部が一緒に活動する場を設けてくれるなら、学校祭が終わった後は、わたしたちの家庭教師になろうとまで言ってくれたことで……。今回茶道部と数学部は、コラボレーション。つまり、合同で学校祭の出し物をすることになったのである!
 そんなナツカワ君は今、一見絶好調な数学部について、強い危機感を抱いているらしい。
 数学部は『部活対抗・期末テストグランプリ』で大きく注目され、部員も一気に増えた。
 だけどナツカワ君は、そうやって増えた新入部員のうちの多くは、これから二学期が始まるまでに、幽霊部員化するだろうと考えているらしいのだ。
 初めて二人でゆっくり話した日、ナツカワ君は、わたしにこんなことを言った。

〝数学部は今の部員数に安心せず、新たな部員を獲得していかなくてはいけないんだ。
 でも、前回と同じような『テストでいい成績を収める』というアピール方法では、おそらく似たような結果に終わってしまうだろう?
 だからまず、最近入った部員の皆には、数学部は所属し続けるに値する、魅力的な部であると思ってもらうこと。
 次に『部活対抗・期末テストグランプリ』で数学部の存在を知り、それなりに関心は持ってくれているものの。まだ入部に至っていない生徒たちには、学校祭を通じてもう一度『数学部はいいぞ!』とアピールすること。
 数学部が生き残るには、この二点が急務であると思っている。
 そこで、茶道部の力をお借りできればと思ったんだ〟

 と。
 わたしはその言葉に、とても感銘を受けた。
 ナツカワ君はずっと数学部の部員を増やすために努力を続けてきて、ついに『部活対抗・期末テストグランプリ』で成功をおさめた。にもかかわらず彼は、現状に少しも満足することなく、今後発生するだろう問題を予測し、すでにその対策を立てようとしていたからだ。
 だからわたしも、せっかくコラボレーションさせていただくならば。今回はナツカワ君たちの、貪欲で手段を選ばない姿勢を見習いたいと思った。
 それこそが今回の『正座にこだわらない野点』というわけなのだ……。

「ナツカワ君、質問ありがとう。
 数学部のスペースにおいても、どう座っていただくかは、自由にしたいなって思っているよ。
 今回の学校祭において、茶道部と数学部のコラボレーションスペースは、学校の入り口すぐの、かなり広くていい場所がもらえたよね。
 そこで、茶道部は二つの出し物をする。
 一つ目は野点……つまり、野外での茶会。
 二つ目は、和菓子屋さん。
 数学部はその隣で、たこ焼き屋さんと一緒に、クイズコーナーをやる……。
 ということになっているじゃない」
「ああ、その通りだ。
 だから数学部の僕たちは、そこで和服を着て接客してみたり、クイズコーナーにおいては、なるべく正座を推奨して参加してもらったりすると、茶道部のアピールもできていいかな、というか。
 コラボレーションしている感じが出せてよいのでは……。
 と、思っていたんだが……」
「ナツカワ君たち数学部の提案はすごく嬉しいよ!
 ナツカワ君が今言ってくれた通り、服装に関しては、茶道部と数学部、二団体とも、できるだけ和風な印象で揃えたいなって考えてる。
 だけど今回、茶道部のスペースは入り口そばで、とっても目立つよね。
 そんな中で『座り方は絶対正座にしてください』ってお願いしたら、ちょっと参加しづらくなっちゃうと思うんだ。
 だから、木の長いすも用意して、毛氈……つまり、絨毯に座るときも座り方は自由にしてもらうことにして。
 『椅子に座って参加してもいいんだ』『これなら立ち寄りやすいかも』って思ってもらうの」
「なるほど……」
「そういったことでしたのね」

 ナツカワ君がうなずく脇で、コゼットちゃんもうなずく。
 理解……してもらえたんだろうか?

「まあ、他でもない茶道部のみなさんが納得されているのなら、座り方に関しては、数学部は茶道部に従うのみだよ。
 君たちの決定に任せる。
 多くのお客さんを得るために、手段を選ばないという姿勢には、正直共感できるしね」
「わたくしもリコ様のおっしゃっていること、理解いたしましたわ。
 今回はせっかくの野点ですのに、おっしゃいます通り『正座でなければ参加できない』と言ってしまうと、しり込みする方もいらっしゃるでしょうし。
 特に正座を推奨しないというのは『正座嫌い』から『正座好き』に変わった身としては、少し残念ではございますが……。
 気軽に参加していただくためにも、今回はリコ様の意見が正しいと思いました」
「二人とも、ありがとう!」

 承認の言葉を得られて、ホッとする。
 でも、実際は二人の指摘通り、わたしの提案は『茶道部らしさ』よりも『お客さんを集めること』を優先した発想だ。
 本当はわたしだって、野点においては、座り方は正座オンリーにして……お客さんには、ぜひ正座をしてほしい。
 普段あまり正座をする機会がないからこそ、茶道に触れるときは、正座という座り方を試してほしい。
 でも、繰り返しになってしまうけれど……強制は一番よくない。
 わたしはあくまで、学校祭での出し物を通じて、茶道と正座に関心を持ってもらいたい。
 そのためには、多少の妥協も仕方ないと思うのだ。
 だから、学校祭においては、お茶菓子や場の雰囲気から茶道を好きになってもらって。できればそこから『今回は自由な座り方で楽しんだけど、次回は正しい姿勢……つまり、正座で参加したい!』と思ってもらいたい。
 かといって、こちらがどれだけ努力したところで、最終的に判断するのはお客さんだ。
 なので、実際にそうなってもらえるかどうかはわからないけれど……。

「では、数学部の出し物の説明に移らせてもらっていいかな?
 今回数学部は、自分達のスペースでたこ焼きを売るのと同時に。数学に限らない、オールジャンルのクイズコーナーを開くことにしている。
 で、僕も、サカイ君と同じように、部を盤石のものにするためなら、多少のチャレンジや、意に沿わない行動も必要だと思っていて。
 たとえば……僕たちの本業は数学だけれど、学校祭に関しては、クイズが大好きな、愉快な集団と思ってもらっても良いと思っているんだ。
 だから、部員たちが一方的に問題を出すタイプだけではなく、部員たちが参加者と対決するタイプのクイズコーナーの二種類を企画している。
 幸い星が丘高校にクイズ部はないから『活動内容が似通ってしまって、クイズ部に迷惑をかける』といったことも起こらないしね。
 そこで。クイズコーナーの内容に関してだけど……。
 参加者の年齢に合わせて、種類を多数用意しようと思っているんだ。
 たとえば、小さな子どもと僕たち数学部が、高校生向けの数学の問題で勝負したら、不公平にもほどがあるからね。小さな子が来られた場合は、その子の年齢に合わせたクイズを部員たちが出し、答えてもらうという方式で行く。
 だけどもちろん、本気で僕たちとクイズしたい方には、本気で答えたい。
 そこで、数学部、あるいは茶道部の生徒とクイズで戦って、三問先取して勝利した参加者は、おまけでお菓子がもらえる方式も用意した。
 もし正解しなくても参加賞は用意するし、一緒に僕たちが先日作ったコラボレーション冊子『正座勉強法』をプレゼントすれば、茶道部と数学部の宣伝にもなるからね。
 ただ、僕たちと勝負するのが目的でやってくる本物の腕自慢たちには、参加費としてたこ焼きを購入してもらうのもいいかと思っている……。
 これは悩みどころだ……」

 ちなみにナツカワ君、普段はアルバイトに明け暮れるなど、経済的に少し苦労されていることもあり、お金に対する考えはかなりシビアだ。
 今回もたくさんたこ焼きを売って売り上げを部費に変えることで、今後の活動を支えたいと考えているらしい。

「つまり、数学部のみなさんは。
 『秀才揃いの数学部と、クイズで真剣勝負ができる!』という名目で、校内の秀才や、他校から遊びにやってくる生徒たちを惹きつけるのも良いとお考えになっているんですね?」

 ここで口を開いたのは、茶道部の一年生部員・カツラギ シノちゃんだ。
 シノちゃんは、わたしやコゼットちゃんと同じく、この一年で大きく生活が変わっただろうタイプの子だ。
 シノちゃんに自己紹介をしてもらったら、おそらく、こう。

『星が丘高校一年生、カツラギ シノです。
 女です。
 部活は……茶道部に在籍しています。
 どうしてこうなったのか……自分でも不思議なんですが。
 友人と、茶道部部長の影響もあって、始めました。
 でも、入部したからには本気です。
 よろしくお願いします』

 シノちゃんは、友人であり、同じ一年生茶道部員であるムカイ オトハちゃんの存在がきっかけで、茶道部に入った。
 二人は入学式の日、式を終えたその足で茶道部に見学に来てくれたのである。
 だけどシノちゃんはその日、わたしたち部員がのんびりしすぎていたせいで、茶道部にいい印象を持ってはくれなかった。
 その後、いくつかの出来事を経て茶道部への考えを変えてくれて……そして、入部してくれたのである。
 シノちゃんは見学の日も、あくまでもオトハちゃんの付き添いだった。なので、特に茶道に関心があったわけではなかった……かのように見えた。
 だけどのちに、シノちゃんは実は前々から茶道に関心があったけれど、正座に強い苦手意識があるせいで茶道を始められなかった、という、意外な事実が発覚したのだ。
 それは『私は茶道部に入るつもりはない』と言われてしまったあとも『その割には、いつも茶道部のイベントに来てくれるなあ』と、シノちゃんの言葉を疑い続けたことでわかった。
 この件でわたしは、しつこく勧誘するのはいけないけれど、もしかすると本当は関心がある、あるいは関心を持ち始めているのかも、と思ったときは、引き続きコミュニケーションを取ることで、思わぬ真相を知ることができると学んだ。
 それはわたしにとって、大きな希望になっている。
 ……と。
 ナツカワ君が、また眼鏡をクイクイしながら、ニヤリと微笑んでいる。

「その通りさ。
 ありたがいことに、数学部の頭脳は今、他の高校のみならず、大学からも注目されている。
 これを利用しない手はない。
 たこ焼きをたくさん売るチャンスだ……!
 ちなみに。ムカイ君は当日……」

 指名されて、今度は先ほど紹介した茶道部一年生部員、ムカイ オトハちゃんが大きく手を上げる。

「はぁい、もちろんでぇーす!
 学校祭当日はぁ、茶道部一の頭脳としてっ!
 このムカイ オトハが、数学部クイズコーナーの助っ人も担当しちゃいますね!
 リコ部長! 見ていてくださーい!」

 オトハちゃんは、星が丘高校茶道部に入るために、星が丘高校を受験してくれたという、一見『ブレずに』進路を決断した子に見える。
 自己紹介は……きっと、こんな感じだろう。

『はじめましてっ!
 星が丘高校茶道部一年生のー。
 ムカイ オトハでーっす!
 本当は別の高校に進学するつもりだったんですけどっ。
 友達のシノに付き合って、星が丘高校の学校説明会に行ったことで人生変わっちゃいました!
 リコ部長率いる茶道部に出会っちゃって。
 絶対入部したーい! って思っちゃったんですっ。
 なので今は、部活が一番の日々!
 リコ部長にいいところ見せるために。
 今日も頑張っちゃいますっ!』

 うーむ。
 この自己紹介文。
 『リコの妄想でしょ?』と思われてしまっても仕方がない感じだ。
 でも、オトハちゃんは本当にこういうタイプなのだ。
 自分で言うのも恥ずかしいけれど……なんと、わたしに憧れて、進路を変えてまで星が丘高校茶道部に入ってくれた子なのである!
 つまり、一年前のオトハちゃんの自己紹介を想像したとき、わたしはコゼットちゃんのとき同様

『はじめましてっ!』

 から先の、二行目以降の内容が、彼女の名前の部分以外まったく浮かばない。
 こうしてみると、茶道部員においては、一年前から『ブレていない』のはジゼルちゃんだけのようだ。
 だけどみんな、その思わぬ変化を前向きに受け入れ、楽しみながら活動している。
 そして、今後もそれが続いたらいいなと……わたしは思っている。

「ハハハ。頼もしい。
 つくづくコラボレーションさせていただけて嬉しいよ」
「ナツカワ部長。それは茶道部も同じですよぉ!
 ねっ? リコ部長?」
「うん! 数学部とコラボレーションしなきゃ、学校祭で『学年一位』っていうオトハちゃんの頭脳は生かせなかったからね。
 わたしもすっごくありがたいと思っているよ!」

 そうだ。
 数学部の企画はとても楽しそうだし、オトハちゃんのすばらしく高い知能も、十分に生かせる。
 もらったスペースだって絶好の位置で、真面目に、明るく接客してさえいれば、おそらく、大きな失敗をするようなことにはならないだろう。
 でも、今回に関しては、わたしの長期目標『正座の認識を、少しでも改めていく』を実行するのは難しいだろう。
 だけどたまには、こういう活動もありなのだ。
 わたしはそういう意味で、今回『ブレて』いくのだ!
 そう思いつつ、わたしはみんなを鼓舞するべく

「よーし! では頑張るぞー!」

 と、明るく声を上げた。


「リコ先輩!」

 そうして、会議後の帰り道。
 本当にこれで良かったのかな……。
 と、ぼんやり考えながら歩いていると。
 声をかけてくれたのは、幼なじみのタカナシ ナナミであった。

「ナナミ! 今日は剣道部じゃなかったの?」
「早めに終了したので、茶道部の様子が知りたくって急いできました。
 会議。どうなりました?」

 ナナミに関しては、自己紹介の言葉をイメージせず、わたしの言葉で紹介しよう。
 ナナミはわたしの一歳年下の幼なじみで、だけど年下とは思えないほど頼りになる女の子だ。
 おうちは剣道道場をやっていて、小さい頃から正座に慣れ親しんでいるナナミは、ちょうど一年前、わたしに正座を教えてくれた。
 わたしはそれがきっかけで『正座下手』を克服し、茶道部に入部し……。
 そう。
 わたしの正座に対する認識を変えてくれた人。いわば『正座先生』ともいえる存在とは、このナナミのことなのである。
 ナナミが小さい頃、わたしの友達になってくれたから。
 ナナミが高校二年生のある日、わたしの悩みに、親身に付き合ってくれたから。
 今のわたしがいて、わたしは未来への目標を持つことができるのだ。
 今日のナナミは剣道部の活動があったため、茶道部会議には参加していなかった。
 だけど、会議でわたしがどんな話をしたいと思っているかは、事前に伝えていたので……。
 ナナミは心配して、わたしを追いかけてきてくれたのだと思う。

「会議はね。なんとかなったよ。
 今回に関しては『正座以外の座り方もOK』って方針で、進めていくことになった」
「そうですか……」
「うん。
 ちょっと淋しくはあるけど、これで良かったと思ってる。
 みんなが納得してくれてよかった」

 口ではナナミにこう伝えるけれど、その先の言葉が続かない。
 つい沈黙が生まれてしまって、わたしたちはしばらく並んで、黙々と歩いた。
 そしてわたしたちの家の近くまで来たところで、口を開いたのはナナミだった。

「あの。ちょっと練習しませんか。久しぶりに、うちで!」
「練習って?」
「去年のちょうど今頃。
 私とリコ先輩が、一緒に取り組んだ『あれ』ですよ!」
「ってことは……もしかして、正座の?」
「そうです!」

 そしてナナミは、正座を始めて一年が経ち、今ではナナミに続く『正座先生』を自称して活動しているわたしに、不思議なことを言う。
 今更一体、どんな練習をすると言うんだろう?

「いいけど……」
「では始めましょう! さぁ、さぁ!」

 こうしてわたしはナナミに引っ張られていくような形でタカナシ家に入り、ナナミと正座の練習をすることとなった。
 最初に正座を教わった日。
 あの日は、わたしの部屋で練習をした。
 あの日はわたしからナナミを誘い、だけど誘っておきながら『近々正座をする機会がありそうなので、良い座り方を教えてほしい』と言えずに。ただただ後ろ向きな言葉を連発していたような気がする。
 だけど今日は『いいけど』とすんなり正座を始めようとしている。
 二人で正座の練習をする。
 その状況だけはあのときと似ているけれど、それ以外のことは、大きく変化していると感じる。
 ナナミも近いことを考えていたのだろう。
 笑いながら、こう聞いてきた。

「最初に正座の練習をした日。
 あのときのリコ先輩の第一声。覚えてらっしゃいます?」
「もちろん覚えてるよ。
 正座に対しては『できる気がしないよ』。
 誘われていた学校祭の茶会に対しては『やっぱり、断る』。
 完全にネガティブな気持ちで、始める前から逃げようとしてた」
「でも。結果はどうでした?」
「ばっちりできるようになった。
 ナナミがまず、立った状態から座るところから教えてくれたから」
「そうでしたよね。
 では、今度はリコ先輩が私に教えて下さいませんか。
 あのときとは、立場が逆ということで」
「よーしわかった。やってみせましょう。
 座るときは、まず、服装を確認しましょう。
 わたしたちは今日スカートをはいているので、正座するときは、必ずお尻の下に敷くようにしましょうね。
 次に、背筋を伸ばすことを意識しましょう。
 一見背中が曲がった姿勢の方が楽に思えますが、実は、背筋がまっすぐになっているときの方が、気持ちよく、楽に呼吸できるんです。
 ストンと正座ができたら、肘は垂直におろします。
 すると手の位置は、自然と太股の付け根と膝の間に来るかと思います。
 そうしたら、両手をカタカナの『ハ』の字になるように置いてください。
 こうすることで、さらに楽な姿勢になります」
「フフ。はじめてこうしたとき、リコ先輩は『手はまっすぐに置くのではないの?』と訊ねられましたね」
「そうそう。やってみるまでは、まっすぐに置いた方が楽なんじゃないかと思っていたの。
 だけどナナミの言う通り『ハ』の字においてから世界が変わったな。
 いつも正座を教えるときはまずこの『ハ』の字の話をしているもん。
 ……さて。
 こうして、上半身の姿勢を整えることは上手にできましたね。
 となると次に気になるのは、下半身ですよね。
 とりわけ、足の親指の位置が気になると思います。
 だけど足の親指の位置は、さほど気にしなくて大丈夫です。
 左右の親指同士がくっついてしまいそうでも、軽く重なっていても、深く重なっていても、特に問題はありません。
 この点は、痺れやすさには関係ありません。
 でも。片足の親指が、もう片方の足のかかとより外には出ないようにしましょうね。
 ではここで、鏡を見てみましょう」
「はい! あ、ばっちりです」
「……ふふふ。さすが『正座先生』だね!」 

 正座初心者のときは、たとえ正しく座ることができていても、どうしても自信が持てず、不安になるものだ。
 だけどわたしはある日練習中、自分の姿勢を客観的に見ることができると『あ、ちゃんとできているな』と、安心できることに気づいた。
 そうだ。
 もし……学校祭当日、正座を教えることがあって、その人が不安そうにしていたら。
 スマホのカメラで写真を撮ってあげて『大丈夫ですよ。この写真の通り、綺麗に座れています』と伝えると、ホッとしてもらえるかもしれない。

「ではリコ先生。
 質問よろしいでしょうか」
「はい。ナナミさん、なんでしょう?」
「痺れにくくなる方法を知りたいです。
 痺れてしまってから行うものではなく……事前に準備しておくストレッチのようなものが知りたいです」
「では、ストレッチの方法をお伝えします。
 椅子に座って、足の裏をぴったり床に付けましょう。
 それから、かかとを床に付けたままの状態で、つま先を上げたり下げたりを繰り返してください。
 同じようにかかとを床につけたまま、足首から下をくるくる回してほぐすのも良いです。両方やって見て下さい」
「すごい。リコ先輩、このストレッチ、ちゃんと覚えてらっしゃいましたね。
 これ、教えたの相当前でしたのに」
「実は今でもよくやっているんだよ。
 これでも、反復練習は怠らないタイプなの」

 そうだ……。
 学校祭当日、最初は木の椅子に座っていたけれど、せっかくなら正座をしてみたいと言ってくれた人には、このストレッチをお伝えしよう。
 そうすれば、安心した気持ちで正座を始めることができるはずだ。

「リコ先生。座り方に続き、事前のストレッチを教えていただきありがとうございました。
 では、最後に質問します。
 正座をすることのメリットとは何でしょう?」
「はい、お答えしましょう。
 正座は、正座することに慣れていない人、身体が硬い人にとっては、確かに維持しづらい姿勢です。
 意欲的に正しい姿勢で正座をしてみても、どうしても足がしびれてしまうこともあるので、くじけそうになることもあるかもしれません。
 でも、正座をして背筋を伸ばし、正しい姿勢になることで、内臓の動きが活発になったり、骨盤矯正がされたりします。
 冷え性の改善にも、つながります。
 それに何より、正座は見栄えが良く、きちんとした印象を与える姿勢です。
 なので人と接するとき、自然に正座ができれば、相手に自然に敬意を伝えることができます。
 だから、誰かと一緒にご飯を食べるとき、どこかにお呼ばれしたとき。誰かの真面目なお話を聞くとき。
 そんなときにすんなり正座ができると、正座はあなたの気持ちをより深く伝えてくれると思います。
 習得しておけば、きっとあなたの暮らしの役に立ちます」
「ばっちりですね!
 これで学校祭当日同じ質問をされても、スラスラ回答できますね」
「わたしも今そう思ってた。
 初めてナナミに正座を教わった日も、こうして事前にしっかり練習できたから、自信が持てた。
 茶会で失敗せずに済んだだけじゃなくて、これをきっかけに勇気を出して、茶道部に入ろうって思えた。
 ……つまり、今日もそうやって、わたしの緊張をほぐしつつ、事前準備させてくれたんでしょう?」
「あはは。わかっちゃいましたか」
「もちろんだよ。わたしはどれだけ『正座上手』になっても、ずっとナナミの弟子だからね」
「だからね、リコ先輩。私は大丈夫だろうって思ってます。
 リコ先輩はすでに、正座について、これだけの知識と技術をお持ちなのですから。
 学校祭当日、リコ先輩や、部員のみんなが、自然と正座をしているだけで、きっとお客さんたちも正座したいという意欲を持ってくれると思うんです。
 だって今おっしゃった通り、正座は見栄えが良くて、相手に対する敬意を伝えることもできる座り方ですからね」
「ナナミ……」
「リコ先輩が今回おっしゃっている『正座を強制したくない』というお気持ち、私は正しいと思っています。
 正座に限らず。自分の好きなことだからと言って、無理に勧めるのは良いことではありませんからね。
 でも『本当は正座の良さを知ってほしい。一緒に正座してほしい』という気持ちも、私は正しいと思っているんです。
 一人でならいくらでも自分の好きなようにすればいいですが、今回は相手がいることですから。
 相手のあることは不確実なので、不安になる気持ちはわかります。
 でも、だからこそ、これまで自分たちがやってきた事を信じましょう。
 当日は、私もお手伝いいたしますから!」
「うん!
 あのさ。ナナミってやっぱりすごいね。
 今のナナミの言葉で、わたし、ずっと悩んでたことが吹き飛んでいったよ。
 わたしのこと、本当に深く理解してくれているんだね。
 いつもありがとう」
「そうですよ?
 リコ先輩がどれだけ偉大な『正座先生』になったって、わたしはずっと、その師匠なんですから。
 いつでも! 師匠として、弟子のお世話をし続けます!
 なので当日は一緒に、頑張りましょう!」
「おー!」

 つい少し前とはまるで違う明るい気分で、わたしは元気な声を出す。
 そしてナナミと二人そろって、拳を高く、大きく上げた。


 こうしていよいよ、学校祭当日はやってきた。
 茶道部は去年の学校祭において、茶室で、決まった時間に茶会を行うという、きわめてスタンダードな出し物を行っていた。
 だけど今年は、野外。
 全く違う出し物をしているわけだから、今回は『この時間で、このくらいの数のお客さんが入っていれば大丈夫。赤字脱出』『こういうトラブルが起きたとき、こういう対処をすれば無事解決』といった、目安になるデータもまるで持っていない。
 なのでひたすら『どうか赤字にはなりませんように』とビクビク緊張しながら……。
 これまで練習した通りに、丁寧に接客するしかないのである。

「いらっしゃいませ!
 本日はお日柄もよく、すばらしい空気の学校祭となりました!
 ここはまず、茶道部と数学部の合同スペースで、お食事していきませんか?
 定刻に行っている野点の他、いつでも気軽に椅子に座ってお茶とお菓子も楽しめるスペースもご用意していますよ!」

 不安を悟られないよう、できるだけ明るい笑顔で呼び込みをしながら、わたしは思う。
 本音を言えば……いっぱい、いっぱい買い物をしてほしい!
 もっと正直に言えば……たくさん買い物をしてくれて、正座しながらお茶を楽しんでくれる、理想のお客さんとたくさん出会いたい!
 ……と。
 だけどそれは、すべてわたしの都合だ。
 お客さんたちはそれぞれ、今日のスケジュールとか、予算とか、体調とか、一人一人まったく違う事情を抱えながら、今日を楽しもうとしている。
 だから、いくら自分望み通りの一日にしたいからと言って、わたしがそれを邪魔してはいけないし。その結果、たとえわたしにとって、今日が悲しい結果に終わったからと言って、恨んだりしてはいけないのだ。

「茶道部? どうする? 寄ってく?」
「えーっ。茶道部ってことは正座してお茶とか飲むんでしょ?
 わざわざ学校祭来てまで正座したくないって」
「だよねー。向こうのスペース行こう」

 と思ってはいるのだけど。
 時には通り過ぎていくお客さんのこんな言葉に、ズキッと傷ついてしまうこともある。 
 というかせめて。そこの! 看板の説明! を見てほしい!
 今日は! 正座をしなくてもいいんだよ!
 と、思わず呼び止めたくなる気持ちを押さえながら、わたしは胸のあたりをサスサスさすることで、どうにか気分を落ち着けようとする。
 それにしても……。
 物を売るというのは、こんなにも不安で、心細いものなのか。
 ああ、一人でもいいから多く、お客さんが来てほしい。
 ああ、一個でも多くお菓子が売れてほしいし、一回でいいから野点を楽しんでいってほしい。
 でも強制はできない。
 この、なんと歯がゆいことか!
 ああ、今すぐ誰か、というか大勢でこのスペースに来て!
 そしてたくさん楽しんで、大声で『茶道部と数学部のスペース、最高だった!』と叫んで宣伝して!!
 ……とはもちろん言えるはずもなく、わたしはいらしてくださったお客様一人一人に、できるだけ最高の接客を続けていく。
 だって本音をぶちまけるだけでは、人を惹きつけられない。
 人間誰だって、できれば飾らず、素のままの自分で愛されたいものだけれど……。
 どんなにつらいときでも、不安で嫌な気持ちになって、つい投げ出したくなるときでも。
 こうして人に喜んでもらうための仕事をするときは、相手のペースに合わせて。だけど相手に合わせすぎるとしんどいから、その度に折衷案を探しながら、営業努力をし続けていくのだ。
 頑張るぞ、頑張るぞ、頑張るぞ、わたし!
 と。
 ナナミと練習した完璧な正座で接客を続けていると。

「あれ?」

 なぜかつい三十分ほど前に、通り過ぎて行った女の子たちが、なぜかジャージ姿で戻ってくるではないか。

「すいませーん。
 二人……お茶会? に参加したいんですけどぉ……。
 大丈夫です?」
「い、いらっしゃいませ!
 もちろん大丈夫ですよ。ぜひご参加下さい!
 でも……どうしたんですか?
 こう言うのもなんですけど……お客様。
 さっきは『茶道部のコーナーはちょっとハードル高そう』っておっしゃってませんでした?」

 ああ、そんなこと聞かなければいいのに、つい口が滑ってしまった。
 だけど女の子たちは顔を見合わせると、デヘヘ……と笑いながら、こう言ってくれた。

「まあ、正座って絶対つらいよね。
 頼まれてもやりたくないよねー。
 って、さっきまで思ってたんですけど。
 おねーさんたち、なんかずっと正座してるのに楽しそう、平気そうだし。
 だったら私たちにもできるのかな? って思えたし。
 そう思ってチラチラ見てたらそこの数学部? のメガネの人が『ジャージを着ていると正座しやすいですよ。僕もそうやって練習しました』って教えてくれたんで。
 だったらせっかくなんで……ねぇ?」
「うん。ちょうどジャージ持ってきてたし。
 たまには正座もいいかなって……」

 数学部のメガネの人。
 ナツカワ君に違いない!
 ナツカワ君、最高のアシストをありがとう!

「正座でお茶を飲みたいと言って下さり、嬉しいです!
 では、ぜひこちらに……」
「いやいやおねーさん感謝しすぎでしょ」
「いいんです! 今とても嬉しいんです!」
「おねーさんめっちゃ変な人だね」
「そうなんです! ちょっとやりすぎなリアクションしちゃうくらい嬉しいんです!」

 と、感激しながら案内を始めると。
 そのとき向こうの数学部スペースでも、異変が起きた。
 今まで座ってクイズに答えていた小さな男の子が、今の女の子たちの会話を聞いていたのか……。
 茶道部&数学部チームが実は全員正座していたことに気づいて、自分も正座を始めたではないか!
 そんな彼に、ナツカワ君が嬉しそうに質問している。

「おや。どうしたんだい? 急に座り直して正座を始めて」
「うーん別に?
 どうせだったら正座しようかなー。って思ってさ!
 だってお兄さん、さっきからずっと正座してるでしょ。
 しかもそれでずっとさっきの自称クイズ王?
 とかもやっつけて、全問正解してるじゃん?
 だから頭の回転? とかに。
 もしかしたら正座が関係あるのかもって思ってさー!
 痺れたり、嫌になったらやめる!」
「フフフ。君はなかなか見どころのある少年のようだ。
 大正解だよ。正座をすると、呼吸がしやすくなる。
 呼吸がしやすくなり、身体に酸素をしっかり送り込めると、集中力が高まる。
 これが結果的に、頭の回転をよくするのさ」
「えっ? マジで? おれ、今ならお兄さんにも勝てちゃう?」
「その可能性は大いにある。
 では僕も、正座をし直して、本気で勝負させてもらうことにするかな」
「おう! かかってこい!」
「うふふ。こっちのお兄さんだけじゃなくて、わたしもいますよぉ?
 正座が生み出した学年一位の頭脳、お見せしちゃいますね!」

 あぁ……ナツカワ君も、オトハちゃんも。
 そしてお客さんの男の子も、本当に楽しそうだ。
 正座を強制なんてしなくても、楽しく、上品に正座をしている姿を見せれば。『いいな』『自分もやってみたいな』と思ってくれる人が、本当にいたのだ!
 思わぬ成功に思わず泣きそうになりながら、わたしは思う。
 今回はうまく行きそうだけれど、次に何かやるときこそ、私は失敗するのかもしれない。でも『そうなるかもしれない』って不安も抱えながら、わたしは『正座先生』としての活動を続けていきたい。と。
 なぜなら、失敗して傷ついたって、わたしは一度立てた目標を絶対に撤回したくない。
 『正座』についての世の中の認識を、少しでも変える活動を、絶対に続けていきたいからだ!

「あの……なんだか、楽しそうですね。
 わたしたちもこの椅子から、あっちの絨毯へ行ってもいいですか?」
「えっ!? もちろんどうぞ!」

 決意を新たにしていると、また別の方向から声がかかる。
 予想外すぎてびっくりしてしまって、つい声が上ずってしまう。

「あっ。でも、向こうでは正座ですよね?
 私たち、正座したい気持ちはあるんですけど。
 足が痺れずに正座できるか、ちょっと不安かも……」

 だけどその言葉を聞いた瞬間、わたしは息をのみ、大きくうなずく。
 同時に少し遠くで接客していたナナミがこちらをちらりと見やり、わたしに向かってウインクをする。
 そう! 今こそ練習の成果を見せるときだ!

「あの。実はですね。
 正座を始める前にしておくと、かなり有効なストレッチがありまして……」
「えっ!? 本当ですか!?」

 お客さんの顔がパアッと明るくなり、それを見たわたしの顔も、そして、わたしたち二人を見ているナナミの顔も、パァァッ! と明るくなる。

「なので、大丈夫です。
 わたしが一から、丁寧に教えますから……。
 一緒に。正座を楽しみましょう!」

 わたしはお客さんの隣に座り、期待に胸膨らませながら……。
 もしかしたらこれから『正座好き』になってくれるかもしれない彼女へ、その一歩を踏み出すお手伝いを始めるのだった。


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