[120]六芒星の双子、ガマ退治の正座


タイトル:六芒星の双子、ガマ退治の正座
分類:電子書籍
発売日:2021/06/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:52
定価:200円+税

著者:海道 遠
イラスト:よろ

内容
 京都北部に鎮座するふたつの神社、籠(この)神社と眞名井(まない)神社はかつて伊勢に還られた神様をお祭りしていたので元伊勢と呼ばれる。今は籠神社が、天火明命(あめのほあかりのみこと)をお祀りしている。
 ほど近い町長屋で育った少女カゴメは、ある日、神社にさらわれてくる。待っていたのは神社の青年宮司。しばらく親子としていてもらい、正座など様々なことを稽古してもらうと言う。さて?

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本文

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序   章

 京都の丹後地方、天橋立の北側の根本近いところに、籠神社がある。千数百年の歴史を持ち、連綿と続く宮司の家系は八十代を越える。
 その昔は天照大神と豊受大神が四年間一緒に祀られていた時期があったが、天照大神は第十一代垂仁天皇の御代に、又、豊受大神は第二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢にお遷りになった。その故事から、元伊勢とも呼ばれている。
 また、眞名井神社は籠神社の元にあった奥宮として今も存在しているのだった。ふたつの神社はそれぞれの宮司が存在し、濃い関係を築いて長い間続いてきた。

 籠神社では主祭神を天火明命として祀られる。

 大正時代―――。
 ある朝、小さな地震があった。
 自宅で飛び起きたお産婆のおリキ婆さんは、窓を開けて湾の向こうの籠神社の鳥居を見た。垂れこめた暗い雲の中に稲光が見える。
(いやな予感がするのう。アレが目を覚ましたのか?)
 浴衣の胸を掻き合わせて窓を閉めた。

第 一 章 カゴメ、宮司の娘に

 カゴメは、ふと目を開けた。
 見慣れない薄暗い空間。古い木材の匂いが立ち込めている。
「ここは……」
 起き上がると、黒光りのする広い板張りの床に寝かされていた。かすかに空いた空間から、お寺か神社の中のような場所だと判った。
「意識が戻ったようだな」
 ふいに声がして、顔を上げると宮司の装束を身につけた男が立って見下ろしていた。まだ若い。カゴメは着物の裾を慌てて整えた。
「少女よ。驚かせて悪かったな。ここは籠神社の奥殿だ。用があって手荒に連れてきてしまったが、その点は謝る」
「ひ、ひどいじゃないですか。お裁縫のお稽古から帰って、井戸へ水を汲みに行ったまでは覚えてるけど」
「すまぬ。配下のものが少々手荒なマネを」
「あなたは誰なんですか」
「私はここの宮司を務める籠英彦と申す」
「え、じゃあ、ここは元伊勢さんの中なんですね!」
 カゴメはもう一度驚いた。元伊勢とは籠神社の別名である。昔から鎮座する神社を、地元の者は誇りに思って崇拝している。
「では、あなたは宮司さま!」
 カゴメは慌ててその場に伏した。
「少女よ、恐れることはない。私は宮司とは申してもただの人間だ」
 英彦宮司は、神に仕える白い着物に紫の袴を履いている。巫女に言いつけて食事を用意させるとカゴメと向かい合って、よっこらしょと床にあぐらをかいた。
「お前の父と母も預からせてもらっている。お前がここにいることが世間に知れ渡ってはまずいのでな」
「父さんと母さんまで?」
「安全な場所だ。安心してくれ。しばらくお前が言うことを聞いてくれればすぐに家に返す」
「宮司様の言われること?」
「まあ、食べながらゆっくり言おう。食べろ、食べろ、カゴメ。もう日も暮れる。腹が減っただろう」
 宮司はさっさと箸を取り、むしゃむしゃと白いご飯と干し魚と湯葉料理を食べ始めた。わりとくだけた人物であるようだ。カゴメもやっと箸を持ったが、持ったままだ。
「眞名井神社を知っているな?」
「はい。籠神社の元、あったところの神社ですね」
「眞名井神社とは、親子のように切っても切れない間柄なんだが、最近、関係がぎくしゃくしてしまっていてな。あっちの宮司には子どもがいないはずなのに、偽者の子供を連れてきて跡継ぎだと公表して、籠神社の所領まで乗っ取ろうとしているのだ」
「まあ……」
 カゴメは呆気に取られてしまった。ずっと信仰していた籠神社と眞名井神社がそんな風になっていたとは。
「そこでだな。こっちも眞名井の意のままにされているわけにはいかんのでな、お前に来てもらったわけだ」
「はあ?」
「つまり、お前が私の娘ということにして、眞名井と対決するのだ」
「何ですって! 私が宮司様の娘?」
「そうだ」
「宮司さま、おいくつですか? 私は十四の大きな娘ですが」
「三十だ。三十で十四の娘がいても、おかしくはなかろう」
「う~~ん、う~~ん、そうかな? 私にはわかりませんが」
「断言する! お前は当分、私の娘だ」
「それって、眞名井神社のやってることと同じじゃないですか。どこからか子供を連れてきて、跡継ぎを名乗らせるって」
「目には目を、歯には歯をって言葉、お前知ってるよな?」
 宮司はポリポリと漬物を咬みながら、じろりと睨んだ。カゴメは黙って食事するしかなかった。

第 二 章 正座の稽古

 カゴメは神社の奥に一室を与えられ、寝起きするように言われた。
 朝ごはんが済むと、宮司から呼び出された。
「宮司の娘として一般教養を身につけてもらう」
「その前にどうして私なんですか。ただの町民の娘ですよ」
 宮司は答えず、
「書道、読本、弓道、茶道、作法。一番先に正式な正座だ」
「正座ならお稽古しなくてもできます」
「そうかな? ここに座ってみなさい」
 カゴメはちょこんと座ってみた。
「ああ、ダメだ、ダメだ。そんなに軽々しく座っては。もう一度立ちなさい」
 カゴメは言う通りにした。
「背すじはまっすぐ。お尻が出ている。まっすぐ立ちなさい。そう。その場に膝をついて。かかとの上にしっかり座る。その際、膝の内側に着物の裾をはさんで座ること。裾が乱れていては下品だからな」
 細心の注意をはらって言われるとおり正座すると、何回目かにやっと合格をもらえた。
 しかし床は板張りである。書道の道具を渡されて確認している間に、しびれてきた。なんとか顔に出さないようにしたが、激痛になってくる。宮司がゴザの座布団を持ってこさせた。
 カゴメがワラにもすがる思いで敷いてみると、何もないよりは楽になった。
 書道の師範という老人が来て、墨のすり方、半紙の裏表の区別の付け方、付ききりで練習させた。
 お裁縫くらいしか習ったことのないカゴメには厳しい練習になりそうだ。両手も座布団も墨でまみれてしまった。
「ふむ。こんなものだろう」
 カゴメの習字を見た宮司は、叱りはしない。
「これを明日から毎日な。茶道もだ」
「ふたつも?」
「序の口だ。今からネを上げるでない。正座も崩すことのないように」
 厳しい口調で言い渡された。
 初日はなんとか終わったが、足がしびれてそれどころではなかった。自分の部屋へ這って戻った。
「はあはあ、なんで私がいきなりこんな目にあわなくちゃいけないの」
 夕飯もノドを通らないくらい、しびれの恐怖がつきまとい、家に帰りたくなった。でも、宮司が言った通りなら両親も家にいないのだ。
 布団は今まで使ったことのない絹の布団を用意されたが、明日からのことが気にかかり、なかなか眠れない。

第 三 章 マナイ少年

 夜半、誰かが雨戸をたたく音がした。
「誰? ……なんだ、風の音か」
 起き上がったが、また横になった。……しばらくすると、また叩く音がする。
「おい、開けてくれ」
 今度ははっきり声が聞こえた。
「誰?」
「この雨戸を開けてくれ。おらは怪しいもんじゃない」
「こんな夜中に? とんでもないわ。諦めて帰りなさい、泥棒!」
「泥棒じゃないってば」
 少年の声だ。まだ声変わりしていない。
 雨戸の隙間から何かが差し入れられた。ランプを近づけてみると、それは宮司と同じ紋の入った布だ。
「おらは、眞名井神社に連れて来られたマナイってんだ」
「え、じゃあ、宮司さまの言っていた眞名井神社に連れて来られた子供のこと?」
「そうさ。俺は漁師の息子なんだ。突然、眞名井神社のおばば巫女に連れて来られて、生活してるのさ」
「まあ、私と同じじゃないの」
 思わずカゴメは雨戸を開けた。
 姿を現した少年は、上品とは言えないが、嘘を言っているとも思えない。少年は着物の袖を見せ、
「ほら、この文様、六角形の星だろ? 六芒星っていうんだ。眞名井と籠に共通した紋なんだよ」
 六芒星とやらいう文様は、籠神社と眞名井神社のあちこちに彫られていて、小さい頃から神社にお参りする度に馴染んできた文様だ。
「お前の寝ている部屋の柱にも彫ってあるだろ」
「本当だわ……あ、布団にも文様が織り込んであるわ」
「六芒星は、どうやら俺とお前の出生にも関しているらしい。だから、俺たちはそれぞれの神社に幽閉されたんだ」
「出生? 意味が分からないわ。両方の神社の宮司様たちは、私たちに何をさせようとしているの?」
「どちらが優秀か勝負させて、勝った方が両方の領地を手に入れようとしているんだよ、多分」
「そんなに籠神社と眞名井神社は、敵同士になっていたのね。両方とも尊敬していたのに、籠神社は火の明かりの神様をお祭りしていると聞いていたのに、……悲しい」
 カゴメは唇を噛みしめた。
「俺は、弓道と正座の稽古が厳しい」
 マナイが言うと、カゴメは、
「私は正座。そのうち弓道もさせられるかもしれない」
「あり得るな。しかし特に厳しいのは『正座』だ。寸分でも乱れると次の食事抜き! って言われるし」
「まあ!」 
「女宮司のオバサン、容赦ないからな」
「眞名井神社の宮司様って女の人なの? 恐ろしい」
 一番鶏の鳴く声がした。
「もう、戻らなきゃ。いいな、また来る。様子を教えてくれ。お前も家に帰りたいだろ」
「帰りたい!」
 マナイ少年は、夜明けの薄紫色の中にまぎれて、そっと去っていった。

第 四 章 弓道

 うとうとして目を覚ますと、いつの間にか枕元に見慣れない着物一式が置いてあった。
 手に取ると白い弓道着と紺の袴だ。腰ひも、白い足袋もそろっている。
 巫女がやってきて着付けを手伝ってくれた。次は英彦がやってきた。
「おお、似合うではないか。では、道場へ案内しよう」
「あのう」
「お前はこれから弓道を習うのだ」
 なんだか今までの英彦とは違う雰囲気だ。目つきはどろりとし、話し方も冷たい。
 渡り廊下を通って、広い道場へ案内された。
 銀髪で威厳のありそうな老人が白足袋で入室してきた。
 カゴメを黄色く濁った眼でじろりと見る。冷酷そうな顔つきで「情」というものが感じられない。どこか人間じゃないような。怪物のような。
「か細いおなごじゃのう。ちっぽけな蚊のようだ」
「弓道のご師範だ。カゴメ、正座してご挨拶しなさい」
 カゴメは慌てて座った。
「カゴメと申します。宜しくお願いします」
「声が小さいですよ」
「は、はい! カゴメと申します」
 昨日、英彦から教えられた通りに正座する。
「弓道の白足袋を尊重するような座り方とは、ほど遠いのう」
 カゴメはムッとした。
(なによ、さっきから聞いてりゃ、人のことを虫けら呼ばわりしてさ、このじいさん)
 道場はツルツルの板張りだ。英彦が弓矢の用具の名前を教えた。ひと通り終わると、初心者の矢の構え方をカゴメに背中から寄り添って教える。
「これも宮司になる教養のひとつですか?」
「それもある。しかし、目前の目標は眞名井の跡継ぎと名乗る者と弓道での勝負だ。我ら一族の象徴である六芒星が彫られた石に矢を中てるのだ」
「六芒星を彫った石?」
「眞名井の森の奥深くにある」
「石に弓矢を中てるなんて無理ですよ」
「真の跡継ぎの射た矢ならば、貫けるのだ」
「そんな無茶なっ」
「やってもらわねばならない」
 しぶしぶ練習を始めた。か細い腕で力いっぱい弦を引き絞るだけで、その日は精一杯だった。
 腕のスジを痛めそうなくらい、何回も弦を弾き絞った。しかし、これも一日も早く家に帰るためだ。カゴメは我慢して汗まみれになった弓道着の洗濯をした。

第 五 章 六芒星の石

 二日ほどした夜明け、マナイがやってきた。
「眞名井神社の奥の森に行こう」
「どうして?」
 カゴメは慌てて着物を着ながら、雨戸の外で待っているマナイに答える。
「森の中に六芒星の刻まれた神石があるんだよ。俺もまだ見たことがない。行って見てみようじゃないか。俺たちの運命を握っている石だ」
「わかった!」
「急げ、朝ご飯までに帰らないと、神社の者たちが騒ぎ出すだろう」
 霧が立ち込めている。ふたりは見通しのよくない竹藪の斜面を登っていった。
 霧の中にほのかに見える眞名井神社の鳥居や本殿などを、カゴメは初めて横に見ながら通り過ぎ、本殿裏の森に入っていく。
 竹藪ではなく太い木がこんもりと茂り、山土の匂いが立ち込めている。
「あれだ!」
 マナイが霧の中を指さした。目を凝らすと、黒い大きな岩が浮かび上がってきた。大人がふたりがかりで両手を伸ばして抱えられるくらいの大きさだ。
 黒に近いごつごつした岩だが、上の部分だけ平になっている。古い注連縄がかけてあり、ごつごつした部分に、確かに六芒星の紋が彫られてある。
「これが、その岩……」
「六芒星って、カゴメ紋ともいうんだぜ」
「えっ」
「俺、調べたんだ。神社の書物庫へ入って、やたらめった本を漁った。ほとんど読めない本だったけど、それは分かった」
「じゃあ、私はやっぱりもともと、ふたつの神社とは縁があったってこと? 父さんと母さんは知っていて私にカゴメって名づけたのかな」
「わからん。俺だって、家が眞名井神社の氏子だから、ただマナイと付けられたと思ってたけど……」
 そこでマナイの表情はこわばった。
「あのな、書物庫にあった本に、六芒星を射抜いた者が両方の神社を束ねて統括できるって書いてあったんだ」
「この六芒星の石のことだね」
「石のことだか、人間のことだかはっきり分からない」
 カゴメは青くなった。
「真の六芒星は、ふたつの神社の宮司の血を継ぐ者のことだ。つまり、俺とお前のことだ」
「で、でも、私たちは偽者でしょ」
「偽者じゃないかもしれない」
「……!」
 六芒星の紋を見つめながら、カゴメはぶるっと身体を震わせた。
(偽者じゃないかもしれない? 両方の神社に何か関わってる人間かもしれない?)
「とにかく俺とお前は、六芒星の石に関わる者にとって重要な存在なんだよ」
「そ、それはどういうこと?」
「はっきり分からない。今度、両神社の祭祀がある。その時がどうも危ない気がする」
「どうするの」
「おめおめ的になってたまるかよ、な、」
 マナイはカゴメの瞳を力強く見つめた。

第 六 章 母との再会

 正座と茶道のお稽古が終わってから、英彦宮司はカゴメを座敷に呼んだ。
「来月の半ばに籠神社と眞名井神社の祭祀がある。十年に一度の祭祀だ」
(キタッ)
 カゴメは緊張した。
「祭りのクライマックスに、眞名井神社の山奥にある六芒星の石を弓矢で射る競技が催される。六芒星の石の周りを、弓矢の手練れが厳粛な正座で取り囲み、立ち上がって石に向かって矢を放つ。正座が乱れる者は参加できない」
「……」
「だから正座できるように厳しく指導して、弓道の練習にも励んでもらっているのだ」
 英彦の言葉を、カゴメは丸々信じてはいなかった。マナイから六芒星の祭祀でのことを聞いてしまったからだ。
(多分、私たちは神社と深い関わりがあって、命を狙われているんだ。今度の祭りのどさくさに紛れて射殺されるかもしれない)
 自分とマナイがそれに気づいていることを気取られてはならない。
 英彦だって、英彦の配下だって敵かもしれない。
 そう思い始めると、英彦の瞳の色もウソに満ちた色に見えた。カゴメはひとつの賭けに出た。
「宮司さま、お願いがあります。お祭りの前に父ちゃんと母ちゃんに会わせて下さい」
「それはならん」
「では、祭りの競技に出ないまでです。今日からお稽古もしません。何も食べません」
「なに?」
「それでもいいんですか?」
 唇を噛みしめたカゴメの表情が本気であることを英彦は感じたようだ。
「わ、分かった。母親だけ、今夜、お前の部屋に連れていく」
「本当ですねっ」
 その日の夜半、カゴメの部屋に訪れたのは、英彦に連れて来られた懐かしい母親に間違いなかった。
「母さん!」
「カゴメ! 会いたかったよ」
 カゴメは母親の腕の中で大泣きした。
 英彦がついているので、今までどこでどうしていたとかは尋ねられなかったが、母親に間違いない。
「よかった、カゴメ、無事で」
「母さんこそ。父さんは元気?」
「ああ、元気だよ」
 さんざん、お互いの無事を確かめ合ってから、また名残惜しく別れた。
 気がつくと、カゴメの懐におみくじのように細く折りたたんだ手紙がはさんであった。
 母の文字だった。
「お前は間違いなく私たちの子だ。でも、生まれつきオツムに六芒星の紋がある」
 カゴメは急いで部屋の道具箱から手鏡を二枚取り出し、自分の頭頂部を見てみた。黒髪の地肌に確かに六芒星の紋がある。
 手紙の続きは、
「お前はどうやら神社を護るために生まれてきたらしい。神社に魔がとりついた時のために―――。お前を取り上げてくれた産婆さんが言っていた」
 産婆さんの住所も記してあった。
 カゴメはそのねじり文をそっと懐にしまい、二、三日してから夜の闇にまぎれてお産婆さんの家を訪ねた。

第 七 章 お産婆さん

 産婆のおリキ婆さんは、現役で働いていた。
 小さな家の戸口をトントンと叩くと、ものすごい勢いでお婆さんが飛び出してきた。
「お、悪いね、急ぐから!」
 カゴメは玄関に座って待ちぼうけになった。何時間待っただろうか。ようやく東の空が明るくなった頃、おリキ婆さんは帰ってきた。
「おお、待っていたのかい。お産が長引いてしもうての。しかし、無事に元気な男の子が生まれたよ」
 お婆さんは、よっこらしょと玄関へ上がり、腰をこぶしでトントンと叩いた。
「で、娘さん、何の用事だったかな」
「あのう、私、磯野長屋のお松の娘でカゴメと言います」
「カゴメ!」
 お婆さんの顔色が変わった。
「カゴメさんかい。ふ~~む。ついにその時が来たんじゃねえ。あんたはオツムにある六芒星にかけて神社を護り通さねばならんね」
「いったい何からですか」
「大きな魔物からじゃ。ワテは今まで何人かお前の頭の六芒星を持ってるものを取り上げてきた。皆、神社によく仕える人間になった」
「あ、あのう、漁師の昆布太郎さんの息子のマナイもですか?」
「おお、そうじゃ」
「やはりマナイも……」
「マナイはお前の手助けを多いにしてくれるじゃろう。なにせ同じ腹から生まれたのじゃから」
「え?」
 カゴメは思わず聞き返した。
 産婆の婆さんは、カゴメの黒髪をかき分けて「六芒星」の紋を確認し、
「ふむ。マナイにも同じものがある。お前たちはお松さんから生まれた双子なのじゃよ」
「ええっ」
「お松さんとこが貧しいから、男の子はすぐに漁師にもらってもらったがの、まさしく双子じゃ」
「マナイが私と双子……ぜんぜん似てないけど」
 呆気にとられるカゴメだ。
「知っているのかね?」
「マナイは今、眞名井神社に生活しています」
「おお、魔物はふたりとも神社に呼び寄せたか。心して神社を護るのじゃぞ」
 お産婆さんはさっさと布団を敷き、高いびきで寝てしまった。
(大きな魔物って何だろう)
 神社にトボトボ歩いて帰った。

 神社に戻ると弓道の先生が待っていた。
「ちっぽけな虫けら娘よ。細い腕で矢がつがえるかな」
 その黄色い眼に邪悪な炎が燃えているのを見てしまった。
 震えあがって英彦の後ろに隠れると、振り向いた英彦の眼にも同じ邪悪な炎が燃えているではないか。
(魔が入り込んでいる……? 最初に出会った屈託のない青年と別人になっている!)
 カゴメは心の中で叫んだ。
(マナイ! 助けて!)

第 八 章 ガマガエルの魔物

「祭祀の重要な神事に参加してもらう。神石を囲んで何人かで正座で座って精神統一してから、矢を射るのだ」
 弓道の師範が、低い地を這うような唸り声で命令する。
「六芒星の石に矢が突き立てられるとでもいうの?」
「突き立てられるとも。心の強い者の射た矢は、ふつうは不可能なものをも射抜けるのだ」
 師範のがんとした答えが返ってきた。
 六芒星の神石の鎮座する森に連れていかれた。
 今日は霧は無い。木立の隙間から陽光が斜めに差し込んでいる中に黒黒とした石がある。
 白い弓道着と紺の袴を着け、弓矢を持った男たち五人が、すでに石の周りに正座していた。瞳に光がないように感じられる。
 師範を見ると立ち上がって礼をし、正座に戻る。
 その動作はまるで人形みたいに意思がないようで、気味が悪い。
 カゴメもならって無言で地面に正座した。そんな稽古が何日か続いた。

 ある夜、待ちかねていたマナイが床下を叩いてやってきた。
 カゴメが力を出して畳や床板を上げた。蜘蛛の巣にまみれたマナイが縁の下から上がりこんだ。
「カゴメ、昨夜、俺を取り上げたお産婆さんがやってきたぞ!」
「おリキ婆さんが?」
「眞名井と籠神社に巣くう魔物とは、千年もの間、眠っていた大ガマだっていうんだ」
「大ガマ……ヒキガエルのこと?」
「ガマの妖怪が神社の敷地に千年も冬眠していて、それが最近目を覚ましたって言うんだよ。そのガマが六芒星の神石を砕いて、ふたつの神社を乗っ取ろうとしているんだって」
「マナイ! どうしてそんなことを?」
「だから、お産婆のリキさんが言うんだよ。あの婆さん、元は神社の巫女やってたんだって」
「巫女さん? おリキさんが?」
「そのガマは大昔に神社ゆえんの神様によって神石の下に封じこめられたそうだけど、十年ごとに目を覚まして、自由になるために神石を砕こうとしているらしい」
 ガマと聞いてカゴメは背筋がぞっとした。ガマの眼を思い出してみると、薄茶色に濁った瞳孔が弓道師範の黄色い眼と重なった。
「六芒星の神石を砕く! だから、弓道師範は神石を矢で射抜こうと私たちに練習させている? 黄色く濁った眼の弓道師範がガマの化身なの?」
 カゴメからそれらを聞いたマナイは叫んだ。
「カゴメ。お前の勘は多分、当たっている。弓道師範は要注意だ。俺たちを洗脳して神石を砕き、自分が完全に自由になり、両方の神社を自分のものにしようと企んでいるんだ、きっと」
「わ、私はどうすればいいの?」
「祭祀まで言うことを聞いておとなしくしておけ」
「でも、いつ射抜かれるか……」
「師範は心の強い射手を欲しがっているんだ。それは多分、お前か俺のように神社の宮司の血を引いている者だろう。俺たちでなきゃ神石は射抜けないんだ。だから、俺たちの身は本番までは大丈夫だ」
「六芒星の神石を射抜けるのは私かマナイなのね」
 カゴメは神石を囲んで正座する稽古の意味がやっと分かった。
「おとなしくしておくわ。でも、このままじゃガマに操られて神石を射抜いてしまうかもしれないわ」
「カゴメ、しっかり気を持て。俺がそんなことはさせない」
 マナイは言い渡して、再び縁の下に消えた。

第 九 章 勝負の朝

 それから、マナイの気配はふっつり消えた。
 待てど暮らせどカゴメの元へやってこない。日は飛ぶように過ぎて、祭祀の日にちが迫ってきた。
 ついに祭祀の前日になってしまった。
 弓道師範は、カゴメと弟子たちに六芒星の石に矢を射かける稽古の仕上げをして、
「では、明日が本番だ。失敗は許さん」
 と言い渡した。

 カゴメは夜遅くなっても眠れない。中庭の井戸へ水を飲みに行くと、隣の空井戸から人間の腕が出てきたので、カゴメは心臓が止まりそうになった。
「誰っ?」
「ワテじゃよ。カゴメ。産婆のリキ」
「おリキさん……」
 おリキ婆さんは、白い着物に緋色の袴を履いている。腰の曲がりかけたお婆ちゃんと思えないほど逞しさをみなぎらせている。
「長年お世話になった籠と眞名井神社の危機のため、ワテもひと肌脱がないでおられようか」
 空井戸からひょいと飛び出てくると、その場に正座した。あれほど腰が曲がっているというのに、正座した姿は背すじがピンとして素晴らしい。
「闘う前の精神統一は正座にかぎるからのう」
 歯の抜けた口元で、にやりと笑った。
「さ、カゴメ。あんたも朝まで正座して気を鎮めたがええ」
 カゴメは言われるとおりにした。
 まずまっすぐ立ち、膝をつき、浴衣の裾を膝の内側に折りこみ、かかとの上に座る。両手は膝の上に。視線はまっすぐに戻す。
 波立っていた心が静かになってくる。
「ここまで来たら、やるしかない」

 祭祀の様々な奉納――巫女の舞、神輿の練り歩きや能の催しなどは滞りなく済んでいき、カゴメは自分の部屋でそれを気配で感じていた。
 弓道着を身に着けた若者が、静かに襖を開けてカゴメを呼びに来た。
「宮司様と師匠様がお待ちでございます」
 眞名井神社の裏に行くと、英彦宮司と弓道の師匠、それと数名の若者が待ち受けていた。
「いざ、六芒星の神石へまいろう」
 口元を醜くゆがませて師匠が言った。
 六芒星の神石はいつもと変わらず、昼下がりの木漏れ日の中に、山土の匂いに包まれて鎮座している。
 やがて、師匠の目配せの合図で、若者たちは散り、神石の周りを取り囲んで弓を地面に置き、正座した。カゴメもその中にいる。
 英彦宮司は腕を組んで立ったまま見物している。
 緊張した時間が流れた。
「私も参加させてもらいます」
 声をかけて入ってきたのは、マナイだ。
「籠神社のどなたかに先を越されては、眞名井神社の面目が立たないですから」
 凛々しく宣言すると山地肌に正座した。
 英彦宮司の表情が少しだけ乱れたが、口出しはしない。
 若者が宮司に耳打ちに来た。
「最後の神事が無事に終了したようだ」
 師範の白目がよけい黄色く爛々と燃え上がった。
「一同、構えよ」
 正座していた者どもとカゴメとマナイは正座から立ち上がり、ぐるりから神石めがけて弓矢を構えた。
 それぞれの弦がぎりぎりと引き絞られる――かと思われた瞬間、カゴメとマナイの矢だけは、弓道の師範に向けられた。
「な、何をする! 的はあっちだ、神石だ!」
 驚いた師匠の口角からよだれが飛び散った。
「カゴメ、的は神石だ!」
 叫んだ英彦宮司も息を飲んだ。
 背後から老婆が、弓矢を構えているのだ。おリキ婆さんだ。
「ワテの眼はごまかせませんぞ。伊達に長生きしておりませんでのう。宮司、ガマに支配されておいでじゃのう、今、この年寄りが助けて進ぜますゆえ」
 カゴメとマナイの身体の周りから、薄く明るいオレンジ色の炎が燃え上がる。
(なんだ、あの炎は……。もしや、籠神社の天火明命?)
 英彦宮司は炎に包まれたふたりに気おされながら、弱々しく叫ぶ。
「者ども、神石を中てよ!」
 師匠が叫び、周囲の者が弓矢を放つ。しかし、どれも神石の黒い石肌にはじかれていく。
 瞬間、カゴメとマナイの構えていた弓から矢が放たれ―――、師匠の分厚い胸に、二本の矢が突き立った。
「やった!」
 マナイが叫ぶ。
 師匠の黄色く濁った眼が見開かれる。
「ぐ、ぐ、今度こそ、神社を我がものにできると思うた……のに……」
 よたよたと歩いていき、神石の前で崩れおち、ドウと巨体のまま倒れた。力を尽くして右手を伸ばそうとする。その先には神石がある。
 もう少しというところで醜いガマは力尽きた。

 英彦宮司と弓矢を構えていた者どもは、ふと我に返った。
「巫女のおリキではないか。弓矢なんぞ構えて何をしている。お前は、みくじを売っていればよいのだ」
「英彦宮司、何を言うておいでじゃ。ワテが駆けつけねば、おぬしの命も妖怪に奪われていたぞ。せっかくワテが取り上げてやった命だ、大切にせよ」
「は? さっぱりわけが分からん」
 英彦宮司は、すっかり呑気な青年に戻って、おリキ婆さんと山を下り始めた。

「カゴメ!」
「マナイ!」
 ふたりは弓矢を放り出して駆け寄った。
「やったな。無事でよかった」
「うん。マナイも無事でよかった」
 師匠の巨体は弟子たちによって運ばれていく。その表情に、もう妖怪の邪悪さはなかった。
「ガマの妖怪は追っぱらえたようだ」
「うん。私たちもこれで家に帰れるね。ちょっと待ってね」
 カゴメは六芒星の神石のところへ行き、平な石の上に正座した。パンパンと手を打ち、
「天火明命さま。妖怪は追いはらいました。次の祭祀まで鎮守として私たちをお守り下さい」
 マナイもならって、隣に正座して二杯二礼した。
 そして明るい顔を上げ、カゴメに言った。
「海の家へ遊びに来いや。約束だぞ、カゴメ」
「うん。マナイも長屋で一緒にご飯食べようね」

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