[81]次期・正座先生と秋の部活動週間
タイトル:次期・正座先生と秋の部活動週間
分類:電子書籍
発売日:2020/02/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:60
定価:200円+税
著者:眞宮 悠里
イラスト:鬼倉 みのり
内容
高校2年生のコゼット・ベルナールは、フランスから日本にやってきた留学生で、星が丘高校茶道部の新部長。
そんなコゼットは、先日茶道部毎年恒例の『茶道部合宿』を無事成功させ、次は11月に行われる『秋の部活動週間』に向けて、最後の準備を進めていた。
そこには茶道部合宿から本格的に加わった1年生部員のモエコもおり、コゼットはいつも以上に張り切っていた。
しかし、最高のプランを練ったはずの『秋の部活動週間』は、序盤、まるでうまくいかず……!?
次期・正座先生のコゼットは、茶道部の新リーダーとして奮闘中!
『正座』と『茶道』という自分たちの活動に、いかにして興味を持ってもらうか、コゼットがますます頭をひねる、『正座先生』シリーズ第23弾です!
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本文
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1
何事も、全力を尽くしたからと言って、必ずしもうまくいくとは限らない。
何事も、たくさんのお金や時間、そしてエネルギーをかけて取り組んだからといって、必ずしもその労力に見合うリターンがあるとは限らない。
そんな、なかなかにつらい現実が、わたくし『コゼット・ベルナール』が生きるこの世界にはございます。
この現実は『そんなことは当たり前だ』『そのリスクを恐れていたら、何もできない』と言われてしまえば、それまでのものです。
ですが、わかってはいても、正直なところ信じたくないものではないでしょうか。
同時に、できれば避けたいものでもあります。
ですのでわたくしの人生は、これまで、全力を尽くすのが当たり前のものでした。
たとえば学校のテストがあれば、きちんと勉強をして、万全の姿勢で取り組む。
たとえば運動会があれば、しっかり練習をして、体調や服装も整えたうえで参加する。
わたくしにとっては、学校の行事を始めとする『発表の場』はこのようにして挑むのが当たり前のものだったのです。
頑張る理由は明白です。
『すべてにおいて全力を尽くし、丁寧に挑めば、良い結果がついてくる』。そう信じたかったからです。
それに、たとえ望ましい成果を上げられなかったとしても……。『自分は万全の状態で挑んだ』という自負があれば、芳しくない結果も『自分の実力不足』として受け止める事ができたからです。
これには、学校のテストと運動会には明確な順位付けがあり、それは、自分の能力によって導き出されるものである……。という前提があったのが大きいでしょう。
それに、テストと運動会には、順位以外の、別の評価基準もありました。
それは『点数』や『タイム』などです。
仮に順位が良くなかった場合でもわたくしはこれらの視点で、自分の頑張りを客観的に判断できたのです。
たとえば、運動会で、百メートル走の順位がビリだったとしましょう。
でも、タイムはなかなかの好タイムだった! ということもあります。
その場合、わたくしは『タイム』という評価基準に目を向けることで、結果を新たな視点で見られました。
『順位としては、確かにビリだったかもしれない。だけど、タイム自体は良いものだったし、個人的に最高記録だった。だから、自分なりによい結果を出したことは間違いない! そんな自分を、ほめてもいいだろう』と思うことができたのです。
そこには悔しさや悲しさ、自分への怒りが生まれることもあります。
でも、客観的な視点を持つことで、人は冷静な結論を出しやすくなります。
その結果、一度は強く沸いたマイナスの感情も……やがて、ひとりで処理できるものに変わっていったと思えるのです。
ゆえに、わたくしはいつも思います。
何事も、全力を尽くせば必ずうまくいく。
何事も、たくさんのお金や時間、そしてエネルギーをかけて取り組めば、必ずその労力に見合うリターンが得られる。
……なんて、夢のような仕組みはこの世界に存在しなくても。
評価基準が複数存在する限り、結果を冷静な視点で見つめることは必ずできる。
そうすれば、どこかにはきっと前向きに捉えられる部分が存在する。
それを見落とさずにいれば『すべての努力が無駄だった』『何の成果も残せなかった』と落ち込む事態には、決してならないはずだ!
と。
ですが、それでも不安は生まれます。
わたくしは今、高校二年生の秋を迎えております。
わたくしは、現在通っている星が丘高校で茶道部の部長を務めさせていただいており、この秋には、新しい部員を勧誘するためのイベント『秋の部活動週間』が開催されます。なので、今は茶道部部長として、こちらに全神経を集中させているというわけでございます。
この件について、まず、お金は……学校行事ですので、あくまでも部費の範囲で、かけております。
ですが、茶道部は手持ちの部費のうち、かなりの割合の金額を、このイベントにつぎ込む予定です。
なので『たくさんのお金をかけている』と言っていいでしょう。
時間とエネルギーについては、言うまでもありません。
茶道部一丸となり、ありったけ、使えるだけ、使っています。
でも……必ずその労力に見合うリターンが得られるとは限りません。
たとえば、これだけのリソースを注いでも、一人も新入部員が入らないことだってあるのです。
そんなのって、怖すぎやしないでしょうか!?
思いつく限りのアイディアを使って、当日まで丁寧に準備に励んで、自分達の実力を最大限に発揮した、すばらしいと自負できる出し物をしても……。肝心のお客様が一人もいらっしゃらず、わたくしたちの発表を誰も見て下さらなかったら、わたくしたちは、どうしたらよいのでしょうか?
そんな不安を抱えたまま、わたくしは本日に至るというわけです。
うわー! いやですわー! 秋の部活動週間!
もう逃げたい! 逃げたいですわ!
永遠に当日を迎えず、準備だけをしていたいです!
もう実は、当日なのですけれども!
そんな、わたくしらしくもない弱気のまま、もうすぐわたくしは『秋の部活動週間』を迎えます。
はぁ……。
お客様、いらっしゃるでしょうか?
2
「……さっぱりお客様がいらっしゃりませんわね」
十一月の『秋の部活動週間』は、わたくしのこのような、部長としては、あまりにも悲しい言葉から始まりました。
「えーっ!? チョット、チョットー!
コゼットったら、それは言っちゃいけないやつデスヨー!」
そんなわたくしにさっそくツッコミを入れてくださいますのは、わたくしの双子の姉である『ジゼル・ベルナール』お姉さまでございます。
申し遅れましたが、わたくしとジゼルお姉さまは、フランス人でございます。
二人とも、一年ほど前に日本への留学を決め、星が丘高校へ通い始めました。
そしてその後、二人とも茶道部に入部したのです。
留学に至るまでの経緯にはかなりいろいろあり、その過程でわたくしとジゼルお姉様が、すれ違ったり、ケンカをしたりしたのは、一度や二度ではございません。
ですが、今回はあまり必要な情報ではございませんので、割愛させていただきます。
『わたくしたちベルナール姉妹はフランス人で、星が丘高校の留学生である』……というところだけ把握していただければ、今回は大丈夫でございます。
こうしてこの一年程度茶道部部員として活動してきたわたくしとジゼルお姉さまは、この秋、部の重要な役職を務めることになりました。
わたくしコゼットは部長、ジゼルお姉さまは副部長となったのです。
星が丘高校は部活動に非常に力を入れており、その団体数は四十ほどございます。
けれど、部長も副部長も日本人ではないという部活は、きっとこの茶道部くらいでしょう。
ここまでお話ししたところで『えっ? そんな部活動大丈夫!? 慣れない海外の高校で、二人はちゃんと部活を運営できているの?』という声が聞こえてきそうですわね。
ですが、こちらに関しては全く問題ございません。
わたくしは正直、日本語はほぼ完璧にマスターした! という自負がございますからです。
これは、ジゼルお姉さまも同様です。ジゼルお姉さまの方にはまだ、ほんのわずかななまりは残っておりますが、日常会話には全く支障はございません。
つまり、二人とも日本語の成績は、話す面においても、書く面においても、抜群に良いのです。
なので、コミュニケーションの面で不足はございませんし、部の運営も難なくできる。というか、できている! と自信を持って言えます。
これは、今回の『秋の部活動週間』においても同様です。
なので『受付をしているフランス人姉妹の日本語があまりにも不得手だから、近寄りがたい。よって、茶道部のスペースに見学者が来ない』ということも、ございません。
ございません、はずです……。
それとも、金髪の生徒が受付に二人並んでいるというだけで、何か『威圧感』のようなものが出ているのでしょうか……。うううっ……。
と、思っておりますと。
「そうですよぉっ……。
そ、そんな弱気な態度、いつも強気のコゼット新部長らしくありませんっ!
も、もしかしてぇ。『秋の部活動週間』の滑り出しがとても悪いかのようなふりをして……わたしたち、つまり他の部員を試そう。
集客のための、よりよい案を出させよう!
って、魂胆ですかーっ?」
ジゼルお姉さまに続いて、一年生部員の『ムカイ オトハ』さんが口を開きました。
ですが『らしくない』というのは、わたくしのセリフです。
オトハさんの声は上ずり、どもりがちで、顔もひきつっています。
その様子は、いつも明るくおちゃめで、でも冷静で、時には一年生部員とは思えないシビアで的確な意見を下さる、オトハさんらしくありません。
つまりそれほど、オトハさんもこの事態を重く見ているということでしょう。
「そんな魂胆、ございませんわよ……。
わたくしなりに今日までいろいろ取り組んでまいりましたが、正直なところ、この結果にショックを受けておりますの。
かといって、今から全く違う宣伝方法を考えようにも、この場を離れるわけにはいきませんし……」
ああ、なんだかこの会話の流れ自体、どこかで聞いたもののような気になってきました。
先日の茶道部定例会議においても、わたくしはこのように弱気でした。
そんなわたくしをジゼルお姉さまがたしなめ、オトハさんが明るく場を盛り上げる……。といったやり取りがあったのです。
しかし、茶道部定例会議と現在とでは、決定的な違いがございます。
茶道部定例会議の日は、まだ『秋の部活動週間』の準備段階でした。
なので、わたくしがどれだけ弱気でも、別にそれでよかったのです。『秋の部活動週間』当日までに精神面を立て直し、明るい気持ちでいれば、会議中に多少ダメな空気を出していたって、許されることだったのでございます。
ですが……。
「やはり、基本に忠実な出し物にしようとしたのがいけなかったのでしょうか。
わたくしたちは今回、いろいろ考えすぎた挙句……。
まず、去年の掲示をデザイン面でパワーアップさせて……。
いわゆる『和風テイスト』に関心のある方の目にも止まるような、おしゃれなものを目指してみました。
正直、なかなかよいデザインだと思いますの、これ。
掲示前に、和の文化に関心の強い、OGの『カワウチ アヤカ』様にもチェックしていただきましたが、彼女からの評価も高かったですし。
それから『茶道には興味があるけど、正座には苦手意識がある』という方の認識を変えていただくために……。
『正座はこんなに気軽にできるものですよ』ということをご理解いただくための『正座体験ツアー』を『正座体験コーナー』に名前を変えて、今年もスペース内で開催!
こちらも! 去年よりも気軽に参加できるように! 去年とは会場を変え、全面カーペット張りで、くつろぎやすい印象の多目的室に変更させていただきました。
そして、去年好評だった和菓子の配布だって。
もはや、スーパーマーケットの試食のように、とても気軽に手に取っていただける……。
むしろ、スペース内に入らなくても、お菓子を食べていっていただくだけでいい雰囲気に改良しましたのに! ついでに茶道部の冊子とセットで受け取っていただく形式にはしましたが!
あぁ! これ以上! 何をすればいいとおっしゃりますの!
一体! わたくしたちの! 何がいけないとおっしゃいますのぉ!」
「とっ、とっ、と。とりあえず、受付スペースでおっきな声を出すのは、いけないことでござるよぉ。コゼット殿!」
……確かにいけませんでした。
周囲のご迷惑になっているうえに、突然叫んだものですから、脳への刺激も強かったようです。頭がグワングワンと揺れ、同時にだんだん目がぐるぐる回ってきました。
ちなみに今わたくしをたしなめてくださったのは、一年生部員の『ヤスミネ マフユ』さんです。
武士のような口調でお話しされる彼女は、実は人間ではございません。
その正体は、とても昔からこの星が丘市に生き、星が丘神社から街を守り続けている、とても長寿の精霊様なのです。
そんな彼女は、前部長である『サカイ リコ』様からの『茶道部を少しでも良くしたい』という熱い思いを受けて、この春から活動に協力して下さることになりました。
つまりマフユさんは、わたくしの『とても年上の後輩』にあたるというわけです。
そして同時に、本日の星が丘高校茶道部は、精霊様が部員にいるという、星が丘高校どころか、星が丘市、いや、日本全域を含めても非常に稀有な団体であるというのに……。
その精霊様の力をお借りしてもなお『お客さんがいない』という状況に窮している。というわけです。
「そうですよ。落ち着いてくださいコゼット部長。
『基本に忠実』で悪いことなんて、絶対にあるはずがありません。
コゼット部長は今、思うようにスペースに人が集まらないせいで、冷静さを欠いているんです。
つまり、今のコゼット部長の判断は正しくありません。
お茶をどうぞ。お飲みになってください。
……それから、そこのちょっと傷んでるお菓子も、もうお客様にはお出しできませんから食べちゃいましょう」
「そうですわね……そうしますわ……シノさん……」
わたくしをいよいよ落ち着けてくださいましたのは、一年生部員の『カツラギ シノ』さんです。
いつもクールな彼女は、この状況に瀕してもなお冷静です。実に頼りになります。なんと優秀な後輩なのでしょう。
そんなシノさんはこの春、オトハさんに付き添う形で茶道部を見学されたことで出会った、本来入部の意志のない方でございました。
さらにシノさんは当初、茶道部にあまり良い印象を持っておられませんでした。ゆえに、なかなか良い関係になれなかった時期もあったのです。
だけど最終的には入部を決意してくださり、今ではすっかり、この部になくてはならない存在となっておられます。
わたくしはそんなシノさんとの関係を通じて、次のようなことを学びました。
それは、人はいくらでも変われるし、最初は無理そうだと思ったことも、アプローチ次第では十分に達成できる! ということです。
こう思えるようになったのは、シノさんにあきらめずアタックを続けた前部長のリコ様の活躍を、すぐ隣で見ていたのも大きいでしょう。
本日ここにはいらっしゃらないリコ様は、実を言うと、部長としては少し頼りない方であったかもしれません。
だけど彼女はいつも柔軟で優しく、人の意見を受け止めて、自分の糧にする力をお持ちでした。
そんな彼女が、シノさんと絶えずコミュニケーションを取り続け、シノさんの『本当は茶道に興味がある』という本音を引き出してくれたからこそ、シノさんは現在ここにおり、わたくしと一緒に活動してくださっているのです。
わたしはこのリコ様の取り組みを見ていて、人ともっと積極的に、前向きにかかわろうと思えるようになりました。
わたくしは生来かなり頑固で、一度『こう!』と決めたら意見を変えたがらないところがあったのですが、それも、リコ様を見ていて改めようと思ったのです。
……そうだ、リコ様です、リコ様。
リコ様がいらっしゃった頃、わたくしは今のようなキャラクターではございませんでした。
どちらかというとシノさんのように、落ち着いて、リコ様という部長を、脇から支える役割を担っていたのです。
それが今では、この有様です。
先ほど話題になった茶道部定例会議のときもオトハさんに指摘されましたが……。どうやら『部長になる』ということは、想像以上のプレッシャーがかかるものだったようです。
今のわたくしと来たら、部に何かあるたびに慌てて、驚いては、右往左往。
『冷静』の『れ』の字も感じられないほどにアワアワとたくさんのことを恐れ、怯え、神経をすり減らしているという状態です。
だけどそんなわたくしでも、おひとりだけ、なんとか気を配れる存在がおります。
この茶道部には、今、わたくしよりも心配されるべき方がいらっしゃるのです。
そう、わたくしよりも、もっと心配なのは、一年生部員の……。
「モエコさん。そうだ、モエコさんはいかがなされていますの?」
「モエコさんは今日の『正座体験コーナー』の担当ですからぁ。多目的室の中で待機してもらってますよぉ。
とはいってもすることがないので、スマホとか見て、休んでるんじゃないでしょうかぁ」
「オトハさん、教えてくださりありがとうございますわ。
みなさまも、ありがとうございます。
みなさまがわたくしをクールダウンさせてくださったおかげで、少し冷静さを取り戻しましたわ。
ちょっと、モエコさんの様子を見てまいりますわね。
オトハさん。その間、わたくしの代わりに受付をしてくださりますか?」
「もちろんです。承知しましたぁ!」
こうしてわたくしは一度受付のイスから立ち上がり、お仕事をオトハさんに代わっていただきます。
それから扉を開け、多目的室内に入りました。
すると……。
「ひいっ! あっ、あっ、あっ、コゼット部長……!?」
「あの、お、お、お元気かしら? モエコさん」
噂のモエコさんは、スマホを見て休憩するどころか、ずっと手順書を見て『正座体験コーナー』の実演練習をされておりました。
モエコさんは茶道部の一年生部員ですが、入部後、幽霊部員状態だった期間が少し長くございました。
そのため、本格的に活動に参加してくださるようになったのはここ数か月という『実質新入部員』なのでございます。
つまり、今日茶道部のスペースの担当者として集まっている、わたくし、ジゼルお姉さま、オトハさん、シノさん、マフユさんの五人よりも、はるかに活動期間が短い。
結果、まだ手厚いサポートが必要な方なのです。
なので心配になって見に来たのですが……やはり、まだお一人で『正座体験コーナー』をするのは難しそうです。もしお客様が来られたら、わたくしが後ろでサポートするのがよさそうです。
問題は、そもそもお客様が来るのか? ということですが……。
おっと。話がそれてしまいました。そんなモエコさんは、相当気を張っていらっしゃったのでしょう。
入ってきたのがわたくしだとわかるなり、驚いて手順書を遠くに投げ捨ててしまうとともに、ヘナヘナとその場に両手をつきました。
わたくしは手順書を拾いながら、そんなモエコさんに話しかけます。
「驚かせてしまいましたわね。
ご安心くださいな。特に何か用事があるというわけではございませんの。
ただ、モエコさんの様子が気になって覗きに来ただけですわ」
「ふえっ!? そ、そうなんですか……。
わ、わ、わ、わたしてっきり、何かしてしまったのかと……」
「その可能性はありませんわ。だって」
「だって?」
お客さんが一人もいらっしゃらないのに、モエコさんが『何かする』。
つまり、ミスを犯す可能性なんてあるはずもないじゃありませんか……。
と、言いたくなってしまいますが、そんなことを口にしたところで、場の雰囲気が悪くなるだけです。
わたくしは
「おっほん。いえ、なんでもございませんわ」
と、かなり苦しいごまかしをすると、健気にもずっと正座をしていたらしいモエコさんの隣に座りました。
ところでモエコさんは、非常に緊張しやすい方です。
『茶道部の実質新入部員だから』というのとはまた関係なく、いつもちょっと驚きがちというか、怯えがちなところがございます。
なので、常時どもりがちなお話し方をされるのでした。
ですが、そんなモエコさんは、今回すごく気合を入れて準備に挑んでくださいました。
まだ茶道も正座も始めたばかりですのに、この『正座体験コーナー』の担当に、自ら立候補してくださったのです。
それには、どれだけの勇気が必要だったことでしょう。
その勇気を無駄にしないためにも、わたくしはよい宣伝をして、たくさんのお客さまをここへお連れして、モエコさんに練習の成果を発揮していただきたかったのですが……。
「モエコさん。もしかすると、今日のお仕事はないかもしれませんわ。
『秋の部活動週間』の初日が始まり、すでに一時間が経過しましたが、茶道部のお客様はゼロ。
本日の受付は、一時間後の十七時までですから、このまま作業がないことも考えられます。
でも、それはモエコさんのせいではなく、正しい宣伝活動をして集客ができなかった、部員全員の責任でございますわ。
だから、もしかすると今日は退屈な時間を過ごされるかもしれませんけど……。
そのときは、どうか許してくださいましね」
「ななな、何を言ってるんですかコゼット部長。
おおお『お客さんが集まらないのは、部員全員の責任』と、今コゼット部長はおっしゃいましたよねっ?
それなら、コゼット部長一人がわたしに謝るのは、変。そう、変です。
だったらみんながみんなに謝り合わなくちゃおかしいです。
そうっ。だからっ。わたしもコゼット部長に謝るべきです。
ごめんなさい。わたし一年生なのに、周りの部活に入ってない子に、うまく茶道部をアピールできませんでした。
わわわ、わたしがもっとお話が上手だったり、お友達が多かったりしたら、今日誰かを連れてこられたかもしれませんのに……」
「そんな……」
モエコさんのおっしゃる通り、確かにわたくしの言葉は矛盾していました。
だけど、わたくしは謝りたかったのです。
ただでさえモエコさんには『幽霊部員』から『実質新入部員』に変化するという勇気が必要でした。
にもかかわらずモエコさんはその後も勇気を出し続けられました。
茶道部の合宿に参加してくださったり、今回の『正座体験コーナー』係に立候補してくださったりしたのです。
わたくしは、そのすばらしい勇気が無駄になるかもしれないことが申し訳なくて申し訳なくて、だから謝りたかっただけなのです。
「ああ、そうじゃありませんの。謝らないでくださいまし。わたくし、決してそんなつもりでは……ごめんなさい」
「いいえ! コゼット部長が謝る限り私も謝ります!
ごめんなさい!」
「あああ、ダメです。ダメですわモエコさんっ。ごめんなさい。だからもう謝らないで……」
と、二人で『謝り合戦』のようなことをしていると……。
「コゼット部長! モエコさん!」
シノさんが扉を開け、まるで救世主のようにこの場に現れました。
「ついに一組、受付されました。『正座体験コーナー』への参加を希望だそうです。
お二人組なんですけど……モエコさん、行けますか?」
その言葉に、わたくしとモエコさんは顔を見合わせます。
突然、謝り合っている場合ではなくなったからです。
わたくしは思わずモエコさんの手を握り締めると、彼女に向かってこう告げました。
「モエコさん、一緒にやりましょう」
「えっ……いいんですかっ?」
「はい。初回ですし、付き添わせてくださいな。
とはいっても、モエコさんの作業を奪うようなことはいたしません。
後ろからモエコさんが『正座体験コーナー』をする姿を見て、モエコさんが困ったときだけお手伝いさせていただきたいのです。よろしいかしら?」
「ももも、もちろんです……! ありがとうございます、コゼット部長」
「では『行ける』ということでよろしいですね。すぐにお二人をお呼びしますね?」
「ええ、任せてくださいな、シノさん。
二人なら大丈夫ですわ。やりましょう、モエコさん!」
ああ、変化というのはいつも突然訪れます。
『今日はこのまま、退屈な時間を過ごすかもしれない』と思っていたわたくしたちは、お客様の登場により、急に忙しくも、充実した時間を過ごすことになったのでした。
3
『正座体験コーナー』にいらっしゃったのは、一年生の女子生徒、お二人でした。
「そそ、それでは、今から『正座体験コーナー』を始めさせていただきますっ」
「ははは、はい!」
「よよよよ、よろしくお願いします!」
お二人はきっと今、モエコさん以上に緊張されているのでしょう。
モエコさんを含めた三人全員がどもっていて、誰がお話しされているのか、パッと見にわかりづらくなっているほどです。
それも当然です。
たまたま通りがかった茶道部が、お菓子も置いてあるし、なんだかおしゃれな雰囲気だから近づいてみたら、ヒマそうでかわいそう。
じゃあせっかくならと『正座体験コーナー』に入ったら、そこでは非常に緊張した一年生が自分達を迎えたのですから。つられて緊張してしまうのも無理はございません。
ですがわたくしはこの光景を、物理的にも、精神的にも一歩離れた位置から見ていて……。逆に、なんだか気持ちが静かに、穏やかになってきました。
そうです。先ほどまでわたくしは『たくさんのお客様に来ていただきたいのに来客がゼロ』と嘆いておりましたが、実際は人数なんて関係ございませんでした。
こうして一組目のお客様が来てくださった時点で、わたくしとモエコさんがすることは一つだったからです。
それは、今目の前にいるお二人に、良い時間を過ごしていただくことです。
「今回は。ままま、まず、正座の歴史について簡単にお話ししましょう。
実は、正座が日本で普及するようになったのは、意外と最近のことです。
なんと、明治時代に入ってからなのです」
「ええっ!? そうなんですか? 茶道って、ずっと昔から、正座をしてするルールなんだと思っていました」
モエコさんが話し始めるなり質問が飛び、わたくしは思わずハラハラしてしまいます。
モエコさんはおそらく、手順書を暗記されています。
だから、手順書の通り説明することには、おそらく問題ないでしょう。
ですが、いきなり想定外の展開になって、とても驚いておられるのではないでしょうか。
その結果、たとえば質問された途端手順書の内容が頭から飛んでいってしまっていたり、そもそも質問の答えを知らなかったりして、困っていらっしゃるかもしれません。
そこでわたくしは決めました。
……もし、モエコさんがしばらく答えに窮するようでしたら、わたくしがサポートをいたしましょう。と。
わたくしは、自分で言うのもなんですが、よく口が回る方です。
モエコさんが落ち着くまで、時間を稼ぐことも容易でしょう。
だから、あと十秒、モエコさんが話し出さなかったら……。
と思っていると。
「そそ、それっ、とてもよく、わかります。
わたしも茶道部に入るまでは、あなたと同じように考えていました」
わたくしの予想が、嬉しくも外れました。
モエコさんはどもりつつも相槌を打ち、それから質問に答えた上で、話を元に戻しました。
「江戸時代までの武士や貴族は、実は『あぐら』や『立膝』で座っていたんです。
これは男性も女性も問わず、みなそうだったことが、肖像画などからわかっています。
もちろんここには有名な茶人『千利休』も含まれます。
『千利休』でインターネット画像検索をした結果がこちらなんですが……。
ご覧になってください。よく見ると『あぐら』をかいているでしょう?」
ここまで話すと、モエコさんは、少し遠くに置いていたスマホを拾い、画像検索をしたのち、その画面をお二人に見せました。
「本当だ!」
「肖像画の座り方なんて、これまで意識したことなかったけど……確かにこれは『あぐら』ですね。
こんな有名な茶道の人が『正座』をしていないなんて、初めて知りました。すごく勉強になりました!」
これは、この場に四人しかいないという楽な雰囲気を生かした、有効な手段です。
『証拠』とも言える画像を直接見たことで、お二人はきっとこの知識を頭に定着させることができたでしょう。
モエコさんは続けます。
「お、おわかりいただけましたでしょうか。
で、なぜ、明治時代になってから『正座』が普及しだしたのかと言いますと……。
その理由は、主に二つあります。
一つ目は『畳』が人々にとって身近なものになったからです。
それまで畳は、贅沢品でした。
畳の『厚み』や『材質』、『縁の色』や『縁の柄』で身分を表現するのに使われていたからです。
だから、農民や町人は、そもそも畳を持つこともできませんでした。
結果的に、農民や町人のおうちの床は、板張りとなりますよね。
そんな板張りの床で正座をしたら、足が痛くなってしまいますから……。
正座が定着しないのも自然なことだったんです。
ですが、畳がようやく身近なものになったことで、一般市民のみなさんも、負担が少ない状態で正座ができるようになったんですね。
二つ目は『脚気』という病気が解明され、治療法が確立されたことです。
これは『江戸患い』と呼ばれるほど、江戸時代、大流行した病気です。
その原因は、ビタミン不足です。ビタミンB1が足りなくなることで、足の末梢神経障害を引き起こされるんです。
末梢神経障害というのは、つまり、痺れです。
『脚気』にかかって、足が痺れているのに、正座をする。
……か、考えるだけで、つらそうですよね?
だから『脚気』の治療法がわかるまで、人々は正座をしたくても、とてもできない状態だったんです」
「なるほどぉ! 納得しました!」
「すごいです。とてもわかりやすい説明をありがとうございます」
「あっ、あっあっ、そうですか? 嬉しいです……」
モエコさん、いいです。とてもいいです。その調子ですわ!
と、説明を受けるお二人と一緒にエールを送りたいところですが、今のわたくしはサポート係です。
仕事がありそうなとき以外は、最大限気配を消していなければなりません。
「で、で、では、正座の起源のお話はこのあたりにして。
こうして『正座ができる環境』が確立されてから、日本では正座をして用いる、あるいは他の座り方から正座に変えて用いるようになった文化が増えました。
茶道も、まさにその一つですね。
ですが、一度は普及したものの、現代では、あまり『日頃から正座をする』という人は減ってしまったように思います。
そ、それは、どどどど、どうしてだと、思いますっ?」
おお! 今度はモエコさんからお二人に質問されました!
「それは……やっぱり『脚気』に苦しむ心配がなくなっても、足が痺れるのが怖いからではないでしょうか?」
「それに、人って、つい楽な姿勢をしがちですよね。
つまり、多くの人にとって『正座』は楽な姿勢だと認識されていない……。
だから、みんな正座しなくなっちゃったんかじゃないでしょうか」
そして、お二人の回答もばっちりです。
おそらくお二人は、明らかに同学年であろうモエコさんに気を遣って、モエコさんが困るような回答は避けているのでしょう。
その優しさが、しみます。
「おおお、お二人のおっしゃる通りだと思います。
『正座が楽な姿勢だと、思っている人が少ない』これが答えだと、わたしも、思います。
そっ、そっ、そこで! 今日は楽に正座できる方法をお伝えしますっ!」
モエコさん、大きく出ました!
ですがそんな方法、本当にあるのでしょうか。
少し心配になってきましたが、ここは様子を見ましょう。
「それはっ……膝の裏側のところに、座布団を挟んで座ることですっ!」
な、なるほど!?
少し意外な展開ですが、もう少し見守ってみましょう。
「あのここに、座布団人数分あるので、早速やってみませんか」
「わ、わかりました」
モエコさんは正座したままずるずると少し移動し、部屋の壁側に置いてあった座布団を人数分取ります。
それから、お二人に差し出しました。
「あれ? 思ったより柔らかいですね。
柔らかいっていうと、あまり伝わらないですね……。
柔らかいものが間に挟まることで『正座をしている』という感じが薄れて、なんだかリラックスできる気がします」
「そそそそ、それなんです! あの、あなたはいかがですか?」
「確かに、思ったより正座しやすいというか『これって正座?』って思えるくらい、楽に座れるかもです。
……これって、正座なんですか?」
「正座なんです! 膝の間に座布団を挟んで座ったり『正座椅子』と呼ばれる専用の正座道具を使ったりすることも、立派な正座のひとつなんです。
確かに始めは『これって正座にカウントしていいのかな』って思うかもしれませんけど、いいんです。
先ほどおっしゃられたように、正座って、現状『正座が楽な姿勢だと、思っている人が少ない』ものですから。
それを『正座は、道具を使えば楽になる』って認識を改めてもらえることがすごく大切なんです。
他にもね、お風呂に入って正座をすると、血行が良くなっているから長時間正座をしやすいとか、ジャージなどの、足を締め付けない服装で正座をすると正座の練習をしやすいとか、いろいろあるんです。
だからもし、今回『正座体験コーナー』をきっかけに正座に興味を持っていただけるなら、ぜひやってみていただきたいんです。
正座には、先ほど教えた日本の文化をたしなむためだけじゃなく……。姿勢が良くなって集中力が上がったり、腰痛予防になったりするっていう、日常にも役立つ力があるんです。だから……」
ふふ、この調子ですと、とても嬉しいことに、今回わたくしの出番はなさそうです。
モエコさんはすでに順調にお話をされておりますし、お話を聞くお二人も、なかなか興味を持ってくれているようです。
ですがわたくしは、今回の同席を無駄なものだったとは、全く思いません。
正直なところ、まだまだ頼りない存在だと思っていたモエコさんが、こんなにも練習を重ね、立派な説明をしている。
その努力は、もしかすると『新入部員の獲得』という形で成果を出すことはできないかもしれませんが……。
後輩の成長をを見届けられる以上に嬉しい事が、先輩部員として、茶道部部長として、あるでしょうか。ありませんわよね。
……ああ、こうしてわたくしも、部の中心的存在として積極的に活動する側から、後輩の育成に重点を置き、後輩たちの活躍を見守る側へ変わっていくのでしょうか。
いえいえ、まだ中心に立ったばかりでしたわね!
と、ついうっかりこれから『隠居』でもするかのような気持ちになってしまいましたが……。
わたくしの部長ライフは、きっとこれからが本番なのです。
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こうして『秋の部活動週間』初日は終了いたしました。
わたくしたちは全力を尽くしましたが、この日のお客様は、その後あと二組にとどまり、結果としてはあまり芳しくないものになってしまいました。
そう……。
何事も、全力を尽くしたからと言って、必ずしもうまくいくとは限らない。
何事も、たくさんのお金や時間、そしてエネルギーをかけて取り組んだからといって、必ずしもその労力に見合うリターンがあるとは限らない。
そんな、なかなかにつらい現実が、わたくし『コゼット・ベルナール』が生きるこの世界にはございます。
そんな『つらい現実』が起きる可能性を努力ではねのけ、理想的な『幸せな現実』を迎えられるときはいいでしょう。『やったぁ!』と声をあげて、自分や、自分と一緒に頑張ってくれたり、応援してくれたりした周囲のみなさまと一緒に、喜びを分かち合うのが良いでしょう。
ですが今回はそれができず『つらい現実』を体験することになりそうです。
わたくしたちはこの後も最大限努力しますが、それでも茶道部に新入部員は現れそうにないかもしれません。
結果、わたくしたちにとっての『秋の部活動週間』は、どちらかというと『失敗』と言わざるを得ない結果となるかもしれません。
ですが、これをただの『失敗』で終わらせ、何も学ばないようであれば、いよいよすべてが無駄になってしまいます。
だから……わたくしは、うまくいかなかった、あるいは、うまくいく確率が低くなってきたイベントも、次につなげるための糧にしたい。そう思っています。
だって、タダでは転びたくありませんもの!
何があろうと、絶対に何らかの前向きな成果を手に入れられたら、それでOK! それがわたくしの、新しい『評価基準』としたいのです。
「あれ、コゼットってば、今日はあまりうまくいきませんでしたのに、なんだか嬉しそうデスネー?」
「ふふ。ジゼルお姉さま、それはですね……」
まずは、先ほどのモエコさんの活躍を、ただいま一緒に帰宅中のジゼルお姉さまにたっぷりお伝えしましょう。
そうすればまず、一つ目の『学び』と『次につなげるための糧』をわたくしたちは獲得できます。
さて、どこからお話しするべきでしょうか……。
そんなことを考えながら、わたくしはジゼルお姉さまに微笑みかけました。