日本正座協会


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第14話 正座も時代とうつりにけり


執筆者:そうな


 未来では、歩かなくても移動できるだとか、地球の裏に行かなくても情報が分かるだとか、火星に住めるだとか、世の中には、遠い昔から色々な夢が飛び交ってきた。
その出所の大半が夢想であったとしても、叶える気持ちと努力をすれば、概ね近いものが実現する事例は多い。
未来を近く感じるのも、遠く感じるのも、自分の気持ちと努力次第なのだろう。
テクノロジーが進化しても、《これだけは普遍》だと確信する今日この頃。

 さて、今年も無事に、お盆が過ぎた。
・・・・・・と言ってみるが、今回私は、ワタクシゴトで田舎には帰らなかった。
だから、あのシナシナと歩くお坊さんの顔も見ていない。
心残りといえば、お墓参りに行けなかったのが少し残念だった。うちのお墓は、山に囲まれた自然が溢れる場所にあるので、ちょっとしたヒーリングスポットのような気がしている。その分、虫もバンバン飛んでいるが。
そして、行けない代わりに供養の意味で家の仏壇にお経をあげてみた。

「あ、今、おばあちゃん喜んでるな」

なんて自己満足をしていたのはご愛嬌。



 もう夏も終わってしまうよー、と、セミと鈴虫の入り混じる音を聴きながら、呟いてみる。
近くには母が居て、「あと1年もしたらまた夏よ」なんて言ってくれるので、「そうかそうか」と答えてみる。
そして、「そうだ」と母が思い立つ。
何事かと思ったら、


母:「そういえば、お寺さんの座布団が無くなってたよ」

私:「へぇ〜」


なんですって!?
座布団が無くなってたら、どうやって座るのですか。ジベタリアンというやつでしょうか。床に直に座って正座をしていられる人は、少ないと思う。となると、胡坐・横座りはまだしも、勘違いしてゴロ寝をしだす人もいるんじゃないか。ならば、相当見苦しいことになるのですが・・・・・・。
一時、むむんと考えた後、詳しく聞いてみることにした。


私:「座布団の代わりに何かあるの?座椅子??」

母:「んー、長椅子みたいな椅子だったわね・・・・・・」

私:「ぇえ?長椅子?」


一瞬、ユッタリとくつろぐフワフワの椅子を想像してしまった。
詳しく聞くと、なるほど。
分かりやすいように、実際に書いてもらった。
これがその図だ。
どうやら、長椅子とは、ただ単に長い椅子の事のようである。多分、私がややこしくしてしまっただけだろうが・・・・・・。


(写真1:寺の本堂にあったという長椅子)

椅子の上にクッションがくっついているそうだ。
参考までに、生地は金襴地を使っているようである。金糸銀糸の、お坊さんの袈裟などに使われているようなものだろうか。
実際に行って、実物を写真に収められなかった事が、心残りである。

本堂の座布団が、長椅子に変わった・・・・・・。
という事は、もう法事の度に正座をしなくて良いという事か・・・・・・。
そう思うと、少し感慨深いものがある。
最近、正座をする事がなかなか面白く感じられてきたところなので、今回の変化は少し残念な気もしていた。
日本文化の正座・・・・・・。
しかし、変化には大概意味がある・・・・・・そこを少し考えてみると、やはりそれだけ正座が辛かった人もいたという事なのだろう。
今まで見てきて、特に年配の方は大変そうだと思った。
みんなが楽に法事を終えられる・説法を聞ける、その為に長椅子という手段をこの寺は選んだのだと思う。いや、私が書くまでもなく、実に如実に長椅子の存在が物語っているのだが。

まぁそれでも、「正座をしたければその上ですればいいんだ」、とも思ったが、その時ある想像が浮かび上がった。
長椅子は、図のように三人がけの椅子である。その三つに人が座っている。
しかし、その真ん中の人だけ正座をしているとなると・・・・・・これは、なんとも絵的に面白いことにはならないだろうか。そう思うのは私だけだろうか。
両側が足をつき、真ん中が正座をしていると、ある意味安定感があっていいのだが、何か面白いような気がしてくる。
例えば、左側だけが正座で、他が普通に座っていると考えてみる。これは問題ない。正座が好きなのだな、と思う。
逆側だけでもそうだ。これも正座をしたかったのだな、と思う。
しかし、その通常の椅子の座り方に挟まれた正座だけが、何かをほうふつとさせる。
・・・・・・そうだ、分かったぞ。合体ロボット系だ!
大概、三体いるロボットは、両側が支え、真ん中だけがコアで落ち着いているという形になる。
つまり、安定した形というわけだ。
他にも、薬師如来像を真ん中とし、その両脇に日光、月光菩薩の《奈良の金堂の薬師三尊像》がこれにあたるだろう。

(写真2:奈良の薬師寺の大仏)

・・・・・・やはり、こんな事を考えるのは私くらいな気がしてきた。いけない。

まぁ、大概の人はそんな事を考えたり思ったりはしないと思うので、好きな時に好きな場所で正座ライフを楽しむ事をお勧めします。
自分に合っている、それが大事だと思う今日この頃。



 正座には正座椅子があり、寺の座布団が長椅子に変化した。(まだ一部の寺だけだと思います)
そう考えると、近い未来を予想しても、正座の在り方はまた変わっていく気がする。
そんな事を考えながら、私は中華を食べていた。
久しぶりに、ファミリーレストランに母と来ていたのだ。
すると、母が真顔で私の左耳辺りをジッと見ている。
どうしたのかと思い、見返してみる。
二人とも、モグモグと噛みながら静止する・・・・・・なんとも微妙な光景。
「あの人・・・・・・」と母は言う。
どうやら、私の後ろの人を見ていたようだ。
見ていたものが生身の人間で本当に良かった、と思える瞬間である。


母:「あの人、正座して食べてるよ」

私:「あんまりジロジロ見ちゃだめだよ〜」

母:「平気だよ、下向いてるもん」


振り向くと、その人は正座をして確かに下を向いていた。
こう書くと、何かを反省しているようだが、その女性は紙に字を書いていた。
椅子も、クッションのついた長椅子が備え付けてある奥の席での正座だった。なるほど、それなら足も痛くなくできる。
それ以上は、首が痛かったのと見すぎかと思ったのでやめておいた。
もし、みなさまが正座をしている時に興味津々な視線を感じたら、きっとそれは私です。あと母。

帰りの車の中で、その話しを母としていた。


私:「レストランで正座するのは珍しいよね」

母:「そうね。あの人、筆ペンで字を書いてたわよ」

私:「なるほど、それならむしろ正座の方が書きやすいよね」


そして、何を書いていたのかと聞いたところ、そんなところまでは見ていないし見えなかったとの事。そりゃそうだ。どうでもいい事でした。
とりあえず、見た雰囲気と真剣さから、PTAの名簿でも書いてるんじゃないかという事にしておいた。


私:「正座ってどんどん変わっていくのかね・・・・・・《正座》って認識しないくらいに、もっと一般的な座りやすい座り方っていう風になっていくのかな・・・・・・。外国の文化が日本ともっと融合して、最終的に座りやすい座り方が正座だった、みたいにさ」

母:「そうね・・・・・・。長椅子の変化は大きいわよね・・・・・・。」


近い未来は、どのような変化を迎えるのだろう。おそらく、その過程は、もう始まっているのだろうな・・・・・・。


世界は、絶えず変化している・・・・・・。
そう思うと、少し焦る。
人生には、やりたい事も沢山あって、時間が足りないくらいの事も沢山あって・・・・・・。
けれど、時間は急速に過ぎていくものではなく、ゆっくりと、少しずつ確実に変化している・・・・・・。
でも、だからこそ焦らずに堅実に生きていきたいものだ。

微妙な足の形の違いはあれ、近い将来、外国圏でも正座は「SEIZA」などで通るようになるのだろうか。
もしかして、それは日本人の進出によって広まっていくのではないか、いやいや、外国人の積極的な日本文化の取り入れか・・・・・・考えは幾重にも広がる。

未来はもう始まっていて、今の行動が及ぼす結果の一つでもあると思う。
明日は今日の結果、そして新しい出発点でもあるのではないか・・・・・・そう思うと、


「おちおち昼寝もしてらんないね」


そう感じてしまうが、そのくらいの余裕は持ち合わせた方が、逆にうまくいきそうだ。