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第16話 『正座と日本人』 -果たしてそれは、疑問の余地の無い常識なのか-


執筆者:そうな


――正座をすると、緊張感や集中力が得られる一方、
     心からリラックスすることはできませんでした――


 メリットを書く人はいるが、デメリットを堂々と冒頭に書く人を、私は始めてみた。それも、正座を支持する人、それに通じる人が、だ。
その後も文章は、「正座は本当に葬式や武道に必要なのか」、「当たり前なのか」、という疑問に繋がってゆく。これは読み手に、更に先を知りたいと思わせてくれる……。

正座に関する本は、なかなかに少ない。

 以前、町の比較的小さな図書館へ、正座に関する本を探しに行ったことがあった。
当然、図書館は本の宝物庫なので、抱えきれないほどの本と知識が手に入ると思っていた。
そう思い、備え付けのパソコンで検索をかけてみた……が、無いのだ。
膨大な本の中から、一体何十冊の本が検索にかかるのか……と期待していたが、検索にひっかかったのは、たったの数冊。しかも、使えそうなのは、ほんの1冊ほどで、他は「正座」という単語が含まれているだけという始末。それもまた、書庫にしまわれていたワケなのだが……。
日本なのに、実に正座の本が少ないと感じた瞬間であった。

本の有無は、地元の図書館の規模にもよるだろうが、それにしても明らかに「正座に関する書物」が少ないと感じた。
しかし、それは考えようによっては、日本人に定着しているからではないか、とも思える。
日本人なら、「誰もが知っているべき常識」。
そう日常に組み込まれているからこそ、改めて本を書く人や、取り上げる人がいないのではないか、そうとも考えられた。

 そんな中で、私は1冊の本に出合えた。
「正座」から軸がブレずに語ってくれる、説明してくれる、このご時世類まれな本である。
それが今回のお話しに使わせて頂く本、丁 宗鐵(テイ・ムネテツ)先生の著書、『正座と日本人』である。
ちなみに、文頭の引用は、本書の「はじめに」から抜粋したもの。
第10章まである立派な長編なので、早く章に入ればいいと思うのだが、この序章、大変に興味が湧くのだ。
著者の日常を交えて話しが進む序章だが、その会話文などが、面白い。
この著者、丁宗鐵先生は、医者である。大学教授や理事長など、沢山の素晴らしい肩書きを持っているが、ここは敢えて、医者という肩書きで進めることにする。(大の歴史好き) 例えばこうだ。
ある日、膝を悪くした患者さんが、自分のクリニックを訪れてきたという。
その人は、茶道など、正座をする機会の多い人だそうだ。
彼は、そういった患者さんたちに、こう聞くという。
「膝がよくなったら、どうしたいですか」、と。
すると、患者さんたちは決まって、
「また正座をしてお茶を楽しみたい」、と、言うのだそうだ。
そして、その質問の後、先生は言う。
「正座をしなくても、お茶は楽しめますよ」と。
しかし、患者さんは、なかなか聞く耳をもってくれないという。
理由は、伝統文化であり、礼儀だからだそうだ。

確かに、そう言われてみると、茶道であぐらをかいている人を、私は知らない。
先生にしてみれば、「また膝を痛めてしまう……」そういう心境からのアドバイスであることは、よく分かる。
しかし、患者さんの気持ちも分からなくもない。
自分の大好きな、あるいは誇りをもっている茶道に対して、半端な態度で行いたくはないのだろう。それが、自分の膝を痛めると知っていても、だ。
正装し、正座をして、作法に則ってこそ、お茶を美味しく頂けるのだろう。

だが、本書の著者は、敢えてそこにメスを入れる。
断っておくが、これは、患者や正座を否定しているわけではない。
誰もが「常識」と考えてきた定型の姿勢、正座。
それは、果たして本当に「欠くことのできないものなのか」、「常識なのか」、はたまた、それは「いつから行われ」、「本来の人間にはどのような座り方が一番良い」のか……そういったものを、医学的、歴史的、文化的に考察し、提案しようというものだ。
それともう1つ、医者なだけあり、「健康上にもプラスになればいい」という気持ちもあるよう。
流石、そこは安心、お医者さんである。

 さて、あまり序章ばかりでは、なんの記事なのか分からなくなるので、ここからは本編に触れてみたいと思う。
この本を読んでいくと、始めに、「正座」について説明してくれる内容が数ページ続く。
内容は、正座は本来、「かしこまる」とか「つくばう」「跪坐」「端坐」と呼ばれ、神仏の前での儀礼的な場面や、主君に対して家臣がかしこまる姿であったということ。
また、「正座」の元になっているのは、「長跪合掌(ちょうきがっしょう)」という姿勢で、仏事でひざまずいて合掌するときに行われるもの、ということだった。
前項は、なんとなくどこかで耳にした覚えがある。礼法の本を開けば、その大概が記載されているだろう。しかし、後項については初耳だった。
はて、「長跪合掌」とは、果たしてなんだろうか?
そこで、辞書(デジタル大辞泉より)を引いてみた。
調べてみると……なんとまぁ、「長跪合掌」は出なかった。
そこで、2つの意味に分けて調べることにした。
「長跪」で引くと、検索にかかった。そこには、こう書いてあった。

【――両膝を並べて地につけ、上半身を直立させる礼法――】

なるほど。
段々意味が見えてきた。
次に、念のために「合掌」を引いてみた。

【――仏教徒が、顔や胸の前で両の手のひらと指を合わせて、仏・菩薩(ぼさつ)などを拝むこと――】

なんと、仏教のものだった。
これは、周知の事実だったのだろうか。
合掌といえば、合掌造りという建築様式のように、ただ手を60度くらいの角度に合わせ祈ることだと思っていた。
1つの言葉も、掘り下げていけば、まだまだ知らないことばかり。
いやぁ、辞書を引いてよかった。

2つを調べたところで、意味を繋げて考えてみる。
つまり、「長跪」は意味の通り、正座に近い座り方。
かかとにお尻を乗せる、などとは書いていないので、今日の「正座」とも、また違うのかもしれない。
そして、「合掌」の意味に「仏教徒が……」と書いてあったことから、仏教に関係する座り方であったことが理解できた。
調べてみたら、

「なんだ、最初に説明された通りの言葉か」

と思ってしまうが、ふと、修行僧の姿が思い起こされた。
そういえば、よくテレビで、道祖神などに祈りを捧げている修行僧が、膝をついている場面を放送してはいなかったか。
書物などでも、そのような挿絵があった気がする。
「あ、祈っている……」とだけしか思っていなかったが、祈りに名前がついているなどとは考えたこともなかった。
そして、ましてやそれが、正座のルーツだったなどとは。
歴史は風化したもの……いわゆる、永久保存版としてガラスの箱に飾ってあるようなもののように感じていたが、なんてことはない、今に確実に繋がっていると思える瞬間である。
歴史は生ものである……なんとなく、そう思った。
賞味期限はなさそうだが。

 正座のルーツは大体分かった。
次に、「正座」以外の座り方の色々を教えてくれている項目があった。
座り方は6つあり、次のものだった。
「安座」→体の前で足の先を組む座り方。
「楽座」→両足の裏をピタリと合わせる座り方。
「割座(わりざ・かつざ)」→正座の状態から足を左右にはずして、お尻を床につける。
「蹲踞(そんきょ)」→和式トイレのように足を自然に開いたまま、腰を下ろしてうずくまる。
「跪踞(ききょ)」→正座のつま先を立て、かかとにお尻をのせる。
「立膝・立て膝」→右足は正座などの状態で、もう一方の片足を立て膝する。
注意する点は、書物によっては、若干だが違う書き方をしているところもある、ということだそうだ。
こんなに沢山の座り方の名称があったとは……。
見る人によっては、「大差ないじゃん」ということになりそうだ。
だが、微妙に違う。そして、これは実際に自分で再現してみれば、違いは如実に分かるだろう。
実際にしてみると、使う筋肉も違えば、楽さも違ってくる。
これには、何を語るでもない……ただ、「ほう……」と言わざるをえない。

これを踏まえた上で、話しは進む。
著者はこう記している。

「――かつて日本人は、時代や身分、着ているもの、座る床によって、アグラ、立て膝、横座りなど、さまざまな座り方をしてきました――」

つまりは、先ほど上記にあげた、6つの座り方などが、これに当たるだろう。
そして、著者は続ける。

「――アグラも、かつては正座だった――」

おぉ。
要約すると、こういうことらしい。
――現在の正座と呼ばれる座り方と、昔は違う。
――昔は、アグラや立て膝が、今のアグラだった。

なるほど、正座という言葉が、その時代ごとの正式な座り方に当てはめられるというのなら、これはあまり疑問も無く納得できる気がする。

「じゃあ、アグラはなんでアグラなんだろう?」

そんなこと、思ったことはないが、よくよく考えてみれば、面白い響きだ。
著者はこう記している。

――アグラの「ア」は、「あ(足)」
――グラは、「くら(座)」
――これは、「高く設けられた座る場所」の意味で、貴族が座る高い座席や腰かけなどの道具を「アグラ」と呼ぶ。
――「アグラ」が座る道具から座り方の意味に転じたのは、江戸時代以降です。

なるほど。
あんこの小倉とは関係ないのか。
これなんじゃないの、とか思っていたので、意外だった。 まさか、「座」を「くら」と読むとは……ここでも、昔の言葉が、そのまま今も使われているのか……。
しかし、江戸時代以降ということは、昔といっても、何百年も前ということではない。
昔々っていうが、たった100年あまりのできごとだ。
たったの何世代か、前のできごとだ。
……そう思うと、感慨深いものがあると思う。
江戸時代のご先祖様も、物書きだったらいいな……なんて、夢みている場合ではない。

更に、その事実を踏まえ、著者はこのように記していた。
古い書物に「正座」と記されていても、挿絵がなければ、今日の「正座」とは異なるものかもしれない。それこそ、アグラや立て膝だったのかもしれない、と。
逆に、今日の「正座」を、江戸時代当初は「正座」としてみていない可能性もあるという。
それというのも、当初、儒学者で医師であった貝原益軒の著書『養生訓』に、こう書いてあるからだそうだ。

【――坐するに正坐すべし、膝をかがむべからず――】
(座るときは正座をしなさい。膝を曲げてはいけません)

いけませんったって……、今日の私は、こう感じてしまう。

つまり、著者は、当初は膝を曲げない正座であったことから、これはアグラのことである、というのだ。
しかし、全てがアグラのわけでもなく、益軒の肖像画を見ると、今日の正座をしているものもあるという。
ちなみに、正坐と正座があるが、「坐」は「すわる」、「座」は「席」を意味する言葉なのだとか。
常用漢字など、一般的に使用できる漢字の制限により、今日の「正座」に落ち着いたという。

 次に、日本人改造計画についてだ。
いきなり、何を言い出すのだ、という心情だろう。言わずもがな、狙ってみた。
まぁ、このことは、本書にも書いてあり、私が変になったのではない。

明治の茶人に高橋義雄(箒庵=そうあん)という人がいた。
その人は、欧米人との結婚や、肉食、牛乳の飲用などを勧めていたという。
そして、24歳の時に本を出した。
それが、『日本人種改良論』だったという。
著者が記すには、高橋は日本人を改良したがっていた、とか。
なんだか、人を改良しようとするその心に、「何様か……」という気がしなくもない。
まぁ、私も歴史で触れた覚えがある。
確か、「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」とかいう文句が流行った時代だったと記憶している。
文明開化、新しい時代。
それくらい、当時の人は、新しき文化に希望を描いていたのだろうか。
それはさておき、その『日本人種改良論』の内容を、著者はこう記している。
「――私がとりわけ注目するのは、姿勢について言及している箇所――」
「――正座はまともな座り方ではない。正座をやめて、住宅を洋式にせよ――」
それに対し、著者は、
「――当時の彼は、よほどの西洋かぶれだったようです――」
と、しめている。
大分話しを省略して載せているが、これだけでも高橋という男は、大分西洋に肩入れしていることが分かる。
憧れだったのだろうか、それとも……。
興味のあるところだが、今は憶測はやめておこう。

ちなみに、『日本人種改良論』が発刊されたのは、1884年で、この時点で、高橋は「日本人は正座を当たり前にし」といったことを書いているそうだ。
だが、本書には、それを鵜呑みにするな、と書かれている。
どうも、この高橋という男は、士族であったようなのだ。
士族は、「特殊な人たち」だから、一般の庶民も含め、みんなが正座をしていたとは考えられない、ということらしい。
確かに、田畑を耕している人と、徳川家康が同じ姿勢をしていたとは、考えにくいものだ。そう思うと、なるほど……と納得がいく。

そしてもう1つ、著者はこの高橋の本で、興味深い点があるという。
それは、「正座」という言葉が出てこない、ということなのだとか。

「え、だって、【正座を当たり前にし】って書いてあったんじゃ……?」

それも、ページをめくってみると、解決である。
著者によると、正しくは、次のような文章だったという。

【洋服ノ儘ニテ危坐セザル可カラズ、其不便、窮屈、殆ンド堪ヘ難キ程ナラン、】

著者は記す。
「――ここでいう「危坐」とは「跪坐」のことで、すなわち正座のことです――」
「――上の文章は、【洋服にする以上、正座はやめた方がよいだろう。正座の不便さ、窮屈さは、ほとんどたえがたいほどである】といった意味になります――」
ただし、現在の辞書によっては、「危坐・跪坐」をひくと、やはり多少は意味の違う説明もあるのだとか。

これを読む限り、確かに「正座」という言葉は出てこなかった。
意味合いとしては、ここでの「危坐・跪坐」は、確かに「正座」であった。
じゃあ、なぜか。
著者はこう記している。
「――それは、明治時代まで「正座・正坐」という言葉は、ほとんど使われていなかったからです――」
「――私たちが「正座」と呼ぶ座り方は、かつては「かしこまる」などと呼ばれていました――」

なるほど。
明治時代までは、ほとんど使われていなかったと。
ということは、それ以前に正座という言葉が出来、それから明治時代には、士族辺りの人間には浸透し始めたのか……?歴史を覗けば、いつだって最先端は上流階級のものが一番乗りだと思う。
現代は、多少の金銭問題はあれど、情報が溢れているせいか、そうでもないようだが。

それでは、いつ、「正座」という言葉が出来たのか?
その問題も、著者がきちんと解決してくれる。

「――日本文化史が専門の熊倉功夫(くまくらいさお)という人は、1882年に朝日新聞で出版された『小学女子容儀詳説』が最も古いのではないか、と述べています――」
「――その内容に、【正座は、家居の時より習い置くべし】とあるようです――」
「――ただし、この本に書かれている「正座」が、今日の「正座」に相当するかについては意見が分かれるところです――」

なるほど。
それにしても、『小学女子容疑詳説』とは、一体なんなのか。
まさか、小学生の女子の礼儀作法……というわけでもあるまい。いや、違うとも言い切れない。幼い頃より学ぶのだから、小学。礼儀作法は女性の格でもあったようなので、女子……なんて推測してみる。
余談だが、私がこの文章を読んで、一番気になったのが、朝日新聞だった。
新聞の歴史も古いのだな……そう思った。
「そこじゃない……」とも思うが、だって事実なんですもんっ。

「――時代がもう少し下がるとどうでしょうか。アララギ派で活躍した歌人・島木赤彦の『異体抄』には、【アグラをかきながら正座(すわ)る】という使用例が出ています――」
「――大正時代までは、アグラや単に座ることを「正座」と言っていたのではないでしょうか――」
「――これらのことから考えるに、今日の「正座」を「正座」という言葉が表すようになったのは、それよりずっと後と推論できます――」

そうか。
明治時代には、「正座」という言葉はあったけれど、それが今日の「正座」とは違うと。

「――1941年、当時の文部省は、国民が心得るべき作法として、『国民礼法要項』を発表しました。修身の中で教えられていた作法を、日本国民が行うべき礼法としたのです――」

国が、「正座」の普及を図った。
その基本的な考え方は、【身体動作には精神が表れ、従って身体動作を正すことが、精神を正すことである】だそうだ。
これは、今日の「正座」に言われている、精神性、そのものではないだろうか。
そして、その「正座」の説明が、次の文章だ。

「――『国民礼法要項』は、あるべき座り方を、【両足の親指を重ね、両膝の間は男子は10〜15cmとし、女子はなるべくつけ、上体をまっすぐにし、両手は股の上に置き、頭をまっすぐにし、口を閉じ、前方を正視する】と記しています――」

ここで初めて、言葉としての正座が確立したと、本書には記されている。
著者は、最後をこうしめている。

「――言葉としての正座は、定義が確立してから古希(70歳)すら迎えていないことになります――」

正座というと、とても昔のもののように感じられた。
確かに、昔からその姿勢をする人はいただろうし、違う姿勢が正座として使われていたかもしれない。
しかし、今日のように、誰もが「正座」と認識できるようになったのは、国が法律にしてからだった。
法律というと、なんだか堅苦しく、自発的に広まっていったのではなかったのか……とも思ってしまうが、法律にしてこそ、あいまいでなく共有できるものが生まれるのだな、とも思った。
ある意味、この場合は、正座というジャンル(?)を確立してくれた国に、感謝である。

 時代は進み、世代も交代し、40代の常識は→20代には新しいものに、70代の常識は→10代には未知の世界へと変わっていったように思える。
でも、それを決して「無知」や「愚かなこと」と笑ってはいけないと、声を大にして言いたい。
世代ごとに変わることは、当たり前であるからだ。
歴史を見ても、常に嗜好が変化している通り、「変化」が当たり前であると思う。
だから、もし、自分がそのような場面に出合うことがあったなら、「知らないの?」ではなく、「教えてあげたい」と感じて欲しい。
受け取る側も、受け取る姿勢というものが無いと、難しいとは思うのだが。

しかし、教えてくれる人や、伝えてくれる人がいなかったら……?
私は、その役割こそが、「本」であると思う。
言語こそ編集で変わっていくが、根本的なものは変わらずに伝えられる、それが本の醍醐味なのではないか。
まぁ、その「本」に巡り合えるかは、自分のアンテナ次第なのだが、それはまた別の話しということで。

今回はここまで。
次回は、茶道の話しを紹介させて頂きたい。