[260]片膝はんなり観音と正座
タイトル:片膝はんなり観音と正座
掲載日:2023/07/29
著者:海道 遠
イラスト:よろ
内容:
仙界の山寺に鎮座する孔雀明王まゆらちゃんと孔雀のピーちゃん。ふたりは親友。ピーちゃんは最近、ご住職からもらったお小遣いを貯めて買ったスマホで写真投稿サイトを見ている。ある日、衆宝観音さまに人気が集中していることを知る。観音さまにしては、リラックスした座り方なのに、正座修行している自分たちと比べて悔しくなった。
そんなところへ、その衆宝観音の眷属で、元、羅刹の馬宝刀(まほと)という麗しい青年が山寺に修行にやってきた。
本文
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第一章 馬宝刀(まほと)
ここは仙界の俗っぽい山寺。
孔雀のピーちゃんは、最近、スマホで写真投稿サイトをしている。
お布施の中から、住職がくれたお小遣いを貯めて中古スマホを買ったのだ。スマホカバーは、まゆらちゃんが四本の手で代わる代わる細かく刺繍して、孔雀の図柄が入ったものを作ってくれた。毎日、クチバシでコツコツと画面を叩き、羽根でスライドさせ、熱心に見ている。
まゆらちゃんとは、四本の腕を持つ孔雀明王のことだ。孔雀のピーちゃんの背中で、いつも山寺のお堂にふたりで鎮座している。
ふと、衆宝(しゅうほう)観音様の写真が投稿されているのを見かけて、びっくり。観音様なのに色っぽく片膝立てて、もう片方の足は伸ばしている。その様子がなんとも言えず、京ことばで表すなら「はんなり」がぴったりだ。「上品な華やかさ」とも言おうか。
「許せないぞ! まゆらちゃんはボクの背中で頑張って正座しているのに!」
時々、ふたりで正座の所作のお稽古をする。
所作は正座修行中の活発な百世(ももせ)という女の子と、おとなしい流転(るてん)という男の子に教えてもらった。
ふたりとも外見は十一歳の子どもだが、仙界に住む者で実際の年齢は三百歳くらいだ。
ピーちゃんがスマホを見て怒っているので、まゆらちゃんが覗きに来た。
「どうしたの? ピーちゃん。あ、衆宝ちゃんだ」
「まゆらちゃん、知っているんだね」
「私は孔雀明王。衆宝ちゃんは、もうひとつ位が上の観音菩薩さまだからね」
正座師匠の万古老に命じられて、お寺に掃除に来ていた流転も「どれどれ?」とスマホを覗きこんだ。
「こ、これはっ」
おとなしい流転の蒼色の髪とシニヨンカバーが飛び上がった!
「なんて気高いんだ! 片膝立ての座り方なのに、正座している僕たちより百倍くらい気高い!」
「そんなに気高いのか」
百世が聞きつけ、長い銀髪をひとつに縛りなおして拭き掃除していた手を止めてやってきた。
「けっ、シュウホウのオバサンか!」
勝ち気な百世は大した事ないさ~、と言わんばかりだ。
「百世、知っているのか?」
「知ってるさ、流転。ラセツんを罪から救った観音として人間から敬われて、イイコちゃんぶってるオバサンさ。それにしても、あたいたちは正座修行してるのに、なんたるだらしないポーズだ!」
「ラセツんって、あの恐ろしく残忍な悪鬼の羅刹のこと? 罪から救ったのか?」
流転は百世の言葉遣いが大丈夫かな? と思いながら洩らした。
そんな時、まゆらちゃんたちの寺に修行希望者がやってきた。
「ふわ~~~~っ!」
まゆらちゃんが、思わず溜め息とも悲鳴ともつかぬ声を発した。
住職に案内されてお堂に入ってきたのは、簡素な着物にくくり袴、スネには脚絆(きゃはん)というワイルドな格好でありながら――、この世のものとも思われぬ、見目麗しい青年ではないか。
キリリとした目元と引き結ばれた唇。やや下向き加減の瞳と、長いまつ毛。活発そうだが表情は憂いを帯びている。
「衆宝観音さまの眷属(けんぞく)(家来)のひとり、羅刹の馬宝刀くんじゃ。しばらく山寺で修行を希望されておる」
住職が皆に紹介し、馬宝刀は前に進み出た。
「初めまして。羅刹の馬宝刀と申します。心の中に許せない自分がいますので、衆宝観音さまの元からしばらく修行にまいりました」
皆に向けられた視線は強烈で、漆黒の宝石だ。
「噂をすれば影だったね、ピーちゃん」
まゆらちゃんが、ピーちゃんに耳うちした。
「眼光鋭くありながら、憂いを秘めた雰囲気。なんて美しいのでしょう!」
「まゆらちゃん、また一目惚れしたんじゃないだろうねっ」
ピーちゃんが羽根をバタつかせた。
「はい、そこの修行希望者の馬宝刀くんとやら。まずは正座の所作を教えるから、いらっしゃい」
まゆらちゃんに近づけないようにして、修行をはじめる。
「まず、背すじを伸ばして真っ直ぐ立って。床に膝をついて、お尻の下に衣を敷いて、かかとの上に静かに座る。両手は膝の上に静かに置く」
馬宝刀はぎこちなく、しかし言われた通りに座ってみた。
「これでいいでしょうか」
「だめだめ、体幹がしっかりしていない! お宅の師匠の衆宝さんみたいに片膝立てでダラ~リしているから、そうなっちゃうんだよ。シャキッと背すじを真っ直ぐに!」
真面目に稽古を繰り返す馬宝刀だが、なかなかうまく行かない。ピーちゃんから叱り飛ばされてばかりだ。
「ピーちゃん、そんなに厳しくしちゃダメよ!」
まゆらちゃんが親切に正座の所作を教え始めた。
注意されたピーちゃんは面白くない。
「ボクは衆宝観音の実物の姿を見に出かける!」
「じゃ、あたいも行くよ」
「ボクも!」
百世と流転も同行することになった。
第二章 湖を越えて
衆宝観音さまの石像は、大きな湖に近いお寺にある。
ピーちゃんは残念ながら湖の上を飛んで渡ることができないので、大きな観光船に乗る。
ピーちゃんはご機嫌が悪い。
「片膝立てのセクシーな格好で信仰を集めている衆宝観音の件だけでも腹立たしいのに、眷属の、それも悪鬼のラセツんがうちの山寺に修行に来るなんて! ひと目、あるじの衆宝観音を見に行かなきゃ!」
「衆宝観音って、そんなにセクシーポーズなのか?」
「百世ちゃんも見たでしょ。まゆらちゃんの正座姿の方がハツラツとしているのに、写真投稿サイトであんなに人気なのは許せないよ」
三人は湖岸に着くと、衆宝観音の石像があるという大きなお寺へ急いだ。観光客に混じって、緑豊かなお寺の庭を進んでいくと石像はあった。
白っぽい石像で、片膝を立てて、もう一方の足を伸ばしている様子は文句なくはんなりとして美しい。
「衆宝観音さま。ボク、まゆらちゃんを背中に乗せている孔雀のピーと言います。こっちのふたりは友達の百世と流転」
衆宝観音は、下に向けていた視線をちらりと上へ上げた。
「おや、珍しいお客さまだこと。孔雀明王のまゆらさんは、お元気ですか?」
「は、はあ」
「孔雀明王のおられる山寺というと、先日、眷属の馬宝刀が修行に行ったばかり。よろしくお願いいたしますよ」
マドンナのような笑みを浮かべるばかりだ。
その態度がよけい、ピーちゃんをイライラさせた。
帰りの船で怒りを爆発させた。
「観音様のくせに色っぽく片膝立てしてるし、民から慕われてるし、罪深い悪鬼の羅刹を難から救ったことも。未だ世に姿を現さないっていうキャッチフレーズなのに、姿を現してるじゃん。意味不明だし! まゆらちゃんの方が綺麗だし!」
片膝立てた姿が、まゆらちゃんの正座姿より気高く美しいと感じてしまい、悔しさも倍増してしまった。
「ピーちゃん、悪口なんか言っちゃいけないよ」
おとなしい流転が止めるが、同じように怒った百世は、
「だよねえ、ピーちゃん。あんなすました観音さま、あたいは好きじゃないわ」
三人は山寺へ帰ってきた。
(衆宝さんの眷属の馬宝刀くんに、ちょっと厳しい修行をしてもらわなくちゃね!)
ピーちゃんは、さっそくご住職のところへ飛んで行き、
「ラセツんの馬宝刀くんを大天狗さまにお願いして、修験場での修行を申し込んでみてはいかがでしょうか?」
鼻息荒く提案した。
「大天狗さまの修験場とな? かなりな荒行だと聞いておる。馬宝刀くんは衆宝さまからお預かりしているのだ。そんな荒行へ行かせるわけにもゆくまい」
ご住職はすぐには「うむ」とは言わない。
まゆらちゃんも大反対だ。
「大天狗さまの修験場へ行かせるなんて、ナイーヴそうな馬宝刀くんには、とても無理よ」
「でも、修行しなくちゃ、ラセツんの深い罪は償えないよ。羅刹なんだからきっと暴れまくったんだよ」
ピーちゃんが説き伏せようとすると、百世も、
「あたいもピーちゃんに賛成! 衆宝観音は気高いからこそ、馬宝刀くんに罪をちゃんと償わせようとなさっているんだと思う」
「うむむ……」
ご住職が返事に詰まっていると、廊下で立ち聞きしていた馬宝刀が素早く入ってきて、ご住職の前に素早く丁寧な所作で正座した。
「ご住職に預かっていただいた身です。どこへなりと、ご指示のままに修行にまいります」
この前に習ったばかりの正座の所作が、わりと上手にできている。
「馬宝刀くん、そこまで言うなら大天狗さまの元へ行ってみるか?」
「はい! ぜひとも宜しくお願いいたします」
第三章 天狗さまの元で
大天狗は人間よりひと回り大きい。
電信柱のような太い胴体に、真っ赤な顔、黒々とした濃い眉、ゴボウのように太く高い鼻。目つきと言ったら、大人でもすくみ上がるくらいの恐ろしさだ。
だが、誠実な性格なので、弟子入りを任されるとちゃんと指導する。まゆらちゃんから正座の所作を習ったこともある。
「あんたが、衆宝観音さまのところから来た馬宝刀くんだな。ワシは容赦せんから頑張ることだ」
「はい。よろしくお願いします」
……とは言ったものの……。
大天狗の修験場である峻険な山々は、尖った岩山の崖があちこちにむき出しになっている。馬宝刀の予想をはるかに上回る険しさだ。
一本歯の高下駄を履きこなすことからして難行だった。何度も足首を捻挫(ねんざ)した。
それでも毎日、デコボコの山肌を登ったり下りたり。大天狗の持つ羽根団扇を使えるように念力を強めたり。滝に打たれる修行もした。
しかし、どれも大天狗がダメ出しした。
挙句の果てに崖から転がり落ちて、全身に大怪我を負ってしまった。
「ああ、真っ白な装束がどろどろだ~~。あちこち痛い、痛い。動けない~~」
苔に覆われた岩の上でうめいていると、大天狗が空を駆けつけてきて、羽根団扇をびゅん! と扇いで怪我を治してくれた。
「あれ? どこも痛くない。大天狗さま、ありがとうございます」
「お前さんは、こんな荒行より、自分に合った座り方をしっかり学ぶのが一番の修行だとワシは思うぞ」
大天狗の修行の評価が落第だと知り、馬宝刀は肩を落とした。
「そのようにがっかりするな。ほら、この羽根団扇を進呈してやるゆえ」
馬宝刀の手に、大天狗から大きな羽根団扇が置かれた。
「うわ、重い!」
「それを持っているだけでも神通力がある」
「あ、ありがとうございます」
「それと――。お前を救ってくれた衆宝観音さまのお姿を大急ぎで拝見してきた。片膝立てのオーラは、まゆらさまの正座といい勝負じゃ。どちらを真の師匠にするか、よく考えておぬし自身が決めるがよい」
「罪深い私を眷属にしてくださった衆宝観音さまと、正座を教えてくださったまゆらさまと、どちらを選べばよいのでしょう?」
「罪深い所業をしてきたお前じゃ。自身で納得できるお方に決める方がよい」
しかし、根が心優しい馬宝刀には決められない。
第四章 話し合い
馬宝刀が、お堂の隅っこでボウッと膝を抱えて座りこんでいると、流転がやってきた。
「大天狗さんのところへ行かないの?」
「ああ、流転くん、大天狗さんのところの修行は終わったんだ。というか、行かなくていいんだ。それより聞いてくれる? 俺の話」
「いいけど?」
流転も隣に座った。
「俺は捨て子だったんだ。物心ついた時には生きていくために盗みや商人を襲ったり、色んな悪事をやらなきゃ生きていけなかった」
「ふ、ふうん」
「いつもお腹を空かせていた。安心して眠れるねぐらなんか、一晩も無かったよ」
「大変だったんだね。俺たちには正座の万古老師匠がいてくれたから、感謝しなきゃな」
流転は長いあごひげの師匠を思い浮かべた。同時にまゆらちゃんの元カレだということも思い出した。
「そんな俺は……」
馬宝刀が話を続けた。
「羅刹の蛇蝎(だかつ)ってヤツから目をつけられて仲間に引き入れられた。蛇蝎の命令でますます悪行を働いてしまった。気がついた時には抜けられなくなっていた。――でも、『抜けたい』って無我夢中で念じていたら、衆宝観音さまがやってきて、羅刹仲間から足を洗わせてくれて眷属にしてくれた」
「良かったね! 大恩人、いや、大恩観音菩薩さまだね」
「でも――、今まで奪った人の命や、物、たくさんありすぎて、俺なんかが平和に暮らしていいんだろうかって思うと、ずっとずっと罪悪感が消えないんだ……」
馬宝刀は膝の上に顔をうずめた。
「馬宝刀くん……」
「俺なんかが、大天狗さまの修行を受けさせてもらえたり、まゆらさまと衆宝さまのどちらかの弟子になるかなんて、選んでいいんだろうか」
「どちらか選ぶの?」
流転はまん丸い眼をした。
「そうなんだ。とても決められないから、お二方に決めてもらおうと思うんだけど」
「どうやって?」
「座り方勝負してもらおうと思う」
「座り方勝負だって?」
流転の眼玉がナチ黒みたいになった。
「よし、覚悟ができたよ。ありがとう、流転くん。俺が直接、お願いしに行ってくる!」
馬宝刀は、意を決して立ち上がった。
その頃、まゆらちゃんと衆宝観音は距離を飛び越えて、心で話合いをしていた。
まゆらちゃんが眉をしかめて切り出した。
「私たちが勝負してどちらかの弟子になるか決めるって言いに来たわよ、馬宝刀くん」
「私の眷属が勝手なこと言って申し訳ないわねえ」
「どうやって決めましょうか」
「お互い、一番良いと思う座り方をして、馬宝刀に決めてもらうしか仕方ないと思うわ」
聞きつけたピーちゃんは、
「そんなのハツラツ正座のまゆらちゃんが勝つに決まってるさ!」
側にいた百世が唸った。
「う~~ん、気高いはんなりとした座り方の衆宝オバサンの座り方も、負けてないぜ!」
「おや、百世ちゃん。いつから『気高き』に変わったの? 『セクシーな座り方』じゃなかったの?」
第五章 気高き片膝と正座
まゆらちゃんと衆宝観音さまの勝負の日がやってきた。
場所は山寺のお堂だ。
朝から、ご住職はドギマギしてじっとしておられずに、自ら床を雑巾がけしている。
「噂の衆宝観音さまがいらっしゃるんだからな」
百世と流転の正座師匠、万古老もいつもより少しは身ぎれいな着物を着てやってきた。
百世と流転もドキドキしてきた。
まゆらちゃんを背中に乗せるピーちゃんは、落ち着かずに羽根をバサバサ、冠の羽根を逆立てて甲高い声で鳴いている。
「キイィ――!」
「ちょっと、ピーちゃん、落ち着いて。正座するのは私なんだから、一番、緊張してるのよ」
ピーちゃんに注意してから深呼吸して、お堂にやってきた正座師匠の万古老をチラッと見た。
(ちゃんと美しい所作で正座ができますように……)
万古老はあごヒゲを撫でながら、うなずいたように見えた。
「ご住職! 衆宝観音さまのご一行が見えましたよ!」
山門から見下ろしていた流転が報告した。
つづら折れの山道を、銀色の輿(こし)が数人の者に担がれて登って来る。衆宝観音さまの乗った輿だ。
「それっ、お迎えに!」
ご住職と万古老は、お迎えのために駆けていった。
山門前で、従者に手を支えられながら、ふくよかな衆宝観音さまは羅(ら)の衣をかいどって(つまんで)輿を下りられた。
「山寺のご住職さま。今日はお世話になりますよ」
「は、ようこそ遠いところをおいでいただきまして恐縮でございますっ」
ご住職はカチコチになって挨拶した。
万古老は、観音さまの半眼にした静かな表情に、うっとり見惚れたまま固まってしまった。
「ささ、まずは客間でお茶でもどうぞ!」
座敷に通された観音さまが、お土産の小さなスイカほどもある蓮の花の饅頭を三個、ポン、ポン、ポンと手のひらに乗せて渡した。
「これはこれは、なんと立派な蓮のお饅頭を! お持たせで申し訳ありませんが、さっそくいただきましょう。これ、誰か、お茶を淹れておくれ」
お茶を淹れてきたのは馬宝刀だ。
「観音さま。この度は俺のためにご無理なお願いをお聞き届けいただきまして、ありがとうございます」
「おお、馬宝刀。大天狗さまに修行していただいたそうですね。どれ、少しは精悍な顔になったような気がするが」
「大天狗さまには、丁寧にご指導いただきました。ご住職さまはじめ、孔雀明王まゆらさまにもよくしていただいています」
「ふむ、そうかそうか。お行儀もよくなったようですね」
ご住職が大きな蓮の花饅頭を頬ばりながら、
「うむ、こりゃ美味い美味い、絶品じゃ。馬宝刀、お前もいただきなさい。ピーちゃんや百世に見つからないうちに! ささ、衆宝さまもご一緒に!」
三人は和気あいあいと、ボリューム満点の蓮の花饅頭をいただいた。
まもなく観音さまには、お堂に移動していただき、孔雀明王まゆらとご対面になった。
まゆらは、鎮座している場所から立ち上がって迎えた。
「お久しゅうございます、衆宝観音ちゃん。遠路はるばるのお越し、ご苦労様です」
「まゆらさま、相変わらず輝くお美しさですね。最近、習得なされた『正座』を拝見いただけるということで、楽しみにしておりました」
「私こそ、衆宝ちゃんのはんなりとした片膝立てを拝見するのは久しぶりで、楽しみです」
ピーちゃんが、咳ばらいの代わりに「ケッケ」と鳴く。
「あ、こちらは私の相方、孔雀のピーでございます」
「美しい孔雀さん、この前、湖国にあるお寺まで見えられましたね。よろしくお願いしますね」
馬宝刀がお堂の真ん中に立ち、二柱(ふたはしら)の仏さまは、いよいよそれぞれのポーズで座った。
まゆらは、ピーちゃんの背中の上で背すじを真っ直ぐに立ち、背中に両膝をつき、お尻に衣を敷いて、かかとの上に座った。
ご住職はじめ一同は、見慣れているお姿とはいえ、今日の流れるような正座の所作は格別に神々しく見えた。
「ほう……」
一同から溜め息がもれた。
次は衆宝観音さまの番だ。
第六章 乱入者
それは、素晴らしくなよやかな所作だった。
頭の上の冠の上から被った羅の布をゆらゆらさせて、ゆっくり腰を下ろし、片膝を立て、もう片方の足は得も言われぬセクシーさと慈愛のこもった伸ばし方で横たえた。
「ほう……」
皆からまたもや、ため息がもれる。
「さあ、馬宝刀くん、どちらを真のお師匠に選ぶかね?」
ご住職が尋ねた。
馬宝刀が答えようと、舌をもつれさせる。
「師匠は……」
「グジグジ男子の馬宝刀、しゃっきりしなよ!」
ピーちゃんがからかう。ご住職さまが片手で制して、
「外野は気にせず言ってみなさい、馬宝刀くん」
「お、俺の師匠は……」
言おうとした時、いきなり大きな音がした。
メリメリバキバキッ!
お堂の壁を突き破って、多くの鬼たちが踏みこんできた。頭に小さな角を生やしている。
「きゃ~~! ラセツん軍団だ!」
真っ先にパニクったのは、ピーちゃんだ。
一同も震えあがった。
万古老が、
「百世、流転、ワシの側に来なさい!」
素早く命じて親鳥が羽根の下にヒナを守るように両脇に抱きこんだ。
「おう、馬宝刀、久しぶりだな」
それは羅刹仲間だった蛇蝎(だかつ)だった。
赤黒い顔、ぎょろつく眼で馬宝刀を見つけると、舌なめずりした。
「こんなボロい山寺で何をやってるかと思やぁ。なんだ、この線香くさい連中は!」
「この方たちは俺の恩人だ。乱暴すると承知しない!」
馬宝刀は厳しく言い返す。
一同が見たことのない形相だ。
蛇蝎が一歩踏み出し、剣で馬宝刀の頬を撫でながら、耳元でささやく。
「俺たちは、さんざん好き放題して暴れまくったじゃないか。何を血迷って修行なんかしてるんだ。そんなことをしても、俺たちがやらかした悪行は消えたりしないぜ。さあ、もたもたした観音なんぞ相手にしていないで、また好き放題、暴れまくってやろうじゃないか」
かつて襲われた人々の阿鼻叫喚(あびきょうかん)が、馬宝刀の耳によみがえる。
「やめろ、俺は二度と悪行はやらないと衆宝観音さまに誓ったんだ!」
馬宝刀は、大天狗にもらった羽根団扇の神通力で抗おうとするが、蛇蝎の強靭(きょうじん)な一撃に跳ね飛ばされてしまった。
「菩薩をも、明王をも、喰らってしまえ! この世に我とは我のみよ!」
剣を抜いて馬宝刀に襲いかかる!
「そうはさせません!」
衆宝観音が片膝立てを解いて立ち上がった。
(なんという神々しさなのだ……。後光が射している)
これが伝説の『世に姿を表わす』ことなのだ。
ご住職や万古老、ふたりの弟子もしみじみ感じ入った。
まゆらちゃんもハツラツと正座したまま、羅刹たちを睨みつけた。
正座姿から発する力で羅刹たちを圧する。
「罪を償おうとしている者の命を殺めて(あやめて)はなりません!」
まゆらちゃんと衆宝観音が声をそろえて叫んだが、蛇蝎は底力を絞り出し、執拗に馬宝刀の頭に剣を振り下ろす。
――瞬間――、
馬宝刀は蛇蝎の真正面に正座し、手のひらは、剣を両側から挟みこんだ。
「馬宝刀自身、宝刀となった!」
流転の口から思わず言葉がほとばしった。
馬宝刀の手のひらは剣の刃を挟んでビクともしない。眼光鋭く蛇蝎を睨みつける。
「俺は悪鬼には戻らん!」
蛇蝎の顔面に汗が噴き出た。
「うう、剣が振り下ろせん!」
後ろに跳びすさり、
「おのれ、観音め、明王め、馬宝刀め~~!」
羅刹たちはうめきながら退却していった。
第七章 まゆら、特訓受ける
「衆宝観音さまが、眷属の俺のために立ち上がって下さった……。
なんと勿体ないことだ……」
ようやく馬宝刀は、今まで犯した罪の罪悪感から解き放たれた。
「まゆらさまの正座も、衆宝さまの片膝立ても、素晴らしい座り方だと感じます」
清々しい表情が、馬宝刀の顔に訪れていた。
「それぞれが良いのです。よくぞ悟りましたね。どこの場所にいようと、色んな修行をすればよろしいんですよ。馬宝刀」
「はい、観音さま」
「まゆらさまの正座は、所作から初めて拝見しました。素晴らしかったですわ」
まゆらちゃんは笑顔で応える。
「ありがとうございます、衆宝ちゃんの気高き立て膝座りも魅力的です。私にも立て膝座りを教えてくださいな」
「わかりましたわ」
「こ、こうかしら?」
まゆらちゃんは一生懸命、少ししかないお色気を絞り出し、衆宝観音さまのセクシーポーズを真似てみる。
「そうねえ、立て膝の角度をもう少し、五度ほど下げてごらんになってみて。もう片方の足は、やや膝を上げつつ力を抜いてそっと投げ出して……」
まゆらちゃんは、指導に添おうと一生懸命だ。
「こうかしら?」
「う~~ん、あ、眼のことも忘れないで。ぱっちり開けてはいけませんよ。物思いにふける時のように半眼になさって」
「え、目つきまでですか?」
「ええ。半眼で座ることが大切ですのよ」
「半眼? もの思いに耽る(ふける)時って、どんな顔してるんだろう、私って?」
ピーちゃんや百世たちは、
「まゆらちゃんが、もの思いに耽ることってあるのかな?」
「衆宝観音さまのマネしたって、全然、女らしくな~~い」
ボロンチョにひやかすのだった。
「あなたたち! 後で覚えてらっしゃい!」
「そうとも。まゆらさまの正座のお姿は、充分、お色気に満ちてお美しい」
万古老がいつの間にか、二柱の仏像の側に来ていた。
「なにせ、ワシの元カノじゃからのう」
ごま塩の長いあごひげを撫でながら、にやにやしている。
「万古老どの、そんな十万年ほども昔のこと、お忘れくださいなっ」
衆宝観音の指導を受けながら、まゆらちゃんが叫んだ。
流転が、ほっとして夕暮れの境内に立っていた。
(いくらセクシーポーズしたところで、まゆらちゃんも衆宝観音さまも元は戦神(いくさがみ))
(ラセツんとの戦いですごい火花散るの、見ちゃったもんね!)
(ボクや馬宝刀くんのようなナイーヴ男子、そしてイザという時だけ力を出せるのが一番だ!)
「ね、馬宝刀くん?」
「そうだね、流転くん。もう二度と荒んだ生活はしないって、改めて思えたよ」
ピーちゃんがやってきて、スマホを取り出した。
「流転くんと馬宝刀くん。戦いを経て気分が一致したところで、記念撮影はいかが?」
「ピーちゃん、まさかボクたちを写真投稿サイトに?」
ふたりが慌てている間に、ピーちゃんは素早くふたりを撮影し、流転と馬宝刀の2ショットはすぐに投稿された。
蒼い長髪の美しい少年と、手足に手甲脚絆を巻いた野性味あふれる姿の馬宝刀の並んだ写真は、たちまち「イイネ!」が何万もついた。
「ちょ、ちょっと、ピーちゃんたら!」
流転は慌てたが、ピーちゃんは瑠璃色の羽根をバタつかせて大喜びだ。
「やった~~~! 美少年と美青年! よくやってくれた!」
まゆらに知らせようと飛んでいった。
流転がさっきのことを思い出し、
「ところで、あのラセツんたち、あのまま放っておいて大丈夫なんだろうか? また、どこかで暴れるんじゃないかな?」
衆宝観音さまがふたりの姿に気づいて、輿を待たせて境内に戻ってきた。
「安心してください、ええと、流転坊や」
「流転坊や?」
ちょっと赤面した流転だ。
「蛇蝎たちは、蓮の花の中に千年ほど閉じこめてから、私の眷属にいたしますから、安心してください」
(どこまで慈悲に満ちた観音さまなんだ……)
流転の心が「じいん」と熱くなった。
馬宝刀は、やはり自分の師匠を衆宝観音と決め、元へ戻ることにした。
「私の師匠は大恩ある衆宝観音さま。眷属の努めがありますから、これで引き取らせていただきます。お世話になりました。また遊びにまいります」
山寺一同と百世と流転たちも、清々しく見送った。
さて、衆宝観音さまと座り方を勝負した情報がどこからかもれて、まゆらちゃんとピーちゃん見物の観光客がどっと増えた。
「おお、衆宝観音さまの色っぽさもいいけど、孔雀に乗った勇ましい明王さまもいいな!」
「乗せている孔雀も健気で可愛いわね」
パシャパシャ写真を撮影していく。
まゆらちゃんは、自分で始めていないのに、ピーちゃんが写真投稿サイトにマメに投稿するものだから、ネット上ですっかり有名になってしまった。
「ピーちゃん、いい加減にしなさいよお」
まゆらちゃんは、ひっきりなしにやってくる観光客のために、2ショットを頼まれたりして、静かな生活ができなくなってしまった。
「いいじゃないか、まゆらちゃん。お寺の観光客が増えれば、ボクたちのお小遣いも増えるよ。まゆらちゃんもスマホを買いなよ。ボクと同じスマホカバーにしようよ」
「ピーちゃんたら」
スマホを見ていたピーちゃんが、素っ頓狂な声を出した。
「おおっ? これは!」
「どしたの、ピーちゃん」
「馬宝刀じゃないか! ボクが撮影したんじゃない。衆宝観音さまに従う姿を誰かが撮影して投稿したんだ! 『百万イイネ!』がついてる!」
「あらっ、本当だわ。この美しい横顔……。私も「イイネ!」つけておこう」
まゆらちゃんの言葉に、ピーちゃんはギョッとなった。
「まゆらちゃん、いつのまにスマホを……」
「持ってないわよ。神通力でできるのよ」
孔雀明王まゆらちゃんは、ペロッと少女みたいにおどけて舌を出してみせた。