[388]妖言――およずれごと――
タイトル:妖言――およずれごと――
掲載日:2025/11/15
シリーズ名:スガルシリーズ
シリーズ番号:6
著者:海道 遠
あらすじ:
美甘ちゃんは「寝言を言う」らしい。不吉な予言を言う「妖言――およずれごと――」なのか?
のうぜんかずらの新芽が出て、ゆいまるは水をやりどんな花が咲くか楽しみにしている。
新しい侍女マカヤが入った。
美甘姫の祖父上が紀伊の国からみかんを馬車にたくさん積んで来た。出雲地方のタタラ御前にも、おすそ分けに行くというので美甘姫もついていく。
黒鉄の女神タタラは大歓迎。
美甘姫は念入りに正座の所作をして、タタラ御前のご祈祷を受け、妖言を言わせる妖かしを調伏しようとするが……。

本文
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序章
※妖言(およずれごと)とは、妖しい言説。不吉で奇怪な人を惑わせるような流言。
「最近、美甘奥ちゃん、『もぞ』こくよ」
うりずんが、ゆいまるのオムツを替えている美甘ちゃんに、耳元でささやいた。
「もぞ? 何? それ」
「寝言のことだよ。どこかの方言で」
「方言って、琉球の?」
「いや、旅人に教えてもらったんだ。寝言のことだよ。むにゃむにゃって何を言ってるかわかんないけどね」
「やだわ〜〜、恥ずかしいっ」
「何か夢見てるの?」
「そうねえ、見たような見てないような?」
「最近、ゆいまるも熟睡しているから、奥ちゃんもよく寝られるはずだけど」
「眠っているわよ。だから夢の記憶もないわ」
「じゃ、今夜は私がひと晩起きて、聞いておいてやるよ」
「ええっ? 梵(そよぎ)が起きてる? ひと晩?」
ゆいまるが膝に這い上がってきた。
「ウソはいけましぇんよね〜え、チチったら、出来もしないことを言うのはね〜え! ゆい坊?」
脇を持って抱き上げると、ゆいまるはキャッキャッと喜んだ。
翌日の夜明け、美甘ちゃんは大声を出して目を覚ました。顔と首元から汗が噴き出している。
「お祖父ちゃん!」
「どうした? 汗たくさんかいて」
「ああ……そよぎ! お祖父ちゃんとこのみかん畑が、土砂崩れを起こして……」
「しっかりしろ、奥ちゃん! 土砂崩れなんか起きてない! 祖父上もお元気だ!」
うりずんに抱きしめられ、美甘ちゃんはしばらく小さくなって、じっとしていた。
「夢……夢だったのね、怖かった……。お祖父ちゃんが叫んでいる中、みかん畑が崩れていって……」
うりずんはいっそう美甘ちゃんを、ぎゅうっと抱きしめた。
「本当にお祖父ちゃんは、何ともないわよね? 早馬をやってみて……」
「美甘ちゃん、紀伊までかなりの距離だ。わがまま言ってはいけない」
さすがに、愛妻家のうりずんも咎めた。
「はい……」
第一章 新芽
昼すぎ、庭をよちよち散歩していたゆいまるが、地面を指さして何か見ている。
可愛い新芽だ。
「あら、赤ちゃんの芽ね。お花が咲くかもしれないわよ」
「芽〜〜、め〜、」
ゆいまるにはまだ訳が分からないながら、踏んだりしない。
「お水をあげて待っていましょうね。何が咲くかしらねぇ?」
ゆいまると観察する美甘ちゃん。
しばらくすると、芽はすくすく伸びて隣の木に巻きついて伸びている。
「これはもしや、のうぜんかずらかしら? ぐんぐん大きくなってきたわねぇ」
暑くなるにつれ蔓はぐんぐん伸びていく。やがてたくさんツボミがつき、夕焼け色の花を咲かせた。
「初めてのお花が咲いたわね! ほら、きれいな橙(だいだい)色よ、ゆいまる」
「だいだい、だいだい!」
「うん、みかんと同じ色ね。あ、でも食べられないのよ」
ゆいまるは小さな人差し指で、そっと花びらをツンツンし、気になるようだ。
「明日もまた咲きそうよ。お水をあげましょうね」
その花は『兇つ奴(まがつど)党』が存在する場所に咲く、穢れたのうぜんかずらなのだが、母子が知るはずもない。
第二章 マカヤ
美甘ちゃんの婆やが、若い女を連れて入ってきた。
「マカヤと申す新しい侍女です。物知りですよ」
容貌は地味だが、愛想が良い。
「マカヤと申します。宜しくお願いいたします」
正座をはじめ、作法はちゃんとできる。
「若さま、宜しくお願いしますね」
ゆいまるは不思議そうにして、まだマカヤに近づかないが、マカヤは無理じいすることなく幼な子に接している。
「ゆっくり仲良くしてくださいませね」
感じがよく、気立ても良さそうだ。お風呂に入れる際の手つきや、食事を食べさせる時の気遣いなど細やかで、要領を心得ているようだ。
ゆいまるの乳母の小間使いをしてもらうことにした。
乳母に用事がある時、代わりにゆいまるを世話する役目だ。
深夜――、ようやく闇を迎えた中でも、のうぜんかずらは妖艶に咲いている。
寝所では、ゆいまるに添い寝しながら眠るうりずんを、几帳の隙間からマカヤが見つめる。熱の籠もった瞳で見つめている……。
やがて几帳をすり抜けて、うりずんの耳元にひざまずき、小声でささやく。
(ゆいまるさまが川で流されそうになるわ)
(傀儡子の女の子が、人形劇をしくじってしまうわ)
翌日、うりずんが夢の中で聞いた言葉を話したので、美甘ちゃんは真っ青になる。
「ゆいまるが川で流されそうに?」
ゆいまるには川や池に近寄らせないことにした。だが、庭の小川で転んだだけで済んだ。
「傀儡子一座のところへも、様子を見に行ってきます」
オダマキちゃんのところへも心配で行ってみたが、変わりなく河原で人形劇を見せていた。
「オダマキちゃん、ご無沙汰しています」
「まあ、美甘姫さま、しばらくでございます。お元気そうで」
「あなたも!」
薫丸(くゆりまる)は実家に帰っていないということだが、オダマキちゃんは元気で過ごしていた。
人形劇はお客が減るような失敗もなく、盛況だ。
オダマキちゃんに再会できて、返ってホッとした美甘ちゃんだ。
第三章 妖言の元
眠っている美甘ちゃんの耳元に、妖言をないしょ声で話していたのはうりずんだった。
元の妖言をマカヤからささやかれたことは、うりずんは何も覚えていない。
美甘ちゃんは、庭ののうぜんかずらの花を見ながら、
(のうぜんかずらって、どこかで聞いたなあ。ねえ、ゆいまる?)
ゆいまるは、小さな器で池と植木を往復して水やりをしている。
(――あ、スガルくんが北の戦から帰ってきた時、嵐に遭って、花びらや葉っぱを伝った雨水を浴びちゃった時とか? そうだったわ。熱が下がって無事に帰れて良かったこと)
数日後、正夢(まさゆめ)だったのか――?
朝、身支度して、ゆいまるの着替えをマカヤと一緒にしていると、生垣の外に馬車がたくさん来た気配がする。
簀の子に出てみると、みかんを山盛り積んだ馬車が10台ほども、生垣沿いに並んでいるではないか。先頭の馬に乗っているのは祖父上だ。
「お祖父さま!」
美甘ちゃんはゆいまるを抱いて、柴垣の出口から飛び出した。
「おお、美甘、ゆいまる!」
ヒゲは白いが、元気そうな手綱さばきで馬に乗っている。
「そろそろ、みかんが橙色に色づいてきたから、お裾分けに来たのじゃ」
「こんなにたくさん?」
「足りなきゃ、追加で持ってこさせるぞ。婿どののお知り合いにも山分けすればよい」
「道中、お元気でしたか? 何もありませんでしたか?」
「わしゃ、ピンピンしとるぞ。どうした? なんだか顔色が冴えんな」
祖父上は美甘ちゃんの顔を覗きこみ、尋ねる。
「実は……この頃、私、妖言【およずれごと】を寝ている間に言うみたいで、妖かしに取り憑かれたかもしれないの」
祖父上を座敷に通し、美甘とうりずんとゆいまるとで座を囲んだ。
うりずんが、祖父上に酒を注ぎながら、
「どうやら苦しい夢を見ることがあるようで……」
祖父上は「わっはっは」と笑い飛ばし、
「妖言? およずれごと―――? そんなもん、お祓いでぶっ飛ばせ! 注連縄(しめなわ)で結界を作って夢魔(むま)なんか追いはらえ!」
勢いよく瓢箪(ひょうたん)を傾けて、
「足りなきゃ、みかんが大好きなタタラ御前に援軍に来てもらいなさい!」
「タ、タタラ御前――! 私、あの方はちょっと……」
「タタラ御前を知っとるのか?」
「1回だけお会いしたの」
「正義感が強い鉄のお山の女親方じゃ! みかんをこよなく愛し――」
「こよなく……愛しすぎな感じが……」
美甘ちゃんは初対面で、ぶちゅーっと頬にされたことがある。
「美甘奥ちゃん、そんなに怯えたら失礼だよ。それこそ妖言を巻き散らすみたいだ。先日もたくさんのみかんを手配していただいたのだろう?」
「あれは、あかり菩薩さまからよ。彼女は神仙女学校でタタラ御前さまと同級生だったのですって」
「へえ〜、強いタイプの女君ふたり組だな。仲がいいのかな?」
祖父上が、張り切って大声で、
「よ〜し、追加分が到着したら、そのまま出雲のタタラ御前さまのところにもお裾分けに行く!」
「出雲まで行かれるの?」
「うむ! お世話になった上、みかんがお好きなら、直接お会いしてワシからお礼を申し上げたいからのう。可愛い孫娘と婿どののために、翡翠の指環の力を示してくださったそうではないか」
「お祖父さまのお気持ちは嬉しいけど、道中が心配だわ」
美甘は、夢の場面を思い出して不安がぬぐえない。
第四章 出立の前に
「そんなに心配なら、美甘も同行するがよい」
「ええっ、私も?」
「ゆいまるも連れて行ったら、タタラ御前もお喜びくださるじゃろう」
「え、そんな、勝手に話を進めてもいいのかな?」
美甘は困った。
今は、自分の寝言のことが気にかかるのだ。
「さっき言っておった【およずれごと】のことかの? 鉄には邪気を浄化させる強い力があると言うぞ。そこの女親分がいなさるところへ行くんじゃ! な〜んも心配あるまい!」
先日、青龍を八坂神社まで送って行った、あかり菩薩が言ったのと同じことを祖父上は言う。
(黒鉄(くろがね)って、邪気にそんなに効き目があるの?)
(じゃあ、私の【およずれごと】も浄化できるのかな? 夢の妖かしにも?)
美甘ちゃんは勇気を出して、ゆいまると共に出立する準備を急いだ。
お裾分けのみかんを役所や他家へ配る舎人(とねり)がバタバタしている中、白い馬でやってきたのは、あかり菩薩だ。
「たんと、みかんをいただきまして、お礼を申し上げに参りました」
「おおっ、あかり菩薩さま! お上がりください」
祖父上は丁寧に正座してお辞儀するや、美甘姫とうりずんの屋敷に招き入れた。
「美甘姫の祖父上さま。その節はたくさんのみかんをいただき、ありがとうぞんじました」
あかり菩薩は、祖父と美甘ちゃんたちが出雲へ行くと聞き、
「では、警護に私が部下を伴って参りましょう」
祖父上と美甘姫は慌てた。
「あかり菩薩さま、そのようなお手間をおかけしては……」
「そうですとも! ご婚礼がまた伸びてしまいますぞ!」
祖父上も辞退した。
「子どもの頃から、スガルとはずっと共にいますから、今更、婚礼など」
あかり菩薩は苦笑しているが、祖父上が、
「いんや、婚礼は婚礼。ちゃんと挙げて、世に知らしめるとおふたりの絆がずっと強いものになりますぞ」
「はあ……」
「ちゃんと時間がお取りになれたら、きっときっと婚礼をお挙げくださいましっ!」
第五章 出雲の鉄山
気分がスッキリしないまま、祖父上とゆいまると乳母とで出雲への旅に出た美甘ちゃんだったが、旅の列は進んだ。
西へ西へと長い旅をして、出雲平野から斐伊川(ひいがわ)を遡り、山へ分け入って黒鉄の里に到着した。
黒鉄の里のタタラ御前は、大歓迎してくれた。
簡易な鎧姿で黒っぽい着物を着て、鉄山の男衆や女衆に指図している。「鉄の女」そのものだが、大好物のみかんの山を見て大喜びだ。
「こんなにたくさん? まあ~~、どういたしましょう!」
(なんだか、前にチラッとお会いしたタタラ御前と別人みたい)
「美甘姫でしたね! うりずん季節神の奥方の」
「は、はあ」
「そして、こちらがお世継ぎのボク? 抱っこしていいかしら?」
「はい、どうぞ。ゆいまると申します」
「ゆいまるくん! なんて可愛いの! 赤くて、まるでお蜜柑のほっぺね!」
「宜しくお願いします。ワシの曾孫(ひまご)です」
祖父上も嬉しそうに挨拶した。
皆で、タタラ御前の座敷でみかんをいただいた。
「みかんの袋の実の並び方は、グーした拳みたいで一致団結を感じませんか? だから味はもちろんですが、好きでもあるのです!」
タタラ御前は、黒の口紅がいっそう引き締まって鮮やかだ。
皆で、みかん酒で乾杯した。
「うりずんさまは、今日はお留守番ですか?」
「はい。残念ですが」
うりずんは風邪をひいたとかで、今回同行していなかった。
「美甘姫、ご心配ですか? なんだか元気がないようですが」
「いえ、……ただ、最近、眠りの精霊か妖かしに魅入られたのかもしれないのです。寝言で予言して、当たってしまうのです。うりずんの風邪ひきも当たってしまいました」
「何かに憑かれていますね。うちの鉄灼(てつやき)の焔(ほのお)で浄めてあげましょう」
タタラ御前は、美甘ちゃんを連れて谷の底へ降りていった。鉄をたたく轟音がだんだん近づいてくる。
「ここだよ」
タタラ御前の声は、口のカタチを見なければ、全然聞こえないほどの大轟音が響いていた。
斐伊川流域では砂鉄が採れる。
「砂鉄を固めるために、高温度の炎を絶えず燃やしておるのじゃ」
炎で真っ赤に熱された鉄が工程を経て固められて、巨木のような円柱形の黒い鉄に、ガ~ン、ガ~ンとたたかれていて、たくさんの人々が働いていた。
美甘ちゃんは思わず耳をふさいだ。
「鉄は鍛えれば鍛えるほど強く、武器として優れたものになるのだ」
タタラ御前の瞳は自信に満ちている。
「そんじょそこらのナマクラな刃物や、妖かしの造る武器などに勝ち目はない品を造ることができる。この鋼(はがね)の力を吸えば、妖かしの力などまったく叶わぬ」
第六章 祈祷所
谷の奥に、岩とシダに囲まれた高い落差の滝つぼがあり、かなりの水量の水が落ちていた。
滝つぼから、更に奥の洞窟の中にある祈祷所へ案内された。
四角く注連縄が張られ、朱い毛氈が敷いてあり左右に注連縄が張られている。タタラ御前自らがお祓い棒を持ち、黒い珠の数珠を首に巻き、お焚き火の前に座った。
「美甘姫さまもご正座願います」
タタラ御前の鉄の谷の神への祈りが長く長く唱えられた。それから、美甘ちゃんにお祓い棒で力強く邪気はらいのお祓いがなされた。
美甘ちゃんは、いつもより念を入れて、立つ所作から注意深く膝をつき、衣のすそに手を添えてお尻の下に敷き、かかとの上に座った。そして両手をタタラ御前の前につき、床に頭をつけてお辞儀した。
(どうか、妖言を告げる妖かしが調伏(ちょうぶく)しますように)
「黒は不吉な色と思われておるが、邪気祓いの力が強力なのだ」
鉄の黒い念珠を首にかけ、手にも持って護摩焚きの祈祷をしたタタラ御前だが、力が抜けたように座りこんだ。
「すまぬが、美甘姫に取り憑いているものを浄めることができなかった。何故なら……それは邪気ではなかったからじゃ」
「は……?」
「邪気でも妖かしでもなく、善意に満ちたものだからじゃ。その妖言とやらは、そなたに危害を加えるつもりは無く、ただ、危険を警告したかったのだとわらわには伝わってきた」
「邪気ではない――? 危険を警告したかった……?」
美甘姫は思わず、きょとんとしてタタラ御前に向き合った。
「では、妖言ではなかったの……?」
第七章 鬼たち来る
タタラ御前の屋敷に帰ると、生垣にものうぜんかずらが咲いていた。太陽に向かって真っすぐ伸びる、光ののうぜんかずらだ。
ゆいまるが、馬から下りた美甘ちゃんの元へ走ってきた。
「たあさま――! おみじゅ、おみじゅ!」
のうぜんかずらを指さして言う。
美甘ちゃんには、すぐにピンと来た。
「ゆいまるは、おうちののうぜんかずらにお水をあげたいのね」
「おみじゅ、おみじゅ!」
「分かったわ。ここのお花にも都のおうちのにも、帰ったら、すぐにお水をあげましょうね」
その夜は、ゆいまるをトントンして寄り添って寝かしつけた。
朝になってから、天燈鬼と竜燈鬼が先を争うように、庭から草鞋も脱がずに戸を蹴破る勢いで上がってきた。
「キャー! 鬼よ! 鬼!」
鉄屋敷の侍女たちは悲鳴をあげて逃げ回る。男衆がその声に反応して駆けつけて、天燈鬼と竜燈鬼を取り巻き、縄で縛ろうと身構えている。
「お待ちください、その鬼たちは私どもの知り合いで……」
「美甘姫さまのお知り合い?」
男衆はタジタジとして退いた。
「そうやで、いきなり捕縛態勢とはご挨拶やな!」
天燈鬼が前へ出ていばる。
「いきなりドカドカ上がってくる、あんたたちがいけないのよ」
美甘ちゃんがふたりに叱りつけた。
「あ、すんまへん、つい、慌てて」
「そやけど大変ですねん! うりずんさまのお眼の具合が悪うならはりまして……」
竜燈鬼が言った。
「なんですって? うりずんの眼が?」
祖父上もやってきた。
「美甘や! すぐに都へ帰る支度をせい! ワシはゆいまると後から出立するゆえの!」
「は、はいっ」
馬車を用意させていると、漆黒の馬が蹄の音も高らかにやってきた。
「美甘姫! うりずんどのに、この光を届けられるがよい!」
鞍の上の、タタラ御前の手元の大きな翡翠の指環からみどりの光が光線のように美甘に発せられた。受け取れたかどうか分からないが、美甘ちゃんは急いでお礼を言って、馬車を出立させようとした。が、その前に、天燈鬼が美甘ちゃんを背負った。
「馬車よりこっちの方が早いですぜ!」
竜燈鬼が首に巳巳子さんを巻いたまま、隣に並走している。
「今頃、うりずんさまには翠鬼がついています!」
「分かりました、ありがとう」
美甘ちゃんは天燈鬼の背中に必死で捕まりながら、返事した。
第八章 京へ帰着
長い距離を急いで急いで、ようやく京に帰ってきた。
2匹の鬼はへとへとになって、うりずん屋敷に帰りついた。
天燈鬼の背中から下りた美甘姫は、うりずんの奥部屋へ急いだ。
うりずんは目に包帯を巻いて横になっていた。
「そよぎ! そよぎ、目をどうかしたの?」
枕元にいた翠鬼が、
「美甘姫さまがお帰りになられましたよ」
言いながら包帯を外した。しかし、うりずんは目を開いても目の前の美甘姫を探している。
「美甘ちゃん、帰ったのか? どこだ?」
「ここにいますよ」
うりずんの手を握ったが、どうやら分かっていない。
「うりずん! どうしちゃったの? 私の声が聞こえないの?」
「美甘姫はすぐ側においでですよ!」
翠鬼が叫んでも、
「美甘ちゃん……どこだ? お前の姿は見えないし、声も聞こえない」
「見えないの? 声も聞こえないの?」
うりずんの手探りの手が前に突き出されるばかりだ。
「何故、私のことが見えないの?」
「変ですね~。私のことは見えておられるようなのに?」
翠鬼は首をかしげる。
「うりずんさん!」
「うりずんさん!」
天燈鬼と竜燈鬼も、ドヤドヤと部屋にやってきた。
「おお、お前たちか、ご苦労だった。美甘姫はさぞ重かっただろう」
うりずんの言葉を聞いて、翠鬼が、
「あれ? 兄貴分たちのことはお見えになるので?」
「ああ、よく見えている。声も聞こえるぞ。部屋の中もはっきり見える」
うりずんはしっかり返事した。
「どうして美甘姫さまだけが見えないんだろう?」
ますます不思議だ。
「うりずん、こうして手をにぎっているのは分かる?」
美甘ちゃんが手に力を入れて握り直した。
「おお、美甘の手だ。すっぽり私の手のひらに収まる小さな手だ」
「よかった……手の感触だけでもお感じになられて」
美甘ちゃんの眼に涙があふれた。
第九章 うりずんの眼
やっと美甘ちゃんとうりずんは、座敷に落ち着いた。
鬼たちは隣の部屋で休憩している。
祖父上とゆいまるが、出雲の鉄山を出立したと報告が入った。
しかし、美甘ちゃんが何度話しかけても、うりずんには聞こえないし見えない。
「私たちの留守中に何かあったの?」
古参の侍女たちに聞いても、首をふるばかりだ。
侍女たちの中で、ひとり足りないことに美甘ちゃんは気がついた。
「マカヤはどうしたの、姿が見えないけど」
「姫さまと若さまがお帰りになるまで、宿下がりをさせていただくと報告がございました」
「そうなの……」
我が家に戻っても、どこかしら落ち着かない美甘ちゃんだった。庭ののうぜんかずらが蝉の声と競うように天を向いて、黄橙色の花をたくさん咲かせている。
そっと、美甘ちゃんはうりずんの手をとって自分の顔を持たせて聞いてみる。
「眼の薬師をお呼びしましょうか」
古参の侍女がうりずんに伝えたが、首を横にふるばかりだ。
「姫さま方が出雲に旅立たれた夜に、君さまは、少しお熱で寝込まれました。翌朝にはお元気になられましたが、目が見づらくなられて……だんだん進んでしまわれたのです」
侍女が説明した。
夕方になり、マカヤが戻ってきた。
「奥方さま、お早くお戻りとのことで、ご挨拶にまいりました」
マカヤは美甘ちゃんの側に寄ろうとして急に後じさった。
「どうかしたの、マカヤ」
顔が青ざめている。
「いえ、なんでもございません」
正座して、お辞儀をしようと床についた手の甲に、黄橙色の汁がついていた。マカヤは自分で気がつき、早々に立ち去った。
入れ替わりに、竜燈鬼が巳巳子さんを首に巻いたまま、やってきた。
「失礼します。巳巳子さんが、姫さまにお話があるとかで」
「巳巳子さんが?」
巳巳子さんは竜燈鬼から、にょろにょろ首を伸ばしてきて、美甘ちゃんに寄った。
「先ほどの侍女さんから……、どうやら闇の気配がいたします」
「闇って、妖かしのこと?」
「そうです。普通の人間とは明らかに異なります」
いきなり巳巳子さんは声を荒げた。
「――そこに隠れているのは、マカヤだなっ」
マカヤが几帳の外から座っていざりながら、部屋へ入ろうとした。
巳巳子さんが、厳しく言う。
「マカヤよ。君さまのお目に何かしたな!」
「マカヤ、本当にあなたのせいでうりずんの眼が見えなくなったの?」
美甘ちゃんも驚きながら繰り返した。
「ふふふ……、鼻の利くヘビのせいで、分かってしもうたか……」
マカヤの口から、しゃがれた声が洩れた。
第十章 マカヤの企み
几帳の向こうから立ち上がり、マカヤは堂々と寝室に入ってきた。
「ウワサ通り、うりずんさまは奥方をご熱心に愛しておられる……。私がいくら手を尽くしてお仕えしても、君さまのお心の中は奥方だけ……」
「マカヤ、どうしたの!」
「いっそ見えなくなれば、声も聞こえなくなれば、心から奥方の面影は消えるに違いない……。だから、朝な夕なに使われる角盥(つのだらい)の水に、のうぜんかずらの絞り汁を混ぜたのだよ。これの毒は薄いけれど、毎日使わせると効果が表れるからねえ」
「マカヤ、なんてことを!」
「花の妖かしめがっ」
天燈鬼と竜燈鬼が一度にとびかかったが、マカヤはびくともせず、のうぜんかずらの蔓が部屋の隅からシュルシュルと伸びてきて、鬼たちの手足を縛ってしまった。
美甘ちゃんは、うりずんをかばって座り直した。
「これ以上、うりずんに手出しさせないわ」
「私は『兇つ奴党』が使う、のうぜんかずらの闇の精なのだよ。毎日、毎日、花や葉の絞り汁を飲ませ続ければ、目から光を奪うことができる……そして、私のささやくことだけを信じるようになれば、君さまは私のものに……」
マカヤは一歩ずつ近づいてきた。
「奥方さまの耳に不吉なことが伝えられるように、毎夜、君さまに私の口から耳元にささやき続けた……」
「そ、それで、うりずんはありもしないことを私に伝えたのね」
それまで静かに正座していたうりずんが、立ち上がった。
「残念だったな。少し見づらくなっていたが、私の眼が美甘を映さなくなるはずがない」
「そ、そよぎ!」
うりずんは美甘ちゃんをかばって背後にした。そして、美甘のふところにあった小さなものを素早く抜き取り、マカヤに突きつけた。
「ぎゃあっ」
マカヤは目をふさいでひるんだ。
うりずんがかざしたのは大きな緑色の翡翠石で、そこから光が八方に射したのだ。
「それは……」
「鉄の女神、タタラどのから美甘奥ちゃんが授けていただいた翡翠の浄化の光だ。お前はこの光をはねつけられぬ。あきらめるがよい。私の心は未来永劫、美甘のものだ」
「うぬぬ……」
美甘姫が前に出た。
「マカヤ。うりずんを愛して……思いつめてやってしまったことなのね? あるお方が申されたわ。危害を加えるつもりは無く、危険を警告したかっただけだと――。妖言を伝えたかったのよね?」
「う、うう……、私の妖言なぞ大したものではない。濃い闇の、のうぜんかずらはもっと深い……」
マカヤはうめきながら、几帳の隙間から抜け出て宵闇の中へ消えた。美甘ちゃんは言い残された言葉に背筋が凍った。
(濃い闇ののうぜんかずら……?)
鬼や侍女、舎人(とねり)たちが捜したが、行方はわからずじまいだった。
夕立がやってきて雷鳴がしばらく轟き、美甘ちゃんはうりずんを抱きしめた。
「うりずん! 眼はどう?」
「ああ。奥ちゃんの可愛い顔がはっきり見える。相変わらず、鼻も胸もぺちゃんこだがな」
「見えるのね? 良かった! でも、――今、なんておっしゃった?」
「いっそう美しくなったと言ったんだ」
「うそ!」
「雷の音で聞き間違えたんだろう?」
笑いながら、うりずんは翡翠の石を美甘奥ちゃんに返した。
「光を浴びただけだと思っていたら、タタラ御前は指環を貸してくださっていたのね」
「タタラ御前にお礼を申し上げねばな」
「どうやってお返ししようかしら」
美甘が考えていると、出雲から帰った祖父上とゆいまるの乗った馬車が帰ったようだ。
「古くなった吊り橋の綱が切れて、もう少しで馬車ごと谷底へ落ちるところじゃったわい」
「そ、それはよくご無事でお帰りくださいました。ゆいまるも無事に……」
(もしかして、マカヤの言った「危険を警告」って、このことだったのかしら……)
美甘ちゃんはそんなことを思った。
一同は屋敷に入ると、神棚と出雲地方の方角に向けてお礼の祈りを捧げた。ゆいまるの元気な顔を見て、ホッとした。
祖父上は夕餉の席で、
「なに? その翡翠をタタラ御前にお返しするじゃと? では、秋が深くなれば柿が色づいてくるから、紀伊の柿をタタラ御前に持参する折に持っていって進ぜよう」
「柿ですって? また、黄橙色の果実!」
「タタラ御前がお好きじゃとよいがのう。紀伊の柿はでかくて甘いぞ」
「おみじゅ、おみじゅ!」
可愛い手でのうぜんかずらを指さしていた。
「お水をあげましょうね、ゆいまる」
幼いゆいまると水を撒きながら、美甘姫は、
この庭ののうぜんかずらは、闇のものではないことを感じていた。




