[405]茄子妖怪の婆ちゃんと正座しましょ


タイトル:茄子妖怪の婆ちゃんと正座しましょ
掲載日:2026/03/21

著者:海道 遠

あらすじ:
 平安時代。すふれは下級公家の娘で、叔母の口利きで後宮にお仕えすることになった。
 殿中では、奈良時代に大陸から伝わった「正座」という座り方をしなければならない。お稽古もちゃんとした。
 生まれて初めての御所、それも後宮へ入ったすふれ。
 同僚のとばりちゃんという友だちもできた。
 しかし、夜中になるとうめき声が聞こえてきて、眠れない。すふれは思い切って愛猫のミケミケを抱き、真夜中の後宮へ声を探りに出た。



本文

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第一章 初めての後宮

「わあ~~~、なんてピカピカなの? 廊下も柱も光り輝いているし、畳まで輝いているように見えるわ! 御簾や几帳の美しいこと!」
 すふれは、本日から朝廷の後宮へ宮仕えをはじめた、下級公家の娘である。
 まったく初めて朝廷の女人が住まう後宮に出仕したので、ため息が止まらない。

 実家の屋根は板張り、垣根は柴垣があちこち崩れている。舎人はふたり、下女はひとりだけ。侍女は母親についてきた古参の者がひとりだけだ。夕餉(ゆうげ)の支度は自分と母親と古参の侍女とでやる。
 庭ではいつも、すふれの愛猫三毛猫のミケミケが遊んだり、空っぽの桶の中で昼寝したりしている。
 父親はたまに、よその家の警護の者に弓術や馬術など教えに行っていた。貴族が詠む歌とかは、まったくダメである。

 生まれて初めて上がる後宮は、建物から調度や女房の着物など何もかもキンキラキンの世界で、すふれは目が眩みそうになっていた。
 かねてから御所仕えしている叔母の口聞きで宮仕えすることになり、両親は「娘がお給金をいただける!」と言って、両手(もろて)を上げて大喜びで送り出してくれた。
「すふれ、なんとしてもお上(帝)に見初められるのだぞ」
「いえ、東宮さまの方がお若いですから、先が長い。よろしいですわ、あなた」
「どっちでもいいのだ!」
「年下のお相手の方が教え甲斐が……」
「お前の相手ではないのだぞ。え? 何の教え甲斐だ?」
 両親は顔を見合わせて、口をもごもごさせた。

 ――おとなしい性分のすふれは、あまり気乗りしなかったが、
(でも……、貧しい我が家の両親があんなに喜んでくれたのだから、がんばらなければ!) 
 と勇気を奮い立たせた。
 叔母の若い頃の十二単を貸してもらい、やっと裳着(もぎ)の儀式をすませ、今日も同じ装束を着ている。
 叔母の後をついて廊下を歩いていくと、御簾(みす)の内側から女房たちのヒソヒソ話が聞こえる。
(叔母さまの着物が古くさく見えていないかしら)
 緊張して長袴(ながばかま)のすそを踏んでしまいそうになる。

 女御(にょうご)さまのひとり、寒桜(かんざくら)さまに仕えることになった。華やかだが寒桜のように控えめなお方――主上のご寵愛も深いらしい。
(ご寵愛って何のことかしら?)
(多いほど良いらしいから、おやつの数か、打ち掛けの数のことかしらね)
 お優しそうな女御さまに挨拶してから、お仕えの女房方にご挨拶する。
「すふれや、お行儀よく所作通り正座をして、先輩の皆さまにご挨拶なさい」
 叔母が振り向いて言い、局(つぼね)の皆さまにご挨拶をする。
「すふれと申します。宜しくお願いいたします」
「裳着を済まされたばかりだとか。初々しいお方ですわね~」
「女の童と変わらぬ幼さ……いえ、若々しさでいらっしゃいますこと!」
 お局の皆さまから、嫌みに近い挨拶が飛んでくる。
「は、はあ。何も分からぬ世間知らずでございますが、よろしゅうに……」

第二章 とばりちゃん

 今日から使う部屋に案内された。
 御簾で仕切られた小さな自分だけの世界だ。書棚と几帳と文机だけが置いてある。
 ほっとして足を投げ出していると、隣の御簾越しに可愛いらしい声が笑いかける。
「だ……誰?」
 すふれが問いかけてみると、同じくらいの年代の女の子が御簾の隙間から入ってきた。
「ご機嫌よう。わらわは『とばり』と申します。1年前に来たばかりなの」
 目鼻立ちのくっきりとした、ハキハキした可愛らしい少女だ。
「私はすふれと申します。よろしくお願いします」
 とばりは嬉しそうに、
「分からないことがあったら聞いてね」
「じゃあ、家で飼っている猫を連れてきてよろしいですか?」
「ご自分で面倒をみられるならよろしいと思いますよ。ただし、猫嫌いの方には近寄らせないこと!」
「わ、分かりました……」

 数日が過ぎた。
 何も問題は起こらずお務めにも慣れていき、日は過ぎていくが、すふれにはひとつだけ、気になることがあった。夜になるとどこからか聞こえてくる低い唸りのような声が聞こえてくるのだ。
 その夜も更け、
「さあ、源氏物語は何百回も読んでぼろぼろだから、中国の明王朝か清王朝のイケメン写真集でも見てから寝よう」
 紙燭(しそく)を消して褥(しとね)に入ってから、じんわりとした闇に混じって聞こえてくる。
「う〜〜ん、う〜〜ん……」
(誰かが唸っているような声だわ。誰だろう?)
 思っているうちに睡魔に捕らわれ、眠ってしまう。しかし、毎夜聞こえるのは確かだ。
 すふれは思いきって、とばりちゃんに尋ねてみた。
「ああ、あれは『茄子婆ぁ』というお婆ちゃんの女房が、神経痛の痛みのために唸っているのよ」
「茄子婆ぁ?」
「そう。たまに夜の宮中でも見かけるけど、声をかけない方がいいわ。あのお婆ちゃんの昔話に延々と付き合わされるらしいわよ」
「そんなに長い話なんですか?」
「かれこれ1500年以上も住みついているらしいから」
「せ、1500年?」
「妖怪なのよ」 
「よ、よ、妖怪~~?」
 すふれはビクついて、角盥(つのだらい)の水をこぼしそうになった。
「怖がらなくていいわよ。とってもおとなしくて、貴婦人という感じのお婆さんだから」
「妖怪の貴婦人?」
 すふれは、よけい想像できない。
 その夜のこと、いつもの唸り声が長引いて、だんだんひどくなってくる。
「う~~ん、う~~~ん、痛い……痛い……足がちぎれそうじゃ……。たれぞ、助けてくれい……! う~~ん、う~~ん!」
 すふれは褥(しとね)の上にガバッと起き上がった。
「足がちぎれそう? ただごとじゃないわ!」
 あまりにも悲痛な唸り声を、放っておけなくなった。
 真夜中の宮中なぞ、うろうろしたことがない。シ――ンとして真の闇の世界だ。それは恐ろしい。けれど舎人(とねり)に言って、連れてきてもらった愛猫のミケミケを抱いて、勇気を出して真っ暗な廊下に出た。

第三章 茄子婆ちゃん

 やっと唸り声の聞こえてくる房(ぼう=部屋)を探し当てた。とてもよい香りがする。趣味の高い香を使われているらしい。
 紙燭(しそく)で照らすと、趣味の良い紫色で縁取った御簾が張り巡らされている。
「もし……女房さま、失礼いたします。先日参ったばかりのすふれと申しますが、痛みがひどいとお声がいたしましたので……」
 痛みを訴える唸り声は続いていた。
 そっと隙間から覗くと褥(しとね)の傍らに座っていたのは、すふれの実家の舎人と同じくらいの年頃の青年である。しかも、ぼんやりとした灯りの中でも色白でかなり美しい。
(こちら、茄子女房さまのお部屋ですね?)
 青年は狩衣(かりぎぬ)すがたで、目鼻立ちがイケメン写真集に載っている人たちに引けをとらないくらいの麗しさだ。
(まさか、東宮さまじゃないでしょうね?)
 すふれは胸をドキつかせた。
「私は、薬師(くすし=医者)の弟子でございます。薬師に様子を見てくるよう言われましたので、こうしておみ足をさすっております」
(なぁんだ、薬師のお弟子さんでしたか! 東宮さまであるわけないわよね)
「茄子のお方さまは、先ほど薬を服用されましたので、だんだん治ってくると思いますよ、すふれどの」
(声も、なんと素晴らしい響きだろう。耳が蕩けそうになってしまう。ああ、もっと名前呼んでほしいな!)
 などと思っていると、
「あのう、茄子のお方さまが、あなたさまの猫を先ほどから……」
 気がつくと、茄子のお方がいつの間にか、すふれの愛猫のミケミケを布団に引き入れている。
「おお、かわゆいのう、もふもふ族や。ぬくいのう。こうして抱きしめておると痛みが遠のいてゆく気がする……」
 ミケミケを抱きしめている老女を見て、すふれは悲鳴を上げそうになった。
 顔と手が紫の肌なのだ!
 茄子のようにツヤはなくシワシワだけれど、髪は白髪というより白銀と紫が混じり、不思議なことに美しい部類に入るではないか。
 薬師の弟子という青年が、
「すふれどの、茄子のお方は猫を抱いていると具合が良いそうだ。一晩貸して差し上げてくださらぬか」
 こんな美しい青年に頼まれると断れるわけがない。
「よ、よろしいですとも。何日でも」
 と、すふれは返事をしていた。

第四章 実は東宮さま

「……というわけで、ミケミケを一晩、茄子のお方に貸してさしあげたの」
 すふれは翌朝、女御さまのご用事をしながら、とばりちゃんに昨夜のことを話した。
「まあ、そんなことが。茄子のお方の痛みがおさまったのなら良かったわね。――でも、薬師のお弟子さんまで全員は知らないから、私もきっとどなただかわからないわ……」

 すふれは、薬師のお弟子さんがとても麗しい青年だったことまではとりあえずは秘密にしておいた。
 なんとなく、とばりちゃんからヤキモチ妬かれそうな気がしたのだが、彼女には家の窮状(きゅうじょう)を正直に話した。するととばりちゃんも、
「うちは母親が早くに亡くなって父親だけなんだけど、まだ食べ盛りの弟や妹が5人もいるのよ。だから私がしっかり宮仕えしないと食べていけないの」
(うちと似たり寄ったりなのね)
 すふれは思った。

 それから何日かして、大々的な歌会が催されることになり、すふれは左大臣さまにお目にかかる機会を得た。
 左大臣さまは朝廷では雲の上のようなお方で、東宮さまの実の母上の兄上さまに当たられる。
 すふれは準備係のそのまた手伝いくらいで、本当なら左大臣と口を聞く機会などありはしないが、左大臣が唐渡りの正座を頑張ってしていたために、シビレてしまった。
「うう、これは……足がざわざわする……」
 とっさに、すふれは「お直ししましょう!」と叫んでしまった。できるだけ患部を伸ばせば早くシビレが取れることは分かっていたので、お勧めしてみた。
「おおおお! そなた、今、さわるのはよしてくれ!」
 などとわめかれたが、自然にシビレは取れてきたらしい。
「これよりは、かかとの上に座られる時に、『V』の上にお座りになると、シビレにくくなりまする」
 と、進言すると、
「おお、そうか。これは良いことを聞いたぞ」
 左大臣は喜んだ。
 その直後、庭を挟んだ建物に座っておられた東宮さまのお顔を遠くから拝見してしまった。あの時の薬師の弟子ではないか!
 東宮さまも、すふれに気がついた様子だ。
 歌会が終わってから、東宮さまの侍女から文が届いた。
『先日の夜は、身分の手前、薬師の弟子だなどと名乗ってしまい申し訳なかった。我は東宮である。茄子の紫のお方は乳母だった方だ。神経痛で、おみ足を悪くなされてからは、私も気を留め心配していた。薬師の弟子の扮装をして様子を見に行っていたのだ。
 我の母上の皇后は、産後の具合が良くなく、産まれて間もない我を残して儚くなって(はかなくなって=亡くなられて)しまわれたゆえ、我にとって、茄子の乳母が実の母上そのものなのだ。
 どんなに周りの者から『紫の肌が気持ち悪い』とか、陰口を言われようと心配になって、お見舞いにうかがっていたのだ』
 すふれは、紫のお乳に吸いついている赤ん坊の東宮を思い浮かべて、可笑しいやら可愛らしいやら想像した。
 それにしても、東宮さまの乳母を思いやられる真心が真摯に伝わってくるお文である。

第五章 痛みの回復

 茄子のお方は、その後、足の痛みが薄らいだようで、ひどい呻き声が聞こえることはなくなった。
 すふれは勤めの合間に、茄子のお方の房へ訪ね、おしゃべりすることが増えてきた。
 とばりちゃんにも声をかけて、『唐渡りの正座』のお稽古ができるほど、茄子のお方のおみ足はよくなったようだ。
「すふれちゃん、そなたが痛みのひどかった夜に、様子を見に来てくださったおかげで、猫のミケミケさんを貸していただき、足の具合はようなってきました」
 茄子のお方は、丁寧に礼を言った。
「薬師のお弟子さまが処方してくださったお薬が効いたのでしょう。私など、何もお役に立てませず……」
 すふれは頭を下げた。

 そればかりか、茄子のお方からお教えをいただき、正座が上達した。
 ある時、すふれが立ち上がって稽古の成果を示した。
「こうやって背筋を伸ばしましたら、床に両膝をつき、衣の裾を手を添えながら、お尻の下に敷きますでしょう、そうしたら、かかとの上に『V』の字になった谷に座ります。そして両手はゆるく膝の上に置いて――」
 御簾の外から、パチパチパチと拍手が聞こえたと思うと、薬師の弟子に変装した東宮さまが、笑顔で房の内へお越しになった。
(ひぇっ!)
 すふれととばりはそろって、飛びすさった。
(来たわねえ、乳母コンの東宮さま!)
「ずいぶん、上達したようですねえ、すふれさん。とばりさんは?」
 とばりも緊張しながらも、所作通りに正座してみるとうまくできた。
「とばりさんもお上手です。ねえ、茄子のお方さま?」
「ええ、ええ、とてもきれいな正座ですよ」
 茄子のお方もシワに囲まれた目を細めて褒めてくれた。
 ふたりは遠慮しながらも顔を真っ赤にして、部屋を下がろうとする。
「東宮さまと、こんなに長く親しくさせていただくわけには……」
「今、ここにおりますのは東宮ではなく、薬師の弟子ですよ」
 などと笑顔でおっしゃるので、すふれととばりちゃんはますます、東宮さまに夢中になった。

 東宮も猫のミケミケを時々、茄子のお方さまから「また貸し」してもらい、一緒にぬくもって寝たりしていて、猫は東宮にすっかり懐いた。
「猫とは、このように温かいものだったのだな。まるで温石(おんじゃく)だ。その上、甘えてきてかわゆいのう」
 ミケミケはしょっちゅう、東宮さまに喉を撫でられて、ごろごろ言っている。

第六章 湯治へ

 ある日、茄子のお方から改まって、すふれととばりに、お話がありますと、侍女が伝えに来た。
 ふたりが茄子のお方の房へうかがってみると、彼女はさめざめと泣いているではないか。
「いかがなさいました? 茄子のお方さま」
「またおみ足が痛みだしたのですか?」
「いや、そうではないのですが」
 茄子のお方は、若いふたりを前にして改まって正座した。いつもは背筋がピンと真っ直ぐになっているが、猫背になって座っているので、どうやら胃も痛むらしい。
「私は皆さまがご存知の通り、茄子の妖怪です。永遠の命があるものの、御所での長いお務めの疲れが出てきたのか、身体のあちこちが弱ってきたのを感じます。そこで、妖怪仲間の知り合いの勧めがあり、山奥の湯治場で身体を休めてくることになりました」
「まあ、そうですの?」
 ふたりの少女も、顔を曇らせた。

「おふたりは人間。私は妖怪ゆえ努力すれば『健やか年齢』を伸ばせるでありましょうが、そなた方は――」
(茄子のお方よりお婆ちゃんになって、儚くなってしまうのだわ)
 すふれととばりちゃんは、抱き合って泣いた。
 御簾の下に真っ白の足袋が見え、東宮さまが聞いておられたことが分かった。
 いてもたてもたまらず、東宮は御簾の内側へ入ってきた。
「乳母や、ならぬぞ、これかぎりになってしまうなどと、我が許さぬ!」
 袂(たもと)を口元にあて、嗚咽(おえつ=むせび泣き)を堪えておられる。
「東宮さま、私とて、東宮さまが主上にご即位されるお姿や、皇后さまになられるお方を拝見しとうございます。ゆえに、老いた身体をもう一度、健やかにするために、旅立つ決心をいたしました」
 茄子のお方が、小さな陶器の入れ物をすふれたちに差し出した。
「これは愛用しているお香です。静かに正座してこのお香の香りに包まれていれば、心が穏やかになれます」
 ふたりはしばらく正座して、言われた通りお香の匂いを嗅いでいた。
 しばらくしてから。すふれが、いきいきとした瞳でとばりちゃんの方を向いた。
「さっきの茄子のお方のお言葉、聞いた? 東宮のお后になられる方ですって!」
「うん、うん。聞いたわよ~~!」
 ふたりに、やる気スイッチが入った瞬間だった。バチバチッと火花が散った! ふたりとも身分が高くない公家の娘だが、見初められれば夢ではなくなる。
「こうなったら、実力行使あるのみよね!」
 とばりちゃんが叫ぶように言った。
「いいわ。相手にとって不足なしよ、すふれちゃん! どちらが先に東宮さまのお后になるか、勝負よ!」
「ええ。計画立てなきゃ!」

第七章 妖怪猫

 茄子の婆ちゃんのお方が、湯治場へ旅立つ日が来た。
 東宮さまは、反対する方々を抑え、自ら東北の湯治場まで送っていくことを宣言した。
 大臣たちや主上さえ、その熱意に勝つことはできなかった。
 すふれととばりが手をこまねいているうちに、茄子のお方と東宮さまは北へ出立されたことがわかった。
「ちょっと、すふれ! あなたがぼやぼやしているうちに、東宮さまは遠くへ行ってしまわれたじゃないの!」
 叔母が叱りに来たが、東宮后になる良い案が浮かばなかったので、どうしようもない。
 ふたりは気落ちして毎日を過ごした。
 数か月が経ち、驚くことに、東宮さまは茄子の婆ちゃんを送っていった先で……。
「なんですって、東宮さまが未来の皇后さまをお連れになった?」
 地主(じぬし)のひとり娘を見初め、連れ帰ったのだ!
「湯治場の地主の娘を?」
 叔母がもっとヒステリーを起こして叱りに来たが、すふれととばりちゃんは、再起不能なほど打ちのめされていた。
 東宮さまが、後宮にその娘を入内させる日がついにやってきてしまった。
 地主の娘を入内させるわけにはいかず、公家の養女にしてから入内させたのだった。
 東宮さま自ら娘の手を取り、後宮へ案内してきた。
「まあ、なんて……」
「なんて射干玉(ぬばたま)のおぐしがお美しいお方でしょう……」
 すふれが洩らしたのも無理はない。つやつやと輝く彼女の黒髪は絹糸のようだ。
 侍女たちが歯ぎしりする中、彼女は女御の房へ案内された。
「んだ。これがオラのニョゴの『するめ』っつ―んだ。めんこいおなごじゃろ。皆の者、へば、よろしゅうな」
「は? 何と申されました?」
 東宮さまは湯治場の土地の言葉にすっかりなじんでしまい、方言に染まっている。
「東宮さまが、京ことばをお忘れになってしまわれました!」 そこで、すふれはガバッと起き上がった。
「ああ、夢だったのか……良かった、東宮さまとお話が通じなくなるところだったわ」

 現実の世界で、東宮さまが女御さまをお披露目する会が開かれた。各大臣や、後宮の皇后や主上の女御、偉い女官たちが出席した。
 すふれはそこで、同僚の女房から意外なことを聞いた。
「ねえ、すふれさま。言いにくいことですが、茄子のお方さまに近づきすぎると、猫の毒になったりしないわよね?」
「は? 茄子のお方が猫の毒とは?」
「いえね、普通、猫には茄子は食べさせないようにと言い伝えがあるの。茄子の成分が身体に合わず、身体を壊してしまうそうなのよ」
「な、なんですって!」
 すふれは大急ぎで、後宮に戻った茄子のお方の房へ飛んで行って、今、聞いたことを伝えた。
「ああ、それなら知っておりますよ」
 茄子のお方は、落ち着いて答えた。
「いくら遠ざけようとしても、ミケミケさんは私にくっついてくるのです。じゃから、いっそ、もし私に毒があるなら、免疫をつけてさしあげた方が良いかもしれぬと思いまして、好きなようにさせております。おかげさまでミケミケさんは元気なままですよ。茄子妖怪でも、茄子の毒は無いのかもしれませんし、ミケミケさんが免疫をつけて強くなったのかもしれませんな」
 そう言って、紫の唇を微笑ませた。
「そ、そうなのですか。それならよろしいのですが」
 すふれは首をかしげながら、自分の房に下がった。

「女御の美色(みしき)と申す。皆の者、よしなに頼むぞ」 
 東宮さまが言った。
 すふれは一瞬、彼女の扇に隠された顔を半分見た。
(なんだか見たことがあるような雰囲気ねえ……。どこかでお会いしたことがあるような……)

 すふれととばりちゃんは、魂が抜けるほどがっくりしたが、その娘にしっかりと正座を身につけさせた。
 あくまで優しく接したが、教えるまでもなく娘は上手に正座ができた。聞けば、茄子のお方自らの手ほどきを受けたという。
「そうだったのね、茄子の婆ちゃんのお方が……」
 更に意外なことが判明する。
「実は美色(みしき)の女御は猫なのだ」
 東宮さまが照れながら、衝撃的なことを告白した。
「猫のミケミケのせいで、夜にやすむ時に猫が手放せなくなってのう、茄子のお方の口利きで、地主の家へ日参してひとり娘を口説きおとしたのだ」
 すふれととばりちゃんは顔を見合わせた。
「猫ですって? ――? ――?」
「そういえば、私のミケミケはどうしたのかしら?」
 東宮さまの湯治場行きに気を取られていて、うっかりしていたが、最近、ミケミケの姿が見えない。
(まさか、女御さまは……?)
 絹の褥の中で、気持ちよさそうに東宮さまの胸にいだかれたミケミケは、「にゃお~~ん」と甘い声で鳴いた。
「あの声は!」
 すふれは、地団太(じだんだ)を踏んで悔しがった。


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