[247]スワル・チョコ
タイトル:スワル・チョコ
掲載日:2023/02/24
著者:海道 遠
イラスト:よろ
内容:
高校生の確人(かくと)は、スワルチョコの食べ過ぎで、鼻血を出して寝こんでいた。呆れた姉の朱里(あかり)が訳を聞いてみると、包み紙の裏側に、東京から大阪までの新幹線のペアのチケットが当たる懸賞つきなんだそうだ。
東京へ行っているGFの雅奈(がーな)にプレゼントして、大阪までの帰りの隣の席に座ってコクる計画なのだ。正座教室を開いている朱里は、同じことなら正座してコクりなさいよ、と提案する。
本文
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第 一 章 バレンタイン症候群
姉の朱里(あかり)が、玄関を入るなり叫ぶ声が聞こえた。
「なんで、確人(かくと)は、鼻血が止まらんようになってしもたんよ?」
バタバタと階段を上がる音がして、弟の部屋のふすまが開いた。
「ああ、朱里、お帰り。しばらくやねえ」
確人の枕元に付き添っていた母親が、久しぶりに会う娘を迎えた。
確人は朱くほてったオデコに冷え湿布を貼り付け、鼻の穴にティッシュを詰めこんだ姿でベッドに横になっている。
「しばらくやねえって。母さん、のんきやね。病院へ連れて行って検査してもらわな!」
「姉貴、大丈夫や。そんな大げさなことせんでも、すぐ治まるから。母さんも、よけいなことを知らせんでもええのに……」
「でも、熱が高いのやろ」
「いや、大丈夫やって。バレンタイン症候群ってヤツやから」
「バレンタイン症候群やって?」
「そうや。チョコを食べ過ぎただけや」
「どうして、バレンタインから遠い季節はずれに、そんな」
「朱里、見てやってよ、このゴミ」
母親がふすまを開けると、押し入れには、スワルチョコの包み紙が山になっていた。ゴミの大袋が、ざっと十個はあるだろうか?
「全部、スワルチョコやないの! どうしてこんなに買いこんだんや」
確人や朱里が子どもの頃から、おなじみのミニサイズの四角いチョコ、スワルチョコの包み紙が、何百枚も散らばっている。
「どうして、こんなにたくさん?」
「【スワルチョコの包み紙の中に、裏側に新幹線、東京、大阪間のチケットペア分、引き換え券がプリントされてるのが当たり!】のキャンペーンなんやて。それを当てようと思ったんや」
鼻の穴に突っこんだティッシュのせいで、もごもごしながら、確人は答えた。
「なんで、そんなの当てる必要があるのや? 新幹線の切符代くらい、バイト代でまかなえるのと違うの?」
「姉貴、わからへんのかいな。俺のポリシーや」
「ポリシーって、何百個にひとつっていうの、当てへんと気がすまへんポリシーかいな」
「そうや。親父ゆずりなポリシーや」
「もう~~父さんといい、あんたといい」
朱里は呆れ返った。
「だいたい、俺たち七人兄弟の、一番目から六番目まで、全部、女。どうしても息子がほしかった親父が、ラストの思いをこめて生まれてきたのが、念願の息子の俺やもんな」
「粘りに粘らないと気がすまへん性格を受け継いだんやね。で、今回のスワルチョコを粘って当てようとした理由は何?」
朱里は話をゆっくり聞こうと、弟のベッドの横にピシリと正座した。
「実は、雅奈(がーな)が……」
「雅奈ちゃんて、ハネッ返りのあんたの彼女やね」
「ああ。まだ片思いやけどな。しばらく東京に行ってたんやけど、帰ってくるそうなんで、新幹線のチケットをスワルチョコの包み紙のキャンペーンで当てて、プレゼントしようとしたんや」
「それで、こんなにたくさんチョコ食べて、ぶっ倒れたんやね!」
「ペアチケットプレゼントして、隣の席に座って、コクろうと計画したんや」
「まったく、三年ぶりにアメリカから帰ったら、何をやってることやら」
六番目の姉は、大きなため息をついた。
「この情熱は粘り甲斐があるのんや。俺の雅奈への思いは」
「よくそんな恥ずかしげもない言葉が言えるなあ」
母親が淹れてきた日本茶を飲んでから、
「確人。そこまで粘るのやったら、姉ちゃんの教える通り、正しい所作で正座してチョコを選んでみなさい。本気で魂こめたら当たるかもしれへんよ」
「姉貴、そんなこと言うて、うまく正座の稽古をさせようという魂胆(こんたん)やろ」
「バレたか。今度、日本の教室も大きくする計画やさかい、第一号の生徒にしてやろうと思うたんや」
姉の朱里は、正座教室の師匠をしている。しばらくアメリカで活動していたが、日本の教室を再開しようと帰国したのだった。
「確人、騙されたと思うて、正座がカンペキにできるようになってから、もう一ぺん、チョコに挑戦してみたらどうや?」
姉の瞳の奥に、不思議に自信に満ちた光がある。
「う~~ん、このまま、ランダムに買いあさってても確率は上がらへんからなあ、やってみるか!」
第 二 章 正座の特訓
翌日、熱の下がった確人に、朱里はさっそく正座の稽古を始めた。
「まずはカタチから。お作法を習う生徒らしく、着物に袴を着つけてあげる!」
というわけで、確人は、高校二年生になって七五三以来の袴を穿かされた。
鏡に全身を映してみると、
「お、まあまあイケてる日本男児やんか、俺。この格好で雅奈にコクろうかな?」
にやついてきた。
「何をニヤニヤしてるのや! 厳しくするから覚悟なさい!」
朱里が「喝!」を入れ、稽古が始まった。
「背すじを真っ直ぐに立ちなさい。あかん、猫背になってる! 胸の真ん中をやや上から引っぱられるように、しゃんとして!」
「こうかな」
「よろしい。それから床に膝をついて。まだ座ってはだめ、袴に手をあてて、お尻の下に敷くのや。そっと、シワを作らないようにきれいにやで。それからかかとの上に座る。両手は力を抜いて膝の上に。できたかな」
「こ、こんな感じかな」
「うん、きれいに四角形に正座できてるな」
「四角形? ……うわっ」
立とうとして袴のハジッコを踏みつけたらしく、尻もちをついてしまった!
「はい、最初からやり直し!」
姉の鬼師匠ぶりは続いた。
三日目にやっと合格をもらうことができた。
「そしたら、新しくチョコを買いに行こう。一個だけ選びなさい。私もついていってあげるから」
「チョコ一個買うのに、姉貴がついてくるのかよ。やめてくれ、カッコ悪いから!」
「そうはいかへん。正座の成果を試す大切なチョコ選びや。このまま私は着物で。あんたも袴姿で行くのや」
「ええっ、袴姿で!」
「コンビニかスーパーか、それとも駄菓子屋さんか、どこがいい?」
「コンビニかスーパーへ、ふたりして和装でレジにチョコ一個持って並ぶつもりかよ?」
「そうや。何かまずいことでも?」
「いや、カッコ悪いだけのことや……けどな……」
朱里の眼は厳しく揺るがない。
「じゃあ、町はずれの駄菓子屋へ行こうかな……」
「よし!」
朱里は膝を叩いて立ち上がり、弟に無理やり、慣れない草履を履かせて、駄菓子屋へ同行した。
町はずれの駄菓子屋は、ふたりが子どもの頃から行きつけの店だ。今も、学校を終えた小学生たちが店先に群がっている。
店番のおばあちゃんは、昔とちっとも変わらないまんまの姿で、子どもたちをにこにこ見守っている。
確人と朱里が入ろうとすると、子どもたちのおしゃべりが止まった。珍しそうにじろじろと見ている。
(無理ないな。大人ふたりが着物で駄菓子屋に来るなんて、俺が子どもでも、見てしまうわ)
「おいでやす」
店番のおばあちゃんは、おとなの客にも変わらない優しい笑顔で迎えた。
「スワルチョコだすか? 昔から人気があるねえ。いろんな種類があるさかい、ゆっくり選びなはれ」
「そうよ、確人。ゆっくりでも直感でも、よおく見て、これ! というあんたにオーラを発している一個を選びなさい。四角いガラスケースの左隅にあるの、おすすめやわ」
種類は駄菓子屋でも、百種類くらいそろっている。
「う~~~ん、う~~~ん、そ、それじゃ、一番上の左隅にあるイチゴ味のをひとつください!」
「はい、これやね」
おばあさんは一個でも丁寧に、ザラついたベージュの紙袋に入れてくれた。
確人はそれをふところに入れ、朱里と、宝物でも手にするように自宅まで小走りに帰った。
まっすぐに正座の稽古をしていた奥座敷へ向かう。
床の間の前に座ると、確人はそっとふところから包みを取り出し、チョコを手のひらに乗せた。
「待ちなさい。そんな気軽に座らないで。部屋に入ってくるところからやり直し! ちゃんとした所作で床の間の前に座ること!」
「はいはい、分かったよ」
言われた通り、部屋に入るところからやり直した。背すじを伸ばして、呼吸は穏やかに床の間へ歩いていき、改めて立った。
稽古した通りに正座すると、もう一度、包みからチョコを取り出した。
イチゴ味の包み紙を、そっとはずしていく……。
確人と朱里はそろって、ゴクリとツバを飲みこんだ。
包み紙が外され、チョコが指でつまみ上げられると、そこには――、
【新幹線、東京、大阪間片道ペア切符と、お引き換えできます】の文字が!
「あ、あ、当たった~~!」
「やったね、確人!」
「当たったよ、姉貴! あんなにたくさんチョコ買うても、あかんかったのに!」
「正座の効力やね!」
ふたりは手を取りあって喜びあった。
第 三 章 雅奈の反応
確人は、さっそく東京にいる雅奈に連絡した。
【大阪へ帰る分の新幹線の切符はゲットしたから、俺が東京行って、一緒に帰らせてくれないか】
雅奈の返信は戸惑った内容だった。無理もない。
【どうして、確人くんがわざわざ東京に迎えに来てくれて、一緒に帰るの?】
【隣の席に座って、伝えたいことがあるんや】
【何? 伝えたいことって?】
【だから、それは新幹線の中でや】
どうも納得がいかない雅奈だったが、確人が東京駅まで迎えに行くと、とりあえずは同じ車両に乗りこんできた。
ゆるく巻いた肩までのソフトブラウンの髪と花柄ワンピが可愛い。
雅奈の荷物を網棚に乗せて、ふたりは座席に着いた。
「よう、東京はどうやった?」
「うん……。目的は一応、達成した」
とりあえず、黙って席に着く。雅奈の唇はタコのようになったままだ。
「どうした、元気ないやんか」
東京へ出発する時は、嬉しそうに飛び跳ねてたのに、視線も下に向けたままだ。
「なんでもないわ。なんで確人くんが迎えに来るねんよ?」
「隣に座ってみたかったんや」
「伝えたいことがえるのんとちがった?」
「あ、ああ。もうちょっと後でな」
新幹線が富士山を通りすぎた。確人の胸がドキドキしてきた。
そろそろかな、と思いながら、確人は膝がしらを握りしめて、切り出した。
「雅奈、俺、俺な――。お前としっかり付き合いたいって思うねんけど……」
「しっかりって?」
「あのう、そのう、しっかり彼女になってほしいんや!」
(――言った!)
確人の胸は高鳴るどころではなくなった。心臓が口から飛び出そうとは、このことだ。
雅奈はしばらくボーゼンとしてから、
「確人くん、それはすごく嬉しいんやけど、私、応えられそうにないわ……」
「え? 俺やったら失格ってこと?」
心臓が凍りつくかと思った。
「そうやないの。私が東京へ行ってたのは、あるCMのオーディションを受けるためなんや。十一回めでやっと合格したんよ。やから大阪の高校は辞めて、上京するために一旦、帰るのや」
「ええっ、オーディションに合格? 高校を辞めて上京するぅ~~?」
別の意味で、心臓が真っ青に染まりそうだ。
「そもそも、東京に行ってたのって、ただの遊びやって言うてたやないか!」
「まさか受かるなんて思うてへんかったもん……」
決まりが悪そうに、雅奈はボソッと答えた。
「ホ、ホンマに高校辞めてしまうのか? そしたら、俺と別れ別れやないか!」
確人は絶望的にうめいて、それから黙りこんだ。が、名古屋駅を出発してから急に立ち上がり、座席の上に正座した。
乗客の視線が集まる。
「どうしたん? 確人くん」
「雅奈、君が上京するんやったら、俺もする!」
「な、なんて? 確人くんの志望校は関西の……」
「東京の大学に変更する! 雅奈の側にいなきゃな」
「そんな大切なこと、簡単に決めんといてよ」
「簡単に決めてない。こうして正座して考えて言ってる!」
「とにかく、私の夢で、確人くんの人生を狂わせるようなことに巻きこむわけにいかへんてば」
確人は大阪の自宅へ帰り、姉の朱里にすべてを報告した。
そして両親に、志望校を東京所在の大学に変更する、と伝えた。
「なんですって、女の子が上京するから、自分もそうする?」
母親は、とんでもないと言いたげだ。
父親は腕を組んで考えていたが、
「わしは母さんをゲットするために、何十通ものラブレターを書いて粘った。お前の気持ちは分からんでもない」
「お、お父さんたら」
「これが、縁というものかもしれん。人生、何がどうなるのか分からないが、何か目標があるのなら、幸運が呼んでいるのかもしれん。思うようにやってみろ」
「あ、ありがとう。父さん!」
輝く笑顔で、確人は父親に正座して頭を下げた。
母親は、ため息をつきながら、
「仕方あらへんね。そういえば、朱里、あんた、東京に教室を持つって言ってたね。ふたりの監視役を引き受けてくれへん?」
朱里がびっくりして母親を見た。
「監視役?」
「ふたりとも、まだ高校生。よそのお嬢さんに、もしものことがあったら申し訳ないですまへんわ」
「な、何、母さん。俺らが信じられへんていうこと?」
「信じられへん!」
きっぱり言った母親の言葉に、確人も朱里も顔を見合わせた。
「仕方ないな。私がふたりの監視役に東京の教室の合間に様子を見に行ってあげる」
「……母さんと姉さんに押さえつけられたんじゃ、仕方ないな。俺も自信ないもんな」
「確人!」
母親と姉が、そろって怒鳴った。
第 五 章 キャンペーンガール
翌年の春になり、確人と雅奈は、東京に引っ越しして都内の高校に転校した。
新学期と同時にスワルチョコのCMが新しくなり、雅奈は、テレビのCMに出演するようになった。
フリルがいっぱいついた赤いドレスを着て、小さな四角いのカタチのチョコを持って、にっこりする雅奈は実際に見るより数倍可愛い。
確人は、毎日、高校から帰るとスマホを見ては、鼻の下を伸ばしている。
ある日、雅奈が確人の小さなマンションにやってきた。
「あのね。今度、スワルチョコが、ベルギーの高級チョコの会社と提携して、高級スワルチョコを売り出すんだって」
自分で淹れた(いれた)コーヒーを飲みながら、心配そうな表情でもらした。
「スワルチョコが、高級チョコになってしまうのか? 今まで庶民向けのお手軽価格のチョコだったのに……」
「今までの庶民向けのチョコも続けて生産、販売されるそうよ。でも、少しイメージが……」
「そうだよな。俺たちが子どもの頃から、安く買えるチョコだったもんな」
「私のCMも、短い命かもしれへんわ」
ふたりして、コーヒーをすすりながら、ちょっとセンチな気分になるのだった。気づかないうちに、ふたりで正座していることに確人は気がついた。
「正座って、四角い座り方やな……」
「急に、なに? それ」
「スワルチョコも四角いな、と思って」
「確かに、四角いわね」
(それが、どうかした?)
「いや、姉貴がさ、正座教室やってる朱里姉貴が、やけに四角に詳しくてこだわるんや。スワルチョコも正座も四角。何か共通点があるのかな? と思っただけや」
「ふうん……」
雅奈は退屈そうに聞いていた。
が、翌日にやってきた雅奈の表情は正反対に輝いているではないか!
「確人くん! 私、女優になれるねんて! CMを見た時代劇ドラマの関係者の目に止まったらしいねん」
「ほ、ほんまか! でも、今どき、時代劇?」
「時代劇いうても、あの大型ドラマよ。直接オファーもらったんやから、間違いないわ!」
雅奈は嬉しそうにぴょんぴょん飛んでいる。確人が朱里にも知らせたので、彼女も喜び、三人でランチしようということになった。
待ち合わせた気軽なイタリアンレストランへ、ふたりが玄関で待っていると、春らしい小紋の着物で朱里がやってきた。
「雅奈ちゃん、やったわね。あの大型時代劇に出演するんですって? すごいやないの!」
「ありがとうございます。まだ信じられなくて……」
「とにかく席に着きましょ!」
三人は席に着いてからオーダーを終わり、改めて顔を見合った。
「で、どんな役を演じるの?」
雅奈はバッグから、台本を取り出して見せた。
「どれどれ。『常陸つれづれ』の真寿姫(ますひめ)。重要な役やないの! この時間枠の俳優さんの所作は、うちの師匠が指導しているねんよ!」
「ええっ、すごい偶然!」
「私もアシスタントをしたことがあるわ」
「それじゃ、マネージャーに頼んで、朱里さんに専属で指導してもらおうかな?」
「正規のお稽古以外に時間がとれるなら、私が指導させてもらうけど。マネージャーさんの許可を得てからね」
「そうですね。分かりました」
「雅奈ちゃん、ちょっと手のひらを見せてくれる?」
雅奈が言われるとおり、手のひらを預けると、朱里はよ~~く見つめてから、
「やっぱり! 四角の紋があるわ」
「四角の紋?」
「手のひらに四角紋を持つ人は、スピード開運に恵まれたり、苦難続きから一発逆転したりの運に恵まれるねんよ」
雅奈の手のひらのあちこちに、四角い紋がある。
「へええ。当たってるやん!」
確人も嬉しそうに、
「雅奈、何回もオーディション受けに東京へ通ってたし、チャンスをつかんだとたんに女優デビューやもんな。姉貴、いつの間に手相に詳しくなったんや?」
「正座って、四角いカタチに座るやろ? ある日、それに気がついて、ちょっと手相をかじってみたんや」
「それで、駄菓子屋さんでスワルチョコ選ぶ時も、四角にこだわってたんやな」
確人はしみじみつぶやいた。
第 六 章 ミス・ショコラ
朱里のお作法教室でのお稽古が始まった。
「俺もつきあうで!」
浴衣まで持ってきた確人に、雅奈は照れながら感謝した。
朱里は、時代劇での所作の基本は専門の方の指導に任せることにして、ふたりに正座の所作を教えることにした。
浴衣に着替えた雅奈は、朱里の言うとおりの所作をこなしていく。
「背すじを真っ直ぐにして立って、床に膝をつく。着物はお尻の下に敷いて、かかとの上に座る」
簡単な手順だが、特に着物をお尻の下に手を添えて敷き、座ることは大切だ。
懸命にお稽古に励み、時代劇の撮影も順調に進み、撮り終えることができた。
そんな時に、続いて思いがけない朗報が舞いこんだ。
ベルギーの高級チョコブランドと提携して、新しい品を売りだすスワルチョコだったが、雅奈が今年度のミス・ショコラグランプリに選ばれたというのだ。
若い男性マネージャーが、小躍りしながら走って、正座教室に知らせに来た。
「雅奈ちゃん! ミス・ショコラグランプリだって!」
「し……信じられへん!」
「すごいぞ、雅奈!」
「おめでとう、雅奈ちゃん!」
確人と朱里にも囲まれて、雅奈は喜びを隠せない。
確人は、スマホで検索してみて、
「なになに、日本だけでなくヨーロッパでも、キャンペンガールとして活動するんだって!」
「ヨーロッパでも活動するの? 私にできるかな」
「ええと……、新しいチョコのコンセプトは、【鋼(はがね)の四角チョコと女の子】だって」
「鋼のって? どういう意味?」
「世界一、硬いチョコやってさ」
「世界一、硬いチョコ! 鋼のような? チョコのキャッチフレーズやったら、『とろけるような口どけ』とか、よくあるけど……」
その時、マネージャーが叫んだ。
「雅奈ちゃん! 続いて、ミス・ショコラにぴったりなショコラ王子様を選ぶんだそうだ。一般公募もするんだって!」
確人の瞳が輝いた。
「俺、応募する! 数ある中から選ばれるのは、自信があるんや!」
「王子様ですって?」
「ああ、雅奈の行くところ、どこでもついて行くでえ!」
「確人くん……、王子様って雰囲気じゃないわ」
雅奈は思わず吹き出した。朱里も、つられて笑い出し、止まらない。
「小さい頃から、末っ子で泣き虫だった確人が、王子様? お、おかしい!」
「ふたりとも、ひどいな」
最終選考は、ミス・ショコラの投げたダーツのルーレットで決められる。
「よし、俺は当てる男や!」
自信満々で応募するのだった。
ルーレットはチョコに合わせて、珍しい四角形だ。
四角紋、つまり正座との繋がりを感じてしまった雅奈と確人である。
「決勝では、床に正座して的を狙ってやる!」
第 七 章 捻挫
予期しなかった。
順風満帆の雅奈が、日本舞踊のちょっとした足の所作の踏み違えで、捻挫してしまうとは。それも運悪く面倒なスジの箇所をねじってしまい、完治に一か月もかかるという。
しばらくミス・ショコラの役目を果たせなくなる。
「活動は、代わりに準ミスの子がこなすことになった」
マネージャーが残念そうに言った。
雅奈はがっかりして、足首の白い包帯を見つめたまま、口を開かない。捻挫しているので正座もできない。
「その足じゃ、ひとり暮らしはちょっとしんどいな」
確人は朱里と相談して、しばらく大阪の実家に帰ったらどうかと勧めた。
うなずいた雅奈の濃いまつ毛の目元から、涙がポロリと落ちた。
「たった一か月の辛抱や。治ったら、なんぼでも頑張ったらええ」
確人は雅奈を支えて、大阪まで送っていった。
「きれいな青空やなあ」
ある日、雅奈は使い慣れない松葉杖で、実家から散歩に出かけた。CMで顔が知れているのでサングラスをかけていたが、あまりいいお天気なので、外して青空を見上げた。
静かな住宅街の公園や空き地には、コスモスがたくさん咲いて揺れている。おっかなびっくり一歩ずつ進む。
「あっ」
杖がすべり、その場にこけてしまった。
「いたた……」
立ち上がろうとするが、足が痛んで座りこむ。みじめな思いが一気に噴き出した。
(どうして、あのお稽古の時、足袋をはいた足が滑ってしもたんやろ、簡単な所作やったのに……)
昼間の住宅街は、通行人もいなくて鎮まりきっている。手助けしてくれる人もいなくて、雅奈は座りこんだまま泣き出した。
「どうしはったんえ? 転んでしまわはったん?」
不意に背後から優しい声がした。振り向くと、子どもの頃の駄菓子屋さんのおばあちゃんではないか。
「うち、近くやさかい、休んでいかはるか? うん、そうしい」
おばあちゃんは、雅奈の腕を支えて立つのを手伝ってくれて、一緒に歩いてくれた。
急いで店のガラス戸のカギを開けた。店内には、昔と同じ駄菓子の山がある。
「さあ、上がって休憩していってくださいな」
「ありがとうございます。ほな、お言葉に甘えて」
雅奈は休憩させてもらうことにした。
手早くお茶を淹れてきたおばあちゃんは、てきぱきと美しく正座した。雅奈は少し驚いた。朱里の正座に勝るとも劣らないではないか。
「正座がおきれいですね」
つい、思ったそのままを口にしてしまった。
「いや、そんなお恥ずかしいですわ。何十年も前に花嫁修業で習うただけの正座の所作だす」
「流れるような所作で、座ったカタチもきれいです」
「まあ、お見合いの時、相手はんに褒められて決まった縁談やけどね」
「いや、ええお話やないですか」
「しもた。私としたことが、つい」
おばあちゃんは照れた。
「優しい主人で、私にはもったいない人でしたけど、三十代半ばで、四人の子を残して早う逝ってしまいました」
「……なんてこと……。すみません、悲しいことを」
「なんの! 四人の子がいましたさかい、心強かったんえ。『四』は幸せの『し』やさかいな。東子、西栄、南治、北斗の四人は、貧しい中、よう働いて、よう勉強して、店や家事もよう手伝いしてくれた」
「まあ……」
「正座もきっちり教えこんだんえ。どこへ出しても恥ずかしくない正座ができます、四人とも」
おばあちゃんは得意げな顔をしたが、ちっとも傲慢ではない。
近所の子どもが三人、ガラス戸の向こうに立った。おばあちゃんは気がついて、立っていった。
「もう学校終わったんか。お帰り。さあ、お入り」
子どもたちは、たちまち駄菓子ケースに群がった。
おばあちゃんはまた、座敷へ戻ってきて話の続きに戻った。
「それにな、うちの四人の子たち、四人とも左の手のひらに、父親ゆずりの四角紋がありましたんや」
「四角紋が! それ、知ってます」
「へえ、そうかいな。苦労を重ねても、一発逆転の運を持ってるちゅう紋や」
「はい!」
「私は嫁入り前に正座を習ったお師匠さんから教わったんや」
「まあ、そうやったんですね」
「まあ一発逆転ちゅうわけにはいかへんだしたけどな。四角紋の強運のせいか、店を続けられて四人の子を育てることが出来ましたんや」
「そうでしたか……」
「娘さん。あんたはんも、そのおケガで今は大変やろうけど、――手のひらを見せてくださいな」
雅奈は左手を開いてみせた。
「ほら、やっぱり立派な四角紋があるわ」
朱里に言われたとおりだ。
「さぞかし立派な正座ができはることやろ。ケガが治ったら、この時の苦しさ悲しさは、きっとええ経験になる。そやさかい、がんばりなさいや」
握ってくれたおばあちゃんの手は、それは温かかった。雅奈の胸に得も言われぬ安らぎがひた寄せた。
第 八 章 プリンス誕生
一か月後、雅奈は無事に復帰することができた。
プリンス・ショコラの選考が迫っていた。
新製品のスワルチョコのコンセプトは「鋼のように固い甘さ」だ。
雅奈もそのイメージに合わせて、今までゆるふわカールの髪にしていたのを、深いチョコレート色のストレートヘアにした。
「お、雅奈! 全然イメージ違うやん。鋼鉄の女やん」
予選会場で出会った確人は、目を見張った。
雅奈はサラサラのロングヘアを肩の向こうへ流し、
「確人くんこそ、外見もっとちゃんとしないと、プリンスに選ばれるのは難しいのとちがう? 最近の若い男子たちの美しさ、知ってるの? みんな、お肌のお手入れからしてすごく念入りよ」
「俺にメイクでもしろってか? やなこった! 俺は素で勝負するんや。俺には最後の最後まで粘ったら、勝てる運があるんやからな」
「そんなの、いつでも通用するわけないでしょう!」
雅奈は目をつり上げたが、今回のことは確人から勝手に応募すると言い出したので、期待していなかった。
どこから見ても、中肉中背(ちゅうにくちゅうぜい)のごく普通の高校生にしか見えない。ベルギーの一流チョコブランドの宣伝部に目を止めてもらえるとは思えない。
「大丈夫やって! ある程度、予選通ったら、決勝は四角ルーレットなんやから」
いたって呑気(のんき)な確人に、様子を見に来た朱里も、半分あきらめている。
「こうなったら、四角紋の運に賭けるしかあらへんね」
「おう、姉貴。正座してダーツ投げるからな。練習は十分やった。そんで、キャンペーンがてら、雅奈とふたりでのヨーロッパ旅行を実現させるんや!」
「その決勝のルーレットにたどりつけるかどうかが、問題なんやないの、確人」
朱里も雅奈も、肩をすくめた。
が――、意外や意外、並みいる外国のイケメン男子たちもなんのその、プリンス・ショコラの最終選考まで粘って残った確人。
白い歯で、チョコのかじりっぷりが受けたらしい。
決勝のルーレットは、ベルギーの首都、ブリュッセルで行われる。
黒いストレートなワンピで、クール・ビューティー姿で会場の広場に到着した雅奈。
確人は、なんと、羽織袴すがたで登場した。
MCの男性は、確人の見慣れない日本の着物すがたに、少々驚いている。
確人は、いよいよ息まいている。
(おし、雅奈。俺がきっと優勝してプリンス・ショコラになって、お前とのヨーロッパ一周旅行についていって守ってやるからな)
ベルギーの世界一、美しい広場と言われるグラン・プレス広場には、市庁舎や王の家という建築物が周りを囲っている。
チョコのイベントがあると聞きつけて、見物の人だかりができた。
確人は、緊張して四角い座布団を持参して石畳に敷く。その上に、正式な所作で正座した。
「なんだ、あの座り方は? それにあれは日本の着物かな?」
「あんな座り方、初めて見たぞ」
集まった人々から、ざわめきが洩れる。
ルーレットが回り始める。
確人は正座した位置から、十分狙いこんで――。ダーツを投げた!
ダーツは確率の手を離れ――、ルーレットのヨーロッパ旅行のチョコ色の部分に見事刺さった!
「やった! 確人、やったやないの!」
朱里が飛び上がった。雅奈も飛び出しそうな瞳で見ていたが、大粒の涙があふれてきた。
「確人くんは、どっちかっていうとプリンスよりナイトなんやけど……」
ともあれ、確人はプリンス・ショコラの座を見事射止めた。
表彰台に、ベルギーの高級チョコブランドのお偉方が居並んだ。確人はまたしても正座した。
お偉方からメダルと花束を受け取って、得意げな満面の笑顔だ。
「続いて、プリンセス・ショコラの雅奈嬢から、プリンスにプレゼントがあるそうです!」
MCが叫んだ。
雅奈から口移しで与えられたのは、鋼の新製品チョコだった。
(うわ、なんだ、この硬いチョコ!)
てっきり、チョコをふたりでキスしながら蕩け(とろけ)させると思いこんだ確人は、歯が折れそうに硬いチョコに四苦八苦している。
雅奈とキスできた感激も何もない。
かたわらに正座した雅奈は、ツンデレイメージはどこへやら、肩にもたれかかり、
「好きやで。私のプリンス、ううん、ナイト。いつも私のこと心配してくれてありがとう」
もう一度、熱いキスをする。
あたふたしたMCが、
「これはなんということでしょう。硬度九五のチョコをとかせるには、二十四時間はかかるでしょう」
会場でどっと拍手と口笛がわき、キスしたままのふたりがアップになった。
朱里が叫んだ。
「正座を乱したらあかんよ!」
子どもたちとPCで表彰式の一部始終の模様を、LIVEで見ていた駄菓子屋さんのおばあちゃんは、慌ててスイッチを切った。
「あれ~~、なんで切るの、おばあちゃん」
「もっと見たい~~!」
子どもたちが、ぶうぶう言う。
「さ、皆でスワルチョコ食べまひょ! 今日は、おばあちゃんからのおごりや!」