[41]正座先生と正座下手さんの特訓日記
タイトル:正座先生と正座下手さんの特訓日記
分類:電子書籍
発売日:2018/11/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:104
定価:200円+税
著者:眞宮 悠里
イラスト:鬼倉 みのり
内容
高校3年生のリコは、茶道と正座の普及のため活動する、星が丘高校茶道部の部長。
今年度の活動目標を「茶道部部員全員を『正座先生』と呼べるほどの優秀な部員に育てる」と決めたリコは、『正座先生とは何か』という定義について、改めて考えていた。
そんなある日、リコは1年生のシノが、茶道部に関心を持ちつつも、正座が苦手な『正座下手』であるために入部をためらっていたことを知る。
「シノの『自分は正座が苦手』という認識を変えられれば、シノも茶道部に入部してくれるかも!」
そう考えたリコは、かつての自分の経験を元に、シノと特訓を始めるが……。
果たしてシノは『正座下手』を克服し『正座先生』への一歩を踏み出せるのか!?
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1
二〇一七年。
星が丘市にある星が丘高校に、なんとか廃部を免れた茶道部がありました。
部員たちは、皆やる気と熱意にあふれる、一生懸命な生徒たちでした。
しかし、部員たちは、去る二〇一六年度の目標である『廃部を免れ、部を存続させる』という目標を達成して以来……そのやる気と熱意を少し持て余し、つまりはダラけていました。
そんな四月のある日、茶道部に、二人の女子生徒がやってきました。
彼女たちは、名前を『オトハ』と『シノ』といい、入学したての一年生でした。
茶道部部員たちは、二人の登場に大変驚き、慌てました。
なぜなら茶道部部員たちは、新しい目標を立てられずにいたあまり、せっかくやってきた二人に、部活をサボっている姿を見せてしまったからです。
それでも、二人の一年生のうち、オトハの方は気にせず茶道部に入部してくれました。
だけど、シノの方は、茶道部に少し悪い印象を持ってしまい……当然、入部してくれることはありませんでした。
オトハは星が丘高校入学以前から茶道部に関心を抱いており、その日も、最初から入部するつもりで茶道部へやってきました。なので、茶道部は本来真面目な部であることを知っており、平気だったのです。
しかし、オトハの付き添いで部をのぞいてみただけのシノは、そうは思わず……ゆえに、茶道部はシノに『遊んでばかりの悪い部』と捉えられてしまいました。
この現状に胸を痛めた部長の『リコ』は、心を入れ替え、二〇一七年度の茶道部の目標を次のように設定しました。
それは『部員全員を、正座先生と呼べるほどの、正座のエキスパートに育てる』ということです。
その新しい目標は、部の存続決定以降、少し方向性を見失っていた部員たちに、新たなパワーと団結力を与えます。そして、三年生でもあるリコは、目標設定の大切さを改めて実感するとともに……残りわずかの茶道部での活動に、より力を入れていこうと決意したのでした
……ところで『正座先生』とはなんでしょう。
どうやって、なるものなのでしょう。
そもそもここは茶道部なのに、なぜリコは『茶道先生』ではなく『正座先生』を目指すことにしたのでしょうか?
今回のお話では、そのあたりを見ていくことにしましょう!
2
「シノちゃん。今日からわたしと『正座先生』になりましょう」
五月のある日の放課後は、わたしのそんな言葉で始まった。
「ちょっ。ちょっとそれ、急すぎやしませんか!?」
星が丘高校、二階の廊下。
わたしの言葉を受け、今まさに一歩後ずさり、さらに一歩下がったところで……。
『この先、行き止まりだ!』と青ざめているのは、今星が丘高校茶道部的に、最もホットな存在である『カツラギ シノ』ちゃんである。
「さあ! もう逃がさないからねー、シノ!
観念して『正座先生』になるって言いなさーい!」
この瞬間、廊下では、茶道部部長のわたし『サカイ リコ』。
それから茶道部一年生部員で、シノちゃんの友人でもある『ムカイ オトハ』ちゃん。
この二人が、必死に逃げまどうシノちゃんを追いかける形で、少しずつ行き止まりへ迫り……シノちゃんを追い詰めていた。
なぜ、わたしたちは今、明らかに乗り気でないシノちゃんに向かって『正座先生になりましょう』と誘っているのか。
それは、昨日に話がさかのぼる。
〝五月は、市民茶会で『正座先生』になりませんか?〟
昨日、わたしたち星が丘高校茶道部は、わたしのこんな提案から、星が丘文化会館で行われた市民茶会のお手伝いを行った。
市民茶会とは、市が地域住民のために定期的に開催している茶会のことである。
市民茶会はその名の通り、その市の市民であれば誰でも参加できる。
開催場所はお寺や百貨店や、公共の施設であることが多く、足も運びやすい。
さらに、参加費はお手頃価格。
服装・作法においても、細かなルールはあまり気にすることなく、気軽にお茶をいただけるので、つまりは茶道初心者にとても優しいイベントなのだ。
そこでわたしたちは、市民茶会にこちらのシノちゃんを招待してみた。
シノちゃんは、どうやら茶道には関心があるようなのだけれど、以前わたしたち茶道部部員が部活をせずにお菓子を食べているところを目撃して以来、あまり茶道部に良い印象を持ってくれておらず、茶道部員にはなってくれていない。
だけど、なぜだか茶道部への関心は強く持ち続けてくれており『オトハがちゃんと活動できているか気になるので』と、茶道部が行うイベントには毎回参加してくれている。
なので『これはもしかすると、まだ望みがあるのかもしれない』とわたしは考えていたのだ。
〝……ご招待、ありがとうございます。せっかくなので来てみました〟
そうして当日、シノちゃんは本当に参加してくれた。
しかもその後、市民茶会に参加してくれた別の方から、とある衝撃の事実が発覚する。
星が丘高校茶道部OGで、わたしにとってお姉さん的存在でもある『マジマ ユキ』さんが、シノちゃんに関するこんな情報をくれたのだ。
実は二人は知り合いで、ユキさんはシノちゃんの昔の様子をよく知っていたからである。
〝シノちゃんって、元々和風なことにすごく興味のある子だったの。
でも、いまだに正座は、あまり得意じゃないみたいね。
昔座禅教室に通っていたころも、今日みたいによく足が痺れて困っていたの〟
――和風なことに興味はあるけど、正座が苦手。
茶道部に関心はあるみたいなのに、なぜか入部の意思はなさそうだったのは……もしかすると、それが一つの要因だった?
これまでのわたしたちは、シノちゃんに関して
• 『自分の学力に適している』という理由で星が丘高校を受験、合格した
• なので『特定の部活動に入りたい』という希望はなく入学した
• 入学してすぐ茶道部の見学に来てくれたのは、あくまで友達であるオトハちゃんに付き添った結果。ゆえに、シノちゃん個人は茶道への関心は特にない
• 結果、シノちゃんは入学から一か月以上が経った今も、帰宅部のままである
という認識でいた。
だけどユキさんは、市民茶会の夜『そうではない』と教えてくれたうえ、後日続報として、メールを送ってくれた。
そのメールには、わたしたちを『シノちゃんは、正座に強い関心を持っている』という確信に至らせるパワーがあった。
なので、わたしたちは決して嫌がるシノちゃんに無理に正座を勧めているわけではない。
『シノちゃんはいつも茶道部に対してツンとした態度をとるけど、本心では茶道部に入部したいはずである!』
という強い確信のもと、彼女をこうして二人で追いかけているのだ。
「くっ。行き止まりとあらば仕方ありません。
ユキさんからお話を聞かれたのであれば、もう、バレてしまっているのでしょうからね。
ええ、認めますよ。私は正座が苦手なんです!
たまに短時間正座する程度なら何とかなりますが、長時間無理に正座しようとして、失敗した経験を繰り返した結果……。
『正座下手』になってしまった女でございますよ!」
「あー。やっぱりそうだったんだー」
友達と先輩に追い詰められ、やけくそになるあまり、普段のクールキャラが嘘のように、声が大きくなっているシノちゃん。
そんな彼女に対し、オトハちゃんは、あっけらかんとした口調で返す。
オトハちゃんは先ほどお話しした通り、シノちゃんの古くからのお友達であり、先月星が丘高校に入学したばかりの一年生でもあり、そして、茶道部の新入部員だ。
オトハちゃんとシノちゃんは、星が丘高校に通うには、少々遠い地域に住んでいる。
さらにオトハちゃんは、シノちゃんのように星が丘高校が学力ぴったりだったわけでもなく、近所に自分に合う高校があった。
だから、本来うちの高校を受験する予定はまったくなかった。
だけど、二〇一六年度の秋。
オトハちゃんは、シノちゃんに付き添う形で、あるイベントに参加したことから、進路を大きく変更したのだ。
あるイベントとは、星が丘高校が毎年秋に中学生向けに行っている『学校説明会』。
『学校説明会』では、先生方だけじゃなく、生徒たちも参加して『うちの学校はこんなところですよ。ぜひ受験してね』とPRを行う。
なので、当日はわたしも参加しており……オトハちゃんは当時、茶道部のPR活動を行っていたわたしと偶然出会ったことで、茶道に目覚めたのである。
そんなオトハちゃんは、帰宅後、即星が丘高校受験を決意。
受験勉強をしながら星が丘高校茶道部について学ぶべく、ホームページを何度も訪問してくれた結果……いわゆる、『星が丘高校茶道部マニア』となったのである。
こんな感じで本当に熱心なオトハちゃんは、入学式の日、即茶道部へ入部するために部室を訪れてくれた。
そこで起きたのが、先ほど話した『サボり事件』だ。
二〇一六年度、茶道部は廃部寸前だった。
そこからいくつもの試練を乗り越え、どうにか二〇一七年度の茶道部存続にこぎつけたわたしたち茶道部部員たちは、新年度に入って以来、すっかり気が抜けていた。
だから、オトハちゃんシノちゃんが部に来てくれた入学式の日、あまりにも今後の自分たちの目標が見えず、お菓子を食べながら『これからどうしよっか?』と相談をしていたのである。
〝ここ、本当に茶道部なんですか?
おやつ食べて遊んでるなんて……ちょっと、どうかしてません?〟
それを見られたせいで、あの日は、シノちゃんにこんなことも言われた。
当時は『図星過ぎて何も言えない』と思ったし、同時に『シノちゃんとは、誤解を解けるくらいの関係にはなれたとしても、仲良く茶道部で活動できることはまずないだろう』と落胆した。
なのに、今はこんな感じで普通に会話している。
人生、つくづく何が起きるかわからないものである。
「わたしね、前々から、薄々そうじゃないのかなーとは思ってたの。
シノって、持ち物和風のものが多いし、歴史とか大好きだし。
でもぉ。正座が苦手だったこと、わたしにまで隠してるなんて……。
本当意地っ張りっていうか、カッコつけなんだから!」
「……だって、オトハに知られたら、こうやって絶対矯正しに来るじゃない!
だから知られたくなかったの!」
うーん、鋭い。
実際、この通り狙われているわけだし、シノちゃんがオトハちゃんに『正座下手』を隠したくなるのも無理はない。
本当にこの二人は仲がいいというか、わかり合ってるなあ。
と、思わず感心していると、シノちゃんが半ば涙目で、キッ! とわたしをにらみつけてきた。
「これでも自分なりに努力はしました。
今オトハの言った通り、私、寺社仏閣とか、能とか狂言とか。
日本画とか茶道とか大好きですし。
『それなら正座もできた方がいいよね』って思って。
先日の市民茶会や、ユキさんと出会うきっかけになった座禅教室とか……。
正座をする場にも、何度も足を運びました!
だけど、何度練習しても結局うまくいきませんでした。
毎回足が痺れます。泣く泣く足を崩して、みっともない姿をさらしてしまいます。
そのくらい『正座下手』なんです!
だから茶道はやりません。別の部活に入るんです。
市民茶会に参加させていただいたのだって、オトハがちゃんと活動できてるか、確認しに行っただけですっ」
『だから、諦めろー!』
『帰れー! 立ち去れー!』
……と、言わんばかりにシノちゃんはシッシと手を振り、わたしたちを追い払おうとしている。
日本の文化に関心があるけれど、正座に苦手意識がある。
なので、正座で活動するもろもろのことにも、なんとなく苦手意識を持ってしまった。
だから、始められない。
その気持ちは非常によくわかるし、実を言うと、その対処法もちょっと知っている。
なぜかというと、そういった子は、過去うちの茶道部に二人もいたからである。
一人目はこの、わたし。
そして、二人目は……。
「フフッ……シノさんはあくまで『茶道に興味がない』『正座はできない。したくない』とおっしゃいマスのね。
でも、それが嘘だということは、わたくし……見抜いておりましてよ!」
「あなたは!」
星が丘高校の二年生で、茶道部で副部長を務める『コゼット・ベルナール』ちゃんである。
「とうっ!」
コゼットちゃんは、その掛け声とともに華麗な動きでジャンプすると、そのまま、シュタッ! とシノちゃんの目の前に着地する。
その、あまりにも奇抜な登場の仕方に、シノちゃんはもはやコメントするのすら諦め、あんぐりと口をあけている。
ちなみに、こんなに派手な動作をしつつも、あくまで廊下は走らず、校則を守っているのが真面目なコゼットちゃんらしい。
「シノさん。オトハさんから話は聞きましてよ。
中学生時代のあなたはダンスに熱中されていたそうですが、高校では、ダンス部に入部されなかったそうですわね。
ダンス部に限らず、入学から一か月以上が経過した今も、あなたは特定の部活に入ってらっしゃらない。
というか『もう、ほとんど茶道部部員だよね?』というくらい何度も茶道部のイベントに参加され……星が丘高校にある部活動の中でも、あなたが最も注目を寄せている部は茶道部。
というのは、今や誰もが理解しておりましてよ。
つまり、何が言いたいのかとおっしゃいますと、年貢の納め時なのですわ。
シノさん。あなたはリコ様たちがおっしゃる通り、茶道部に入って『正座先生』になるしかないのです」
コゼットちゃんはその名の通り、フランスからやってきた留学生だ。
けれど、この通り丁寧なお嬢様口調を見事に操り、日本語は完璧。
校内でも『日本語がうますぎる留学生』として知られている。
留学開始直後は、まだ語尾に少しカタコトっぽいなまりがあったのだけれど、最近はそれもほとんどなくなってしまった。
そんなコゼットちゃんは、今でこそ日本に完璧になじんでいるけれど、実は留学するまでは大の日本嫌いだった。
双子のお姉さんである『ジゼル・ベルナール』ちゃんが『日本で茶道を学びたい!』という理由で、高校一年生の頃、突然日本へ留学してしまったからである。
ジゼルちゃんは結果的に『コゼットちゃんと一緒にフランスの高校に通う』という本来の進路を変更して、コゼットちゃんを置いて行ってしまった。
なので、フランスに残されたコゼットちゃんは『お姉さまを日本・正座・茶道にとられた!』と思うあまり、その三つを恨むようになってしまう。
特に正座に関しては、フランスにはない習慣で、フランスで生活する限りはそこまで必要のないことだったのがいけなかった。
『フランスにいる限り正座は特にしなくても良いし、何より正座は難しい!』
という理由から、コゼットちゃんは正座が大嫌いになってしまっていたのである。
なのでコゼットちゃんは、最初はジゼルちゃんの留学を終了させ、フランスに連れ帰る目的で星が丘高校にやってきた。
当然、ジゼルちゃんが入部していた茶道部だって大嫌いだし、即、やめさせたい。
でも、元々非常に聡明で、頭が切れるコゼットちゃんは、わたしをはじめとする茶道部部員たちに出会って、すぐにあることに気付いてしまった。
『もしかしたら、自分は今まで正座が苦手だと思い込んでいただけ。もう一度トライすれば、自分も簡単に正座できるのではないか?』と……。
結果はご想像の通りだ。
負けず嫌いで、努力家で、何に対しても全力。
だから、日本が嫌いなはずなのに『お姉さまには負けられない』という理由だけで、日本好きのジゼルちゃんよりも日本語が得意になってしまったコゼットちゃん。
そんな彼女が正座できるようになるまで、当然時間はかからなかった。
わたしたちが教えた座り方のコツにより、見事正座をマスターしたコゼットちゃんは、今では『日本・正座・茶道』を見直すため茶道部員となり、優秀な副部長として活躍してくれている。
ちなみにジゼルちゃんは本日、市民茶会での頑張りがたたって風邪で欠席である。
なので、コゼットちゃんに続いて背後から現れたり、また、奇抜な登場をしてくれるということもない。
だから、顔立ちも髪型も体型も実によく似ているベルナール姉妹のことは、
• 気が強くはきはきしていて、日本語がうますぎる方がコゼットちゃん
• 明るく元気で、今日は欠席している方がジゼルちゃん
と覚えてもらうといいかもしれない。
ところで、そろそろシノちゃんに話を戻そう。
シノちゃんはコゼットちゃんに『年貢の納め時』と説得されてなお、抵抗の意思を見せている。
「……コホン。
コゼット副部長ご指摘の通りではあります。
しかし、お恥ずかしい話ですが……わたし、腰痛持ちなんです。
さらに、昨年度、受験勉強による長時間の着席で、少し悪化させてしまいまして……。
だから、腰を酷使するダンスは、高校ではやめておこうということで入部しなかったんですね。
なので同様に、正座も……うっ」
シノちゃんは気が強く、思ったことをはっきり言う子だ。
だからわたしやコゼットちゃんのような先輩を相手にしても決して臆さないし、基本的に、人に弱みを見せようとしない。
それは、仲良しのオトハちゃんに対しても同じだ。
だから『正座下手』であることも隠し続けてきたのである。
なのに今は『自分は腰が悪く、なので正座は難しい』と、自ら打ち明けている。
しかも、さっきまでピーンと背筋が伸びていたのに、今は急に腰を曲げだして、なんだかわざとらしい。
つまりこれは、どうにか理由をつけて正座から逃げようとしているということだ。
……チャンスである。
「シノちゃん。お言葉だけれど……正座は、腰痛予防にもつながるんだよ」
「えっ?」
あっ、やっぱり知らなかったみたい。
わたしがその事実を告げた途端、シノちゃんはポカンと口を開き、虚を突かれたような表情になる。
腰痛。
それは今や年齢に関係なく、すべての人に起こる可能性のある問題のひとつだ。
シノちゃんのように、まだ若いけれど、激しい運動や長時間の着席を続けたことにより、腰痛を患ってしまったというのも、よく聞く話なのである。
だから、そんな彼女の悩みに付け込むのは良くないけれど……正座が腰痛緩和につながるのは確かだ。なのでぜひお話しさせていただきたい。
『シノちゃんを正座先生にさせよう作戦』も、いよいよあともうひと押しである。
3
「正座をすると、背筋が伸びて、姿勢が良くなるよね。
インナーマッスル……身体の深層部にある小さい筋肉を使って、身体を支えて座る形になるからね。
それはつまり『骨盤が立つ』といって、骨盤が正しい位置にあることにつながるんだ。
そうすると、身体のバランスが安定するから、腰にかかる負担も減って、腰痛予防につながるの。
それから、背筋が伸びると、背骨のゆがみも改善できるんだ。
これによって上半身のバランスが整うから、やっぱり腰にかかる負担が減って……。
つまり! 腰痛を遠ざけられるんだなあ」
「……そ、それは知りませんでした。それは大変有意義な情報です。認めます。
ですが、リコ部長?
正座といっても万能ではないはずです。
正座をする上には、もちろんデメリットだってあるんですよね?
それもしっかり把握した上でなくちゃ、私、とても正座なんてできませんねえ」
ほほう、まだ食い下がるか。
さすがシノちゃん。コゼットちゃんに負けず劣らずの負けず嫌いである。
ここまで追い詰められてなお、こちらの痛いところをついてくるとは。
しかし、わたしとて、もう一年も正座をしているのだ。
『正座先生』を名乗る身として、正座初心者さんが抱きがちな疑問についても、ばっちり回答できるのである。
「そうだね。
たとえば……『正座をすると足が太くなる』なんて噂もあるもんね」
「あっ、リコ部長!
それ、わたしも友達に言われました!
実際のところ、どうなんですか? わたしにも教えていただきたいです!」
そこで、シノちゃんではなく、隣のオトハちゃんが大きく手を上げた。
オトハちゃんは茶道部員としてやる気マックスではあるけれど、茶道と正座に関しては、まだまだ修行中なところがある。
では、この機会に、オトハちゃんにも正座知識を増やしてもらおう。
「結論から言うとね、それは誤解だよ。
足が太くなるっていうのは、長時間の正座で血流が悪くなることで足がむくむことを根拠に言われているけれど。
正しい正座っていうのは、今言った通り、全身のバランスがいい状態で座っているわけだから。むしろ、正座で足が細くなるとさえ言われているよ。
足を細くするための正座は、正座した時、両膝の間に少し隙間を作って……。
足の親指を少し重ねるようにして。すねの裏側でお尻を受け止めるようなイメージで座るといいみたいだね。
どうしてもむくみが心配であれば、普段から意識して足を動かす……。
つまり、正座と同時に、スポーツをする習慣も身に着けるといいね」
「いいですね! スポーツ!
シノ、茶道部と一緒に、どこか運動部も兼部しちゃえばー?
たとえば剣道部とか!
両立可能なのは、ナナミ先輩が証明しているし」
「……こらこらオトハさん。
剣道部は気軽に兼部できるような、易しい部活ではありませんよ。
まあ……。シノさんほど真面目で一生懸命な方であれば、大丈夫な気はしますが……」
「おや、ナナミ」
今度は、茶道部部員の一人で、わたしの古くからの友人でもある『タカナシ ナナミ』の登場である。
シノちゃん包囲網も、いよいよ完成しつつある。
「こんにちは、リコ先輩。声がするので、つい覗いてしまいました」
「なっ……ナナミ先輩までっ……」
ナナミはコゼットちゃんとは対称的に、あくまでしずしずと、ゆっくり近づき、シノちゃんへ向かって優しくほほえむ。
今ここに集まっているのは、わたしだけが三年生で、ナナミ、コゼットちゃんは二年生。
そしてオトハちゃん、シノちゃんは一年生なのだけれど、なんだかナナミも三年生のような貫禄がある。
ナナミは茶道部専門の部員ではなく、剣道部とかけもちしている、いわゆる『兼部部員』だ。
そんなナナミは、ある意味でコゼットちゃんと境遇が似ている。
ナナミはおうちが剣道道場で、元々は剣道一筋の高校生活を送るはずだった。
だから当然、茶道部に入部する予定もなかった。
だけど、去る二〇一六年。
わたしは先ほども登場した茶道部OGのユキさんに『学校祭の茶会に遊びに来ませんか』と誘われ、すごく興味があるけれど、正座ができるか不安……。
と、悩んでいた。
そんなわたしに、ナナミは『もう一度正座してみませんか』と言ってくれた。
ナナミは剣道などで日常的に正座していたため、わたしの『正座先生』として、正座を教えることができたからだ。
ナナミは弱気になるわたしを
『過去の失敗経験だけで、正座を怖がるのはもったいない』
『これを機会に乗り越えて、お茶会に行ってほしい』
と励まし、正しい座り方から、足が痺れたときの対処法、正座の効率の良い練習法など、親身な指導で助けてくれたのである。
結果、わたしは正座を克服し、茶会の参加も成功。そして茶道部に入部し、今に至るのだ。
しかも、ナナミの活躍はそれだけではない。
わたしを心配するうちに、ナナミは次第に茶道部に詳しくなったり、当時の三年生……つまり、現OGの先輩方とも関わるようになっていった。そんなナナミは、さっきオトハちゃんが言った通り、やがて茶道部に興味を持ち……それは険しい道であると理解しながら、剣道部と茶道部の兼部を決意してくれたのである。
それにしても。気が付くと五人も人が集まってしまった。
しかもそのうちの四人は、残った一人を『正座先生にならないか』とスカウトしているという、ちょっと異様な光景ができ始めている。
「正座が身体に良いことはわかりました。
でも、仮に私が『では、正座先生になるために、体験部員としてしばらく茶道部でみなさんと一緒に活動します』と、一度は言っても。
最終的に『正座が得意にはなりませんでした。やっぱり入部しません』と入部を撤回したら、みなさんはどうなさるおつもりですか?
先輩方の時間が、無駄になってしまうのではありませんか?」
「……じゃったら、もしおぬしが入部しないことにしても、時間が無駄にならない方法で活動すればいいんじゃないかのう?」
とどめに登場したのは、茶道部の特別講師である『ヤスミネ トウコ』先生である。
トウコ先生は遠くからヒラヒラと手を振りながら近づき、ちょこんとわたしの隣まで来て止まった。
トウコ先生は、見た目はわたしと変わらないほどに若く、少女のようにしか見えない。
だけど、書面上では成人女性。
生徒ではなく、茶道部が部活するときにだけやってくる先生として、この学校に出入りしている。
そして、その仕草は驚くほど落ち着いていて、口調はなんだか古めかしい……。
今から、ちょっとびっくりするお話をしよう。
そんな、どこかおばあちゃんのような雰囲気のあるこのお方は、実は人間ではないのである。
トウコ先生の正体は、星が丘市内にある、星が丘神社に祀られている神様なのだ。
もし、実年齢を計算するならば、一般的に『おばあちゃん』という言葉が示す年齢をはるかに超える、とんでもなく長命の方なのである。
星が丘神社は、高校生たちにとって、部活動の神様がいる場所として知られている。
なので、もうずっと昔から『星が丘神社には、どんな部活も立派な団体に育て上げる先生がいる』という噂があった。
二〇一七年になったばかりのころ、いわゆる『サボリ事件』の直後に、わたしはそれを知った。しかも、ちょうど茶道部の指導者を探していた。
茶道部は何とか存続できたものの、専門でついてくれる先生はおらず、サポートしてくれる大人の存在を求めていたからである。
なのでわたしは、星が丘神社で出会ったトウコ先生に、即座に『講師になってください』と頼んだ。もちろん、相手が神様であるとも知らずに……だ。
その結果、わたしはトウコ先生から指導に値するかチェックするための試験を受けさせてもらいOKをいただいて、今、来てもらっている。というわけである。
星が丘高校で指導を行うにあたり、トウコ先生は、『ヤスミネ マフユ』さんという従者を連れ、正体を隠して星が丘高校に通ってくださっている。
つまり、特別講師が神様。
それが! この星が丘高校茶道部なのである。
……しかし、コゼットちゃんといい、ナナミといい、そしてトウコ先生といい。
こうして次々関係者がやってくるあまり、わたしたち三人のやり取りは、結構廊下に響いていたのかもしれない。
そろそろ決着をつけないと、次は生活指導の先生あたりがやってきて『騒ぐな!』と注意されてしまいそうである。
ちなみにマフユさんは、トウコ先生と同じように人間ではないけれど、講師としてではなく、生徒としてこの学校に通っている。
けれど、ジゼルちゃん同様、昨日の市民茶会での疲れがたたって、今日はお休みである。
人間じゃなくても、風邪って引くんだなあ……。
ではなくて。
イベントの後は体調を崩しやすい。
だから、自分の身体のことには常に気を配っておくように。
これは人間でも、人間でなくても共通の注意点のようだ。
「もし、シノさんが入部しないことにしても、時間が無駄にならない方法……?
トウコ先生。それは要するに、シノさんの体験入部中、一緒に活動したこと自体が、私たちの部員の経験値になるようなメニューにする。
ということでしょうか?」
「そういうことじゃの。
話を聞くに、シノは本当に正座に苦手意識を持っており、わらわたち茶道部関係者に教えてもらってなお『苦手を克服できないのでは? 最終的に時間の無駄に終わるのでは?』と不安なんじゃろう。
じゃったら、最初からわらわたちに気を遣わんで済むよう、どう転んでも、参加した全員にとって無駄にならん活動をすればいいという話じゃ」
「なるほど。であれば、わたくしたちも特に気にすることなく部活動に励めますわね」
「そうだよね!
たとえば、正座を教えている期間中、わたしがシノちゃんの指導記録として日記をつければ、今後の資料として役に立ちそうな気がする。どうかな?」
「素敵ですリコ部長!
しかもー、それ!
日記を書き終えたら、茶道部のホームページにアップするのもいいかもしれませんねー!
正座ができるようになる過程を、日記形式で見せることができれば。
わたしみたいに、入学前から茶道部に関心を持ってくれる人が増えるかもしれませんし!
やろう、シノ! やろうよー!」
「ちょっとオトハ! 私のことを、部員集めのネタにしないでくれる!?
……まあ、そういう保険があるなら、私としても確かに安心ではありますけど」
今トウコ先生が言った通り、シノちゃんは、本当にもう一度正座をするか、決めかねているのだろう。
それは自分自身に対してだけではなく、わたしたちに対しても『もし入部できないことになったら申し訳ない』と、気を遣ってくれた結果だ。
でも、わたしは正直なところ、結果がどうなるかというよりも、シノちゃんが再度トライしようとする気持ちを大切にしたい。だから、意欲があるのであれば、ぜひその手助けがしたいと思っている。
それに、どうしても気になるのであれば、トウコ先生の言った通り、わたしたちはわたしたちで経験が積めるようなメニューを組めばいいだけの話だ。
よし! 最後のひと押しをしてしまおう!
わたしはポケットからスマホを取り出すと、例のユキさんからのメールを画面に表示させた。
「あとね。これは出すべきか悩んでいたんだけど。
わたしとシノちゃんの共通のお姉さん的存在であるユキさんからも、こんなメールを受け取っているんだよね。
読むね?
『シノちゃんは、絶対正座に興味があるはずよ。でも、あの通り、なかなか素直になれない子だから……。実はあの後、連絡を取ってみたんだけど……』」
「うわあーっ!
もういいです。続きは読まないでください。
正座やります。やりますから!
体験部員として、しばらく部に参加させてください!」
ユキさんからもらったメールを読み始めるなり、シノちゃんは大きな声を上げる。
わたしはそれを見て、思わずクスッと笑ってしまう。
シノちゃんって、こんな慌てた表情をしたり、子どもっぽくキャーキャー騒ぐこともあるんだなあ。
いつもクールで、何事にも動じない風に見えるシノちゃんにこんな一面があるとは知らなかった。
つまり、茶道部部員として彼女とかかわってみようとしなければ、これは、まず知ることもなかったことなのだ。
『苦手な正座ができるようになって、行動範囲を広げたい。新たなことにチャレンジしたい』という想いは、本当にわたしの人生を変えてしまった。
今ここに集まっている人は、みんな正座がきっかけで集まった人たちなのである。
「おい! お前ら! うるさいぞ!
話し合いならどこかの教室でやりなさい!」
と、そこに、とうとう正座とはあまり関係のない方がいらっしゃった。
予想通り、生活指導の先生に見つかってしまったらしい。
「わあーっ! ごめんなさい!」
わたしたちは揃って頭を下げながら、シノちゃんの体験入部期間、何をするかをこっそりそれぞれ考える。
それはきっと、とても楽しい日々になるはずだ。
よし、やってやるぞ……。
怒られているにもかかわらず、わたしは思わず笑顔になってしまっていた。
4
「いやあ、お見事でした、リコ先輩。
なんとかシノさんに体験部員になってもらう約束を取り付けましたね」
「あはは。うーん……どうだろう……。うまくいったのかなあ」
「大丈夫ですよ。
なんだかシノさん、リコ先輩とオトハさんに言い負かしてほしそうに見えましたから」
帰り道は、ナナミと一緒になった。
ナナミはフフフと明るく笑うと、両手を上げて、グーッと伸びをする。
あの後、場所を移しての話し合いの結果、わたしたちはこんな決定をした。
シノちゃんは、体験部員として茶道部に入り、期間中、その活動記録を日記として残す。もし仮に正式な部員にはならなくても、その日記を今後の活動に生かすことで、部に貢献する。
体験入部中は、メインの活動として、星が丘神社にあるトウコ先生宅でプチ合宿を行う。
正式な部員が女子だけということもあり、何かあると、すぐ合宿を始めたがるのが星が丘高校茶道部である。
「シノさんに対してリコ先輩が『無理に誘った形になってしまったかも』とお思いになられる気持ちはわかります。
でも、ユキ先輩のおっしゃる通り、シノさんは単に素直になれないだけですよ。
私にはわかります。経験者ですから」
「そうなのかなあ」
「絶対にそうですよ。シノさんってコゼットさん並みに意地っ張りですし、私並みに考えすぎてしまうタイプの方のようですから」
『絶対』ときたか。
珍しく、ナナミははっきりと断言する口調だ。
そういえばナナミも、茶道部に関心は持ちつつも、入部の決意を固めるまでは時間がかかった人だった。
ナナミの場合は、やはり兼部するか否かが焦点だった。
ナナミはずっと剣道部を大切にしてきた。だから、いくら茶道にも関心を持ったからとはいえ、安易に兼部をすることで両方の活動が中途半端になってしまい、迷惑をかけてしまう可能性を恐れていたのだ。
「そうだね。
オトハちゃんが提案してくれた通り、日記をホームページにアップするかどうかは保留にするとしても……。
正座にトライした過程を記録して、日記として残すってアイディアはとてもいいなって思ってる。
だってほら、わたしが正座を始めたときは、正座することに精いっぱいで、日記をつける余裕どころか、その発想自体がなかったから。
あの頃の記録が残っていたら便利だったのになあって思っていたの」
「確かにそうでしたね。あのころは、私も一緒になって本当に必死でした」
お互いに当時のことを思い出しながら、わたしたちはしみじみと空を見上げる。
正座が苦手だったわたしが、ナナミに頼んで正座を習い始めたのは、まだたった一年ほど前のことだ。
それでもかなり昔のことのように感じるのは、それだけ濃い部活生活を送ってきたあかしなのだろう。
「去年の夏、ナナミに正座を教わり始めて『正座下手』を克服して茶道部に入って。
廃部寸前だった部に、みんなが少しずつ集まって無事に存続が決まって……。
新年度を迎えて、オトハちゃんとシノちゃんに出会うまで。
わたしはずっと目の前のことに必死で、がむしゃらだったんだ。
挑戦したことのすべてがうまくいったわけじゃないけど。
当時の自分の一生懸命さは、今思うと『頑張ったなあ』ってちょっと愛おしく感じるんだよね。
……だけど、あの頃もし毎日日記をつけておけば、もっと効率の良い成長ができたかも。って思ったりすることもあるの。
たとえば後輩たちに『自分はこんな風に歩んできたよ』って、具体的な資料として見せることができたかも、ってね」
「だから、シノさんに日記をつけてみるのはどうかと提案されたんですね」
「そう! ほら、時間を戻すことはできないからね。
代わりに過去の経験をもとに改善案を出して、今後に生かすしかないじゃない。
それに、もうナナミも知っていることだけれど、茶道は技術を競い合う芸術じゃないから……。
運動部みたいに生徒同士で順位を競う大会があったり、文芸部や美術部みたいに、審査員に良さを決めてもらう展示やコンクールがあるわけでもないじゃない。
でも、入部したからには、活動を通じて成長していきたいし、自分がどれだけ立派になったかっていう、成長を実感したいよね。
そのためにはどうしたらいいか? って思ったとき。
わたしは誰かに『ここが良くなってるよ』って教えてもらうより先に、コツコツ自分で記録し続けたものを用いて、自分で自分の成長に気づくことが大切なんじゃないかな?
って思ったんだよね。
だから、わたしも、そこまで立派な日記とはいかなくても、シノちゃんの体験入部中の記録をつけていこうと思ってる。『指導日記』って言ったら、ちょっと格好良すぎるけどね」
「いいですね。
ということは、シノさんの体験入部期間が終わる頃には……。
シノさんの書かれる『正座下手さん日記』。
それから、リコ先輩の書かれる『正座先生の指導日記』。
この二冊の日記ができるということですね?」
「うん。タイトルに『正座先生』って入るのは、なんだかちょっと恥ずかしいけどね」
「恥ずかしがらないで下さいよ。リコ先輩はもう立派な『正座先生』なんですから。
その二冊は、リコ先輩や私が卒業した後も、十分資料として役立つものになると思います」
「ありがとう。ナナミにそう言ってもらえると、やる気がますます湧いてくるよ。
頑張るね」
「ええ! 応援していますからね」
成長はすぐに実感できるものじゃないし、努力が実を結ぶのには時間がかかることもある。
それでも、毎日頭をひねって『こうなったらもっと良くなるんじゃないか』ってことに挑戦して、その足跡を記録していくことが何より大切だ。
だから、日々の小さな積み重ねが未来につながるよう、サボらずにわたしたちは頑張るのである。
だからまずは、シノちゃんの体験入部が楽しいものになるよう頑張るぞ。
そう思いながら、二人そろって見つめる空には、遠くにかすかに虹が見えた。
5
***
【シノの特訓日記①】
五月某日
こうして私は、茶道部に体験部員として入部することとなりました。
体験部員というのは、任意の部活動に入りたい気持ちはあるけれど、本当にこの部でいいのかと、まだ決めかねている……。
そんな生徒のために用意された、星が丘高校独自の制度です。
体験部員は、文字通り、正式な部員と一緒に活動します。
そこで部活動の内容を体験しながら、正式に入部をするか決めるというわけです。
星が丘高校において、体験入部期間は、基本的には一か月以内と定められています。
なのでこの一か月くらいの間、わたしは茶道部員として、リコ部長をはじめとする皆さんと一緒に活動することとなりました。
ですが……。
***
「やっぱり正座、できる気がしません。リコ部長。私帰ってもいいですか?」
「シノちゃん。あきらめが早すぎるよ!」
そうしてやってきた週末。
わたしはシノちゃん、オトハちゃん、そしてトウコ先生の三人で、トウコ先生のお宅にいた。いよいよシノちゃんが『正座下手』を脱するための、プチ合宿が始まったのである。
にもかかわらず。
シノちゃんってば、正座に関心はあるのに『できる気がしない』と思うあまり、早速逃げ腰になっている。
完全に、かつてのわたしである。
なんだか懐かしい光景だな、と思い、わたしは思わずクスっとしてしまう。
当時はナナミが教えてくれたけれど、今はわたしが教える立場だ。
なるべく楽しく、シノちゃんを導けたらと思う。
ところでプチ合宿は一泊二日ここで行うけれど、ここが神様の住む家であるということ、というかトウコ先生とマフユさんの正体は、ここにいる中ではわたししか知らない。
ちなみにマフユさんの体調はおおむね回復したけれど、大事を取ってプチ合宿は不参加である。
「で。どうしたら足が痺れずに長時間正座ができるようになるんですか?
リコ部長。教えてくださいよ」
「おーっ、シノ、やる気満々じゃない。
なんだかものすごくえらそうだけど!」
「ええ、そうよ、オトハ。ここまで来たからには本気なの。私」
やる気はあるけれど、素直になれなくて。なんだかちょっと、えらそうな態度をとってしまう。
シノちゃんのそんな姿は、昔のコゼットちゃんを思い起こさせる。
と、言うとコゼットちゃんは絶対怒るのだろうけど……わたしからすると、二人は本当によく似ている。
二人は真面目で、何事にも一生懸命取り組む分。極端に失敗を恐れ、うまく行かなさそうなことからは、逃げ出しがちな面が共通している。だから二人とも『正座嫌い』あるいは『正座下手』となってしまったのだろう。
逆に言えば、コゼットちゃんがいてくれたから、わたしはシノちゃんの指導にそこまで困らない。『こういうこと、あったなあ!』って気分になり、少しきついことを言われても、気持ちに余裕を持ったまま接することができるからだ。
もしかすると、これが経験を積み、先輩らしくなる。ということなのかもしれない。
なのでわたしは断言する。もちろん、この一年の経験をもとにした結論を……だ。
「あのね。足が痺れずに長時間正座ができる方法なんてものはないの。
特に初心者のうちは、足は、だいたい毎回痺れるものなんだよ」
「えーっ!?」
わたしの衝撃の言葉に、シノちゃんのリアクションは大きめである。
もしかするとシノちゃん。これまでわたしたちの前ではクールに振る舞っていただけで、実は意外と年相応な子なのかもしれない。
「じゃ、じゃあ!
リコ部長は、正座初心者の頃、どうやって痺れに慣れたんですかあっ」
「えっとね。まず『初心者に長時間の正座は難しい』っていうのを理解した上で、食事のときだけ正座をするようにしていたんだ。
そうしたらね、毎日少しずつ自分が正座に慣れていくのがわかったの。
感覚的すぎるから、あんまり『慣れ』って言葉は使いたくないんだけど。
毎日正座にトライして、確実に経験を積み上げるうちに、だんだん正座が楽しくなってきたんだよね」
出来るだけ当時のことを思いだしながら、わたしは続ける。
正座を始めた頃のわたしは『痺れてしまうのは負け』『一度痺れてしまったら終わり』と思っていた。
だけど、一週間も正座をしてみれば、きっと誰もが気づく。
元々姿勢が良い人、あるいは天才的な正座の素質のある人以外は、大体みんな足が痺れるのだ。と。
「最初はご飯の短い時間でも、正座の姿勢そのものがつらくて。
座っている間、ずっとそわそわしていたんだけど……だんだんそれがなくなっていってね。
次に、だんだん痺れ始める時間が遅くなっていくのを実感したの。
そして、気が付いたら、まったく足が痺れないまま、食事を終えられるようになっていたんだ。
そうしたら、嬉しいよね。
今までできなかったことができるようになってるんだもん。
正座を続ける意欲がどんどん湧くようになったの」
そしてそのころには同時に、痺れることにも慣れている。
たとえば
『自分は三十分くらいの時間正座し続けると痺れるので、そのころには正座を続けられなくなってもよい』
『逆に、一分でも記録を少しでも延ばせたらすごいし、自分を誉めていい』
そんな風に考えることもできる。
それは、たとえばスキーをするとき、まずは転び方から学ぶ……というのに近い。
『痺れる』『転ぶ』つまり、失敗したとき、自分はどんな風になるかをあらかじめ知っておくと、恐怖は失せるものなのである。
なので、どんどん痺れていこうね、シノちゃん!
「そのころには、もう一切足が痺れなくなっていたんですね!?」
「ううん。『ごちそうさま』って立ち上がって、食器を下げて戻ってきたころに痺れ始める……くらいになったんだ。
あと、立ち上がる時はちょっとつらいって感じだった」
「結局痺れるんですか!」
シノちゃんは大げさにうなだれると、トウコ先生の方を見る。
次はトウコ先生から、痺れない方法を学ぼうとしているらしい。
「そうだ! トウコ先生は? トウコ先生なら、痺れない方法を知っているのでは?」
「いやあー。リコの言う通りじゃよ。初心者のうちは、痺れるのが自然。
痺れたら、『正座、一回やーめよ』このくらいの気持ちの方が続くものじゃ」
「そんなあ……。じゃあ、初心者のうちはどうしても痺れがちというのは受け入れます。
代わりに、トウコ先生が『正座上手』になったきっかけを教えてくださいよ」
シノちゃんにはどうやら『あれがだめならこれはどうか』といった感じで、何に対しても食い下がるところがあるらしい。
しかし、聞いた相手は、何百年生きてらっしゃるかわからないトウコ先生である。
当然? びっくりするほど意外な答えが返ってくる。
「正座なあ。わらわの場合、太っていたことが『正座上手』につながったのう」
「トウコ先生、昔太ってらっしゃったんですか!?」
思わず口をはさんでしまったのはわたしだ。
少なくとも今目の前にいるトウコ先生は大変スリムで小柄で、太っていた時期があるようにはとても思えないからである。
「そうなんじゃよ。昔、お菓子クラブの特別講師を務めておった頃じゃったな!
部員一人一人の味を確認したくて、毎日全員分食べておったら、ブックブクに太ってしもうた。
まあ『味を確認したい』は口実で、実際はお菓子が美味しくてたくさん食べたかっただけなんじゃがのう。
一時期は、去年の服が全然着られなくなってしまうほど、身体が大きくなってしまってな」
「で、あの。太ってしまったのと『正座上手』になったのには、どのような関係が?」
驚くわたしに対し、シノちゃんはいたって真面目だ。
かなり食い気味に質問している。
「あれじゃよ。お腹の肉が、膝に乗らないような姿勢をとると、足が痺れないということに気づいたんじゃ。
つまり、正座以外の座り方で姿勢悪く座っているより、正座して背筋を伸ばしている方が、座っているとき苦しくない。
ということなんじゃが」
「あの。私、お腹の肉、膝に乗るほどはありません……」
「そうじゃな。では、疑似『お腹の肉』として、これを巻いてみようか」
言うと、トウコ先生は近くにあったタオルを取り、それをねじってシノちゃんのお腹……おへそよりも下の位置に巻いた。
確かに、こうすると、お腹に厚い脂肪が登場したかのようになる。
「タオルが太ももに当たると、タオルがお腹と太ももに挟まれて、締め付けられて苦しいじゃろう?
だから正座して背筋をピンと伸ばした後、気持ち、肩だけ内側にそらすようにする……。
そして、当たらないようにする.
言い換えると、胸を張ってみると良いな」
「あっ、本当だ。この方法だとタオルが挟まらないし、なんだか楽に座れるような気がします」
「ま、わらわはこんな感じで、太ったのがきっかけで正座をマスターした。
姿勢を正すという意味で正座したいなら、この方法で練習するのもアリじゃよ。
ちなみに体重はその後、陸上部の特別講師になったことで落としたぞ」
「なるほど……。教えてくださったのはありがたいのですが、もう足が痺れてきました。
私、やっぱり正座に向いてないんじゃないでしょうか……」
タオルのお陰で姿勢はすっかり良くなったのに、シノちゃんは相変わらず弱気である。
どう言葉をかけるべきか。
と、悩んでいると、わたしよりも先にオトハちゃんが口を開いた。
「たぶん、オトハは正座に対して身構えすぎなんだよねぇ。
正座は絶対クリアしなきゃいけないこと! とか、すぐに足が痺れたらダメ人間! とか思うんじゃなくて。
リコ部長がやってたみたいに、たとえば『ご飯の間限定のゲーム』くらいの気持ちで正座した方がいいんじゃない?」
「うむ、うむ。
いい意味でゲーム感覚になることはとても大切じゃな」
オトハちゃんの面白い意見に、トウコ先生も続く。
「あとは……目標があるなら、できるだけそれを細かく刻んでみるといいかも知れんのう?」
「細かく刻む?
たとえば一日一時間練習するところを、一時間一回にまとめて練習するのではなく、二十分の練習を一日三回に分けてする……といったことでしょうか」
「その刻み方でも、もちろんOKじゃよ。
じゃが、わらわが今伝えようとしたのは、それとはちょっと違っておるかな。
これは、昔文芸部の特別講師をしていたころの話なんじゃが」
お菓子クラブでの経験の次は、文芸部でのエピソード。
うーん、トウコ先生ってば、本当に経験豊富である。
これはさすがに、長生きのなせる業である。
「文芸部は、小説じゃったり、詩じゃったり。
エッセイを書いたりするのが主な活動内容の部活じゃろ?
ある時、主に短編小説を書いておった子が、初めて長編小説に挑むことになったんじゃ。
しかし、今までその子は、長くとも三千文字くらいの作品を書いておった。
なのに、急に三万字は必要そうな作品を書くことになったわけで……つまり十倍じゃろ?
その子はそれまで小説を書くのが大好きだったのに、今までの十倍のボリュームにめまいがし……ゴールまでのあまりの遠さに、執筆が怖くなってしまったんじゃ。
いわゆるモチベーションの低下、というやつじゃのう。
そこで今シノの言うたように、細かく刻むやり方は正しいじゃろう。
この例なら、トータル三万文字を目指して、一日千文字を書いて、三十日での完成を目指すというやり方じゃ。
そうやって目標値を細かく刻んで、少しずつ前進することで攻略するやり方もある。という話じゃな」
「そうだね。この前は『正座先生になって』って言葉で勧誘しちゃったけど……。
すぐにすごい存在にはなろうとしないで、今のトウコ先生の話みたいに『正座下手さん』から『正座が五分できた人』『正座が十分できた人』みたいに目標レベルを刻んで進んでいくのが、シノちゃんには合っているのかもしれないね」
「確かにそうかもしれません。『正座が五分できた人』なら、今日の私でも十分なれる気がしますから。
ところで、改めてお聞きしますが『正座先生』ってなんなんです?
いつも正座して、正座健康法を実践する人ですか?」
そこで、この質問が上がった。
かつてわたしは『正座先生』とは、正座に関心のある人に、長時間正座を続けやすい方法や、正座の健康に良い面などを教える人のことだと考えていた。
その結果、教わった人も『正座先生』と同等の知識と技術を身に着け、自らも『正座先生』となる。
そういった方法でわたしたちは、正座に関する知識を持つ人を増やしていきたい……。と。
でも今は、もう少し定義をゆるくしてもいいと思っている。
そう、たとえば……。
「正座先生っていうのは、正しい正座の知識を持って、正座を楽しんで、正座を日常生活に生かそうとしてることの人かなって思ってるよ。
昔のわたしは、人に教えてこその『正座先生』って思っていたけど。
今は特に教える相手がいなくても、自分なりに正座をきちんと覚えて、健康法とか、前向きな用途で使ってる人なら、みんな『正座先生』じゃないかなって思ってるの。
だから、シノちゃんには、そういう意味で『正座先生』になってほしいなって思ってる」
星が丘高校茶道部は、わたしにしろ、ナナミにしろ『本来入部予定がなかった』人たちが集まっている部活だ。
そんなわたしたちは、初心者として一から学びながら、少しずつ成長していくことを目的としている。
今でこそ部長を名乗っているわたしも、たった一年ほど前は茶道の『さ』の字も知らなかった。
だからそんなわたしが、たった一年の活動で、入部してくれたみんなを茶道の先生にすることは不可能だ。
だから『部員皆を茶道先生にします』とはわたしは言えない。
だけど、茶道において重要な『正座』を、明るく楽しく、日常生活に生かせるように教える『正座先生』にはなれていると思っているし、自分のような人を増やすことはできると思っている。
だからわたしは『正座先生』を名乗る。
最大限努力はしつつ、自分にとってベストの範囲で活動を続けていく。
それがわたしに合っている活動方法と思うからである。
「うん、うん。そのくらい名乗りやすい『先生』というのはいいな。
そういった取り組みが、ひとりひとりの未来の進路につながるのじゃ」
わたしの言葉にトウコ先生は深く頷き、そう言いながら優しく背中を撫でてくれた。
だけど、進路。ああ、進路かあ……。
その言葉、今だけはちょっと聞きたくない言葉である。
何を隠そう……。
シノちゃんだけでなく、実はわたし自身にも、これから解決せねばならない悩みがあったからなのである。
「なるほど……。そっか。だったら、私も『正座先生』になれる気がしてきました。
あっ、あの! これは、茶道部に入部しますって意味じゃないですからね!」
「うわあーシノったら、まだそんなこと言ってるう! 早く心を決めなよぉ!」
「オトハはうるさーいっ!」
オトハちゃんとシノちゃんの楽しい会話を聞きつつ、わたしはひそかに『進路』の言葉にそっと胃を痛めていた。
6
***
【シノの特訓日記②】
五月某日
かくして茶道部のプチ合宿は無事終了いたしました。
しかし、トウコ先生が『進路』という言葉を口にされたとき、なぜかリコ部長は、少し浮かない顔をされていました。
一体、何に悩んでいるのか、気になりますが……。
先輩の行動に、後輩の私が口を出し過ぎるのはいけないことです。
状況を静観したいと思います。
ところでわたしは、リコ部長のすすめた通り、毎食、食事中に正座をするようにしてみました。
すると、背筋が伸び、座高が高くなるので、料理をよそいやすくなったり、食べているときも、より呼吸がしやすいように思います。なんというか、気分がいいです。
足は毎回痺れていますが……正座、正直、いいなと思い始めています。
ちなみに家族からも『姿勢が良くなった』と評判です。
私も、リコ部長のようになれるでしょうか……。
***
「じゃあ、サカイ。
来週までにはこの書類を提出するんだぞ。
部活動に熱心なのはいいが、自分の進路のこともちゃんと考えないとな」
「はーい……」
プチ合宿を終えて、月曜日。
わたしは再び、生活指導の先生に呼び出され、お話をしていた。
とはいっても、また廊下で騒いでいるところを見つかって怒られたわけではない。
むしろ……先生にとても心配された結果、面談となったのである。
しかし、その面談もあまり結果は芳しくなかった。
「リコ様。いかがなさいましたの?」
「ひょえっ」
なのでトボトボと職員室から出ると、そこにコゼットちゃんがヒョイと現れ、すぐ隣へジャンプしてきた。
日に日に機敏に、身軽になっているコゼットちゃんである。
「じ、実は進路が決まってないことで、先生に呼び出されちゃって。
あ! これ、茶道部の皆には言わないでね?
あんまり心配かけたくないから」
まさか、ここでコゼットちゃんに会うとは思わなかった。
わたしが大慌てで事情を説明し、同時に秘密にするようお願いすると、コゼットちゃんは、フーン……と首をかしげる。
何やら、わたしが今言ったこと以上のことを察したような表情である。
「秘密にするのは、もちろんかまいませんわ。お約束します。
……でも、リコ様。
進路は『決まっていない』というよりも『考えるのを忘れていらした』のではなくて?」
「うっ」
そうなのである。
本来、高校三年生ともなると、進路を考える時期だ。
しかしわたしは、あまりにも茶道部の活動に夢中になった結果『高校三年生』というよりは『茶道部部長』の気分で毎日を過ごしてしまい……。進路のことを完全に忘れてしまっていたのである。
そんなわたしに、当然ながらコゼットちゃんはあきれ顔である。
「リコ様って、そういうところがありますわよね。
一つのことに夢中になりすぎると、他がおろそかになるというか……注意が行き渡らなくなるというか……。
あらかた、四月に『サボり事件』の件でシノさんにがっかりされて以来、どう名誉を挽回するか。そればかり考えていたのではなくて?
そんな様子では、ご自身の進路についてのリサーチもままならないですわよね」
「はい。コゼットちゃんの言う通り過ぎて、何も言えない……」
コゼットちゃんは鋭い。わたしの行動を、完全に見抜いてしまっている。
そういえば、シノちゃんもオトハちゃんのことについて非常に鋭かった。
これが『仲がいい』ってことなのかもしれないなと実感する。
鋭すぎるとびっくりすることもあるけれど、自分のことをわかってくれている人がいるというのは本当に嬉しいことだ。
さらにコゼットちゃんは、そこで助け舟を出すように話題の方向を変えた。
「進路と言えば……。わたくしは、最近国に戻ったときのことを考えます」
「国って……フランスのこと?」
「さようでございますわ。
ジゼルお姉さまは、高校卒業後、もしかすると日本の大学に進学されるかもしれませんけれど。
わたくしは今のところ、フランスへ戻ろうと思っております」
「そうなんだ……」
初耳である。
卒業したら、母国に帰る。それは自然なことだし、まだ先のことではあるけれど、改めて聞くと淋しくなる話だ。
そういえばナナミは、わたしが卒業後の話をすると、いつも悲しそうにする。
わたしは遠くの学校に行く予定はないし、どうしてナナミはそんなに淋しそうにするんだろう? とこれまでは思ってきたけど、今初めて気持ちがわかってきた。
当たり前だけど、みんな自分の人生がある。
今一緒にいることの方が本当は貴重なひとときで、卒業してしまったらバラバラになるのは自然なことなのだった。
しかし、コゼットちゃんが続けたのは、つい淋しくなっていたわたしには、少し意外な内容であった。
「お話はここからでしてよ?
たとえば……その。
わたくし、フランスに戻ってから、趣味として、フランスのみなさまに茶道と正座を教えるのもいいなって思っていますの。
フランスにも日本ファンは多くおりますが、皆、わたくしたち姉妹ほど、まとまった時間留学できるとは限りません。
だから、需要がある……と言いますか。
先生の資格を取るのは難しいかもしれませんが……せっかくですから、これまで学んだ知識を活かして、卒業後の活動につなげていきたいと思っております。
リコ様は、高校卒業後も茶道を続けるという考えはございませんの?」
「……あのね、コゼットちゃん」
「ええ。もうわたくし、リコ様がなんと言うか、あらかた想像はついておりますが」
「うん。わたし、その発想がなかった。
今コゼットちゃんに指摘されて、初めて気が付いたよ」
「だろうと思いましたわ!」
『だから確認いたしましたの』と言って、コゼットちゃんが肩をすくめる。
大学でも、茶道を続ける……。
正直なところ、その発想は本当になかった。
というよりも『星が丘高校茶道部をどうしていくか』を考えるあまり、わたしは自分個人の進路について考えることをすっかり忘れていたのである。
自分のことなのに、大学は自分の学力に合う学校、学部があればそこを受験すればいい……。程度にしか思っていなかったのである。
「ところで。
正座には集中力を上げる効能もあるのだそうですわね。
なんでも、正座をすることによって本来は下肢に向かう血流が急激に脳に回るためだとか。
わたくしはもしリコ様がもし茶道を続けるのであれば、茶道サークルのある星が丘大学はいかがかと思っていますわ。
まあ、かなりの難関校ではございますが……。
もし正座勉強法で合格したら、正座の普及にもつながり……『正座先生』としてはバッチリなのではなくて?」
「そうきたか! そして、それも日記として記録して、ホームページに載せちゃうわけだね?」
「そういうことですわ。
なんでも部活動に結び付けながら成長されていくのが、リコ様ではございませんか。
試してみる価値はあるかと」
「なるほど……。
正座勉強法で星が丘大学合格、か……」
それ、ちょっと試してみようかな。
自分の未来だけじゃなく、正座と部活の未来につながると思えば、勉強も頑張れるかもしれない。
さっきまでの暗い気分が、コゼットちゃんの言葉で、嘘のように晴れていく。
ああ、自分のことをわかってくれる友達がいるって、本当にいいなあ!
そう思いながらわたしは、コゼットちゃんと並んで、茶道部室へ向かった。
7
***
【シノの特訓日記③】
五月某日
今日は私の、茶道部体験部員としての最後の日でした。
とはいっても、体験入部からまだ二週間。
『あれ? シノさん、あなた、一か月は体験部員として過ごす気だったのでは?』
そんな声が聞こえてきそうです。
まあ……。つまりはそういうことです。
私はこの、体験部員としての日記を早く切り上げられそうなのです。
これまで私は決して何物にも流されず、自分の主張を貫き通すのが、良い人生だと思っていました。
でも、それはなんだか違ったようです。
というか、自分の主張を貫き通した場合、私は一生、自分で『できそうにない』と思ったことはできないことになってしまいます。……それは困ります。
だから……もう、私がどうするかは、おわかりですよね?
***
「シノちゃん。正座してみてどうです?」
五月も終わりに迫った放課後は、わたしのそんな言葉で始まった。
今、茶道部部室には、わたしとシノちゃんの二人きり。
たとえば四月であればただただ気まずいだけだったこの組み合わせも、今ではすっかり和やかだ。
これも正座パワーだろうか。うん、きっとそうだ。
「はい。良い調子です。
正座していると、リコ部長がおっしゃっていた、インナーマッスル? っていうんですか?
座っている間、それが伸びるような気がして気持ちがいいです。
つまり私、これまでずっと姿勢が悪かったってことですよね……。
思い返せば、私は家だと気を抜いてしまうタイプで……。
自宅にいる時は『家族以外は見ていないし』と思うあまり、崩した座り方が多かったんです。
それって間違いなく、腰痛の原因になっていましたよね……。
特に、片側に負担のかかる座り方はよくないんだとか。やめられてよかったです。
それから、背筋が伸びると、前よりもゆっくり、深く呼吸ができる気がします。
前よりも少し精神的に落ち着いたような……」
「それはその通りだよ。そして今、わたしはシノちゃんの日記を見せてもらっているわけだけど……」
「はい。そのまま続きを読んでください。
それが私の本心です」
実を言うと今日は、茶道部は活動のない日だった。
だけどわたしはシノちゃんに『ぜひ』と呼び出され、シノちゃんが体験入部の二週間で書いた日記を見せてもらっている。
そして、今読んでいる部分に続く言葉は、これだ。
***
結論としては、完璧に正座ができるようにはなりませんでした。
***
……その一文に、わたしは『うっ』と胸が痛くなる。
もしかしてこれは『やっぱり入部しません』という日記なのだろうか。
***
でも、毎日取り組む中で、少しずつ前向きになっているのを実感しています。
正座はリコ部長のおっしゃったとおり、毎日続けることで、少しずつ正座していられる時間が延びていくという、ゲームのように面白いものでした。
いつか目が出る日を信じて、毎日コツコツと同じことを続けて努力する。
この経験は茶道と正座以外にも応用できそうな気がします。
実を言うと、痺れやすいのはまだ直っていませんが……食事中は正座していなければ気持ち悪いくらいです。
***
「シノちゃん。これって……」
「もう、最後まで読んでくださいよ。
私はこの通り、高圧的で攻撃的な性格なので……。
これだけ威張っておいて、実は正座ができません……。と言うのが恥ずかしかったんです。
でも、どうやらそうじゃなさそうなのがわかってきたので」
***
先日、リコ部長は私を『正座先生』にしたいとおっしゃいました。
それはどれだけ大変な道のりなのだろうと身構えましたが、部長は、正しい正座の仕方を覚えて、自分なりに前向きに正座を生活に生かせる人は、みな『正座先生』である、とおっしゃいました。
なので今の私は『正座先生』になってみたいと思っています。
それから、今日でこの指導日記が終わってしまうのは惜しいと思っています。
『体験入部時代』の日記は今日で終わりですが……。
明日からは『新入部員』として、この日記を続けていきたいと思います。
***
「なるほど……そう来たか!」
「だーかーらー! 途中でコメントされると恥ずかしいので!
最後まで読まれてからお話してください!」
そんなシノちゃんの特訓日記は、こんな形で結ばれている。
これまでずっと、シノちゃんは素直になれないと言っていたけれど、日記でこうして気持ちを表現してくれた。
初めて本音に触れたのが日記というのは、意外な展開ではある。
でも、これから直接言葉を交わす形でも、シノちゃんの気持ちを聞ける機会は増えるだろう。
だって、日記はこのような形で続くのだから!
***
かくして私は、茶道部員となります。
こんな私でも正座がおおむねできるようになっちゃった茶道部は、面白い部活だと思います。
私ができたのだから、これを読まれているあなたも、きっと大丈夫だと思います。
だから、もし関心があるなら……近い将来、あなたも入部してみませんか?
***
「ということなんです。リコ部長。
この日記が長編になるためにも、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたしますね?」
「喜んで! こちらこそ、よろしくお願いします!」
シノちゃんが照れくさそうな顔をしながら手を伸ばし、握手を求めてくれる。
それに応えるわたしは、部長としてこれから、さらによりよい活動を目指して努力していくのだ。